アヴェスターにはこう書いている?
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トマ・ピケティ 『21世紀の資本』(その5)

さらに言えば現代の税制社会国家の発達をつかさどった普遍的人権の論理は、比例的かちょっと累進的な税金という発想にかなりうまくなじむ。(p.516)


たしかに、人権が侵害・制限されている状況を改善するために恵まれた人々の側から税という形を通して支援をすることで普遍的に行き渡るようにするという考え方と適合的。



 でも累進課税が現代の再分配でかぎられた役割しか果たさないと結論づけるのは間違っている。まず、もし全体としての税制が人口の大半にとってかなり比例的に近いとしても、最高の所得や最大級の富に対する税率が目に見えて高い(または低い)という事実は、格差の構造に大きな影響を及ぼし得る。特に証拠から見て、1914~1945年のショック後に、富の集中がベル・エポック期の天文学的な水準に戻らずにすんでいたのは、部分的には超高所得や超巨額遺産に対する累進課税があったおかげらしい。逆に、1980年以来の米英における所得税累進性のすさまじい低下(両国とも第二次世界大戦後の累進課税の旗手だったのだが)は、おそらくきわめて高い労働所得の増加の相当部分を説明してくれる。同時に、近年の自由な資本フロー世界における税制競争の台頭により、多くの政府は資本所得を累進所得税から除外した。これは特にヨーロッパで見られる。欧州諸国は比較的小さいので、これまで税制協調を実現できていないのだ。おかげで果てしないどん底への競争が起こり、たとえば法人税率が引き下げられたり、利子、配当などの金融収入が、労働所得のような課税対象から外されたりしている。
 その結果のひとつとして、多くの国で税金は所得階層トップでは逆進的になっている(あるいは間もなくそうなる)。たとえば2010年にフランス税制を詳細に調べた研究では、あらゆる種類の税金を検討すると全体としての税率(平均すると国民所得の47パーセント)は以下のように分解できるという。所得分布の底辺50パーセントは所得の40~45パーセントを税金で持って行かれる。次の40パーセントは45~50パーセントだ。でもトップ5パーセントと、それ以上にトップ1パーセントは低い税率になり、トップ0.1パーセントはたった35パーセントしか支払っていない。貧乏人の高い税率は、消費税や社会拠出金の重さを示す(これはあわせてフランス税収の4分の3を占める)。中間の階層で見られたわずかな累進性は、所得税の重要性が増すことで生じたものだ。逆に、トップ百分位で見られる明らかな逆進性は、この水準では資本所得が重要になってくることを反映している。資本所得は累進課税からほとんど除外されているのだ。この免税の影響は、資本ストックに対する(きわめて累進的な)課税による効果よりも大きい。(p.517-518)


税率がほとんどの人にとって比例的であるとしても、最高水準の所得に対する税率が低いと、超高額の所得をもらう人が増えるし、そうした人びとが受け取る所得の金額の大きさも膨らむ。これが資産の格差へと累積していくことで、社会階層の分断が進んでいく。この構造についての指摘は本書の重要な指摘のひとつ。

また、資本所得が累進課税から除外されている、というのは、日本にも当てはまる。租税特別措置法を調べるとそれがよくわかるだろう。



まず、累進課税というのは民主主義の産物であると同様に、両大戦の産物でもあるという点を理解することが重要だ。その場しのぎが必要な混沌とした環境で採用されたものであり、それもあってその各種の狙いは十分に考え抜かれていないし、そのせいで今日批判を受けるようになっているのだ。(p.519)


累進課税が両大戦の産物であるというのも本書の重要な指摘のひとつだが、そのような事情から、その根拠が十分に考え抜かれ、それが人々を納得させて導入されたというものではなかったというのは、言われてみればなるほどと思わされたところ。



この興味深い例が示すのは、税率が低くても、税金は知識の源になるし、民主的透明性の力になるということだ。(p.526)


この指摘は、本書のグローバルな資本課税の優位性を示すための重要な論拠の一つであるが、私自身にとっても本書から得た収穫のひとつであったものである。



政府がある水準の所得や相続財産に70~80パーセントの税金をかけるという場合、主要な狙いはどう見ても追加の税収を得ることではない(こうした非常に高いブラケットはもともとたいした税収をもたらさない)。むしろそうした所得や巨額の相続財産をなくそうとしているのであり、立法者たちは何らかの理由でそれを社会的に容認できず、経済的に非生産的だと見なすようになったのだ――あるいはそれをなくさないにしても、少なくとも維持するのをきわめて高価にして、その永続化を強く阻害するのが狙いだ。しかも、法的禁止や収用もない。だから累進課税は、格差削減のかなりリベラルな手法だと言える。自由競争と市有財産は尊重されつつ、私的なインセンティブはかなり過激にもなりかねない形で改変されるが、それでも常に民主的論争で検討されたルールにしたがって行われるのだ。累進課税はこのように、社会正義と個人の自由との理想的な妥協となる。米英は、歴史を通じて個人の自由を高く評価してきたから、他の多くの国よりも累進的な税制を採用したのもうなづける。ただし大陸ヨーロッパ諸国、特にフランスとドイツは、第二次世界大戦後に他の道を模索したことは指摘しておこう。たとえば、企業の国有化や、重役給与を直接定めるといった手法だ。こうした手法もまた民主的な熟議から生じたものだが、累進税性の代替としてある程度は機能したのだった。(p.528)


「増税=税収(財政再建)」あるいは「増税=生活が苦しくなる」という考え方――後者の考え方は基本的に誤った考え方でもある――が、昨今の日本では強調されているが、税には社会における公正さや社会の共通善の促進といった機能もあるということは重要であり、政策立案にもこの考え方がもっと活かされなければならない。



まとめると、1932~1980年の約半世紀にわたり、米国連邦所得税の最高税率は平均81パーセントだった。(p.529)


これ以降のアメリカの姿に慣れてしまった身からすると、驚かされるような数字である。



あらゆる過剰に高い所得は白い目で見られていたが、稼いでいない所得のほうが、稼いだ所得よりも怪しげだとされていたのだ。当時といまの態度のあまりの好対照ぶりには驚かされる。現在では特にヨーロッパ諸国をはじめ多くの国で、資本所得のほうが労働所得よりも好意的な扱いを受けているのだ。(p.530)


是正されるべき事実。



 もっと現実的な説明は、最高所得税率の低さが、特にそれが急落した米英では、重役給与の決め方を完全に変えてしまったというものだ。……(中略)……。
 さらに、この「交渉力」による説明は、1980年以来の先進国における生産性成長率と、最高限界税率低下との間に統計的に有意な関係がないという事実とも整合する。具体的に言うと、重要な事実としては、1人当たりGDP成長率は1980年以来、あらゆる富裕国でほぼ完全に同じだということがある。英米の多くの人が信じていることとは裏腹に、成長をめぐる真の数字によれば(公式の国民経済計算データから判断するかぎり)、英米は1980年以来、ドイツ、フランス、日本、デンマーク、スウェーデンと比べてちっとも急成長などしていないということだ。言い換えると、最高限界所得税率の引き下げと、トップ所得の上昇とは、(サプライサイド理論の予測に反し)生産性を刺激しなかったようだし、少なくともマクロレベルで統計的に検出できるほど生産性を刺激しなかったということだ。
 こうした問題をめぐっては、かなりの混乱が存在している。というのもしばしばほんの数年の期間だけについて比較が行われるからだ(そういうやり方をすれば、ほとんどどんな結論だって正当化できてしまう)。あるいは、人口増の分を補正し忘れている場合もある(人口増は米国とヨーロッパのGDP成長の構造的な差についての主要な要因となっている)。ときには1人当たり産出水準(これは常に米国のほうが、1970~1980年でも2000~2010年でも20パーセントほど高い)が、成長率(これは過去30年にわたり米欧いずれでも同じくらいだった)と混同される。でも混乱の主な源は、おそらく上で述べたキャッチアップ現象だろう。英米の衰退が1970年代に終わったのはまちがいない。つまり英米の成長率は、それまでドイツ、フランス、スカンジナビア諸国、日本よりも低かったが、この時期に負けないくらいになったのだ。でもこの収斂の理由はかなり単純だというのも議論の余地はない。ヨーロッパや日本は、米英に追いついたのだ。明らかに、これは米英における1980年代の保守革命とはほとんど関係がない。少なくとも主要な要因ではないのだ。(p.532-534)


生産性を高めるためにアメリカのような企業運営を行うべし、という経済保守派、サプライサイド経済の側から言われることがあるが、それの誤りを的確についている。



事実、ここからわかるのは、最高所得に対して没収的な税率をかけるのは、可能なばかりか目に見える超高給与の増大を阻止する唯一の方法だということだ。私たちの推計によると、先進国では最適な最高税率はおそらく80パーセント以上だ。……(中略)……。そんなことをしたら米国のあらゆる重役たちは即座にカナダやメキシコに逃げだし、経済を運営するだけの能力ややる気を持った人物は誰一人として残らない、などという発想は歴史的経験にも反しているし、手持ちのあらゆる企業レベルのデータにも反している。また常識的にも馬鹿げた話だ。50万ドルとか100万ドルを超える年収に対して80パーセントの所得税をかけたところで、政府の歳入はたいして増えない。この税率がすぐさま目的を果たしてしまうからだ。その目的とは、この水準の報酬を劇的に引き下げつつ、米国経済の生産性は引き下げず、これにより低水準の所得が底上げされるということだ。(p.535-536)


高所得に税を重課したら所得が海外に逃げるという議論には大した根拠はないということは押さえておくべきところ。


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