アヴェスターにはこう書いている?
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松村隆 『江差 街並み今・昔』

 追分会館計画がきっかけになって、北海道大学工学部建築学科のスタッフによって街並みが見直され、新たな構想でいま歴史の街並み再現が進められている。(p.13)


昭和40年代に新しい国道が海岸沿いに造成され、古い街並みが壊されてしまったが、この国道沿いに江差追分会館を建てたことをきっかけに、街並みの見直しがされたという。江差の昭和の歴史を見ると、小樽の歴史と非常に共通性がある。ただ、江差の方が見直す動きが鈍いのか、行政側の動きが早いのか、せっかくの伝統的な景観などの喪失は大きいように思う。これは街の規模の違いも効いているのかもしれない。小さな町は少しだけ壊されても残るものが少ないが、少しでも町が大きければ同じだけ壊されても何とか残るものが出てくるといった具合に。

海沿いに国道が造成されてしまい、伝統的な街並みが失われるという図式は、小樽運河の埋め立てと臨港線の造成と同じである。国道がそのままできてしまった(?)江差と、道道が半分だけ造られて運河が半分残った小樽というのは、上で述べた二つの街の違いを象徴しているように思われる。



 新国道のバイパスが裏の海岸に造成され、つづいて港湾の拡張工事で海が埋め立てられ、江戸文化の面影を残していた景観が失われた。
 海岸に連なる問屋の羽出しは、江差ならではの景観だが、いまはもう見ることができない。(p.19)


今も若干は羽出しが見られるが、本来海に突き出していたものが道路沿いに見られるに過ぎない。残念。



 1961年(昭和36年)から港湾整備計画がはじまると、この渡りケーソンが南埠頭になって最初に埋め立てられていった。……(中略)……。
 港湾整備が国の経済成長政策にのって進められ鴎島の自然は失われていった。渡りケーソンの砂浜は残すべきだったという人が多い。(p.30-31)


こうした流れにもう少し「取り残されて」いれば、江差は今よりももっと魅力的な町であり続けることができたと思うので、残念だ。



ニシン漁には津軽、秋田方面から大勢の出稼ぎやん衆たちがやってくる。ニシン漁で稼いだ金を弁天さんの土地で使わないと災難にあうという。たんまり稼いだ金をもって船にのろうものなら、船もろとも波にのまれてしまうのだ。(p.35)


江差という街から見た場合、非常に経済合理性のある言伝えである。出稼ぎにきた人たちが江差の街で金を使わなければ、江差の街に住む人々の生活が成り立たず、江差で商売などをする人がいなければ、出稼ぎの人たちも仕事がしにくくなる。だから江差で稼いだ金を江差に落としていくことは理に適っている。姥神の伝説もそうだが、江差に伝わる伝説は非常に素直というか、合理的であることが直に伝わるようなものが多く面白い



 境内入り口に建つ古式風雅な山門は明治15年に江差奉行所の表門を移したもので道内でも最古の建造物という。(p.64)


江差の法華寺の山門。奉行所の門が寺の門として移築されるというのは、現代の感覚からすると少し違和感があるが、江戸時代までの権力関係などからすると、寺は政治ないし行政との繋がりが現在よりはるかに強かったので、こうしたこともそれほど奇異なことではなかったのかもしれない。



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