アヴェスターにはこう書いている?
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札幌農学校学芸会 編 『覆刻 札幌農学校』

明治九年学課表
(当時全国の学校に練兵なる課目なかりしに、本校率先して、米風に習ひて之を入れたり、実に本邦学校に兵式体操を授くるに至りたるもの、本校を以って権輿となす)(p.39)


札幌農学校に軍事教練の科目があったことは、この学校の歴史における特徴としてしばしば語られるが、アメリカのやり方に倣ったとしているのは、クラークが学長だった当時のマサチューセッツ農科大学(現・マサチューセッツ大学アマースト校)に由来するものであることを指すと思われるが、当時のアメリカの大学で軍事教練の科目があるのは一般的だったのだろうか?そのあたりは気になるところである。



 此課程を見るもの誰人か一驚せざらん、当時固より学術進歩の幼稚なる折柄、敢て其学課の難易軽重を問はざれ共、英文学及弁説等が、各学年主要の部分を占むるは、奇感なき能はず、蓋し当時の札幌農学校出身者に、英学に巧みなるもの多きは此辺に基因す。
 然れども学問の進歩と世間の評論は、札幌農学校の課程をして、永く斯かる状況にあらしめず、爾来明治十三年十四年と次第に、其形而上の学問減じ来りて、遂に農学校をして其名実相適ふに近からしむるに至りたり、今更に次に明治廿年頃の学科の大体を示し、現今の純粋農学課程に進みたる過渡時代として、読者の参考に資せんとす。(p.40-41)


札幌農学校の歴史を語るとき、クラークがマサチューセッツ農科大学のカリキュラムを参照し、当時のアメリカのリベラルアーツ・カレッジと似た教育内容であったことがよく語られる。これに対して、ここで語られているような変化が比較的早く起っていたことはあまり語られないように思う。

これは現代の北海道大学が「リベラルな大学である」というアイデンティティをある程度持っていることと関係しているように思われ興味深い。つまり、クラークによりアメリカ的なリベラルな教育がなされた独特の学校として始まったということを語ることは、現代においてもその精神的遺産を直接かつ現代に繋がるような形で受け継いでいるという印象を与えるからである。

これに対して、本書に記録されているような実際の歴史は、比較的早期に実学化が進んだことを物語っているが、だからと言って当初のリベラルな教育が顧みられなかったわけではないという点には注目が必要である。カリキュラムが実学化したとしても、随時、クラークの時代が語られ、理想を体現していた時代として語られるとすれば、その精神的遺産を受け継いでいることになるだろうからである。



第一節 校則(摘要)

 札幌農学校は文部省の直轄に属し、農理、農芸及拓殖に関する高等教育を授くる所とし、本科の外予修科、土木工学科及農芸伝習科を設く。(p.54)


明治30年頃の校則だが、「拓殖」に関する教育を行う所であるという点と、「高等教育を授ける」所とされている点に注目したい。前者に注目する理由は、札幌農学校から北海道帝国大学に至る学校の卒業生のかなりの割合が、台湾や朝鮮、満州などの日本の植民地統治に関係する仕事をしたという事実とこの学校の設置目的が合致しているからである。後者については、当時の「大学」との関係が見えてくるのが興味深い。すなわち、当時の大学は教育と共に研究の機能も期待されたのに対し、札幌農学校には「研究」が目的となっていなかったらしいことが見えてくるからである。



 本科の学年は九月十一日に始まり、翌年七月十日に終る之を分て三学期となし、第一学期は九月十一日より十二月廿四日に至り第二学期は一月八日より三月卅一日に至り、第三学期は四月八日より七月十日に至る、本科に於て修学すべき課程は左の如し。(p.54)


秋に始まり夏に終わるというのは、当時の学校の基本的な学年暦と合致すると見てよさそうだ。これについては一つ前のエントリー、『東京大学の歴史 大学制度の先駆け』を参照されたい。



夫れ一国教育の中心は必しも其政治的中心と一致せす。米国第一流の大学は、必しも華盛頓に在らずして、多くニユー、イングランド、ステーツに在り。英国第一流の大学は、必しも龍動に在らずしてヲクスフオルドケンブリツジエヂンバラーにあり。其他列強有名の大学は、必しも其首府に在らずして、反て偏僻の地に多き所以のもの、教育の中心と政治の中心とは、相一致するを要せざるを見るに足らん。吾人は信ず、我北海道は実に学問の地たり。未だ二十世紀の中葉に至らざるに、嶄然として頭角を顕はし、東洋の北極星と成り、学術の効果を遠近東西に頒與するの日あらんことを。(p.114-115)


本書は明治31年に札幌農学校という学校を紹介し、学生を集めることを目的として出された本であるが、そのことがよく表れている箇所である。この結論を言うために、本書では札幌がいかに学問に適してた地であるかということを冒頭の章で力説しているほどである。

本書の主張によれば、北海道(札幌)は学問に適した地であり、一国の教育の中心は政治の中心とは必ずしも一致せず、むしろ僻地にあることも多いということから、北海道(札幌)が日本の学問の中心地になり得るということになり、そのような北海道(札幌)の地に集え!ということになるわけだ。

教育の中心と政治の中心は必ずしも同じではないという指摘は正しい。ただ、今のところ札幌が日本の学問の中心とまでは言えないのは残念である。

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