アヴェスターにはこう書いている?
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謝雅梅 『新視点 台湾人と日本人 女子留学生が見た“合わせ鏡”の両国』(その2)

「だれが当選しても日本の政治は変わらないですよ」
……(中略)……。
 正直な気持ち、私はこのような日本人の無責任な政治観にがっかりしました。現在世界のどこかで、だれかが自由を獲得するために政府と闘って血を流しているという残酷な事実が依然として存在しているのに、日本人は簡単に自分の権利を捨てようとしています。(p.144)


確かに、「だれが当選しても日本の政治は変わらない」というのは誤りである。安倍晋三が首相となったことによって、明らかに違憲な法案(安保関連法案)が採決される方向に向かっていることを見てもそれは分かる。憲法を時の政府が勝手に解釈して、その解釈に適う法案であれば何でも成立させることができるのだとすることは、立憲主義の否定であり、権力の暴走を止める手段がない状態となることを意味する。今回のような解釈改憲が認められるならば、もし、まったく異なる立場の内閣が成立した場合には、「自衛隊は違憲であり即座に解散する」という解釈をする政府であっても受け入れる必要があるということを意味する。(憲法の文言を素直に読む限り、こちらの解釈の方が安倍政権の解釈よりはずっと適合性が高いのは明らかである。)

このような暴挙に対しては、著者が言うように、権利を捨てることなく政府と闘うことが必要である。



 しかし、台湾人の政治熱はけっして生まれつきのものではありません。もしかすると、かつての国民党の独裁政権、そして台湾海峡の向こうにある巨大な中国の存在がなければ、台湾人も日本人と同様、国会で何が起きても関心がない生活を送っていたかもしれません。(p.145-146)


確かに、かつての白色テロの記憶と中国の存在という2つの要因は台湾における政治的な関心を高める役割を持っているように思う。私の友人の台湾人と話していても、確かにこうした関心が多少なりとも影響しているように思う。

2014年に台湾の学生たちが立法院を占拠したときも、中国とのサービス貿易協定が持つ問題がその原因となっており、その中には情報統制や出版の自由の制限などに繋がりうる内容もあったことが想起される。これも白色テロのような独裁政治への懸念と中国による政治的および経済的な進出への懸念が人々に共有されたからこそ可能だったという見方もできるだろう。



 冷静に考えれば、それ以外に最も肝心なことは、今の台湾の国家として不安定な状況では、何か国を代表する象徴が欲しいということかもしれません。(p.154)


孫文が台湾で今でも国父として尊敬されている理由についての著者の説明。なるほど。ある意味では日本の右派(中国や韓国に日本が脅かされていると信じている人々が多い)が、天皇や皇室(あるいは天皇制)に愛着を持っているのも同じような心理によるのかもしれない。



 97年9月22日の「朝日新聞」にこんな記事がありました。同紙が行った中国人と日本人を対象としたアンケートの中で「自分の意見が政治に反映されているか」という質問に対し、中国側では「十分反映されている」は4%、「ある程度反映されている」は31%も占めています。一方、日本側では「十分反映されている」は0パーセント、「ある程度反映されている」は13パーセントにすぎません。両者を比べても現在の中国人は世界情勢を知らないか、あるいは知らされていないということがよく分かります。(p.174)


20年近く前のアンケートなので、現在は多少は改善されているだろうが、それでも中国の場合は、自分の政治的な意見が先にあって、それを政府が反映した政策を実行しているかどうかというより、政府(共産党)の意見が先にあって、それに逆らうことができないため人々は自分で望んでいることにしてしまう傾向はあるのではないか。



 最も台湾人が我慢できないのは、大陸の中国人に表れている「台湾は自分のものだ」という傲慢な態度です。(p.175)


このような感情は多くの台湾人に共有されているのではないか。私の台湾人の友人も同じことを語気を強めて話していたのが想起された。ちなみに、中国(大陸)の人々は自国の歴史を正しく理解する機会もないのだから、自国の領土がどこからどこまでなのかを語ることは本来できないはずである、というのが私見である。



先生の話によると東洋人、特に日本人、中国系人、韓国人は見た目だけでは判断しにくいのですが、長年の教鞭生活の経験によって簡単に判断する方法を見つけたそうです。どうするのかというと、生徒に質問すると一目瞭然だそうです。たとえば「Anything question?(何か質問がありますか)」と聞くと、台湾人や日本人ならすぐ下を向き、先生の視線から目をそらそうとします。しかし、韓国人や中国人ならむしろ、避けずに先生の視線を見つめています。
 このように、日本人の学生はおとなしくてあまり質問しないといわれていますが、その辺は、台湾人の学生にも共通するものがあります。その原因は今まで受けてきた一方的な教育方法にあると思います。(p.213)


アメリカやヨーロッパならばディベートなどの経験も積むような教育がなされているかもしれないが、日本にはそういうものは少なくとも高校までの教育では非常に少なく、知識を詰め込むタイプの教育となっているのは確かだと思うが、中国はもっと詰込み型だというイメージがある。その点からすると本書の主張は根拠が薄弱に感じられる。しかし、台湾と日本の共通性は、もしかすると日本統治時代に日本式の教育が普及されたことに歴史的な基礎を持つという仮説は成り立つかもしれない。


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