アヴェスターにはこう書いている?
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池上俊一 『お菓子でたどるフランス史』

 さまざまな出身、由来をもつ人々から成るフランスでは、私的な空間では独自の宗教や生活習慣や言語の自由が保障されていますが、公的な場では全フランス人が、唯一共通の原則に従わなくてはならないのです。しかし、それはともすると、同化しないものは排除・抑圧すべき、という独善的なフランス至上主義となりえます。(p.18)


フランスは例えば移民を受け入れる寛容さを持っていると言えるが、それは同時に、共通の原則が課されることによる抑圧を生み出すものにもなっている。フランスにおけるムスリムの移民がフランス式の政教分離によって(スカーフの禁止などの形で)抑圧を感じるといったことが想起される。



 十字軍は、軍事的衝突でしたが、文化交流の側面もあり、食文化に関わる物も、アラブ世界からヨーロッパへともたらされました。それは、砂糖であり、香辛料であり、オレンジ、レモン、アプリコットなどの果物でした。……(中略)……。
 ……(中略)……。アラブ人たちの間ではずっと前から食べられていた砂糖菓子やジャム、砂糖漬け果物がフランスに導入されたのは、十字軍を契機にしています。そして中世末には大ブームになったのです。(p.38-39)


十字軍の運動が持つ文化交流の側面は軽視すべきではない。実際、中東の洗練された文化がヨーロッパに伝わるにあたって大きな役割を果たした。



パン・デピスとは、蜂蜜と小麦粉(あるいはライ麦粉)で作るパンですが、それに香辛料(エピス)の香りを存分につけるものです。これは11世紀からあったようですが、中世後期、14、15世紀に広まっていきました。……(中略)……。
 パン・デピスは、中国からアラブ世界を経由して、ヨーロッパに伝わったといわれています。(p.41)


中国→中東→ヨーロッパという文化の流れは概ね17世紀頃までの基本的な構図ではあるが、ケーキに類するものも中国から来たというのはケーキはヨーロッパのものというイメージを崩してくれるものであり面白い。



一般に大陸のカトリック教国では、おいしいものへの愛や執念が、キリスト教文明の善き作法、趣味の良さとして許容されました。これは、プロテスタントの国であるドイツやイギリスではなく、カトリックのフランス、スペイン、イタリアで「おいしいもの」の追求がさかんなことと関係しています。
 イングランドなどプロテスタントの国では、料理・食べ物とは、飢えを鎮めるためにあるのであり、新たな食欲をかき立てるようなことは好ましくないとされました。……(中略)……。
 ところがカトリック諸国にとっては、美食と誠実、礼節は相反するものではまったくありませんでした。……(中略)……。
 教会は、過度に豪奢で洗練された食べ物を、あまりにも快楽をともなって食べるのはいけないが、それも社会身分、年齢、性によって異なるとしました。またカトリック教会では、社交、礼儀も重視されましたから、食卓はその教育の場になるとも考えられたのです。呪われたのは、むしろ主たる食事の間のつまみ食い、秘密の摂食、そして大食などでした。つまりカトリック教会は、食事と食卓において、社会のエリートたちを、文明人にふさわしい、礼儀正しい立ち居振る舞いと慎ましやかな社交のできる人間に、育てていこうとしたのです。(p.82-84)


社会の共通善を指定していく機能が宗教にはある(少なくともかつてはあった)が、そのことが食に対する社会の姿勢に影響していたという指摘。確かにカトリック教会には教会内の序列があり、序列が上がることで社会的身分が上がることも、引用の最後の一文のような価値観を社会に浸透させる背景として指摘できそうである。



フランス建築は、マンサールのおかげで、イタリアの影響をようやく脱し、古典主義様式が確立されていったのです。(p.88)


なるほど。イタリア(ルネサンス)の様式から脱するにあたり、フランスではさらに遡った古典古代を規範とするに至ったというわけだ。



彼(引用者注:ボードレール)はその『ロマン派芸術』の中で、

……(中略)……。観察者とは、いたるところでお忍びを楽しむ王侯なのである。



と述べています。
 散策というのは、一種の文明のふるまいであり、またまったく新しい知覚方式でもあります。それは、人と人との、そしてあふれかえるモノや商品との、出会いと相互作用の新しい形式なのです。(p.180-181)


面白い見方。



 では、鉄道網の整備により、地方と中央が結ばれると、食文化はどのように変化するのでしょうか。結果としては、都会風の食べ物が地方に広がるというよりも、地方の名産品が、かつてよりずっと多く、パリに集まるようになりました。……(中略)……。
 鉄道網が敷きつめられていくと、フランスの農業のあり方も変わっていきます。1880年には農産物の価値が25年前の50億フランから80億フランに増えましたが、これは鉄道のおかげでした。というのも、農業にまったく新しい可能性が開かれたからです。つまり、それまで飢饉に備えるために雑穀を作っていた畑で、都会の市場に高く売れるものをたくさん作るようになったのです。その結果、大麦やライ麦の作付けが減って、パンやお菓子に使われる小麦、燕麦が増えました。また、砂糖の原料になる甜菜が高く売れるようになりました。貧しい地域が豊かになる可能性が高まったのです。(p.196-197)


飢饉に備えるための雑穀はどうなったのか?品種改良などで面積が少なくても量が賄えるようになったのか?それとも人件費の安い植民地などで作らせたのか?


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