アヴェスターにはこう書いている?
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将基面貴巳 『言論抑圧 矢内原事件の構図』(その1)

昭和初年度においては、総合雑誌上で一般読者向けに、政治経済や社会・文化問題について、大学教授が論説を発表することは今日よりも一般的だったように思われる。これは大正半ばから見られた大学とジャーナリズムの相互浸透の結果である。
 矢内原の師、新渡戸稲造や吉野作造は、大学人(「講壇知識人」)がジャーナリズムを活動の場とする「講壇ジャーナリスト」の先駆者である。矢内原もこの例に漏れず、1926年(大正15)に「朝鮮統治方策」を『中央公論』誌上に発表して言論界にデビューを飾って以来、『中央公論』『改造』などの総合雑誌を中心に言論活動を展開した。(p.27)


大正から昭和初期の大学とジャーナリズムの相互浸透と呼ばれている現象には興味を惹かれる。都市中間層的な人々が増え、それなりに知的な議論について行けるような大衆的基盤がある程度できてきたということを反映しているように推察される。

それに比べて、今日は講壇知識人の活動がこの時代ほどでないとすれば、それはどうしてなのかということも気になる。学問の専門分化や業績を求められる(論文の生産性を求められる)度合いの違いなどもあるのかもしれない。学者はもっと社会に彼ら自身の研究成果を還元すべきではないかと思う。



 後述するように、当時、総合雑誌は『中央公論』と『改造』が双璧を成していてから、矢内原の言論活動は、主にその二大総合雑誌を舞台に展開された、といえよう。日刊新聞に論説を発表したケースはあまり多くない。これは、戦後、矢内原の論説の多くが日刊新聞に掲載されたのと対照的である。第二章で再説することだが、戦前・戦中の論壇を主に支えたのは、総合雑誌であって日刊新聞ではなかったからである。(p.29)


言論活動のためのメディアにも変遷がある。



愛国心は、終章で改めて取り上げる論点であるが、とりあえず矢内原と塚本に関して要点だけを記せば、矢内原にとっての愛国心とは、あるがままの日本を愛することではなく、日本が掲げるべき理想を愛することだった。したがって、現実の日本が、その掲げるべき理想と食い違うときには、現実を批判することこそが、愛国心の現れなのだ、と矢内原は考えた。(p.39)


この矢内原のようなタイプの愛国心があり得るのだ、ということを指し示している一点だけをとっても本書を読む価値があったと思っている。昨今では愛国心というと「被害妄想じみた右派」の専売特許のような様相を呈しているが、左派やリベラル系の人びともよく見てみると、矢内原のようなタイプの愛国心は持っている場合が多いように思う。もっとも、愛する対象は「国」である必要はなく、自らが属する社会のあるべき理想を愛し、その理想に適うように社会を変えていこうというような形での発露なので、「愛国心」という名が適当かどうかという問題はあるが、ある意味、右派的に見られるような、現状肯定的でその真意は権力者にとって好都合な愛国主義から「愛国心」という言葉を取り戻すために戦略的にこの言葉を使っていくのは、現在の社会状況に照らすとありかもしれない。



 再び畑中によれば、1937年以後の当局による言論抑圧は、より組織的かつ包括的になった。その特徴を畑中の著作から引用・列挙すると次のようになる。

(一)著名言論人の根こそぎ検挙については前期におけるとまったく変わらないが、検挙は一歩をすすめて、この段階において編集者に伸びていく。
(二)当局の監視はついに各出版企業の経営内部におよび、編集者や経営首脳部や、やがては読者層にもおよんでくるのと同時に、
(三)検閲方針においても、消極的な「事後検閲」にあまんぜず「事前検閲」を要求し、やがては題目、執筆者の変更から、ついには官製原稿のおしつけや特殊テーマ採択の強要などをつうじて、ぜんじ編集権の文字どおり侵害にまですすんでいく。
(四)当局みずから「好ましからざる」と査定した執筆者の執筆禁止の示達をおこない、それがはじめは多く左翼系執筆者にとどまっていたが、やがて箝口令のワクは半公然のうちに大方のオールド・リベラリストにまでひろげられ、戦時政府にたいするいかなる野党的意見も抑圧されるにいたった。
(五)用紙割り当て権をにぎることにより、好ましからぬ出版社への用紙割当量を削減し、経営の物的基礎資材を抑えることによってその社の経営縮小・じりひん解体を策したのみか、のちには「企業整備」に藉口して同様刊行物やその出版元を、文字どおり業界から「消す」ことも策された
(六)戦争末期においては、ついに好ましからぬと認めた出版社にたいして直接政治力を発動し、「公然」自廃を強要するの挙にでてきた。(p.69-70)


1937年は日中戦争勃発の年であり、この戦争を契機に日本の言論の状況は一気に悪化したことが分かる。

当局が編集者や経営内部に手を伸ばし、そこを押さえることで自由な言論の可能性を狭めていったことは注目に値する。また、用紙割り当て権を当局が握ることで当局にとって好ましくない会社に用紙の割り当てを少なくするという手法も気になる。

前者はネットワークのハブを押さえることで、効率的に言論のコントロールができるという点で非常に効率的な統制の可能性もあるかも知れない。

後者の用紙割り当て権を握るやり方は、正直、そんなところまでやるのかと驚かされた箇所。現代は紙がなくてもインターネットがあると思うかもしれないが、プロバイダを押さえられてしまえばもっと酷い状況となる。




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