アヴェスターにはこう書いている?
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潮木守一 『京都帝国大学の挑戦』

つまり大学には教育という役割と並んで、研究という役割も課せられているのだという考え方は、19世紀に至って初めて登場した考え方で、中世から始まる長い大学の歴史のなかでは、ごく最近のことでしかない。(p.39)


研究により「何か新しい(something new)知識」を見出すことが学問に求められ、学問もそうしたものであろうとしていったこの時代の傾向と合致している。



つまりドイツの場合、大学とは別個に学者を集めて研究をさせる組織を新たに作り出すほど、経済的余裕がなかったのだとする説のほうが、案外当たっているのかもしれない。(p.41)


フランスの大学は教育の機関であり、研究は別の機関に委ねたのに対し、ドイツは大学に教育に加えて研究という役割を付け加えたとされる。この相違が生じた理由についての説明だが、私もこの違いの指摘を受けた時点で筆者と同じ仮説を抱いた。当時の小邦分立のドイツと相対的に中央集権型の政治システムを構築していたフランスとの相違と言ってもよいかもしれない。



つまり当時の学生は、一つの大学だけで卒業していくという例はほとんどなく、たいていの場合、二つか三つ、場合によってはそれ以上の大学を、次々と渡り歩いて行ったことになる。
 ただこれにも大学での差がみられ、たとえば、ケーニヒスベルク、ブレスラウ、チュービンゲンでは、学生の在籍期間が長く、四学期から四・五学期となっている。これに対して、ハイデルベルク、ボンなどは土地柄もあって、夏学期になると学生があちこちから移動してきた。その結果この二つの大学の場合、学生の在籍期間はきわめて短く、平均して二学期、つまり一年にしかならなかった。だからこの二つの大学は、Sommer-Universitätと呼ばれたりした。要するにサマー・スクールということである。(p.44-45)


19世紀末頃のドイツの大学の状況。この辺りの事情は私の場合、マックス・ウェーバーの経歴などを想起すると想像できるところがある。彼はハイデルベルク、ベルリン、ゲッティンゲン、再度ベルリンと4回学校を変えている。

ただ、ハイデルベルクとボンが夏学期に学生を引きつける「土地柄」とは具体的にはどのようなことなのか?もう少し詳しく知りたいところではある。



しかし、19世紀のドイツの大学において行なわれた教育上の一大イノベーションとは、まさに学生自身に何らかの特定テーマを研究させ、それを通じて学生をトレーニングし、教育するというこの方式だったのである。そしてさらに、その学生が独自に行なった研究を発表させ、それについて議論を展開させる場が、ゼミナールだったのである。(p.56)


この教育方法は、現代でも確かにインパクトがある。私自身にとっても高校までと大学とで決定的に違うと思わされたのは、こうしたシステムだったからである。

本書ではこうした方式の問題点なども的確に指摘しており、適した分野とそうでない分野があることなどが指摘されているが、社会科学を学ぶ場合、講義を聞くよりも、自身で問題に取り組んでいくことで問題意識が啓発されることが多いように思われるし、また、過去の学問業績の習得(使いこなせるようになる)という点でも効果があるように思う。ただし、ある程度以上の基礎学力があることが望ましく、水準以下の知識しかない場合は、闇の中を模索するだけで得るものは少ないという結果もあり得るだろう。



 もともとこのゼミナールという制度は、きわめて実用的な目標、つまり職業訓練上の必要から生まれたものである。(p.70)


本書では主にドイツにおけるゼミナールの歴史が簡単に述べられているが、私としては非常に興味深く読んだ箇所だった。

本書によればゼミナールは神学と言語学の分野がはしりであり、それぞれ牧師と古典語教師(ギムナジウム教師)の養成と関わっていたという。19世紀後半になるとこの性格は変質していき、専門研究者の養成のためのものへと変わっていったという。いずれの目的にとってもゼミナール方式は適切な方法であり得ているように思われる。



 もう一つ、ゼミナールの性格を特徴づけたのは、大学の普通の講義とは異なって、ごく少数の学生だけを採用する、いわば一種のエリート養成の場だったということである。(p.72)


本書によればこうした性質も学生数の増加に伴って19世紀後半には変質していき、一般学生にまで対象が広がって行ったとされる。ゼミナール方式の教育は、やはりどこまで行ってもエリート教育的なものにならざるを得ないと私は考えている。実際、先に「ある程度以上の基礎学力」が必要だと述べたが、私が想定する水準を満たす学生は、今のように大衆化した大学の中では一割もいないと思われる。(主体的な意欲さえあれば、単なる知識の不足であればある程度の期間の修練を積むことでカバーできるとも思うが。)



 すでに述べたように、パウルゼンにとっては、「ゼミナールでの演習こそ、近代の大学教育の本質」だったのであろうが、まかりまちがえば、ゼミナールとは、相互理解ができないことを、ただ確認し合う場になりかねなかった。(p.85-86)


ゼミナール方式の問題点を的確に指摘している。特に正規のカリキュラムとして必修科目になっているような場合、こうしたことは避けがたいだろう。ゼミナールはやはり「エリート教育」なのだと割り切って、つまり「適切なメンバーのみで」実施することでこそ効果を発揮するのではないか。



一つのことを根掘り葉掘り研究することが、教育になるのだというのが、19世紀のドイツの大学の教育方式の理念だったのだが、そこには、このアメリカ青年の当惑をまつまでもなく、いくらでも疑問の余地があった。(p.93)


確かに疑問を呈するのは容易ではある。しかし、私がこの部分に興味を惹かれたのは、またもやウェーバー関係なのだが、『職業としての学問』において、ここで批判されているような細かいことを徹底的に研究することを是とする考え方が示されており、ウェーバーの思想には19世紀末頃のドイツにおける「時代の子」としての性格が意外と濃厚に見られるという思いを強くさせられたからである。



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