アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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柴田愛子 『それは「叱る」ことではありません どこまで叱るべきか迷うお母さんへ』

 ありがたいことに、はじめのうちなら子どもは「かんたんにばれるうそ」をついてくれます。そのときに、いかにしっぽをつかまえて叱れるかが大事です。五歳のうそはばれなければいけないのです。ただ、「うちの子はうそをつくようになった」と憂える必要はまったくありません。「うそをついちゃいけないよ」「お母さんには、あなたのうそがちゃんと見えるのよ」と、人間としての基本姿勢を教えつつも、「うちの子もうそをつくようになった」と、子どもの成長を喜んでいればいいのです。(p.25-26)


5歳頃になると子どもは嘘をつき始めることについて、どう対応すべきか?自分自身の子どもの頃の経験からもなるほどと思わされた箇所。子どもの頃の嘘が母親にことごとく見破られたことによって、嘘をついても良いことはないなと思い知らされるということが繰り返されることで、嘘をつく必要がないように行動することが大事だという考え方が自分の割と深いところに根付いたと思うからである。



子どもは、普段の生活のなかで、自分がいま発達していることを、いたずらという形で消化していっているのです。(p.27)


これも小さな子どもについての見方だが、なるほどと思わされた。



 子育てで大事なのは、自分が子どものころにどんな育てられ方をしたかを思い起こすことと、そのときの自分の気持ちがどうだったかを客観的に見ることではないでしょうか。(p.45)


なるほどとは思わされるが、実際にやろうとする場合、よほど良い子育てをされた人以外にとっては、自分自身の過去と向き合うことの中でもかなり難易度の高い作業のように思う。

特に悪い育てられ方をした(例えば、虐待などを受けてきた)にとっては、悪い見本ばかりが見えてきて、それをどう改善すべきかという基準は経験だけからは見えないということ等もあり得る。客観的に見るということによって、それを乗り越えられるかもしれないが、相当の知的能力と感情や意志のコントロール能力が要求されるように思われる。



 快適さ、便利さばかりを優先し、不快なものを排除するいまの社会が変わらないと、子ども本来の遊びの芽は育たないままになってしまいます。(p.49-50)


現在の日本社会は、「大人の」快適さや便利さばかりを追求するあまり、子どもにとってはのびのびと生活できない社会となっているという鋭い現代社会批判。そのような社会の流れに流されず、子どもをもっとのびのびと育てるべきだというのが本書の基本的な考え方だと思われる。



 いまの日本は、文句を言った人が“勝ち”の社会になっているように感じます。(p.53)


上記のような「快適さ」を追求する社会の中では、自分の快適さが邪魔された時にはすぐに他人に文句を言うことが是認される。一人が文句を言うことで、「のびのびと」した人(子ども)の活動が妨げられる。そのようなものに完全に従う必要はなく、知恵を使って切り抜けることが必要。



何かがあったとき、そばに寄り添ってくれる人がいると、人というのは元気になれるのです。(p.136)


確かに。人とのつながりがなく、助けがない、共感が得られない、といった環境では力が出ない、前向きになれない。子育てで言えば思春期など子どもがある程度大きくなってから、特に注意すべき点だと思われる。



 親は、子どもに何かしてあげようと思わないでください。親は、子どもが安心してご飯が食べられる場所、安心して逃げて帰ってこられる場所をつくっていればそれでいいのです。(p.138)


子どもの主体性を重んじ、親は環境を作ることに徹する。実際にやろうとすると難しいことでもあるが、そうであるが故に親はいつも気にしておくべきこと。


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寺内順子 『基礎から学ぶ国保』

 総務省「平成26年度市町村税課税状況等の調」によると、26年3月31日現在、国保の市町村数は1742市町村で国保税が1505市町村(全体の86.4%)、国保料が237市町村(13.6%)です。(p.10)


法的には原則は保険料であり、それ以外に税を選択できるという作りになっているはずだが、制度の規定と実際の選択されている数の相違は興味深い。



また、納付回数もいろいろで3回から12回まであり、8回が最も多く684市町村(全体の39.3%)、次いで10回が438市町村(25.1%)となっています。(p.12)


納期が3回や4回というのは、恐らく市町村民税の納期と似たような時期に設定しているのだろうが、市町村民税より国保料(税)の方がかなり高額だろうということを考えると、そういう分割回数できちんと納付されるのかという疑問を感じたりする。8回とか10回というのは、恐らく市町村民税が確定する6月にほぼ同時に賦課(課税)して以後毎月分割にすると10回になり、市町村民税の更生が概ね終わって異動が少なくなった8月に賦課(課税)して以後毎月分割すると8回になるということか。確かにこの辺りが合理的という感じがする。

しかし、国保は納期までこんなにバラバラに運営されているのか、と驚く。給付の面は基本的な部分は法律や政令で決まっている部分が多いが、保険料は保険者にかなりの裁量があることがこの制度的な背景だろう。



 全国の市町村国保では、「国保料」としているところと「国保税」としているところがあります。概ね大都市は料で、それ以外は税としている市町村が多いようです。
 国保税の場合は、税率を条例で規定する必要がありますが、国保料の場合は算定方式のみを条例に規定し、具体的な率や額は告示でよいとされています。(p.29)


大都市とそれ以外で選択が分かれている理由は何なのか?興味を惹かれる。税(料)率を条例に規定する必要があるか、告示でよいかという相違ではここは説明されないように思う。時効が5年か2年かという違いも指摘されているが、大都市の方が人の出入りが多いので時効が短い方が事務的には楽になる(収納率も上がる?)という側面はあるかも知れない。



 「旧ただし書き」方式(注)による所得とは、地方税法でいう総所得金額(給与所得控除、公的年金等控除、事業所の経費等を控除した額)と山林所得金額および土地の譲渡等にかかる所得から基礎控除額(33万円)を控除(引いた)した金額のことです。
 この所得の場合、総所得から基礎控除を引いただけなので、低所得者、多数家族、障害者、病人がいる世帯の所得割額が高くなります。(p.32)


「本文方式」であれば住民税の税額に比例して所得割が算出されるため、扶養控除や障害者控除、医療費控除などが適用された後の税額に比例した所得割額となるが、厚労省がこちらのほうに統一しようとしている「旧ただし書き」方式では、所得に比例して所得割額が決まるので本文方式や住民税と比べて逆進的になっているという指摘。



 都道府県単位化にしても、たとえば京都府であれば、京都市次第でなんでも決まってしまう、ということです。保険料賦課の基礎となるのは保険給付ですから、都道府県単位化されれば京都市の保険給付で決まり、小規模自治体の状況は、まったく反映しなくなります。(p.89)


都道府県単位化した際の保険料は、確かに給付が基礎になって決められるが、各市町村の保険料は都道府県から課されれる「納付金」の金額によって決まるはずであり、納付金の算定の方法は都道府県で決めることになっていたように思う。そうだとすれば、各市町村の給付額をベースにして納付金が算定されるような仕組みであれば、本書のような形にはならないのではないか。

もちろん、都道府県単位化は、給付抑制というか中央政府が財政責任を放棄する方向で医療費の負担を決めていくことをベースにして考えられているものだと考えるべきだろうから、これによって何かが良くなるとはほとんど考えにくいため批判しなければならないのは確かだが、本書のこの批判は少し的外れであるように思われる。



 無料低額診療事業は、経済的理由により適切な医療を受けることができない方に対して、社会福祉法にもとづいて、無料または低額で診療をおこなう事業です。
 この事業の認可を受けるには、「生活保護を受けている者及び無料又は診療費の10%以上の減免を受けた者の延べ数が、患者の総延数の10%以上」であることが条件で、事業認可されると、事業所は固定資産税の免除など税の優遇措置を受けることができます。全国の民医連や医療生協の事業所での実施が広がっており、「朝日新聞」では、2012年度は、全国558医療機関で実施、と報じられています。
 この無料低額診療制度は、あくまで医療機関の独自施策ですので、市区町村の一部負担金減免制度の不備を肩代わりするのは本末転倒です。さらに、この無料低額診療事業は薬代を減免することができません。(p.151-152)


確かに、国保の一部負担金減免制度は保険者の裁量に委ねられており、あまり積極的に行われていないのは恐らく確かだと思われる。そこで無料低額診療事業がその代替的な措置として選択される場合があるのだろうが、医療費が支払えないほど困窮しているが生活保護には至らない(あるいは受けたくない)という場合は、医療保険という「社会保険」の範囲でカバーするよりも社会福祉法に基づく「社会福祉」の制度によって支えられる方が妥当ではないか、とも言えるように思う。

国保を改善しようとする運動は結構だが、何でも国保に担わせればいいというものでもない。日本の社会保障は過度に保険に偏っているのだから、むしろ福祉制度の充実の方が望ましいのではないかと思う。上の例で言えば、国保の一部負担金減免を拡充するよりも無料低額診療制度を薬(薬局)にも適用できるようにするとか、そちらの方が適切な方向なのではないか。


神田敏史、長友薫輝 『市町村から国保は消えない 都道府県単位化とは何か』

 医療費を抑制する手法の1つとして、各都道府県は医療費適正化競争に巻き込まれていくことになります。医療費の実績に応じて、ある県では5年前と比べて医療費が増えている、他県よりも著しく伸びているから診療報酬をその県だけ下げる、ということが検討されています。(p.14)


国保の都道府県単位化についての議論だけを見ていると、今一つ全体の動きが見えてこなかったのだが、中央政府の意向としては都道府県に医療費適正化(抑制)のために様々な役割を負わせる方向で様々なことを決めてきており、国保でも都道府県に財政責任を割りあてる法改正を行ったのは、そうした流れのなかに位置づけなければならない、ということか。なるほど。



 データなどで受診行動を把握し、いわゆるデータヘルス事業を各自治体で積極的に展開する可能性があります。過剰な医療費抑制策の徹底が図られないよう、あくまでも社会保障として国保が医療保障の機能を発揮できるようにしなければなりません。(p.15)


データヘルス事業も医療費抑制のための手法として推進されているという認識には納得させられる。しかし、自治体にはそうしたデータを読み解くだけの専門知識がないと思われる。医療の専門家としての知見とデータを分析する専門家としての知見が必要だが、特に前者が不足していると思われるからである。



 国保に限らず社会保険は、保険料負担が困難な人も加入者になるということが大前提です。保険料負担ができなくても、保険給付サービスを受けることができます。
 だからこそ、保険料負担については、負担能力に応じたいわゆる「応能負担」の原則を徹底しなければ、負担能力の低い人が社会保険から排除されてしまいます。(p.19)


確かに、日本の社会保障は社会保険に大きく偏っているが、その社会保険でも応益負担的な考え方がかなり強いため、逆進的な構造が指摘されることがよくある。国保料については低所得者に対してはある程度の軽減措置があるため、高所得者の負担をもっと重くすることで医療費総額を確保しやすくすることは必要だろう。ただ、現行制度であまり累進的にし過ぎると、転出等で何人かの金持ちが出ていったことで保険料収入に大きな穴が開くなどということになるため、ある程度のバランスは必要になる。もっとも、市町村単位ではなく全国単位で運営すればこのような問題もほとんどなくなるが。(外国に逃げる人は言語や習慣などの問題もあるためあまり多くない。)



 また、この所得データは住民税データをもとにしますが、市町村によって申告不要とする「非課税者」扱いの範囲が異なっています。保険料(税)軽減所得判定や窓口負担限度額認定判定では「未申告者」がいる場合は対象外(低所得者扱いされない)となりますが、「非課税者」は「未申告者」としない取扱いをしている市町村も多く、取扱いが異なっている実態があります。(p.44)


国保は市町村ごとに運用等の判断の余地が大きいが、この箇所からは「未申告者」を「非課税者」扱いとしている市町村もあるとっも読め、そのような判断をしている市町村があるのだとすれば逆に驚きを感じる。未申告者が非課税扱いにならないのは、所得や担税力があるかどうか不明であるから、その段階では低所得者扱いをしないという考え方であると思われる。運用に裁量の余地があるのは悪いことではないが、未申告者を自動的に非課税者扱いするような扱いは不当であると思う。



 (2)の①であげる「国保運営方針」は、現在の「広域化等支援方針」の延長上にあるものと考えられています。
 つまり、都道府県に国保運営の責任を持たせ「保険料率算定方式」や市町村ごとの「標準保険料率」「標準保険料率算定に用いる目標収納率」を明記し、プログラム法にはない従来の考え方に基づく都道府県単位化=都道府県保険者論をつくり出そうとするものです。(p.51)


国保運営方針の策定に関する議論などからは、都道府県保険者論を市町村側がそれほどはっきりと意識せずに「イメージさせられている」ことが伺えるため、本書のこの指摘にはなるほどと思わされるところがある。



 市町村側は完全移行型での都道府県単位化へ強い志向を持っていたために、結果としては市町村議会での保険料(税)率の議論と決定権をはく奪されることになります。(p.51)


保険料率の決定権が市町村長、市町村議会、市町村国保運営協議会などによって行われてきていたが、都道府県単位化後の仕組みではこれらのアクターが関与する前に医療費総額と連動する形で予め標準保険料率が示されることになるため、自治権が弱まるという指摘。その背景には市町村が完全移行型の都道府県化の志向を持っていることがあるという。ある意味では国保による財政負担を手放したいと思って都道府県などに依存する考えがあったことが、自立や自律を阻害する要因へと具現化しつつあるとも言える。



 つまり、「標準保険料率」は、今回の都道府県単位化の目的である「地域医療提供体制の見直し」=「医療費抑制」を「被保険者に強要する手段」として設けられたと考える必要があります。(p.55)


論理的にはこのような関係性にあると思われるが、被保険者の立場から見れば、標準保険料率を直接見ることはないと思われ、総医療費がその標準保険料率と結びついていることも十分な理解はしないと思われる。むしろ、保険者である市町村がこの認識を強く持ち、医療費抑制に走る可能性が高いだろう。



 なお、今回決定された公費による財政支援の3,400億円は定率の負担ではありません。自治体の国保の財政状況は当然のことながら変動します。今後、国保の財政的な構造的問題の解決には、定額ではなく定率の負担による充実も求めていく必要があります。(p.87)


3,400億円の財政支援という形で中央政府は知事会を説得したわけだが、国保の人口構成などから考えると、(団塊世代が70代になっていく)これから数年間は総医療費は膨れ上がっていくことが予想される。そこに定額の国庫負担しかないとなると、市町村側にその負担が押し付けられ、一般会計からの繰り入れか保険料の引き上げかという選択を迫られることになるだろう。その意味では最低でも定率の国庫負担というのは必要であるように思われる。(定率であっても市町村の困難が増えること自体は変わらないが。)


矢内原忠雄 『余の尊敬する人物』

エレミヤの預言は真に国を憂ひ、国を救ふ愛国の叫びでありました。(p.20)


本書ではエレミヤ、日蓮、リンカーン、新渡戸稲造の4人の尊敬する人物について書かれているが、エレミヤ編は特に矢内原本人と重ねて書かれているように思われる。この箇所もその一つ。矢内原も自分自身の言論活動を「真に国を憂い、国を救う愛国の叫び」であると思っているが、当局や右翼言論人などに理解されることはなく大学教授を辞することになってしまったというあたりのことが念頭にあるのだろう。



エレミヤこそ真に愛国の心に燃え、神の真理に立ち、正確なる事態の認識の下に国民を警告したのです。然るに彼らはエレミヤを攻めて、彼は災禍の日の到来を願った非愛国者である、国賊であると言ひます。(p.31)


エレミヤと矢内原自身を重ねている箇所のひとつ。



将来の復興の希望を見るが故に、現在の懲しめに対し従順に服従するを得るのです。それは復活を信ずる者が、死に面して恐れざると同じです。復興の希望を見るが故に、現在の苦難に対し従順であることが出来、現在の懲しめを従順に受けることによって、復興の希望を見ることが出来る。(p.50)


このあたりは、本書が描かれた時期である第二次大戦という苦難の先に、それが終わった後の時代に希望を見ようとするものであるように思われる。



 日蓮の依り頼みは経文でありました。日蓮より後るること350年にして、ドイツに現はれた宗教改革者ルッターが聖書を依り頼みとしたが如くであります。(p.105)


日蓮とルターを重ねるあたりはクリスチャンらしい発想。



併し日蓮は国を法によって愛したのであって、法を国によって愛したのではありません。国は法によって立つべきであって、法は国によって立つのではありません。立正が安国の因でありまして、安国によりて立正を得ようとするは、本末転倒であります。日蓮の目的としたものは国家主義の宗教ではありません。宗教的国家であります。国家の為めの真理でなく、真理的国家であります。(p.105-106)


国家主義者や右翼といった人びとの考え方は、この点が逆転しており、「国家」なるものを最上位に置く。それも現実に存在すると想定されている国家を最高の原理として肯定し、それに都合の悪いものを排除しようとする。あるべき社会の理想を掲げ、そこに近づくように社会を組織していこうと努めることが重要だというメッセージは現在でも有効なものであろう。



 故に、戦争に至らしめた直接の分裂点は、州の分離権を認めるや否やの憲法の解釈問題でありましたが、南北をして異なる解釈を取らせたのは、奴隷問題に対する意見の相違であります。而して奴隷問題に対する意見の相違は、南北両社会の経済的機構の相違に基づくものでありました。(p.151)


アメリカの南北戦争の原因についての分析。マルクス主義的な図式と近いと見ることもできるが、それはどうであれ、論理的に簡潔に整理された見方が提示されていることにより、この事件の要因へのすっきりした見通しを与えてくれている。



我らは神の審判の前に謙遜となり、神の意志に対して従順であり、「何人に対しても悪意を抱かず、すべての人に対して愛を有ちて」("With malice toward none, with charity for all.")、戦争によって生じた国民の傷を縫ふことに努むれば、正しく且つ永続的なる平和を打ち建てることが出来るであらう。――之がリンコーンの心境でありました。およそ戦争遂行の責任者として之れ以上の崇高なる精神をもつことは、何人にも期待し難いところであります。(p.169)


リンカーンの演説の一節は新渡戸稲造が遠友夜学校の額に書いたフレーズでもある。新渡戸はリンカーンの有名な演説から引いていたわけだが、かなりお気に入りだったということだろう。

矢内原がこの精神を、戦争遂行の責任者として最高の崇高なる精神と評価しているのは、本書が描かれていた第二次大戦においてもこうした精神を指導者たちが持ってほしいというメッセージでもあったのだろう。



若しもすべての戦争遂行の責任者が、リンコーンの考へたやうに戦争を考えたならば、戦後の平和は真に正義と永続性の基礎の上に再建せられ得るでせう。然るに多くの場合、戦争の始る前にも、戦争最中にも、又戦争の終った後に於いても、敵国のみに責任があって自国は罪をもたないといふ立場を固辞しますから、その傲慢と頑固とが禍して国民を、又国と国との間を、永久的戦禍に閉ぢこめるのです。戦争遂行者が謙遜を学ばない限り、平和の新秩序は建設せられません。(p.169-170)


敵国のみに責任があって自国は罪がないという立場を固辞するという傲慢と頑固が永久的戦禍をもたらすという認識からは、現在の日中関係などが想起される。

日本の右派は自国の非を認めない発言を繰り返し、中国では抗日戦争は軍国主義・ファシズムに対抗する正しい戦争であり自国に非はないという発想がある。だからどちらも自分たちが被害者だと主張し続けることになる。ここには相手を許す余地はない。様々なところに非が存在していたことを見てとることができれば、見え方は大きく変わり、自らも謙虚にならなければならないことがわかり、相手を許す余地も出てくる。

社会システムをコミュニケーションの連鎖として捉え、そのコミュニケーションには誤解の余地が常にあり、意図とは異なる帰結へと繋がる開放された回路が開かれているということについての認識は、このような見方の助けとなるだろう。



内村鑑三と新渡戸稲造とは私の二人の恩師で、内村先生よりは神を、新渡戸先生よりは人を学びました。両先生は明治初年札幌農学校で同級の親友でありましたから、その意味では私も札幌の子であります。而して両先生を教育した学風を札幌に残したるウィリアム・S・クラークは米国南北戦争の時、リンコーンの下に北軍に従軍した陸軍大佐でありました。(p.179)


内村からは神を、新渡戸からは人を学んだという要約は非常に的確な表現に思える。また、その両先生からクラーク、リンカーンへと系譜が連なるものとして認識しているところも興味深い。

「札幌の子」という表現に関連して、矢内原は後に(1952年)次のような発言をしていることが想起される。すなわち、日本の大学教育に2つの中心があり、一つは東京大学、、もう一つに札幌農学校があったとし、前者は国家主義、後者は民主主義の源流となったという。そして、札幌から出た人間を造るというリベラルな教育が主流となることが出来なかったことが突き詰めれば太平洋戦争へと突き進んでいくことへと繋がったといった趣旨の発言である。


孤蓬万里 『台湾万葉集【続編】』

下駄ばきに袴で登校し、日本人の甲種訓導から教わるのが小学校、裸足で登校し、台湾人の乙種訓導から教わるのが公学校である。後年、公学校の低学年にも日本人教師をあてがうようになった。十分間の休み時間に肩を組み、「ベースボールする者やってこい」と校庭を練って興ずる小学校、汗を流して騎馬戦や裸足の石蹴りを楽しむ公学校と、遊ぶ様式も異なっている。(p.80)


日本の植民地では公学校というものがあったということはしばしば読んではいたが、このあたりの記述は、日本人子弟の小学校と台湾人子弟の公学校との違いを具体的に目に浮かぶように描き分けており興味深い。



しかし、社会主義思想の蔓延を恐れる政府は、外地出身の文学者を一様に要注意者としてブラックリストに載せ、特高刑事の監視下に置いた。(p.100)


日中戦争の頃についての説明と思われる。



娥さんの生まれた新起町は、繁華街万華の一角で、内台人が入りまじって住んだ。(p.111)


万華というと台湾人の地域というイメージがあったが、時代によっては内地人もそれなりの割合に増えたということか?



大正十年ごろ、鉄の値上がりで硬貨が不足し、代わりに切手が一時使われる。桃色が三銭、緑色は二銭、黄色が一銭であった(p.111)


日本の内地でも同様だったのだろうか?



当時、日本軍が植民地台湾の民を戦争に駆り立てたのは、まず軍医と軍夫という二つの形であり、のちに志願兵と学徒兵が続いた。前者は軍属であり、軍医としては開業医と官公立医院勤務とを問わず抽選で多くの医師が南方に送られる。軍夫はおもに高砂族や下層階級から求めて輜重兵の代わりに大陸で働いた。後者は戦争が激しくなった末期、日本政府がいわゆる皇民化政策を打ち出し、ついに植民地の民にも兵籍を許可することになったもので、フィリピン島における高砂義勇隊は志願兵のなかからすぐった一例である。(p.248)


こうした動員の歴史やその背景などはよく知っておくべきところだろう。



「武」という字は、もともと「戈」と「止」という二つの字の合体したものであり、まことの武人は戦を好むものではない。(p.254-255)


口先だけ勇ましいが無責任な安倍晋三のような輩は武人とはほど遠い存在ということになる。



 王さんと短歌との出会いは、昭和初期生まれの、大方の青少年共通の「啄木への傾倒」に始まる。(p.311)


啄木は台湾でも人気があったのか。



戦前、台湾の地名はその地形や住民の構成から名づけられることが多く、内埔というのは小さな盆地というほどの意、張家荘というのは張姓の人が多く住んでいる村という意味である。(p.330)


地名とその土地の歴史との関係は、郷土史的なものをやると必ず出てくるテーマだが、もう少し詳しくなっておきたいところではある。



①「はたして中国人に日本の古典を教える必要があろうか?ましてや和歌や俳句を習わすのは蛇足になりやしないか?大学教育の四年という短期間に日本の古典が了解できようか?会話と記述と文法と誤りがなくできれば満足すべきではなかろうか?」とみなさまは言われるかもしれない。
②しかし、中華民国の教育部(文部省に相当する)は大学専門課程の一つとして、日本語教育に相当の内容と効果を期待している。
……(中略)……。
④日本語文を専攻する学生であれば、古典まで了解するようでなくては成功だとはいえない。とくに、和歌も作れる程度に至らなければ一人前とは認めがたいと思う。
⑤「鑑古知新」という言葉がある。日本語ないし日本文学を身につけるためには、日本古典にたどりつくことが必要である。国家の立場からしても、純粋に学問研究の立場からいっても、これは必須だといえよう。日本と中華民国の関係は淵源が深い。もし日本の古典の研究をおろそかにすれば、かならずや誤解をふたたび招くであろう。とくに和歌は日本文学の主流であり、なおさら習うべきである。(p.372-373)


最後の⑤に示された考え方は、逆に、日本の側に同じだけの考え方があるかどうか、ということを考えなければならないように思う。必ずしもここに示された考え方が正しいとは言えないとしても、その場合であっても、これだけの熱意を持って他国を研究したり言語を習得したりしようとする人が多くいる場合とそうでない場合とでは、必然的に相手の国への見方というものが変わってくるだろうからである。



 林さんが台中第一高女に入学したのは1941年(昭和16)の春で、12月8日には米国と開戦、未曽有の大戦へと突入した。あこがれのセーラー服の生活は非常時体制のため徐々に灰色に塗りかえられていく。若い男の応召で数名の女と老人と代用の教師が残り、スカートはモンペに、帽子・シャツは国防色に、夏休みは返上、登下校は下駄、校内は裸足で……という耐乏生活になった。まもなく授業の大半は奉仕作業に変わり、防空壕堀り、担架運び、救急訓練、飛行場造りの石運びなど、つぎつぎと労働を課せられ、校舎すら軍に徴用される。米軍の空襲がしだいに激しくなり、沖縄上陸の次は台湾と、悲壮な覚悟をさせられた。楽しかるべき夢多き時代を戦争に終始し、うれしかるべき卒業式も一人の来賓すらなく、別れの歌を歌うこともなく、ひっそりと校内を去る。(p.422-423)


戦時中の台湾。