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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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小樽市人口減少問題研究会 『人口半減社会と戦う 小樽からの挑戦』

現在でも、新規高卒者の地元就職内定率は50%前後で推移しており、就職希望者の半数は市外に転出している可能性がある(小樽市2017a)。(p.35)


この個所の少し前には年代別にみると高校や大学を卒業するタイミングでの人口減が最も多いことが指摘されている。就職先が市外になること人口減の大きな要因であると言える。

本書は小樽市と小樽商科大学の共同研究の成果ということらしいが、上記のような明白な事実がありながら、本書の内容は子育て支援策を手厚くするという方向性など、的外れな方向に(これが言い過ぎだとすれば、少なくとも、主要な要因ではない論点へと)議論が進められていくことに非常に違和感を感じる。研究会発足は当時の市長の発案のようだが、市長が自らの政策の正当性をこの研究から得ようと考え、研究会側もそれを忖度しながら(あるいは当局側からそのような方向性で進めてほしいという意向が伝えられた上で)研究の方向性が選ばれたのではないかとさえ勘繰りたくなるような不自然さである。(このズレは、市の行政、市議会、経済団体へのインタビューに関する分析(本書第5章)でも見出すことができる。)

上記の年齢での社会減が最大なのであれば、それ以前の子育て支援策を充実させることは、この最大の要因に対してほとんど何らの効果も持たないであろうことは明白なはずである。(その年齢以前の社会減を減らすというより小さな要因には影響する可能性があるが。)本書は、ここに焦点を合わせて掘り下げる必要があったはずである。(もちろん、行政の施策でそこで発見された事実に対応がほとんどできないものだったとしても、そうすべきであろう。第二章あたりでは多少関連する問題に触れられているが、十分に議論が深まっていない印象が強い。)



1997(平成9)年以降の推移でみると、札幌市以外との転出入はほぼ均衡している状態であり、小樽市の社会減は、約200万人の人口を抱える札幌市への転出超過が、その主な要因となっていることがわかる(図9)。その中でも、小樽市に近接する手稲区、西区への転出超過が全体の5割を占めている(小樽市2017b:10)。(p.37)


この点はもっと掘り下げるべきであろう。札幌に転出した後、その人々はどこで働いているのか(業種や収入なども含めて)、といったことを追跡すれば見えてくるものがあるはずである。本書ではこの点の掘り下げがほとんどされていない。(第二章などで若干関連する問題は扱っているが、上述のとおりあまり掘り下げられていない。)個人情報も絡むので調査が難しいのは分かるが、例えば、直接確認することが難しい部分については、どのような代理指標を用いれば計りたいものが計れるのかという工夫が欲しいところである。いずせにせよ、本書全体を通して、アンケート調査に安易に頼ったという印象は否めず、その設問によって議論に予め限界が設けられてしまっている感が強い。



先述したが、小樽の観光業は賃金の点では札幌を凌ぐが、飲食・宿泊業は他産業と比べて、賃金水準が低い。これは、日本の観光業が1960年代の日本の経済成長期に確立された日本人団体旅行向けビジネスモデルからいまだに脱していないことが原因の一つである。地方の観光都市に、観光バスを仕立てて訪れ、安く効率的に旅を楽しむことを前提とするこのモデルは、休暇期間の短い日本人にとって最適なモデルであった。
 しかし、「おもてなし」は善意から行うものであり価格に反映させるべきでないとする倫理観の中で、サービスに対する適切な評価がなされてこなかった。さらに2000年の道路運送法の改正によりバス事業が許可制となり新規参入が急増したため、日本の観光業は熾烈な価格競争に巻き込まれることとなった。この価格競争の中で、コストカットの対象は人件費へと向かい、観光業界は低賃金産業となった。(p.66-67)


ここは重要な論点の一つと思われる。ただ、ここの記述でよくわからないのは、前段からすると個々の顧客の支払いが安いのだから観光業に落ちる金の単価も低かったことが予想されるのだが、その後の競争の激化によって低賃金産業となったとされている。90年代以前は低賃金産業ではなかったのだろうか?基本的には他の産業よりはもともと低賃金だったのが、さらに競争により切り下げられてきたという意味だろうか。(この個所に限らず、本書の分析は単なる意見で説明を済ませているかのような箇所が多く、一文一文に対するエビデンスが見えない点が問題である。)



都市圏も地方部も各産業バランスの取れたまちづくりを重視しているものの、都市圏においてその傾向はより強いことが分かる。他方、ものづくりのまち、食のまちづくり、観光業中心のまちづくりについては、地方部においてその傾向が強く、これについては統計的な有意性が確認されている。とりわけ、食と観光については、都市圏と地方部では大きな差がついている。なお、商業中心のまちづくり、文教的なまちづくりについては、都市圏と地方部で統計的に有意な差はみられなかった。
 したがって、全体としては八割に近い市区において各産業のバランスの取れたまちづくりが重視されているものの、その傾向は地方部よりも都市圏でより強く、また地方部においては都市圏に比べると「ものづくり」、「食」、「観光」のまちづくりなど、ある産業を中心としつつ、その他のバランスを図るまちづくりが重視されている傾向があると考えられる。(p.217)


こうした一つの産業だけを前面に出すやり方は、人口規模が小さければ、その産業に関連する人口が生活できることで、その自治体に住むほとんどの人が生活できるというようなことがあり得るため、それなりに有効だが、ある程度人口規模が大きくなると、特定の産業とその関連産業だけでは生活を維持していくことができないため、バランス重視になっていくという議論が本書でもされている。このこと自体はその通りであろうと思われる。

ただ、この点は人口の少なさを要因とする政策決定の傾向であって、その逆ではないであろう。本書はアンケート調査で相関関係を抽出するにとどまり因果関係まで明らかにしていない点が多く、分析不足と感じる。(相関関係であると断りつつ、因果関係であるかのように書いていたり、そのように誤認させそうな記述も散見される…。)総じて、行動経済学などでは統計的な分析から因果関係を明らかにするようなものがあるのだが、本書は数十年前の研究の分析レベルにとどまっている感じがする。

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マルクス・ガブリエル、マイケル・ハート、ポール・メイソン 『未来への大分岐 資本主義の終わりか、人間の終焉か?』
マイケル・ハート

 本来、特定の経済システムが果たすべき責任とは、生産力を増やして人々にまともな生活を提供することにとどまらず、人々の才能や能力を十分に活用することなのです。(p.29)


才能や能力を活用するという言い方には、個人主義的な考え方がやや強すぎる感じがする。むしろ、社会の中ですべての人がそれぞれ然るべき位置を占め、そこでそれぞれ何らかの貢献をする、といった方が良いのではないか。



マルクス・ガブリエル

斎藤 現在の状況全体が最低だから、それに対処する政治も最低じゃないといけないというわけですね。でも、どうして人々はまともでない状況をまともな形に直そうとせずに、最低な状況で生きることを選んでしまうのでしょうか。
MG 心理学的な説明になりますが、もし政治がまともになれば、ないことにしている他者の権利を認める必要が出てくる。それに対する、暗黙の恐れがあるのです。(p.158)


明らかな嘘に基づくような政治であっても人々がそれを直そうとせず受け入れてしまうことについての議論。現在、「保守」と呼ばれている「反動」勢力は、普遍的な人権などを認めようとせず、それをないことにしようとしているが、そのことに対する「彼ら」の心理としては、確かに、マルクス・ガブリエルが言うように解釈できる。



とくに相対主義と社会構築主義は、事実のあるところに事実を見ないという帰結をもたらします。
 あなたが事実を見なければ、目の前の問題に対して自分がどんな態度をとるのかを決められない。つまり態度の調整が不可能になります。社会構築主義は、人々から現実を見る力と問題に対応する力をそいでしまうのです。(p.173)


マルクス・ガブリエルが繰り返し述べる、この問題意識には共感する。90年代頃にポストモダニズムが流行していた時に、私自身が非常にうさん臭さを感じたのは、まさにこの問題意識に通じていると思っている。ただ、社会構築主義には、私もその後、00年代頃にはかなりコミットしてしまったが、いわゆる「保守」(つまり、実際には「反動」)や権力を握っている側が、これを明確に悪用することが世界的に増えてきた00年代後半には、そこからどのように抜け出すべきかということが徐々に意識されるようになってきたと思う(その前の2003年のイラク戦争などもこの問題点が感じられる事例であろう)。私にとって、その手掛かりとなってきたのはオートポイエーシスであり、マルクス・ガブリエルの新実在論も観察者の理論である点で多くのポストモダニズムの議論と共通の誤りを犯しているとは思うが、そうであっても、相対主義を乗り越えようとする姿勢自体は評価に値するし、彼のこうした議論によって相対主義や社会構築主義の問題点がより広く認識されること自体は歓迎したい。



ポール・メイソン

 世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)が国連総会で採択されてから、すでに70年以上が経っています。ところが、中国の大学では、「七不講」という政府からの通達によって「人類の普遍的価値」という言葉が使用禁止になっています。その一方で、中国政府は企業などの民間部門に対して、データと専門知識を供出するよう命令しています。2035年までに中国が、AI開発における世界的リーダーになるためにです。(p.301)


中国共産党にとって「人類の普遍的価値」が認められることは不利益だということを宣言しているようなものだが、それはつまり、自らそれを否定(踏みにじっている)と認めているということ。中国の人々は、中国共産党が行っているこうした事実をより深く知るべきである。それを知らせていくような運動というものも必要なのではないか。

ただ、これは他人事ではない。桜を見る会の招待者や招待の経緯を意図的に明らかにしないようにしている政府、森友問題と加計問題、労働や経済に関する統計の(意図的な)不正操作など、政府にとって都合が悪い情報はなかったことにしようとしているのは安倍政権も全く同じだということを日本の人々ははっきり知った上で政権を選ぶべきなのだ。(中国共産党と同じような安倍政権の支配を受けたいかどうか。)


品川裕香 『いじめない力、いじめられない力 60の“脱いじめ”トレーニング』

 いじめの取材をしていると、実に多くの人が「いじめるほうが悪いのはまちがいないけれど、いじめられる側にも原因はあるのでは?」ととらえていることを痛感します。(p.68)


仮に原因があったとしても、そのことをもっていじめられる側にも問題がある(悪い)とは言えないということをはっきりさせるべきである。このことについては、付け込まれる要因はいじめる側が見出したりつくり出したりして利用するものだから、とひとまず言っておこう。



 Bちゃんの言動からもわかるように、暴力を働く子はいろいろ言い訳しますが、根底にはその子自身が抱えるストレスがあり、そのストレスがうまく処理できていないケースが少なくないと私は考えています。これがまさに34ページの個人のリスク要因にある“生活上のストレス”。実際、いじめの取材をしていて、つくづく痛感するのは「課題を抱えていない子は他者に暴力など振るわない」ということなのです。とすると、いじめない、いじめられない力を涵養するためには、この「ストレス処理」が大事なキーワードになることもわかります。(p.73-74)


本書は主に子どものいじめに関する本ということになると思うが、ネトウヨなどの言動などもいじめと同じような構造を持っているように思われる。ネトウヨにはIT技術者や自営業、経営者などが多いという指摘とも、ここで述べられていることは地続きであるように思われる。(さらに言えば、私としては、ネトウヨになりやすい環境に置かれている親を持つ子どもも同様にストレスを抱えやすく、いじめる側に回りやすいのではないか、という仮説を持っている。)


関秀志 編 『札幌の地名がわかる本』

このあたりから北49条まで、東1丁目から同8丁目あたりは、そもそも北大第三農場として開墾された地域で、北26条東3丁目に開墾費が残されている。(p.58-59)


美香保公園のあたりについての記述。



 この地区は明治41年(1908)、小樽で海運業などを営む山本久右衛門が、厚別原野と呼ばれる泥炭の低湿地だったこの一帯の払い下げを受け、翌年に山本農場を開設して開拓がはじまった。(p.81)


厚別町山本についての記述。厚別と小樽はあまり関係性が意識されない地域だと思うので、こうしたつながりがあるという指摘は興味深い。



 しかし、その戸口をみると、明治3年の9戸・13人から、開拓使時代末期(同14年)には1136戸・3823人へと増加してはいるものの、未だ少なく、10万人を超えたのは約半世紀後の大正9年(1920)になってからのことであった。(p.185)


札幌の人口。低湿地の開発状況などもこうした人口の動態に関係するものと思われるが、より短期的な政治経済的な要因も考えられ、そちらの方の詳細な分析というものをあまり見たことがないので(簡単な説明はされることはあるが、十分な説得力を持つほどのものではない)、この点に興味がある。



 このように、札幌市域で営みを続けてきた地付きのアイヌ社会は、明治15年(1882)頃までにその姿が確認できなくなる。市内に暮らしたアイヌの人々は、石狩川支流でのサケ・マス漁禁止など開拓政策を受け、本流の茨戸へ、ついで旭川近文の「旧土人保護地」jへの移転を余儀なくされたのである。(p.205)


こうした「開拓」と名付けられた侵略的な行為はもっと明らかにされるべきだろう。北海道開拓を全否定する必要はないとは思うが、負の側面についてももっと記憶にとどめられるべきである。



 屯田兵の兵役期間は長期におよんだが、明治29年から同34年に後備役が終了し、屯田兵村も終焉を迎えた。しかし、開拓移民となった屯田兵とその子息たちは、識字者が多かったことや、札幌周辺に居留したこともあり、兵役終了後も官吏(役人)、警察、教員などになるケースが多かった。明治初期の札幌官界の裏側を支えていたのは、こうした屯田兵村の出身者たちであった。(p.268)


こうした社会的な移行がどのように行われたのかということは興味を惹かれる。ここでは屯田兵が制度がなくなった後、その子息たちがどのような進路へと進んだのかが述べられているが、明治以後、アイヌの人々もどんどん社会の中でのプレゼンスが下がるなか、どのように移動し、どのような社会的な役割を担うようになったのか、という点が気になるところである。



水害が多発する泥炭地帯を明治41年(1908)、小樽の実業家山本久右衛門が払い下げを受けて開拓が始まる。養子の厚三が後を継ぎ、開拓を完成させた。昭和9年(1934)、厚三の姓にちなんで地区名を山本と命名。厚三は衆議院議員であり、自作農創設の気運の中で農地を解放した。(p.298)


またもや厚別町山本についての叙述だが、ここで明治末に泥炭地を農地に変えたという話は、札幌の人口増加とも深く関わる論点であり、本書は淡々と各地域に関することが書かれているが、それをどのように有機的に結びつけて理解できるかによって、面白く読めるかそうでないかが決まってくる。


森田洋司 『いじめとは何か 教室の問題、社会の問題』

 「いじめ」「不登校」を、このように併記する傾向が生まれたのは、底流に、前期の「個人-社会」軸と「被害-加害」軸でいえば、「個人」と「被害」という極に近い視点で現象を捉え、対策を立ててきたからである。
 文部省のスクール・カウンセラー委託事業が90年代半ばに始まって以来、日本の学校現場ではすっかり定着している。日本のいじめ対応は、「個人のこころ」への焦点化をさらに進め、「心理主義」的な色彩を強く帯びたものとなった。(p.29)


この辺りの対応も、私が常々主張している、日本の社会においては社会科学の教育や普及が欠けていることが背景のひとつと思われる。



私が当時の文部省による、学校向けのいじめのリーフレットを説明していたとき、海外のシンポジストたちが一様に疑問を呈したのは、日本の転校措置の背後にある基本姿勢についてであった。
 リーフレットには、いじめられた児童生徒に対して、席替え、クラス替えや転校措置を柔軟に行うと記載されていた。被害者を守るという視点から考えれば、自然な発想と私たちには思えた。
 しかし、彼らは、一様に「いじめられた子どものほうが、なぜ転校しなければならないのか。転校すべきは、いじめた側ではないか」と疑問を投げかけてきた。ヨーロッパの発想に照らせば、共同生活のなかで被害が発生し、安全が損なわれたとき、学校が加害責任を明らかにし、加害者にその責任を果たすよう求めるのは当然であり、それこそが、共同体における正義を実現する妥当な方法である。(p.31-32)


ヨーロッパの発想とされている考え方に私も賛成である。加害行為を積極的に行った者を特定したら、基本的にはその者を転校させるべきだ。もちろん、その社会にいじめが発生するのは、その加害者だけが原因ではないだろう。個人の問題というよりは、その社会にいじめを発生させやすい状況が存在するであろう。しかし、客観的に見て積極的な加害行為が確認されたのであれば、そのような積極的な加害者こそ転校させる措置を取るべきだ。被害者が転校しなければならない状況に追い込まれるなどというのは、加害者を特定できるまでの間の一時的な措置等としてであれば理解はできるが、基本的に誤った対応である。



児童会・生徒会の活用は、「心づくり」から「社会づくり」へと対策をシフトさせるものである。つまり、個人の心の内面に歯止めを作るのではなく、社会や集団の力を増すことによって、集団のなかに歯止めを埋め込もうとする試みである。(p.61)


緊急的な対応とは別に、日常的にこうした取り組みは重要であると思われる。



しかし、現実のいじめを力関係から捉え直してみると、いじめが生み出される前提に脆弱性があるというのではなく、相互作用のなかで、相手の脆弱性が生み出され、そして優位に立つ側の力が乱用されると捉えたほうが、事実に即している。いじめとは相手に脆弱性を見出し、それを利用する、あるいは、脆弱性を作り出していく過程である。(p.76)


ルーマン的な感じ?この捉え方は妥当であると思われる。



固定化が起きるのは、力のバランスが一方に傾いたままの状態が続き、そこに力が乱用され続けているからである。周りの子どもたちや教師による歯止めは、固定化し一方に偏った力のバランスに均衡を取り戻す働きをもっている。(p.77)


この考え方は、よほどひどい状況にまで進んでいない場合には、それなりの効果を持つ対応に繋がると思われる。



すなわち、いじめとは、相手に対して優位な資源を動員して、そこに生じる優勢な力を乱用することと考えられる。
 このように考えると、いじめに対応する場合にも、一歩踏み込み、子どもたちの日常生活の力関係に着目し、背後に潜むパワー資源を探し出し、そこに働きかけていくことがポイントとして浮かび上がってくる。(p.78)


この観点は解決策を見出すのに役立つと思われる。



 いじめにおいて、相手を弱い立場に立たせ、「逃れられないようにして」おく最も効果の高い方法は、集団や関係性のなかに囲い込むことである。完全に集団から外れてしまった子どもに、仲間外しは効果がない。まだつながっていたいと思っていたり、外れる不安感に襲われているときに、攻撃力は高まる。
 学校や学級のような「組織」を逃れることは容易でないが、友人関係は逃れようとすれば逃れられると考えがちである。事実、深刻ないじめに遭っている子どもに、教師やカウンセラーが、いじめる子どもたちとの関係を絶って、別のグループの子どもたちと付き合うよう勧めることがある。しかし、それでも依然として関係を切ろうとしない場合が少なくない。たとえいじめがあろうとも、親密な友達関係は、彼らの居場所であり、それなりに充足感を与えてくれるからである。(p.91-92)


最後の一文はなるほどと思わされた。すでに「居場所」になってしまっている友人関係を切るというのは、意外と難しい場合があるということは理解しておくべき。この場合、別の居場所を作っていくことで切り離しは容易になるであろう。



 いじめが発生することは不可避だとしても、それを抑止する社会と抑止しない社会とがあり、現実にいじめを止められる社会と止められない社会とに分かれる。その分岐点は、いじめ問題を個人化して捉え、対応も個人化するか、集団や社会の全員が関わる問題として公共化して捉え、構成員の役割であり責務として問題の解決に臨むかにある。その違いを作り出すことこそが、まさに教育に課せられた使命といえる。(p.142)


このような方向に社会を進めていきたいものだ。



たとえば、子どもたちが通学路の美化活動に関わる。私たちは、これをボランティアと見なしがちである。だが、これらは厳密にいえば、ソーシャル・サービスと呼ぶべき活動である。(p.192)


なるほど。社会や集団から割り当てられた社会的役割という土台の上に、ソーシャル・サービスがあり、その上にボランティア活動があるという捉え方。参考になる。



 国際比較調査を見ても、日本の子どもたちは、家庭のなかで特定の役割を負うことが圧倒的に少ない。家事を手伝うことも少なく、手伝えばお駄賃を要求する子どももいる。また、勉強することが、あたかも子どもの家庭での役割のように考えている親も多い。しかし、勉強は家族集団を営むための仕事ではない
 こうした日本の子育て風土のなかで、子どもたちは、家族といえども社会集団の一つであり、子どもといえども集団の一員としてしなければならない仕事があるのだ、という認識を育むことがおろそかになっている。(p.193)


確かにその通りかもしれない。現在の日本では共稼ぎの家庭が多くなっていると思われるが、このことはより一層この傾向に拍車をかけるのではないかと思う。親が働いていれば、子どもは自分で家の仕事をしなければならなくなるのではないか、と思うかもしれないが、親が家で家族の仕事をする時間が限られると、子どもにやらせるということはより難しくなる。なぜならば、子どもにやらせた仕事は多くの場合、後始末が生じることになり、より一層の手間暇がかかるからである。どのようにすれば子供に家族や社会の一員としての役割を担わせることができるのか、よく考えて実践していく必要があると思われる。