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アヴェスターにはこう書いている?
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北海道新聞社 編 『おたる再発見』(その2)

 こうした不安定な経営から脱皮しようと、小樽では木村倉庫(明治23年創業)のように、ニシンで得た財力で倉庫を造り、別な商業活動への資本として基盤強化を図った商人も少なくなかった。その結果、ニシン不漁の影響をまともにかぶることなく、商業都市として順調に発展して行く原動力となった。(p.56)


小樽において倉庫業が持っていた意義。



 こうした小樽の経済人の文芸、風雅への理解は今日も引き継がれ、近年では各人の力を結集して、全国でもユニークな小樽文学館、小樽美術館を市へ寄贈するなど、なお伝統は生きている。(p.59)


文学館と美術館は経済人たちが寄贈したものだったとは知らなかった。



このほか小樽商人の郷土愛の気持ちは、いろいろな施設に託されている。近年では、昭和38年に市民会館が、同49年に市総合体育館と新しいおたる水族館が、経済人たちの強力な支援で完成している。(p.60)


戦後になってもこんなに企業(経済界)から支援が行われていたとは。



 その高台に邸宅を建てることが、明治38年(1905年)ごろから富豪の間で、はやり出した。伊藤整が小樽高商(現小樽商大)に通学していた大正11~14年ごろ、ほぼ屋敷町が形成されるに至った。……(中略)……。
 これらの邸宅の大方は、既に面影がない。ただ、花園2の嵐山通り上部に、ひと抱え以上もある玉石が現存し、当時の屋敷町の名残をとどめている。(p.63)


富岡地区などに邸宅が建てられるようになったということだろうが、明治38年というと函館方面と鉄道が繋がった時期に当たる(それまで繋がっていなかった現在の小樽駅と南小樽駅を繋ぐ鉄路が敷かれた時期に当たる)。なお、小樽駅前の稲穂エリアが開けた時期も同じ頃だったように思われる。一連の動きは連動しているように見える。



三井物産が小樽へ進出したのは明治16年。同22年出版の図絵を見ると、色内通りに三井銀行と並んで、木造二階建ての洋風な三井物産小樽支店が描かれている。小樽支店は同30年閉鎖されたが、同42年には札幌支店を小樽に移して再発足した。小樽支店の木材部は本社の木材本部を兼ね、木材部長兼務の支店長には重役級の人材が充てられた。当時、道内の木材はほとんど三井物産が一手に取り扱っていたのである。(p.69)


三井物産の北海道への進出の時期の早さには驚かされるが、三井物産と木材という組み合わせは私としては、台湾の烏来を想起させられる。小樽支店の木材部が本社の木材本部を兼ねるというのも驚きだ。当時は原野が広がる北海道から相当の木材を移出したことが想像される。



最も石造倉庫数が多かった明治41年(1908年)には、171棟を数えた。
 これは全部の倉庫198棟の86%を占めた。地域的には特に有幌町に集中し、独特の石造倉庫群の景観を形成していたが、昭和46年に道道臨港線建設のため、同町の倉庫は13棟が解体、撤去された。
 現在、臨港地帯に残されている石造倉庫は、昭和58年3月末で32棟で、倉庫総数90棟の35%となっている。
 今、有幌一帯の道路はアスファルト舗装となっているが、倉庫群が有幌に形成された大正初期のころはひどいぬかるみで、馬車の通行のため木材を敷き詰めた、木材舗装の道路だった。(p.72)


本書刊行から30年以上が経過し、現在では石造倉庫はもっと少なくなっている。

また、木材舗装の道路というのは面白い。



 建物の壁に店の印を高く掲げ、重厚な構えを見せる小樽の石造倉庫群。その建築材の軟石は、市内奥沢、天狗山、桃内で採掘されたもののほか、札幌・石山の軟石も使われている。桃内産は黄土色、天狗山産はクリーム色、奥沢産はやや緑色、石山産は灰色が特徴だ。
 石材は長さ三尺(一尺は30.3センチ)高さ一尺、厚さ五寸(一寸は3.03センチ)の規格に仕上げられる。これを積むのに「追い込み」と「割り込み」の二通りの方法がある。
 「追い込み」は規格の石材を壁の一方から並べていき、端の方で石材の長さを調節して外壁の大きさに合わせる方法。「割り込み」は規格の石を用いず、外壁全体から石材の寸法を割り出して積む。これだと石材の寸法はそろうが手間がかかる。小樽の石造倉庫群のほとんどは「追い込み」で造られ、「割り込み」の例は小樽市博物館(重要文化財、旧日本郵船小樽支店)に見られる。(p.73)


地元の軟石を使っていること、追い込みという簡便な方法で積まれていることは、短期間で安価に建てられたことを物語る。私はこの点にも北海道の植民地としての性格が表れているように思われる。

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