アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

H.R.マトゥラーナ、F.J.ヴァレラ 『オートポイエーシス 生命システムとはなにか』

 言語が指示的なものとみなされる限り、必然的に言語は情報伝達の手段とみなされてしまう。「受け手」の不確かさの範囲が、「送り手」の特定化の度合いに応じて縮小されるような仕方で、有機体から有機体へとなにかが伝えられるというのである。だが言語は指示的ではなく内包的であり、言語の機能は方向づけるものの認知領域にはかかわりなく、方向づけられるものの認知領域で、相手を方向づけることだということが認められるならば、言語をつうじての情報伝達はありえないことが明らかになる。方向づけられるものは、自分自身の活動が独立に働くことの結果として、自分の認知領域のどこに方向づけが働くかを選択しなければならない。この選択は「メッセージ」によってひきおこされるが、こうしてつくり出された方向づけは、「メッセージ」が方向づけるものにとってもつ意味とは独立である。だから厳密には、話し手から聞き手への思想の伝達はなにもない。聞き手は、自分の認知領域に、相互作用をつうじて不確かさを縮小しながら情報をつくり出すのである。合意が成立するのは、結果としてそれぞれの有機体に生じた行動が、双方の維持に役立つような協働的相互作用が行われる場合だけである。(p.203-204)


マトゥラーナは、ルーマン的に情報・伝達・理解としてコミュニケーションを捉える場合に当てはめると、理解の場面に言語は主に関わっていると捉えているようだ。



生命システムで生じていることは、飛行機で生じていることに似ている。パイロットは外界に出ることは許されず、計器に示された数値をコントロールするという機能しか行わない。パイロットの仕事は、計器のさまざまな数値を読み、あらかじめ決められた航路ないし、計器から導かれる航路にしたがって、進路を確定していくことである。パイロットが機外に降り立つと、夜間の見事な飛行や着陸を友人からほめられて当惑する。というのもパイロットが行ったことと言えば計器の読みを一定限度内に維持することであり、そこでの仕事は友人(観察者)が記述し表わそうとしている行為とはまるで異なっているからである。(p.231)


オートポイエーシスにおける行為(作動)と観察との説明として分かりやすい説明と思われる。



以下、訳者・河本英夫による解題より。

 オートポイエーシス論は、コード化された情報やプログラムという発想そのものに異を唱えている。……(中略)……。生命システムの基礎に存在する情報プログラムから、生命システムは設計されているという構想そのものに異論が立てられているのである。(p.274)


このあたりの考え方は、私もあまり詳しくは知らないのだが、もしかするとエピジェネティクスの考え方と近いのではないかという気がする。



 未来社会への移行のコードは、ある種の歴史的変化をコード化するものである以上、必然的に「物語」の形式をとる。未来社会への必然的な移行を説く歴史哲学の「大きな物語」は今や崩壊し、日常的実践の「小さな物語」だけが残されていると、昨今しばしば指摘される。未来社会を予言する歴史哲学的な「大きな物語」は前世紀の遺物となり、もはや身近でコマゴマとした「小さな物語」を描き続ける以外にはないというわけである。このタイプの議論には、過度の自己限定がふくまれている。未来への志向は、行為者であるとともに観察者にもなりうる人間の固有性なのだから、未来社会をコード化すること自体は避けるべき禁止事項ではない。そうだとすると「大きな物語」のなにが放棄されねばならないのか、という問いが生じる。コード化という点についてだけ言えば、「大きな物語」に含まれる未来社会のコード化の仕方は、多くの場合、実現されるべき「未来社会像」を描いている。まるで箱庭を上から見下ろすように未来社会の見取図を描くのである。さらにそこに到達するための段階的な手順が設計図に書き込まれることになる。その結果大多数の人間はたんなる行為者となり、解読されたコードに従って見取図に接近するよう行動するだけになる。「大きな物語」に特有な未来社会を箱庭俯瞰的に描く、このようなコード化の仕方はもはや放棄されたのである。たとえ「大きな物語」をコード化する場合でも、人間の行為のプロセスの関係を規定するようコード化することはできる。その結果同じ未来社会に到達することはできるのである。だがこのようなコード化の仕方は、「小さな物語」の作製を積み上げて行くことによってしか修得されないであろう。オートポイエーシス論が提起するのは、このコード化の仕方の変更である。(p.278-279)


この訳書が出版されたのは1991年であり、その頃によく議論された「大きな物語」の終焉という議論に対するオートポイエーシスの構想から下された診断。なかなか興味深い。どのように行為のプロセスを継続させていくことによって望ましい未来社会に到達できるのかということが欠けており、到達したい結果だけが語られ、そこに至る道は現状との差から暗示されるというタイプの議論になってしまうことについて鋭い批判となっている。



多元論は、その主張のソフトムードにもかかわらず、みずからのみが観察者の立場に立ち、他の複数のシステムを判定しうるとする特権的な視点を前提にしている。それとともに各システムを産出のダイナミクスとしてではなく、並置されるべき固定した立場として誤解するのである。(p.302)


リベラルな考え方の人にとって馴染みやすい多元主義の問題点を鋭く指摘している。

オートポイエーシスの構想に触れて、行為と観察の相違が感じ取れるようになると、嘘くさい議論に対する感度が上がる。例えば、観察者の立場から無理に構成されている議論はたいてい現実との接点が十分でない。こうしたことはこの構想に触れる大きなメリットの一つだと私は考えている。



スポンサーサイト
カール・シュミット 『現代議会主義の精神史的状況 他一篇』
「現代議会主義の精神史的状況」より

 社会主義が自らを科学的だと考えたときはじめて、それは、本質的に誤りのない洞察の保障を得たと信じ、暴力行使への権利を主張することができた。(p.66)


なるほど。正しさへの過信は、「誤った言動」を行う者に対する矯正手段としての暴力行使を正当化する理由を容易に見出すことになるということか。



「議会主義と現代の大衆民主主義との対立」より

討論には、前提としての共通の確信、よろこんで自ら説得される覚悟、党派の拘束からの独立、利己的な利害にとらわれないこと、が必要である。今日では、たいていの人びとは、かような公平無私さを可能だとはほとんど見ないだろう。かような懐疑もまた、議会主義の危機の要素である。(p.132)


シュミットによれば、彼の時代のドイツでは、公開の討論の意義がすでに信じられなくなっており、それが議会主義が危機に陥る要因の一つだという。この状況は、現代の日本にも当てはまるように思われる。

ちなみに、安倍晋三の政治姿勢を見れば、彼には討論をするための前提が欠けていることがよくわかる。



「訳者解説」より

 繰り返すなら、デモクラシーにとって「危険な思想家」一般が問題なのではない。危険でない思想は思想に値しないだろう。そうではなくて、怨恨、憎悪を理論の名のもとに説くことが、問題なのである。(p.174)


シュミットの反ユダヤ主義的な発言の累積と理論の中にこうしたものが浸透していることを批判している。右翼的な言説には一般にこの傾向が指摘でき、こうしたものがかつてほど批判されなくなってきていることに、昨今の言論の状況をめぐる問題がある。


『看見平埔 臺灣平埔族群歷史與文化特展 平埔を見つめる 台湾平埔族の歴史と文化』

原住民族の多くはアワを原料にした醸造酒を作ってきた一方で、東海岸の各地で見られるサツマイモを原料とした蒸留酒作りは、沖縄での製法と同じであり、日本統治時代以前からこの製法が伝わっていたという指摘もある(杉本1932:443)。(p.68)


沖縄と台湾は地理的にも近いが、日本統治時代以前からの繋がりがどのようなものであったのかを解説してくれる文献は少ない。もう少し詳しく知りたいテーマである。



乾隆53年(1788)、清朝が「熟番」を徴兵した林爽文事件の平定に成功したため、役人たちは「熟番」が貴重な人材であり、山林地域での戦いに長けていることに気づきました。福康安将軍が上奏して「番屯制」を設立し、台湾全土93の「熟番社」から強者4,000名を選抜し、12か所に大小の駐屯地を設けました。このほか、国庫の負担を増加しないために、境界外の荒地を屯田兵に耕させ、平時は耕作に、戦時は防御に当たらせました。これを「養贍埔地」といいます。また、漢人の境界外の不法私墾地を精査し、小作に開墾させ、俸給として兵に与えました。「番屯制」の実施により、「熟番」武力が正式に政府体制内に取り込まれ、使用されることになりました。(p.103)


屯田制的なものは古くから中国大陸では採用されてきた制度だが、台湾にも適用されていた。このあたりの歴史ももう少し詳しく知りたい。



清朝は「番」(原住民)に対して、「生番、帰化生番、熟番」、そして「民」となり「天朝の赤子」となるまでの感化法を用意していました。このため、官員は<化番俚言>を書き、「番」に努力して「民」となるように説きました。「汝ら番はすでに加護を受け、天朝の百姓となった。しかしこれまで男女を問わず髪を長く伸ばし、分別がなく、恥ずべきことである。番から民になるには、婦女は長髪を蓄え、男子は辮髪して、真に服従を示してこそ、制度を尊ぶ良民である。」政府は「熟番」を保甲烟戸(戸籍の一単位)に編入し、「土番社学」(学校)を設け、「姓」を与え、「番」のあらゆる特徴を徹底的に排除していきました。(p.111)


清朝による台湾の統治なり経営はどの程度浸透し、どの程度の実効的な支配を確立していたのだろう?どうも日本側の歴史叙述では清朝の統治を軽視し、日本統治と比較してそれほど浸透していなかったことが語られる傾向がある。日本による統治と比べると強い支配が及んだとは言えないのは恐らく事実であろうが、例えば、上で述べられているような戸籍、学校、姓について、当時台湾に在住していた人のうち、どの程度の割合の人が戸籍に登録されたり、学校に通ったり、中国式の姓を名乗ったのか、といったことをもう少し具体的に知りたいと思う。日本統治時代も同じように具体化して把握し、それらを客観的に比較することが重要であるように思われる。


周聖心・徐銘謙・陳朝政・黃詩芳・楊雨青 『千里步道,環島慢行 一生一定要走一段的土地之旅』

對我這個六年級生而言,已經錯過糖業占台灣外匯七成的輝煌時代;自日據時代在橋仔頭設立第一個新式糖廠,取代傳統的人力糖廍,1907年從夏威引進762釐米軌距輕便鐵道,11月開始正式於橋頭牽引運蔗列車,1909年五分車開始載客。戰後國民政府接收,到1950年代極盛時期,糖業鐵道遍及西部廣袤的平原,總長約有三千公里,為了戰備考量,將原本以糖廠為中心輻射至蔗田的線路,開始南北連接,建橋跨越溪流,成就從台中通到高雄的「南北平行預備線」。

就在1974我出生那年,原本鐵軌與汽車共用、跨越濁水溪的西螺大橋,拆除了鐵軌。時代從鐵路運輸轉變為公路為主,糖鐵也因為機械化採收,縮減原料線,在全球化浪潮下,1990年代各地糖廠快速關閉,時至今日,僅剩虎尾糖廠仍保有收蔗、製糖的完整動線。(p.150)



台湾の製糖業の歴史を概観し、虎尾糖廠が持つ歴史的意義をコンパクトに説明している箇所。

日本統治時代に新式の製糖工場が設立され、1907年には762センチ軌道の軽便鉄道が敷かれた。中華民国接収後の1950年代に最盛期を迎え、糖業鉄道は台湾西部の平野に遍く行き渡るようになったが、70年代には輸送手段が自動車(トラックなど)に移行していく中、糖業鉄道は衰退し、90年代にはグローバル化の下で台湾の製糖工場自体が急速に閉鎖されていった。今日まで往時の姿を留めている数少ない製糖工場のひとつが虎尾糖廠であるという。

日本本土では製糖業は盛んではなかったが、日本でも台湾の製糖業とほぼ同じような道程を辿った産業が、軽工業などを中心に、かなりあったのではないか。



探查全台環島路網的過程中,發現台灣不僅只是以濁水溪分南北,在很多縣市內部也有南北之分,而南北各有其行政中心,在發展資源的分配與地方政治上,南北論述往往引導著點狀的地域認同。當道路、橋樑等線狀交通運輸,跨越河流溝通兩地,綿延面狀開展的水圳串連了共同體的想像,而八卦山脈又是一個貫穿南北彰化的共同記憶。(p.171)


台湾の地理と相関する社会把握として、非常に参考になりそうだと思い、収穫だった箇所。私もまだ台湾の個別の都市の歴史や成り立ちについてそれほど深く調べていないので、台湾は島全体だけでなく、自治体レベルで見てもその内部で南北の相違があるところが多いという見解が本当に妥当するかどうかまでは分からないが、一つの仮説として念頭に置きながら様々なところを見ていくと漫然と見るよりも多くの収穫を得られそうに思う。

台湾は中央に高い山脈があり、そこから海に向かって川が流れるため、多くの川は東西に向って流れている。このため、島の西側の中部の都市に特に当てはまりそうに思う。



台北大湖自康熙年間形成到嘉慶14年淤塞,歷時約一百年。(p.206)


この台北大湖がかつて存在していたことを知ったのも本書の収穫のひとつだった。

本書によると1694年に台北盆地で康熙大地震が発生し、1か月ほど大小の余震が続いたため、台北盆地では土地の液状化が多くの箇所で起こり、深さ3~4メートル、面積30平方キロ以上の台北大湖ができたという。

日本の本の場合、どうしても台湾の歴史などを扱うにしても日本統治時代ばかりがクローズアップされがちである。清が統治していた時期の台湾についてはもう少し詳しく知っておく必要があるように思う。



由於台灣的交通規劃以縱向發展為主,長距大眾運輸多南北向地來往大城鎮;……(中略)……。

……(中略)……。島嶼東西向交通的不便,……(中略)……。(p.238)


南北方向を中心に交通が発展しており、東西方向の交通は不便というのは台湾を旅行するときに念頭に置いておくと良いように思う。また、台湾の交通の発展の歴史などを考える際にも基本的な図式として念頭に置いておくと便利だろう。