アヴェスターにはこう書いている?
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エリック・ウィリアムズ 『資本主義と奴隷制』
奴隷制について

17世紀のヨーロッパは(オランダを除けば)全般的に不況であり、労働力過剰の状態であった。それが外部世界への移住を促した。アメリカ植民地の労働力は、はじめは黒人奴隷ではなく白人移住者だった。アメリカ植民地では土地が余っており、人手不足だったので、どんどん人が流れ込んだ。砂糖、タバコ、綿花はプランテーションで栽培するのが効率的であり、プランテーションは大量の人手を必要とした。黒人奴隷は安価な労働力として導入され、それがイギリス本国にとって経済的に有益である限り支持され、経済的に「お荷物」になったことによって奴隷制は廃止に至った。(人道的な理由によるものではない。)

三角貿易、インド貿易、「産業革命」の関係について

ウィリアムズは三角貿易、奴隷貿易をインド貿易より重要だったとする。アメリカ独立後、西インド諸島の砂糖植民地は急速に衰退し、イギリスはそれに代わってインドに力を入れ始めたとする。このあたりの関係にはやや疑問がある。

ただ、インドは経済的に極めて強かったので、先にアメリカから搾取して力をつけてからでなければ、イギリスは本格的には乗り込めなかっただろうから、初期には三角貿易で力をつける方に重点があり、そのように力をつけた後、インドとの公益を本格化できるようになったとするならば、こうしたシフトを強調する見方も妥当であろう。

どういうことか?以下で私見を述べる。

イギリスとインドとの交易は三角貿易と並行して発展してきており、特に初期の頃は、インドとの交易を可能にする(インドに支払うための)金銀を供給したのが、アメリカ植民地を含む三角貿易だった。そして、三角貿易とインド交易における独占と保護主義の政策によって、イギリスでは産業が飛躍的に興隆し、それが「産業革命」へと繋がった。

(この三角貿易と「産業革命」との関係についてはウィリアムズの見解は支持しうる。ただ、「産業革命」なる概念自体を私は認めないので、その点には留保がある。俗に「産業革命」と言われているものは、産業の質的転換があったのではなく、世界システム内での位置が飛躍的に上昇したということの表現に過ぎない。)

しかし、本書に書かれているように、18世紀を通じて砂糖精製業以外の産業が急速に発達し、それが砂糖精製業や西インド諸島の砂糖プランターたちの利害と相反するようになっていった。こうして18世紀末には次第に重商主義からレッセフェールへの動きが出てきた(p.163-166)。保護主義を採用することでイギリスへの輸入が制限されるため、イギリスが輸出したいものがあっても相手国が買えない(買ってくれない?)という支障が出たのである。それが奴隷貿易や奴隷制の廃止という結果をも伴った。

こうして自由貿易が有利である状態にまで高まったイギリスの経済力があってこそ、インドとの公益も本格化しえたのではないか。

つまり、三角貿易による金銀の流入がイギリスにインドとの交易を可能にし、同時に、三角貿易はイギリスの産業の力を向上させた。(ちなみに、インドや中国の優れた技術も見本にできた。)次第にアメリカ植民地は「お荷物」になっていき――奴隷制と奴隷貿易の廃止はこの文脈の中に位置する――代わりに本命であるインド交易と取り組むことができるようになった。(もちろん、イギリスがさらにその先に目指すものがあるとすれば、中国との交易だっただろう。)

私はこのように見ており、本書はその一部をかなり的確に捉えていると思われた。つまり、単純化すれば「三角貿易→産業革命→インド交易」という関係である。

細部についてのコメントは改めて述べることにする。

テーマ:歴史全般 - ジャンル:本・雑誌

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