アヴェスターにはこう書いている?
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松田浩 『NHK 新版――危機に立つ公共放送』

しかし、同時に、ヨーロッパの公共放送が競って独立行政制度や経営委員・会長選出への公募制導入など政府からの独立性を高め、権力監視機能を強化している流れのなかで、それに逆行する日本の姿が、彼らの目に危機的なものに映ったことは疑いなかった。(p.6)


これはBBCが2014年3月20日に「日本の公共放送は脅威にさらされているのか」と題して「安倍政権によるNHK支配」にスポットを当てた特集が組まれたことについてのコメント。

グローバル化にともなって各国が右派が勢力を伸ばしつつある中でヨーロッパの公共放送が権力監視機能を強化しているというのは意外に感じた。そうした勢力への危機感を持っている勢力が民主的なメディアを確保しようと対抗手段を講じているということだろうか?ヨーロッパの状況が気になってきた。



 「放送活動全体を通しての公平」という過去の政府見解を超えて、個々の番組ごとに機械的公平(両論併記)を求めれば、権力監視など、およそ不可能になる。(p.7)


籾井勝人NHK会長が2014』年4月30日の理事会で「個々の番組でも公平を期するよう」指示したことが報じられた。上記は、籾井の発言に対する批判。

著者の批判はもっともである。これに加えて、安倍晋三の周辺の人々が言う「公平」が、「彼らにとって都合のよい(彼らの世界観・歴史観に合致する)見解」を基準にして話している、それも強力な権力を持っている立場の人間としてそれを語っている、ということが根本的な問題であると思う。



 イギリスBBCの元会長、グレッグ・ダイク(Greg Dyke 2000~04年BBC会長)のインタビュー記事が、『毎日新聞』朝刊のオピニオン欄(2014年4月9日付)に大きく載った。
 「公共放送の役割」と題するこのインタビューのなかで、ダイク元会長は「政府との関係において、公共放送はどうあるべきか」という質問に、こう答えていた。
 「公共放送にとって重要なのは政治家を監視することだ。党派に関係なく公正、公平に全ての政治家を監視すべきだが、特に権力の大きい政府の監視はより大切だ。そのために公共放送は政府から独立していなければならない」。
 彼はまた公共放送と国益との関係を問われて、明快に指摘している。
 「政府と公共放送では目的が違う。政治家や政府の目的は権力の維持だ。権力を握った政治家は、自分たちが権力に居座ることが国益に合致すると考える。……それを踏まえたうえで公共放送は、政治家の言うことが真の国益なのかをチェックすべきだ。民主主義社会において公共放送の役割は、権力への協力ではなく監視だ」と。(p.12)


当然のことだが、現在権力を持っている側にいる安倍政権とその周辺の連中には、このような常識を持ち合わせている者は恐らくいないだろう。むしろ、こうした監視をできないように、公共放送を政府の広報機関にしようという志向が非常に明確に見えている。非常に危機的な状況にあると言わざるを得ない。



 安倍政権が周到なメディア戦略のもと、安倍首相を取り巻く財界人グループ「四季の会」と図って政権の代理人ともいうべき人物をNHKのトップに据え、NHKを変えようとしている、その“権力のメディア支配”にこそ、ことの本質がある。“籾井会長発言”は、その結果にすぎない。(p.13)


妥当。それにしても安倍晋三と財界人グループの結びつきというのは、非常にたちが悪い。



いまや独立規制機関をもたず、通信・放送行政の権限を直接、政府がにぎっている国は、主要先進国では日本とロシアぐらいなのである。
 身近なところでいえば、韓国でも2000年以来、独立行政組織・韓国放送委員会(Korean Broadcasting Commission=KBC)が発足している。06年には、台湾でも独立規制機関として国家通信放送委員会(National Communications Commission=NCC)が発足している。(p.15)


情けない。しかし、これは逆に言えば、お手本はいくらでもある、ということでもある。様々な事例をしっかり調べてよい制度を導入しようと思えばできる環境でもあるとも言える。安倍政権によって民主的な判断を可能にするための制度が次々と破壊されているが、できるだけダメージが小さいうちにこうした制度を整えられるように野党には準備しておいてもらいたいものだ。

ところで、ここでは中国は「新興国」という位置づけなのだろうか?私は安倍政権の下で進みつつある社会の変化が「日本の中国化」であるとも見ており、日本の社会は中華人民共和国のような社会になりつつあると見ている。中国のマスメディアは報道機関ではなく共産党の広報機関であり、まさにここ数年のNHKが進みつつある道を先取りしている。



 「政治的な意見の対立が国民の間にある場合、その対立を激化させない、というのが、NHKの基本的なモットーだということです」
 この前田発言には、NHK的「公共放送」観が象徴されている。政治的問題をめぐって国論が二つに割れているとき、その対立をあおるような報道を控えることで救われるのは、どちらなのか?救われるのは「政府の利益」であり、損なわれるのは市民の「知る権利」ではないのか。政府・与党に都合のよい情報だけを流しながら、国民的合意を図ろうとするならば、それは戦前流「一億一心」の現代版にならざるをえない。
 本来、ジャーナリズムは、政治的意見の対立がある場合、それを人々の前に明らかにして、メディアという公共の広場のなかで自由に意見をたたかわさせ、人々が問題点を発見したり、批判的な見方を身につけ、より高い次元で物事の認識に到達できるように手助けすることが使命なのである。
 「対立を激化させない」ために対立そのものを覆い隠してしまえば、人々は現実の矛盾を直視することができない。その矛盾をどう克服すべきか、政治の主権者として主体的に考える力をつけることができず、いつも権力側が作り出す既成事実に流されていくことになりかねない。
 本来、これら「不偏不党」「公平」「中立」とは対立する意見が公正に議論をたたかわせるための「言論の自由市場」のルールを指す言葉なのだ。対立する多様な意見を討論の土俵に上げないでおいて議論させれば、それは疑似討論であって、世論操作にほかならない。(p.94-95)


1966年に起きたNHKによる世論調査の項目(政府に都合の悪い調査結果)をカットするという事件に関して、当時の前田会長の発言に対する批判。

メディアが対立を覆い隠してしまうと、問題が見えにくくなり、その結果として世論を背景にした市民運動やデモなどは力を発揮しにくくなるのに対し、政府にとっては様々なことを執行する権限を与えられているがゆえに、市民運動などからの抵抗を受けずに既成事実を積み重ねることができるという市民側と政府側との力関係についての指摘は重要。



同年には、国際電気通信連合の無線通信部門で、日本が提案したスーパーハイビジョンが超高精細度テレビの国際規格として認められているので、政府のIT戦略や日本の家電業界にとっても将来、国際競争舞台での目玉商品として、“希望の星”なのだ。NHKでは、2020年に東京で予定されているオリンピックで、このスーパーハイビジョンの実用化(本放送)をめざしている。
 問題は、地上デジタル化につづいて、NHKがこのスーパーハイビジョンの開発・実用化に牽引車として先導的役割を果たすことが、視聴者にとって、どれだけ意味があるのか、である。というのは、もしスーパーハイビジョンが実用化されれば、NHKを含めて放送事業者が膨大な設備投資を強いられるだけでなく、視聴者は再び高価な受像機への買い換えを迫られるからである。(p.178-179)


これが実用化されるとしても、現在の放送の方式がいつなくなるか?ということが、この事業の意味を変えるように思われる。既存の放送方式は維持されるが別途新しい方式ができる、というだけなら、テレビの買い換えもそれほど急には進まないだろうから、その点での視聴者の負担はそれほど問題にはならない。ただ、NHKの受信料が不必要に高くなるとすれば、確かに問題ではある。



 籾井会長のもとで、報道・ニュース面には、早くも懸念すべき変化が現れている。ここでは、一つだけ事例を挙げておこう。2014年7月1日に政府が閣議決定した集団的自衛権行使をめぐるNHKの報道である。集団的自衛権については、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の報告が出た5月15日から7月1日の閣議決定まで、NHKの「ニュースウォッチ9」が、頻繁にニュースに取り上げた。
 この集団的自衛権の行使に関しては、憲法論上も、また日本の安全保障上も、賛否対立する意見が存在する。国民世論も山西、反対相拮抗していた。にもかかわらず、「ニュースウォッチ9」では、問題点や反対する側の議論は、ほとんど伝えられていない。基本的なスタンスは、自公両党間で意見の食い違いがどう調整されるかの経過報告に終始していた。……(中略)……。
 戸崎は、集団的自衛権を扱った放送時間の総量が約167分、そのうち与党協議、首相や政府関係の動きは合計約114分(約70%)だったのに対し、反対の論者のコメントはわずか33秒、また官邸前抗議デモの映像は総計44秒に過ぎなかったとして、「114分対77秒 これが公平か」(『しんぶん赤旗』2014年7月31日付)と同番組の「異様な偏り」を痛烈に批判している。ここには、「政治的公平」や意見の対立している問題についての多角度な論点解明を求めた放送法第四条(番組編集準則)からの明白な逸脱がある。(p.197-199)


NHKの報道が政府よりなのはよく感じていたが、ここまでのデータが出るほどとは。日本のメディアの状況は危機的というしかない。


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