アヴェスターにはこう書いている?
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北海道大学125年史編集室 編 『北大の125年』(その2)

 以上のように、附属図書館が戦前期に旧外地の資料を大量に受け入れていたことは、北大が明治期以来「内国植民地」とみなされていた北海道におかれた「帝国大学」であったことによるところが少なくないであろう。しかしそれ以上に、わが国における植民学の権威であった高岡熊雄博士が約30年にわたり(1905~34年)、附属図書館長を務めた影響のほうが大きかったのではないかと思われる。(p.60a)


なるほど。旧外地の資料を豊富に所蔵するのは館長の関心の影響という要因が大きいというわけか。私も前段のような理解はあったが、後段の理由はより具体的で実証的な研究に耐え得る仮説であると思われ、興味深い。



 戦争末期には、大学構内の空地を利用した畑作りが盛んに行なわれた。(p.61)


戦争末期と戦後間もなくの間、北大の構内の随所に畑があったという。大通公園が同じ時期に畑になっていたという話はしばしば目にすることがあったが、大学の構内も同様だったとは驚いた。



土木専門部は室蘭工業専門学校とともに室蘭工業大学となった。(p.74)


新制北海道大学の誕生により、予科や専門部が廃止されていった際、小規模な大学をも生み出していたわけだ。室蘭工大は北大から分離してきた土木専門部を構成要素として成立したという関係にあったとは知らなかった。



 北大に文科系学部を創設することは戦前からの長年の悲願であった。戦後には、戦争への反省から文科系学部の必要が痛感された。(p.74)


文科系の知の批判性は非常に重要である。昨今、文系学部を廃止・縮小の方向へと政府や文科省が誘導しようとしていることは、戦争に反対する知識階層ではなく、権力に従順な技術者的な技術者層を欲していることと関係しているように思われる。権力者を縛るものを減らしたい(好き勝手に権力行使ができるようになりたい)という志向がこうしたところにも表れていると思われる。自民党が制定したい自主憲法と考え方は全く共通している。



 1952年3月31日、国鉄(現在のJR)桑園駅を東へ向けて出発した列車がキャンパスに入ってきた。……(中略)……。総延長1512mに達する「北海道大学構内鉄道引込線」の開通である。……(中略)……。既に遺構は残っていないが、農学部の裏を南北に走る道が廃線跡であり、工学部と附属図書館北分館との間の駐車場が終点の貯炭場跡である。(p.78)


今度この廃線の跡を探してみたい。



なお、これらの留学生とは別に、沖縄出身の学生も72年の沖縄復帰までは「外国人留学生」として在学していた。(p.103)


沖縄は本当に外国だったんだな、と認識させられた。



実は北大キャンパス全域が「K39遺跡」と呼ばれる遺跡なのである。現地表面から2m下には、おおよそ2000年前の続縄文文化の暮らしが埋まっている。当時、扇状地の末端であったこの場所に、人々は季節ごとに訪れは河川での漁労をしていた。それよりも1m上、現地表面下1mには、「遺跡保存庭園」から続く擦文文化の暮らしが埋まっている。(p.111)


構内に遺跡があることはしばしば耳にする機会があったが、このような形になっていたとは驚いた。



 北海道の開拓に必要な人材の養成を目的とする専門教育機関からスタートした北大が、このように規模の大きな総合大学に発展する過程には、歴史の転換点ともいうべき節目がいくつかった。節目を経由することで大学として発展を遂げてきたのである。
 大きな節目のひとつは、日露戦争後における農学校から帝国大学への転換であった。これによって単科大学から総合大学への途が開かれた。もうひとつは、第2次世界大戦後における文系学部の新設と新制大学への転換である。これを経て、1967年には今ある12の学部がすべて揃うことになった。2つの転換を画期として、北大125年の歴史は30年余の農学校時代、40年余の帝国大学時代、50年余の新制総合大学時代に大別されるといってよい。(p.118-119)


農学校から帝国大学への転換は、単に単科大学から総合大学という意味ではなく、学校の存在意義を政府にどの程度認められているかという問題と直結していた点で、より重要な意味を持っていたのではないか。

なお、2016年現在における時代区分は、「国立大学法人」時代とすべきだろう。




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