アヴェスターにはこう書いている?
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天野郁夫 『大学の誕生(下) 大学への挑戦』(その2)

 もうひとつの東北帝国大学は、札幌農学校を農科大学に昇格させ、これに理科大学を加えて発足した。新設とはいっても、東京帝大のそれよりも古い歴史を持つその農科大学は、明治40年に4学科12講座で出発し、大正4年には26講座と、東京帝大の33講座に比べても遜色のない規模を備えていた。
 開校式に臨んだ文部大臣牧野伸顕は、演説のなかで「他日、独立の北海道帝国大学を成立せしむべき基礎」だと述べているから、東北帝大の一分科大学として発足したのは、先にふれた文部省の「綜合主義」からする、便法であったことがうかがわれる(『東北大学五十年史』 上、33ページ)。牧野はまた「樺太半分は、日露戦役の結果、帝国の領土に帰したるに就ては、将来同島の経営は、専ら北海道人士に待たざるべからず(中略)蓋し是等の調査研究は、当大学に於ける適当の任務ならんと信ず。故に当大学に在る所の諸君は、此の点に於ても、深く留意されんことを望む」と、期待される役割を強調している(同書、33ページ)。「国家の須要」に応ずることこそが、この新しい帝国大学の場合にも、最重要の使命とされたのである。(p.238-239)


札幌農学校を昇格させるときに、「綜合主義」に基づいて理科大学を加えるという「便法」を用いたとする見方は、恐らく妥当なのだろうが、見方としては札幌農学校/北海道大学からの見方のように感じられる。東北大学から見た別の見方というものがあるのかどうか気になる所ではある。

また、樺太の調査研究という使命を期待されたというのも興味深い。これと関連することとしては、日本統治時代の台湾で官吏などとして活躍した卒業生が多かったということとも指摘すべきだろう。



 すでに見たように高等学校の卒業者は、一部(法・文)、二部(工・理・農)、三部(医)の枠内であれば、進学先としてどの帝国大学のどの分科大学を選ぶかについて、自由を保証されていた。それだけに後発の、とくに新設分科大学の場合には、十分な進学者が得られるかがつねに心配の種であったといってよい。東北帝大農科大学が、札幌農学校時代からの予科をそのまま残した理由のひとつはそこにあったであろうし、理科大学の場合には、それが「それまでみられなかった「門戸開放」」の形で現われることになった。すなわち東北帝大は「高等師範学校や専門学校の卒業者にもその資格を認める」という形で「門戸開放」をはかったのである(『東北大学五十年史』 上、51ページ)。(p.242)


東北帝大が「門戸開放」を行っていたことは、『回想 東北帝国大学』を読んで知っていたが、なぜそれを行ったのかという理由について納得できた。上掲書を読んだときは、大正デモクラシーなどの民主的な考え方の普及が背景にあるのかもしれないと推測していたが、主な理由は本書で指摘されているような学生を募る際の問題であろう。



 こうして文部省の原案は、審査委員会での綿密な検討・修正を経て枢密院本会議に提出され、異議なく可決された。審議の途中で寺内正毅内閣に代わって原敬内閣が成立し、文相も岡田良平から中橋徳五郎に交替したが、審議が中止されることはなかった。それだけ学制改革の機が熟していたと見るべきだろう。また第一次世界大戦がもたらした空前の好況によって、高等教育機会の拡大の最大のネックであった政府の財政事情が一挙に好転した時代状況も、あずかって力あったと見てよい。
 こうして大正7年12月6日、ついに「大学令」と新しい「高等学校令」が公布されるに至った。(p.355)


なるほど。第一次大戦による好況が高等教育機関の整備にも影響したというのは興味深い。そう考えると、小樽運河(大正3年着工、同12年竣工)のような大正期の土木事業もこうした好況が後押しした面があったのかもしれない、と思い至った。



 官立高等教育機関の積極的な拡充政策は、実際にはそれ以前に、すなわち戦時景気を背景に政府の財政事情が好転し始めた、寺内正毅内閣の岡田文相時代に始まっていたと見るべきだろう。すなわち大正6年度の予算で、北海道帝国大学と高等工業学校三校、大正7年度予算では高等学校四校、高等工業・高等商業・高等農林学校各一校、それに薬学専門学校一校の新設が決められていたからである。(p.374-375)


なるほど。北海道帝国大学の設立も第一次大戦による好況が背景の一つとしてはあった、ということか。



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