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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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竹中亨 『ヴィルヘルム2世 ドイツ帝国と命運を共にした「国民皇帝」』

 ビスマルク時代の対外関係が平穏だったと先に述べたが、その理由は、ビスマルクが平和外交を旨としていたからであった。彼が平和主義者だったというのではない。彼にとっての至上目標はドイツ帝国の存立を守ることであった。そのためには彼はヨーロッパで戦争がおこるのを何としても避けなければならなかったのである。
 その理由は、1871年のドイツ帝国誕生というできごとがもつ意味にある。これは、単にドイツの国家統一が成就したというだけの話ではない。それ以上にヨーロッパ全体に深刻な変化を与える事件であった。
 中世末期に神聖ローマ帝国が有名無実化して以来、数世紀にわたってドイツの地には確固たる国家がなく、小国分立が続いてきた。言い換えれば、ヨーロッパ大陸のまん真ん中に一種の政治的真空が数百年間も存在してきたわけである。このことは、ドイツ以外のヨーロッパの人びとにとっては決して不都合なことではなかった。まさしくこの真空が緩衝地帯となったおかげで、ヨーロッパ内の覇権をめぐる各国間のせめぎ合いが調整され、緩和されてきたからである。
 ところが、1871年にそこに突如として一箇の国家が誕生した。しかも、それはフランスをしのぐ国力をもつ大国であった。つまりドイツは今や摩擦調整の場どころか、自身がヨーロッパの国際関係の能動的な担い手となったわけである。ヨーロッパの政治地図を根本から塗り替える事態である。イギリスの首相のディズレーリが1871年をフランス革命にまさる大革命だと評したことがあるが、けだし慧眼であった。(p.101-102)


ここで述べられているドイツ帝国成立の意味は、19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパの政治の動きを考える上で非常に重要な視点である。そして、恐らくはそれ以後にも深い影響を及ぼしていると思われる。

本書はヴィルヘルム2世という個人の評伝ではあるが、こうしたマクロな流れについての理解を得ることもできた。



 ドイツの経済的躍進は、ドイツの側でも人びとの心性に大きな変化をもたらした。ドイツ人は元来、イギリスやフランスに対する劣等感が根強い。これら西欧諸国の文明的洗練に比して、自分たちの生活慣習や文化は粗野だという引け目である。ところが今、その自分たちは目覚ましい発展をなしとげた。諸外国からも賛嘆されるほどの成功である。だとすれば、われわれは何も他国に遠慮することなどあるまい、自信をもって、もと堂々とふるまってもよいのではないか――そう人びとが考えるようになるのは自然の趨勢である。
 だが、長年の劣等感は一朝一夕で拭いきれるものではない。それにもかかわらず、強いて自己肯定に努めるものだから、結果的に優越感がしばしば過剰に発揮されることになる。高坂正堯いわく、ドイツ的心性に特有の「劣等感=優越感のアンビバレンス」である。こうして、ドイツ人といえば、尊大、傲慢というステレオタイプが生まれた。
 実際この時代、ドイツ人の評判はよくない。世界大戦開戦前後にアメリカの駐独大使を務めたジェイムズ・ジェラードは、ドイツ人は他国でははっきりと嫌われていると断言している。日本人の間でも当時、嫌悪感をもつ者は少なくなかった。一般にはよく、日独は近代を通して友好的だったと考えられがちだが、実はこれはかなり「神話」である。国のレベルでは交流が繁くても、人びと同士が近づくとは限らない。(p.121-122)


ドイツ人に対する悪いイメージがあったというのは、言われてみればなるほどと思わされる。ある意味では、現代の中国をほうふつとさせる。なお、日本とドイツの関係についても確かに、私自身も近代化の際には比較的よい関係だと思っていた節がある。



ヴィルヘルムが「影の皇帝」にとどまっていたということは、つまり、ドイツは国家の存亡をかけた戦争の最中、政軍間の調整を欠いたままだったということである。(p.174)


第二次大戦の前と最中の日本と似ているように思われる。


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