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明石順平 『アベノミクスによろしく』

日銀の金融緩和って、食欲が全然ない人の前に、思いっきり食べ物を積み上げるようなことだよね。そんなことしたって食べるわけないのに。(p.33)


マネタリーベースを増やせば、人びとにインフレ予想を起こさせ、貸し出しが増えて市中にお金が沢山出回るし、消費も伸びる、と前提されていたが、実際のデータはこのようになっていないことを示した後のコメント。「アベノミクス」で景気が良くなったかのような演出がされるが、自分の生活を顧みると全くそのように感じられないのは、実感の方が正しい(データと整合している)、というわけだ。



 (前略)ところでさあ、なんで直近2年だけ正規社員が増えているの?
 ずっと続いていた傾向が急に変わる背景には、法改正による強制力があると見るべきだね。これは正規社員の推移を男女に分けてみるとよくわかるよ。図5-10の表は、正社員減少が底打ちした2014年と、直近2016年の男女別の正規社員の増加を比較している。
 え?全然違うじゃん。男性は約20万人だけど、女性はその3倍の約60万人も増えてるね。増えた正社員の約75%を女性が占めているということか。これなんで?
 おそらく、労働契約法の改正が影響しているんじゃないかな。労働契約法の改正により、非正規でも5年を超えて雇った場合は、その社員からの申込みがあれば、正社員として雇うことが義務付けられた。
 非正規社員を雇って5年を超えたら正社員にしなければならないということか。
 そう。この法律の影響で正社員が増えたとすれば、男女差が異常に大きいのも説明できる。図5-11のグラフのとおり、非正規に占める女性の割合は約7割で、圧倒的に男性より多いからね。
 なるほどね。この法律改正が公布されたのっていつ?
 2012年の8月10日。つまり、民主党政権の時だ。だから、アベノミクスとは関係ない。(p.109-111)


安倍政権は、自身の政策の成果として求人倍率や失業率が改善したかのように言いふらしているが、それは全く成り立たない議論であることを本書は示している。その点をまとめたものは次の引用文にメモするが、上記は、正規雇用が減り非正規雇用が増える傾向が続く中、2年間だけ例外的に正規雇用が増えた時期についての説明。

この辺りは「悪夢のような民主党政権」という安倍政権による誹謗中傷も、やはり不当なものだということを示す一つのデータであると思われる。



日本は生産年齢人口(働き手)が減っていく傾向にある。
日本は、正規雇用が非正規雇用に置き換えられることにより、雇用をたくさん必要とする雇用構造に変化している。
高齢化の影響で、医療・福祉分野の需要が伸びている。

  以上の3つが重なって、人手不足の状態となり、有効求人倍率や失業率が改善していく。これらはアベノミクスが引き起こした円安とはまったく関係ない。
 だから、アベノミクスの前後で有効求人倍率や失業率のグラフの傾きが全然変わらないということなんだね。

……(中略)……。
モ そう。いろんな数字が「アベノミクスで良くなった」と言われているけど、鵜呑みにしてはいけない。アベノミクス前後で傾向に変化があったのかどうかを見極めなくてはならない。多くの場合、アベノミクスの前から改善傾向が続いている数字について、アベノミクスの「成果」とされてしまっている。(p.112-114)


①については、団塊世代が2007年頃、60歳になり定年退職を迎えたことの影響は無視すべきではないと考える。退職後もすぐに年金が出ないため、65歳まで多くの人が働くとすると、その時期がちょうど2012年であり、安倍政権が成立する時期に当たることは、この政権にとって極めて幸運な(日本に暮らす人々にとっては不運な!)結果となっている。



 まとめると、日銀(量的金融緩和・ETF購入)とGPIF(年金)のおかげで株価が維持されているということか。これ全部やめたらどうなるんだろ?
 大暴落するんじゃないかな。それがわかっているから、やめられない。でも、さすがにいつまでも続けることはできないだろう。
 大暴落したら年金吹っ飛んじゃうじゃん。
 そうだね。GPIFは2016年度に関しては7.9兆円という大きな利益を出した。だけど、そうやって短期的に利益を出した事実は、長い目で見た場合、重視すべきではない。まず、大きな利益を出したといっても、それは「含み益」であるという点が重要だ。……(中略)……。
 利益を出したといってもしょせん仮定の利益に過ぎないし、そのまま株を持っていても、やがて暴落して大きく損失を被ることが待っているということか。そう考えると確かに意味ないね。それ、結局ほぼ間違いなく年金吹っ飛ぶってことじゃん。(p.136-137)


年金などを株価の下支えに利用している点は、私も以前から苦々しく思っていたが、安倍政権に一貫しているのは、自身が権力を握っている間にだけ都合がよければよく、それ以後のことなど何も考えていない(むしろ、あとの時代を混乱させることで、自身の政権がよかったかのような誤解を広げようとしている)、という振る舞いである。このような権力者側の欺瞞的な態度に対して日本の社会全体として拒否反応があまりに小さいことに問題を感じる。



そして、はっきり言えるのは、円安も円高も行き過ぎると害があるから、ちょうど良いところでバランスを取らないといけない。だが、アベノミクスは明らかに行き過ぎた円安を引き起こし、賃金上昇を伴わない悪性インフレを招いて国内需要を冷え込ませ、経済を停滞させたと言えるだろうね。(p.145)


本書が出たのは2017年10月であり、2018年末頃に問題となった統計不正問題が問題化される前のことである。統計不正問題に対する野党の追及の中で、実質賃金の補正した値について安倍政権は実質賃金の数字は当面出さない対応としたが、これは政権に都合の悪い数字だからであろう。この疑惑を払拭する責任(これが説明責任である)は政府にある。すなわち、政府が疑惑を払拭できない限り――これとは別の解釈が可能であり、その解釈の蓋然性が高いと専門家を含めた大多数の人が思えるだけの具体的な事実を政府側が示さない限り――、そうであることを前提として政府の政策を評価すべきである。



ブラック企業は違法なサービス残業をさせて賃金をごまかしているけど、これは経営者が労働者から賃金を盗んでいるのと同じだからね。(p.166)


サービス残業とはこのようなものであるという認識は重要。





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阿部泰尚 『保護者のための いじめ解決の教科書』(その2)

いじめという言葉で片付けられている行為の多くは、大人であれば立派な犯罪になる。
 暴力をふるえば暴行、ケガをさせられれば傷害だし、SNSでの誹謗中傷は名誉棄損だ。人の持ち物を隠したら窃盗、壊したら器物損壊。仲間外れは、罪状はつかないかもしれないが人権侵害といえる。これらの被害に遭ったら、本来、警察に相談するのは当然のことなのだ。(p.129)


この認識は重要。また、大人の社会で問題視される各種のハラスメントと、加害者や被害者が置かれた環境が異なるだけで本質はほぼ同じとも言ってよいだろう。

ある程度はっきりした被害があり、証拠もある程度あるような状況であれば、警察への相談という選択肢は排除すべきものではない。



 犯罪に相当するいじめを行った子供が、その行為にふさわしい罰を受けることなく生きていくとしたら、加害生徒は犯罪の成功体験を持ったまま成長することになる。そのような子供たちに対して、強制力を持った警察という組織が出てくることで、「同じことを二度としてはならない」と教えることは本人たちのためにもなるのだ。(p.134)


加害者側を罰するという視点は、純粋に教育の観点からは出てきにくいが、ここで述べられている論理はもっと語られてよいものではないか、という気がする。ただ、実証的に見て、警察が出てくることの効果が、この論理のとおりかどうかという点は気になるが。



 大人が意識しなくても子供たちに伝えている価値観、「……でなければならない」の元を辿ると、テレビなどでも盛んに使われる「勝ち組」と「負け組」という言葉に行き着くと私は考えている。なにが勝ちでなにが負けなのか、その基準は、本来曖昧だと思うのだが、大人の世界では、「勝ち組」「負け組」は、お金持ちかそうでないかで語られ、その価値観が子供に伝染する。
 子供が、お金持ちは「勝ち組」で、そうでなければ「負け組」と思い込んでいるとき、そのことを(時には無意識のうちに)教えているのは、自分は勝ち組だと思っている親だ。
 親が、子供のクラスメイトの親を名指しして「〇〇さんは勝ち組だ」とか「〇〇さんは負け組だ」と口に出して言うことはないだろう。しかし、「……でなければならない」という思い込みが強く、自分が勝ち組だと思っている親は、知らず知らずのうちに、大人同士の会話の中で、「あの人」は社会のどのあたりの層に属するかを判断する方法を子供に伝えている
 ……(中略)……。
 その結果、子供の世界では、「勝ち組」は「負け組」を見下してもいいんだという空気が生まれやすい。そうして、子供は自分とは違う層に属していると判断したクラスメイトをいじめる。(p.162-163)


この議論を読んで、『ネット右翼とは何か』において、自営業、経営者、IT関係の専門職にはネット右翼(的なもの)が多いことが指摘されていることが想起された。

特に自営業や経営者については、自分を「勝ち組」と認識している人や「『勝ち組』でなければならない」と思っていたり、あるいは「『勝ち組』でありたい」という願望が強い人が、比較的多いのではないか。また、いずれの職種もプレッシャーが比較的強く、心理的に追い詰められた状況になりやすいように思われるが、そのような状況にある人は「……でなければならない」という思考になりやすいと推察される。

以上で言いたいことは、「ネトウヨの親」と「いじめる子供」とは親和性があるのではないか?ということである。

どちらも排外的であり、差別的であり、攻撃的であり、その上、自分が悪いことをしていることを特定されないように逃げながら他人を攻撃することを楽しむ。



 よく小学校の掲示板などで見かける、「みんな仲良く」というスローガンもいじめを助長しかねない。「みんな仲良く」は子供たちにとって絵空事すぎて、まったく心に響かないのだ。おまけに、「みんな仲良く」は「みんな同じ」という意味にとられやすく、結果的に、みんなと同じではない子供の排除を助長する。(p.167)


確かに。絵空事すぎて心に響かないという点にまず共感する。私自身が子供だった頃にもそのように感じていたように思う。

しかし、それでいて一定程度の規範性を持っていることは感じられる言葉でもある。この言葉が「みんな同じ」を是とする価値観と繋がりやすいという指摘も妥当であると思う。


阿部泰尚 『保護者のための いじめ解決の教科書』(その1)

 文部科学省のガイドライン(平成25年「いじめの防止等のための基本的な方針<平成29年3月改定版>」でも、いじめ行為が少なくとも3カ月止んでおり、かつ被害児童生徒が心身の苦痛を感じていない場合にいじめの収束と判断するとしている。(p.35)


3カ月以上いじめ行為が止まっていることを確認するためには、だいたい一つの学期くらいの期間は様子を見続けなければならないということになる。



 通常、加害生徒の態度には大きな違いがある。このときもそうだったが、いちばん積極的にいじめていたリーダー格の生徒が、淡々としていて無表情であることが多い。リーダー格の子が泣きながら謝るケースもないことはないが、頻度でいえば、リーダー格の子が、いちばん感情がこもらない話し方をする
「謝罪の会」では基本的に加害者側の親の発言は求められない。加害生徒らが謝罪の言葉を言い終わると、今度は、被害者側のお母さんが発言した。
「謝罪は謝罪で聞きましたが、まだ本人(被害生徒)は若いですし、これで、いじめが行為として終わることを期待します。でも、この子の中ではまだ終わっていません
 この台詞は、実は、お母さんと私で事前に打ち合わせしたものだった。
「謝罪の会」は開かれたけれども、これですべてが終わったわけではないということを、しっかりと加害生徒側と学校に印象づけたかったのだ。……(中略)……。
 このときも、先生からお母さんに対し握手してはどうかと提案があったが、私は事前に、握手を求められたら断るようにとお母さんに伝えていた。被害を受けた子の心は癒えていないのだから、「謝罪の会」を学校にとって都合がいい「和解の会」にしてしまってはいけない。(p.38-39)


加害者のリーダー格の子は謝罪の際にもいちばん感情がこもらない言い方をするというのは興味深い。積極的に加害行為をしていたということは、より強く明確な悪意を持っていることが反映しているのかも知れない。または、一般的に被害を受けた人に対する感受性(共感能力)が弱い人間であるために、謝罪にも感情がこもらないのかもしれない(それゆえ共感能力が高い子どもよりも容易に他人に対して悪意を抱きやすいため、前者の理由に繋がっているのかも知れない)。あるいは、リーダー格の人間は加害者コミュニティの中での序列が高いため、コミュニティ内での序列が低い者がいるところでは、序列の低い者には弱いところを見せられないという力学が生じているのかもしれない。こうした事態に関する研究というものはどこかにあるのだろうか?

また、「謝罪の会」を学校にとって都合のいい「和解の会」にしてはならない、という指摘は被害者の視点から見て非常に重要であると思われる。



たとえば、わが子は3カ月前と今ではどう違うだろうか。半年前と比べるとどうだろう。子供は日々成長するものだが、その変化をあなたは正確にとらえることができているだろうか。子供のことをきちんと見ていない親が多すぎるというのが、ユース・ガーディアンでの事例から受ける私の印象だ。(p.90-91)


確かに、子どもの状態を日時を含めて詳細に変化をとらえられるほど、よく見ている親というのは少ないだろう。子供の年齢などによっても違いがあると思うが、子どもの世話をする必要がある比較的小さな子供について言えば、観察することよりも日々の必要を満たすために大きな労力を使ってしまうという要因があり得る。また、数カ月前の状態を覚えておくことが、今の子どもの必要にこたえるためにはそれほど頻繁には役立たないため、過ぎ去ったことについてはあまり記憶するインセンティブがないといったこともある。世話をせずに観察と記録に専念できるような人であれば、3カ月前と現在の変化を捉えることもできるかも知れないが、日常の世話をするという大仕事がある以上、なかなかそこまで理想的なことをできる人は多くないだろう。

とは言え、理想的な状態は容易ではないといしても、子どものことをきちんと見て状況や傾向を把握するということは重要だと思う。特にいじめにあっている疑いがあるのであればなおさらである。



 学校に行けなくなった子というのは、心を壺にたとえるなら、もうストレスでその壺が満杯になってあふれ出している状態になっている。ひとりで家に置いておくと、自傷行為が始まる危険性もある。自傷行為は馴れない子が行うと致命傷になることもあるので、子供が自宅にいる間は、どちらかの親が一緒にいてやることが望ましい。
 もちろん本人が、体調が悪いから学校に行かないという場合は、仮病の疑いがあったとしても、親は全面的に信じたふりをして病院に連れて行って検査をさせたほうがいい。本当に病気だという場合もありえる。検査の結果、なにも異常がなくても子供を咎めてはいけない
 学校を休むことで、子供は心のストレスを少しだけ減らすことができる。しかし今度は、本来は行くべき学校に行っていないという理由で、本人が無言のプレッシャーを感じるようになる。2、3日経てば、「嫌がらせをしてくる奴がいる」とか、「先生と折り合いが悪い」とか、行かない理由を語り出すかもしれない。(p.97)


不登校に対する親の基本的なスタンスがコンパクトにまとめられており参考になる。



「学校に行ったらいじめられるから、行きたくない。それはよろしい。分かったよ、行かないことはいい。が、勉強はしよう。学校にいなかければ成績が下がる。もちろん人間、学校の成績がすべてではないといっても、成績が下がれば、将来きみが困ることになる。いじめられて成績まで下げられてしまったのでは、たまったものではないではないか。そうだろう?」(p.98)


不登校の子に対する適切な助言。




藻谷浩介 『世界まちかど地政学 90ヵ国弾丸旅行記』(その2)

 台湾高鐵は、これまでのところ海外で唯一、日本の新幹線方式(在来線と完全に分離された高速軌道を専用の電車が走行する)を採用した高速鉄道として知られる。それに対して韓国や中国は、欧州同様、在来線の駅を使いつつ途中区間で専用軌道に乗り入れて行く方式を採用した。
 高鐵が新幹線方式を受け入れたのは、「台湾人が親日的だから」と説明されることが多いが、実際の理由は台湾の鉄道の状況が日本と似ているからだろう。台鐵は日本の在来線と同じ狭軌(軌間1067ミリ)であるために、標準軌(同1435ミリ)である新幹線車両の乗り入れができないのだ。だからこそ専用軌道を一から建設するしかなかったし、そうであれば独立したシステムとした方が混乱が少ない。
 新幹線方式には他にも、事故が少ない、高頻度運行ができるなどの特色があるというが、次回以降に紹介する韓国や中国でも言われるほど事故は多くないし、中国では線によっては日本同等の高頻度運行が行われている。台湾高鐵の運行本数も、韓国や日本の九州新幹線、北陸新幹線などと同レベルで、中国の北京-上海ほどではない。(p.175-176)


適切な評価と思う。



 より構造的な問題は、台中、台南とどんどん客席が空いていくことだろう。旅客流動が対台北の一方向で、全線通しての乗車効率が悪いのだ。これは日本で言えば、上越新幹線や、東北・北海道新幹線の仙台以北と似ている。
 とはいえ繰り返すが、台中や高雄は福岡や札幌、台南は広島や仙台と人口で同規模なのだ。九州新幹線がそうであるように、台北以外の都市の相互間にも、本来はかなりの移動需要があるはずなのである。うまくつかめば、乗車効率はもっと改善するはずだ。
 そこを取り逃している元凶は、台北以外の全駅が、まるで岐阜羽島駅のように都心から30分内外も離れた位置に設けられていることだろう。都心に駅のある台鐵を使えば、たとえば台中-高雄は一時間に一本の特急で二時間半少々、1800円程度。高鐵なら一時間だが、3000円するうえ、駅までの交通手段の料金と時間が別途かかる。それどころか台北-台中であっても、毎時二本の特急で二時間内外、1400円程度で行けるのだから、値段が2700円程度で台中駅から台中市街まで30分かかる高鐵の競争力は弱まる。
 このような設計は、台鐵の経営への悪影響を減らそうとしたのか、新駅周辺への土地投機でもうけようとした勢力が暗躍したのか、いずれにせよ高鐵の利用を減らす方向に働いた。しかも新駅周辺の開発は軒並み進んでいない。日本でも新幹線の新駅の周囲で、歩いてみたくなるような魅力のあるまちづくりに成功した事例は、古くは新大阪や岐阜羽島から、最近の上越妙高、新高岡、新青森、新函館北斗に至るまで皆無ではないか在来線に乗り入れない新幹線方式は、都心駅への直接乗り入れとセットでこそ真価を発揮する方式であると、台湾高鐵は改めて教えてくれる。(p.184-185)


私は日本の新幹線にはあまり乗ったことがないが、知っている範囲の日本の新幹線駅と台湾高鐵に乗った経験と合致する。



 いずれにせよ以上は、戦前の大日本帝国が、島である台湾には日本と同じ狭軌の鉄道網を構築し、大陸である朝鮮では満州とシームレスにつなげられる標準軌の鉄道網を拡張した結果なのだから、今の日本人があれこれ文句を言うべき筋合いはない。当時から日本人自身が、島国向けの方式と大陸向けの方式を使い分けていたのである。(p.192)


意図的に使い分けていたのかどうかは、やや疑問がある。日本と台湾では建設コストなども考慮して狭軌としたのに対し、大陸では他の地域と接続できる可能性を考慮して標準軌としたことで、島国と大陸とで軌間に相違が出たといったところであろう。



 中国政府が、この高速鉄道システムを「中国製」と称して世界各地に売り込んでいることは、日本で強く批判されている。だが、これはある外国人が以前から指摘していたことだが、日本人が「日本の優れた新幹線システム」と力めば力むほど、外国人は買わないだろうというのだ。言えば言うほど、「あのマメでクソ真面目な日本人でなくては運用できないシステム」と聞こえてしまう、というのである。その点(中国人には失礼だが)「中国で広範に定時運行しているシステム」と聞けば、「自分たちにんも使えるかもしれない」という印象を与えやすい。だからといって、他国から導入した技術を組み合わせて、「中国製」と売って歩くのはいかがなものかとは思うが、商売は客の側から考えなくては、売れるものも売れなくなるということは自覚しておいた方がいいだろう。(p.202-203)


「日本の優れた新幹線システム」と力むことが外国の顧客に違和感を感じさせるという点には共感する。そもそも技術は国に属するものとは言えない。ところが、日本では自国中心主義的な見方を強調する形で「日本の優れた技術」とやたらと言われる。しかし、このような見方は外国では受け入れられないのではないか。これでは「日本」は優れており、外国(顧客の国)はそれより劣ると言外に言っている形になるからだ。顧客の気分を害するメッセージが付属した売り方…。



 筆のついでに日本の地政学的位置に言及しますと、良くも悪くも(多くの場合には圧倒的に良い意味で)「他の世界から放置されやすい場所」です。戦略的要衝性のない世界の東の果ての島嶼群で、天然資源にも乏しい。そのくせ地形と気候の妙から農業生産力が高く、歴史を通じてむやみに人口が多かったために、ますます誰も侵略に来ない。元寇は、鎌倉幕府本体が出て行くまでもなく九州の地侍に追い払われてしまったし、大航海時代のスペインも、戦国大名に比べればあまりに軍事的に劣勢で、城一つ設けられませんでした。中国や朝鮮に至っては、文字記録が残る時代になって以降、倭寇討伐に対馬に来たのを除いて一度も軍隊を送って来ていないのです。
 日本から仕掛けて占領されたのが第二次大戦でしたが、これは「群島にある単一言語国家」という地政学的メリットをわきまえずに、半世紀ほど帝国主義の真似をして大陸を侵略した結果の、日本人の歴史上最大の失敗だったと思われます。戦後には軍事ではなく欧米アジアを結ぶ海上通商に徹することで、逆に空前に繁栄しますが、これこそ地政学的位置を最大限に活かした妥当な道だったのです。
 そういう構造を踏まえずに、中国にとって日本がさも重大な位置にあるように騒ぐのは、内田樹氏が指摘した「日本の辺境性」のなせる業ではないでしょうか。辺境国・日本の中にこもって、日本語しか話さず、行ったこともない他の世界のあり方を勝手に解釈するのは、地政学ではありません。(p.258-259)


概ね同意見。冷戦時代に沖縄がアメリカにとってそれなりに重要度があったことなど、ここで述べられた見解と多少異なる側面があることは指摘できるかもしれないが、戦略的要衝性は基本的には高くはないし、人口が多かったため侵略されなかったという点も妥当。日本ほどの人口がなかった台湾にはスペインやオランダが拠点を築き、島の一部を支配した時期があったことなどを考えても、日本はそれより遠いというのもあるが、軍事的に見た拠点の築きやすさという観点からも納得できるところだろう。



「核の傘」論とは、米国が原爆を落とした原罪を正当化するために無理に作っている議論、現実主義的な考え方の対極にあるイデオロギーだという面が多分にあります。それにかぶれるのは、北半球のいわゆる先進地域しか見ていない人なのではないでしょうか。地球全体を俯瞰し、過去の歴史と今の地理を虚心坦懐に学べば、先入観で凝り固まった世界観がどんどん溶けて消えて行きます。(p.263)


興味深い見解。


藻谷浩介 『世界まちかど地政学 90ヵ国弾丸旅行記』(その1)

 英国では1994年の国鉄分割民営化の際、「上下分離」方式が取られた。路盤と軌道は全国一括で国有の公益法人が所有・管理・保全し、車両の保有と運行は数多くの民間企業が競争して行っている。
 税金で整備・管理される道路の上を走るバスや自家用車との、競争条件同一化(イコールフッティング)が図られているわけだ。おかげでJR北海道の路線廃止問題のようなことは起きないし、車内は清潔でインテリアは近代的、PC電源も完備だ。(p.61)


上下分離方式がバスや自家用車とのイコールフッティングというのは、それなりに筋が通っている。民営化は基本的に好ましくなかったが、やるならせめてイギリスのようなやり方でやってほしかったものだ。それに引き換え、日本の国鉄民営化は地方を切り捨てるためにやったようなものである。



 首都圏への一極集中という、世界の先進国では日本と韓国でしかおきていない珍しい現象を、当たり前と思い込んでいる日本人には、浜松や静岡程度の大きさの都市で金融、情報、芸術の集積が高まっているという状況を、あるいは理解しにくいかも知れない。(p.69)


これはグラスゴーに関するコメントだが、確かに、日本では一極集中が当たり前と思っているかも知れない。ここからは、日本と韓国では一極集中が起きる原因は何なのだろう?という疑問が生じる。他国と比較してどのような条件が異なっているのかは気になるところ。



 第二次世界大戦は、化石燃料の産地や交通の要衝の争奪戦でした。ですが、化石燃料の出ない日本が戦後に大発展し、世界最大の原油埋蔵量を持つと言われるベネズエラが南米の最貧国に陥りつつある現実をみてもわかる通り、資源は買えばいいのであって、それよりも平和を前提とした貿易システムの中で勝者にならねばならない。そのためには、資源地帯だの交通の要衝だのを占領して経済制裁を受けては元も子もない。だから米国は占領地からは基地を除いて撤退しますし、中国も無人島や租借地での拠点構築はしますが、有人領土の侵略はしません。今の日本には、21世紀のこういう歴史的、地政学的変化を、理解できていない人があまりに多すぎます。(p.134)


藻谷の地政学的な見解の中でも重要な要素が語られている箇所。基本的な方向性としては私も同様に考える。



 地理を考えないと歴史の把握も難しくなります。たとえば邪馬台国論争ですが、魏志倭人伝の順路の記述は、対馬―壱岐―松浦郡―糸島郡―博多湾まで地理の教科書のように正確なのに、その先はまったくアバウトになる。もし邪馬台国が大和だとすると、なぜその途中にも数十はありそうな国への言及がほぼないのか。大阪湾から大和まで陸行一カ月というのも無理がある。つまり博多から先の記述の信頼性はがぜん低いわけですが、地理感覚なき文献史学では、博多までと区別なく金科玉条と扱ってしまいがちです。
 逆に歴史を勉強していない人が外国に行って書くことは、「建物がこんなにきれい」とか「ご飯がこんなにおいしい(あるいはまずい)」とか。どうしてこのような建物が建っているのか、どうしてこのような料理が生まれたのかという歴史的な経緯にまったく触れていない文章は、読んでいて面白くないのです。(p.135)


「地理は歴史の微分、歴史は地理の積分」との主張にも共感する。



 つまり、「“犬棒”能力」とは気づく力でもあるのですね。その際のコツは、「なぜここにこんなものがあるのか」と、頭を素にして考えること。そしてそれ以上に、「なぜここには、他所にはある〇〇がないのか」と考えることです。あと、強いて言えば、インフラのメンテナンスの状態は、国情をよく反映するのでチェックします。また、政府が外国人に見せたがる、劇作家・評論家の山崎正和の言葉を借りれば「グラマラス」な場所と、その対極にある庶民の住む場所を比較するようにしています。(p.136-137)


犬棒能力は、鍛えてみたい。旅行以外でも絶対に役立つに違いない。

また、グラマラスな場所と庶民の住む場所の比較は、確かにやった方がよい。権威主義的な国では表側のグラマラスな場所も、そのすぐ裏に入ると、もう別世界ということも多い。このように、グラマラスな場所と庶民の住む場所がどのような位置関係にあるかということも結構重要だったりする。


NHK「ブラタモリ」制作班 監修 『ブラタモリ5 札幌 小樽 日光 熱海 小田原』
札幌

 キャンパス内の北西に向かうと、第一農場(P13ⓓ)があります。……(中略)……。
「北大では、クラーク博士に続く外国人教師が、農地の排水技術をここから始めていったんですよ」と古沢さんが見せてくれたのは土管の写真です。(p.16)


札幌が200万都市になることができた要因のひとつとして、本書では低湿地の排水により宅地化を進めることができたことを挙げているが、北大の第一農場あたりが、その最初の場所(のひとつ?)だったとは。ただ、札幌の扇状地と低湿地の境目が北大キャンパスの中央ローンの少し北あたりにあるらしいということを踏まえると、そのことも見えやすくなった。



 すすきのの交差点に立って、周囲を眺めると……。歩道の幅が途中で変わっています。交差点をはさんだ2区画の約200m分だけ建物が引っ込んでいて、建物沿いをまっすぐ行くと、その先の区画のビルに突き当たってしまうのです。
 ……(中略)……。
 このへこみの部分にあったのは土塁。歓楽街で、土塁で囲まれていたところといえば……。
「遊郭だ」とタモリさん。(p.19-20)


現在ラフィラのある南4条西4-5丁目あたりの歩道。なるほど。すすきのに開拓使により官設の遊郭が作られたのは有名な話だが、未だに痕跡が残っているとは知らなかった。



 わずか150年で札幌が200万都市になったのには、世界規模での歴史的・地理的背景もありました。
 17~19世紀の地球は小氷河期のピーク。薪用に森林を伐り尽くしたヨーロッパに、木材と毛皮を売ることで力をつけたロシアは、次にアジアとの交易をもくろんで船を向かわせます。また世界地図の空白域だった北海道に、黄金の国ジパングを探すヨーロッパの船が来る。鯨油と交易を求めるアメリカ船も日本をめざす。一方、日本では次々に発生した大飢饉を受け、寒冷気候に適応する作物を研究栽培するため、欧米列強に収奪される前に蝦夷地の開拓を急ぎました
 それが、明治時代からの急発展の裏にある大きなポイント。(p.24)


なるほど。ロシアの進出に対抗するために北海道(蝦夷地)の開拓を急いだという話は、北海道の歴史を語る際によく言われることだが、さらに小氷河期という長期の歴史的な背景まで加えると、全体の流れがさらに見えやすくなる。日本側の要因としての寒冷気候に適応する作物というのも、説明として興味深い。(短期的な動きではもっと重要な要因もあったとは思うが。例えば石炭などの資源とか。)



小樽

 ニシン漁で栄えた町は北海道の日本海側にいくつもありました。小樽が格別に発展したのは鉄道があったからです。(p.49)


小樽の歴史を語る時、鰊漁で栄えたという話はよく語られる。ただ、それだけであれば、北海道の日本海側の多くの町と大差はない。小樽が明治から昭和初期の北海道にとって特別だったのは、港と鉄道の組み合わせがあったからである(と、引用文を補足してみる)。港はあまり観光資源にならないのであまり語られない。ただ、港湾を活用するための手段として運河が作られたこと(ほとんど活躍する前に時代が変わってしまったが)などと結び付けて上記の点を理解できると(運河-港湾-鉄道)、多くの旅行者にとって小樽の旅はより興味深くなるだろう。



 石炭の時代が終わった頃から、小樽は衰退への道をたどります。経済の中心は札幌に移りました。決定的だったのは昭和38年、苫小牧に広い埠頭をもつ新港ができたことです。(p.49)


なるほど。石炭の時代が終わったことで、幌内鉄道も有用性をかなり失い、港の価値もかなり減った。上で述べた二つの組み合わせが価値を失ったことで、小樽の他の地域と比較した優位性は失われた。冷戦時代になり大陸との交流や貿易は減り(韓国も当時はまだ貧しく)、アメリカとの関係がより重要となっていく中で太平洋岸に日本の中心はシフトしていく際に、北海道では苫小牧が新たに台頭していく。と同時に小樽は衰退していく。

経済の中心が札幌に移るにあたっても、石炭の時代が終わったことが札幌の巨大都市化を推進した面がある。空知などの炭鉱が閉山していく中で山を降りた人びとが札幌に移っていったことで、札幌への人口集中が進んだ。これを受け入れる余地を作ったのが低湿地・泥炭地の排水であり、それにより開かれた北区、東区、白石区などのエリア、という感じであろうか。


倉橋耕平 『歴史修正主義とサブカルチャー 90年代保守言説のメディア文化』(その3)

「つくる会」の藤岡信勝が「専門家の時代の終わり」を告げたように、アマチュアリズムの知性は、エビデンスに基づかなくても目の前の「ディベート」に勝ちさえすればいいという知的態度を推奨していった。それは実は「論破」に至らなくても(マウントをとって屈服させなくても)、有効な言葉を繰り出し、相手の主張を相対化することで価値を得られるゲームである。(p.221)


確かに、こうした「アマチュアリズムの知性」にとって、エビデンスに基づく科学的な知識を持っている側の「まともな知識人(専門家)」は、権威であり、正当な知識を持つ者として、その分野では他の人より一段上の者として扱われる人である。それに対して、「アマチュア」が相手の主張を相対化できれば、それと同列のレベルにあるかのように振舞うことができる。

このゲームにおいては、「アマチュア」は依って立つほどのものを持たないがゆえに、失うものがない駒であり、このため容易に負けることがないゲームである。「非専門家である」ということが、このゲームにおいては、相手(専門家)を攻撃するための土台であると同時に、自分を守る殻でもあるという構造になっている。このような安全地帯から無責任は言葉を放ち続けることができるという構造は、「商品化された言説」を、それが批判により否定されても繰り返し同じ主張を続けることと結び付いているように思われる。(なお、ネトウヨとやり取りをする際も、こうした構造的な力が働くように思う。)

こうしたゲームのルールを明らかにしたことは本書の功績であるように思われる。

余談だが、80年代から90年代頃にポストモダニズムなどと呼ばれて一部では人気があった思想について、私はその頃から違和感を持っていたが、ポストモダニズムの相対主義は、上記のようなやり方が歴史修正主義や右派の側に取り入れられていくにあたって、追い風になったのではないか。ポストモダニズムの中でも左派的な主張では、権力側を相対化することで人々の側に権利を取り戻せるかのような考え方がないとも言えないと思うが、今度は同じやり方を権力側(右派や反動側)が取り始めたことで、その手法の持つ位置価は大きく変化している。このやり方は権力側から使った方が効果が大きいやり方であり、安倍政権は、ここ20年ほど続けられてきた右派によるポストモダニズムの取り込みにより得られた「論破マニュアル」(より正確に言えば、ゲームで負けないためのマニュアル)を非常に有効に使っており、マスメディアやリベラルな知識人たちなども、それに対して有効な対処ができていないように思われる。(なお、同じやり方を使うなら政権側が有利なのだから、メディアやリベラル派は不利なゲームを強いられている、ということは付言しておきたい。安倍政権がとっている手法はそれ自体としては難しいものではなく、何らの特別な能力や卓越性を必要とするものではない。)



 本書では、歴史修正主義の「知」そのものの特質について、次の二つの側面を実証した。第一に、「相対主義」を絶対化するコミュニケーション様式である。ディベートの方式がまさにそれだったように、自説を主流派の説と同じ俎上に載せることで、たとえそれがマイナーな説であっても同じ水準で議論するための格上げを可能にする。そのうえで、相手の意気をくじくための知識だけでもって、思想の言葉をもてあそぶ。「相対主義」の絶対化は、個々の議論に付随しているはずの重要度や客観性を等閑視させるのである。第二に、正当化の「偽装」である。歴史修正主義は、実際のところ「事実」や「議論の新奇性」には興味がなく、手続き上正当化できない「歴史」への言及を、消費者の参加と商売を成り立たせるメディアの制度を利用してあたかも正当なものであるかのようにして通用させる。第3章で検討したように、「論壇」といういかにも理性的なメディアの姿を装って。(p.229-230)


前者の部分はこれまでも気づかれることが多かったが、後者に関連することを明確にしたことが本書のよいところであろう。本書は、多くの人に推薦できる良書である。


倉橋耕平 『歴史修正主義とサブカルチャー 90年代保守言説のメディア文化』(その2)

 歴史否定論の性格をもつ歴史修正主義が、保守や右派と結び付くのは、その歴史観(修正の仕方)が自国の戦争責任を否定し、復古主義的な側面をもっているからである。そもそも「保守」とは現実主義路線であり、現状の秩序を過去から存続するものと捉え、急激な変革に対して慎重路線をとる立場である。他方、「右翼」とは過去をまなざし、現在では失われた過去の価値や規範を持ち出して(復古的に)現在の変革を求める立場を指す。その場合、おおむね愛国主義になることが多い。このように、保守や右派(右翼)は、過去への関心から成り立っている側面は否定できない。そのために自国にとって不都合な歴史を否定する立場をとる歴史修正主義は保守や右派のイデオロギーと連動する傾向にある。(p.23)


なるほど。保守や右派が歴史修正主義と相性が良いのは、ここ30年ほどの歴史を見ると容易に見て取れるが、「過去への関心」が共通点としてあるという整理は興味深い。

ただ、現在の日本では、「保守」を名乗る人の多くは、実際には「反動」として規定されるべき立場であることが一般的であると思われ、急激な変革を求めないという保守の立場とは相容れない点が多い。むしろ、権利の拡張を要求するリベラルや左派を否定し、個人の平等や権利を縮小し、いわゆる「国家権力」を肥大化させる方向にできるだけ早く変えていこうとする立場として捉えた方が良いのではないか。その意味では、「保守」と名乗っている人々については、実際には、本書のこの個所で規定されている「右派(右翼)」の規定で捉えた方が妥当であるように思われる。



 保守言説の「商品」化の背景には、メディア市場の経済的な事情が影響している。「産経新聞」はたびたび経営難に陥っていて、1997年にフジテレビが上場するといよいよ資金援助を受け難い状態となった。2002年には夕刊を廃止し、その後も赤字決算の計上によってリストラを実行している。フジサンケイグループが「歴史問題」の積極的なキャンペーンを開始したのは、まさにこの経営不振の最中、1997年である。そして、他紙に比して極端に右派寄りの紙面を展開していく。その結果、斜陽産業と言われ、他紙が軒並み発行部数を落とすなか、現状維持したのは「産経新聞」だけだった(とはいえ160万部弱で全国紙としては最下位、「読売新聞」の五分の一程度である)。(p.66-67)


ニッチ市場としての「保守言説」の市場がこうして開拓されていく。批判を受けて否定されても、同じ議論が金太郎飴のように延々と垂れ流される理由のうち、いわゆる「保守言説」が、「思想」というよりは、こうしたニッチ市場で売れる「商品」だから(それにすがらざるを得ない経営難のフジサンケイグループなどの状況が背景にある)、というのは、かなり大きな割合を占めていると思われる。本書はこうした側面に切り込んでいるところが特徴であり、参考になったところ。

こうした戯言が、これほどまでに影響力を強めるとは、20年前の私には想像もできなかった。(この頃、私の周辺の友人たちはある種の危機感を覚えていたが、彼らは慧眼だったと思っている。)



 インターネットの動向はどうか。一時期、インターネットのニュースメディアはフジサンケイグループであふれていた。正確に計量することはできないが、「産経新聞」「夕刊フジ」「サンケイスポーツ」の記事が比較的多くネット上に流通しているのは、産経新聞社が経営不振からいち早く記事の無料公開に踏み切ったことによる。特に、2007年にマイクロソフトと提携してニュースをユーザーに無料で読めるようにしたことは話題を集めた(2014年まで実施)。翌08年にはiPhone向けのスマートフォンアプリを無料で公開した(2016年に有料化)。ほかの新聞社がwebサービスを一部有料にし、紙媒体の購読料から得られる利益を守る方針で運営したのに対し、産経はニュース記事を公開することでインターネットの特徴である無料コンテンツ文化に適応していった。こうした市場の力学の結果、ネットニュースという言説空間でのフジサンケイグループの発信力・占有力は、いまなお一定の割合で保たれている。(p.67-68)


ここで指摘されていることは、ネトウヨ的な勢力を一定数維持・再生産するような極めて問題のある構造である。これは改めていく必要がある事態であるが、どこから手を付けるのが良いか?



「ディベートは、次のような不誠実な思考を生徒にしいている。<相手に勝つという自己の目的のためには、目的達成に都合がいい事実だけをつまみ食いすることが許される。逆に都合の悪い事実は出来るだけ避ければいい>という思考である」(p.120)


これは池田久美子の指摘を本書が引用している部分だが、かつて右派が持ち上げたディベートに対する的を射た批判である。

さらに言えば、安倍政権あるいは安倍晋三という政治家の言動とこれほど一致する姿勢はないのではないか。例えば、森友問題、加計問題や、現在追求されいている「桜を見る会」などで様々な質問がされても、質問に答えない姿勢も、上記引用文の姿勢と完全に一致している。GDP統計などの不正・不当な改竄とも言うべき改定なども同じである。


倉橋耕平 『歴史修正主義とサブカルチャー 90年代保守言説のメディア文化』(その1)

「専門家」の共同体から疑義が呈されていてもなお歴史を書き換えようとする彼らはそれを繰り返し主張し、「出典」と「引用」をあげ、反論の根拠を要求する「論戦」を続けている。とりわけ、こうした論戦では「論破」への過剰なフェティシズムが垣間見られ、執拗に他者を追い回し、マウントをとるまで議論を吹っかける実践が日々繰り返されている。(p.10)


「論破」への過剰なフェティシズムという表現は、「右翼」「右派」「保守」などと呼ばれる「反動」的な言説を垂れ流す輩の特徴の一つを非常に的確に捉えており参考になった。



 歴史修正主義の著作は、すでに数多くの批判にさらされている。……(中略)……。彼らを「知的に取り合う必要がない」として棄却することは、豊富な知識をもつ者がとるべき妥当な態度なのかもしれない。だが、それでいいのか。内容の正否を問わず歴史修正主義の言説が広がっているならば、その拡散の方法こそ考えるべきではないだろうか。私は、むしろそこに彼らには彼らの「知性」と呼べるものがあるように思うのだ。(p.10-11)


本書はこの切り口でアプローチしているのだが、確かに言われてみればそうかも知れないと思わされた。非常に良い着眼点だと思う。明らかに間違っている言説が、壊れたテープレコーダーのように同じことが繰り返し語られ続ける。どんなに内容に対して批判があってもほとんど影響を受けずに同じ言説が繰り返される。それは何故なのか?語られた内容ではなく「どこで、どのように」語られたかに着目することで、こうした疑問にアプローチすることで、その理由が見えてくる。



「言論」や「言説」などと呼ばれるものは、少なからず存在の様式に内容を規定される。メディアは、ジャンルのルールをその形式から規定する。各メディアで異なるコミュニケーションのあり方、消費者の参加、デザイン、すべてが「メッセージ」である。もし歴史修正主義者に学術的批判の声が届いていないとすれば、そもそもまったく別のメディアに掲載される彼らの情報の存在様式やコミュニケーション・モードが批判者のそれとは異なり、別の論理で動いていることを意味している。
 本書が問いたいのは、この部分である。すでに述べたとおり、歴史修正主義の主張は学問のフィールドでは共感も評価も得ていない。学術出版社も距離を置いているのが現状である。他方で、歴史修正主義と親和性が高いのは、本書のなかで扱うビジネス系の自己啓発書、保守論壇誌、週刊誌、マンガなどの商業出版とインターネットである。それらは、言説内容の正しさよりも「売れる」かどうかを優先する「文化消費者による評価」を至上命題としているメディアである。テレビのバラエティー番組も視聴率重視、インターネットも閲覧数至上主義という側面が大きい。したがって商業メディアは、いわゆる「政治」には不向きなメディアと言われてきた。にもかかわらず、歴史修正主義者の主張が商業メディアで展開されるのだとしたら、その手法にこそ政治的側面を読み取ることができるのではないか。
 詳細な議論については、本編の分析を読んでいただきたいが、昨今おこなわれている歴史修正主義の言説政治をめぐる状況は「サブカルチャー」であり、「保守ビジネス」である。(p.12-13)


売れるかどうかが内容が正しいかどうかよりも重視される商業メディアで垂れ流されるからこそ、内容が批判されても同じものが金太郎飴のように次々と再生産される。これを是正するためには、商業メディアに対する規制が重要となってくる。



黄昭堂 『台湾総督府』(その2)

 台湾の建設が、在台日本人の努力のみに頼ったものではなかったにもかかわらず、支配者としての内地人の台湾人蔑視は無垢の子にも教えこまれていく。そして、せっかくつくられた中等以上の学校は公平な競争によらないで、こうした「二世」によってしめられた。そして台湾青年は台湾で高等教育を受ける機会が少ないから内地へ行く。ところが泉風浪も指摘しているように、「内地で高等教育を受け、郷土台湾へ帰へって来ると、大手を拡げて待っている筈の仕事は皆無と来てゐる」(泉、前掲書、341頁)。官学万能のためのみではない。台湾人が差別待遇を受け、採用されないからである。
 しかし、こうした差別待遇よりも、「蔑視」が台湾人の心を大いに傷つけた。親日知識人たることを自任して一生を終えたある台湾人は、「日本の台湾総督は“一視同仁”ひとしく日本人なりと唱えてはいたものの、本島人である我々からみると差別が多く、何んとしても我慢ならなかったのは、正式に日本国籍にある本島人を、中国人に対する蔑称(チャンコロ)で呼ぶ内地人が多かった事である」とその遺稿につづっている(周慶源 『台湾人からみた日本人の英知』 蔵元文焜発行、59頁)。
「チャンコロ」だけではない。
「儞(リー)や」ということばがある。これはふつう、雇い人、車夫、物売りの人たちに呼びかけるばあいに使うといわれるが、内地人はふだん台湾人に呼びかけるときに平然と使う。「おい、こら」もよく使われ、また台湾人のことをいうのに「土人が土人が」と頻発するのに台湾人は耐えがたい侮辱の感をおぼえたと、台湾を訪問した衆議院議員田川大吉郎も報告している(田川 『台湾訪問の記』 127頁)。(p.247-248)


これに類することは、本書以後にもいろいろと指摘されており、基本的な内容は同じである。それだけ台湾の島内で普遍的にみられた現象であったということだろう。

私は最近、いじめ問題についても考えているが、台湾人に対する差別と基本的な構造というか、差別する(いじめる)側のまなざしは限りなく同一と言ってよいように思う。


黄昭堂 『台湾総督府』(その1)

 ところで、台湾史の時代区分において、研究者は清国統治時代と日本統治時代のあいだに「台湾民主国時代」をいれることをさけている。台湾民主国の存続期間が短かったこと、支配権力の実体が不明であることのほかに、研究者が意識的もしくは無意識裡に政治的配慮を加えているように思われる。
 日本帝国についていえば、台湾民主国の存続期間が台湾総督府による支配の初期と重複しているゆえに、それを認め難いであろう。中華民国についてみれば、台湾が一時的であるとはいえ、「独立した」との事実を認めるのは、現在の政策上、不都合であろうし、これは中華人民共和国のばあいも同じである。これら支配者や「支配者的立場」にある国とは別の立場にいる台湾人にしても、台湾民主国の政府要員の多くが、清国官吏であったことや、総統としての唐景崧の清廷への通電で、さかんに「朝廷にたいして他意はなく、忠誠である」ことをるるとして述べていることに違和感をもっているであろう。台湾民主国が台湾史の一時代を画したとの評価を得られなかったのは、このためである。(p.47)


本書は台湾に戒厳令が敷かれていた1980年代に書かれた本であるため、ここでの「中華民国」の立場は、現在の中華民国政府の立場とは必ずしも一致しない。現在の台湾の中華民国政府の国民党の歴史観からすると、確かに台湾が独立した時期があったとするのは都合が悪いことになる。台湾は中国ではなく台湾であるという感覚の台湾人から見ても、本書が言うように、清朝に忠誠を誓うような姿勢であったのであれば、清国統治の一部でしかないということになる。

個人的には、蝦夷共和国と台湾民主国を比較してみたいと考えているのだが、旧幕臣たちが指導層だった前者と旧(?)清国官吏が指導層だった点は類似点と言える。リーダー選出を選挙で行うという点や短期間で制圧されたことなども類似点だろう。ただ、清朝が日清戦争で負けた結果、条約により台湾を割譲することを決めているのに、現地で日本に抵抗を示した台湾民主国と、幕府が内戦で敗れたことに納得できない旧家臣たちが辺境の地へと逃げて体制を立て直そうとした蝦夷共和国とでは、住民との関係性は異なっている面があるかも知れない。



 その反面、日本の台湾領有によって、台湾と沖縄との境界は、むしろあいまいなままに残されることになった。そしてそれは「尖閣列島の帰属問題」として、今日にいたるまで尾を引いている。(p.49)


なるほど。確かに。



 しかし有能な将官だからといって、必ずしも行政能力を持っているとはかぎらない。そこで一般行政を担当する民政部門の首脳に行政手腕が期待されるのである。(p.59)


台湾総督が初期には武官であったが故に、民政長官のような民生部門のポストが必要となり、後者が日常の政治を司るような体制になった。この辺りの理解は本書のおかげで深まったように思う。武官総督時代が終わり、文官になっても残されたあたりも興味深い。



 乃木総督が手をやいた抗日ゲリラは児玉・後藤時代でも変わりはなかった。後藤の告白によると、かれが赴任した明治31年から35年までの5年間に、総督府が殺害した「叛徒」は1万1950人に達している(後藤新平著・中村哲解題『日本植民政策一斑』64頁)。日本が台湾を領有してから明治35年までの8年間に、日本政府側の統計にあらわれている分だけでも、台湾人の被殺戮者数は3万2000にんに達するのである。これは台湾人口の1パーセントを上まわる。ことに児玉・後藤コンビ時代の台湾人殺害数が、初期の台湾攻防戦時に匹敵することにあらためて注目すべきである。(p.83)


こうした点は児玉・後藤時代の称揚する傾向が強い日本側の記述では触れられることはほぼない。本書では、私が近年日本側で出版された本で読むよりも、抗日活動はより活発であり、長期にわたったことが強調されている。これが研究の進展により訂正されたものなのか、著者の立ち位置の違いから出てきているものなのかが気になるところである。



 しかし、原内閣が成立した大正7年以降、状況は一変した。例外を除いて、台湾総督および総務長官の座は政治色が濃くなり、中央における政変に連動して、政党的人事がむしろふつうになった。その先鞭をつけたのが、原政友会内閣による田健次郎の任命である。(p.109)


台湾総督や総務長官(民政長官に相当)の人事や台湾で実施された政策の意味を理解するに当たって、本国の政治状況と結び付けて見ることで見えてくるものが結構ある。この点の認識を深めてくれたのは、本書からの収穫だった。



文官総督時代から顕著にみられる台湾・朝鮮での同化政策は、こうしたナショナリズムの運動法則と合致するものである。異民族=植民地人を同化するには、「教化」もさることながら、その地位の向上をもはからなければならない。(p.146)


内地延長主義への政策転換については、ナショナリズムに基づくという面と地位向上にも繋がるというリベラルな面があった。ナショナリズムは右派と考えられ、リベラルは左派と考えられることが現代では多いが、これらは特段矛盾はしないものであるという認識も重要だろう。



 初等普通教育においては従来と同じく、小学校は内地人子弟、そして公学校は台湾人子弟のための学校であるが、大正8年(1919)からは例外的に、相互の小・公学校への入学が可能になり、大正11年の台湾教育令(勅令第20号)によって、「国語を常用する者は小学校に、常用しない者は公学校に入るべきもの」と規定された。形の上では、国語(にほんご)能力による選別になったわけである(253頁参照)。(p.147)


小学校と公学校というシステムとこれらのシステムに基づく進学などの差別があったという批判は確かに妥当なものではある。ある意味、既定としては最初から日本語能力による選別としている方が妥当だったのではないかとも思う。小学校と公学校という学校の区別自体がない方がよかったのかも知れないが、日本語の初歩から教えなければならない児童と、日本語を母語とする児童とを日本語話者の教師が同じように教えるというのは、かなり無理のある設定である。どのようなやり方が最善だったのか、この問題は考えるといつもモヤモヤする

(植民地支配という前提が誤っているのだから、何の問題もない方策などないのだが、当時の国際社会の状況下や人権意識の程度などを考えると、現代的な視点からの批判は、必ずしも当時とり得たであろう現実的な方策を示唆しない。)



 昭和3年に開学し、最終的には文政・理・農・工・医の五学部を擁する台北帝国大学は学生数約500(昭和18年)だが、講座数は114、教官は助手をのぞいてなお163人もおり、学生3人に教官1人という恵まれた大学であった。……(中略)……。
 戦後、台湾人が親日的傾向に転じたのは、かつて自分たちが教えを受けた国民学校をはじめとする各級学校の教師への敬愛の念がそうさせたのであり、それを、「日本の統治がよかったからだ」と曲解する日本人が多いのは、きわめて残念なことである。(p.190-191)


前段の台北帝大についての指摘は、この大学は統治のための研究のための機関であり、教育より研究を重視していたということが表れているのではないだろうか?という気がする。

後段の指摘は日本人はよく理解しておく必要がある。また、戦後に生きた世代は統治初期の抗日運動が激しかった時代を経験していないということも重要なポイントだろう。



 発電力は昭和12年に17万キロワットであったのが、6年後の昭和18年には倍増して35万7000キロワットに躍進したが、これは台湾が軍需生産に追い立てられた賜物である(以上の数字は台湾総督府『台湾統治概要』による)。
 このように躍進はめざましかったが、多くの矛盾をはらんでいた。台北帝大は農・医学部をのぞけば、ほとんど日本本国人子弟専用の感があり、台北高等学校ですらそうであった。多くの台湾人学生は台湾での高等教育が受けられずに「内地留学」を余儀なくされた。もちろん私立大学に入るのがほとんどで、ことに明治大学、早稲田大学に学んだ人の中から人材が輩出した。本国政府および総督府は意識的に、人文・社会科学を学んだ台湾人を登用しなかったため、東京帝国大学を卒業した台湾人学生(全期をとおして計130人程度)ですら、その多くは官途を閉ざされたままであった。(p.192)


昭和12(1937)年に日中戦争が始まると台湾も軍需のために工業化が進んだことがわかる。

人文・社会科学を学んだ人に対する警戒感は台湾人に限ったことではなく、特に後発の帝国大学(東北、九州、北海道)で文系の学部の整備が遅れたことなどにも強くそれが反映している。この傾向は、現代の日本でも社会科学を十分学ぶ機会が少ないことなどの形で継続しているように思われる。(これが政治に対する感度が低い人が多いことに繋がっていると思われる。)



日本帝国の領域内において、台湾はもっとも稠密に警察が配置されていた地域である。(p.234)


初期の抗日運動や抗日ゲリラがそれなりにいたことの影響か。



 その結果、10年後の明治38年(1905)には、在台日本人の10.3パーセントにあたる6710人が台湾語(福佬話、客話、高砂族の各種言語のいずれか)を「話す」ことができ、しかもそのうちの208人は、それを常用語にしていたという(『明治38年臨時台湾戸口調査記述報文』232頁)。「話す」とはいっても、どの程度まではかは明らかではないが、台湾領有10年にして、このような高率をみせたのは、台湾人の日本語教育が未だに普及せず、日本人の日常生活と公務執行上の必要性にせまられたからであり、必ずしも台湾語を尊重したからではない。(p.244)


この指摘は興味深い。