アヴェスターにはこう書いている?
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トマ・ピケティ 『トマ・ピケティの新・資本論』(その1)

 サッチャーの首相就任と傾きかけた国を救ったとされる数々の改革から四半世紀が過ぎた現在、イギリスは生産性の低い国に成り下がっており(生産性格差はいっこうに縮まる気配がない)、他の先進国と肩を並べるために貧しい国のとる方策、すなわち税のダンピングと長時間労働に頼らざるを得なくなっている。イギリスの労働人口の生産性が低いのは、教育制度に投じる予算が少ないことと、貴族政治時代を引きずる顕著な階層化に大きな原因がある。(p.49-50)


サッチャーの新自由主義政策の帰結に対する的確な批判。なお、税のダンピングと長時間労働という方策に追い込まれているのは、日本も同じである。



また、候補者選びをぎりぎりまで先送りすることの弊害も、改めて浮き彫りになった。候補者がなかなか決まらないと、一般受けする政策を打ち出す傾向が強まり、まともな議論ができなくなってしまう。(p.77)


なるほど。



 フリードマンが経済学の研究から導き出した政治的な結論は、やはりイデオロギーを免れていない。「よい中央銀行」があればよいと言うなら、「よい福祉国家」があってもよかったはずだし、おそらく後者のほうがよいではないか。とは言え、フリードマンの重厚な研究が、20世紀で最も深刻な危機を巡る当時のコンセンサスに疑義を提出したことはまちがいないし、あのみごとな研究に裏付けられていたからこそ、彼のメッセージはあれほどの影響力を持ったのである。(p.84)


ミルトン・フリードマンに対する批判。イデオロギーであるという指摘は妥当。また、見事な研究の裏付けがあればこそ、あれだけの影響力に繋がったという指摘はなるほどと思わされた。ピケティが注目されるようになったのも、同じく見事な実証的な研究の裏付けがあればこそという点では同じだろう。その意味で、フリードマンとピケティは意外と似たところがあるのかもしれない。



 税のダンピングに基づく成長戦略は、多くの小国が採用しているが、必ず悲惨な結果につながる。アイルランドに続けとばかり多くの国が同じ道をたどっており、もはや抜けられない状況だ。いまではおおかたの東欧諸国が、法人税率を10%程度に設定している。2008年には、コンピュータ大手のデルがアイルランドの生産拠点を閉鎖してポーランドに移転すると発表し、アイルランドにパニックを引き起こした。
 外国資本への過度の依存に伴う代償は、これだけではない。アイルランドのような国は、毎年GDPの約20%を利益や配当の形で、工場や本社の外国人所有者や株主に支払っている。このため、アイルランド国民が自由に使える国民総生産(GNP)は、国内総生産(GDP)より20%も少ない。(p.166)


グローバル経済の下で、法人税のダンピングが行われているが、これがまともな成果を挙げないことを指摘している。まず、税のダンピングをすると税収が下がり、国内で生活している人々に対する行政サービスの面で支障が出る。とくに社会的な弱者ほど打撃が大きい。もし、行政サービスの切り下げが行われないとすれば国債等が増発される。この場合、返済を通じて低所得層が高所得層に所得移転を行うことになる。ピケティが指摘しているのは、こうした直接的なデメリットがありながらも、この方針を転換できなくさせられてしまうという点であり、自由に変更することができなくなる点である。

そして、外国から資本を呼び込むことに成功しても、富は国内の住人ではなく出資する側へと吸い上げられる。これもやめることができない。

重要な論点である。




国民所得は、一国の国民が実際に自由に使える所得の総額を計測する指標であり、経済活動の中心にある「人間」に注目した数字だと言える。一方GDPには、「栄光の30年」と呼ばれた経済成長期(1945~75年)の生産至上主義が反映されている。
 言い換えれば、GDPは、工業製品をどんどん買い込むことが人生の目的と化し、そのためには生産を増やせばよいと考えらえていた時代の名残なのである。いまはもうそういう時代ではない。したがって、国民所得に回帰すべき時が来たと考えられる。(p.181-182)


GDPではなく、国民所得を経済活動の指標とすべきという。



すなわち、一国の中で生産されたモノやサービスだけを計測し、その最終目的地は考慮しないので、他国に送られる利益もGDPに含まれている。たとえば、企業や生産資本の大半を外国人株主が所有しているような国では、GDPは大きくても、国外に送られる利益を差し引いた国民所得はきわめて小さくなる。(p.183)


アイルランドを例にして2つ前の引用文で述べられていること。


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