アヴェスターにはこう書いている?
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寺内順子 『検証!国保都道府県単位化問題 統一国保は市町村自治の否定』

 保険者が都道府県と市町村になったのですが、実質的には国保の様々な実務(賦課、徴収、給付や健診等)は市町村が行います。しかし、市町村のみの単独運営であったこれまでの国保との最大の違いは都道府県が国保財政をにぎるということで、これにより都道府県が大きな権限をもつこととなります。
 ……(中略)……。つまり、財政を握ることによって医療費適正化、医療費の削減をやろうとしているのです。(p.14-15)


国(中央政府)がこの制度改正(国保の都道府県単位化)でやろうとしていることは、医療費削減による財政支出の削減にあるというのは、核心的なポイントを突いていると思われる。なお、もう一つ加えると、中央政府は財政責任を放棄し、都道府県に財政責任を転嫁することにより、医療費削減による歳出削減が思うように進まない場合でも中央政府の財政が悪化しないようにするということに、この制度改正の狙いはあると考えるべきだろう。



 ただし、このガイドライン及び都道府県国保運営方針そのものも、その扱いは、あくまでも「技術的助言」であるということが冒頭明記されています。
 技術的助言とは、地方自治法第245条の4第1項等の規定に基づき、地方公共団体の事務に関し、地方公共団体に対する助言として客観的に妥当性のある行為を行い、又は措置を実施するように促したり、又はそれを実施するために必要な事項を示すものです(「総務省における今後の通知・通達の取り扱い」平成26年7月12日付)。
 ですから、ここに書かれている内容は「法的拘束力」を持つものではなく、地方公共団体の自主性と自立性に配慮されたものでなければならないのです。(p.21-22)


都道府県化(都道府県が保険者となり、市町村はそこから受託して窓口のみを置く形態)ではなく、都道府県単位化となったことによるある種の齟齬を解消する際に「運営方針」が活用されることが予想される。例えば、市町村ごとの判断で行っている給付や減免などの判断基準について都道府県内で統一すべきだと都道府県や域内の市町村が考えた場合、運営方針にその統一基準を明記したりして対応することになるだろう。

ここで「法的拘束力」がないという認識が重要になる。国保運営方針は基本的には(域内の全市町村が同意しないかぎり)あるひとつの判断基準で都道府県内の取り扱いを統一するように指示することはできない代物であり、内容自体も市町村の自主性・自立性への配慮が必要である。こうすることにより、仮に運営方針にある基準が示されたとしても、あくまでも「技術的助言」に過ぎず、個々の市町村では実状にそぐわないと判断される場合には、市町村は当該基準とは異なる判断を下すことができるということが明確となる。

しかし、本書のこの箇所で指摘されていないのは、保険料算定や調整交付金のような仕組みによる財政面からの都道府県から市町村への統制が可能であり、この拘束力は上記の運営方針以上に強いものになる可能性が高いという点である。市町村は財政を握られている以上、運営方針と異なる基準で運営しようとしても、財政上の措置を運営方針と紐付けされてしまえば、実質的には運営方針に従わざるを得なくなる。新制度の運用開始後は、こうしたことがどの程度行われるかに注視が必要であるように思われる。



 地域の実態とかけはなれた標準化、統一化は被保険者にとってはデメリットでしかありません。(p.64)


重要な指摘。中央政府のナショナル・ミニマム放棄と結びついた医療費削減のための制度となっている以上、都道府県が標準化や統一化をする内容の(すべてではないにせよ)多くは医療費を削減する方向に向かうことが予想されるからである。

望ましい改革の方向は、現在進められているようなものではなく、中央政府が保険者となって財政を保障するような方向性であり、保険としての側面の強調ではなく、社会保障としての側面を強調していくことである。なお、その分の財源は累進的な課税によって賄うべきだと考えている。


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マーティン・バナール 『ブラック・アテナ 古代ギリシア文明のアフロ・アジア的ルーツ Ⅰ.古代ギリシアの捏造1785-1985』(その3)

 人種主義のうねりは帝国主義の確立とも結びついていたし、野蛮な非ヨーロッパ系「土着民」に対抗して植民地宗主国内部で形成されつつあった国民的連帯意識とも結びついていた。皮肉なことに、1880~90年代の20年間は、ヨーロッパとアメリカとが世界支配を完成させた時期でもあった。アメリカとオーストラリアの先住民はほとんど絶滅させられ、また、アフリカとアジアの先住民は全面的に植民地化され、屈辱的な状態に置かれた。「白人」が彼ら先住民を政治的に配慮しなければならない理由はもはやなくなったのである。こうした意味では、反ユダヤ主義は、外部に敵がまったくいなくなった段階でのみ楽しむことができる「ヨーロッパ産の贅沢品」である、とも言うことができよう。(p.444-445)


なるほど。ナチスに見られたような反ユダヤ主義の高まりには、有色人種に対する配慮が必要なくなったことにより、「白人」による人種主義の露骨な発露が容易となったことが背景にあるということか。



ベラールが大胆であり得たもう一つの重要な要因、それはベラールが「純粋な」学者ではなかったということである。彼は、学界以外にジャーナリズムや政治といった別の世界をもっており、それによって広い視野をもつことができたのである。シュリーマンやグラッドストーンにも、似たような特徴があることに注目しておかなければならない。
 この二つ目の要因は、個々の学者の発表能力という学問の第二レベルにおいて、決定的に重要である。学界の異端児が、その「不健全な」考えを発表できるのは、学問以外の広い世界において社会的地位をもっているときだけである。(p.458)


興味深い指摘。ある学問の世界で支配的な考えに対して、それとは全く異なる考えを発表するには、その世界だけに生きる「純粋な」学者よりも、別の世界にも社会的地位を持っている者の方がはるかにやりやすい。また、学問の世界に限らず、異端的な発言を公にするには、様々な分野で社会的な地位(深い関係性やそれぞれの世界でのリスペクトなど)を得ている方がやり易そうである。

この指摘には説得力があるが、歴史的な事例としてはどのような事例があるのか、もう少し掘り下げてみたい気がする。



 1920年代には、人種主義的な雰囲気がさらに過酷なものとなった。ロシア革命においてユダヤ人が、そのように見られていただけでなく実際に中心的な役割を果たしたことを受け、ヨーロッパと北アメリカ全体においては、反ユダヤ主義が強まった。経済危機や国家的緊張の原因になっていると非難するために、スケープゴートとして狙われたユダヤ人の銀行家や金融業者はどこにでもいた。ここにおいて、キリスト教の道徳と秩序とを破壊し、転覆しようとするユダヤ人の陰謀、という曖昧だった従来のイメージが、ボルシェヴィキ党という眼に見える形をとって映し出されるようになったのである。(p.465)


ロシア革命においてユダヤ人が大きな役割を果たしたことが、反ユダヤ主義を高める要因となったというのは、本書の指摘を受けるまで全く気付かなかった点であった。「ユダヤ人」とは、実際には「ユダヤ教徒」と呼ぶべき人々であり、「人種」でも「民族」でもないのだが、それが「人種」や「民族」として扱われた上で人種主義的な差別を受けるというのだから、差別される側としては全くたまったものではないだろう。



 ここでも50年前のヴィクトル・ベラールの場合と同様に、なるべく単純で大きな連合によって全体像をつかもうとする門外漢の志向と、その逆に、細分化によって分析しようとする専門家の志向とが衝突した。つねに専門性というものは、研究者による学問・知識の「私物化」に適した狭くて孤立した研究分野を必要とする。専門家たちは、ベラールとゴードンの二人に強い脅威をいだいた。なぜかといえば、旧態依然とした学界に反抗する彼らの学説の方にこそ信憑性があったからである。(p.502)


本書ではここで指摘されているような主張がしばしば出てくるが、バナール自身が中国の専門家であり古代ギリシアやエジプトの専門家ではない「門外漢」として発言しているためだろう。とはいえ、単なるポジション・トークを超えて、こうした指摘には妥当なものが含まれていると思われる。

専門化が私物化に適しているというのは、まさに指摘の通りである。日本の一時期のウェーバー研究における大塚久雄などもこの手の私物化をしていたと言うべきだろう。



 私が本書全体で論じようとした主要な点は、古代モデルが破壊されてアーリア・モデルに置き換えられた理由についてであったが、それは古代モデル自体がもつ内在的な欠陥からではなく、また、アーリア・モデルの方がすべてをうまく説明でき、よりもっともらしかったからでもなく、実際には、アーリア・モデルがつくりあげたギリシアの歴史と、アーリア・モデルがつくりあげたエジプトやレヴァントの歴史との関係が、19世紀の世界観に、わけても組織的な人種主義的世界観に合致していたからに他ならない、ということである。(p.531)


分厚い本の割にはかなり短い文章でかなりの内容まで、本書の内容がまとめられている。古代モデルは内在的欠陥から棄てられたのではなく、また、それを支持する根拠も十分にあるのだから、アーリア・モデルの背景にあった人種主義的世界観が後退すれば、再度古代モデルが復権することになる、少なくともその余地がある、というわけだ。



 G.G.M.James(1954,pp.112-30)によれば、アリストテレスはこの地位についたおかげでエジプトにおける文献調査が容易となり、まったくそのおかげで驚くべき膨大な分量と分野にわたる彼の著作が可能となった。このことは、一般論として考えてみても、ギリシア人による中東征服がその1000年後のアラブ人による征服と同様であったことをうかがわせるものである。すなわち、征服によってそれ以前の文化の多くをギリシア化あるいはアラブ化し、その残りは失われてしまったということである。(p.599)


「この地位」とはアレクサンドロス大王の家庭教師という地位である。アリストテレスがアレクサンドロス大王の家庭教師だったということはアリストテレスを紹介する際によく言及されるが、その意味について、このように明快な指摘をしているものは少ない。




マーティン・バナール 『ブラック・アテナ 古代ギリシア文明のアフロ・アジア的ルーツ Ⅰ.古代ギリシアの捏造1785-1985』(その2)

ロックは個人的にも、アメリカでの奴隷使用による農場経営に直接関わっていたので、今日私たちが言うところの人種主義者そのものであった。18世紀の偉大な哲学者ヒュームの場合もまったく同じである。(p.239-240)


黒人奴隷を奴隷として使役することに何の抵抗もなかった、何らかの抵抗があったとしても実際に使役していたという行為の実態が人種主義者と同じであったとは言えそうである。思想面でも、現在の観点からこのことを指摘するのはそれほど難しくはないだろうと思われる。機会があれば、この観点にも着眼してロックやヒュームの著作を読み直してみたい。



 18世紀におけるドイツ人のアイデンティティ・クライシスに対する第二の反応は、ドイツを真のあるべき元の姿、そのルーツへの回帰願望と結合した新ヘレニズムの出現であった。……(中略)……。文化的大国でありながら、政治的には弱体で不統一であるという状況は、ドイツ人が新ローマ人にはなれないが、新ギリシア人にはなれるかもしれないという期待を抱かせたのである。
 ……(中略)……。しかし、新たに見出された古代ギリシアに対する現代ドイツの親近感は、プラトンの「アカデメイア」の復活としての新設大学を含めたドイツ文化界全体にわたり、相当深部にまで浸透しつつあったことだけは疑いない。(p.254)


18世紀において、「古代ギリシア」がドイツの人々にとって回帰すべきものとして「発見」されたこと、これが現代においても「古代ギリシア」がヨーロッパの原点とされることにまで繋がるものであると理解できそうである。その際、当時のドイツの状況がギリシアを求めるのに適合的であった、つまり、上で指摘されている政治状況としては、領邦国家が割拠している状況と古代ギリシアのポリスが割拠している状況が類比的なものとして親近感を持ちやすいものであったと理解できるが、こうした事情を押さえておくことは重要であると思われる。

近代的な大学がアカデメイアの復活という意味合いを与えられていた、あるいはそのように見られていたとすれば、それもまた興味深い。実際に当時の人々にはどのように映っていたのか、気になるところである。



ゲッティンゲン大学は近代性、専門性、職業性を備えた最初の大学であり、その後のあらゆる大学の雛形となった。この大学は、1734年にイギリスのジョージ二世とハノーバー選帝侯によって設立されたものであるが、豊富な資金力を持ち、他大学のような中世的宗教・学問の束縛のない新設大学であった。また、イギリスとの関係から、ロックやヒュームなどの哲学・政治思想とともに、スコットランド・ロマン主義が流入する経路となった。前者の人種主義的傾向は、本章239~241ページで触れたとおりである。(p.254-255)


前のエントリーでゲッティンゲン大学に触れていたが、あの部分は本書全体の要約をしている箇所からの引用であり、このエントリーの引用文のあたりが本文でのその対応箇所となっている。

ゲッティンゲン大学が創設された頃の他の大学との相違などに興味が惹かれる。



 マイネルスの方法論は、年代記編纂者から脱した歴史家にとってもはや欠かせぬものとなり、19~20世紀の歴史文献学の世界を席巻した。歴史家にとって、どの史料にどの程度の重きを置くか、その判断を避けて通れなくなったからである。もしも歴史家が、ある史料をその時代の流れから「はずれている」などと判断し、無視や拒絶をするなら、歴史家は自分の望むような歴史像を気ままに紡ぎだすことができる。歴史家にこの点での認識や自覚が抜け落ちるなら、危険が生じる。すなわち、歴史の中の時代性とか歴史家個人の関心事のみが過大に扱われる傾向が強まるだろう。18世紀末に関して言えば、「近代的」歴史学者たちが自分たちの「分別能力」を過信したことから、状況はいっそう悪化した。また、彼らには、それまでの学者とは異なり、自分たちは客観的に記述しているのだという確信もあった。さらには、マイネルスと彼の同僚たちにとって、史料の分量や合理的推論は二の次であった。重要なのは、自分たちがどれだけ史料を信頼するかであり、それが史料の質を決定すると主張した。
 本書『ブラック・アテナ』で取り扱っている分野に関して言えば、これらの歴史家たちが、信頼性のある豊富で広範な史料に含まれた情報の受け入れを拒否したことにより、古代モデルへの扉は閉ざされてしまった。(p.257-258)


ここでのマイネルスの方法論とは、「史料批判」と呼ばれるものであり、これは「歴史家が歴史史料を使用する場合、その作成者や社会的文脈を考慮した上で価値判断を行い、信頼性を確認したものに限定して解釈を加えるというやり方」(p.257)である。歴史学が「近代的」な科学の方向へと展開していくにあたって、史料に基づいて客観的な叙述を行うことができると考えられた点では、実証主義的な方向への流れと見ることが出来よう。しかし、解釈を加える際の価値判断に関連する部分について恣意的な運用を許すものであり、これによって古代モデルの証拠となるような部分が無視されていった。

20世紀の初頭にウェーバーは、歴史叙述においても価値関係に基づいて対象を選択し、理念型を構成するとしたが、価値自由の要請に基づいて、この際の自身の価値観については自他に対して明示すべきだとしていた。あくまでも特定の価値観から見た場合に論理的に成立しうる像を構築しているに過ぎないという限定を加え、それを自他に認識させるべきだと。ウェーバーの方法論は、マイネルス流の方法論に対する批判にもなっているのが興味深い。19世紀のドイツ歴史学派経済学などにもマイネルス的な発想は入りこんでいたのだろうか?

ただ、このような限定による相対化を加えたウェーバー自身にあっても、「史料批判」を用いた歴史家が持っていたのと同様の偏見は十分には拭いえなかったという点は付記されてもよいかもしれない。こうした点は、近々ウェーバー関連の研究書などを読む予定なので、その際に検討してみたい。



 以上みてきたようなエジプト近代史の一挿話を、知っている人はほとんどいないのではないか。しかしこれは驚くにはあたらない。この物語は、積極果敢なヨーロッパ人が受動的な外的世界へと押し寄せて行く、というお決まりの筋書きから多少はずれていたからである。19世紀エジプト帝国の波瀾万丈な物語は、アパラチア山地のチェロキー、ニュージーランドのマウイ、カリフォルニアの中国人などのうたかたの成功潭のようなものであった。しかし同時に、非ヨーロッパ人がヨーロッパ人を同じような手で打ち負かしたという一つの実例でもあったことも確かだ。だからこそ、人々の記憶の中にとどめておくことが許されなかったのである。「ヨーロッパ人は生まれながらに優れている」という人種的ステレオタイプの破綻が明らかになった時、それを繕うために何らかの小手先細工が必要であった。(p.293)


歴史叙述において、こうしたことはしばしばみられる。現代の中国や北朝鮮など言論の自由が制限されている場合には、為政者に都合の悪い歴史は隠蔽されたり改ざんされたりすることは容易に理解できるだろう。しかし、日本の歴史などについて語られることについてもこのような点に注意を払い、隠された物語を掘り起こしていくことは必要である。こうしたトレーニングを積むことで、現代の政治における言説などを読み解く際にも、その隠された意味などを感じ取る感覚を研ぎ澄ましていくことができる。これが歴史を含めた人文・社会科学を学ぶことの一つの効用であると私は考えている。



 当代随一の学者であったフンボルトによってベルリン大学に呼び寄せられた人物が、ヴォルフであった。ヴォルフは、すでに見てきたように、講座制を導入した人物であり、講座制はベルリンからプロイセン全土に広がり、その後のドイツ全土、さらに他の地域へと広がっていった。この制度は、学生が自らの研究をつうじて積極的に学ぶことを前提にしており、旧来の講義よりもはるかに大きな自由と、独自性を発揮する可能性とを、学生に与えることになると思われた。確かにこのやり方は、それから180年以上にわたり、偉大な学問的成果をもたらしはしたが、一方、研究テーマの選択からその進め方に至るまで、管理するためのきわめて効果的な道具として利用され得たし、実際にまたそのように利用されてきたことも確かである。(p.336)


講座制は日本にも導入され、旧帝国大学に現在も残っているが、この制度に対する批判的な側面の指摘が興味深い。研究テーマの選択にはある程度の幅が与えられるにしても、指導教官となる教授や准教授などの知識や関心の範囲と関連することになる傾向は否定できないように思われ、その意味で研究の大まかな方法は規制される傾向があるとは言えそうな気がする。講座制の歴史やその功罪についての研究などがあるのであれば、是非読んでみたい。



 ミュラーが使った二つめの巧妙なごまかしの手口は、その「証明」責任を古代モデルの申立て人に転嫁してしまうというものである。20世紀初頭の学者ポール・フカールが論じたように、証明責任は、むしろ近東による植民地化があったとする古代のコンセンサスを疑う側に課す方が、古代のコンセンサスを擁護する側に課すよりも合理的であろう。ミュラーの「はったり」が大成功をおさめたという事実が証明しているのは、ギリシア独立戦争の当時および戦後において、いかに彼の聴衆がそのような「はったり」を聞きたがっていたかということにすぎない。研究者としての「高い立場」を利用し、自分に反論する者に「証明」を要求することができたミュラーによって、古代モデルは確実に破壊されていったのである。(p.372)


研究者としての高い立場から論敵に要求を出すことができたという指摘は重要である。これは研究のみならず、政治や日々のビジネスの場にも似たようなことが成立ちうるからである。

なお、これとは別に、」本書では研究分野にも分野によって地位の高いものと低いものが設定される傾向があることを主張しているが、その主張も興味深いものである。例えば、ギリシア古典学は東洋学より高いものと考えられていたことなど。この点はバナール自身が中国の研究者であるが故に彼自身が感じていることがもとになっているのであろう。



古代モデルの崩壊の原因は、その学問の内部における新たな発展のせいなどではなく、当時の世界観に古代モデルが合致していなかったせいなのである。もっと正確に言えば、古代モデルは「人種」と「進歩」という19世紀初頭のパラダイムにそぐわなかったのである。(p.374)


それ故、19世紀パラダイムが疑われれば「修正古代モデル」が復権しうるわけである。



マーティン・バナール 『ブラック・アテナ 古代ギリシア文明のアフロ・アジア的ルーツ Ⅰ.古代ギリシアの捏造1785-1985』(その1)

人種主義はロック〔イギリスの哲学者、1632~1704〕、ヒューム〔イギリスの哲学者、1711~76〕などをはじめとするイギリス思想にもその影を落としている。彼らの影響は、ヨーロッパ人の大陸探検家たちへと同様に、とりわけゲッティンゲン大学においても顕著であった。この大学は1734年にハノーバー選帝侯も兼ねたイギリス国王ジョージ二世によって創設され、イギリス・ドイツ間の文化的架け橋となった。(p.71-72)


ゲッティンゲン大学の本書での扱いはなかなか興味深いものがあった。ドイツの大学については個別的な特性なども知りたい大学が結構多い。ベルリン、ハイデルベルク、フライブルクなど。ゲッティンゲンも注目に値する大学であるようだ。(日本語の一般向けの文献でこのことが十分に論じられているものはあまりなさそうだが。)



 プラトンの思想は、どの程度までエジプトと関係があったのであろうか?明らかにエジプト的なイソクラテスの『ブシリス』と似ていることはさておき、プラトンが一定の年月を過ごした紀元前390年頃のエジプトが彼の『国家』の中心的テーマであった。『パイドロス』において、プラトンはソクラテスに次のように言明させた。「彼[エジプトの知恵の神であるテウト=トト(Theuth-Thoth)こそ、数字と算数と幾何学と……すべての学問のもっとも重要なものを発明したのだ……]。
 プラトンは『ピレボス』と『エピノミス』において、文字の使用、言語、すべての科学の創造者としてのトト神についてさらに詳細にのべている。彼は他の箇所ではエジプトの芸術と音楽を賞賛し、それらをギリシアでも普及させるべきだと論じている。実際、彼の『国家』がエジプトにもとづいて書かれたものではないとする理由があるとすれば、彼がテキストの中でそう言っていないという事実だけである。しかしながら、なぜ言っていないかには、すでに古代において説明されていた。初期のプラトンの注釈者で、プラトンと数世代しか離れていないクラントルは次のように書いた。

 プラトンの同世代の人々は、彼が発明したとされる共和国は彼自身が考えたものではなく、エジプトの政治制度の引き写しにすぎないとこき下ろした。(p.124-125)


12年近く前(このブログを開設するより前)に読んだ、『吉村作治の古代エジプト講義録』でも古代エジプトの思想はプラトンの思想に影響を与えたことが示唆されており、当時としては目から鱗という感じであったのが想起された。



すでに触れたように、モンテスキューのようなヨーロッパ中心主義者ですら、エジプト人を最高の哲学者と見なしていた。(p.204)


こうした「エジプト人」観は現在では一般には共有されていない。むしろ、「古代ギリシア人」にそのイメージが移されている。「古代モデル」が捨てられ、「アーリアモデル」にとって代わられたことが、ここにも反映している。



 しかしながら、これらの評価のうちでヨーロッパ人にとってもっとも魅力的に思えたのは、彼らの模範的な統治制度であった。中国では、道徳・知識に秀でたものが試験によって選ばれ、さらにきびしい訓練・研修を受けたうえで政務にあたるという、因習を排した合理的方法による統治が行われていた。フランスでは、宮廷重農主義者たちのあいだで中国への格別の親近感があった。彼らはルイ15世〔在位1715~74〕を中国皇帝に見立てたり、自分たちを中国の文人階級になぞらえたりした。中国はこうした支持者たちのおかげで、フランスに大きな文化的影響を与えることができた。フランスにおける18世紀半ばの政治・経済改革、中央集権化や合理化は、そのほとんどとは言わないまでもかなりの部分が、中国に範を取って行われたのである。(p.205)


17世紀後半から18世紀半ば頃にかけて、ヨーロッパではシノワズリーが流行したと美術史などではしばしば言及される。しかし、政治や経済政策などに中国の影響があったとはあまり指摘されない。本書はシノワズリーが最高に流行した時代に政治や経済政策などで影響があったことを指摘しており大変興味深い。

美術史ではシノワズリーは異文化へのエキゾチックな興味の対象であったかのように扱われることが多いように思われるが、当時のヨーロッパの人々は中国に対して憧れを感じていたのではないか。


安田浩一 『ネットと愛国』(その2)

「在日特権」とかね、あまり関係ないように思うんです。盛り上がることができればいいだけで、要するに近親相姦云々というのもネタの一つにすぎないんです。そんなことで盛り上がれるのも、彼らはリアルな“世間”というものを持っていないからなんですよ。僕自身もそうだったんですからね。よく考えてみてくださいよ。彼らのなかで、地域に根付いた活動に参加している人間がどれほどいます?そもそも地域社会なんて視点はないでしょう。地域のなかでも浮いた人間、いや、地域のなかで見向きもされてないタイプだからこそ、在特会に集まってくるんです。そして日の丸持っただけで認めてもらえる新しい“世間”に安住するんです。ここで認められるのは簡単です。数多く活動に参加した者、街宣で大声を出した者、ネットでもなんでもいいから、とにかくネタを引っ張ってこれた者。それだけでいいんです」
 だから、と彼は続けた。
「朝鮮人を叩き出せという叫びは、僕には『オレという存在を認めろ!』という叫びにも聞こえるんですね」
 一方で、存在を認めてくれない社会、存在を否定する人間に対しては、彼らはますます攻撃的になっていく。(p.438-439)


在特会やそれに類する団体に集まってくる人がどのような人なのか、かなり核心的なところをついていると思われる。



「連中は社会に復讐してるんと違いますか?私が知っている限り、みんな何らかの被害者意識を抱えている。その憤りを、とりあえず在日などにぶつけているように感じるんだな」(p.444)


被害者意識と復讐というのも重要なキーワードである。漠然とした被害者意識を持っている者が自分より弱い者を攻撃することで社会への復讐による解放感を感じ、満足しようとする。この時、弱者を叩くにあたって、たとえデマであっても叩く側から見て都合の良い理屈が提示されていると、これがない場合と比較して格段に攻撃は発生しやすくなることは容易に想像できる(嘘をつくには、それを正当化できそうな見込みがあるかどうかで発生率が変わるのと同様)。ネトウヨのネットでの発言や在特会のヘイトスピーチ動画などは、この都合の良い理屈を提供する役割を果たし、触媒のような働きをする。従って、ヘイトスピーチを規制することで、触媒を除去することで暴力の発生を抑止することが必要である。ヘイトスピーチの社会的な意味やその規制の是非や方法などは、今後もう少し掘り下げて考えてみたい問題である。



 あえて思い切った表現を用いるが、契約社員や請負といった非正規労働者は、基本的に「人間」といして扱われていない。多くの企業にとって非正規労働者を担当・管理する部署は人事部ではなく、資材などを扱う部署だ。人間が、労働力が、資材の一つとして扱われる。そこから格差と分断が生まれる。何の「所属」も持たない者が増えていく。
 そういった状況に自覚的であろうが無自覚であろうが、「所属」を持たぬ者たちは、アイデンティティを求めて立ち上がる。(p.458)


非正規労働者は人間として扱われておらず、資材として扱われている。非正規労働に関しては、人件費や労働力の調整弁などとしばしば呼ばれるが、これは多少マイルドに表現しただけであって、その内実は「資材扱い」とそれほど大きな違いはない。

こうした状況に関しては、あまり好きな言葉ではないが、「疎外」という言葉が頭をよぎった。マルクスなどが使った言葉だが、この言葉は一義的な定義を拒むところがあるため、何とでも使えるような面もあるところが悪い所であると思っている。しかし、まともな人間扱いをされずに疎外されている者が、そのことから被害者意識を募らせることで攻撃性を高めつつ、同時にアイデンティティを求めると、排外主義的な言動に容易に結びつくというのは理解しやすい。



「生きづらい世の中」をつくった戦後体制を見直せという叫びは、そのうち「敵」の姿を明確にし始める。国を貶める者たち――すなわち、左翼、外国人、メディア、公務員である。彼らは社会の「勝ち組」というよりも、混沌とする時代をうまく逃げ切った層に見えたのであろう。事実関係など、この際どうでもよい。恵まれ、あるいは保護され、世の中から認知されている者たちは、少なくとも生存競争を上から眺めるだけの者にしか見えなかったのだろう。
 そうした空気のなかで在特会は生れたのだった。(p.459)


この指摘も90年代以降の日本社会の動きを非常によく捉えている。ただ、不満を持つ側はいくつかの誤りを犯している。その一つは「生きづらい世の中」を作ったのは「戦後体制」ではなく、「金融グローバル化」であるということを見抜けていないことである。「戦後体制」が「生きづらい世の中」を作ったのであれば、60年代以前も現在と同じように生きづらかったはずである。

「憲法改正」を訴える勢力も「戦後体制」(戦後レジーム!)が悪いと言う。ここでも事実関係よりも彼らの勝手な思い込みや暗い情念を優先させている。この点で(安倍晋三などの)復古主義的反動勢力による憲法改正の動きは、在特会的なものと共通であることは指摘しておきたい。



 ネット上で<韓国人とは宇宙人だと思って付き合え><韓国人は整形をしなければ見られた顔ではない><共産支那はゴキブリと蛆虫、朝鮮半島はシラミとダニ。慰安婦だらけの国>などと書き込んでいる者がいた。調べてみたら世界遺産にも指定される神社の宮司だった。
 ……(中略)……。
 ちなみにこの宮司、13年3月に自らの思いをエッセーとしてまとめた本を自費出版していた。帯には「戦後失われた『日本人の誇り』をテーマとして、自分の国は自分達が守らなければならないという強い意思を感じます」と推薦の言葉が記されている。
 言葉の主は――安倍晋三首相であった。
 差別する側を追いかけていくと、その先に見えるのは、いつだって為政者の姿である。(p.495-496)


安倍晋三は(近々解散総選挙が予想される中)最近はあまりヘイトスピーチをしなくなったが、ヘイトスピーチを日常的に行う「極右」とか「保守」などと不正確な呼ばれ方をしている復古主義的反動勢力と同じメンタリティを持っているということはもっと多くの人々に深く認識されるべきである。



安田浩一 『ネットと愛国』(その1)

「あくまでも市民運動として、僕は参加してきたつもりです。ですが、いつのまにか『市民なのだから何を主張してもかまわない』といった甘えも運動内部で生じてきたように思います。言いたいことを言う、やりたいことをやる。それでは子どもの集団ですよ。しかもネットによって運動が拡大するにつれて、政治目的というよりも不満をただぶちまけたいだけの若者までもが参加するようになりました。ただ過激さを競い合うだけのような場面も珍しくなくなったんです」(p.174-175)


ネット動画などで耳目を引いて参加を募るという方法論自体が、こうした方向へと展開する大きな要因となっている。この意味で、逮捕者を多数出すような結果となったことは、在特会の活動の方法から半ば必然的な帰結であったと見ることが出来る。そこに至ることによってヘイトスピーチに対する法制定など社会の側から受け容れられないことが明確化することで、在特会自体の存在感は小さくなっていったと理解することが出来る。

「市民なのだから何を主張してもかまわない」という発想は、在特会特有のものではないという点にも注目したい。さらに言えば、「市民なのだからどのようなやり方(態度を含む)で主張しても構わない」という考え方とセットになっている場合もあることにも留意したい。いずれも「甘え」というか、社会に生きる人間として「悪い」――共通善に反する――態度である。



「音楽を通じてたくさんの友達がいたのですが、在特会の活動に熱中しているときは、彼らが僕からどんどん離れていった。他人にどう見られているのかということが、その頃の僕にはわからなかったんですね。実を言うと、在特会のメンバーには活動以外に何の趣味も持たず、友人も少なそうな人が多かったように思います。だから在特会の活動だけに生きがいを感じるしかなかったんじゃないでしょうか」
 ……(中略)……。
 何も持ち得ぬ者にとって「愛国」は唯一の存在証明にもなる。(p.180-181)


「ネットの動画で人を募る」という方法と「友人や趣味を持たない人」とは相性が良い。何も持たない人が持てあました時間をネット動画を見て過ごす中で在特会の動画と出会い、満たされない思いを発散する方法と口実(愛国をベースとする彼らの振りかざす「正義」)を発見することで「覚醒」するといったモデルで捉えると理解しやすい。



「大事なのは若者や子どもを“落とす”ことだと思うんですよ。だから芸能人や人気漫画家を、どんどんこちらの陣営に引き込んでいきたい。(p.229)


ネトウヨでありクーデタを計画しているという「よーめん」の発言。教育やメディアというものが重要なのはまさにこの点においてである。ここで語られているような「悪」の方向にではなく共通善が何でありどのようにしてそれを実現していけるのかを討議できるような市民を形成できるような教育とメディア環境があることがきわめて重要である。



 在特会は自らのウェブサイトにおいて「そもそも外国人が外国籍のまま本名を隠し、日本人と同じ名前で生活できる制度自体が異常と思わないか」と主張している。たしかにそのとおりだが、在日が通名を使用せざるを得ない“環境”について、少しでも思いを馳せたことがあるだろうか。たとえば在特会の幹部たちはリーダーの桜井をはじめ本名を隠し、別の名前を使って活動している者が多いが、その理由の一つは、本名で活動すると「いろいろと都合の悪いこと」が生じるからだろう。(p.273-274)


在特会が掲げる「在日特権」なるものが存在するかどうかを本書では検証しているが、そのうちの通名制度に関する部分。在特会側が通称名を使っている点を持ち出して批判している点が面白い。在特会の主張が公正ではなく一方的なものに過ぎないことがよく分かる。



「考えてみたんです。僕らは市民団体を名乗っているけど、地域の人間とともに立ち上がることができるのか。家族とスクラムを組んで敵とぶつかることができるのか。そもそも出身小学校のために駆けつけることができるのか。すべてNOですよ。僕らはネットで知り合った仲間以外、そうした絆を持っていない。僕はそれに気がついた瞬間、この勝負は負けだなと確信しました」
 在特会は絶対に認めることはないだろうが、彼らが憎悪する「特権」の正体とは、意外とそんなところにあるのかもしれない。つまり、在日社会が持っている濃密な人間関係や、強烈な地域意識。それは、今日の日本社会が失いつつあるものでもある。個々に分断され、ネットを介してでしか団結をつくりあげることのできない者たちにとって、それこそが眩いばかりの「特権」にも見えるのではないだろうか。(p.291)


興味深い指摘。在特会は市民運動を名乗っているが、実際の地域に根ざした人間関係などとは縁がないものであるという点については、本書を読むまであまり考えたことがなかった側面であり、この視点は重要であるように思われた。在特会に入るような人が「何も持たない」ような人であることとも密接に関係しているからである。すなわち、パトナム的な意味でのソーシャル・キャピタルを持たない人が増えていることが、ヘイトスピーチ的なものが広がる土壌を造っているのではないか?社会の構造としてソーシャル・キャピタルを蓄積できるような方向へと進めていくことが必要なのではないか?



「桜井に限らず、在特会のメンバーに共通するのは“世間に認められたい”といった強い欲求ですよ。彼らは“メディアなど信用できない”と言いながら、たとえ批判的なトーンであったとしても自分たちの活動がメディアに取り上げられると、無邪気に喜ぶ人が多いんです。(p.337)


在特会などの言動の激しさは、鬱憤晴らしという意味があるほか、世間の注目を浴びたいといった意味もあるのかもしれない。



「(在特会の)メンバーには、ここで始めて“認められた”喜びを得る人間が多い」と打ち明けた。(p.421)


社会の中にうまく溶け込めずにいる者は当然、社会からもうまく認めてもらえない。そういった人間が在特会という場での活動によって承認される欲求を互いに満たすことができる。そのことが吸引力にもなっている。こうした図式は本書を読むまで全く気付かなかった点であった。

「認められる」ことが少ない社会であることが問題の根本であるように思われる。不寛容な社会。小泉政権下でのネオリベ的な言説と政策による社会の分断、個人のアトム化は、社会にとってこうしたネガティブな効果をももたらしたのではないか。



「たしかにニートや引きこもりだった人間がいないわけじゃない。でもそれは多数とは言えませんね。仕事とか学歴とか、そんなこととは関係なしに、どこか人間関係に難点を抱えているようなタイプが多いんです。在特会のいいところは、“来る者を拒まず”を通していることなんです。(p.422)


コミュニケーション能力は、ここ20年程度の間でかなり重要度を増しているものとして扱われていると思われ、コミュニケーション能力があることは善いこととされている。それはもっともな面はあるとしても、個々人に高いコミュニケーション能力を要求する社会というのは望ましいものではないのではないか。