アヴェスターにはこう書いている?
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榎本守恵 『北海道の歴史』(その2)

箱館開港後、長崎俵物諸色は箱館から清国直輸出になったが、イギリス商人のかげで実質をにぎる清国商人に昆布相場をあやつられて、道内商人はひどく苦労した。(p.197)


こうした清国商人がどのような人々であったのか、少し詳しく知りたい。



 黒田は、榎本武揚以下箱館戦争の敵、脱走軍幹部の新技術を認めて多数開拓使に登用した。また、郷里の鹿児島県出身者もしきりに採用した。明治5年末の開拓使奏任官以上26人のうち、鹿児島7人、榎本ら旧幕臣8人であるが、明治10年には幹部20人のうち鹿児島11人になり、旧幕臣は4人に減少、開拓使廃止時点では長官・札幌本庁・函館支庁・根室支庁・七重試験場・東京出張所・屯田事務局など各部局長は全部鹿児島県人で独占されるにいたった。黒田王国の“いもづる”と悪評されるゆえんである。黒田は参議になってからは、当然東京での要務に多忙であったであろう。しかし、そのまえの次官就任以来長官罷免までの11年半のあいだ、北海道にはたまにしか来道せず、もっぱら東京出張所で指令していた。(p.205)


黒田の影響はいろいろと大きなものがある。



農業移民が地租・地方税など当分免除されたのにたいし、道内唯一の既成産業であった漁業には重税を課されていたのである。先にのべた道内の税収の大部分は、この水産税と出港税であった。(p.209)


開拓初期の段階では農業からは税を取ろうにもとれる状態ではなかったはずであり、そうなると漁業から税収を上げるしかないといったところか。農業と漁業の扱いの違いは面白い。



ケプロンは芝増上寺を宿舎とし、4年の任期中3回来道しただけで、多くは前記3人のほか、必要に応じて雇い入れた部下を派遣して調査させた。(p.212)


先ほど黒田清隆もたまにしか北海道を訪れなかったことも書かれていたが、ケプロンもそうだったのか。



 クロフォードが資材購入のため一時渡米したさい、松本・平井ら日本人技師だけで工事を少しのまちがいもなく指揮監督し、クロフォードをよく助けた。かれらがいなかったならば、クロフォードの業績も完成しなかったかもしれない。(p.216-217)


松本荘一郎と平井晴二郎の幌内鉄道開通に関わる功績はもっと知られてよいと思われる。



 一期生からは佐藤昌介や大島正健ら、二期生からは内村鑑三・新渡戸稲造・宮部金吾らの国際的人物が育った。二期生は、クラーク去ったあとだが、一期生からキリスト教の影響をうけ、大部分が誓約に署名した。横浜バンド・熊本バンドとならび、異彩ある札幌バンドを形成したが、三期生は全員アンチクリスチャンで、四期生には国粋主義者志賀重昴が出た。農学校のキリスト教は一時中絶したのである。(p.230)


札幌農学校に関しては、一期生と二期生のことはよく語られるが、三期生以降については語られることがほとんどない。クラークの精神が受け継がれているというストーリーにとっては、アンチクリスチャンである三期生や国粋主義者が開学後まもなく現れていることは都合が悪いということか。


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