アヴェスターにはこう書いている?
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池上俊一 『パスタでたどるイタリア史』(その2)

 1848年はヨーロッパ中で多くの闘争がおきた年ですが、イタリアの愛国者たちも地歩を固め広げようと努めました。愛国の気運が徐々に高まり、ガリバルディ(図4-2)が組織した千人隊(赤シャツ隊)が活躍を始めました。
 そうしたなか、イタリア北西部にあったサルデーニャ王国は、以前は貴族と教会が支配する保守的な国でしたが、1848~49年の革命後、自由主義的改革を進める国へと変貌を遂げました。またそこは、イタリアにおいて唯一、憲法と議会がまともに機能している国でもありました。
 その王ヴィットリオ・エマヌエレ二世(本章扉)は、開明的な国王で、首相のカヴールやラ・マルモラとともに、自由主義的改革を強力に推進していきました。この国には多くの政治家が亡命してきて、イタリアの未来について政治的議論を繰り広げ、いかに解放と統一を達成すべきか、さまざまな案が出されました。そして、武力と交渉によって外国から解放した諸地域をサルデーニャ王国に合併していくことによる統一が現実的だ、との意見が有力になったのです。(p.142-143)


イタリア統一(1861年)前夜の状況。サルデーニャ王国が母体となってイタリア統一が成し遂げられたという認識はなかったので、少し驚いた。19世紀から20世紀前半のヨーロッパの各国史は、私にとっては盲点になっているところが多いように思う。もう少し勉強したい。



国家統一は、実際は北による南の征服であって、政治的にも社会的にも、北の論理で南を従属化することになっていく、というのが19世紀後半から20世紀にかけての現実だったのです。(p.144)


なるほど。イタリアの南北問題の政治的な起源の一つはこの辺りにもあるということか。

日本の近代国家成立について考えてみると、イタリアよりも条件が良かった面があることに気づかされる。少なくとも、本州、四国、九州は基本的に一つのまとまりを成しており、沖縄の琉球王国は清朝との関係もあったが薩摩藩も強い影響力を行使できる状態にあり、北海道(蝦夷地)も松前藩の領域までは一応の支配が及んでおり(時には蝦夷地を幕府の直轄領にすることもあった)、こうした範囲に近代国家並みの均質な支配が及ぶほどではなかったとしても、それなりの権力や権威を持つ幕府の統治機構が既に存在していたことは、統一的な近代国家を形成するための条件としては比較的有利な条件にあったと思われる。

例えば、イタリアは北が南を征服したが、日本の場合は薩長を中心とする西南部の勢力が中央を征服あるいはクーデタ的な形で乗っ取ったというような感じになる。その際、既存の官僚組織が培ってきたものが、ある程度活かされていることにも注目しておきたい。このこともあって、明治の前半は薩長などのかつての反幕府側の人間が政治的に有力な地位に就くことが多かったが、次第にそうした傾向は薄まっていったと見ることができる。

なお、サルデーニャなどイタリアの北部と日本の南西部は、ともに経済的な交易のしやすさなどから考えると、イギリスやフランスのような有力な列強との接触の先端地域に該当することにも注意しておきたい。



トマトとジャガイモ、この二つの素材は、特定の「地方」に結びつかない外来物だからこそ、普遍的な「イタリア料理」のシンボル的役割を果たしえたともいえるでしょう。(p.149)


なるほど。面白い。



 もう一点、アルトゥージの「改革」は、「食」だけでなく「言語」の改革でもあったと指摘するのは、ピエロ・カンポレージという著名な文化史家です。じつはイタリア統一時に「イタリア語」を話せるのは、2.5%にすぎなかった、という計算があるように、当時はほとんどの人が「方言」を話し、イタリア人同士でもコミュニケーション不能で、まるで外国人と話しているかのようだったのです。(p.152)


2.5%というのはなかなかすごい数字だ。ドイツなども同じように領邦国家が統一したはずだがどうだったのだろう?



 アメリカ合衆国成立までは、新大陸とは、すなわち植民地を意味し、そこから旧大陸へ物資がもたらされる供給源でした。しかしアメリカ建国後は、新たな段階に突入し、人々はそこに「未来」を見るようになったのです。アメリカ移民が大量に発生したのも、こうした「憧れ」と無関係ではありません。(p.194)


なるほど。アメリカ大陸のイメージが合衆国の成立によって大きく変わったというのは面白い。



民族と不可分という点ではおなじかもしれませんが、じつは唐辛子をふんだんに使ったキムチはごく最近の産物、すなわち20世紀に入ってから普及したのであり、それを民族の魂のように持ち上げるのは、近代的イデオロギーにすぎません。(p.215)


現在のような辛いキムチも「創られた伝統」だったとは知らなかった。どのような経緯でこれが普及したのか興味がある。是非知りたい。

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