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アヴェスターにはこう書いている?
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マーティン・バナール 『『黒いアテナ』批判に答える(上)』(その2)

 啓蒙の17、18世紀からロマン主義と実証主義の19世紀へという変化は、新しい「科学的な」人種差別を強烈かつ顕著に増進させたにすぎなかった。(p.278)


19世紀に人種差別が顕著に増進されたことは、ヨーロッパ諸国の帝国主義的な支配が拡大していき、自らの優位性を信じるようになっていったことが大きな要因である。ロマン主義は自民族中心主義的な傾向があり、「民族」を実体化し、普遍の本質があると考える傾向があるため、ヨーロッパの「民族」の普遍の本質は他の有色人種たちより優れているという観念に容易に到達できるし、そうした信念が強固な場において、実証主義はそうした信念に都合の良い事実を(意識していない場合もあるが)恣意的に選びだし、それに「科学」によるお墨付きを与えることを可能にする。



 前述したポプキンのリストの最後はイマニュエル・カントである。彼の「純粋」哲学を見れば、のっぴきならない証拠がよりはっきりする。カントは論理学、形而上学、道徳哲学の講座で講義するよりも、むしろ、「人類学」の講座で講義するほうが多かった。内省的なのはヨーロッパ人だけであり、内省的でない非ヨーロッパ人は、「正確には」人間でないと彼は主張した。
 しかし、カントにとって、「劣等」人種にはそれぞれ違いがあった。彼はアメリカ先住民は教化できないと考えたが、黒人は訓練できると考えていた。ただし、「使用人としてのみ」だったが。カントにとって、打擲は訓練の一環であり、その場合、「鞭のかわりにささらの竹棒」の使用を勧めた。そうすれば、「黒人は死ぬことはないだろうが、苦痛にひどく苦しむだろう。[黒人の皮膚は厚いため、鞭でたたくくらいでは十分な苦痛を与えることにはならないからだ]。(p.294-295)


現代の人権の感覚や基準から見ると、ほとんど「狂っている」としか言いようがない酷い考え方。カントと言えば、一般には偉大な哲学者と見なされており、認識論におけるコペルニクス的転回などには歴史的に大きな意義も認められる大思想家と言いうる人物である。さらに、普遍主義的な志向の倫理学も有名であり、正・不正や善悪、公正ということを考える上でも示唆に富む議論を行った人物であった。その彼においてもここまでひどい人種差別的な観念を持ち、それを堂々と語ったというのは殆ど信じられないほどである。



まず第一に、社会科学では自明だが、「政治的」というレッテルが張られるのは、権威を支持・擁護する研究ではなく、ほとんどつねに権威に異議を申し立てる研究に限られる。(p.320)


現代日本の(主にネット上の)言説で使われる「偏向」という言葉の使われ方は、ここで指摘されているのと同様のものである。

ネット上の右派や反動政治家(いわゆる「保守」などと自称する右派系の代議士のこと)は、政府や与党に都合の悪い事実を報道したり議論したりする者に対して「偏向」しているとレッテルを貼る。しかし、「公正」とはどのようなことなのかについて、彼らは考えていないか、又は意図的に無視しており、彼らにとって「心地よい」言説上の地点が「中立」の地点だと勝手に見なしているに過ぎない。



功利主義者のジェイムズ・ミルは、ギリシア人が古代エジプトを尊敬していたことに不信と嫌悪を抱いていたが、この不信と嫌悪を強力に補強したのがゲッティンゲン学派のK・O・ミュラーであり、ミュラーは<古代モデル>の神話の扱いを批判し論破していた。ミュラーは証拠の立証に必要な条件を確立し、立証責任を<古代モデル>を批判したいと考えている人びとではなく、<古代モデル>を擁護しようとしている人びとに転嫁した。(p.386)


バナールはゲッティンゲン学派とその史料批判の考え方に対してしばしば批判するが、その理由がよく分かる箇所。実証主義的な手続き論を確立することで、客観的な事実を証明できると考えられがちだが、いかに手続きが適正であっても、証明しようとする事実の選び方が恣意的であれば妥当な結論は導かれない。より広い文脈を考慮に入れながら妥当性を競うべきだという競合的妥当性の考え方をバナールが主張するのは、こうしたゲッティンゲン学派に対する批判でもあるだろう。

広い文脈を考慮すれば、相対的に妥当性が高いのは「アーリア・モデル」ではなく「古代モデル」であり、それゆえ、「古代モデル」を否定しようとする場合の立証責任は「古代モデル」を批判する側になければならない、ということになる。ミュラーはそれを――不当にも――ひっくり返してしまった。これを元に戻すべきだというわけだ。



この要因の印象的な例は、アラビア語dār aṣ ṣina'a(「工場」)からイタリア語が借用した二つの語――おそらくジェノヴァ方言から来たであろうdarsena(船舶の武装解除や修理を行う港湾の屋内施設)と、ヴェネチア方言から来たarsenale(「海軍工廠、造兵廠」)――のなかにも見ることができる。(p.408-409)


ヴェネツィアの歴史などを学ぶと「アルセナーレ」は重要な位置を占めるものだったことが語られるが、これもアラビア語から来た語だったとは興味深い。



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マーティン・バナール 『『黒いアテナ』批判に答える(上)』(その1)

また、歴史叙述や説明にたいして、「正しい」とか「間違っている」とか、はっきりしたレッテルを貼るべきではなく、私が「競合的妥当性」と呼んでいるものさしで測るべきだと考える傾向もある。
 その上で次のことが言える。「歴史的方法」という魔法のお守りはない。また、過去の再構成には多くの異なった方法がある(p.114)


本書は『黒いアテナ』に対する批判に対する反批判の書だが、研究方法についてはこの「競合的妥当性」が主張の中心の一つである。バナールに対して「立証」を求めて、それに足りないとしてその説は採用に値しないと切り捨てるような議論に対して、より広い文脈やそれを支持する諸々の証拠を考慮した上で、他の説とどちらに妥当性があるかという比較によって採用すべき説を選ぶべきだという。批判者側の主張も立証されているわけではないにも関わらず、立証責任を相手方に一方的に押し付けようとする姿勢に対する反論としては妥当なものだと考える。

昨今の日本にも見られる歴史修正主義者は、やたらと「正しい」歴史観というような言葉を使いたがるが、そのような姿勢は不誠実なものであり信用に値しないと私は考えるが、バナールがここで述べているとおり、彼らが用いる「正しい歴史」という言葉は、内実のないレッテルに過ぎないということは指摘しておきたい。

引用文の後段は、歴史を研究・叙述する際に、科学的・学問的に認められた唯一の方法があり、それに従って研究すべきだという前提に立った批判に対する反批判ということになろう。これは歴史に限らず、社会科学一般にも当てはまる。恐らく自然科学にも適用可能な考えだろう。



 ジェイサノフとヌスバウムはこの怠慢を正当化し、「原則上、名前の意味はほぼ何でもありだ」(p.190)と述べている。名前はたんに名前として反復される場合も多いが、もともと、とりわけ地名のばあいには必ず意味があるので、このアプローチは受け入れられない。私たちが地名の意味を理解できない理由は、多くの場合、たんに地名を構成している言語について私たちが知らないか、あるいは気がついていないからだ。(p.250-251)


地名には意味がある。なるほど。確かにそうかもしれない。少なくとも、このような想定をして地名の語源などを調べることには意味がある。



モンゴルや中国のように、圧倒的多数の住民の眼の色が茶色である多くの社会では、青い眼は伝統的に獰猛さのしるしと見られてきた。ギリシアでは、古代でも近代でも、青い眼は「邪悪な眼」と関連づけられ、あらゆる種類の悪い特性を示していた。(p.269-270)


確かに、現代の中東でよく売られているお守りevil eyeの色も青だ。



伊藤章治 『ジャガイモの世界史 歴史を動かした「貧者のパン」』
 中世の森林開墾(破壊)の先頭に立ったのは、意外にも修道院だった。ベネディクトゥス派やシトー派は「清貧」「貞潔」「労働」などを掲げて未開墾地(ほとんどの場合が森)の開墾に力を注いだ。

また、教会のステンドグラスづくりには大量の鉄、そしてその鉄を精錬する大量の木が必要だった。ひとつの教会堂のステンドグラスのために数千エーカーの森が切り尽くされたという。(p.99)


教会堂のステンドグラスを見るとき、こうした点に思いを馳せたことはなかった。



 1919年(大正8年)、孫三郎は、日本における民間初のシンクタンクといわれる「大原社会問題研究所」(略称社研)を設立する。1918年(大正7年)7月、富山に端を発した米騒動のすさまじさを目にした孫三郎が、社会に山積する問題を解決することの重要性を痛感したためという。社研の所在地は当時の経済の中心地だった大阪。初代所長には日本を代表する経済学者のひとり高野岩三郎(1871~1949)が就き、研究員には大内兵衛、森戸辰男、宇野弘蔵、長谷川如是閑、笠信太郎など錚々たる顔ぶれが並んだ。『日本労働年鑑』『日本社会衛生年鑑』の発行やディドロ、ダランベールの『百科全書』70冊、カント叢書などの文献収集などで、「日本における社会科学の聖地」といわれた。1937年(昭和12年)、社研は東京に移転、法政大学に引き継がれていく。(p.113-114)


大原社会問題研究所が法政大学に引き継がれたという件は興味深い。1949年に新制大学になった際に合併したようだが、どのような背景や理由があったのかが気になるところである。



 大原孫三郎は1923年(大正12年)、「大陸進出計画を最終的に取り決めるため」、中国視察に出かける。北京で孫三郎を案内したのが、北京・朝陽門外のスラム街で孤児らの教育に取り組んでいた清水安三(1891~1988)だった。
 ……(中略)……。安三は校舎や教材のすべてを残して日本に引き揚げ、東京西郊の町田の地に桜美林学園を築く。桜美林の名は安三が学んだオハイオ州の大学名に由来するだけでなく、アルザスの谷間のジャガイモの村に生きた聖職者ジャン=フレデリック=オベリンにちなんだものでもある。(p.118-119)


桜美林学園の名前の由来がこのようなものだったとは知らなかった。変わった名前だとは思っていたが、オベリンの当て字とは…。


矢野久美子 『ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』

 ヤスパースは戦後ハイデルベルク大学の再建に尽くし、戦後ドイツの良心として47年にはゲーテ賞を受賞していたが、翌年にはバーゼル大学哲学教授としてスイスに移住していた。ハイデルベルク大学や市議会はヤスパースを失うことに強い抵抗を示したが、アーレントはヤスパースの選択を全面的に支持した。ヤスパースは「国民的英雄」ではなく哲学教師であることを望んだのである。(p.121-122)


ハイデルベルク大学だけでなく市議会もヤスパースの移住・移籍に抵抗を示したというのは興味深い。戦後のヤスパースの名声は確かにそれなりに高いものがあったようである。



彼女は『六つのエッセイ』に収めた「実存哲学とは何か」という論稿で、1933年にナチに入党したフライブルク大学総長となったハイデガーの行動様式を、自分のことを天才と思い込み責任感をまったくもたない「最後のロマン主義者」のそれと見なしていた。彼の哲学から導き出される自己は、自己中心的で仲間から分離した自己、完全に孤立し原子化された自己たちであり、そこから「民族」や「大地」といった概念、つまり一つの「超-自己」への組織化が生まれる、と彼女は書いた。(p.122-123)


ハイデガーの行動様式及び思想に対する適切な評価と思われる。



短期間で総長を辞職したとはいえ、ナチに関係したハイデガーは、当時まだ戦後ドイツの大学での講義を禁じられていた。(p.124)


1950年のこと。こうした禁止が解かれたのはいつなのかが気になる。ドイツにおけるナチ関係者への公的な場面での扱いと評価はどのようなものだったのだろう。日本でも戦前に対する評価について(歴史を知らないにもかかわらず「正しい歴史」を知っていると自惚れる)「歴史修正主義者」たちが跋扈するようになってきている中、ドイツやイタリアなどでの戦前に対する評価のあり方を知っておくのは有益であるように思われる。



ハイデルベルクには当時学生も巻き込んだハイデガー派とヤスパース派のようなものが形成され、後者に属したシュテルンベルガ―は、ハイデガーのナチ協力について、その思想そのものに有罪判決を下して捨て去るような姿勢をとっているように見えたのである。(p.125)


ハイデガーの思想は政治的には右翼や保守・反動と相性が良いのに対し、ヤスパースの思想はそれと比べるともっとリベラルで平等主義的な志向が強い。そういった政治思想的な面でも両者に対する好みは分かれやすいのは理解できる。



 アーレントによれば、イデオロギーとテロルの支配下で現実や経験の意味は消え去り、人間が複数であるという事実が破壊される。現実の世界が余計なものとなるのである。複数の人間のあいだにあり、人びとが同じものを見ているという意味で共有している世界の解体は、他の人びとからも世界からも、そして自分自身からも「見捨てられている」(Verlassenheit, loneliness)という孤立化の事態、人間が根こそぎロンリーであるという事態をもたらした。(p.128)


今回、アーレントの思想に関して、このあたりの考え方に興味が惹かれた。恐らく90年代以降だと思うがアーレントの思想に対する再評価が起こったと思われるが、それはこうした部分に対する関心もあったのではないか。



人間を自動化し自然化することは、人間を予測可能な自動機械に変えることである。そのことを全体主義的支配者は理解していたし、現代社会でもその危険性は十分にある。(p.140)


このあたりからは、法を法とも思わずに恣意的な衆院解散を繰り返す安倍晋三の選挙戦略が想起される。政治的な問題に対して日頃から十分に関心を持ち理解している有権者はほとんどおらず、それを求めるのは「強い個人の仮定」をすることになってしまうような状況において、一方的に情報を発信することができる立場から、ほとんど法的に裁かれる心配がない(日本の裁判所は政治的な判断にはほとんど入り込んでこない)ことを利用して、都合の悪い事実・情報を隠蔽し、一方的に政権に都合の良いアジェンダを押し付ける。ほとんどの有権者は「語られていない(政権に都合の悪い)事実」を十分に考慮しないまま投票してしまう。これはまさに「人間を予測可能な自動機械に変えること」と重なるところが多いと思われる。



 大衆ヒステリーは主観的で「私的」なものであるとアーレントは言う。前章ですでに述べたように、アーレントによれば「私的」であるとは奪われているということを意味する。奪われているのは、世界の多様な見え方、すなわち世界のリアリティである。(p.156)


この箇所が本書を読んで最も啓発された箇所である。言われていることの大部分は2つ前の引用文と同じ考え方だが、大衆ヒステリーが主観的で「私的」なものだという指摘は、現代の世界におけるポピュリズムの台頭という現象を想起させ、ポピュリズム政党を支持する人々の状態を的確にとらえていると思われる。彼らはまさに「世界の多様な見え方」を奪われている。世界のリアリティが欠けている。(それでいながら彼ら自ら「現実的外交」などと言うのが滑稽だが。)彼らの言説には公共性が欠けているが、世界の多様な見え方が欠けているところに公共性などあるはずもない。そうしたことが非常に腑に落ちた。



思考に動きがなくなり、疑いをいれない一つの世界観にのっとって自動的に進む思考停止の精神状態を、アーレントはのちに「思考の欠如」と呼び、全体主義の特徴と見なしたのである。
「思考の動き」のためには、予期せざる事態や他の人びとの思考の存在が不可欠となる。そこで対話や論争を想定できるからこそ、あるいは一つの立脚点に固執しない柔軟性があって初めて、思考の自由な運動は可能になる。(p.174)


ポピュリズムなどによる「民主主義の暴走」にもこれは当てはまるように思われる。少数の投票で巨大な権力が獲得できる現在の日本の選挙制度は――比例代表と組み合わせていることや、二院制や参議院の選挙制度など、こうした危険を多少は緩和する要素も持っているにせよ――ポピュリズムがなくても政権与党がかなりの程度まで暴走できる制度になっており、こうした暴走により、一つまた一つと民主主義の抑制装置を解除されているのが現状で起こっていることであり、これらの抑制装置が解除されたことを利用する政権が現れた時、破局へと一気に進む危険がある。現在の政治に対する私の懸念はこの点にある。



 アーレントは「真理と政治」という論稿のなかで、政治的な領域をかたちづくり人びとが生きるリアリティを保証すべきものであるはずの歴史的出来事や「事実の真理」が、数学や科学や哲学の真理といった「理性の真理」よりもはるかに傷つきやすいものであると論じた。「事実の真理」は、それが集団や国家に歓迎されないとき、タブー視されたり、それを口にする者が攻撃されたり、あるいは事実が意見へとすりかえられたりという状況に陥る。「事実の真理」は「理性の真理」とは異なり、人びとに関連し、出来事や環境に関わり、それについて語られるかぎりでのみ存在する。それは共通の世界の持続性を保証するリアリティでもあり、それを変更できるのは「あからさまな嘘」だけであると言う。「歴史の書き換え」や「イメージづくり」による現代の政治的な事実操作や組織的な嘘は、否定したいものを破壊するという暴力的な要素をふくんでいる、とアーレントは指摘した。(p.207-208)


本書は2014年に出た本だが、最近1年前後の情勢を念頭に置いて書かれているかのような錯覚に陥る。アメリカのトランプが大統領となり、事実の報道に対して「フェイクニュース」というレッテルを貼ることで都合の悪い真実を消し去ろうとする姿勢や、安倍政権による森友学園、加計学園に関する問題で、政権にとって都合の悪い事実が隠蔽されている。政権側は質問されてもはぐらかし、質問の機会をつくることを求められても応えず(臨時国会は実質的に開かれていない)、都合の悪い事実を口にする者(前川氏)を攻撃し(読売新聞が加担した記事)、時間を稼いでいる間に証拠を隠滅していること(財務省のパソコンの情報などを想起)は明らかだろう。

歴史修正主義者たちの言説も「あからさまな嘘」であるが、それでもそれを否定するために立証しようとすると、込み入った専門的な議論や知識が必要になったりするため、一般に広く理解されることはなく、それらが公衆の面前であからさまに論破されないまま垂れ流されているうちに、次第に嘘が真実であるかのように受けとめられていくという方向に流れている面がある。

「事実の真理」の脆弱性をよく認識した上で、それをどのように守っていくのか、学問だけでなく政治的にも非常に重要な課題である。


村上陽一郎 『近代科学と聖俗革命 <新版>』

 つまり、デカルトの論理において、疑い得ないとされたものは、「自分の」思惟、「自分の」《cogitatio》ではあっても、それが、「我々の」、言い換えれば「人類一般の」思惟、理性、《cogitatio》にまで拡大されることについては、何らデカルトの論理は証明していない、という反論が充分成立し得るように思われる。
 ……(中略)……。
 デカルトが、人間にとって、他の機械や動物から区別されるべき絶対的な手掛りとして措定した《cogitatio》という概念は、デカルトの言い分をそのまま認める限りにおいて、人間を他から区別する手掛りではなく、「我」を他から区別する手掛りにすぎなかったのである。(p.192-193)


有名なcogito ergo sum(我思う、ゆえに我あり)に対し、村上はデカルトが確実なものとしたのは、自分の思惟でしかないという点を指摘する。これと人間は例えば自由意志を持つものだというデカルトの想定とは結びつけることができず、人類一般についてデカルトのこの論理からは何も導き出せない点を批判している。

この本の旧版を私は15年ほど前に読み、ちょうどその時に出た新版を(すぐに買ったのに)今頃読んだわけだが、本書の初版が出た頃と現在とでは言論の基礎にあるものがかなり変わってきていると感じる。現在は当時ほどデカルトを批判する必要性はなくなってきている。このことは科学に対する一般の考え方もこの40年ほどでかなり変わったのだということに由来する。古い本を読むのは現代の立ち位置を認識する役に立つ


沼上幹 『組織戦略の考え方――企業経営の健全性のために』

自分自身でモノを考え、決断を下す原理を確立していないから、他社の経営者たちを見て、世間的に見て自分の所にふさわしそうな経営手法の「落としどころ」を探しているのである。(p.133)


企業の上層部が主体的に決定を下せない場合、経営改革検討委員会(プロジェクト)が増加するとして、その際の理由として述べられている箇所から引用。

判断すべきポジションにいる人間が自分で判断できない場合、周囲を見て同調するという考え方に流れがちだといことだが、これは私の身の回りでもよくみられる事態である。この方法は比較的安易に使えるので、このようなやり方ばかりに頼らないような自らの判断力を磨いていく(そのためには実行し、効果を経験しなければならない)ことが重要だろう。



 第二に、いま組織運営のボトルネックになっているのは決断のできる人なのだから、このボトルネックが生きるように細心の注意を払うべきである。どこからどこまでが各自の責任範囲なのかがあいまいな日本の組織では、少しでもできる人には大量の仕事が集中してくる傾向がある。一つの課の仕事の八割くらいを一人の人間が処理し、残りの数名があとの二割を処理しているという状況など、日本中どこに行っても見受けられる。
 忙しくて死にそうだと思っている当人には申し訳ないが、エースに重要な仕事が集中するのは組織全体にとっても適切だから、経営上の深刻な問題ではない。問題は、重要でない仕事までエースに集中してしまうという点にある。本当のボトルネックであるエースの仕事処理能力を無駄遣いしてしまうことになるから、こっちの方は経営上の深刻な問題である。(p.136-137)


エースに仕事が集中するというのはよくある。仕事を割り振る側として見ると、そこにしか任せられないというのが一つの原因となっている。そのこと自体はやむを得ない面があるとしても、重要ではない仕事はエースから切り離すようにするというのは理に適っており、参考にしたい。(ちなみに、実行部隊にエースが不在の場合、割り振る側(監督職や管理職)が自ら処理しなければならなくなり、これはこれでより高次の判断能力を浪費させるため、組織にとって損失となる。)



真実か否かを確かめることもなく、単に「信じたい気持ち」があり、欲求不満が溜まっていさえすれば、噂はあっという間にスキャンダルに仕立て上げられる。過度に欲求不満になった人々がインターネットで結びつけられた現在は、本当に恐ろしい時代である。(p.161)


本書は2003年に出た本なので、ネットの常時接続が漸く一般的になってきた頃の記述であるが、妥当な見解だと言うべきだろう。

インターネットというメディアは「大手メディアは嘘や隠蔽しか報じない」とか「ネットに真実がある」というようなナイーブな意見が跋扈しやすい環境であるということは最近ではかなり知られるようになってはいるものの、こうした認識はできるだけ広く共有されるべきであろう。さらに言えば、少なくとも日本では社会科学についての教育がまともになされていないという点も問題だと考えている。真実か否かを確かめるための手段をある程度以上の教育を受けた全ての者が身に着けている方が、信じたい気持ちが先行する状況に対して批判的な言説が力を持ちやすいと考える。


堤直規 『公務員の「異動」の教科書』

 山本直人ほか著『部下育成の教科書』(ダイヤモンド社)では、年間受講者15万人の実績を持つ企業人の成長モデル「トランジション・デザイン・モデル」が紹介されています。この中で、ビジネスパーソンには10のステージ(段階)があり、そのうち一般社員には4つのステージがあるとされています。

 ①スターター(Starter/社会人)
  ビジネスの基本を身につけ、組織の一員となる段階
 ②プレイヤー(Player/ひとり立ち)
  任された仕事を一つひとつやりきりながら力を高める段階
 ③メインプレイヤー(Main Player/一人前)
  創意工夫を凝らしながら、自らの目標を達成する段階
 ④リーディングプレイヤー(Leading Player)
  組織業績と周囲のメンバーを牽引する段階

 公務員に当てはめて考えると、①が入所1年目の新人、②が3年目程度の若手、③が5~10年目ぐらいの若手、④が10年目以降の中堅というところだと思います。(p.113)


本書は「公務員」とタイトルに入っているが、主に地方公務員、特に勤続5~10年目の30歳前後の若手を対象としている。このモデルで言えば、プレイヤーからリーディングプレイヤーへとどのように成長していくかということがテーマと言えるだろう。

こうしたモデルにどの程度の実証的な裏付けがあるのかという点にはやや疑問を感じるが――「事実としてこうである」というよりも、「周囲からはこのようなことが期待される(ものだと考えろ)」というモデルであるように思われる――、将来への見通しを立てやすくするという意味では有用なモデルと思われる。


今村敏明 『小樽蔵めぐり イラスト帖』
小樽ナトリ倉庫(旧日本郵船小樽支店残荷倉庫)

 旧日本郵船小樽支店の隣にある倉庫。設計もお隣と同じく佐立七次郎です。
 ……(中略)……。
 この倉庫は、佐立が設計した唯一の石造倉庫ではないかと推測されます。(p.74)


佐立七次郎が設計した建築で残っているものは、東京にある日本水準原点標庫と小樽にある旧日本郵船小樽支店しか残っていないとしばしば言われる。本書の記述が正しければ、三棟目が残っているということになる。



小樽運河食堂(旧浪華倉庫)

 かつて三井物産や三菱商事としのぎを削った鈴木商店(本店・神戸)が使用した倉庫です。鈴木商店は砂糖、樟脳の取引から出発し、金子直吉大番頭の統率で事業を拡大。第1次世界大戦で莫大な利益を上げ、傘下に50余社を抱えた振興財団でした。(p.80)


台湾と北海道という二つの地域に注目している身としては、鈴木商店の倉庫には注目してしまうところ。運河食堂の倉庫が鈴木商店が使用していた倉庫とは知らなかった。



住吉神社旧宮司邸蔵

ニシン漁は、まだ雪が降る3月から6ごろまでがピークです。加工が一段落する7月上旬に合わせて北前船が入港し、商取引が盛んになります。住吉神社の祭礼「小樽祭り」が始まるのはちょうどそのころ。収穫がコメでなくニシンなので、祭りが秋ではないのです。(p.127)


なるほど。興味深い。小樽の大きな祭り(水天宮、龍宮神社、住吉神社)が同じ時期に重なっているのもこのことと関係しているのだろうか?