アヴェスターにはこう書いている?
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トマ・ピケティ 『21世紀の資本』(その2)

つきつめれば国債とは、国民のある一部(利息を受け取る人たち)が、別の一部(納税者)に対して持つ請求権にすぎない。(p.120)


国債とは債権を持っている人(富裕層)が債務を負う人(納税者)に金を支払わせるための手段である。国債は富裕層への再分配となる!この認識は重要!



資本は決して穏やかではない。常にリスク志向で、(少なくともはじめのうちは)起業精神にあふれているが、十分に蓄積すると、必ずレントに変わろうとする――それが資本の天命であり、論理的な目標だ。(p.122)


資本の性質。



政府に貸し付けを行うだけの財産持ちの立場からすると、無償で税を納めるより、国に貸し付けて数十年にわたって利息を受け取る方が、当然ながらはるかに有益だ。(p.137)


確かに。金持ちの立場から見ると、増税(特に累進的な課税)はせず、公共サービスの不足分は政府が国債を発行する方が二重にメリットがあるということになる。



1980年代から現在までの、ロシアおよび東欧諸国の民間財産の大きな成長は、ときに特定の人々(念頭にあるのは主にロシアの「オリガルヒ」)を飛躍的に急速に豊かにした。この成長は当然ながら、貯蓄や動学法則β=s/gとは無関係だ。ただひたすら、政府から個人への資本の所有権移転がもたらした結果にすぎない。先進国における1970年以降の国富の民営化は、この極端な例をかなり薄めたものと見なせる。(p.194)


民営化は、政府から政府との関係の深い個人への所有権移転である。19世紀後半の日本で起きた民営化(開拓使官有物払下げ事件)などもこうしたものであった。1990年代頃から中国で起きている民営化・自由化の路線も同じように共産党と関係の深い個人に資産所有の極めて大きな機会が与えられた一方、権力との距離が遠い人々にはそうした機会は少なかったことはよく知られている。民営化というものは、自由競争を促すかのようなことを言われながら行われるが、そうしたものというよりはもっと胡散臭いものだという認識を持つことは非常に重要である。



 これらの係数――他にもタイル係数などがある――は役に立つこともあるが、問題も多い。それらはある分布が格差について言えることをすべて――階層の最底辺と中間層の格差、そして中間層と最上位、あるいは最上位とその中のさらに上位の格差――ひとつの数値指標に集約できると主張する。これは一見とてもシンプルで魅力的だが、いささか誤解を招くことは必至だ。多面的な現実を一次元の指標に集約しつつ、過度に事象を単純化せず、本来一緒に扱うべきでないことを一緒くたにしないですませるなど、実際には不可能だ。社会的現実と格差の政治経済的重要性は、その分配の中での水準ごとにまったくちがうから、それらを個別に分析することが重要だ。加えて、労働の格差と資本の格差では、機能する経済メカニズムや規範によるその格差の正当化手段がまったくちがうのに、ジニ係数などの総合指標はそれを混同しがちだ。こういった理由から、格差を分析するならジニ係数のような総合指標を利用するよりも、総所得、国富におけるさまざまな十分位、百分位のシェアを示す分布表を使うほうがずっとよいと私は考えた。(p.276-277)


ピケティが方法論として分布表を使う理由。ジニ係数のような総合的な指標への適切な批判。



 同じような理由から、OECDや各国の統計機関による格差公式報告書にしばしば引用される、十分位比を利用する際も注意を要する。最も頻繁に利用されている十分位比はP90/P10、すなわち所得分布における90番目と10番目の百分位の比率だ。たとえば、所得分配のトップ10パーセントでは月の稼ぎが5000ユーロ以上、下位10パーセントでは1000ユーロ以下ならP90/P10比は5となる。
 ……(中略)……。
 一般にこの慣例は、入手可能なデータは不完全だという理由で正当化されている。たしかにその通りだが、世界トップ所得データベース(WTID)に(しかも限られた手段を使って)収集された歴史的データが示すように、その問題は適切な情報源を利用すれば克服できる。このデータベースは、ゆっくりとはいえ、手法を変えつつある。実際、最上位を無視する方法論の採用は決して中立的ではない。国や国際機関の公式発表は本来、所得と富の分配に関する公的データベースを提供するはずなのに、実際には故意に不平等を楽観視するような操作が加えられている。(p.277-278)


ピケティの方法論は最上位のシェアを重要視することに特徴があり、これが斬新なところである。



 最後に、私が利用を推奨する分布表が、いくつかの点で18世紀と19世紀初頭に流行した「社会構成表」にかなり似通っていることをつけ加えておきたい。……(中略)……。
 それでも社会構成表は、それぞれの社会集団(特にさまざまなエリート層)による国富のシェアを強調することで、格差の生々しい側面を描こうとしており、この点で私がここでとっている手法と明らかな類似性がある。また同時に社会構成表は、ジニやパレートが採用して、20世紀にあまりに一般化され、富の分配を当然のものとしがちな、非対立的で非時間的な格差の統計手段とはその精神からして本質的にかけ離れている。格差の計測手法は決して中立的ではないのだ。(p.280)


ピケティの方法は、エリート層の国富シェアを強調するものであり、「対立的で時間的」なものである。このように、自らの方法論が含意するもの、あるいは価値を置いているものについて自覚的であり、自他に対して明示している点は高く評価すべきである。



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