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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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エリック・ウィリアムズ 『資本主義と奴隷制』(その2)

 18世紀のある文筆家は、1783年から1793年までの間にリバプールの船878隻で運ばれた30万3737人の奴隷の価値をポンドに換算すると、1500万ポンド以上になると見積もっている。・・・(中略)・・・
 このような利潤も、オランダ東インド会社が上げた利潤と比べれば取るに足らないもののように思われる。同社はその歴史の中で、何度か5000パーセントという信じがたい利益率を記録している。奴隷貿易の利潤はイギリス東インド会社の上げた利益と比べても小さいものだったかもしれない。しかし、奴隷貿易はこれらの貿易よりもはるかに重要な意味をもっていた。それは重商主義の立場から見るとインド貿易が悪い貿易であったということを考えれば説明がつく。インド貿易は不必要な製品を買うためにイギリスから金銀を流出させる。そのため、当時の人々の多くが「喜望峰を通ってインドへ向かう航路が発見されなかったほうが、キリスト教世界にとっては幸せだった」と考えたのだった。それとは逆に奴隷貿易は理想的だった。それはイギリスの製品によって行われていたし、イギリス領植民地との間で行われている限りプランテーション貿易と密接に結びついていた。そのため、イギリスは他国人に頼ることなくプランテーションから熱帯の産物を手に入れることができた。さらに、オランダの香辛料貿易は高値を維持するために生産を厳しく制限しなければならなかったのに対し、奴隷貿易はイギリス本国には工業を、植民地には熱帯農業をつくり出したのだった。(p.71-73、強調は引用者)



重商主義者たちは熱心だった。彼らは航海を奨励したので、三角貿易や関連する砂糖を産出する島々との交易は本国の錫や石炭鉱山よりも価値があった。これらは理想的な植民地だった。植民地がなければ、イギリスは金や銀を得ることはできなかった。(p.96、強調は引用者)



イングランドでは禁止されていたインド製織物はすぐにアフリカ市場で専売を確立した。・・・(中略)・・・しかしイングランドの染色工程の後進性のため、マンチェスターでは海岸部で人気のあった色褪せのない赤、緑、黄色を作り出すことができなかった。マンチェスターではこれらインド製綿織物の色を模倣することができないことがわかった。ノルマンディーにあるフランス綿製品製造業者も、この東洋の秘密を学ぶことにおいては同様に成功しなかったということを示す証拠がある。(p.113-114、強調は引用者)



 17世紀と18世紀、原料は主として二ヶ所、レバント地方と西インド諸島からイングランドにもたらされた。奴隷海岸ではマンチェスターと競合するインドがあまりにも手ごわいことがわかり、国内市場さえもインド製商品で身動きできなくなるおそれがあった。しかし18世紀にインドからイングランドへの輸入品に対し法外な関税がかけられたおかげで、この競争相手は効果的に打ち砕かれた。これによって、綿花の母国が19世紀と20世紀にランカシャーの主要な市場となる第一歩が踏み出された。18世紀、この方策はマンチェスターに国内市場への独占を与え、民間のインド貿易商はランカシャーの工場用に綿花を輸入するようになった。(p.117、強調は引用者)



以上から次のように読める。

◆イギリスの金銀はインドに流出していた。
◆その金銀はアメリカの植民地から得ていた。
◆イギリスはインドの綿織物工業に技術的に太刀打ちできなかったのでインドに対して保護主義を採ることでインドとの力関係を縮め、逆転することが可能になった。

時間がないので今日はこの辺にしておく。
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