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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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ダン・アリエリー 『ずる 嘘とごまかしの行動経済学』(その1)

脳の高次機能がすでに占有されていた七ケタグループは、本能的欲求を覆しにくくなり、多くの人がいますぐ喜びを与えてくれるチョコレートケーキに屈することになった。(p.120-121)


二桁の数字を記憶させられたグループと七桁の数字を記憶させられたグループに、チョコレートケーキと健康的なフルーツ盛り合わせという選択肢を与えたとき、七桁グループがその場の欲求を満たせる選択肢を選んだという実験結果。熟慮的な機能が占有されていると、衝動によって行動が支配されやすくなるということ。



 皮肉なことに、衝動を抑えようとする単純で日常的な努力が、自制心の在庫を減らしていき、その結果ますます誘惑に駆られやすくなるのだ。(p.135)


様々な葛藤にさらされることで、精神力が疲弊すると自制心を保つことが難しくなる。ダイエットなどが難しい理由の一つはこれか、と納得した。



時をさかのぼって古代ローマの法には、奢侈禁止令という一連の規制があった。禁止令はその後数世紀をかけてヨーロッパのほとんどの国に浸透した。この法では何よりもまず、身分や階級によって、だれが何を着てよいかがきめられていた。……(中略)……。
 こうしたルールは、上流階級のばかばかしいまでの強迫症のように思えるかもしれないが、実は世間の人たちが自らシグナリングしたとおりの身分であることを保証するための策だった。つまり、無秩序と混乱を排除するためのしくみだ(シグナリングの利点があったのは間違いないが、この体制に戻りたいとは言わない)。現代の衣服の階級制度は、むかしほど硬直的ではないが、成功と個性をシグナリングしたいという欲求は、かつてないほど高まっている。……(中略)……。

 ……(中略)……。この観点から言えば、にせものを買う人は対外シグナリングの効力を弱め、正規品(とそれを身につける人)の真正性を損なうことになる。(p.142-145)


なるほど。



わたしたちはたいてい、自分の好みや個性は、自分が一番よく知っていると思っているが、実は自分のことをあまりよくわかっていない(し、自分で思っているほど自分のことをよく知らない)。むしろわたしたちは他人の行動を観察し、評価するのと同じ方法で、自分のことを観察している。つまり自分の行動から、自分の人となりや好みを推し量っているのだ。(p.145-146)


「自己シグナリング」の説明。

自分の中を思考によって探し回っても、自分自身が何者であるかは結局わからずじまいだというのは、経験的に確かだと思う。むしろ、自分が何をするか、何をしてきたか、ということが自分自身を実際にも形作っているだろうし、周囲の人々から見た「私」の像もここから作られているだろう。この「自己シグナリング」の考え方では、さらに、自己イメージないしアイデンティティのようなものも、自分自身の行動から推し量られていることが示唆されている。

一つのポイントは、自分自身は「知られている」のではなく、「推し量られている」ということにある。行動が変われば自己イメージもそれに応じて変わることがあるわけだ。



以上の結果から、女性たちは正規ラベルを身につけても、ふだんより正直な行動を(少なくとも大幅には)促されなかったことがわかる。だがにせものをそれと知りつつ身につけると、道徳的な抑制力がいくぶん弱まり、その結果不正の道に歩を進めやすくなるのだ。(p.151)


偽ブランドを身につけることがこのような心理的効果をもたらすとは本書を読むまで思い至らなかった。こうした意外性が行動経済学の面白いところかも知れない。



ダイエットをしているとき、どんなことが起きるだろう?初めのうちは、ダイエットの厳しいルールを必死に守ろうとする。……(中略)……。誘惑に負けて一口食べたとたん、あなたの見方はがらりと変わるのだ。……(中略)……。
 ……(中略)……。いったん自分の規範を破る(ダイエットでずるをしたり、金銭的報酬を得るためにごまかしをする)ようになると、自分の行動を抑えようという努力をずっと放棄しやすくなる。そしてそれ以降、さらに不品行なことをする誘惑に、とても屈しやすくなるのだ。(p.151-156)


確かに。この「どうにでもなれ」効果は非常に大きなものがある。



「よくやった仕事」を思い出させるものがあると、その仕事を実際にどれだけよくやったかとは関係なく、自分の業績がすべて自分の手柄だと信じやすくなるようだ。(p.186)


これもよくわかる気がする。

この「よくやった仕事」が自分だけの力でやってものではないという実感を持っていれば、ある程度、自分の貢献度も相対化できるのかもしれない。



わたしたちは、自分がいましていることをなぜしているのか、選んだものをなぜ選んだのか、感じていることをなぜ感じているのかを、必ずしも正確に理解しているわけではない。だがたとえ本当の動機がよくわからなくても、自分の行動、決定、感情を説明する、もっともらしい理由をこしらえずにはいられないのだ。

 ……(中略)……。わたしたちは生まれながらに物語る動物であり、自分が納得し、信じられる程度にもっともらしい説明を考えつくまで、次から次へと物語を生み出す。その物語が自分をよりすばらしく、好ましく見せてくれるなら、なお都合がいい。(p.196-197)


第一文で指摘されているような理解困難性は、オートポイエーシスにおいて、システムの作動とシステムの作動を再帰的に観察することとの差異が、現れているように思われる。

人間は「物語る動物」であり、もっともらしい説明を考えつくまで物語を生み出して、自分を納得させようとするが、この正当化能力が、著者の「つじつま合わせ係数」仮説(正直な自己というイメージを持ちたいという欲求と不正によってもっと利益を得たいという欲求を自己正当化できる場合に不正が促進される)のポイントとなっている。



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