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アヴェスターにはこう書いている?
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高史明 『レイシズムを解剖する 在日コリアンへの偏見とインターネット』

 コリアンについてなされるツイートの多くはネガティブであるが、その少なくない分量はプレゼンスが極端に高い少数の差別的なアカウントによってなされていた。ソーシャル・メディアでの差別的な言説の広まりを考えるとき、こうした差別扇動家の役割は、けっして軽視できないものであろう。また、もしもTwitterのようなプラットフォーム各社が差別的な言説を抑止しようと考えるのであれば、このようなプレゼンスが極端に高いアカウントを重点的に管理すれば、労力に比して大きな成果を挙げることができるだろう。Twitterであれば、コリアンについての発言数が上位25件までのアカウントに制限を加えるだけで、差別的な投稿の流通量を10.1%も減じることができ、しかもこれらは閲覧者数が非常に多いものである。対象を上位200位まで拡げれば、21.4%を減じることができる。(p.47)


ヘイトスピーチを禁止するという動きが徐々に出始めているが、ネット上でも発言を規制するようにしていくことができれば、巷でのヘイトスピーチを行う側のデモを規制するよりも容易に、かつ、そのようなものに発展する手前の段階で防止することができることがわかる。この論文では、プラットフォームの運営主体が規制するものと前提しているが、私見ではむしろ法令でもこうした発言を禁じ、プラットフォーム各社にもそうしたものを掲載させないよう規定し、それを受けてプラットフォーム各社が削除やアカウント停止などの対応を行うようにすればよいと考える。

但し、ヘイトスピーチの規制をする場合、権力側がそれを悪用して政権への批判を行う者を規制することには絶対に活用できないように厳重な設計をする必要があるとも考える。



近年の日本で古典的レイシズムに属する“古い”偏見が盛んに表出されているのは、それに先行して“在日特権”言説が広まったことを受けてのものであるのかもしれない。(p.62)


本論文ではこのことを証明はしていないのであるが、排外主義や差別主義が、「漠然とした不満感」(そこに由来する「誤った自己認識」としての被害者意識)を心理的な出発点にしているとすると、「漠然とした不満感」は「在日特権」言説を「発見」することにより被害者意識としての自己規定を持つことができることになる。そして、こうした考え方が広まり、漠然と目にする人が増えることにより、コリアンに対する否定的な評価の刷り込みがわずかずつでも行われるとすれば、この引用文で書かれているような事態も十分あり得るように思う。



その特徴とは“レイシズムは悪いことだが、レイシズムというのは黒人の知能その他の特性についての偏見を持つことと、人種分離や差別政策を支持することであって、単なる事実の摘示はレイシズムではない”、という認知があり、したがって現代的レイシズムの持ち主は自身をレイシストだとは考えないというものである。本研究は、現代的レイシズムがこのような“免罪符”の効果により受容・表出されやすいことを直接示したものではないが、現代的レイシズムの方が強く示されるということは、指摘しておく必要がある。なお、現代レイシズムが単なる事実の摘示に留まらないことは、研究5において示す。
 また、二つのレイシズムを測定する尺度はともに感情温度との間に中程度の相関を持つことから、併存的妥当性が示された。ただし、その相関は古典的レイシズムにおいてより強く、古典的レイシズムの方が感情の比重が大きく現代的レイシズムの方が認知的要素の比重が大きいとしたマコナヒー(McConahay,1986)の分析は、在日コリアンに対するレイシズムでも確かめられたことになる。(p.99)


古典的レイシズムと現代的レイシズムと感情温度という本書が用いる3つの尺度の関係について、このあたりの叙述を読んだ後、それまでよりも容易に捉えられるようになった。



オルポートは、アドルノら(Adorno, Frenkel-Brunswik, Levinson,& Sanford, 1950)を引用し、レイシズムの持ち主は、たとえ相互に矛盾しているものであっても、その否定的態度と整合するような信念・態度を、同時に肯定することがあるとしている。(p.102-103)


評価が先立ってしまうことにより、整合性よりも、自身の下したい評価に適合する認識をその都度採用してしまう。



プロテスタント的労働倫理は、勤労と節制、自助を重んじる価値観である。その資本主義の成立における重要性を初めて指摘したのはヴェーバー(Weber,1905/1920,大塚久雄訳 1980)であるが、ミレルズとギャレット(Mirels & Garrett, 1971)がその測定尺度を作成した後、様々な価値観や政治的態度(e.g., Feather, 1984)、行動(e.g., Greenberg, 1978)との関連が明らかにされてきた。(p.104)


心理学の分野でもウェーバーの業績を活用した事例があるとは知らなかったので、少し驚いた。



 このプロテスタント的労働倫理はレイシズムを強める方向に働くのだが(Katz & Hass, 1988)、古典的レイシズム/現代的レイシズムに関する直接の検討はスイムら(Swim et al., 1995)が行っている。この研究においては、プロテスタント的労働倫理は現代的レイシズムだけでなく古典的レイシズムも強める効果があった。その理由として、現代的レイシズムにおいては、このレイシズムがネガティブな感情と黒人が自助、節制、勤労などの倫理に抵触しているという認知との混合物である(Kinder & Sears, 1981; McConahay & Hough, 1976)ためと考えられるのだが、古典的レイシズムにおいては、プロテスタント的労働倫理が強いほど黒人の不利な状況を彼ら自身の劣等性に帰属しやすいことが関わっているのではないかと考えられる。(p.105-106)


プロテスタンィズムの労働倫理がレイシズムを強める方向に働くということが心理学の世界では示されていたとは!ウェーバー自身、ポーランド人に対して排外主義的で民族差別なナショナリズムを強く持っていたということが想起される。



すなわち、人道主義-平等主義は、よく知られていない、したがって特定の信念に基づいた偏見の対象ではない他者――おそらくアイヌなど――に対するネガティブな態度も、緩和する可能性があるということである。(p.118)


人道主義-平等主義は、レイシズムを緩和する効果があることがこの研究でも確かめられたことを受けての指摘。人道主義-平等主義は、確かに(本書がすでに指摘していることだが)マイノリティや弱者への共感を促すものでもあるが、もしかすると、サンデルからは「負荷なき自己」として批判されたリベラリズム的な人間観もレイシズムから遠ざからせる認知の仕方であるように思われ、こうした経路もあるとしたら更に興味深い。



 なお、生活保護受給者の1000人に100人が在日コリアンであるという中央値は、厚生労働省(2013)より計算可能な19人という数値に比べて五倍以上高く、こうした誤った信念をもとに在日外国人の社会保障についての議論がなされていることも、憂慮すべき事態である。(p.120)


同感である。



アドルノらはパーソナリティ特性として権威主義を考案したのだが、より一般的な傾性であるパーソナリティと、より個別的な態度との間にある、イデオロギーの次元として捉える方が有益である(Duckitt, 2001)。(p.124)


なるほど。権威主義をパーソナリティではなくイデオロギーとして捉える方が理念型的な使い方がしやすくなる気がする。


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