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中野晃一 『右傾化する日本政治』(その2)

 ところで国家安全保障会議、特定秘密保護法、集団的自衛権のいずれをめぐっても共通しているのが、対米追随路線を徹底させ、国内では立憲主義の縛りを外してでも首相とそのスタッフを中心とした行政府のごく少数の統治エリートたちだけで国家の安全保障に関わる重大な意思決定を行う仕組みをつくることに邁進してきたということである。いずれも第二次(2007年)、第三次(2012年)と続いたいわゆるアーミテージ報告(「日米同盟――2020年に向けてアジアを正しく導く」と「日米同盟――アジアの安定を支える」)の提言に沿った動きであることが、「日米安保ムラ」の強い影響力を示唆している。(p.162)


アメリカの利益に沿って考えられた方向に安倍政権は向かっているということはよく認識しておく必要がある。



 さらに安保法制の次は、2016年参議院選挙後の明文改憲に向けて、9条よりも着手しやすい「緊急事態」条項からはじめるものと見られている。(p.163-164)


この見方はあり得ると思う。安倍政権は、安保法制を力ずくで通した後、アベノミクスの「新三本の矢」だとか「一億総活躍社会」などという意味不明のスローガンをぶち上げているが、2016年夏の参院選が終わった後はそんなものは吹き飛び、改憲の話を持ち出そうとしているのは間違いない。憲法を変えるということに関しては、自民党の憲法草案の問題点を広く知らしめることがまずは必要であろう。



 代議制民主主義の機能不全を指摘し、形式上「選挙」で選ばれている政治エリートたちがグローバル企業に買収されてしまっており、公共空間を「占拠」することによって99%の市民たち自らが直接行動で存在を示さなくてはならないという訴えは、まさにグローバルな規模での新右派転換の果て、「自由」「民主」が凱旋するところか実質を失い、寡頭支配を招いていることを糾弾したものであった。
 より最近でも、2014年9月号のアメリカ政治学会の学会誌の一つで、財界や少数の富裕層の選好が実質的にアメリカの政策結果を大きく決めていると論じたマーティン・ギレンズとベンジャミン・ペイジによる計量政治学の論文が掲載されたことが広く学界で注目されたり、所得格差の拡大についてのトマ・ピケティの論考が一般の読者も巻き込んだ世界的なブームを呼んだりしていることもこうした現状認識の広がりを表すものといえよう。(p.176)


ギレンズとペイジの論文は読んでみたい。



55年体制においては自衛隊違憲論さえ根強く存在していたのが、9条の明文改正がなされないまま、日本が攻撃を受けていないのに他国間の戦争に参加できるとなるまでに平和憲法が歪められようとしているのである。
 こうした180度の転換を覆い隠すキーワードとなったのが、「積極的平和主義」であった。
 元はといえば小沢が専守防衛を独善的な「消極的平和主義」「一国平和主義」と糾弾するなかで、その裏返しとして対置された概念だが、正式な定義がないため中身がいかようにも変わりえるものであった。ポイントは「平和主義」の一種であると僭称することによって、憲法解釈を変えるだけで真逆の結論が導けるとした点にあり、当初小沢の構想では集団安全保障の枠組みのなかで国連軍への参加を主眼としていたが、ポスト冷戦の世界のなかでの国連の役割への期待がしぼむとともに、日米同盟のなかでどこまで日本がアメリカの要求に応えられるかに関心がシフトしていったのである。(p.182-183)


安倍晋三が安保法制に関連して使用する言葉として「積極的平和主義」というのがある。専守防衛を消極的平和主義だと糾弾しつつ、軍事力を積極的に使用することで自国と同盟国の利益を守るという意味合いで使用されているようである。武力による威嚇または攻撃によって敵を斥けるという発想のどこが平和主義なのか?という疑問はまともな人間であれば持たなければならないところだろう。その意味で、平和主義の一種と僭称しているという本書の指摘は適切である。そして、積極的に軍事力を使用し、武力による威嚇又は武力の行使によって国際紛争を解決しようというこの安倍晋三や新右派の「積極的平和主義」が憲法に反するものであることは明らかである。

シリア難民受け入れ問題について、先日、安倍晋三は受け入れる気がないことを海外メディアの前にさらしてしまった。海外の記者からの質問に移民労働者の問題と勘違いしているようなトンチンカンな答えを返していて、安倍晋三という人間は本当に馬鹿なんじゃないかと思ったものだ。本当に積極的な平和主義であるならば、こうした場面でこそもっと非軍事的な役割を果たそうとするものであろう。

これに類するあらゆる言動から見て、安倍らの言う「積極性」はあくまでも自国が軍事力を行使することに対する積極性に過ぎず、「平和」を積極的に推進するというものではないのは明らかである。メディアにはもう少しうまくこのあたりを、それほど政治に関心のない一般の人々にも分かるように伝えてほしいものだ。



集団的自衛権の行使を含めた一連の新しい安保法制は、国家安全保障会議や特定秘密保護法と一体となって運用されることになるからである。(p.184)


安倍政権としては最初からこのことを想定して反対されにくい順(NSC→秘密保護法→安保法制)で成立を進めてきた。今でもまだこのことの意味が一般に十分に理解されているとは言えない。存立危機事態かどうかを政府(国家安全保障会議の数名のメンバー)が判断するための情報も特定秘密に指定できるため、国会でもまともな情報公開がないまま承認を求められることがありうるなどということがあってもよいのか?後の検証もできない状態になるのに。これでは独裁国家と大差ないのではないか?



 しかし1990年代後半から自民党のなかで安倍ら新世代の歴史修正主義者たちへの世代交代日本会議に代表されるような広範で組織的な連携が進んでいった。小泉がさらに旧右派連合との権力闘争のなかで彼らを重用し、党内で歴史修正主義が主流化していくことになった。(p.185)


小泉政権以後、歴史修正主義的な政治家の勢いが急に増している理由がよく分かる。



冷戦の終焉とともに55年体制の保革対立が解凍されると、政党システムの流動化を経て小選挙区制の作用により二大政党制が登場し、有権者による政権選択を通じて、新右派転換が強化した国家権力に対するチェック・アンド・バランス機能が行われると謳われた。しかしオルタナティブとして育ったはずの民主党の崩壊により、戦後かつてないまでに政治システムがバランスを失い、首相官邸に集中した巨大な権力だけが抑制の利かないかたちで新右派統治エリートの手に残り、今それがさらに憲法の保障する個人の自由や権利を蝕む反自由の政治へと転化し、またその度外れの歴史修正主義で日本の国際的孤立を招きつつあるのである。これが右傾化する日本の政治の現実ではないか。だとするならば、対抗勢力を欠いたままでは、安倍政権の後も小休止をはさんで、さらにとめどなく右傾化が進んでいくことになる。
 新右派連合に対抗するどころか、抑制する政治勢力を欠き、立憲主義をはじめとした自由民主主義の根本ルールや制度さえ大きく歪められだしたという点で、日本政治の右傾化は国際比較の観点からも深刻である。(p.191)


90年代以降の日本政治の流れを的確かつコンパクトにまとめられている。権力が統治エリートに握られていることの意味や対策を考え、活動していく必要がある。


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中野晃一 『右傾化する日本政治』(その1)

旧右派連合と相当程度政策的立ち位置の重なる民社党は、実は結党当初、左派勢力を弱めることを狙ったアメリカ中央情報局(CIA)から秘密裏に資金援助を受けていたことが、今日では明らかになっている(2015年2月22日、共同通信)。(p.41)


民主社会党が社会党から分裂して結党したのは1960年のことであった。アメリカによる各国への介入は、さまざまな国に対して行われていたが、日本も同様であった。こうした事実はもっと広く知られるべきである。



 ところで巧みなメディア戦略などで都市部の無党派層の「柔らかい支持」の調達におおむね成功した小泉であったが、その構造改革路線は旧右派連合の伝統的支持基盤を崩すことによって自民党の固定票を危うくするものであったことは間違いない。そうしたなかで小選挙区における創価学会票の重みが自民党候補者にとっても相対的に増していくと同時に、日本会議に結集したような宗教右派組織などの国家主義的な情念動員も利益誘導にとって代わるものとして重要になっていった。(p.125-126)


新自由主義とされる小泉構造改革は、かえって自民党を公明党との連立を不可欠なものとし、復古的国家主義への傾斜を強める方向にも作用したというのは極めて大きな問題であると同時に興味深い現象でもある。



 政治家としての安倍のキャリアは、野党議員として始まった。そればかりか自民党が下野する直前には駆け込みで河野談話が発表され、細川新首相は「侵略戦争」と発言しており、ようやく自民党が政権復帰を遂げたのは社会党の村山を担いでのことであった。戦後50周年の国会不戦決議に安倍は最前線に立って反対し欠席するも、その代わり村山談話を閣議決定されてしまう。その後のアジア女性基金、中学歴史教科書全社での記述というように、「慰安婦」問題においても安倍は「敗北」の連続を味わった。のちに「日本を、取り戻す。」を選挙スローガンとしたのは、民主党から政権を奪還しなくてはならないという決意を示しただけではなかったのである。そうした安倍が1997年からの歴史修正主義バックラッシュの若手旗手の一人となったことについては既に第二章でふれた通りである。
 ……(中略)……。
 こうして徹頭徹尾「被害者意識」に裏打ちされた安倍やその盟友たちポスト冷戦新世代の復古的国家主義は、皇国日本が近代化の過程で戦ったすべての戦争は「国を安んずる」ため(安国/靖国)すなわち平和のため、自存自衛のための戦争であったとする「靖国史観」の「被害者意識」(中野「ヤスクニ問題とむきあう」394-401頁)と完全な一致を見たわけである。(p.134-136)


復古的国家主義が被害者意識に裏打ちされているという指摘は鋭い。ネトウヨやヘイトスピーチ団体などが中国や朝鮮などを蔑視しながら敵視するのも、それらの国からの被害を受けていると思い込んでいるからであろう。

2つ前のエントリーで取り上げた『言論抑圧 矢内原事件の構図』でも、戦前の極右言論人、蓑田胸喜の被害者意識について指摘されていたとおりであり、戦前の極右と現在の極右は考え方や感じ方などが非常に似ていると思われる。

なお、安倍晋三の政治家としてのキャリアの初期には彼にとって敗北の連続であったという指摘も興味深い。安倍晋三が戦後50年の国会不戦決議に反対していたということは銘記されるべきであり、不戦決議を成立させられなかったため村山談話という形がとられたという点も見逃すべきではない。安倍はこうしたいわくのある村山談話を、戦後70年談話で骨抜きにするつもりだったと思われるが、安保法案の審議によって支持率なども下がったため、彼が望んでいたほどにははっきりと否定できなかったのではないか(それでも明らかに村山談話よりは謝罪や反省の程度を下げているのは確かである)。



はっきりいってしまえば、安全保障が守るとする対象が国民国家からグローバル企業に変わっているわけだが、これを覆い隠すためにことさらにナショナリズムの煽動が行なわれるようになったことを見逃すことはできない。(p.138-139)


安全保障により守られるのは国民ではなくグローバル企業(の利益)であるというのは、事柄の核心を突いた認識である。

昨今の安全保障の議論について言うと、武力攻撃がなくても存立危機事態であると政府が認定すれば武力行使ができるようにしたいというのが安倍政権の主張であるが、これが意図していることの一つは経済的権益(地下資源など)を守るために軍事力を利用したいということであろう。ホルムズ海峡の機雷封鎖といった荒唐無稽な例を出して来て説明しようとしていたのは、経済活動の妨げになる事態や経済的権益が侵される事態になれば軍事力を行使できるように、ということである。



 こうして民主党への支持がメルトダウンを起こし、多党乱立、低投票率となった結果、自民党は2012年の政権復帰の際に2009年に惨敗・下野したときよりも200万票以上(比例代表制)減らしたにもかかわらず、小選挙区制の「マジック」によって議席数上での圧勝を得たのであった。
 いうなれば、オルタナティブとして育ったはずであった民主党が有権者に忌避されつづけ、多党乱立状態のなかうんざりした有権者が投票所に向わなければ、積極的な支持を獲得せずとも自民党は勝ちつづけることができる政治システムができあがったのである。(p.149)


低投票率の際には公明党との連立が自民党に極めて有利に働いているということも付け加えた方が良いだろう。



 実際のところ、棄権者も母数に入れた全有権者のうちどれだけの人が比例区で自民党ないし自民党の候補者に入れたかを計算すると(絶対得票率)、2012、2013、2014年の3回の国政選挙で16%から17.7%の間でほとんど動いておらず、これは森政権での2000年衆議院選挙での16.9%、小泉が民主党に後れをとった2004年参議院選挙の16.4%、第一次安倍政権がつまずいた2007年参議院選挙の16%、麻生で民主党に政権を奪われたときの2009年衆議院選挙の18.1%とほとんど変わらないのである。
 つまり自民党はおよそ6人に1人の有権者にしか積極的に支持を受けていないのであるが、有効な対抗勢力が存在しない今や、自公合わせて衆議院で三分の二、参議院で過半数を確保できるのである。右傾化した有権者が安倍の再登板を渇望した、というわけではなかったことは、投票率と自民党の得票数の低迷に表れている。(p.150)


自民党を積極的には支持しない6分の5の人の多くが小選挙区制では不満を抱くことになる。不満は無関心の方向に向かう要因にもなる。



 政権側からのアベノミクスについての情報発信は、国政選挙の前に増大する顕著な傾向を示し、メディアは知って知らずかその都度政権の争点設定(あるいは争点隠し)に協力した。アベノミクスの最大のポイントは、橋本行革で実施された「財金分離」の一環として打ち立てられた日本銀行の独立性を事実上撤回し、政府と直接連携し2年で2%のインフレ目標を「公約」に掲げた黒田東彦を総裁に据え、大規模な量的・質的金融緩和に乗り出し、円安・株高を仕掛けたところにあった。その後、年金の株式運用比率拡大も加わり、いよいよ「官製相場」の色彩を強めつつ、2015年4月に日経平均株価が15年ぶりに2万円台を回復した。
 結局8%への消費税増税などの影響もあり、このインフレ目標は未達成となったが、財界がアベノミクスによって大いに潤ったのは事実であり、「トリクルダウン」がこれまでのところ不発に終わり実質賃金が低迷するなか、財界と安倍自民党の蜜月は続いている。(p.156-157)


財界が金融緩和による円安・株高によって潤うため、財界のグローバル企業などをスポンサーとするマスコミもその意向に逆らえず政権の争点隠しに加担したということだろう。安倍晋三がメディアの個別インタビューなどに応じたり、メディアのトップたちとしばしば会食したりして懐柔を図り、マスコミがその術中にはまってきたということだろう。

グローバル企業の利益のために政府は国民を犠牲にする、特に安倍政権はその傾向が突出しているということは覚えておいた方がよい。





孤蓬万里 『台湾万葉集』

今でこそ台湾の都会でも火葬が主になってきたが、田舎ではやはり土葬が普通である。昔は仮葬6年ないし12年後に忌日あるいは占師に吉日を選んでもらい、骨を拾ってはじめて墓標を建てて納めるのがしきたりであった。(p.84)


本書は1993年に出たものなので、今から約20年ほど前のものだが、本書によるとその頃は田舎では土葬がまだ主流だったという。現在ではどうなのだろうか?



父の張錦さんは台南高等工業学校を出て、大正初期、満清の風俗である弁髪がまだ残っていた故郷に、ハイカラな散髪というニュースタイルで帰郷してみんなを驚かせた。昭和の初めにできた台北帝大にも工学部がなかったので、戦前台湾においては台南高工が工学方面の最高学府であった。(p.85)


日本統治が始ってから大正初期は既に20年ほど経っていた時期――20年と言っても台湾現地の人々の抵抗が強く統治が及んでいない時期があったことには留意が必要――だが、田舎では弁髪が残っていたというのは興味深い。清の統治は、それほど徹底したものではなかったとしても、生活面における大陸の文化の影響はそれなりに及んでいたということか。

なお、創立時の台北帝大に工学部がなかったのは、大正期頃の段階では台湾の主要な産業は工業ではなく農業であると日本政府が考えていたことを反映していると思われる。



 日本統治時代、台湾の女性は姓と名の間に氏という字をとくに入れて呼ばれた。例えば淑慎さんの名前は高氏淑慎である。ところが大連の女学校では「たかうじさん」と先生に呼ばれて面くらう。同級生には満州や朝鮮の人も数名ずついたが、三字名かあるいは日本式に改姓名していた。上級生に同じ台湾人が一人いたが、「林氏○○」の氏を省いて、「はやしさん」で通している。高さんは姓が「高氏」だと思われたわけだ。こういうエピソードも植民地政策のしからしむるところで笑えないナンセンスである。(p.146)


恐らく、統治者側である日本人の側から見ると、姓と名の区別がつきにくいことから便宜的に氏を入れることにされたのだろうが、男性には「氏」は入れられなかったのだろうか?そうだとすると、なぜ女性だけ氏を入れて呼ばれたのだろう?また、これはどのレベルで定められたものだったのか?法律ではなさそうな気がするが、学校での慣行だったのだろうか?



世界制覇を夢見る日本軍閥は、政府の要人を次々とたぶらかして戦線を拡大していった。ついには現役軍人だけでは不足となり、「お国のために学業を捨てて戦列に志願参加するように」と学生たちに呼びかける。
 いっぽう、今まで差別待遇をしつつ軽蔑していた植民地の民までも駆り立てた。すなわち、台湾にも「誉れの軍夫」なるものが出現、ついで「誉れの軍属」「誉れの軍医」「特志工員」「特志看護婦」とあくまでも特別配慮の有り難いおぼしめしという美名の下に、しかも志願という形をおしつけて参加させる。ついには「志願兵制度」を布き、最後には学徒動員から学徒兵のころには、一視同仁にならざるをえなくなった。(p.186)


日本による台湾の植民地支配は当時としては比較的まともに行われていた方だとは評価できるかもしれないが、それでも現地の人の側から見ると(全員が同じ認識というわけではもちろんないとしても)、基本的にこのような悪い印象をも持たせるものでもあったということは決して忘れてはならない。



 彰商三年のとき、教師引率の下に蕭さんたちは文部省推薦映画「阿片戦争」を鑑賞した。終幕近く阿片を焼く林則徐が、炎を背景にして拳を握り大手をかざして、
「五十年後あるいは百年後には、きっとイギリスの勢力を中国から追放してやるぞ!」
と叫んでいる場面が出てくる。自力で英米の勢力を駆逐できず半植民地状態に陥っている中国にかわり、日本がその侵略を食いとめる役割を果たしているのだと称する軍閥の言を信じ蕭さんはいたく感動した。これがのちの特幹志願の動機につながる。(p.187)


この軍閥の言葉は、大東亜共栄圏に通じる発想である。米英などの帝国主義からアジアを守り解放するという名目で日本が進出して植民地として支配しようというわけだ。



台湾人の入学はこの1922年2月、第八代総督田健治郎の発議で勅令制定となった「中等学校以上の学校教育を内台共学にする」という台湾教育令に基づいて、その四月から収容している。したがって、それ以前の教育はほとんど25万人の日本内地人のための教育であった。ちなみに当時の台湾の人口は約500万人である。終戦までの北一中の全卒業生(修了生を含む)は6,485人であるが、そのうち本島人はたったの178人で3パーセントに満たない(麗正会名簿による)。


台湾の教育の変遷は、大きなテーマである。


将基面貴巳 『言論抑圧 矢内原事件の構図』(その2)

 ノーベル経済学賞を受賞した心理学者で行動経済学者のダニエル・カーネマンは、ふたつの相矛盾する命題(そしてそのいずれも真ではない)を被験者に提示してどちらが真かと問う心理的実験を行う際に、片方の命題を太字で表記し、もう一方を細字で表示するなら、太字表記の命題を真だと答える被験者が多い傾向があると述べている。つまり、印刷された文章がどのような視覚イメージを持つかということと、その文章の説得力とは相関関係があるのである。だとすれば、極端に傍点が多い蓑田の文体は、おそらく無意識のうちに、視覚的に読者を説得しようとした意欲を反映したものなのであろう。(p.84-85)


興味深い。



 このような「反国体性」の強調、「侮日的」「抗日的」というレッテル貼りに関連して指摘しておくべきは、蓑田本人にとって矢内原に批判を浴びせることは矢内原に対する攻撃を意味したわけではなかったという点である。むしろ、主観的には事態は正反対であって、矢内原が蓑田の信じる「日本」に攻撃を仕掛けてきたのに対抗して「日本」を防衛していたと思われる。(p.97)


極右国粋主義者のメンタリティを的確に捉えており参考になる。

一つ前のエントリーで引用したように、矢内原の「愛国心」は、理想のあるべき日本を愛し、現実の日本社会(政府)がそこから遠ざかっている場合には、それを理想の方向との違いに照らしながら批判するという形で発露される。これに対し、蓑田のような極右国粋主義者の「愛国心」は、「現実の日本」と「日本の国体」を十分切り離さずに愛し、そこに一体化しようとするため、矢内原のような日本の現状に対する批判を、自分(蓑田)自身をそこに一体化しようとしている「日本」に対する攻撃(侮蔑や反抗)として感じることとなり、「日本」を守るために反撃していると主観的には思うことになる、といったところか。

論理とは別に心理という面から見ると、政治というものは、すべてが自分の思い通りには行かないのが常態であるが、自分の思い通りに行っていないことがあるとき、それに抵抗する人々のせいであると感じ、その人々からの被害を受けていると感じているのではないか。このような被害者意識ないし被害妄想は極右国粋主義者の心理において特徴的であるように思われる。



 しかし、その一方で家永が、矢内原追放劇において長与が演じた役割の大きさを強調し、次のように書いているのは傾聴に値する。
「総長と当該教授との間の闇取り引きで大学教授の追放が実現している(中略)ここでも大学総長の個人プレイで矢内原の自発的辞職が強要されている点に注目すべきであり、総長の独立権限が、大学自治の間接侵害のために最も有効な通路として利用されているのを看過してはならないであろう」(『大学の自由の歴史』塙書房、1962年)
 これは、教育評論家の伊ヶ崎暁生も指摘するように、注意を要する論点である。長与が、総長の方針に従わない土方にいらだち、経済学部の決定より総長の意思決定が優先するという原則を日記に記していることはこれまで見たとおりである。
 しかし、そのことは、逆に、総長を説き伏せさえすれば、文部省は容易に大学内部の事情に干渉することが可能となることを意味した。(p.152-153)


矢内原が「自発的に」辞職するよう追い込まれたのは、文部省の圧力に屈した大学の総長の意思によるものだったことを明らかにした上で、総長の権限が大きい制度となっていたことが大学の自治にとって持つ問題点を指摘している。

これは大学に限ったことではなく、昨今の日本では、組織のトップに権力を集中させることが善いことと考えられており、それによって強いリーダーシップが発揮され、責任を負ったリーダーが素早く決定を下し、その決定を強く実行して行くことで善い成果が上がると漠然と信じられている節がある。しかし、権力が集中することで、必ずしもその組織にとって善い結果がもたらされるとは限らない。決定の内容が不適切だった場合でも、十分なチェックが働かないまま進められてしまうというのが第一に挙げられる点だが、その決定の不適切さが、リーダーの単なる事実誤認や見込みについての錯誤ではなく、他からの干渉を受けて組織にとっての善とは別の利害から組織を利用してしまう場合でも、それを止める手段がないからである。

例えば、安倍政権などでも現在進行形でこうした事態が進んでいると見ることができる。現在の安倍政権による強権的な政治手法を可能にしている制度的な前提としては、少ない票で多数の議席を獲れる小選挙区制のほかに、内閣官房に権力を集中させてきたことが挙げられる。安倍晋三は、盛んに「日本の国益」を擁護するかのような発言をするが、実際の行動は国民国家やその国民にとっての善を追求するのではなく、日本に由来するグローバル企業の経営者・資本家の利益を最優先するように動いている

例えば、派遣労働者の固定化を可能とする制度や残業代を払わなくてもよくするホワイトカラーエグゼンプション(この制度が一般化するのはまだ少しだけ先になるだろうが)などを考えると分かりやすいが、年金の運用資金を株式投資に回す割合を増やしたことも、十分に金を持っている投資家をさらに富ませるために庶民から集めた保険料を投入するものだったし(これには人為的に引き上げた株価によって内閣支持率を上げるという政治的な思惑もあったが…)、先日成立してしまった安保関連法には、(日本由来のグローバル企業の)経済的な利益を守るために軍事的行動をとれるようにする道を開くという意味合いもあることは想像に難くない。武器輸出三原則を防衛装備移転三原則に変えたことも同様の利害を背景としている。

グローバル企業からすると復古的国粋主義の情念に囚われ、民主主義や平和主義や人権よりも自らの権力感情を満たすためには(誰も納得させていない中での力づくの強行採決などの)暴力的な手段を用いることも厭わない安倍晋三は使いやすい駒であるという面があるという理解は重要である。



矢内原の辞職の報を聞いて真っ先に、岩波茂雄は矢内原を訪れ、金一封を置いていった。その際、当時創刊予定だった岩波新書の一冊としてリンカーンの伝記を書いてほしいと依頼したという。
 矢内原はリンカーン一人の伝記を書く気がせず、特に当時の日本の時局に対して必要な人とは預言者エレミヤであると考えていたので、リンカーンの他にエレミヤ、日蓮、新渡戸稲造を加えた四人の伝記的考察を著した。これは、『余の尊敬する人物』というタイトルで、1940年の5月に岩波新書の一冊として出版された。(p.164-165)


この辺を読んで岩波茂雄の心意気に少し感動した。また、『余の尊敬する人物』が書かれた経緯も興味深い。

エレミヤを当時の時局に必要な人であると考えていたというのは、同書を読むと確かに感じられる。エレミヤの国を憂うる気持ちやそれを発信することによって周囲から迫害を受けても信念を貫く姿勢を描いており、この辺りは自身と重ねているのだろうと想像されたからである。なお、『余の尊敬する人物』については、後日、このブログでも取り上げる予定である。



 ちなみに、『余の尊敬する人物』のエレミヤ論の末尾のところで、矢内原は密かに蓑田胸喜に対するささやかな反撃を試みている。
「卑怯なること虫の如く、頑固なること蛭のごとく、に悪意を抱き、人を陥れるをびとする汝らパシェル・ハナニヤ輩よ。汝らこそ真理を乱し、正義を破壊し、国に滅亡を招いたのである」(傍点引用者)(p.165)


なかなか面白い。当時の人であれば、分かる人は分かるという書き方なのだろうか?偽預言者ハナニヤと蓑田を重ねているあたりからしても、エレミヤを矢内原(の理想)と重ねていることがわかるだろう。



 そもそも、マイクロヒストリー的方法の一大特徴は、その歴史叙述に登場する人物たちの自由な主体性を強調する点にある。そうであればこそ、本書の叙述では、登場人物たちが、主観的に事態をどう理解していたのか、状況にどのような意図をもって関わろうとしたのかに、特に注目した。
 それは見方を変えれば、マクロの視点からは、たとえば、学問の自由や大学の自治への抑圧という大きなストーリーのなかに、矢内原事件を位置づけてしまうと、各登場人物の状況把握や態度決定における、微妙かつ複雑な相違を無視して、あたかもすべての関係者が共通に学問の自由と大学の自治について争っていたかのような歴史叙述になってしまう。マイクロヒストリー的手法によって、そのような過度の単純化を免れることができるのである。(p.194-195)


マクロの視点だけでなく、ミクロの視点も重要であり、それぞれに意味がある。

マクロの視点からは個々のアクターの詳細を知らなくても、あるいは知らないからこそ、事態を単純化して大きなストーリーの中に位置づけることになる。マクロの視点は、当事者たちの視点を離れて、全体として意図せざる結果であったとしても、生じたことの意味を見て取る際には重要なものであり得る。

しかし、ミクロの叙述によって個々のアクターの考え方や主観的な意図などを知ることで、大きなストーリーの中で事実に反して描かれてしまう虚像を是正し、全体の意味や位置づけを吟味し直すことも必要である。



 しかし、愛国心をめぐる議論は、愛国心を持つべきか、持たざるべきか、という二者択一の問題でなければならない必然性はない。そもそも、愛国心とは何か、それはどうあるべきか、が問われる必要があろう。その意味で、矢内原忠雄が提示した愛国心のあり方は、第三の視点として注目に値しよう。
 ……(中略)……。しかし、矢内原が国の理想に照らして国の現実を批判することが愛国心の真のあり方であると論じたのと同じく、朝河は国際関係における日本のあり方を客観的かつ冷静に判断する「国民的反省力」として、愛国心を涵養する必要性を説いている。共に、愛国心を国のありように対する批判的精神として理解しているのである。
 矢内原の愛国心論にせよ、朝河のそれにせよ、現代の我が国における愛国心をめぐる議論では顧みられることが相対的に少なく、その意味で彼らが構想した愛国心のあり方は、近代日本の知的伝統においては傍流に属する。しかし、ここに発掘を試みた「もうひとつの」愛国心について考えてみることは、愛国心をめぐる今日の議論を豊かにするうえで有益ではなかろうか。(p.201-203)


 前のエントリーでも書いたが、本書を読んで最も参考になった考え方の一つが、この矢内原らの愛国心の考え方であった。



 畑中繁雄『覚書 昭和出版弾圧小史』(図書新聞社、1965年)によれば、この内閣情報局が打ち出した新機軸は、出版社の編集企画内容への干渉であった。「雑誌、出版懇談会」という名称のもと、月一、二回、出版社の編集責任者らを招集し、既刊行物において「好ましくない」内容のものに関して批評し、今後の差し止め事項や編集内容への注文を情報局が通達する会合が持たれたという。(p.211)


メディアと政治の関係が次第にこうした時代のあり方に回帰しつつある。安倍政権のメディア対策は非常に危険であり、民主的な統制に反するものである。



 自らはメディアを通じて発言することのない一般国民の目で見たとき、言論界の大局的な動向を見定めるうえで重要な姿勢とは、どのような言論人が何を言っているか、を常に満遍なく押さえることではないだろう。むしろ重要なのは、どのような言論人が表舞台から消えていったか、どのような見解をメディアで目にすることがなくなったかについて、把握することではないだろうか。
 ……(中略)……。このように、ある一定傾向の政治的見解を持つ言論人が、一人、また一人と、オピニオン雑誌や新聞など、影響力の大きい媒体から、いつの間にか姿を消す時こそが問題である。
 しかし、消えていった人の声は聞くことができない。沈黙させられている人は、沈黙させられているという事実についても発言することができない。まさしくそこに、言論抑圧という現象が、大半の人々には認知されにくい、ひとつの大きな理由があるように思われる。(p.216-217)


メディアで何が語られているかをよく把握しなければ、何が語られなくなったかに気付くことはできない。このため、日頃から報道や言論の内容については注意深く把握しておくことが必要である。

安倍政権の狡猾なメディア戦略により、既にここで指摘されているような問題(政権への厳しい批判報道がない等)は生じており、この問題は全く他人事ではない!
将基面貴巳 『言論抑圧 矢内原事件の構図』(その1)

昭和初年度においては、総合雑誌上で一般読者向けに、政治経済や社会・文化問題について、大学教授が論説を発表することは今日よりも一般的だったように思われる。これは大正半ばから見られた大学とジャーナリズムの相互浸透の結果である。
 矢内原の師、新渡戸稲造や吉野作造は、大学人(「講壇知識人」)がジャーナリズムを活動の場とする「講壇ジャーナリスト」の先駆者である。矢内原もこの例に漏れず、1926年(大正15)に「朝鮮統治方策」を『中央公論』誌上に発表して言論界にデビューを飾って以来、『中央公論』『改造』などの総合雑誌を中心に言論活動を展開した。(p.27)


大正から昭和初期の大学とジャーナリズムの相互浸透と呼ばれている現象には興味を惹かれる。都市中間層的な人々が増え、それなりに知的な議論について行けるような大衆的基盤がある程度できてきたということを反映しているように推察される。

それに比べて、今日は講壇知識人の活動がこの時代ほどでないとすれば、それはどうしてなのかということも気になる。学問の専門分化や業績を求められる(論文の生産性を求められる)度合いの違いなどもあるのかもしれない。学者はもっと社会に彼ら自身の研究成果を還元すべきではないかと思う。



 後述するように、当時、総合雑誌は『中央公論』と『改造』が双璧を成していてから、矢内原の言論活動は、主にその二大総合雑誌を舞台に展開された、といえよう。日刊新聞に論説を発表したケースはあまり多くない。これは、戦後、矢内原の論説の多くが日刊新聞に掲載されたのと対照的である。第二章で再説することだが、戦前・戦中の論壇を主に支えたのは、総合雑誌であって日刊新聞ではなかったからである。(p.29)


言論活動のためのメディアにも変遷がある。



愛国心は、終章で改めて取り上げる論点であるが、とりあえず矢内原と塚本に関して要点だけを記せば、矢内原にとっての愛国心とは、あるがままの日本を愛することではなく、日本が掲げるべき理想を愛することだった。したがって、現実の日本が、その掲げるべき理想と食い違うときには、現実を批判することこそが、愛国心の現れなのだ、と矢内原は考えた。(p.39)


この矢内原のようなタイプの愛国心があり得るのだ、ということを指し示している一点だけをとっても本書を読む価値があったと思っている。昨今では愛国心というと「被害妄想じみた右派」の専売特許のような様相を呈しているが、左派やリベラル系の人びともよく見てみると、矢内原のようなタイプの愛国心は持っている場合が多いように思う。もっとも、愛する対象は「国」である必要はなく、自らが属する社会のあるべき理想を愛し、その理想に適うように社会を変えていこうというような形での発露なので、「愛国心」という名が適当かどうかという問題はあるが、ある意味、右派的に見られるような、現状肯定的でその真意は権力者にとって好都合な愛国主義から「愛国心」という言葉を取り戻すために戦略的にこの言葉を使っていくのは、現在の社会状況に照らすとありかもしれない。



 再び畑中によれば、1937年以後の当局による言論抑圧は、より組織的かつ包括的になった。その特徴を畑中の著作から引用・列挙すると次のようになる。

(一)著名言論人の根こそぎ検挙については前期におけるとまったく変わらないが、検挙は一歩をすすめて、この段階において編集者に伸びていく。
(二)当局の監視はついに各出版企業の経営内部におよび、編集者や経営首脳部や、やがては読者層にもおよんでくるのと同時に、
(三)検閲方針においても、消極的な「事後検閲」にあまんぜず「事前検閲」を要求し、やがては題目、執筆者の変更から、ついには官製原稿のおしつけや特殊テーマ採択の強要などをつうじて、ぜんじ編集権の文字どおり侵害にまですすんでいく。
(四)当局みずから「好ましからざる」と査定した執筆者の執筆禁止の示達をおこない、それがはじめは多く左翼系執筆者にとどまっていたが、やがて箝口令のワクは半公然のうちに大方のオールド・リベラリストにまでひろげられ、戦時政府にたいするいかなる野党的意見も抑圧されるにいたった。
(五)用紙割り当て権をにぎることにより、好ましからぬ出版社への用紙割当量を削減し、経営の物的基礎資材を抑えることによってその社の経営縮小・じりひん解体を策したのみか、のちには「企業整備」に藉口して同様刊行物やその出版元を、文字どおり業界から「消す」ことも策された
(六)戦争末期においては、ついに好ましからぬと認めた出版社にたいして直接政治力を発動し、「公然」自廃を強要するの挙にでてきた。(p.69-70)


1937年は日中戦争勃発の年であり、この戦争を契機に日本の言論の状況は一気に悪化したことが分かる。

当局が編集者や経営内部に手を伸ばし、そこを押さえることで自由な言論の可能性を狭めていったことは注目に値する。また、用紙割り当て権を当局が握ることで当局にとって好ましくない会社に用紙の割り当てを少なくするという手法も気になる。

前者はネットワークのハブを押さえることで、効率的に言論のコントロールができるという点で非常に効率的な統制の可能性もあるかも知れない。

後者の用紙割り当て権を握るやり方は、正直、そんなところまでやるのかと驚かされた箇所。現代は紙がなくてもインターネットがあると思うかもしれないが、プロバイダを押さえられてしまえばもっと酷い状況となる。