アヴェスターにはこう書いている?
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「創 緊急増刊 朝日新聞バッシングとジャーナリズムの危機 2015年2月号」(その1)
「朝日新聞バッシングと安倍政権の思惑」より

 こうして既成事実を積み上げ、もう世の中こう変わったんだから今の憲法では対応できない、憲法を変えようとやってくると思う。そういう流れのなかで、朝日新聞をやっつけなければならないという空気が強く出てきたのではないでしょうか。
 これに対して、朝日新聞は、それを跳ね返すのでなく、弱みを衝かれたらかなわないので、そのところは先回りして訂正しておこうと、慰安婦報道をめぐって8月5・6日にあのような特集記事を出した。ところが池上問題でお粗末な対応をし、挙句が取り消すような記事ではないのに、吉田調書報道の記事取り消しをした。続報で十分対応出来たのに、上層部が続報をつぶし、対応を誤った。その前に産経・読売に吉田調書の記事が出ますが、その背後には原発再稼働を早くやりたい安倍首相の意を体した官邸の影がちらついていました。(p.7)


2014年後半の朝日新聞へのバッシングは、極めて政治闘争の色彩が強いものであるということはよく認識する必要がある。

朝日の慰安婦報道の訂正記事(8/5-6)は、戦後70年を前にした政治的な圧力への自衛策という面があったようだが、組織防衛的な側面が裏目に出た(このことが対応を誤る大きな要因となった)ものと思われる。

新聞の世界を見ると、産経は安倍晋三の極右イデオロギーを代弁するような立ち位置で、右側に政府を引っ張ろうとする安倍晋三応援団であり、最大部数を誇る読売も政府の広報紙と化している。日経は投資家や資本家、大企業を利する限りで安倍政権を支持し、イデオロギー面とは若干の距離を置きながらも批判は弱い。読売に次ぐ読者数を誇る朝日新聞は、安倍政権に対しては及び腰ながらも批判的な姿勢をちらつかせており、より規模の小さな毎日新聞や東京新聞はもう少し安倍政権に対して批判的。ただ、これらは紙数が多くなく、ある意味、産経も数は少ないが極端な主張をすることによって言論を右に引っ張る力に均衡させるだけの迫力に欠ける。地方紙は概ね安倍政権に批判的だが、地方都市や町村に比べて大都市圏の持つ政治的影響力が大きくなっていることもあり、批判の大きなうねりを起こすことができずにいる。

こうした中で朝日新聞による批判を封じてしまうことによって、残りの小勢力は容易に各個撃破できるようになる。そうなると、日本の新聞はすべて政府の広報紙的な存在になってしまい、少なくとも新聞における言論は政府に都合の良いもののみとなってしまう。この意味で朝日新聞が占める言論の世界における位置は極めて重要であり、今般の朝日新聞バッシングは日本の政治において極めて危機的な事態である。こうした中での対応の誤りは非常に痛いところである。



法的には社の恣意に委ねられる編集権の占有は否定されている。しかし日本では、編集権は経営権に属するという考え方がいまだに亡霊のように残っている。ヨーロッパやアメリカでは、編集の内部的自由という考え方が、実践的にも確立されているけれど、日本はそうなっていない。(p.12)


この問題は、NHKの問題を考えた際にも現れていた。ETV2001における番組改変事件が想起される。



 個人の不始末みたいな形で処理して、自分たちの取材の原理を捨てちゃうんだ。そういうことをやっているから、2005年のNHKの番組改編を暴いた報道も、本来なら2001年当時の安倍や中川といった政治家の介入を暴いたにも関わらず、見かけ上はNHKと朝日のケンカみたいになっちゃった。安倍はあの時「自分は何も言っていません。ただ公正中立にね、と言っただけです」と弁明したのですが、放送総局長にそう言うこと自体、大きな圧力でしょう。今回の総選挙の前にも、放送局に対して「中立公正に報道しろ」と通達を出したわけですが、同じ構図ですよ。(p.13)


同意見である。

どう考えても、安倍や中川がNHKの報道に介入したことは明白であるが、それを問題化できなかった。朝日新聞の判断の誤りとNHKの(NHKだけに限ったことではないが)組織防衛を志向する事実隠蔽とが重なって、安倍や中川の罪を問うことができなかったことは極めて痛い。念のため言うと、中川とは中川昭一(故人)であり、路チュー事件を最近起こした中川郁子(ゆうこ)の夫である。

「公正中立に」と報道機関に対して言うことは問題がないと安倍や自民党は主張しているが、どのような考え方をする人間・組織が発言したのか、また、どのような力関係の中でそれを言ったのか、ということまで考慮に入れれば、自分に都合の悪いことをさせないよう圧力をかけたことは明白である。安倍は2001年の番組改変事件の際に、「公正中立に」と言う前に極右の自慰史観に基づく自説をNHK幹部に説いてから、何を言いたいか勘繰れ、という命令をこめながら表面的な言葉としては「公正中立に」と発話したに過ぎないのではないか。

極右的な考え方をする人であるということは、それ自体、バランス感覚に乏しいということを他人に伝えていることになり、寛容さも持ち合わせていないということをも伝えることになる。そうした人間が「中立公正」ということを発言する場合、自分の極端な意見を採用すること(否定しないこと)が「中立公正」であると考えていると聞き手には伝わることになる。様々な意見を見渡したうえで、それぞれに対して、正しい部分と誤った部分を切り分けながら、それらのどれにも強く肩入れすることがない、といったような普通の意味での中立公正とは全く違った意味のことを、安倍は権力を背景として語ったのだから。



 2015年は、「戦後70年」ですね。安倍首相はこの年を戦後の総決算というか、戦後は無くなった、という年にしたいはずです。これにどう対応するか、新聞は大事な局面を迎えることになります。(p.15)


妥当。私は現在は、「戦後ではなく、来るべき戦争に対する戦前」になってしまったと捉えている。



 また、林香里委員の、日本の「慰安婦」問題に関する議論からは「女性の人権と性」という問題意識が欠落している、とする意見は重要な指摘だと思いました。(p.16)


全くその通り。日本の右派は、人権に対する感受性が全くというほどないことは、極めて問題であり、彼らの言論が国内で幅を利かせている。従って、日本国内の議論の水準や論点が、国際的な議論の水準や論点と全くずれてしまっていることは、日本を国際社会で孤立化させる方向へと作用している。こうした国際的な孤立化の方向に向かいつつある点でも、第二次大戦前と類似している。

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