アヴェスターにはこう書いている?
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中野晃一 『右傾化する日本政治』(その2)

 ところで国家安全保障会議、特定秘密保護法、集団的自衛権のいずれをめぐっても共通しているのが、対米追随路線を徹底させ、国内では立憲主義の縛りを外してでも首相とそのスタッフを中心とした行政府のごく少数の統治エリートたちだけで国家の安全保障に関わる重大な意思決定を行う仕組みをつくることに邁進してきたということである。いずれも第二次(2007年)、第三次(2012年)と続いたいわゆるアーミテージ報告(「日米同盟――2020年に向けてアジアを正しく導く」と「日米同盟――アジアの安定を支える」)の提言に沿った動きであることが、「日米安保ムラ」の強い影響力を示唆している。(p.162)


アメリカの利益に沿って考えられた方向に安倍政権は向かっているということはよく認識しておく必要がある。



 さらに安保法制の次は、2016年参議院選挙後の明文改憲に向けて、9条よりも着手しやすい「緊急事態」条項からはじめるものと見られている。(p.163-164)


この見方はあり得ると思う。安倍政権は、安保法制を力ずくで通した後、アベノミクスの「新三本の矢」だとか「一億総活躍社会」などという意味不明のスローガンをぶち上げているが、2016年夏の参院選が終わった後はそんなものは吹き飛び、改憲の話を持ち出そうとしているのは間違いない。憲法を変えるということに関しては、自民党の憲法草案の問題点を広く知らしめることがまずは必要であろう。



 代議制民主主義の機能不全を指摘し、形式上「選挙」で選ばれている政治エリートたちがグローバル企業に買収されてしまっており、公共空間を「占拠」することによって99%の市民たち自らが直接行動で存在を示さなくてはならないという訴えは、まさにグローバルな規模での新右派転換の果て、「自由」「民主」が凱旋するところか実質を失い、寡頭支配を招いていることを糾弾したものであった。
 より最近でも、2014年9月号のアメリカ政治学会の学会誌の一つで、財界や少数の富裕層の選好が実質的にアメリカの政策結果を大きく決めていると論じたマーティン・ギレンズとベンジャミン・ペイジによる計量政治学の論文が掲載されたことが広く学界で注目されたり、所得格差の拡大についてのトマ・ピケティの論考が一般の読者も巻き込んだ世界的なブームを呼んだりしていることもこうした現状認識の広がりを表すものといえよう。(p.176)


ギレンズとペイジの論文は読んでみたい。



55年体制においては自衛隊違憲論さえ根強く存在していたのが、9条の明文改正がなされないまま、日本が攻撃を受けていないのに他国間の戦争に参加できるとなるまでに平和憲法が歪められようとしているのである。
 こうした180度の転換を覆い隠すキーワードとなったのが、「積極的平和主義」であった。
 元はといえば小沢が専守防衛を独善的な「消極的平和主義」「一国平和主義」と糾弾するなかで、その裏返しとして対置された概念だが、正式な定義がないため中身がいかようにも変わりえるものであった。ポイントは「平和主義」の一種であると僭称することによって、憲法解釈を変えるだけで真逆の結論が導けるとした点にあり、当初小沢の構想では集団安全保障の枠組みのなかで国連軍への参加を主眼としていたが、ポスト冷戦の世界のなかでの国連の役割への期待がしぼむとともに、日米同盟のなかでどこまで日本がアメリカの要求に応えられるかに関心がシフトしていったのである。(p.182-183)


安倍晋三が安保法制に関連して使用する言葉として「積極的平和主義」というのがある。専守防衛を消極的平和主義だと糾弾しつつ、軍事力を積極的に使用することで自国と同盟国の利益を守るという意味合いで使用されているようである。武力による威嚇または攻撃によって敵を斥けるという発想のどこが平和主義なのか?という疑問はまともな人間であれば持たなければならないところだろう。その意味で、平和主義の一種と僭称しているという本書の指摘は適切である。そして、積極的に軍事力を使用し、武力による威嚇又は武力の行使によって国際紛争を解決しようというこの安倍晋三や新右派の「積極的平和主義」が憲法に反するものであることは明らかである。

シリア難民受け入れ問題について、先日、安倍晋三は受け入れる気がないことを海外メディアの前にさらしてしまった。海外の記者からの質問に移民労働者の問題と勘違いしているようなトンチンカンな答えを返していて、安倍晋三という人間は本当に馬鹿なんじゃないかと思ったものだ。本当に積極的な平和主義であるならば、こうした場面でこそもっと非軍事的な役割を果たそうとするものであろう。

これに類するあらゆる言動から見て、安倍らの言う「積極性」はあくまでも自国が軍事力を行使することに対する積極性に過ぎず、「平和」を積極的に推進するというものではないのは明らかである。メディアにはもう少しうまくこのあたりを、それほど政治に関心のない一般の人々にも分かるように伝えてほしいものだ。



集団的自衛権の行使を含めた一連の新しい安保法制は、国家安全保障会議や特定秘密保護法と一体となって運用されることになるからである。(p.184)


安倍政権としては最初からこのことを想定して反対されにくい順(NSC→秘密保護法→安保法制)で成立を進めてきた。今でもまだこのことの意味が一般に十分に理解されているとは言えない。存立危機事態かどうかを政府(国家安全保障会議の数名のメンバー)が判断するための情報も特定秘密に指定できるため、国会でもまともな情報公開がないまま承認を求められることがありうるなどということがあってもよいのか?後の検証もできない状態になるのに。これでは独裁国家と大差ないのではないか?



 しかし1990年代後半から自民党のなかで安倍ら新世代の歴史修正主義者たちへの世代交代日本会議に代表されるような広範で組織的な連携が進んでいった。小泉がさらに旧右派連合との権力闘争のなかで彼らを重用し、党内で歴史修正主義が主流化していくことになった。(p.185)


小泉政権以後、歴史修正主義的な政治家の勢いが急に増している理由がよく分かる。



冷戦の終焉とともに55年体制の保革対立が解凍されると、政党システムの流動化を経て小選挙区制の作用により二大政党制が登場し、有権者による政権選択を通じて、新右派転換が強化した国家権力に対するチェック・アンド・バランス機能が行われると謳われた。しかしオルタナティブとして育ったはずの民主党の崩壊により、戦後かつてないまでに政治システムがバランスを失い、首相官邸に集中した巨大な権力だけが抑制の利かないかたちで新右派統治エリートの手に残り、今それがさらに憲法の保障する個人の自由や権利を蝕む反自由の政治へと転化し、またその度外れの歴史修正主義で日本の国際的孤立を招きつつあるのである。これが右傾化する日本の政治の現実ではないか。だとするならば、対抗勢力を欠いたままでは、安倍政権の後も小休止をはさんで、さらにとめどなく右傾化が進んでいくことになる。
 新右派連合に対抗するどころか、抑制する政治勢力を欠き、立憲主義をはじめとした自由民主主義の根本ルールや制度さえ大きく歪められだしたという点で、日本政治の右傾化は国際比較の観点からも深刻である。(p.191)


90年代以降の日本政治の流れを的確かつコンパクトにまとめられている。権力が統治エリートに握られていることの意味や対策を考え、活動していく必要がある。

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