アヴェスターにはこう書いている?
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トマ・ピケティ 『21世紀の資本』(その4)

まったくの窃盗による財産はなかなかないが、同時に完全な能力による財産もほとんどない。累進資本課税の長所は、巨額の財産を民主的コントロールのもとにさらしつつ、柔軟かつ一貫した、予測可能なやり方で、さまざまな状況を扱う方法を提供してくれることだ――これだけでもかなりのものだ。(p.461)


ピケティの主張したい部分は後半部分だが、第一文の言い回しはなかなかうまい言い方だ。自らの能力によって得た財産や所得は正当なものだというリバタリアン的な論理でごまかされてしまう人は結構多いと思うが、それを牽制する時に使えそうだ。



 思うに、資産が自国の手を離れるという感覚は、主に富が富裕国に高度に集中しており(おかげで人口の大部分にとって、資本は抽象概念だ)、最大級の富からの政治的分離プロセスがすでに進行中であるせいだ。富裕国、特にヨーロッパの住民の大部分には、ヨーロッパの世帯が中国の20倍の資本を所有しているというのはかなり理解しづらい。特にこれが民間財産で、政府が(つい先頃、中国が親切にも申し出たギリシャへの援助のように)公共目的で動員できないだけになおさらだ。だがこのヨーロッパの民間財産は文句なしに実在するし、EUの各国政府がそれを活用しようと決めたなら、活用できるものなのだ。だが実際には、政府が資本や資本所得に規制をかけたり、課税したりするのは非常にむずかしい。富裕国が今日、資産が自国の手を離れつつあると感じる主な理由は、民主的な主権が失われているためだ。(p.481-482)


上記の指摘は主にヨーロッパに当てはまるとされているが、日本でも同様である。民主的に資産をコントロールする手段がなく、巨額の資産がどこにあるのかさえ、普通の人々からは隠されている。巨額の資産は自国内にあるが、それはごく少数者の手の内にあり、他の大多数の人々は関与することができない。累進資産課税によってそうした資本を公金にすることができれば、政府や議会を通じて民主的なコントロールが可能となるのだが、大金持ちの側が政府に圧力をかけているため課税強化も難しい方向へと進んでしまっている。



 まず、第二次世界大戦後の30年で見られた政府の役割の急速な拡大は、少なくとも大陸ヨーロッパでは、例外的に急速な経済成長に大きく助けられ、後押しされた所得が年5パーセントずつ増えているなら、その成長のますます多くの部分を社会支出(つまりこれは経済全体よりも急速に増えることになる)に振り向けることに納得してもらうのはそんなにむずかしくない。特にもっとよい教育や保健医療、もっと多い年金の必要性が明らかならなおさらだ(1930年から1950年にかけて、こうした目的で割かれる予算はかなりかぎられていた)。1980年代以来、状況はまったくちがっている。1人当たり所得は年1パーセント強しか成長しないので、誰も大規模で持続的な増税など望まない。(p.501)


1人当たりの経済成長率が高いと課税への忌避感が低くなるため、福祉国家的な役割の増大が助長され、逆に低成長時代には課税への忌避感が高まるため、歳出削減圧力が高まる。なるほど。



さらに各種の情報源を付き合わせると、ハーヴァード大学の学生たちの両親の平均所得は、45万ドルだと推計される。これは米国の所得階層でトップ2パーセントの平均所得に相当する。こうした結果は、純粋に能力だけに基づく入学審査という発想とは、完全に相容れるようには思えない。公式の能力主義的な発言と現実との対比は、この例ではことさら極端に思える。入学選考手順に関してまったく透明性がないことも指摘しておこう。(p.505)


45万ドルというのはすごい所得だ。驚いた。日本でも東大や慶応などの学生の親の所得は平均よりかなり高いはずだが、ここまでひどくはない。ここで指摘されている選考手順の不透明性も関係しているのだろう。



米国、フランスなどほとんどの国で、国民的な能力主義モデルの美徳をみんな口にはするが、それはめったに現実に根ざしていない。そうした物言いの狙いは、既存の格差を正当化しつつ、現状の制度の、ときにあからさまなほどの失敗を黙殺することだったりする。(p.506-507)


妥当な指摘。



さらに1980年以降、先進国から生じた新しいウルトラ自由主義の波が貧困国を襲い、公共部門を切り離して、経済発展を育むのに適した税制を発達させるという優先度を引き下げるよう強制した。最近の研究によれば、1980~1990年の最貧国における政府歳入減は、相当部分が関税の減少によるものだったという。……(中略)……。富裕国は、それほど発展していない世界を自分の実験に使い、自分自身の歴史体験からの教訓を本気で活用しようとしない傾向があるのだ。(p.512)


従属理論や世界システム論が提示するような低開発化の現実は、非常に複雑であり難しいが研究に値する問題である。


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