アヴェスターにはこう書いている?
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佐藤昌彦、大西直樹、関秀志 編・訳 『クラークの手紙――札幌農学校生徒との往復書簡――』

 私が日本で過ごした日々は私の人生の最も幸せな日々でありました。だから今は私の愛するキリスト者の生徒から愛情あふれる手紙を受けとり、君の魅力ある国でキリスト教がしっかり前進しているのを知ることほど嬉しいことはありません。(p.84-85)


クラークにとっては本当に日本での日々は幸福な日々であったようだ。



キリスト教の主張はそれを信ずる者が模範的な行為によって裏付けした時、聖書そのものに最もよく表されてくるものです。人々がどうしても神を称えずにいられなくなるよう、君は君の光を輝かせなさい。これこそ救い主の命令です。(p.87)


クラークの信仰観の一面がよく出ている箇所と思われる。クラーク自身、札幌でこのような信念の下に振る舞っていたように思われる。



西京の新島牧師に手紙を書いて、日本語の宗教冊子を君に送るよう頼んで下さい。それから横浜のJ.L.ギュリック牧師には日本語の聖書やその他を頼んでみなさい。(p.88)


クラークにとって最初の日本人の学生である新島襄に対する信頼は並々ならぬものであると感じられる。クラークと新島、クラークの札幌の弟子たちという三者(?)の関係については非常に興味が惹かれる。



 京都の神学校の創立者で校長である新島ジョセフ牧師が、最近私に会いに来て、君の教会の独立について私の考えに同意していました。牧師と人々が国中から選びすぐって組織し統括される真の日本の教会を立てて下さい。
 きっと君も知っていると思うのですが、蝦夷の北東部の海岸で札幌から遠くない所におもに神戸出身のキリスト者からなる浦河の殖民地があり、新島君は彼等に並々ならぬ関心を持っています。もし機会が与えられれば、君もその人たちを訪問して、彼等と君の精神のために連絡を保つことを期待しています。
 私としては、君の教会が日本人牧師を求めている旨、すぐに京都の学校に緊急の訴えを送るよう忠告します。(p.125-126)


クラークの観点から見ると、新島襄はある意味、札幌の学生たちの兄弟子のような位置づけであるように見える。札幌の学生たちから見た新島は、どのような者として捉えられていたのだろうか?また、新島は札幌の学生たちをどのように見ていたのか?



佐藤昌彦 「クラークにおける信仰と政治」より。

 クラークについての著書は、マキ教授の『クラーク・その栄光と挫折』が1978年に、太田準教授の『クラークの一年』が1979年に、蝦名教授の『札幌農学校・クラークとその弟子達』が1980年に、北海道放送の『大志と野望・ウイリアム・エス・クラークの足跡をたずねて』が1981年に、それぞれ刊行されている。即ち、昭和53年からの4年間に、4冊の著書が刊行されたわけであって、これに戦前刊行の大島博士の『クラーク先生とその弟子達』(新版昭和12年)と、戦後間もなく執筆された逢坂師の『クラーク先生詳伝』(新版昭和32年)を加えると、クラーク伝は、合計6冊となるわけである。(p.131)


上記6冊のうち、私はまだ1冊しか読んでいないが、そう遠くないうちにすべてを読んでみたい。それにしても1978年から81年までの間に相次いで出版されたのは何故だろうか?1876年にクラークが札幌に来てから100年が経過したことが契機となっているのだろうか?



佐藤昌彦 「クラークにおける信仰と政治」より。

クラークが政治に強い関心を持っていたことは、「太田」147頁に現われているところであるのが、元来、クラークのようなピューリタンは、政治とは深い関係をもっている。ピューリタンは団体としては、宗教団体であると同時に、政治団体なのである。(p.134)


ピューリタンに限らず、基本的に宗教団体は政治団体としての側面を持っていると考えるべきであろう。



「訳者あとがき」より

そして、日本では人口に膾炙したあの「少年よ!大志を抱け」のモットーと共に、少なくともその名は遍く知れわたっている。これに反し、アメリカ本国では出身地であるマサチューセッツ州アマーストでさえ、彼の名や日本での業績を知る人の数はごくごく限られている。このような日米両国におけるクラーク理解のアンバランスもさることながら、日本国内について考えてみても、彼の実際の姿はあの、「ボーイズ・ビー・アンビシャス」の句にかくれてなかなか見えてこない。(p.187)


確かに、クラークの名と「Boys, be ambitious」という言葉はよく知られているが、彼の業績や人物像などはあまり見えないという指摘は現在でも有効と思われる。だからこそ、知ろうとする努力が必要になる。

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