アヴェスターにはこう書いている?
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丸山眞男 著、古屋旬 編 『超国家主義の論理と心理 他八篇』(その2)
「ファシズムの現代的状況」より

現存秩序の心臓に触れる事柄が公然と論議され対立意見が闘わされる自由があるかないか――それが凡そ一国に市民的自由があるかどうかのテストだというのです。(p.228)


日本では、明らかにここ数年でこうした自由は急速に失われている。



「思想の自由」はアメリカで名判事と謳われたホームズがいっていますように、己の憎む思想に対して自由を認めるところにこそ核心があるので、「俺と同じような考えの奴には自由にしゃべらせる」というのは実質的には無意味だからです。(p.229)


多くの自民党の議員は「思想の自由」を認めない人たちだと認識すべきである。

また、いわゆるヘイトスピーチなどを規制すべきだという議論に対して、表現の自由などを楯に規制すべきでないとする論があるが、引用文で指摘されている「思想の自由」を「表現の自由」に置き換えても成り立つ(己の憎む表現に対して自由を認めるところに核心がある)ことから考えると、次のように考えることができる。

ヘイトスピーチは、特定の民族なり国籍なりの者に対して存在を否定するような罵声を浴びせかけるが、これはヘイトスピーチをする者が憎んでいる属性の者に対して自由を認めない行為である。このように考えるとヘイトスピーチは「己の憎む思想、信条、表現等に対して自由を認める」ことに核心がある「自由」とは相容れないことがわかる。従って、「ヘイトスピーチをする自由」はないのである。



「「スターリン批判」における政治の論理」より

しかしながらマルクス・レーニン主義が国家権力によって正統化され、国家の公認信条となるや否や、それは事実上あらゆる学問と芸術の上に最高真理として君臨するようになる。マルクス主義が在野の反対科学(Oppositionswissenschaft)である間は、たとえマルクス主義の思想的影響がどんなに大きくても、それは原理的には多くの学派のなかの一つの学派という性格を保持し、したがって思想や学問の自由市場で他の立場と絶えずその真理性を競わねばならない。ところが権力の座についたマルクス主義は、もはや多くの方法のうちの一つの方法というようなものではない。(p.315)


的確な指摘。ここから次のことが言える。中国や旧ソ連の共産党と日本の共産党は、社会の中での位置づけやこの政党が持つ意味が異なっている。

保守派の人たちにしばしば見られる「共産党アレルギー」は、こうしたリアリズムに立った認識を欠いた、観念的ないし極度にイデオロギー的なものであるということは指摘しておくべきだろう。



「反動の概念」より

すなわち、「反革命」は革命と対語であり、現実にもつねに革命過程の開始にほとんど踵を接して現われる。これに対して「反動」という範疇は「動」の過程がある時間的な幅で継続し、しかもそれが社会の深層までゆるがすものだという感覚が一般化してはじめて、それを押しかえそうという動向との揉み合いが、なまなましい力学的イメージをよびおこすわけである。最後に、保守は文字どおりconserveすることであるから、反革命や反動の概念がもともと消極的で反対的なものにとどまるのとちがって、保存すべき価値の積極的な選択が前提されている。したがって、単に衝動的、感情的なものがある反省にまで高まらぬと出て来ないので、革命過程などでは前二者に比して登場が遅れても不思議ではないことになる。右はむろん純粋な理念型の場合であって、現実にはたとえば保守の名を関する党派が必ずしも本来の意味で保守的とは限らない。(p.335-336)


このあたりの概念の分析は興味深かったところ。右派が「保守」を名乗りたがるのは、ある意味では「保守」の概念に含まれるこうした積極的な意味合いに対して反応しているからだと考えることができる。ただ、実際には現在の日本の右派は、「保守」と呼ぶより、戦後の民主化(日本国憲法体制の確立)という「革命」的な過程に対する「反動」として位置づける方が妥当であると思われる。



反動を特徴づけるのは、安定感ではなくて慢性的危機感である。(p.367)


この部分を読んで即座に想起されたのが安倍政権のことであった。例えば、安保関連法の審議やその前の集団的自衛権行使の閣議決定の際にも「日本を取り巻く安全保障環境は悪化している」と抽象的な文言で人々の危機感を煽っていたことは記憶に新しい。やはり、安倍政権は「保守」と形容すべきではなく「反動」のカテゴリーが相応しい。


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