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アヴェスターにはこう書いている?
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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ヘザー・ブーシェイ、J・ブラッドフォード・デロング、マーシャル・スタインバウム 編 『ピケティ以後 経済学と不平等のためのアジェンダ』(その2)
エローラ・デレノンコート 「世界格差の歴史的起源」より

黄熱病やマラリアといった感染症がどう広がるかについてのヨーロッパの知識がないため、各種の植民地候補地で直面された自然環境は、著者たちに言わせると、ヨーロッパ人がどこに入植できるかについての外生的なばらつきの源となる。入植能力は、ヨーロッパ人が別個の制度を構築するインセンティブを決定した。死亡率が高かった地域では、入植はしにくかったので、収奪的な制度は奴隷による換金作物の生産を特徴とし、フランチャイズ化にも制限がかかった。死亡率が低いところでは、ヨーロッパ人たちは自ら入植して比較的包括的な制度を構築し、政治システムに抑制と均衡を持たせ、私有財産保護を強調した。
 この病気環境が決定した当初の制度的な分岐は、今日の経済制度やパフォーマンスを予測できる。旧植民地の中で、病気環境がヨーロッパ人たちの入植を阻止した場所では、財産権も確立しておらず、一人あたりGDPも低い。これに対し、ヨーロッパ人の死亡率が低かったところは相対的によい結果を出している。したがって、著者たちはこの実証的結果を、包括的な制度が長期的な経済パフォーマンスを改善し、収奪的な制度はそうでないという仮説を支持するものと解釈している。(p.505)


見せかけの因果関係である可能性は残るが、興味深い視点ではある。



エリザベス・ジェイコブズ 「どこにでもあり、どこにもない――『21世紀の資本』における政治」より

アメリカの政治は一般に、権力が断片化され権限が広く分散した制度環境として特徴づけられている。政治社会学者マーガレット・ウェアーとテダ・スコクポルがまとめたように、アメリカは「弱い国家行政、分断され断片化された公的権威と、非プログラム的政党の独特な複合体を持つ」。アメリカにおける州別歳出は、アメリカにおける政治権力の断片化の直接的な結果だ。議会レジームの税制を作る中央集権的な力とはちがい、アメリカでは税制は議会で書かれている。これはきわめて断片化した意思決定機関だ。そして議員たちの選挙当落を決定的に左右できる強力な政党がないので、議員たちは地元の有権者の声を聞き、おかげで地元で定義された要求や解くべき利益団体の圧力にことさら弱くなる。この断片化は金持ちの力を増幅し、さらにその政策への分不相応な影響力にさらに貢献し、経済格差が政治的格差につながる格差のサイクルを永続化させるのだ。(p.528)


政治権力が断片化されていることが利益団体の圧力の影響力を相対的に強いものにしており、格差のサイクルが永続化されるという見方は興味深い。ただ、この見方では70年代以前と80年代以降のアメリカの(例えば税制の累進性などの)変化を説明できないのではないか。



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ヘザー・ブーシェイ、J・ブラッドフォード・デロング、マーシャル・スタインバウム 編 『ピケティ以後 経済学と不平等のためのアジェンダ』(その1)
J・ブラッドフォード・デロング、ヘザー・ブーシェイ、マーシャル・スタインバウム 「『21世紀の資本』から3年たって」より

金持ちは、自分と似た人びとを好む――そして厚生の分布が「金持ちのお気に入りは誰か」で決まる社会は、社会民主主義時代に実現した人種的、ジェンダー的な平等の進歩を維持する可能性が低い。(p.26)


これは金持ち、すなわち経済的権力者だけでなく、政治的権力者に置き換えてもほぼ同じことが言える。ここで言う政治的権力者というのは、単に現に政治権力を持った立場にいるというだけでなく、政治権力を持ちやすい立場に生まれたことによって、そうした地位を得ているような人のことである(例えば、かつての大物政治家を世襲した政治家は、その政治的リソースを相続するため、権力を得やすい)。

安倍晋三や麻生太郎などはその代表例であるが、彼らはまさに「似た人びと」であり、人種的、ジェンダー的な平等を掘り崩す方向に社会を進めているのを見て取るのは容易いだろう。



アーサー・ゴールドハマー 「ピケティ現象」より

多くのアメリカ人の目で見ると、シチズンズ・ユナイテッド対FEC裁判で、投票日直前の選挙応援コマーシャルの禁止が最高裁により違憲とされたことで、政治におけるお金の影響に対する防止策は一気に崩壊した。集中した富が、民主政治プロセスを歪める能力を持つという点は、ピケティの根底にある主題だ(ただし同書ではいささか展開が不十分ではあるが)。ピケティによれば、こうした影響こそがアメリカを、きわめて累進性の高い所得税や相続税のレジームから、最高所得に対してすら限界税率が低いレジームへと一変させた要因だ。(p.47)


日本の憲法論議でもテレビCMのあり方などが議論されているが、それと共通する論点がアメリカでも争点となったことがあり、それが極めて大きな影響を与えているのだとすれば、こうした事例を良く知ることは重要と思われる。



スレシュ・ナイドゥ 「W/Yを政治経済的に考える」より

なぜ極端な富の格差が、必然的に政治権力の格差を意味する必要があるのか?だが富が、リソースそのものではなく、そのリソースに対する警察の裏付けを持った紙の上での権利主張だと理解するなら、富の格差が持つ民主的でない性質がずっとはっきりする。(p.117)



富がある種の権利主張なのだという理解は、確かに富が権力であることを理解するにあたって参考になる見方である。



航空会社は金融を通じたカルテル化の見本のようなものとなった。少数の機関投資家が、ユナイテッド航空、デルタ航空、サウスウェスト航空などの大半の株を持っている。最近の研究によると、ある航空会社の株が追加でブラックロック社により購入されたら、航空運賃は3から10%跳ね上がる。(p.125)


興味ぶかい指摘。


大木毅 『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』

こうした、ソ連にとっての悲劇をいっそう深刻なものにしたのは、大粛清等による権力集中によって、ソ連指導部からは異論が排除され、スターリンの誤謬や先入観、偏った信念が、そのまま、国家の方針となったことであった。(p.8)


この叙述の内容は、ほぼそのまま現代の日本、安倍政権にも当てはまると思われる。確かにかつてのソ連ほどの大粛清は行われていないが、安倍政権は、官僚に対する人事――安倍政権にとって都合の悪い事実を隠蔽することに加担した官僚が露骨に出世していることは明らかだし、東京高検の検事長の定年延長問題などにもそれは続いているが、そこに至るまでの経過も政権に政治的な立場が近い人間を厚遇し、そうでない人間を冷遇しているのは明らかだろう――やマスメディアに対する脅し――特に政権開始直後からしばらくの間、これを続けることで逆らいにくい雰囲気を醸成した面がある――などの手段によって異論を排除することにかなりの程度成功している。

新型コロナウイルス感染症に対する対応でも、客観的な知見などを十分に考慮せずに独断で全国の学校を一斉休校させたり、突然、布マスクを全世帯に2枚配布すると言いだしたりと、かなり頓珍漢なことを続けているのも、「安倍の誤謬や先入観、偏った信念が、そのまま、国家の方針となった」事例ではなかろか。

学校を全国で一斉に休校にするよりも、首都圏での感染拡大の状況から見れば、人が密集している首都圏の人の動きをどうにかすることが先だったはずだろう。休校はさらに様々な手を打つ中での一つとして必要な局面も出てくることもあり得るにせよ全国一律での実施は的を外していると考えられる。布マスクの配布は、ざっくり言えばマスク不足による不安を解消するためのものであり、感染拡大を防ぐためではないようだが、そんなことよりもう少し実質的な対策はできないのかと首をかしげたくなる。(何でも「やっているふり」ばかりの安倍政権らしいと言えばその通りだが…。)


I.ウォーラーステイン 『近代世界システムⅣ 中道自由主義の勝利 1789~1914』

19世紀の歴史は――20世紀のそれも――、特権と優位を享受した少数者が、つねに市民権を狭く解釈しようとし、他の人びとは、よりひろい解釈を採用することで、これに対抗してきた歴史である。(p.177)


このことは21世紀でも変わっていない。ただ、20世紀の多くの時期(戦後から1970年代頃まで)よりも現在の方が少数者にとってより優位になってきているという点では変わってきているが。