アヴェスターにはこう書いている?
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大阪社会保障推進協議会 『住民運動のための国保ハンドブック2012』(その1)

 簡単に言えば、大企業は「人間の使い捨て」をやり、その後始末を国保に求めています。……(中略)……。
 健康な人を採用し、不健康になればリストラするのですから、会社の健康保険組合は大変に黒字を出し、ホテル顔負けの保養所やボーリング場、ゴルフ場をつくったりしました。その後、健保間の不公平是正のための「老人保健拠出金」の賦課などで財政的に窮屈になりましたが、大企業健保組合の管理者は企業幹部と役人の天下り先であり、企業負担の軽減しか考えていないようです。
 例えば、大手ゼネコン各社は現業労働者の多くを経営者負担のない「建設国保」に加入させています。企業の健保組合に加入させれば、すくなくとも健康保険料の半額は経営者が負担しなければならないからです。(p.12)


大企業の「人間の使い捨て」は、健康保険の分野で語るよりより直接的に雇用の分野で語る方が自然であり、より説得力が出ると思われる。健保組合ではなく建設国保に加入させているというのもそういった事例も多いのだろうが、健康保険ベースで考えたというよりは雇用形態をより流動的なものにしておくことで人件費を節減しようという企業側の意図があり、その中の一環として建設国保加入となっている、と言うことのように思われる。このため、この箇所のように健康保険ばかりに焦点を当てながら語るやり方は、まったく的を外しているわけではないにせよ、事実の論理的な結びつきを十分な説得力を持たせることができていないように思われ残念である。指摘していることは基本的に間違っていないだけにもう少し説得力があるやり方で語って欲しい。



まず「戦前・戦中の日本に国立病院はありましたか?」という設問です。「あった」「なかった」で答えるのはちょっと難しいのですが、戦前・戦中に存在した国立の医療機関は国立大学付属病院とハンセン病療養所ぐらいでした。戦後生まれの国立病院・療養所のほとんどは元陸軍病院、元海軍病院、元日本医療団結核療養所、元傷痍軍人療養所など、戦争目的に集積された医療機関が、戦後改革のなかで、国民のための国立病院に生まれ変わりつつあったものです。
 しかし、1980年代に中曽根内閣の「戦後政治の総決算」路線のなかでつぶされつつあります。(p.15)


国立病院のほとんどが、もともとは戦争目的の医療機関であったというのは意外だったが、言われてみればなるほどと思わされる。国民全体の健康や衛生の向上よりも軍事に関する対応の方が戦前にあっては優先順位が高かったとしても不思議はないからである。戦後はより公共的な機関になろうとしていたのに、中曽根内閣以後の新自由主義的な改革によって公共性よりも私的な利益を追求せざるを得ない状況へと追い込まれているというところか。



 1983年に「老人医療費無料制度」にかわって「老人保健制度」が、1984年には「退職者医療制度」「高額療養費制度」が始まり、国庫支出金の負担が「給付費×50%」となりました。
 実は、これらの新しい制度は「国庫支出金」を減らし、医療保険同士、また国保同士の助け合いの財政運営に変えるという目的があったのです。(p.24)


なるほど。いろいろと名目は違うように見えても、本音では中央政府の財政責任を回避するという共通目的があったということか。

2008年に創設された後期高齢者医療制度や2018年から始まる国保の都道府県単位化などもこれと共通の目的をもつ動きの一環であると押さえておくことは重要である。



 高額療養費とは、病院などの窓口で支払う医療費を一定額以下にとどめる目的で支給する制度ですが、実は国保同士の助け合いの制度です。
 高額療養費には「高額医療費共同事業」と「保険財政共同安定化事業」があります。
 「高額医療費共同事業」は1件あたり80万円を超える保険給付費を国保50%、国庫負担25%、都道府県負担25%で拠出し、都道府県国保連合会にプールし給付します。
 「保険財政共同安定化事業」は1件あたり30万円以上80万円未満の保険給付費を都道府県ごとの国保から国保連合会に拠出させ給付する、いわば、国保同士で助け合う制度です。なお、2011年度の国保法改正で2012年度からは1円以上からとなりました。(p.25)


なるほど。言われてはじめて気づいた。高額療養費は確かに被保険者個人の立場から見れば、負担額を一定額以下にとどめる制度だが、そのための財政の仕組みに目を向けると「国保同士の助け合いの制度」という別の側面があることが分かるわけだ。



 「老人保健制度」が、75歳以上の高齢者と65~74歳の障害者を国保や健保に加入させたまま医療を保障するのに対し、「後期高齢者医療制度」は、高齢者を他の医療保険から完全に切り離します。これにより、「後期高齢者」の給付費増や人口増がそのまま高齢者の保険料にはね返るようになりました。この仕組みは介護保険の財政設計と同じで、「保険料か給付か」という選択が、高齢者にせまられることになりました。(p.25)


なるほど。確かに介護保険とほぼ同じような設計であり、今度は「高齢者同士の助け合いの制度」にしようという隠された(?)目的があることが指摘できるわけだ。ただ、高齢者を他の医療保険から完全に切り離すという表現は正確ではなく、行き過ぎていると思われる。というのは、他の医療保険は拠出金によって「後期高齢者」の医療費の一部を賄っているため、この割合を変化させることができれば、必ずしも後期高齢者自身に「保険料か給付か」という選択を突きつけるものになるとは限らないからである。

本書の指摘は、制度について政府が語らない隠された目的があることを見えるように指摘してくれている点で有益だが、論証の仕方には粗雑なところがあるのが残念でありまたもったいないと思う。


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マックス・ウェーバー 『国家社会学[改訂版]』

国民投票的指導者による政党の指導にとって、前提条件となるのは、従属者の『魂の喪失』である。彼等の精神的プロレタリア化といってもよかろう。指導者のために器具として役立つためには、従属者は、名望家的虚栄心にも自己の見解の要求にも心を乱すことなく、盲目的に服従し、アメリカ的な意味での機械にならなくてはならぬ。……(中略)……。『機械』を使う指導者デモクラシーか、それとも指導者なきデモクラシー、つまり、使命(Beruf)をもたず、指導者の条件たる内面的な、カリスマ的資質をもたぬ『職業政治家たち』の支配か、二つの中の何れかしかないのである。(p.81-82)


晩期ウェーバーの人民投票的指導者民主制の政治観がよく表れているところであるように思われる。(もっとも、本書はヴィンケルマンがウェーバーの政治的な著作をつぎはぎして勝手に組み上げた議論なので、ウェーバー自身の思想を語るには適切な本とは言えないが…。)大衆は所詮は魂を喪失した精神的プロレタリアであり、指導者にただ盲目的に服従するだけの存在であると前提されており、カリスマ的指導者がこの「機械」を使うべきだと考えられている。

ここで述べられている「機械」という語は、官僚制や軍隊などを語る際に「装置」という語を用いるのと並行しているように思われる。指導者が官僚制という「機械(装置)」を使うように、大衆をも「機械」として使うという発想に対しては、個人的にはおぞましいと感じるが、それを抜きにしても、命令系統が決まっている組織である官僚制と、アモルフなものとして捉えられることが多い大衆的な従属者たちを同じように「機械」として操作可能なものと考えるのは仮に比喩であったとしても適切ではないように思われる。

また、ルーマン的なコミュニケーション概念からは、官僚制という組織でさえ、「機械」や「装置」として捉えることの不適切さが指摘できる。「機械」や「装置」では、ダブルコンティンジェンシーが考慮されていない。すなわち、従属者側が指導者側に対してどのように反応するかという選択の余地があることについて無視されており、このことが持つ意味や効果は軽視できない。いわんや大衆をや、というところである。


ヴォルフガング・J・モムゼン 『マックス・ヴェーバーとドイツ政治1890~1920Ⅱ』

 マックス・ヴェーバーは、大戦時におけるドイツ的政策の本質的な課題が東部にあるとみなした。彼は、東部の場合でも、言語の異なる領域の併合に強く反対した。……(中略)……。
 その代わりに、ヴェーバーは、世界大戦におけるドイツの政策目標として、東部中欧において民族主義原理に基づく完全に新しい秩序を求めた。それによれば、ドイツは、大ロシアの専制から弱小民族を解放する役割を果たすべきであると考えられた。ヴェーバーは、ポーランド、リトアニア、ラトヴィア、ウクライナ、それぞれにおいて、広範囲にわたる自治権を有する国民国家が建設され、それらがドイツ帝国に依存することを望んだ。……(中略)……。
 ……(中略)……。そして彼は、ドイツがごまかしのない公平な協調の方法をとるならば、これら諸国民が反ロシア同盟の誠実な構成員になり得るであろうと信じていたのである。
 こうした東部中欧の[併合]計画は、基本的な傾向において、例えば、ハンス・デルブリュックやパウル・ロールバハのような、多くの自由帝国主義者の理念に合致していた。彼らは皆、海外へのドイツの勢力圏拡張が考えられなくなった大戦中に、ドイツの権力を東部中欧地域で拡大させる政策の可能性に関心を向けた。それによれば、ドイツは、東部において、ロシア帝政の専制から弱小民族を解放する役を演ずるものとなるべきであるとされた。(p.381-384)


ウェーバーの大戦時における政策論を見る場合、ドイツが対抗すべき勢力としてロシアを見ていた点は重要と思われる。

また、ドイツとロシアの間にある「弱小民族」を「解放する」役割をドイツが演じるべきだとする――ウェーバーのみではなく、当時のドイツの自由帝国主義者たちに共通した――考え方は、第二次大戦の頃の日本における「大東亜共栄圏」の発想を想起させる。

自国の安全のための緩衝地帯として最大の敵国(と見做す国)との間に、民族の自治と称して自国の影響圏を構成するべきだという発想の問題点は、自国が「弱小民族」を隠然と支配しながら反発も受けず、共に「敵国」と対峙する勢力として固定しておくことが出来るという自国にのみ都合の良い見方に立っている点のほか、自らの願望から見ているために、「弱小民族」(とされる人々)から見た視点やその主体性に対する配慮が欠けているところにある。また、敵国から見た場合にも同じ見方によって影響力を行使できるという視点も弱い。こうした独りよがりの発想では、相手がある闘争においては、そもそも自国が想定する敵国よりも圧倒的に力関係が強い場合でなければそう簡単にうまくいくとは思えない。



国家間の権力抗争におけるこのような威信要素の働きについて、ヴェーバーがその意義をいかに高く評価したか、この点は注目すべきである。彼はその意義を少なからず過大評価していたと言っても差し支えないだろう。内政においては、ヴェーバーは国内戦線を強化するものとして民主化を求めた。だが、一度、帝国議会多数派が講和声明を出す決意を固めて結集した時、彼は、それを、外国には[ドイツの]弱さのしるしに映ると評した。その限りにおいて、結局、ヴェーバーはここで自己矛盾に陥っていたのである。
 その上、ヴェーバーが講和決議に激しく反対したもう一つの理由は、民主化と[国民の]講和に対する期待感との結び付きにあった。ヴェーバーはこの結び付きを極めて憂慮すべきものと考えた。なぜなら、講和が議会主義的な統治体制に対する国民の考え方に及ぼす影響を考慮していたからである。彼は妻への手紙にこう書いている。「……将来、国内では、『外国がわが国に民主主義を押し付けたのだ』、と言うことだろう。これは不幸な出来事だよ。……」ヴェーバーの見解では、次の点が本質的に重要であった。つまり、名誉の講和が最終的に実現しない場合には、それによって民主主義思想それ自体を危険にさらすような解釈が必ず出現する。そうした解釈が最初から生じて来ないようにすることが必要である、という点である。同じ時期の手紙では次のように書かれている。「お前達は、外国が自分――外国――に都合の良い憲法をわが国民に押しつけたのを手助けしたのだ、とわれわれは将来、数十年にわたって反動家の連中がこのように非難するのを、何としても防ぐように努力しなければなりません。……(中略)……。」
 この批判は、ワイマール共和国が陥ることになる状況――ワイマール共和国は戦勝国の意志の産物でしかない、とその反対勢力から非難された状況――を予見するものであった。(p.450-451)


前段ではウェーバーが「威信要素」を過大評価していた点が批判されているが、これは妥当な批判であると思われる。ウェーバーの政治論は、社会学的な業績よりも遥かに劣る価値しか持たないと私は考えるが、その理由はまさにこの威信要素の過大評価によって判断が歪められている(影響を受け過ぎている)点にある。(もっとも、ウェーバーの学問的な業績のほうも、同じように「主観的に思われている要素」を重視している点では同じ傾向にあるとも言えるが、彼独特の距離を保とうとする感覚によって多少なりとも相対化されているのに対し、政治論では露骨に価値判断が方向性の判断を規定してしまっている点に問題がある。)

後段でウェーバーが憂慮している議論は、何やらここ20-30年ほど日本で見かける議論と似ているようである。つまり、第二次大戦後の日本の憲法に対して、民主化や人権擁護が行き過ぎていると考える保守的な勢力が、日本国憲法を攻撃する際に使用する物言いを想起させる。民主的なワイマール憲法が批判されて登場してきたのがナチであった。上記の物言いで日本国憲法を批判する勢力も同じようなものであることはよく理解しておく必要がある。



ヴェーバーによるロシア革命の解釈は幾分か誤っていた。彼は、1917年のロシア革命を理解する十分な概念的な枠組みを全く持っていなかった。ヴェーバーは、自発的な大衆運動を信じていなかった。専ら彼が信じていたのは、よく組織された行政幹部を統率する偉大な人物によって目標と方向が与えられる政治的形成体のみであった。この他に、すでに見てきたように、彼の確信によれば、長期間の革命的変革は、それが展開される場所と形式を問わず、ブルジョワジーの協力なしには考えられないものであった。(p.475)


ウェーバーの政治論の問題点の一つを的確に指摘している。まずウェーバーの理論には運動論が欠けている。このことにより、社会の変革の選択肢は狭められてしまった。また、ブルジョワジーなしの変革は考えられないという部分は、彼が属するブルジョワジーが役割を果たして欲しいという願望が先に立ってしまっていたように思える。



 こうした状況の中で、マックス・ヴェーバーがドイツのブルジョアジーに情熱を込めて訴えたのは、次の点であった。すなわち、ブルジョアジーは自己の固有の文化的・政治的理想を思い起こして、軽蔑されるような亜流的存在に成り下るのではなく、再び彼ら自身の階級意識に目覚めるべきである、と。「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に関するヴェーバーの有名な研究は、こうしたブルジョア的・ピューリタン的な階級意識を蘇生させようとした試みでもあった。(p.698)


なるほど。この指摘によれば、ウェーバーの政治論に見られるブルジョアへの期待と「倫理」論文で提示された理念とは繋がっているという見方ができるわけだ。どの程度の妥当性があるかはすぐには判断できないが、なかなか興味深い指摘。



 マックス・ヴェーバーは、民主制と自由主義的法治国家を自然法によって正統化することが困難になって来たと考えていた。なぜなら、現代国家学にとって、自然法は正統化の理論としてはもはや十二分に耐え得るようなものではなくなった、と考えられたからである。つまり、「人権[思想]」は宗教的なゼクテ制度の産物であり、その本質において「極端な合理主義に基づく狂信」である、と彼は考えていたからである。……(中略)……。
 人民主権に関する古典的な民主主義論の場合にも、事情は異なるものではなかった。それは、ヴェーバーの見解によると、支配権が個別的にどのような形態を取ろうと、支配権というものは指導者達の寡頭制によって行使されるという根本的事実を無視しているのである。……(中略)……。極端な知的合理主義に拠って、ヴェーバーは人民の自由な自己組織という民主主義思想から原理的に離れて行った。……(中略)……このミヘルス宛の手紙で、マックス・ヴェーバーは、幻想をまじえない冷静な言葉で次のように述べている。「……(中略)……。『人民の意志』とか人民の真の意志というような、そうした概念は、私にとっては、すでに久しい前からもはや存在してはいません。それはフィクションです。……(中略)……。」、と。ヴェーバーは、現代大衆民主制において古典的民主制論の理念的核心だけでも救出して活性化させることを諦めてしまったのである。ルソー以来民主制思想にその固有の高い価値(ディグニテート)を与えて来た、人民の自由な自治という要請に代わるものとして、彼は形式的に自由な指導者選出の原理を提示したのである。(p.701-704)


ウェーバーの政治思想の最大の問題点の一つを集中的に論じている箇所と思われる。

ウェーバーは自然法や民意といったものが存在しないと喝破することによって、これらの理念を採用できなくなったわけだが、この点にウェーバーの政治思想の根本問題があると思われる。民主制や議会制を手段としか見ることが出来ないところにウェーバーの政治思想の問題が集約的に現れてくるが、理論的には、その原因は、こうした「自然法」や「民意」のような理念の喪失がある。

もちろん、ウェーバーという人物の個性なり気質として、貴族主義的で権威主義的なところがあり、本質的に民主主義的なものへの共感が低いということもあるにしても。なお、この意味では、ウェーバーは理念的核心を活性化させることを「諦めた」のではなく、そもそも民主主義的な志向が弱く、あまり積極的に活性化させようとしなかったのだろうと私は考えている。(この「諦めた」という部分はモムゼンが是とするものとウェーバーのそれとの落差から出ているものと思われる。)

「自然法」や「民意」のような「実質的なもの」をウェーバーのようなやり方で一蹴してしまうのではなく、適切に取り入れた政治論が必要である。というのは、モムゼンが考えているであろうように、「民主制論の理念的核心を活性化」させることは現代の日本や世界においても非常に重要な課題になっていると私は認識しているからである。そして、この点で、サンデルのような目的論が参考になると考えている。すなわち、例えば、「人権」を基礎づけるために歴史的には「神が造った」ということに繋がっていく自然法思想から導くのではなく、多くの人々が善く生きるために必要だと認めるような権利であり、また、その権利を認めることにより実際に期待された方向へと社会を進め得るから増進されるべきだというように立論するようなやり方である。

ウェーバーの理論は「実質的なもの」を捨てすぎたために「形式的なもの」に頼りすぎる傾向がある。そのためいつも「実質対形式」のジレンマに立たされる。(それが魅力の一つになっている面もあるのだが。)



ロイド=ジョージ型の人民投票的指導者やカール・リープクネヒトにも、ベニト・ムッソリーニやアードルフ・ヒトラーにも適用可能なヴェーバー的意味におけるカリスマの無内容さは、[政治的色合いを異にする、さまざまなカリスマの変種を区別する]識別という困難な問題を実際に提起するのである。(p.750-751)


これは正に私が直前で指摘した「実質対形式」のジレンマの一つかも知れない。形式的なカリスマ概念はどのような型のカリスマにも適用可能だが、その実質的な働き、すなわち、そのカリスマが導く方向についての感度を鈍らせることになりやすい。現実の政治では、そのカリスマ的指導者が、どのような方向に社会を導いていくのか、「彼の目的」と「彼の行為が引き起こすであろう結果に対する予測」をよく見ることが必要であるが、ウェーバーの理論は形式的過ぎてこの点を看過しがちなのである。



しかしながら、憲法技術上の意味だけではなくて、とりわけ原理的にもヴェーバーによって過度なほど強調された指導者の役割論は、民主政治の過程をほぼ指導者選出の問題に局限する結果となりはしないかどうかという問題が提起されよう。(p.751)


これはまさに晩期ウェーバーの人民投票的指導者民主制の問題点だろう。


ヴォルフガング・J・モムゼン 『マックス・ヴェーバーとドイツ政治1890~1920Ⅰ』

その後、1896年に発表した「古代文化の没落」に関する論文の各所において、ヴェーバーは、きわめて魅力的な形で、古代文化の諸現象を東エルベのそれと次のように対比している。(p.62)


古代ローマに関する研究と東エルベの大土地所有制の問題とがウェーバーの中ではリンクしていたという指摘は興味深い。「奴隷労働の不足→ラティフンディウム制が衰退→ローマ共和政の社会的諸前提が崩れる」とウェーバーは考えていたが、これを「ドイツ東部での労働者不足→ユンカーによる大土地所有の存在を脅かす」という形で重ねていた、と。



 まさに、労働者階級の社会的地位こそが、マックス・ヴェーバーにとって、ドイツ帝国の帝国主義的な権力拡張の成否に直接結びつくものであると思われていた。1896年の第7回福音主義社会会議大会において、ハンス・デルブリュックが、失業問題についての報告を行なった。その中で、彼は、失業保険の導入を検討し、とりわけ、公的な職業紹介所の設置――近代的理念と言ってよいもの――を提案した。ところが、マックス・ヴェーバーは、このデルブリュックの提案に反対し、失業問題の背後には、「人口問題という一大重大事」があり、したがって、失業は、労働需要の調整という純技術的な問題よりもはるかに重要な意味を有する、と発言した。ヴェーバーは、ただ国民主義的な経済空間の帝国主義的拡大という点においてのみ、失業問題を現実的に解決することが期待できる、と考えたのである。(p.157)


ウェーバーの思想を「リベラル」なものだと理解しようとする流れがかつてのウェーバー崇拝型の研究者には多かったが、ウェーバーの政治思想について検討してみると、一見して「リベラル」な主張に見えるものであっても、その根拠は現代のリベラルとは全く異なったものであり、むしろ、現代の保守的な思想に近いことが明らかになる。この労働者階級の社会的地位や失業問題に対するウェーバーの姿勢もこうした例の一つである。

すなわち、失業問題に対してもウェーバーは人権などの出発するのではなく、「国家」の利益や権力の増進を目的として対処すべきだと考えているようである。例えば、こんな感じか。「帝国主義的な領土拡張→労働需要の増大→失業の解消→労働者階級の社会的地位向上→国民的統合の強化→帝国主義的な領土拡張……」



 マックス・ヴェーバーの学問的業績の中で最も意義あるものは、経済生活における精神的・心理学的な動機のもつ驚くべきほどの重要性を認識し、それを説明したことである。彼は、近代の合理的・分業制的な資本主義の成立に貢献した、かの特殊な経済心情は、ピューリタン的宗教心から発生したことを証明してみせた。地味でつらい労働の中に、その時々の収益のためにというのではなくて、そうした労働それ自体の中に人生に固有の課題をみる世俗内的禁欲から育まれたピューリタンの精神的態度は、マックス・ヴェーバーにとって、そのまま、ブルジョア社会の規範となるものであった。ある時、ヴェーバーは、アードルフ・フォン・ハルナックに次のように書き送っている。「……わが国民が、厳格な禁欲主義の学校を、一度も、いかなる形においても卒業しなかったことは、私が、……わが国民に(また私自身にも)憎むべきものと感ずるすべてのものの源泉なのであります。」(p.185)


ウェーバーが描き出した禁欲的プロテスタンティズムの労働倫理は、彼にとってブルジョワ社会の規範となるべきものとしても考えられていたのだとすれば、この労働倫理が、ウェーバーの宗教社会学的研究と政治思想とを結ぶ結節点として位置づけることができそうである。



マックス・ヴェーバーにとって、何よりも重要な問題は、労働者階級を現存国家に積極的に協力させることにあった。それ故に、あらゆる社会政策の目標は、労働者階級が自由に自ら決定できるように手助けすること、また自らの責任を自覚するように教育することに置かれるべきであった。単に社会的感情からだけで社会政策を推し進めることは、彼にはまったく考えられないことであった。この点で、彼の見解は「憐れみ」という価値を徹底的に低く見たニーチェの思想に近い。……(中略)……。
 自己責任と自由な自己決定こそは、ヴェーバーが進歩的な社会政策の根本的理念としたものであった。(p.196-197)


「憐れみ」や「同情」といったもの、あるいはより普遍化された理念としては「基本的人権」といったようなものを、ウェーバーは重要なものと見なしていなかったことは明らかである。それでも「リベラル」と見ようと思えば見えなくもない主張をしていたことの理由は、最後に述べられているようにウェーバーが自由な自己決定や責任を重んじていたことが関係していると思われる。

ウェーバーの政治思想は、かなり重要な点でリバタリアンと非常に似ている。少なくとも根本的な理念としているものは殆ど共通していると言ってよい。しかし、リバタリアンはウェーバーよりもさらに個人主義的な考え方が強い場合が多く、権力国家指向のナショナリズムやブルジョワ階級への帰属意識なども重要な役割を果たしている点は、純粋なリバタリアニズムとは対照的である。このあたりのねじれのようなものが、ウェーバーの政治思想の面白いところの一つであると思う。

なお、ウェーバーの政治思想を「リベラル」と見ていた人々がいたことは先にも述べたが、そのように見える主な原因は、ここで指摘したリバタリアニズムと共通した理念を重要視している点にあると思われる。



 マックス・ヴェーバーは、植民地政策として、どのような具体的目標をもっていたのだろうか。この点に関する彼の意見を述べたものは、第一次世界大戦前にはほとんど見当たらず、それを確認することはできない。やっと大戦中になってから、彼は、時折、それを暗示するような発言を行なっている。……(中略)……。世界分割に際して、ドイツが、それ相応の分け前に与かるために、どのような外交政策をとらなければならないのか、というドイツの進路については、ここでもヴェーバーは、それ以上立ち入った発言を行なっていない。(p.268)


本書は、ウェーバーを自由帝国主義者として描いており、それは概ね妥当だと私も考える。しかし、(真の帝国主義者であれば必ず考えておかなければならないものであると思われるが)外交政策はウェーバーの主たる関心事ではなかったことがわかる。すなわち、帝国主義者という側面は二次的なものであると考えるべきであろう。



ヴェーバーによれば、他の諸国民が、はるか以前から享受してきている程度の政治的自由を、国内において獲得している国民だけが、要するに「王者たる資格をもつ民族」ともいうべき国民だけが、およそ地球の分割をめぐる闘争に際して、他民族の運命に口を挟む歴史的権利をもつ。……(中略)……。換言すれば、外へ向かって帝国主義的な政治を営むために当然行なわなくてはならない必要不可欠なことは、国内において議会主義化をはかることである。議会主義化は、確かに文化的理由から必要とされただけではなく、まず何よりも国民の精神的統一と結束をはかるために必要とされたのである。(p.313-314)


政治的自由や議会主義化という事を言いながら、同時に「口を挟まれた」他民族にとっての権利や自由というものに対して全く配慮がないことに対しては、現代の感覚からすると驚きを禁じ得ない。



そもそもドイツ自由主義にとって、とりわけ自由帝国主義者にとっては、イギリス、すなわちその巨大な帝国を建設し確保してきた国民が模範であった。(p.314)


なるほど。



 ヴェーバーは、フライブルクと、その後はハイデルベルクにおいて教授活動をしていた年月の間に、彼を育んだ国民自由党の伝統とは異なる南ドイツの連邦主義的な思潮に近づいていった。(p.315)


なるほど。



ヴェーバーが描いた政治家の本質についてのイメージも、多くの点で、紛れもなくビスマルク的な特徴をもっている。ヴェーバーがイメージする政治家は、選挙民の意志に自らを合わせるのではなく、その逆であるべきだとされる。政治家は、その政治的才能や、[指導者としての]認知と支持勢力を得るそのカリスマ的能力、結局は、そのデマゴギー的な天分を、自らの追求する政治目標の実現に向けて追従者を獲得するために用いる。政治家は、多数派の意志を代弁する者ではなくて、デマゴギー的手段に訴えて、議会内において、あるいは大衆の間において多数派を勝ち取る。以上のような政治家のイメージには、一部は戦術的で一部はデマゴギー的な手段を用いて、議会内に多数派を形成し、この多数派を擁してその折々の政治的企てを実現しようと目論んだ、ビスマルクの天才的な能力が否応なく想起させられるのである。(p.333)


ウェーバーにおける政治家のイメージは、代表としての議会という視点が欠けており、また、被治者の権利や自由も考慮されていない。



丸山眞男 著、松本礼二 編注『政治の世界 他十篇』
「科学としての政治学」より

一般に、市民的自由の地盤を欠いたところに真の社会科学の生長する道理はないのであるが、このことはとくに政治学においていちじるしい。(p.16)


先ごろ、大学の文系学部を縮小すべきだとかいうような話が出たが、まさに昨今の日本社会は市民的自由の地盤が崩れてきていることを象徴している。(政府・文科省あたりは誤解だと言っているようだが、このような言い訳は全く信用するに値しない。)



そうして、爾来経験科学としての政治学は主として英米(political scienceとして)及び仏(sciences morales et politiquesとして)のごときいわゆる西欧民主主義国家に発展し、そこでもっともみのり多い成果をあげて今日に至っている。これに反してドイツにおいては後に触れるように、政治学はほとんどもっぱら国家学(Staatslehre)として展開し、それもとくに、国法学(Staatsrechtslehre)乃至は行政学の巨大な成長のなかにのみこまれてしまった。これもつまりプロシャ王国乃至ドイツ帝国における市民的自由のひ弱さと、これに対する官僚機構の盤石のような支配力を反映した結果にほかならない。(p.16-17)


なるほどと思わされる対比。特にドイツについての記述は説得力がある。



 ビスマルクはかつて政治をば「可能的なものについての術」(Kunst des Möglichen)と呼んだ。政治的思惟の特質は、それがすでに固定している形象ではなくて、何か絶えず新たに形成され行くもの、その意味で、未知を含んだ動的な可変的なものを対象としているところから生れるのではないかという事は既に多くの学者によって感知されていた。十九世紀ドイツ国家学の発展が政治的なるものを国家理論のなかから漸次排除して、ひたすら国学として完成されて行く過程(この伝統を究極までつきつめたものがケルゼンの純粋法学であるこというを俟たぬ)にほかならぬことは前にも触れたが、そこで、政治学的考察をば、法学的なそれと区別する際に、共通に見られる傾向は、やはり政治を国家の「動態」に関連させて捉えていることである。(p.29)


ドイツの国家学の発展のプロセスがどのようなものだったのか、少し詳しく検討してみると面白そうではある。



「政治学」より

政治学はその本質上人間生活のあらゆる領域い関係するので、勢いきわめて包括的な知識を必要とし、それだけ動もするとディレッタンティズムに堕し易い。しかしそれかといって隣接領域に盲目ないしは無関心なプロフェッショナリズムに陥っては、他の学問はいざ知らず政治学は到底有効性を発揮できない。そこでこの二つの危険から免れるためには、ロブスン教授が言っているように政治学研究者はどうしてもJ.S.ミルの定義した意味での「教養人」を志さざるをえないことになる。それはあらゆることについて何事かを知っており、何事かについてはあらゆることを知っている人」というのだ。(p.313)


社会科学を学ぶことは上記の意味での「教養人」のような者になっていくことであると私は考えている。しかし、個人的には、経済学の研究者の多くからはこうした傾向を感じないことに大きな問題を感じている。



「政治的無関心」より

アパシーはなるほど支配的な象徴にも対抗的な象徴にも積極的には結びつかないが、その現実的効果は一般的に支配層により有利である。現在の体制は「消極的」忠誠によっても惰性の力で相当の程度まで維持されるが、それを変革しようとする運動は自己の側に「積極的」に大衆を動員しないかぎり進展しないからである。積極的にリベラルでも保守的でもないということは政治的には保守的に作用せざるをえない。(p.336)


これは現在の政治状況においても非常に重要な指摘である。7月に参院選が控えているが、それを前にした安倍政権の動きはまさにこの性質を利用したものである。積極的に反対をひき起こすようなことはせず波風立てずにしていれば、世論の政治への関心は高まらず、その結果、支配層により有利になる。そして、議席を獲得した後に、何の信任も受けていない事柄を好き勝手に進めていこうとしている。この程度のことにはもう少し多くの人が気づき、大衆を小馬鹿にした支配層の魂胆に対して怒りを感じるべきである。



「政治的判断」より

政治から逃避する人間が多ければ多いほど、それは政治にカウントされない要素ではなくて、その国の政治にとって巨大な影響を及ぼしてくる。つまり、専制政治を容易にする。一般人民が政治から隔たるほど専制主義的な権力というものは、容易になるということです。……(中略)……。政治に関心をもたない人の群れのムードによって、それなりに一つの政治的な気圧というものが作られるといことになるわけであります。(p.354-355)


一つ前の引用文とほぼ同じことを言っているが、上で私がコメントをつけたことに関連して述べると、安倍政権(自民党)が勝てば参院選後にはひどい専制的な政治が待っているということを理解すべきである。



さしあたり今の政治的なリアリズムの問題に関係させて申しますと、つまり、現実というものを固定した、でき上がったものとして見ないで、その中にあるいろいろな可能性のうち、どの可能性を伸ばしていくか、あるいはどの可能性を矯めていくか、そういうことを政治の理想なり、目標なりに、関係づけていく考え方、これが政治的な思考法の一つの重要なモメントとみられる。つまり、そこに方向判断が生れます。(p.357-358)


この方向判断というものは、確かに政治的な思考法において非常に重要なものである。

また、政治的なリアリズムというものが現実を固定したものとは見ないというのも重要である。ここで批判されているのは保守的な見解の持ち主が「現実」を見る際に採用している見方である。例えば、現在の権力者を肯定し、その「勝ち馬に乗る」ことが「現実的」であるとし、それを批判するような見方に対して「現実的ではない」と見做すような見方は、政治的なリアリズムではない、ということである。



これに対して、ああいう中国やソ連のような大きな国が隣りにあって、膨大な軍備をもっている。それなのに日本は無防備ではいかにも心細いというのは、日本と中国とを世界の具体的状況から切り離して、抽象的に考えるか、あるいは何となく心細いという心理的気分に基づく判断です。こういうのは政治的なリアリズムに立った判断とはいえません。ところが皮肉なことに今日では、再軍備反対論者にたいして、「道徳的には日本は無防備でもいいという考え方も成立つだろう。しかし現実の問題として考えれば、再軍備は必要である」という言い方が通用し、それがあたかも政治的リアリズムに立った唯一の考え方であるかのようにいわれます。ですから、必ずしもそういう結論が出てくるとはかぎらないという例として今のようなことを申し上げたわけです。(p.364-365)


この論文が出た1958年から70年近く経過しても、同じ議論が繰り返されている。安倍政権が2015年に安保法制を力づくで採決した際にもここで批判されているのと同じ説明をしていた。この時の議論で集団的自衛権の発動の要件について具体例をまともに上げられなかったことは間違いなく、「抽象的」な考え方でありリアリズムではないということを物語って余りある。(ただ、安倍政権の真意は恣意的に軍事力を使えるようにすることにあり、その真意は違法行為であることから正当な説明が不可能であるため、形だけの理屈を持ってくることで議論したふりをして数の力だけで押し切ろうとしていたのは明らかではあるが。)



政治にベストを期待するということは、強力な指導者による問題解決の期待につながります。政治というものは、われわれがわれわれの手で一歩一歩実現していくものだというプロセスを中心にして思考していったものでなければ、容易に過度の期待が裏切られて、絶望と幻滅が次にやってくる。万事お上がやってくれるという考え方と、なあにだれがやったって政治は同じものだ、どうせインチキなんだ、という考え方は、実は同じことのうらはらなんです。(p.370)


政治的な選択は「悪さ加減の選択」であり、ベストを期待すべきではないというのは、全く同意見である。そして、ベストを期待することが強力な指導者による問題解決の期待に繋がるというのは鋭い指摘であり、このことが孕む問題に我々はもっと敏感にならなければならないと思う。



いいものだから参加するというよりはむしろ悪いものだから参加して監視していく。これがつまり政治的リアリズムの考え方ということになるわけです。(p.371)


同意見である。政治は公権力を行使するものであり、究極的には暴力を伴っているというウェーバーの見方などは、こうした方向へと私の認識を導いてくれたものの一つであった。(しかし、ウェーバーが晩年に到達した「人民投票的指導者民主制」はエリートが最善の選択をするべきだという考え方であって、政治的リアリズムではない。)

政治教育などで模擬選挙などを行われることがあるが、その際、公約を比較して自分と考え方が近い政党に投票するように教える場合があるかも知れないが、この選択の仕方は「ベストの選択」をする考え方であり、この考え方で投票すると望ましくない結果を防ぐことが出来ないという大きな問題があると考えている。むしろ、最もやってほしくないことをやりそうな候補者を落とすために、あるいは落とさなくてもせめて得票率を下げるなどによって彼の威信を下げるために必要な投票行動はどのようなものか、といった発想で投票すべきであろう。



けれども一般的傾向として保守は、現在の憲法の民主主義はゆきすぎているという状況判断にたって、いくらかでも元の日本帝国に近いものにもどそうという方向で、いろいろな政策を出しているというのはリアルに見れば明らかです。(p.378)


70年近く前から「保守」のやっていることは同じであり、安倍政権にはここで述べられていることが特に当てはまる。



とくに革新政党の側が、保守対革新という、非常に公式的な二分法によっているために、さっきいった戦後解放された国民の実感、つまり、現在憲法によって保障されているいろいろな権利の実感を失いたくないという保守感覚、これをもう少し政治的に昇華して、組織化する方向に努力すれば、もっと広範な大衆を動員できるのではないか。(p.380)


現在のリベラルや左派にとっても参考になるものを含んでいる。リベラルや左派の側は、ここで述べられている「保守感覚」をもっと明確に打ち出すべきであり、大衆にそうした感覚について自覚できるように促すべきではなかろうか。そして、「保守」と自称している連中がそうした権利を奪い去ろうとしているということを明るみに出すべきである。



それじゃ、実際国民的なレベルにおいて、政治的な意識がフランスで変動しているかというとあまり変動していないんです。政党のことを専門的に研究しているフランスのある学者によると、驚くことに1870年、つまり第三共和制が成立して以来左を支持する層と右を支持する層とのパーセンテージは殆ど変っていないのです。(p.383)


政治的な意識というものの持つ保守性についてはよく認識する必要がありそうだ。



 デモクラシーの進展にともなって、従来政治から締め出されていた巨大な大衆が政治に参与することになったわけでありますが、巨大な大衆が政治から締め出されていく度合いが激しければ激しいほど、あるいはその期間が長ければ長いほど、多数の大衆の政治的成熟度は低い。大衆の政治的成熟度が低いと、右にいうような言葉の魔術というものは、ますます大きな政治的役割をもちます。つまり、それだけ、理性よりもエモーションというものが政治の中で大きな作用をするということになるわけであります。これをある人々は慨嘆して、デモクラシーというものがどうも誤って大衆に過度の政治的権利を与えすぎた結果である、というふうに考えるんです。(p.384)


「言葉の魔術」に対して日本の有権者はもっと耐性を持ってほしいと思うこと頻りである。



多数決という考え方には、違った意見が存在する方が積極的にいいんだという考え方が根底にある。……(中略)……。つまり、こういう反対少数者が存在した方がいいという考え方から、少数意見の尊重ということが、あるいは、反対意見に対する寛容ということが、民主主義の重要な徳といわれる理由はすべてそういうところから出てくるわけであります。(p.388-389)


近頃、こうした考え方が忘れ去られつつあるように思われる。これは恐ろしいことである。



ある法が望ましくないという場合に、その反対する力が強ければ強いほど、その法が成立する過程において抵抗が強ければ強いほど、できた法の運用をする当局者は慎重にならざるをえない。(p.391)


丸山は安保条約の改定を念頭に置いているのだろうが、現在の安保法制の議論にも当てはまる議論であり、非常に重要な指摘である。デモをして法案の成立を阻止できなかった場合でも、その行動には意味がある。


丸山眞男 著、古屋旬 編 『超国家主義の論理と心理 他八篇』(その3)
「ナショナリズム・軍国主義・ファシズム」より

しかし軍国主義の浸透にはまた大衆の側での精神的物質的な受入れ体勢ができていることが重要な条件である。軍隊という閉鎖的特権的なカーストは、社会的昇進の途をふさがれた下層民にとって、しばしば栄誉と権力の階梯をのぼりうる唯一の装置である。高度資本主義のもとで、「都市」に象徴される機械文明の恩恵にあずからずそれにたいする嫉妬と羨望をもっている農民は、機械化された軍隊に入ることによってその挫折(フラストレーション)を癒すし、逆にまた都市の小市民で機械的な生活のルーティンに堪えられず、その単調さから救いをもとめるひとびとも、やはり軍隊生活や国民生活の軍事体制化のうちに刺戟と変化を見出していく。一般的には軍国主義下の最大の被害者である労働者階級でさえも、工場閉鎖や大量整理の脅威が慢性化すると、企業の全面的な軍事的編成に「安定」へのデスペレートな希望を託することがまれではない。したがって軍国主義自体は一つのイデオロギーであるとしても、その解毒のためには単なる軍国主義や平和主義のイデオロギーの鼓吹では足りないということになる。(p.401-402)


現代日本の右傾化や軍事拡張化に対して対抗するにも反軍国主義や平和主義の言説だけでは足りないように思う。

思うに、現代日本の国粋主義的な勢力の伸長(それへの抵抗の弱さ)の重要な背景には、人口減少、生産年齢人口の減少が基底にある経済成長の「自然な」鈍化や経済が国境を超えて動く度合いが非常に高まっていることによる上層部への富の集中と中間層以下に対する下方移動圧力などによる不安感・焦燥感の蔓延といったものがあるだけに、抵抗する側は単に言説のみによって抵抗しても全く足りない。この条件は一国の政治の力では変えることが難しいが故に軍事拡張反対派にとっては分の悪い戦いになっている。

(逆に言うと、軍事拡張派は、それ自身の論理が強力であるとか、運動の勢力が強いというわけではない。むしろ、これらの点はそれ自体としてはとてもまともに扱う価値があるものではない。単に彼らの主張が多くの人々の不安につけ込む結果となっているというだけだと言うことができる。)



 周知のようにこの言葉はイタリア語が原語で、その語源は古代ローマの儀式用の棒束の名称から発し、それが転じて一般に「結束」を意味するファッショfascioの語となった。(p.404)


2011年の東日本大震災の前後だっただろうか、やたらと「絆」という言葉が使われたことがあった。当時の野党自民党も谷垣総裁の下で頻繁にこの言葉を使っていた。私はこのことに違和感を常に覚えていたのだが、この件を読んでその理由がはっきりしたように思う。

すなわち、現在の自民党のような政治思想的には極右に近い権力集団から「絆」という言葉が出てくることは、まさに政治思想的なファッショを求めるメンタリティと共通性があるが故にそうした物言いになっているのではないかと感じさせるからである。



ファシズムの主張やスローガンの公分母をもとめていくと、いつも最後には反共とか反ユダヤとかいった否定的消極的な要素に行きあたる。それはファシズムが現代の社会的矛盾にたいして反革命と戦争をもってしか答えるすべをしらないからである。(p.418)


自民党(特に安倍晋三やそのシンパたち)の政治思想的な面での主張も同じようなところがあるのではないか。安倍の究極の目標は言うまでもなく「憲法改正」だが、これは拳法を改めるというよりは「反日本国憲法」という否定的消極的な要素に他ならない。

安倍や自民党がやりたいことが「反日本国憲法」であることは、人権の制限が盛り込まれた憲法草案、平和主義の換骨奪胎(集団的自衛権の行使を含めた積極的に他国に軍事的行動を示すことにより自国の安全を守れるとする主張)、国民主権の理念を否定する情報操作といった一連の動きを見ていればすべてこれに該当することが分かるはずである。



「現代文明と政治の動向」より

 他方、未だ政治的に啓蒙されていない、つまり批判的な、合理的な組織を平素教えられていない非デモクラチックな大衆は、きわめて一方的な考え方と行動しか教えられていないからとかく強硬論に支配される。ロシヤ討つべし、支那打つべしといった勇ましい議論が大衆の中から出てくる。また、そういうような議論しか出てこないように政治意識を低く止めておいたわけです。
 ところが、そういった政治的な低さ、というものから、対外的な、排外熱の昂揚という形で大衆の感情が沸騰すると、指導者は自分が煽っておいた世論に自分自身が引きずられるという結果になり、政治家自身がそれをコントロール出来ないで、心ならずも大衆に引きずられ、敵国と妥協すべき時に妥協する能力を失ってしまう。そういうことがかえって非民主的な体制においては起り易い。第一次大戦のドイツがそうであり、第二次大戦の日本がそうであります。自分が煽っておいた国民的情熱に、逆に指導者が縛られて、自由自在に政策を決定することが出来ない。こういう奇現象が起るわけです。(p.460-461)


このあたりの叙述は最近20年くらいの中国がまさにこの状態を続けているように思われる。

日本も学校教育で社会科学がまともに教えられていないことがあり、大衆の政治的な問題を批判的に見る見方は一般に未成熟であり、最近はマスメディアへの自民党の圧力が強いためなおさらこの傾向に拍車がかかるだろう。



要するに、近代テクノロジーが単なる政治社会だけでなく、生活環境そのものの中においても人間の知識なり、判断力を断片化するように出来ている。例えばニュース映画を御覧になってもお分りのように、朝鮮戦争のナパーム爆弾による悲惨な被害の場面とか、あるいは水害による被害といったような、われわれが非常に悲惨な思いをさせる情景が映し出され、その映像が消えないうちに画面の方がパッと変って、今年のファッションショウは……というのが映る。
 前の画面と後の画面とが関連がない。次々に無関連な印象を押しつけられる。こういう時代に生きておるわれわれにとっては、どうしても持続的に思考して、じっくり考えるということはなく、瞬間々々に目まぐるしく変る現象に巻きこまれ、持続的な思考力はこういう風にして麻痺させられる。
 ですから現代の広告技術と、独裁者の政治的宣伝のテクニックというものは恐ろしく似ています。(p.464-465)


知識や判断の断片化というのは、丸山の時代よりも現在の方がより酷くなっているように思われる。スマホで通知が随時鳴っているような状況の人には特にそれが当てはまるかもしれない。



解説より

批判に値するほどの論敵からは、立場の違いを超えて学ぶべきところが必ずあり、そうした敵との真摯な対話ほど自らの思考を鍛える格好の機会はないというのが、彼の終生変わることのなかった信条であった。(p.549)


なるほど。容易なことではないがゆえにこうした心がけは重要と思う。


丸山眞男 著、古屋旬 編 『超国家主義の論理と心理 他八篇』(その2)
「ファシズムの現代的状況」より

現存秩序の心臓に触れる事柄が公然と論議され対立意見が闘わされる自由があるかないか――それが凡そ一国に市民的自由があるかどうかのテストだというのです。(p.228)


日本では、明らかにここ数年でこうした自由は急速に失われている。



「思想の自由」はアメリカで名判事と謳われたホームズがいっていますように、己の憎む思想に対して自由を認めるところにこそ核心があるので、「俺と同じような考えの奴には自由にしゃべらせる」というのは実質的には無意味だからです。(p.229)


多くの自民党の議員は「思想の自由」を認めない人たちだと認識すべきである。

また、いわゆるヘイトスピーチなどを規制すべきだという議論に対して、表現の自由などを楯に規制すべきでないとする論があるが、引用文で指摘されている「思想の自由」を「表現の自由」に置き換えても成り立つ(己の憎む表現に対して自由を認めるところに核心がある)ことから考えると、次のように考えることができる。

ヘイトスピーチは、特定の民族なり国籍なりの者に対して存在を否定するような罵声を浴びせかけるが、これはヘイトスピーチをする者が憎んでいる属性の者に対して自由を認めない行為である。このように考えるとヘイトスピーチは「己の憎む思想、信条、表現等に対して自由を認める」ことに核心がある「自由」とは相容れないことがわかる。従って、「ヘイトスピーチをする自由」はないのである。



「「スターリン批判」における政治の論理」より

しかしながらマルクス・レーニン主義が国家権力によって正統化され、国家の公認信条となるや否や、それは事実上あらゆる学問と芸術の上に最高真理として君臨するようになる。マルクス主義が在野の反対科学(Oppositionswissenschaft)である間は、たとえマルクス主義の思想的影響がどんなに大きくても、それは原理的には多くの学派のなかの一つの学派という性格を保持し、したがって思想や学問の自由市場で他の立場と絶えずその真理性を競わねばならない。ところが権力の座についたマルクス主義は、もはや多くの方法のうちの一つの方法というようなものではない。(p.315)


的確な指摘。ここから次のことが言える。中国や旧ソ連の共産党と日本の共産党は、社会の中での位置づけやこの政党が持つ意味が異なっている。

保守派の人たちにしばしば見られる「共産党アレルギー」は、こうしたリアリズムに立った認識を欠いた、観念的ないし極度にイデオロギー的なものであるということは指摘しておくべきだろう。



「反動の概念」より

すなわち、「反革命」は革命と対語であり、現実にもつねに革命過程の開始にほとんど踵を接して現われる。これに対して「反動」という範疇は「動」の過程がある時間的な幅で継続し、しかもそれが社会の深層までゆるがすものだという感覚が一般化してはじめて、それを押しかえそうという動向との揉み合いが、なまなましい力学的イメージをよびおこすわけである。最後に、保守は文字どおりconserveすることであるから、反革命や反動の概念がもともと消極的で反対的なものにとどまるのとちがって、保存すべき価値の積極的な選択が前提されている。したがって、単に衝動的、感情的なものがある反省にまで高まらぬと出て来ないので、革命過程などでは前二者に比して登場が遅れても不思議ではないことになる。右はむろん純粋な理念型の場合であって、現実にはたとえば保守の名を関する党派が必ずしも本来の意味で保守的とは限らない。(p.335-336)


このあたりの概念の分析は興味深かったところ。右派が「保守」を名乗りたがるのは、ある意味では「保守」の概念に含まれるこうした積極的な意味合いに対して反応しているからだと考えることができる。ただ、実際には現在の日本の右派は、「保守」と呼ぶより、戦後の民主化(日本国憲法体制の確立)という「革命」的な過程に対する「反動」として位置づける方が妥当であると思われる。



反動を特徴づけるのは、安定感ではなくて慢性的危機感である。(p.367)


この部分を読んで即座に想起されたのが安倍政権のことであった。例えば、安保関連法の審議やその前の集団的自衛権行使の閣議決定の際にも「日本を取り巻く安全保障環境は悪化している」と抽象的な文言で人々の危機感を煽っていたことは記憶に新しい。やはり、安倍政権は「保守」と形容すべきではなく「反動」のカテゴリーが相応しい。



丸山眞男 著、古屋旬 編 『超国家主義の論理と心理 他八篇』(その1)
「超国家主義の論理と心理」より

国家秩序が自らの形式性を意識しないところでは、合法性の意識もまた乏しからざるをえない。法は抽象的一般者として治者と被治者を共に制約するとは考えられないで、むしろ天皇を長とする権威のヒエラルヒーに於ける具体的支配の手段にすぎない。だから遵法ということはもっぱら下のものへの要請である。(p.26)


丸山は戦前の日本の精神構造について語っているが、この時代ものとして説明されている考え方は、ほとんどが現在の安倍政権の考え方と共通しているように思われる。ここもその一つである。

いずれも法治国家とか法の支配あるいは立憲主義といったことが蔑ろにされ、権力者による人治が実質的に横行している。安倍政権の下では「遵法」は、権力者(政府や国会)には課せられず(従って、法に従わずに好き勝手に振舞うことができ)、一般の人々にだけ課せられている。

例えば、集団的自衛権の閣議決定と安保法制が最も典型的だが、沖縄県の決定に対して審査請求を行うなどということも明らかに違法ないし脱法行為である。そして、自民党の憲法草案権力を縛る要素を減らしており、国民の義務を大幅に書き込んでいるが、これは権力の暴走を防ぐための高位のルールとしての憲法としての体をなしていない。むしろ、権力者が国民に縛られずに自分たちがやりたいことを勝手にできるようにするようなルールになっている。まさに「遵法ということはもっぱら下のものへの要請」になっていると言ってよい。



思えば明治以後今日までの外交交渉に於て対外硬論は必ず民間から出ていることも示唆的である。更にわれわれは、今次の戦争に於ける、中国や比律賓での日本軍の暴虐な振舞についても、その責任の所在はともかく、直接の下手人は一般兵隊であったという痛ましい事実から目を蔽ってはならぬ。国内では「卑しい」人民であり、営内では二等兵でも、一たび外地に赴けば、皇軍として究極的価値と連なる事によって限りなき優越的地位に立つ。市民生活に於て、また軍隊生活に於て、圧迫を移譲すべき場所を持たない大衆が、一たび優越的地位に立つとき、己れにのしかかっていた全重圧から一挙に解放されんとする爆発的な衝動に駆り立てられたのは怪しむに足りない。彼らの蛮行はそうした乱舞の悲しい記念碑ではなかったか(勿論戦争末期の敗戦心理や復讐観念に出た暴行は又別の問題である)。(p.33-34)


最初の一文はとくに重要であり、この論文が書かれてから70年ほど経った現在でも妥当すると思われる。

丸山の理解社会学的な説明は興味深いものがあるが、必ずしも実証されていないという弱点があるように思われる。ただ、ヘイトスピーチを行なうような人々の心理も、ここで描写されているものと近いのではないか、とは思う。国内では「卑しい」人民であっても、在日朝鮮人のようなより弱い立場の人間に対しては優位に立てると感じるからこそ、彼らはあのような攻撃ができるのである。もし、彼らが本当に在日朝鮮人が彼らよりも優位に立っていると心の底で感じているのなら、あのような攻撃はできないであろう。



「日本ファシズムの思想と運動」より

わが国の中間階級或は小市民階級という場合に、次の二つの類型を区別しなければならないのであります。第一は、たとえば、小工場主、町工場の親方、土建請負業者、小売商店の店主、大工棟梁、小地主、乃至自作農上層、学校教員、殊に小学校・青年学校の教員、村役場の吏員・役員、その他一般の下級官吏、僧侶、神官、というような社会層、第二の類型としては都市におけるサラリーマン階級、いわゆる文化人乃至ジャーナリスト、その他自由知識職業者(教授とか弁護士とか)及び学生層――学生は非常に複雑でありまして第一と第二と両方に分れますが、まず皆さんは第二類型に入るでしょう。こういったこの二つの類型をわれわれはファシズム運動をみる場合に区別しなければならない。
 わが国の場合ファシズムの社会的地盤となっているのはまさに前者であります。……(中略)……。
 ……(中略)……。しかし日本のインテリのヨーロッパ的教養は、頭から来た知識、いわばお化粧的な教養ですから、肉体なり生活感情なりにまで根を下ろしていない。そこでこういうインテリはファシズムに対して、敢然として内面的個性を守り抜くといった知性の勇気には欠けている。しかしながらともかくヨーロッパ的教養をもっているからファシズム運動の低調さ、文化性の低さには到底同調出来ない。こういう肉体と精神の分裂が本来のインテリのもつ分散性・孤立性とあいまって日本のインテリをどっちつかずの無力な存在に追いやった。これに対して、さきにあげた第一の範疇は実質的に国民の中堅層を形成し、はるかに実践的行動的であります。しかも彼らはそれぞれ自分の属する仕事場、或は商店、或は役場、農業会、学校等、地方的な小集団において指導的地位を占めている。……(中略)……。しかも尚重要なことは生活様式からいって彼らの隷属者と距離的に接近しておりますし、生活内容も非常に近いということから、大衆を直接に掌握しているのはこういう人達であり、従って一切の国家的統制乃至は支配層からのイデオロギー的教化は一度この層を通過し、彼らによっていわば翻訳された形態において最下部の大衆に伝達されるのであって、決して直接に民衆に及ばない。必ず第一の範疇層を媒介しなければならないのであります。……(中略)……。実際に社会を動かすところの世論はまさにこういう所にあるのであって、決して新聞の社説や雑誌論文にあるのではないのであります。(p.92-96)


当時の日本のインテリ層を2つの層(本当のインテリと亜インテリ)に分けた上で、ファシズムの責任は本当のインテリではなく亜インテリにあると受け取れなくもない論調は若干気になる。というのは、ここで描かれている無力な存在に追いやられた本当のインテリの姿は、丸山本人の姿ではないかと思われ、自身にはファシズムへの責任はないと弁解しているように読めるからである。

それに、亜インテリ層は自分の小さな世界で指導的地位を占めていることと絡めて影響力の大きさが説明されているが、教授は彼が指導する教員たちや学生たちを従えるような立場であり、弁護士は自身の弁護士事務所の指導的な立場であると同時にクライアントに対しても様々な助言ができる立場であるなど、今一つ説得力に欠ける面もある。ただ、彼らは情報を流通させるハブとしての役割を果たしやすいということは言えるかもしれず、「亜インテリ」たちは教養の水準が教授や弁護士よりも低いことが一般的であるため、いわばイデオロギー的な抵抗力が弱く感染しやすいということはあるかも知れない。

また、現代の日本で当時の「亜インテリ層」に相当するような社会層は存在するだろうか?



岩波文化があっても、社会における「下士官層」はやはり講談社文化に属しているということ、そこに問題があります。(p.99)


インテリの岩波文化と亜インテリの講談社文化、これらは当時どのようなものとして考えられていたのだろうか?



日本ファシズムの最後の段階において議会において最も反政府的立場に立ち、最も批判的な言動に出たのは、皮肉にも、日本ファッショ化の先駆的役割をつとめた民間右翼グループだったわけであります。終戦後における皇道派勢力の復活、乃至ちゃきちゃきの右翼主義者がただ東条だったという理由で、民主主義者として現われて来たのもここに根拠があります。(p.117)


興味深い指摘。