アヴェスターにはこう書いている?
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斬馬剣禅 『東西両京の大学 東京帝大と京都帝大』

 けだし大学なる設備の中心を成すものは素より教授と学生となり、かの大学(University)なる語原の実は「教授と学生との団体」(Universitas magistrorum et scholarium)というラテン語に出たるをもっても知るべきなり。(p.23)


大学というものを考える際、常に視野に入れるべきポイントであるように思われる。



 法律的事業家としての梅の奇才は、大概かくの如しといえども、梅に次でその学問の実際的にして、穂積の散漫に似ざるものはけだし岡松参太郎なり。彼の商法の疑義解釈のごとき、彼が一片の法理学者にあらざるを示して余りあり。いわんや彼が台湾総督府の嘱託を受けて、かの地の旧慣取調法典編成の事業においても、大いに立法的手腕を示しつつあるをや。(p.63)


岡松参太郎は京都帝大の教授。(当時日本の植民地となっていた)台湾の旧慣取調法典の編成に関わったというところに興味を惹かれたので引用しておいたもの。日本の植民地統治には帝国大学の関係者がいろいろと関わっていたようだが、そうした事例のひとつ。岡松を台湾の嘱託に引き込んだのはやはり後藤新平であった。(新渡戸稲造も後藤が台湾の嘱託に呼び寄せた一人である。)後藤が満鉄総裁に転任すると、岡松も満鉄の理事になったというから、後藤が彼の政策実行のために身近に置いていた技術官僚的集団のメンバーであったと想像される。



しかも吾人がことごとくこれを読者に紹介する能わざるは、言常に皇室に関するものあればなり。彼の炯眼なる、実に早くよりこの日本人の弱点を看破し、捕えてもって自家の学説の保障となしたり。(p.103)


本書は明治36年に書かれたものだが、当時、皇室に関する批評を語ることは相当危険であったようだ。そして、それをうまく活用する(天皇を自説にとって必要な存在として取り込む)ことで批判されないような学説を唱えていた学者がいた、ということもわかる。



新聞紙は一の大学なり、文筆は一の精神的事業なり、もって社界を教育すべく、もって積弊刷新の事を行うべしと。(p.272)


新聞紙は大学なり、とは現在ではなかなか出てこない(思いつかない)であろうフレーズであり興味深い。



潮木守一 解説より。

この評論の目的は、しだいに明治国家体制の中核的な機構として立ち現れ始めた、時の帝国大学、その頭上に批判の鉄槌をくだすことにあった。(p.294)


明治30年代は京都帝大が(明治30年に)できたばかりであり、東京帝大とは異なる教育理念に基づいてより「大学的な」教育システムを構築しようと奮闘していた時代であり、その京都帝大の挑戦を基本的に擁護しつつ、東京帝大に改革を迫ろうとしている、というのが本書の基本的なスタンスであろう。

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