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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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マルクス・ガブリエル 『世界史の針が巻き戻るとき 「新しい実在論」は世界をどう見ているか』

境界線がぼけていることは現代のイデオロギーです。事実とフェイクの境界線、フィクションと事実の境界線などがぼけているという考えは、ポストモダンの哲学的思考の結果生まれたものです。
 そして今世紀に何が起きたかというと、右派政党が哲学左派の哲学的ジャーゴンを乗っ取ったのです。簡単に言うと、1990年代のフランスの理論や世界中で起きた他の理論が、保守的なイデオロギーという袋の中に一緒くたに入れられてしまったということです。(p.47)


安倍政権の言動と通じている。安倍政権では自身の権力維持にとって不都合な事実についてはなかったことにしようとし、あまり政治に関心がない人々から見たときに、悪いイメージを持たれないようにイメージ操作をしようとする。長期政権を維持している要因は徹頭徹尾これしかないと言ってもよい。政権がそのような言動をしていることに対して、厳しい批判が出にくい社会的雰囲気となることに、ポストモダンの考え方は力を与えている。



 人から人間性を奪うには、二つの方法があります。一つは相手を悪だと思うことで、もう一つは相手を善だと思うことです。本来なら善悪などありません。相手も自分と同じ、ただの人間なのですから。
 2015年、ドイツは移民の歓迎ムードに浸っていました。誰もが移民を手放しで歓迎していましたが、私は当時からその愚かさを指摘していました。……(中略)……。
 移民をむやみに歓迎することは、移民の人間性を奪うことにつながります。移民の人間性を保つためには、彼らが難民だとは気づかれないようにするべきなのです。(p.82-83)


相手を善だと思うことで人間性をはく奪するという点はなるほどと思わされる。日本では天皇や皇室の人々が、こうした仕方で人間性や人権を奪われているが、これも上記の移民歓迎と同じように愚かであると思われる。



我々は民主主義の本質とその価値を理解しなければなりません。緩慢な官僚的プロセスが善であることを理解しなければなりません。
 ……(中略)……。結果までの過程で、この民主的な制度が「何かうさんくさいことが行われていないか」とチェックするからスピードが遅くなるのですが、我々はその手続きを是認するべきです。我々は、事が即自分の思い通りにいかない世界に生きていることに満足しているというべきなのです。それが民主的思考です。
 非民主的思考というのは、「これが消えてほしい」という考え方です。(p.104-105)


安倍晋三が彼にとって都合の悪い意見や質問に接しているときの表情や言動を見ると、彼がいかに非民主的な思考に漬かっているかがよくわかる。

ガブリエルの言うように人々は緩慢な官僚的プロセスが善であるということを理解すべきである。安倍晋三が行っている様々なこと(森友問題、加計問題、桜を見る会、そして最近の学校一斉休校の性急な決定)を見れば、「何かうさんくさいことが行われている」ことは明白である。それを許している(というより現行制度の下では適切な批判が機能しないという面が大きい)ことが、日本という社会をどんどん非民主的な方向へと進めている(この7年間で極めて状況は悪化した)。この悪影響は、おそらく5-10年程度後になって誰の目にも明らかな悪として現れるのではないかと考えるが、その時には、安倍政権が行なった悪行と結び付けて認識されないか、それに気づいた時にはすでに手遅れとなっているのではないか、と危惧する。



 ですから、明白な事実を考慮に入れることは、民主的制度の役割であるべきです。明白さを否定してはいけません。独裁主義は明白さを否定します。スターリン時代の見せしめの裁判で明白だったのは、裁判がなかったことです。裁判のように見えていただけで、明白さを否定していました。だから、スターリン時代は民主的ではなかったことがわかる。事実ではないことを誰もが知っているのに、実際に起きているふりをしていたからです。(p.106)


森友問題の文書改竄について、近畿財務局の自殺に追い込まれた職員の手記が公表されたが、安倍政権は明白な事実を否定している。こうしたことからも安倍政権は非民主的であり独裁政治を行っていることは明白となっている。この明白な事実を多くの人が認める必要がある。



ポストモダン思想には批評のパワーはありません。ポストモダン思想が唯一批判するのは、非常に独善的な考えを持った人や、非常に強い信条を持った人、それだけです。むしろ反対にポストモダン思想が批判できないのは、統計しか信じないフレキシブルな人です。(p.148)


ポストモダン思想には批評のパワーがないというのは的確な指摘と思われる。独善的な決めつけに対しては相対化するという程度のことはできるかも知れないが、それ以上のことはできない。


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ダン・アリエリー、富永朋信 『「幸せ」をつかむ戦略』

ソーシャルメディアでは、すべての人が自分のことを過度にポジティブに描き出している。フェイスブックにケンカについて投稿するカップルがどれほどいるでしょうか。あまりないことです。ソーシャルメディア上ではすべての人が自分より幸せだと考えるバイアスがあるということです。(p.52-53)


確かにこのバイアスは間違いなく存在する。



研究室では、正しいプロセスを経たら、その人はとても良い仕事をしたんです。私としては、プロセスではなく結果に報いるようなことはしたくない。ちなみに、これは人に不正直になるインセンティブも与えるんですよ。(p.120)


結果に報いることは人を不正直にする誘因になるというのは、安倍政権における官僚や閣僚などの言動を見るとまさにその通りだと思える。

安倍政権では正しいプロセスを踏むことを蔑ろにしていることは疑い得ない事実である。森友問題、加計問題、防衛省(自衛隊)の日報問題、IR汚職、桜を見る会、そして政権に近い検事長の定年延長問題などなど、いずれもプロセス自体にも問題があるが、安倍政権はこれらの事柄に関する情報開示の内容や方法なども、適正なプロセスを経ているとは到底言えない異常な対応を続けている。そして、その際、閣僚や官僚たちが極めて不誠実な答弁や回答を繰り返していることは明白な事実である。

余談だが、検事長の定年延長問題はIR汚職問題や河合克之・案里両議院の公職選挙法違反の疑惑とリンクしているものと推測する。これらの政権に不利な問題について、政権の不利になる度合いを減らすように働きかけることが目的ではないかと思われる。もちろん、政権側の意図や目的を明白に知ることは困難であり、しかもそれを知られたくないと思っているわけだから、立証することはできないが、裁判などの推定無罪の原則とは異なり、政府は、様々な疑問や疑念に対して政府の側こそが疑いを晴らす義務を負っている(それが有権者からの負託に対する説明責任を果たすということである)のであって、説明責任を果たさないということは有権者の権利行使を代表しているとは言えないということであり、権力の濫用をしているということになる。



ターリ・シャーロット 『事実はなぜ人の意見を変えられないのか 説得力と影響力の科学』

 実のところ、今日の私たちは押し寄せる大量の情報を身に受けることで、かえって自分の考えを変えないようになってきている。マウスをクリックするだけで、自分が信じたい情報を裏づけるデータが簡単に手に入るからだ。むしろ、私たちの信念を形作っているのは欲求だ。だとすれば、意欲や感情を利用しない限り、相手も自分も考えを変えることはないだろう。(p.14-15)


インターネットによる情報の流通が、人々の「事前の信念」を強化する機能を果たしており、その信念に反する事実を提示したとしても、それを否定しようとする論を容易に目にすることができ、欲求に答えてくれるそうした論によって「事前の信念」がより強固なものとなってしまう。世論の分断などもこれによって強化されている面があると言えそうである。



死刑を強く支持していた学生は、有効性が立証された資料をよくできた実証研究と評価する反面、もう一方を不用意で説得力のない研究だと主張した。そして、もともと死刑に反対していた学生はまったく逆の評価をした。最終的に、死刑支持者は極刑へのさらなる熱意を抱いて研究室をあとにし、死刑反対論者はそれまでより熱い思いで死刑に反対するようになった。この実験によって、物事の両面を見られるようになったどころか、意見の両極化が進んでしまったのだ。(p.22-23)


意見が分かれる問題に対して両論併記をすると、この実験のように意見の両極化を進めてしまう可能性が高い。

なお、両論併記によって物事の両面を見られるようになるためには、自分自身の価値観や様々な議論から距離を取る能力(メタ認知)がかなり鍛えられている必要があると思われる。ただ、これは少なくとも、現代の日本で平均的な人々に期待することができない要求である。哲学や社会学などのトレーニングはこれらを多少なりとも高める教育となり得ると私は信じるが、これらの教育が適切にされてきていないのが日本の教育の現状であり、大学を卒業した世代にはもはや追加で施すことが期待できないものである。

歴史修正主義(歴史改竄主義)などが広がりを見せるに至るプロセスでは、ディベート教育などとのリンクがあったとされているが、彼らが好む虚偽の情報をまともな学説と並記して議論させることで、虚偽の情報を正当な学説と同等の立場に置き、虚偽の情報の支持者を増やすことに繋がったことが想起される。適正な手続きを経て検証された知見であるかどうかということを、社会全体がより重視する必要がある。

安倍政権が様々なデタラメなことを行っても何一つ説明せず、むしろ説明をしないことに全力を挙げているような現状は、むしろ、上記のような偽ディベートに類似した言説(いわゆる「ご飯論法」などもこうしたところから出てきた小賢しいテクニックであろうと私は見ている)を人々が目にすることとなり、それを広めてしまっており、「適正な手続きを経て検証された知見」を評価することにも今の社会は逆行してしまっている。)



 こうした研究結果から、「自分本位な推論は知的でない人の特性だ」という思い込みは誤っていることがわかる。それどころか、認知能力が優れている人ほど、情報を合理化して都合の良いように解釈する能力も高くなり、ひいては自分の意見に合わせて巧みにデータを歪めてしまう。だとしたら皮肉な話だが、人間はより正確な結論を導き出すためではなく、都合の悪いデータに誤りを見つけるために知性を使っているのではないだろうか。(p.32)


ここの説明で使われている事例では、数学が得意な分析的思考の持ち主ほど、都合の悪いデータを曲げて解釈したため正確な回答ができなかったという。この点はネトウヨが多い職業の一つがIT系の仕事であるという事実と符合する。

思うに、数学や工学などのトレーニングを積んだ人で、人文社会科学を十分に学んでいない人は、メタ認知を鍛える回路が弱いため、ある種の頭のキレはあっても、目的(である自らの欲求)のために知性を使うことになるのではないか。私としては、数学や工学的な知性ではなく、メタ認知が高い人と低い人で、都合の悪いデータを捻じ曲げる度合いがどの程度違うかという実験結果を知りたいと思う。(ただ、この点に拘ってもそれほど良い解決策は期待できないとは考えるが。)



 もしもあなたがツイッターの熱心なユーザーだったらご用心。ツイッターを利用することは、日常生活において最も感情を刺激する行為の一つだからだ。これがあれば運動いらず?――ツイッターは脈拍上昇、発汗、瞳孔拡大(すべて興奮状態の指標となる)を促すことが研究で明らかになっている。単にウェブを閲覧しているときに比べて、ツイートやリツイートをする行為は、感情の高まりを示す脳活動を75%上昇させるという。ツイッターのタイムラインを読むだけでも、65%ほど上昇するそうだ(注・これはツイッター社が独自の目的のために出資した研究であり、論文審査は受けていない)。私の頭の中には、ツイッターは「インターネットの扁桃体」ではないかという考えが前々からあった。メッセージの短さ、伝わる速さや範囲の広さなど、扁桃体の役割を果たすのに必要な材料がすべて揃っているからだ。ツイッターが元来もつこうした特徴は、人間として生きるうえで大いに必要なフィルターを迂回し、感情システムに何度も働きかける(ダニエル・カーネマンが「速い思考」、「遅い思考」と名づけたことで有名になった理論である)。このツールは有益な情報を伝達するのに役立つかもしれないが、一方で人間の慎重ではない側面を助長してしまう。(p.61)


ツイッターに限らず、SNSの持つ問題点を指摘しているように思われる。



 スタンフォード大学のアレクサンダー・ジェネブスキーとブライアン・ナットソンは、オンライン上での資金募集1万3500件を分析した。その結果、ネガティブな写真よりも、ポジティブな感情を喚起する写真(特に笑った顔)が依頼文に添えられている方が資金提供を受けやすいことが判明した。(p.83-84)


クラウドファンディングの際にも、内容以外のものが影響している。



 他人に影響を与えるためには、コントロールしたいという衝動を押さえ込み、相手が主体性を必要としているのを理解することだ。人は自分の主体性が失われると思ったら抵抗するし、主体性が強まると考えたら、その経験を受け入れ報酬とみなすものだからだ。(p.105)


簡単ではないが、その通りではある。



 皮肉に感じるかもしれないが、他人の行動を変えたければ、コントロール感を与えるべきだ。主体性を奪われたら、人は怒り、失望し、抵抗するだろう。社会に影響を与えることができるという感覚が、意欲や順守率を高めるのだ。実験の参加者は実勢にコントロールを任されたわけではなかった――自分たちの税金を何に使ってほしいか尋ねられただけなのだ。それでも、彼らの行動を変えるには十分だった。選択肢を与えられたら、たとえそれが仮定の話でも、コントロール感は増大し、それによって人々の意欲は高まるのだ。(p.108)


選択肢を与えるというやり方によって影響を与える方法は興味深い。日常生活でも試してみたい。



たとえその情報をうまく利用できないとしても、人間には知識のギャップを埋めたいという欲望がある。情報不足は人を不安させるが、ギャップを満たすことで人は満足感を覚える。(p.135)


情報不足は人を不安にさせるというのは、今流行の新型コロナでも見られる。マスク不足やトイレットペーパーなどの買い占めが起こるのもこうした不安の高まりがある。



 人間は、報酬を得たり苦痛を避けたりすることに意欲的だ。しかしそれだけではなく、これから訪れる報酬や苦痛を信じることにも意欲を燃やす。なぜなら信じることは、実際の出来事と同じように人を幸せにしたり悲しくさせたりするからだ。……(中略)……。結果として人は選択的になり、心地良い信念を形成してくれる情報で心を満たし、不快な考えをもたらす情報を避けようとする。(p.140-141)


歴史修正主義や「日本スゴイ」言説が受け入れられてしまう条件の一つ。



 私たちは自分を気持ち良くさせてくれそうな情報を知りたいがゆえに、悪い知らせよりも良い知らせを探し求める。ミュージカル調の機内安全ビデオに行き着いた航空会社のように、ポジティブな観点からメッセージを伝えれば、人はより聞く耳をもち、結果として影響を受けやすくなる。逆に悪い知らせが来そうなときは、たとえ無視することで自分を傷つけるとしても、そのメッセージを避けるものである。(p.143)


なるほど。



次は編集部によるコメント。

 ところで、事実で人の考えを変えられないということは、裏を返せば、事実でないもので人をコントロールできることでもあります。禁煙の世界的な傾向として、本来であれば社会を良い方向に導くべき各分野の権力者たちが、こぞって不都合な事実を隠蔽する一方で、マスメディアやインターネットを利用して大衆の感情をうまく誘導しようと画策している印象を強く受けます。そして私たちの多くは、まんまとその戦略に乗せられてしまっているようです。小説家のバーバラ・キングソルヴァーはかつて「蛇と戦うには、その毒を知らなくてはならない」と述べました。私たちが必ずしも事実をもとに判断していないことは、人間の脳という「蛇」がもつ「毒」の一つだと言えるでしょう。本書がその毒を知る一助となることを願います。(p.262)


私が本書を手にとった動機(問題意識)と見事に同期している。こうした権力者たちの暴走を止めるには、社会運動の力が必要になると思われるが、その前段として、本書のような知識(自己認識)により「毒」が一般的に知られていくことは必要であると思われる。