アヴェスターにはこう書いている?
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「創 緊急増刊 朝日新聞バッシングとジャーナリズムの危機 2015年2月号」(その3)
「朝日新聞バッシング この半年間、何が起きたのか」より

 尖閣諸島や竹島をめぐる問題がたびたび報じられ、この何年か、日本に急速にナショナリズムが台頭したことは多くの人が感じていることだ。現在は社会的指弾を浴びている民族排外主義的なヘイトスピーチも突然起きたわけでなく、それにつながる動きは以前からあった。
 2013年後半からは「嫌韓憎中」と言われるある種の熱狂が日本社会を覆い始めた。『週刊文春』や『週刊新潮』など右派系週刊誌がそうした特集をやると確実に売れ行きが伸びると言われるようになった。中国の食品問題などといったテーマにも、それまでにない関心が集まるようになった。
 出版不況に苦しみ、次々と赤字転落していた総合週刊誌が、それに飛びつき、年末年始あたりから、『週刊ポスト』、そして『FLASH』というふうに次々と嫌韓憎中の特集を掲げるようになった。……(中略)……。
 ……(中略)……。重要なことは、その転換の背景に、出版不況で部数減に悩む週刊誌が、その路線で売れると聞いて次々と飛びついていくという、市場原理が働いていたことだ。(p.60-61)


ナショナリズムの高まりは排外主義の高まりを常に伴う。このことが「嫌韓憎中」特集の需要の増大という形をとり、出版不況という背景によって背に腹は代えられない出版者が良心や公共的使命よりも利益のためにそれらを供給する。こうして供給される排外主義的言説が、さらにナショナリズムの元となる怒りや近隣国への不信・不満を煽っていく、という悪循環である。

こうした事態にはまってしまった以上、打開する簡単な方法はないように思われるが、ドイツがナチへの支持や賛同を法的に禁じているというのを聞いたことがあるが、こうした考え方は有効と思われる。すなわち、国際的な平和という日本社会における共通善のために、外国との関係を良好に保つため、また、関係を徒に悪化させないために、感情論的な憎悪表現を公共のメディアでは規制するということが考えられる。(当然のことだが、事実に基づいた批判をすることが禁止されるわけではない。なぜなら、相手もその事実を否定したり相対化したりする事実を提示することで反論は反批判する道が開かれているからである。)



「朝日バッシングはなぜ起きたのか」より

 部数の減少より大きいのは広告らしいですね。広告主に右翼の攻撃がものすごいでしょう。いま「朝日新聞をつぶせ」という力がものすごく働いていることは間違いないようです。(p.83)


なるほど。広告主に対する右翼の攻撃か。これはメディア(新聞やテレビなど)を見てもすぐには分からないところであり、この件からメディアの危機の深刻さへの認識を新たにさせられた。



ここ数年、どの企業もコンプライアンスが大事だって言いだしている。新聞だってそうですよ。
 このコンプライアンスっていうのは、おとなしく法規や社内の内規に従え、それを破るようなことはするな、つまり危ない橋を渡るなと言っているわけですから、本来のジャーナリズムのありように照らして言うと、向いている方向が正反対です。こういう雰囲気がこれからは強くなってくる心配がある。(p.83-84)


なるほど!ジャーナリズムにとってはコンプライアンスの強調は他の業界よりも大きな悪影響をおよぼす恐れがあるということか。

また、コンプライアンスということが強調され始めたとき、こんなことを唱えていても不正が減るわけがないのに馬鹿じゃないのかと思ったものだが、そのときの違和感が何だったのか、この引用文を読んで非常にはっきりわかって気がする。すなわち、組織が個人を強く縛り、管理し、従わせるということを言っており、それを個人の側に刷り込んでいくことだということ。組織を個人に対してより優位にするものであり、個人の軽視だということ。



慰安婦報道もさることながら、それよりも安倍政権の女性閣僚がネオナチや極右とのつながりを外国の新聞に報道されることのほうがよっぽど日本の名誉を傷つけてますよ。
青木 まったく同感です。僕は別に朝日信奉者じゃないし、朝日をそれほど信頼してるわけじゃありませんが、戦後リベラリズムの砦みたいにみなされるところがあって、その朝日が総バッシングにさらされてフラフラになっている。これはまさに戦後の終わりで、戦前の始まりなのではないかというくらいの強い危機感を覚えます。(p.84-85)


安倍政権の閣僚らがネオナチや極右との繋がりがあることは、知っている人なら周知のことだが、それが報道には出てくることがないのがまず異常である。その異常事態を外国の新聞が取り上げても、日本ではそれほど大きな問題と見なされないこともメディアが政権に支配されていることが功を奏しており、極めて危険な状態である。まさに現在は「戦後」ではなく次なる戦争の戦前の時代になっているという時代認識を持つことが必要であると思う。そのような認識に立ちながら、どうやって脱け出していくかという処方箋を出さなければならないからである。



「慰安婦問題をなかったことにしてはいけない」より

 だから吉田証言の問題を持ち出して、慰安婦問題それ自体をなかったかのように言う言説は、彼女たちに対する冒涜であり、彼女たちに対するセカンド・レイプだと思います。
 「国会に朝日を呼べ」という声がありますが、国会に呼ぶべきは彼女たち当事者ではないでしょうか。彼女たちは、何とか日本の国会で証言したいと、それを望んでいらっしゃいました。(p.91)


元「慰安婦」を国会で証言させるというのは、傾聴に値する見解と思う。



「朝日バッシング騒動がもたらす委縮への懸念」より

 戦後の言論界の流れを見た時に、もちろんいろいろな言論の自由が尊重されなければならない。一色に染まるような方向が加速されると、多様な言論が保証されなくなります。僕は今、日本のこの状況に似ていると思うのは、中国や北朝鮮もそうですが、一番はロシアなんです。ロシアのメディアのありようにすごく近づいて行っている。そうなってしまっていいのだろうかと思います。(p.96)


なるほど。私は日本の社会やメディアがどんどん中国に近づいて行っていると感じていたが、言われてみればロシアの方が近いのかもしれない。ただ、ロシアのメディア状況についてはそれほど詳しくわからないので、機会があれば少し調べてみたいところではある。



「朝日新聞バッシングとジャーナリズムの危機」より

 最初は東アジアの国々に対してそれらの国が日本にとって悪い影響があるということで何かを見つけては叩くという論調が見受けられて、まあそれは今も見られてさらにひどくなっていますが、しかし2年ほど前から外の国に敵を見つけて叩くだけでは済まなくなってしまったという気がします。今度は国内に敵を見つけてそれを激しく非難する、ののしるという流れに加速度がついている。(p.118)


確かに、バッシングの対象がより近く、より具体的になっている傾向はあるかも知れない。



今日は直接の課題ではありませんが、大阪の橋下市長のTwitterでの文化人らへの攻撃は、ある意味、あれもヘイトスピーチのようなものですね。自分に反対するような特定の言論人の名前をあげて「バカ」とか「アホ」とか口汚くののしるといったことを公的立場の人間が行い、それが支持されるというか、喝采を浴びる。あのころから日常の中ではとてもこれまでは使うことが許されなかったような言葉を平気で相手に浴びせかけていいのだ、というおかしな空気が出来上がったように感じます。(p.118-119)


橋下市長がヘイトスピーチをしている在特会の幹部と議論をするというのが、少し前にあったが、非常に違和感を感じていた。ここで述べられているように、橋下市長自身の言動がヘイトスピーチを行っている連中とほとんど同じだからである。

また、公的立場の人間がヘイトスピーチ的な発言をして、それが許容されることで、世の中にそうしたものが容認されたという空気が広がる、というのは、指摘の通りと思われる。このことは、ダン・アリエリーの不正の感染に関する研究の結果とも符合する。

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