アヴェスターにはこう書いている?
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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矢内原忠雄 『余の尊敬する人物』

エレミヤの預言は真に国を憂ひ、国を救ふ愛国の叫びでありました。(p.20)


本書ではエレミヤ、日蓮、リンカーン、新渡戸稲造の4人の尊敬する人物について書かれているが、エレミヤ編は特に矢内原本人と重ねて書かれているように思われる。この箇所もその一つ。矢内原も自分自身の言論活動を「真に国を憂い、国を救う愛国の叫び」であると思っているが、当局や右翼言論人などに理解されることはなく大学教授を辞することになってしまったというあたりのことが念頭にあるのだろう。



エレミヤこそ真に愛国の心に燃え、神の真理に立ち、正確なる事態の認識の下に国民を警告したのです。然るに彼らはエレミヤを攻めて、彼は災禍の日の到来を願った非愛国者である、国賊であると言ひます。(p.31)


エレミヤと矢内原自身を重ねている箇所のひとつ。



将来の復興の希望を見るが故に、現在の懲しめに対し従順に服従するを得るのです。それは復活を信ずる者が、死に面して恐れざると同じです。復興の希望を見るが故に、現在の苦難に対し従順であることが出来、現在の懲しめを従順に受けることによって、復興の希望を見ることが出来る。(p.50)


このあたりは、本書が描かれた時期である第二次大戦という苦難の先に、それが終わった後の時代に希望を見ようとするものであるように思われる。



 日蓮の依り頼みは経文でありました。日蓮より後るること350年にして、ドイツに現はれた宗教改革者ルッターが聖書を依り頼みとしたが如くであります。(p.105)


日蓮とルターを重ねるあたりはクリスチャンらしい発想。



併し日蓮は国を法によって愛したのであって、法を国によって愛したのではありません。国は法によって立つべきであって、法は国によって立つのではありません。立正が安国の因でありまして、安国によりて立正を得ようとするは、本末転倒であります。日蓮の目的としたものは国家主義の宗教ではありません。宗教的国家であります。国家の為めの真理でなく、真理的国家であります。(p.105-106)


国家主義者や右翼といった人びとの考え方は、この点が逆転しており、「国家」なるものを最上位に置く。それも現実に存在すると想定されている国家を最高の原理として肯定し、それに都合の悪いものを排除しようとする。あるべき社会の理想を掲げ、そこに近づくように社会を組織していこうと努めることが重要だというメッセージは現在でも有効なものであろう。



 故に、戦争に至らしめた直接の分裂点は、州の分離権を認めるや否やの憲法の解釈問題でありましたが、南北をして異なる解釈を取らせたのは、奴隷問題に対する意見の相違であります。而して奴隷問題に対する意見の相違は、南北両社会の経済的機構の相違に基づくものでありました。(p.151)


アメリカの南北戦争の原因についての分析。マルクス主義的な図式と近いと見ることもできるが、それはどうであれ、論理的に簡潔に整理された見方が提示されていることにより、この事件の要因へのすっきりした見通しを与えてくれている。



我らは神の審判の前に謙遜となり、神の意志に対して従順であり、「何人に対しても悪意を抱かず、すべての人に対して愛を有ちて」("With malice toward none, with charity for all.")、戦争によって生じた国民の傷を縫ふことに努むれば、正しく且つ永続的なる平和を打ち建てることが出来るであらう。――之がリンコーンの心境でありました。およそ戦争遂行の責任者として之れ以上の崇高なる精神をもつことは、何人にも期待し難いところであります。(p.169)


リンカーンの演説の一節は新渡戸稲造が遠友夜学校の額に書いたフレーズでもある。新渡戸はリンカーンの有名な演説から引いていたわけだが、かなりお気に入りだったということだろう。

矢内原がこの精神を、戦争遂行の責任者として最高の崇高なる精神と評価しているのは、本書が描かれていた第二次大戦においてもこうした精神を指導者たちが持ってほしいというメッセージでもあったのだろう。



若しもすべての戦争遂行の責任者が、リンコーンの考へたやうに戦争を考えたならば、戦後の平和は真に正義と永続性の基礎の上に再建せられ得るでせう。然るに多くの場合、戦争の始る前にも、戦争最中にも、又戦争の終った後に於いても、敵国のみに責任があって自国は罪をもたないといふ立場を固辞しますから、その傲慢と頑固とが禍して国民を、又国と国との間を、永久的戦禍に閉ぢこめるのです。戦争遂行者が謙遜を学ばない限り、平和の新秩序は建設せられません。(p.169-170)


敵国のみに責任があって自国は罪がないという立場を固辞するという傲慢と頑固が永久的戦禍をもたらすという認識からは、現在の日中関係などが想起される。

日本の右派は自国の非を認めない発言を繰り返し、中国では抗日戦争は軍国主義・ファシズムに対抗する正しい戦争であり自国に非はないという発想がある。だからどちらも自分たちが被害者だと主張し続けることになる。ここには相手を許す余地はない。様々なところに非が存在していたことを見てとることができれば、見え方は大きく変わり、自らも謙虚にならなければならないことがわかり、相手を許す余地も出てくる。

社会システムをコミュニケーションの連鎖として捉え、そのコミュニケーションには誤解の余地が常にあり、意図とは異なる帰結へと繋がる開放された回路が開かれているということについての認識は、このような見方の助けとなるだろう。



内村鑑三と新渡戸稲造とは私の二人の恩師で、内村先生よりは神を、新渡戸先生よりは人を学びました。両先生は明治初年札幌農学校で同級の親友でありましたから、その意味では私も札幌の子であります。而して両先生を教育した学風を札幌に残したるウィリアム・S・クラークは米国南北戦争の時、リンコーンの下に北軍に従軍した陸軍大佐でありました。(p.179)


内村からは神を、新渡戸からは人を学んだという要約は非常に的確な表現に思える。また、その両先生からクラーク、リンカーンへと系譜が連なるものとして認識しているところも興味深い。

「札幌の子」という表現に関連して、矢内原は後に(1952年)次のような発言をしていることが想起される。すなわち、日本の大学教育に2つの中心があり、一つは東京大学、、もう一つに札幌農学校があったとし、前者は国家主義、後者は民主主義の源流となったという。そして、札幌から出た人間を造るというリベラルな教育が主流となることが出来なかったことが突き詰めれば太平洋戦争へと突き進んでいくことへと繋がったといった趣旨の発言である。

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