アヴェスターにはこう書いている?
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宮本孝 『なぜ台湾はこんなに懐かしいのか 台湾に「日本」を訪ねる旅』

 ところで始政40年を迎えた台北の人口はどのくらいあったのか。明治28年の始政時は約4万6千人だったのに対し、昭和10年には約6倍の28万余に達し、内地人も8万余を数えた。(p.17)


台湾と北海道の比較という私の観点から見ると、昭和初期の台北は北海道のどの都市よりも人口が多くなっていることに興味が惹かれる。それほど台湾は有望な土地だったということなのだろう。

ちなみに昭和10年の北海道の都市で人口が最も多いのは函館市で20.7万人、次いで札幌市19.6万人、小樽市15.3万人と続く。



当時の町名は樺山(第一代総督)町、乃木(第三代)町、児玉(第四代)町、佐久間(第五代)町、明石(第七代)町といった歴代総督にちなんだ町が多いのに対し、古亭町は“生蕃”とも呼ばれた原住民に由来する。
 台北橋のたもとで長年医療活動に尽力された林彦卿氏(附属小、台北一中卒)著『非情山地』によると「あたりは蕃界で、ここに住んでいた人達は村落附近に亭を建て、亭内に太鼓を設置し、生蕃を見つけると太鼓をたたき、村中の若者を集めて対抗した。この村落はいつの間にか“鼓亭町”と呼ばれるようになった。そのうち生蕃は出てこなくなったので太鼓は必要がなくなり……音の似かよった“古亭”に改称された」という。(p.24)


台北に現在も残る地名「古亭」の由来。台北の地名にはこの種の地名は結構多い。剣潭や木柵なども原住民と関係する由来だと聞いたことがある。

ただ、古亭付近も原住民が住む地区だったというのは、台北城からかなり近い場所であるだけに意外に思えた。

余談だが、台湾にもともと住んでいた人たちを「原住民」というが、日本語の語感だと差別的なニュアンスがあるとして避けられることが多いように思うが、私見ではこの言葉は「オリジナルの住民」ということだから、むしろ本来は少し肯定的なニュアンスの言葉と考えた方が良いのではないかと思う。中国語で「原住民」と呼んでいるということもあるが、少なくとも私は以上のように捉えて台湾の「原住民」をこの言葉で呼ぶ。



思えば高雄港の主役は時代とともに交代してきた。戦前は砂糖の積み出し、戦時中は南方への海軍拠点、そして戦後は奇跡的な経済発展を牽引する“メイドイン台湾”の輸出港として。
 日本が領台した頃の高雄は見渡す限りの塩田がつづく静かな漁村であった。それが明治33年(1900年)に高雄郊外の橋仔頭(現・橋頭郷)に台湾製糖の第一号工場が操業を開始するや、街は砂糖の積み出し港へと一変する。……(中略)……。
 以後、高雄港は本格的な築港と埋立てが始まり、明治41年には打狗停車場(旧・高雄駅)が完成し、いわゆる“浜線”が港まで走るようになった。(p.96-97)


台湾の都市の歴史では、台北の歴史が非常に詳しく語られることが多いが、高雄は歴史は浅いが台湾の主に経済的な変動と密接にかかわっている点で興味深い都市であると思う。



彼らは中村輝夫(アミ族名・スニヨン)一等兵(1974年モロタイ島で発見され、帰国して3年半後に死亡)の如く、南方のジャングル戦で日本兵顔負けの活躍をしただけに、戦後が何年過ぎようと、日本(軍)との一体感は老いてますます強いものがある。高砂族の村々を訪ねるたび、村の老兵たちが今も鬼畜米英何するものぞと言って、かつての戦果を昨日のことのように語り始めるほどである。しかし、そうした老兵も年々少数派となり、彼らの最後の願いの一つが「かつての上官と再会したい」というものだ。……(中略)……。こうした、かつての上官と部下、あるいは恩師と教え子、同窓生などによる感激の再会が昭和50年から60年代にかけてピークを迎えたのだった……。(p.141-142)


台湾の原住民には、日本統治時代の太平洋戦争の際に「高砂義勇隊」として戦争に駆り出された人たちがいる。こうした人たちとかつて台湾に住んでいた日本人の再会が昭和50年から60年代にピークを迎えたというのが興味深い。

海外への渡航ということが次第に容易になったためだろうか?中華民国と日本とが断交したことの影響もあるのだろうか(民間レベルで繋がりを再確認ないし促進したいと言ったような意図)?もちろん、経済的に豊かになってきたため、こうした余裕が生まれたこともあるかも知れない。そして、平成になってピークを過ぎるのは高齢化のためだろう。

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