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アヴェスターにはこう書いている?
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牧野雅彦 『マックス・ウェーバー入門』
本書はマックス・ウェーバーの思想を、平易な言葉で説明している点が優れている。

また、ウェーバーという人が生きた時代の文脈の中に、ウェーバーの思想を位置づけようとしている点は重要である。

特に19世紀のドイツの歴史主義(政治史学→歴史学派国民経済学)の流れの中で設定された問題にウェーバーが取り組んでいたということを明らかにし、また、同時代の思想家たちとそうした問題意識を共有していたことを示している。これは妥当なアプローチだと思う。

ただ、そうした古典的な業績と全く触れたことがない人にとっては、意外と意味がとりにくいかもしれない。むしろ、ウェーバーの著作を一通り読んだ後で、この『入門』を読むと、ウェーバーの思想の位置づけが一層明確になるのではないか

このように、本書はウェーバーの思想がどのようなものであるかを理解する上では大変有用な本ではあるのだが、ウェーバーの思想のうち、何が誤りであり、何が妥当なのかという部分などにはあまり触れていない点は気になるところである。

もちろん、新書という制限の中で、ウェーバーの思想を紹介しながら、さらに批判するのは難しいかもしれない。しかし、あたかもウェーバーの言ったことは――それが間違っていることがかなり明らかであるような場合でも――正しいかのような扱いがしばしばなされているのは気になった。その意味で、主要な問題点くらいはもう少し明確に指摘してもよかったのではなかろうか、とも思う。




 1871年のドイツ統一とともに政治史学の課題はひとまず達成されることになります。・・・(中略)・・・。統一後、トライチュケはドイツの対外的な権力拡大を唱道し、国内では社会主義者やユダヤ人問題をめぐって批判的な議論を続けることになります。トライチュケは統一という課題に代わって、国外国内の敵に対する闘争にその目標を見出していったということができるでしょう。
 課題喪失状況に陥った政治史学にとって代わって注目を集めるようになってきたのが、歴史学派の国民経済学でした。(p.49)



「ナショナリズム」は「外部」からの「われわれ」の防衛・抵抗のためのイデオロギーとして機能していたわけだが、相対的な劣位が克服された後、その思想は内外の「敵対勢力(抵抗勢力)」を弾圧する方向へと進まざるを得ない。一見、解放の思想が抑圧の思想に転化するように見えるが、「排外主義」という一点では何も変化は起こっていない。

しばしば、「偏狭なナショナリズム」ではなく「健全なナショナリズム」を、というようなことが言われるが、偏狭でないナショナリズムなど存在しないのである。




 歴史的個性を重視する歴史主義的思想の中で、法則的なもの、つまり一般的・普遍的な法則性への問いを明確なかたちで提起したのがロッシャーなのでした。ロッシャーが歴史学派経済学の創始者といわれるのも、政策学の前提となる法則性への問いを立てたからにほかなりません。
 このことは、歴史学派経済学の特質を理解する上でたいへん重要です。というのも、これまでの経済学史などでは、ドイツの歴史学派はアダム・スミス(1723-90)に代表されるイギリスの古典派経済学に対する対抗的潮流として紹介されていて、古典派経済学が一般的普遍性を主張するのに対して、歴史学派経済学はドイツの歴史的特殊性を強調した、というかたちで位置づけられているからです。しかしながらドイツの歴史主義的思考の流れの中でいえばこれはむしろ逆で、歴史的個性的なものを重視する歴史主義の中で、一般的法則性を重視した潮流、歴史主義から自然主義へと一歩接近したものとして位置づけられることになります。(p.59)



この部分はなかなか慧眼であると思った。歴史学派経済学がドイツの思想の中では「自然主義」の側に接近したことは、この上に引用した政治史学から国民経済学への展開とも関連している。その背景にあるのは「ドイツ」の世界システム内部における地位の相対的向上であると私は見る。

国境による「防衛」、経済で言えば「保護主義」の必要性が低下することを意味する。つまり、攻める側に回るといことである。その場合、国境により区切られたものの特殊性を強調するよりも、普遍主義的な考えを強調した方が有利なのである。(それは現代では新自由主義として表れる。かつての古典派経済学が自由主義経済を主張したのと同じである。)

90年代にアメリカ政府がグローバリゼーションを推進し、近年になって日本国内での「格差」や「貧困」の問題が生じているのも、グローバリゼーションという普遍化によって弱者はより弱体化させられることの表れにすぎない。もちろん、こうした状況では強者はより強くなるのである。




まさに都市という理念型の設定は、古典古代との対比におけるヨーロッパの中世から近代への発展の因果連関とその特質を明らかにするための手段なのでした。(p.120)



ウェーバーにおける「都市」の位置づけを的確に示している。ただ、私の考えは、この理念型の設定はウェーバーの誤りを助長してしまったと考えるのだが…。
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