アヴェスターにはこう書いている?
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片倉佳史 『台湾に残る日本鉄道遺産 今も息づく日本統治時代の遺構』

 どっしりとした風格をまとった扇形車庫だが、1994年には一度、取り壊しの計画が立てられた。蒸気機関車の仕様に合わせて造られた車庫は時代にそぐわないというのが理由だった。しかし、この時、文化財の保護を訴える声が各地で上がり、熱心な請願運動が起こった。
 その結果、2000年10月25日に彰化県が指定する文化財となり、保存対象となった。……(中略)……。
 2000年頃から、台湾ではこのような歴史的建造物の保存運動が急速に活発化している。周知のように、台湾は17世紀のオランダ統治時代に始まり、鄭成功による鄭氏政権時代、清国統治時代、日本統治時代、そして中華民国の国民党政権時代と、長らく外来政権の統治下に置かれてきた。為政者たちは常に自らの施政を正当化することに腐心し、人々はそれに隷属することを強いられた。
 それが1990年代から始まった民主化で大きな変化が生まれた。人々は言論の自由を得て、押さえつけられてきた郷土意識が一気に高揚した。古蹟保存ブームや郷土史跡探訪ブームは、こういった時期に一致して高まったものである。(p.18-20)


台湾の歴史的建造物や史蹟の保存運動は、新しい動きではあるが、かなりうまくいっているという印象を受ける。このあたりの理由などについてももっと詳しく知りたいところ。



彰化の扇形車庫についても、鉄道博物館として整備することが計画されており、整備が待たれている。台湾では苗栗(ミャオリー)駅の構内に旧来の車両を静態保存する鉄道公園があるが、本格的な博物館の設立はここが初めてである。(p.24)


彰化の機関車庫も見てみたいが、鉄道博物館も行ってみたい。



日本統治時代のターミナル建築は等しく左右が対称となっており、これが一種のスタイルとなっていたが、戦後に台湾へやってきた中華民国の建築士たちは、そういった美学を持たなかったのである。(p.87)


左右対称であることは、鉄筋コンクリート造が普及したころの公共建築に共通していると思われる。



 直方体の箱を組み合わせたようなデザインのこの駅舎は、ほぼ同時期に完成している台南駅舎(1936年)に雰囲気が似ている。そして、日本国内では上野駅舎(1932年)にも通じるデザインだ。これらはすべて同時代に竣工したターミナル建築で、海外に目を向ければ、中国の大連駅舎(1937年)なども挙げられる。昭和初期に多くみられた駅舎建築だった。(p.101)


嘉義駅についての記述。同時代の同じような形式の駅舎としては、小樽駅を挙げられる。

なお、嘉義駅の工事監督者は台南駅や台北鉄道工場の設計者でもある宇敷赳夫だということも本書p100に記載がある。



 この駅のみならず、台湾の木造駅舎は、いずれも駅舎に扉がないという共通点を持っている。そして、直射日光を避けるため、必ず大きな庇を持っている。これは南国仕様ともいうべきもので、木造駅舎に限らず、コンクリート造りの駅舎にも見られる。(p.139)


こうした風土に合わせたデザインは興味深い。



 台湾における駅舎建築は、閩南式の日干し煉瓦造りに始まり、日本式木造家屋、耐火煉瓦造り、そして鉄骨鉄筋コンクリート構造と発展していった。(p.155)


日本式木造家屋の駅舎は、「日本式」とは言っても日本本土にはない南国仕様のスタイルで、建造された期間も短かったが、同じような設計図に基づいて量産されたもののいくつかが残っているという。本書を手がかりに見に行きたい。



 この石碑は鉄道部職員だった村上彰一を記念したものである。日本の鉄道黎明期に活躍した人物で、1878年に北海道の開拓使に入庁して幌内鉄道の運営に関わり、日本鉄道会社に入社後は、若くして上野駅長に就いている。主に、貨物輸送の重要性を説いたことで知られている。
 村上は1901(明治34)年に台湾へ渡り、縦貫鉄道の建設に関わったほか、基隆港や打狗(後の高雄)港の水陸連絡設備などの設計を担っている。(p.225)


北海道開拓と台湾統治の関連性や類似性などに関心がある私にとっては非常に興味深かったところ。石碑に記載された村上氏の略伝の記述も非常に興味深かった。

松本荘一郎氏に随い北海道開拓使の一行に加はり鐡道の事にあつかる
……(中略)……。
後藤新平伯の下に南満州鐡道及ひ國有鐡道の枢機に参与し又
平井晴二郎氏に随ふて北京に入り支那の交通事業に参画す(p.226)



本書に記載はないが、ウェブで調べた限りでは、村上は幌内鉄道では手宮駅や札幌駅の駅長を務めたという。手宮も高雄や基隆と同じく鉄道と港湾を接続するところであったから、水陸連絡設備の設計にも参考にしたところがあったとした興味深い。

松本荘一郎や平井晴二郎は幌内鉄道の建設などに深く関わりのある人物であり、平井の設計した手宮の機関車庫は重要文化財として現存している。明治期から昭和初期の技術官僚の人的ネットワークには非常に興味を惹かれる。

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