アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

謝雅梅 『新視点 台湾人と日本人 女子留学生が見た“合わせ鏡”の両国』(その2)

「だれが当選しても日本の政治は変わらないですよ」
……(中略)……。
 正直な気持ち、私はこのような日本人の無責任な政治観にがっかりしました。現在世界のどこかで、だれかが自由を獲得するために政府と闘って血を流しているという残酷な事実が依然として存在しているのに、日本人は簡単に自分の権利を捨てようとしています。(p.144)


確かに、「だれが当選しても日本の政治は変わらない」というのは誤りである。安倍晋三が首相となったことによって、明らかに違憲な法案(安保関連法案)が採決される方向に向かっていることを見てもそれは分かる。憲法を時の政府が勝手に解釈して、その解釈に適う法案であれば何でも成立させることができるのだとすることは、立憲主義の否定であり、権力の暴走を止める手段がない状態となることを意味する。今回のような解釈改憲が認められるならば、もし、まったく異なる立場の内閣が成立した場合には、「自衛隊は違憲であり即座に解散する」という解釈をする政府であっても受け入れる必要があるということを意味する。(憲法の文言を素直に読む限り、こちらの解釈の方が安倍政権の解釈よりはずっと適合性が高いのは明らかである。)

このような暴挙に対しては、著者が言うように、権利を捨てることなく政府と闘うことが必要である。



 しかし、台湾人の政治熱はけっして生まれつきのものではありません。もしかすると、かつての国民党の独裁政権、そして台湾海峡の向こうにある巨大な中国の存在がなければ、台湾人も日本人と同様、国会で何が起きても関心がない生活を送っていたかもしれません。(p.145-146)


確かに、かつての白色テロの記憶と中国の存在という2つの要因は台湾における政治的な関心を高める役割を持っているように思う。私の友人の台湾人と話していても、確かにこうした関心が多少なりとも影響しているように思う。

2014年に台湾の学生たちが立法院を占拠したときも、中国とのサービス貿易協定が持つ問題がその原因となっており、その中には情報統制や出版の自由の制限などに繋がりうる内容もあったことが想起される。これも白色テロのような独裁政治への懸念と中国による政治的および経済的な進出への懸念が人々に共有されたからこそ可能だったという見方もできるだろう。



 冷静に考えれば、それ以外に最も肝心なことは、今の台湾の国家として不安定な状況では、何か国を代表する象徴が欲しいということかもしれません。(p.154)


孫文が台湾で今でも国父として尊敬されている理由についての著者の説明。なるほど。ある意味では日本の右派(中国や韓国に日本が脅かされていると信じている人々が多い)が、天皇や皇室(あるいは天皇制)に愛着を持っているのも同じような心理によるのかもしれない。



 97年9月22日の「朝日新聞」にこんな記事がありました。同紙が行った中国人と日本人を対象としたアンケートの中で「自分の意見が政治に反映されているか」という質問に対し、中国側では「十分反映されている」は4%、「ある程度反映されている」は31%も占めています。一方、日本側では「十分反映されている」は0パーセント、「ある程度反映されている」は13パーセントにすぎません。両者を比べても現在の中国人は世界情勢を知らないか、あるいは知らされていないということがよく分かります。(p.174)


20年近く前のアンケートなので、現在は多少は改善されているだろうが、それでも中国の場合は、自分の政治的な意見が先にあって、それを政府が反映した政策を実行しているかどうかというより、政府(共産党)の意見が先にあって、それに逆らうことができないため人々は自分で望んでいることにしてしまう傾向はあるのではないか。



 最も台湾人が我慢できないのは、大陸の中国人に表れている「台湾は自分のものだ」という傲慢な態度です。(p.175)


このような感情は多くの台湾人に共有されているのではないか。私の台湾人の友人も同じことを語気を強めて話していたのが想起された。ちなみに、中国(大陸)の人々は自国の歴史を正しく理解する機会もないのだから、自国の領土がどこからどこまでなのかを語ることは本来できないはずである、というのが私見である。



先生の話によると東洋人、特に日本人、中国系人、韓国人は見た目だけでは判断しにくいのですが、長年の教鞭生活の経験によって簡単に判断する方法を見つけたそうです。どうするのかというと、生徒に質問すると一目瞭然だそうです。たとえば「Anything question?(何か質問がありますか)」と聞くと、台湾人や日本人ならすぐ下を向き、先生の視線から目をそらそうとします。しかし、韓国人や中国人ならむしろ、避けずに先生の視線を見つめています。
 このように、日本人の学生はおとなしくてあまり質問しないといわれていますが、その辺は、台湾人の学生にも共通するものがあります。その原因は今まで受けてきた一方的な教育方法にあると思います。(p.213)


アメリカやヨーロッパならばディベートなどの経験も積むような教育がなされているかもしれないが、日本にはそういうものは少なくとも高校までの教育では非常に少なく、知識を詰め込むタイプの教育となっているのは確かだと思うが、中国はもっと詰込み型だというイメージがある。その点からすると本書の主張は根拠が薄弱に感じられる。しかし、台湾と日本の共通性は、もしかすると日本統治時代に日本式の教育が普及されたことに歴史的な基礎を持つという仮説は成り立つかもしれない。



スポンサーサイト
謝雅梅 『新視点 台湾人と日本人 女子留学生が見た“合わせ鏡”の両国』(その1)

しかし当時、りんごは戦後日本で売られていた台湾バナナと同様、特別な行事や病気で入院でもしないかぎり、めったに口にできない高価なものでした。だから、台湾人の間では今でも富士りんごの人気は非常に高いといえます。(p.12-13)


70年代頃のこと。現在はポピュラーになっていると著者は言うが、マンゴーや南国っぽいフルーツと比べると遭遇率はかなり低いように思う。



ただ、いつも不思議に思っていたことは先生が授業をしているのに、日本の学生たちが平気でおしゃべりしたり、笑ったり騒いだりしていたことです。(p.26)


80年代末から日本のある私大に留学した著者の経験談。私は大学時代にはこのような光景には出会ったことがない。少なくとも日常的にこのようなことはなかった。これは「日本の」学生の態度というよりは、「学力が低い」学生に見られがちな態度であるようにおもわれる。



 実をいうと、ほんの少し前まで、台湾の教科書には台湾の歴史が書かれていませんでした。もちろん、台湾の歴史の一部である日本の植民地時代の歴史も載っていませんでした。ちなみに、1996年の9月から教科書が大幅に改訂され、台湾の歴史が取り入れられるようになりました。
 中国の歴史を中心に書かれている教科書によって、好き嫌いに関係なく、私たちは中国の歴史イコール台湾の歴史だとずっと思い込んできました。中国の歴史といっても、あくまでも国民党が中国大陸から撤退する前の古い歴史です。つまり、政府は自分の都合で私たちが自分たちの歴史を知る権利を奪ったのです。
 ……(中略)……。
 たとえば、モンゴルは1921年に中国から独立、61年には国連にも加盟し、現在120カ国以上と外交関係を持っていますが、にもかかわらず、96年まで台湾の中華民国全図にはモンゴルがまだ含まれていました。(p.66)


本書の最初の版が出たのは99年なので96年は少し前だが、現在2015年から見ると約20年前のことになる。「台湾の歴史が取り入れられるようになった」というのは、「台湾の歴史が主に教えられるようになった」とは違うということは押さえた方が良いかもしれない。



 もっとも、旧日本軍が戦争中にアジアをはじめとする国々で行ったことに関して、半世紀以上たった現在でも責任を問われつづけるのと同様に、かつて国民党が台湾や台湾住民にやってきたことを私たちの記憶から消すことはできません。ただし、その責任を台湾で生まれ育った二世、三世、四世……に追及するのは、あまりにもかわいそうだと思います。(p.80)


コミュニティの繋がりや帰属意識が存在することなどから、同じ集団に属することによってかつての集団の行為に対する責任が未来の構成員にも課されることがあるとしても、個々の構成員にとっての責任は時間や関係の距離に応じて逓減していくべきだという考え方には妥当性があるように思う。むしろ、二世、三世という人びとが負うべき責任より、実際にやった世代の親の世代や祖父母の世代の責任の方が重いと言える。



 台湾では、ほらを吹くことを「吹牛」、約束を守らないことを「黄牛」といいます。そしていくら道理を説明してもらちがあかない人にあきれること、すなわち「馬の耳に念仏」を「対牛弾琴(牛に琴を弾いて聞かす)」といいますが、逆に相手から「牛脾気(頑固で強情)」といわれるかもしれません。そのほかにも、「牛頸(大きな苦労)」などがあります。(p.133-134)


台湾を象徴する動物は牛であり、牛をモチーフにした言葉が多いらしい。



 台湾の農業がまだ機械化される前の1960年代、70年代には、農作業はすべて水牛でやりくりされており、牛がいないと農作業ができないほど人々は牛に頼っていました。(p.134)


台湾の少し古い絵などにも水牛が描かれたものが結構ある。70年代でもまだ水牛が活躍していたとは驚いた。




斬馬剣禅 『東西両京の大学 東京帝大と京都帝大』

 けだし大学なる設備の中心を成すものは素より教授と学生となり、かの大学(University)なる語原の実は「教授と学生との団体」(Universitas magistrorum et scholarium)というラテン語に出たるをもっても知るべきなり。(p.23)


大学というものを考える際、常に視野に入れるべきポイントであるように思われる。



 法律的事業家としての梅の奇才は、大概かくの如しといえども、梅に次でその学問の実際的にして、穂積の散漫に似ざるものはけだし岡松参太郎なり。彼の商法の疑義解釈のごとき、彼が一片の法理学者にあらざるを示して余りあり。いわんや彼が台湾総督府の嘱託を受けて、かの地の旧慣取調法典編成の事業においても、大いに立法的手腕を示しつつあるをや。(p.63)


岡松参太郎は京都帝大の教授。(当時日本の植民地となっていた)台湾の旧慣取調法典の編成に関わったというところに興味を惹かれたので引用しておいたもの。日本の植民地統治には帝国大学の関係者がいろいろと関わっていたようだが、そうした事例のひとつ。岡松を台湾の嘱託に引き込んだのはやはり後藤新平であった。(新渡戸稲造も後藤が台湾の嘱託に呼び寄せた一人である。)後藤が満鉄総裁に転任すると、岡松も満鉄の理事になったというから、後藤が彼の政策実行のために身近に置いていた技術官僚的集団のメンバーであったと想像される。



しかも吾人がことごとくこれを読者に紹介する能わざるは、言常に皇室に関するものあればなり。彼の炯眼なる、実に早くよりこの日本人の弱点を看破し、捕えてもって自家の学説の保障となしたり。(p.103)


本書は明治36年に書かれたものだが、当時、皇室に関する批評を語ることは相当危険であったようだ。そして、それをうまく活用する(天皇を自説にとって必要な存在として取り込む)ことで批判されないような学説を唱えていた学者がいた、ということもわかる。



新聞紙は一の大学なり、文筆は一の精神的事業なり、もって社界を教育すべく、もって積弊刷新の事を行うべしと。(p.272)


新聞紙は大学なり、とは現在ではなかなか出てこない(思いつかない)であろうフレーズであり興味深い。



潮木守一 解説より。

この評論の目的は、しだいに明治国家体制の中核的な機構として立ち現れ始めた、時の帝国大学、その頭上に批判の鉄槌をくだすことにあった。(p.294)


明治30年代は京都帝大が(明治30年に)できたばかりであり、東京帝大とは異なる教育理念に基づいてより「大学的な」教育システムを構築しようと奮闘していた時代であり、その京都帝大の挑戦を基本的に擁護しつつ、東京帝大に改革を迫ろうとしている、というのが本書の基本的なスタンスであろう。


佐藤圭樹 編著 『写真で辿る小樽 明治・大正・昭和』

小樽公園横の一帯には牧場があった。(p.7)


明治38年(1905年)の小樽港明細地図についての注釈より。牧場があったのは、現在の入船十字街から坂を少し登り、教育委員会の方向へ向かう道の少し山側あたりである。こんなところに牧場があったことに驚いたが、昭和初期に小樽公園の入り口あたり(公園通り沿い)に小樽保証牛乳という会社の事務所ができたこと(現在のミルクプラントというアイスクリーム屋)も関係があるのだろうか?という疑問も湧いてくる。



遠景の海上に延びているのが高架桟橋で、画面右下には旅客専用の手宮駅が写っている。無関係と思われる両施設のあいだには意外な繋がりがある。高架桟橋の完成によって石炭の積み出し量が急増した手宮では駅構内が手狭となったことから貨物扱いに特化し、それに伴って大正元(1912)年に場所を移して開業したのがこの旅客駅というわけだ。しかしその後の昭和18(1943)年、戦局の緊迫するなかで手宮線は複線だった線路の片側を供出。それを機に旅客輸送は休止となって旅客駅も廃止された。(p.18)


高架桟橋については小樽の歴史をふり返るときしばしば語られるが、手宮駅についてはそれほど語られることがない。手宮線も複線だったことは知らなかった。そしてそれが戦争の影響で単線化され、その結果として旅客の扱いがなくなったとは。



 明治13(1880)年、手宮~札幌方面への鉄道を敷設するにあたっては、石山の裾を切り拓いて鉄道用地を造り出すことをせず、既存の道路の上に線路を敷いてしまった。その結果、列車が家並みのすぐ前を、まるで路面電車のように通ることとなったというわけだ(→P64)。
 ……(中略)……。ようやく鉄道の専用軌道が完成し、鉄道が道路から切り離されるのは鉄道開通から四半世紀近くも後の明治37(1904)年。前年4月の手宮大火で一帯が焼け野原になったのを機に、新たな街づくりが行われた結果だ。(p.33)


手宮線は明治後期(38年頃)まで現在の路線とは少しずれたところを通っていたようだ。現在は旧日本郵船小樽支店の山側に線路が通っているが、この既存の道路の上にあった軌道はこの建物の前面の道路を通っていた。

東南アジアなどで店などが並ぶすぐ目の前を列車が通る風景をテレビなどで見たことがあるが、ある意味、明治中期の手宮線もそれと同じような状態だったということか。逆に言えば、東南アジアなどのそうした鉄道の状況も既存の道路の上に軌道を敷いた結果なのかもしれない



石山が開削されて裡町通りが稲穂町まで開通するのは大正8(1919)年。小樽港の埋め立て工事――このときに小樽運河が生まれる――のため石山から土砂が運び出され、道路開削と埋め立て地の造成と一挙両得の結果となった。(p.35)


現在の手宮行きのバスが通る道はこの時に開通したということらしい。この叙述を読んで明確に理解できたのは、この道が稲穂町側から軽い登りになっており、比較的短い距離ですぐに手宮側に向けて下りになる地形は、もともとあった石山を削った土地だからだなのだろう、ということだった。この道からは削られて残った山の部分であると思われる部分も見ることができる。



 北大との体育会対抗試合に先だって行われる両校応援団の対面式は大正時代に始まったとされ、毎年初夏の恒例行事として広く知られている。……(中略)……。
 団長はぼろぼろの羽織袴、高下駄に長髪、髭面というバンカラ丸出しの出で立ちだ。もっともこのスタイルは昭和30年頃に“復古調”として採り入れられたらしく、戦前は学生服のすっきりした出で立ちだったというのが意外だ。(p.111)


北海道大学と小樽商科大学の体育会の定期戦での応援団同士の対面式の風景は北海道では非常に有名だが、あの応援団たちの格好が昭和30年頃に復古調として採用されたものだったとは驚いた。



まずは貨物用の倉庫を建てるための埋め立て地が必要であり、それに付随して設けられた荷運びのための水路が「運河」となった、というわけだ。(p.112)


運河の工事は主たる目的は倉庫用地であり、運河は付随的な位置づけだったというのは興味深い。ただ、運河の建設は、埠頭方式とどちらが良いかが議論された結果、ある意味では旧式の方式が採用されることとなり、その結果、竣工してまもなく埠頭建設が必要になった、というほどのものだったから、運河よりも倉庫というのは想像できることではある。



その石柱には向かって右に廣海二三郎、左に大家七平と、ともに加賀瀬越村の北前船主である寄進者の名が刻まれている。二三郎は大家家から養子に入っており、鳥居に名を刻まれた2人は、姓は違うが実の兄弟である。(p.122)


住吉神社の大鳥居について。旧広海倉庫と旧右近倉庫は現在の北運河の端、一番手宮側のあたりに並んで建っている。それもこうした両家の関係を反映しているようで興味深い。



 高島の街の高台に建つ<高島稲荷神社>は元禄3(1690)年創建と伝えられる古い歴史を持つ。寛文7(1667)年には近江商人の西川家が漁場経営に携わっており、神社の起こりはその時代のことのようだ。(p.124)


高島の神社の創建がここまで古いとは知らなかった。西川家の進出と関係しているというのはありそうな話だ。



大正年間に築造された小樽運河を、竣工当初から時代遅れとする見方が多いなか、近代的な埠頭建設には大きな期待が寄せられ、起工式はひときわ盛大に行われた(第一埠頭の竣工は昭和15年)。(p.154)


小樽運河は生れるときから時代遅れとされ、完成して20年後には埠頭に主役を奪われ、昭和中期には打ち捨てられ、昭和後半には埋め立てが決められるという歴史を通ってきたが、その意味では昭和の運河論争を経た後の現状は、この運河の歴史にとっては比較的輝かしい時代なのかもしれない。



一般に「小樽は戦後になってそれまでの勢いを失った」といわれることが多いが、戦争は、小樽の発展を阻害した直接的な要因ではない。小樽の経済的繁栄の象徴と見られる大手銀行の支店にしても、戦後になって住友と三和(共に昭和22年)、日本勧業(25年)の3行が新たに進出していることは注目に値する。
 小樽にとっての逆風は、終戦直後の混乱期がひと段落した昭和30年前後に始まる社会・経済環境の変化によるものが大きい。(p.155)


興味深い指摘。樺太を失ったことなども戦争に関連して語られるが、樺太にとって小樽の存在は大きかったが、小樽の流通全体から見た樺太は大きくはなかった(5%程度だったか)。なお、ここで語られる社会・経済環境の変化とは、太平洋航路(苫小牧港)の位置づけの高まり、石炭から石油へのエネルギー転換、札幌への経済機能の一極集中といったことが挙げられている。



川渕孝一 『国民皆保険はまだ救える 崩れ去る「公助」「共助」から「自衛」の時代へ』

 一彦氏の例を持ち出すまでもなく、最近、日本の病院は“お金儲け”に執着しすぎではないだろうか。それもそのはず。総務省が地方自治体に公立病院の再編計画の策定を求めているからだ。
 それにしても、総務省が2007年12月21日に公表した公立病院改革ガイドラインには全く哲学がない。同ガイドラインでは、公立病院を持つ自治体は08年度中に①経営効率化、②再編・ネットワーク化、③経営形態の見直し――この三つから改革プランを策定することになった。(p.57)


なるほど。私の住む地域でもここ数年、公立病院の統合などが市政の重要な課題となっていたが、市が独自にやり出したというよりは中央政府からの指示があって始まったことだったのかもしれない。必要性があるのは確かだが、ある意味では十分な合理性がないのに唐突に出て来た感があり、議論になったのはこうした背景があったからかもしれない。



通常「Disease Management(疾病予防)」というと、諸外国では二次予防(早期発見・早期治療)や三次予防(医学的介入による機能低下の防止)が中心テーマとなるが、わが国の疾病予防は生活習慣に関する行動変容という一次予防が対象となる。まさに世界でも稀有な“壮大な実験”がスタートしたわけだ。
 しかし、導入当初の混乱もあって、どの保険者も予想外に低い受診率に甘んじている。はたして国が考えたような医療費適正化効果が期待できるのだろうか。三年後には、その成否によって各保険者の後期高齢者への支援金の加減算が決定されるだけに事は重大だ。
 くしくも、海を越えた米国でも同種の社会実験が行われている。米国連邦議会で制定されたMedicare Coordinated Care Demonstration(MCCD)である。……(中略)……。
 肝心の研究結果だが、直近の25カ月間についてメディケアの医療費を総じてみると、どのプログラムも月ごとの医療費削減効果はなかったという。(p.103-104)


特定健診もアメリカの猿真似だったのか。しかも期待していた効果も得られないようなものだとは…。こういうアメリカの猿真似政策はいい加減にしてほしいものだ。



 日本の未成年者の喫煙率が高いのは、諸外国に比べてわが国の広告規制が極めて緩やかなことも関係している。実際、タバコの広告収入が広告代理店やマスコミの重要な収入源となっている。先行研究によれば、102カ国の高所得国では、タバコ広告の禁止により消費が減少することが明らかにされた。(p.171-172)


タバコの広告は禁止してほしい。



 そこで、「セカンドベスト」の介入としてタバコへの課税が有効とされる。特に大幅なタバコ増税は子どもの喫煙開始を妨げる非常に有効な手段であることが明らかになっている。(p.177)


タバコ増税は望ましい。



 すなわち、タバコ増税は、一部の消費者には「値上げ→コスト高→健康のために減煙」という抑制効果を生むが、多くの消費者には値上げに関係なく、「値上げ→政府の税収増」という現象が起こるのである。であれば、「財務省への気がね」は無用である。(p.179)


やはりタバコ増税は望ましい。



 トヨタ方式の生みの親、故・大野耐一氏によれば「『なぜ』と五回繰り返せ。そうれば原因ではなく真因が見えてくる」という。同氏によれば、「カイゼン」の基本的な考え方は次の四つだ。
①自分の工程で不良品を出すな。後工程が迷惑する。
問題があるかないかは、正常な(標準)状態がきちんと決まっていなくては見えてこない。だからカイゼンするためには標準化、つまり基準を作ることが不可欠。
③まず自分の手で標準作業書を書いてみよ。カイゼンをするためには、まず標準を決める。改善レベルが進むと標準のレベルを上げる。すると問題点が再び出てくる。
④カイゼンは少しずつ前進し継続される。(p.220)


有名な「カイゼン」だが、標準化の重要性というのはなるほどと思わされる。



 幸い、高齢者数の急激な伸びはあと5年で終わる。確かに高齢化率は今後も上がり続けるが、1947~49年生まれのいわゆる団塊の世代が65歳を超える2015年以降、高齢者数の伸びが緩やかになり、20年頃には頭打ちになる。つまり、2012~14年にかけての3年間が高齢化の最も急速に進む時期であり、その時期を過ぎると高齢者数の伸びが止まるのだ。さらに団塊の世代全員が75歳を超える25年以降、後期高齢者数の急激な伸びも止まり、30年以降は減少に転じる。だとすればそこまでが日本にとっての正念場だ。壊れやすい地球のような国民皆保険制度を、何とか救いたいものである。(p.276)


本書は2011年に出版されたので、現在は高齢者数の伸びが緩やかになる局面に入っている頃ということになる。2030年以降は社会の構成が問題なくなるかのように書かれているが、団塊の世代の多くが亡くなるであろう2035年頃には団塊ジュニア世代が60代になってくる。それより下の世代の数の少なさを考えると、2055年くらいまではそれほど楽な時代とは言えないかもしれない。

人口構成は社会の変動を考える上で非常に重要なので、きちんとデータを見ながら考えてみたい。


真野俊樹 『「命の値段」はいくらなのか?――“国民皆保険”崩壊で変わる医療』

 たとえば、「分子」が数式で説明できる動きをするがごとく、人間にも数式で説明できる動きをしてほしい、これが合理的経済学のものの見方である。数式で説明できる合理的な行動をする人間を仮定することで、政策が考えやすくなるのである。(p.29)


上記の説明のうち、合理的経済学が人間を数式の通りに動いて「欲しい」と要求している点は重要である。合理的経済学はいくつかの仮定を置いて数式を立てていくが、多くの場合、どこかの段階でこの数式が「正しい(あるべき)」社会の動き方であるかのように扱われはじめる。この経済学における数式の規範的性格に対しては語る側の人間も聞く側の人間も注意深くなければならない



 もう一度確認してみると、行動経済学は医療や健康問題に対する、我々の必ずしも合理的ではない行動を分析するのに適している。しかし一方では、行動経済学の手法では、なかなか政策に適用できない。ここが、政策を考える場合にはジレンマになる。(p.98)


本書の基本的な立場の重要な部分。政策というものを大風呂敷的に広げるものと考えれば、合理的経済学のような規範性は必要と感じるかもしれないが、細部から組み立てていくものと考えれば行動経済学の知見は十分に活かしうると思う。



 大阪大学の池田新介教授によれば、時間選好率が高い人(最初に楽しいことをしてしまう人)ほど子供のころに夏休みの宿題を後回しにしていたり、負債を保有していたり、喫煙者、肥満者が多いという。また時間選好率が高いと借金が多いといことになる。(p.107)


マシュマロテストの結果と通じている。ちなみに、私個人は時間選好率は高くないようだ。



マズローの5段階のピラミッドはよく知られている(図)。この最上位に自己実現要求があるのであるが、最近の研究(野中郁次郎、紺野登『知識創造経営のプリンシプル――賢慮資本主義の実践論』)では自己実現のさらに上位に、論理的で利他的な「コミュニティ(共同体)発展欲求」をマズローが考えていたとも言われるようになった。(p.144)


なるほど。単なる自己実現より共同体の発展の方が高次の目的だと考えることができるという発想が、この説(上記最近の研究)の背景にあるように思われる。

ただ、マズローの欲求段階説は実証されていないアイディアにすぎない点は認識しておく必要がある。仮にマズローがコミュニティ発展欲求という発想を持っていたとしても、そもそもそれ以前の段階が段階的に満たされて発現していくというプロセス自体が実証されていないのである。


トマ・ピケティ 『21世紀の資本』(その7)

国富や国民所得という考え方の長所は、それが国の豊かさについて、GDP概念よりもバランスのとれた見方を与えてくれるということだ。GDPはある面ではあまりに「生産主義的」なのだ。たとえばもし自然災害が富の相当部分を破壊したら、資本の減価償却が国民所得を引き下げるが、GDPは再建活動のために増える。(原注p.23)


適切な指摘。



中央値とはそれより下に人口の半数が属する水準。実際には、中央値は平均よりも常に低い。なぜなら現実世界の分布は常に高位に長い尻尾があって平均を上げているが、中央値は上がらないからだ。労働所得では、中央値は一般的に平均値の80%になる(たとえば、もしも平均賃金が月2000ユーロならば、中央値は1600ユーロ程度になる)。富については、中央値は極端に低く、たいてい平均資産の50%以下で、人口の貧しい半数がほとんど何も所有していない場合には、ゼロになることもある。(原注p.39)


経済的指標に関しては中央値と平均値の関係はここで述べられたようなものになるのが一般的だろう。



意味のある成長率の比較をするためには、かなり長期(最低でも10年か20年)の平均をとるのが重要だ。もっと短期で見ると、成長率は各種の理由で変動するので、まともな結論を引き出すのは不可能だ。(原注p.78)


率というものは扱いが難しいものだと弁える必要がある。



理論モデルにおいては(また累進課税の歴史でも同様)、累進税はまったくちがう二つの役割を果たしてきたことに注目。まず収奪的な税率(分配のトップ0.5-1%に対する80-90%の税率)は不適切で無意味な報酬を止めさせる役割を果たし、高いが没収的ではない税率(トップ5-10%の層に対する50-60%の税率)は所得分布の下位90%からくる歳入を超えて社会国家のための資金を集める役割を果たす。(原注p.79)


なるほど。



トマ・ピケティ 『21世紀の資本』(その6)

税金というのが常に、単なる税金以上のものだということを理解するのは重要だ。税金はまた、規範や分類を定めて、経済活動に対する法的枠組みを課す手段なのだ。(p.544-545)


この認識はこれまでも何度か引用したかもしれないが本書の重要なポイントのひとつであり、本書から私を含めた多くの人々が学ぶべき点でもある。



自由貿易と経済統合でお金持ちになった個人が、隣人たちを犠牲にして利潤をかき集めるなどというのは正当ではない。それは窃盗以外の何物でもない。(p.547)


まさに現在起っているのがこれだ。



 政府が支出をまかなう方法は主に二つ。税金と負債だ。一般に、公正と効率の観点からして、税金のほうが負債よりもはるかに望ましい。負債の問題は、通常は返済が必要だということだ。したがって負債による資金調達は、政府にお金を貸せる人々の利益になる。社会的な利益の観点からすると、金持ちに借りるより、金持ちに課税するほうが通常は望ましい。(p.567)


国債・公債に関する議論でいつも抜け落ちているのが、貸し手は誰なのか、ということだ。政府に金を貸せるだけの資金に余裕がある人が貸す。逆にこれらの金持ちに対して累進課税をすれば金を借りる必要などなく、利子を返す必要もない。この程度のことすら公けに議論されないということは問題だ。



新興経済は富裕国より所得でも資本でも貧しいが、公的債務はずっと低い(平均でGDPのほぼ30パーセント)。これは公的債務の問題が、絶対的な富の水準の問題ではなく、富の分配の問題だということを示している。特に公的アクターと民間アクターとの分配が問題だ。金持ち世界は金持ちだが、でも金持ち世界の政府は貧乏なのだ。(p.567)


公的債務の問題が分配の問題だというのは当然のことである。だが、このこともしばしば忘れられている。



大恐慌の開始時点で、工業国の中央銀行はきわめて保守的な政策を採用した。金本位制を廃止してまだ間がなかったので、トラブルに陥った銀行を助けるのに必要な流動性創造を拒否して、これが連鎖反応的な倒産を創り出し、これが危機を深刻に悪化させて、世界を奈落の縁にまで押しやった。この悲劇的な歴史体験がもたらしたトラウマはぜひとも理解しよう。それ以来、みんな中央銀行の主要な機能は金融システムの安定性を確保することだという点で合意するようになった。(p.576)


大恐慌があれほどの深刻な事態を引き起こしたのは、金融体制が変わってから十分に時間が経過していなかったため、適切な方法での対処をすることへの意見の一致がなかったことが要因のひとつであったとも言える。



税制競争は通常は消費税への依存に向かうことを認識するのは重要だ。これはつまり19世紀に存在したような税制であり、累進性がまったくつけられない。現実問題として、これは貯蓄できる者、居住国を変えられる者、その両方ができる者に有利に働く。(p.591)


消費税は品目ごとに累進性をつけることもある程度はできるが、制度としては複雑になるし、所得税や法人税ほど有効に累進課税の効果を発揮することもできないように思われる。



 最後に、債務や財政赤字の適切な水準を判断するには、国富に影響する他の無数の要素を考慮しないわけにはいかない。あらゆる手持ちのデータを見ると、何より驚かされるのが、ヨーロッパの国富が空前の高い水準にあるということだ。たしかに公的債務の大きさを見れば、純公共財産は実質ゼロなのだが、純民間財産があまりに高すぎて、両者の合計は1世紀前の高い水準になっている。だからこそ、私たちが恥ずかしい債務負担を子孫の代に遺そうとしているとか、ボロをまとい灰をかぶって許しを請うべきだなどという発想は、まるっきり筋が通らないのだ。ヨーロッパ諸国がこれほど豊かだったことはない。一方、恥ずべき真実は、この巨額の国富がきわめて不均等に分配されているということだ。民間の富は公的な貧困の上に成り立っているし、これがもたらす特に不幸な結果のひとつは、私たちが高等教育に行う投資よりも債務の利払いに費やすお金のほうが今でははるかに多いということだ。さらにこれはずいぶん昔から続いているのだ。1970年以来の成長はかなりゆっくりしていたので、歴史的に私たちは債務が公的財源にかなりの重圧をかける時代にいる。だからこそなるべくはやく債務を減らさねばならないのだし、その手法は民間資本に対する累進的な1回かぎりの課税か、それがだめならインフレによるものであるべきだ。いずれにしても、この決定は民主的な論争の後で独立した権限を持った議会により行われるべきものだ。(p.597)


ヨーロッパについて書かれているが日本もほぼ同じと言ってよい。中央政府と地方政府の債務が大きく、「日本はお金がない」などと言われるし、「債務を子孫の代に遺さないようにしよう」などと言われる。そして、増税ではなく歳出削減という方法でそれを実現しようなどと無謀な試みもなされてきた。第二次安倍政権の下では、この声は下火になり、アベノミクスの名の下で膨大な公共事業が再開され、債務は膨らみ続けている。これを解消するための方法として(政府の一部の人びとに)考えられているのは、インフレによる債務の実質的な削減ではないかと勘繰りたくなる。現在の金融政策を続けるとどこかで起こるであろうハイパーインフレによって債務を帳消しにしようというわけだ。(安倍政権ほどあらゆる面で悪意に満ちた政権は見たことがない。)

民間資本に対する1回かぎりの累進的課税は劇薬ではあるが、インフレよりはコントロール可能という点で優れているし、民主的な合意の下で行われるという点でも正当性がある。民間の富が公的債務の犠牲の上に成り立っているという事実を有権者たちの間で共有することができれば、この方法の正当性は明らかに担保されるだろう。



社会科学研究の目的は、各種の意見がすべて代表された、オープンな民主論争に取って代わるような数学的確実性を作り出すことではない。(p.601)


これは数学的な法則をひねり出して政策決定に影響を及ぼそうとする傾向のある最近の経済学への批判だろう。



今日の経済学者たちは、対照実験に基づく実証手法にえらく夢中だ。適度に使うなら、こうした手法は有益なこともあるし、一部の経済学者の目を具体的な問題と、その分野の直接的な知見に向けたという点(こうした展開はすでに遅すぎるくらいだ)では賞賛されるべきものだ。でもこうした新しいアプローチ自体も、ときにある種の科学性の幻想にしがみついてしまう。たとえば純粋かつ本物の因果関係の存在を証明するのに多大の手間暇をかけつつ、その問題自体がそれほど興味深いものではないことを忘れてしまうことだってあり得る。新手法はしばしば歴史の無視につながり、歴史的な経験こそが今でも主要な知識の源泉なのだという事実も見失わせてしまう。(p.605)


ピケティは数式を多用するような経済学に対して手厳しく批判しているが、この箇所は行動経済学への批判と思われる。ある意味、実証主義に対する歴史主義からの批判という点では、比較的古典的な議論が繰り返されているように思われ興味深い。



 逆に、他の分野にいる社会科学者たちは、経済的な事実の研究を経済学者たちに委ねたままではいけないし、数学が出てきただけで震え上がって逃げ出したり、あらゆる統計など社会的構築物でしかないなどと言うだけで満足したりするようではだめだ。もちろん社会構築物だというのは事実ではあるが、それでは不十分なのだ。逃げるのも社会構築物だと言うのも、根っこでは同じでしかない。それはその分野を他人に明け渡すということだからだ。(p.606)


経済という現象、分野を経済学者に明け渡してはいけない、という指摘は非常に重要。





トマ・ピケティ 『21世紀の資本』(その5)

さらに言えば現代の税制社会国家の発達をつかさどった普遍的人権の論理は、比例的かちょっと累進的な税金という発想にかなりうまくなじむ。(p.516)


たしかに、人権が侵害・制限されている状況を改善するために恵まれた人々の側から税という形を通して支援をすることで普遍的に行き渡るようにするという考え方と適合的。



 でも累進課税が現代の再分配でかぎられた役割しか果たさないと結論づけるのは間違っている。まず、もし全体としての税制が人口の大半にとってかなり比例的に近いとしても、最高の所得や最大級の富に対する税率が目に見えて高い(または低い)という事実は、格差の構造に大きな影響を及ぼし得る。特に証拠から見て、1914~1945年のショック後に、富の集中がベル・エポック期の天文学的な水準に戻らずにすんでいたのは、部分的には超高所得や超巨額遺産に対する累進課税があったおかげらしい。逆に、1980年以来の米英における所得税累進性のすさまじい低下(両国とも第二次世界大戦後の累進課税の旗手だったのだが)は、おそらくきわめて高い労働所得の増加の相当部分を説明してくれる。同時に、近年の自由な資本フロー世界における税制競争の台頭により、多くの政府は資本所得を累進所得税から除外した。これは特にヨーロッパで見られる。欧州諸国は比較的小さいので、これまで税制協調を実現できていないのだ。おかげで果てしないどん底への競争が起こり、たとえば法人税率が引き下げられたり、利子、配当などの金融収入が、労働所得のような課税対象から外されたりしている。
 その結果のひとつとして、多くの国で税金は所得階層トップでは逆進的になっている(あるいは間もなくそうなる)。たとえば2010年にフランス税制を詳細に調べた研究では、あらゆる種類の税金を検討すると全体としての税率(平均すると国民所得の47パーセント)は以下のように分解できるという。所得分布の底辺50パーセントは所得の40~45パーセントを税金で持って行かれる。次の40パーセントは45~50パーセントだ。でもトップ5パーセントと、それ以上にトップ1パーセントは低い税率になり、トップ0.1パーセントはたった35パーセントしか支払っていない。貧乏人の高い税率は、消費税や社会拠出金の重さを示す(これはあわせてフランス税収の4分の3を占める)。中間の階層で見られたわずかな累進性は、所得税の重要性が増すことで生じたものだ。逆に、トップ百分位で見られる明らかな逆進性は、この水準では資本所得が重要になってくることを反映している。資本所得は累進課税からほとんど除外されているのだ。この免税の影響は、資本ストックに対する(きわめて累進的な)課税による効果よりも大きい。(p.517-518)


税率がほとんどの人にとって比例的であるとしても、最高水準の所得に対する税率が低いと、超高額の所得をもらう人が増えるし、そうした人びとが受け取る所得の金額の大きさも膨らむ。これが資産の格差へと累積していくことで、社会階層の分断が進んでいく。この構造についての指摘は本書の重要な指摘のひとつ。

また、資本所得が累進課税から除外されている、というのは、日本にも当てはまる。租税特別措置法を調べるとそれがよくわかるだろう。



まず、累進課税というのは民主主義の産物であると同様に、両大戦の産物でもあるという点を理解することが重要だ。その場しのぎが必要な混沌とした環境で採用されたものであり、それもあってその各種の狙いは十分に考え抜かれていないし、そのせいで今日批判を受けるようになっているのだ。(p.519)


累進課税が両大戦の産物であるというのも本書の重要な指摘のひとつだが、そのような事情から、その根拠が十分に考え抜かれ、それが人々を納得させて導入されたというものではなかったというのは、言われてみればなるほどと思わされたところ。



この興味深い例が示すのは、税率が低くても、税金は知識の源になるし、民主的透明性の力になるということだ。(p.526)


この指摘は、本書のグローバルな資本課税の優位性を示すための重要な論拠の一つであるが、私自身にとっても本書から得た収穫のひとつであったものである。



政府がある水準の所得や相続財産に70~80パーセントの税金をかけるという場合、主要な狙いはどう見ても追加の税収を得ることではない(こうした非常に高いブラケットはもともとたいした税収をもたらさない)。むしろそうした所得や巨額の相続財産をなくそうとしているのであり、立法者たちは何らかの理由でそれを社会的に容認できず、経済的に非生産的だと見なすようになったのだ――あるいはそれをなくさないにしても、少なくとも維持するのをきわめて高価にして、その永続化を強く阻害するのが狙いだ。しかも、法的禁止や収用もない。だから累進課税は、格差削減のかなりリベラルな手法だと言える。自由競争と市有財産は尊重されつつ、私的なインセンティブはかなり過激にもなりかねない形で改変されるが、それでも常に民主的論争で検討されたルールにしたがって行われるのだ。累進課税はこのように、社会正義と個人の自由との理想的な妥協となる。米英は、歴史を通じて個人の自由を高く評価してきたから、他の多くの国よりも累進的な税制を採用したのもうなづける。ただし大陸ヨーロッパ諸国、特にフランスとドイツは、第二次世界大戦後に他の道を模索したことは指摘しておこう。たとえば、企業の国有化や、重役給与を直接定めるといった手法だ。こうした手法もまた民主的な熟議から生じたものだが、累進税性の代替としてある程度は機能したのだった。(p.528)


「増税=税収(財政再建)」あるいは「増税=生活が苦しくなる」という考え方――後者の考え方は基本的に誤った考え方でもある――が、昨今の日本では強調されているが、税には社会における公正さや社会の共通善の促進といった機能もあるということは重要であり、政策立案にもこの考え方がもっと活かされなければならない。



まとめると、1932~1980年の約半世紀にわたり、米国連邦所得税の最高税率は平均81パーセントだった。(p.529)


これ以降のアメリカの姿に慣れてしまった身からすると、驚かされるような数字である。



あらゆる過剰に高い所得は白い目で見られていたが、稼いでいない所得のほうが、稼いだ所得よりも怪しげだとされていたのだ。当時といまの態度のあまりの好対照ぶりには驚かされる。現在では特にヨーロッパ諸国をはじめ多くの国で、資本所得のほうが労働所得よりも好意的な扱いを受けているのだ。(p.530)


是正されるべき事実。



 もっと現実的な説明は、最高所得税率の低さが、特にそれが急落した米英では、重役給与の決め方を完全に変えてしまったというものだ。……(中略)……。
 さらに、この「交渉力」による説明は、1980年以来の先進国における生産性成長率と、最高限界税率低下との間に統計的に有意な関係がないという事実とも整合する。具体的に言うと、重要な事実としては、1人当たりGDP成長率は1980年以来、あらゆる富裕国でほぼ完全に同じだということがある。英米の多くの人が信じていることとは裏腹に、成長をめぐる真の数字によれば(公式の国民経済計算データから判断するかぎり)、英米は1980年以来、ドイツ、フランス、日本、デンマーク、スウェーデンと比べてちっとも急成長などしていないということだ。言い換えると、最高限界所得税率の引き下げと、トップ所得の上昇とは、(サプライサイド理論の予測に反し)生産性を刺激しなかったようだし、少なくともマクロレベルで統計的に検出できるほど生産性を刺激しなかったということだ。
 こうした問題をめぐっては、かなりの混乱が存在している。というのもしばしばほんの数年の期間だけについて比較が行われるからだ(そういうやり方をすれば、ほとんどどんな結論だって正当化できてしまう)。あるいは、人口増の分を補正し忘れている場合もある(人口増は米国とヨーロッパのGDP成長の構造的な差についての主要な要因となっている)。ときには1人当たり産出水準(これは常に米国のほうが、1970~1980年でも2000~2010年でも20パーセントほど高い)が、成長率(これは過去30年にわたり米欧いずれでも同じくらいだった)と混同される。でも混乱の主な源は、おそらく上で述べたキャッチアップ現象だろう。英米の衰退が1970年代に終わったのはまちがいない。つまり英米の成長率は、それまでドイツ、フランス、スカンジナビア諸国、日本よりも低かったが、この時期に負けないくらいになったのだ。でもこの収斂の理由はかなり単純だというのも議論の余地はない。ヨーロッパや日本は、米英に追いついたのだ。明らかに、これは米英における1980年代の保守革命とはほとんど関係がない。少なくとも主要な要因ではないのだ。(p.532-534)


生産性を高めるためにアメリカのような企業運営を行うべし、という経済保守派、サプライサイド経済の側から言われることがあるが、それの誤りを的確についている。



事実、ここからわかるのは、最高所得に対して没収的な税率をかけるのは、可能なばかりか目に見える超高給与の増大を阻止する唯一の方法だということだ。私たちの推計によると、先進国では最適な最高税率はおそらく80パーセント以上だ。……(中略)……。そんなことをしたら米国のあらゆる重役たちは即座にカナダやメキシコに逃げだし、経済を運営するだけの能力ややる気を持った人物は誰一人として残らない、などという発想は歴史的経験にも反しているし、手持ちのあらゆる企業レベルのデータにも反している。また常識的にも馬鹿げた話だ。50万ドルとか100万ドルを超える年収に対して80パーセントの所得税をかけたところで、政府の歳入はたいして増えない。この税率がすぐさま目的を果たしてしまうからだ。その目的とは、この水準の報酬を劇的に引き下げつつ、米国経済の生産性は引き下げず、これにより低水準の所得が底上げされるということだ。(p.535-536)


高所得に税を重課したら所得が海外に逃げるという議論には大した根拠はないということは押さえておくべきところ。



トマ・ピケティ 『21世紀の資本』(その4)

まったくの窃盗による財産はなかなかないが、同時に完全な能力による財産もほとんどない。累進資本課税の長所は、巨額の財産を民主的コントロールのもとにさらしつつ、柔軟かつ一貫した、予測可能なやり方で、さまざまな状況を扱う方法を提供してくれることだ――これだけでもかなりのものだ。(p.461)


ピケティの主張したい部分は後半部分だが、第一文の言い回しはなかなかうまい言い方だ。自らの能力によって得た財産や所得は正当なものだというリバタリアン的な論理でごまかされてしまう人は結構多いと思うが、それを牽制する時に使えそうだ。



 思うに、資産が自国の手を離れるという感覚は、主に富が富裕国に高度に集中しており(おかげで人口の大部分にとって、資本は抽象概念だ)、最大級の富からの政治的分離プロセスがすでに進行中であるせいだ。富裕国、特にヨーロッパの住民の大部分には、ヨーロッパの世帯が中国の20倍の資本を所有しているというのはかなり理解しづらい。特にこれが民間財産で、政府が(つい先頃、中国が親切にも申し出たギリシャへの援助のように)公共目的で動員できないだけになおさらだ。だがこのヨーロッパの民間財産は文句なしに実在するし、EUの各国政府がそれを活用しようと決めたなら、活用できるものなのだ。だが実際には、政府が資本や資本所得に規制をかけたり、課税したりするのは非常にむずかしい。富裕国が今日、資産が自国の手を離れつつあると感じる主な理由は、民主的な主権が失われているためだ。(p.481-482)


上記の指摘は主にヨーロッパに当てはまるとされているが、日本でも同様である。民主的に資産をコントロールする手段がなく、巨額の資産がどこにあるのかさえ、普通の人々からは隠されている。巨額の資産は自国内にあるが、それはごく少数者の手の内にあり、他の大多数の人々は関与することができない。累進資産課税によってそうした資本を公金にすることができれば、政府や議会を通じて民主的なコントロールが可能となるのだが、大金持ちの側が政府に圧力をかけているため課税強化も難しい方向へと進んでしまっている。



 まず、第二次世界大戦後の30年で見られた政府の役割の急速な拡大は、少なくとも大陸ヨーロッパでは、例外的に急速な経済成長に大きく助けられ、後押しされた所得が年5パーセントずつ増えているなら、その成長のますます多くの部分を社会支出(つまりこれは経済全体よりも急速に増えることになる)に振り向けることに納得してもらうのはそんなにむずかしくない。特にもっとよい教育や保健医療、もっと多い年金の必要性が明らかならなおさらだ(1930年から1950年にかけて、こうした目的で割かれる予算はかなりかぎられていた)。1980年代以来、状況はまったくちがっている。1人当たり所得は年1パーセント強しか成長しないので、誰も大規模で持続的な増税など望まない。(p.501)


1人当たりの経済成長率が高いと課税への忌避感が低くなるため、福祉国家的な役割の増大が助長され、逆に低成長時代には課税への忌避感が高まるため、歳出削減圧力が高まる。なるほど。



さらに各種の情報源を付き合わせると、ハーヴァード大学の学生たちの両親の平均所得は、45万ドルだと推計される。これは米国の所得階層でトップ2パーセントの平均所得に相当する。こうした結果は、純粋に能力だけに基づく入学審査という発想とは、完全に相容れるようには思えない。公式の能力主義的な発言と現実との対比は、この例ではことさら極端に思える。入学選考手順に関してまったく透明性がないことも指摘しておこう。(p.505)


45万ドルというのはすごい所得だ。驚いた。日本でも東大や慶応などの学生の親の所得は平均よりかなり高いはずだが、ここまでひどくはない。ここで指摘されている選考手順の不透明性も関係しているのだろう。



米国、フランスなどほとんどの国で、国民的な能力主義モデルの美徳をみんな口にはするが、それはめったに現実に根ざしていない。そうした物言いの狙いは、既存の格差を正当化しつつ、現状の制度の、ときにあからさまなほどの失敗を黙殺することだったりする。(p.506-507)


妥当な指摘。



さらに1980年以降、先進国から生じた新しいウルトラ自由主義の波が貧困国を襲い、公共部門を切り離して、経済発展を育むのに適した税制を発達させるという優先度を引き下げるよう強制した。最近の研究によれば、1980~1990年の最貧国における政府歳入減は、相当部分が関税の減少によるものだったという。……(中略)……。富裕国は、それほど発展していない世界を自分の実験に使い、自分自身の歴史体験からの教訓を本気で活用しようとしない傾向があるのだ。(p.512)


従属理論や世界システム論が提示するような低開発化の現実は、非常に複雑であり難しいが研究に値する問題である。



トマ・ピケティ 『21世紀の資本』(その3)

 また、1990年以降の税データにある種の劣化があることにも気づかされる。その原因の一部はコンピュータ記録の登場だ。コンピュータが入るとしばしば、税務当局による詳細な統計データ公開が中断されてしまうのだ。そういった細かい統計値は、昔は税務当局自身が必要だったので集計公表されていたのだった。逆説的ではあるが、時として情報時代の到来が情報の劣化をもたらすこともあるのだ(同じことが富裕国でも起きている)。情報の劣化はなによりも、一部政府や国際組織が累進税に対してある種の不満を抱いていることから生じているようだ。その典型的な例がインドで、1922年以来中断することなく詳細な所得税データを公開し続けてきたのに、2000年代初頭にその発表をやめてしまった。その結果インドにおけるトップ所得の推移調査は、20世紀中よりも2000年以降のほうが困難になってしまった。(p.341)


日本でも2006年から高額納税者公示制度が廃止されたことが想起される。



もしも限界生産性が重役報酬を決定するなら、そのちがいは外部の動向とはほとんど無関係に、「非外部的」な差のみによって、あるいは主にそれによって決まると考えられるはずだ。でも実際に見られるのはその逆だ。役員報酬が最も急上昇するのは、売り上げと利潤が外部要因で増えたときなのだ。(p.348)



ダン・アリエリーの『ずる』が主張するように、曖昧で何とでも理由をでっち上げられるような状況で不正が行われやすいということが、この役員報酬の急上昇という現象にも妥当しているように思われる。これは一種の不正である。



最高限界所得税率の引き下げは、超高所得の激増を招き、その恩恵を受けた人々が税法を変えさせるための政治力を高めた。そうした人々は最高税率を低くおさえたり、もっと下げたりするのが利益にかなっていたし、その濡れ手に粟で得た大金を政党、圧力団体、シンクタンクに献金できるようになったのだ。(p.348-349)


所得・資産の格差は民主的な社会の妨げになる。貧困に着目する格差の分析からはこの点が抜け落ちてしまう。ピケティは超高所得者に注目するからこそこの点に敏感に反応できているように思われる。



 後知恵ながら今日パレートの著作を読むとさらに驚くのは、その安定理論を裏付ける証拠がまったく挙がってないことだ。パレートがこれらを書いたのは1900年あたりのことだ。かれは入手したスイスやイタリアの数都市、そしてプロイセンとザクセンのデータを基にした1880~1890年の税率表を使用している。この情報はずいぶん貧弱だし、最大でも10年しかカバーしていない。さらに、そのデータは格差のわずかな拡大傾向を示していたのに、パレートは意図的にそれを隠そうとした。いずれにしてもそんなデータでは、世界の格差の長期動向についてのどんな結論だろうと、何の根拠にもなっていないのは明らかだ。
 パレートの判断は明らかにかれの政治的偏見の影響を受けていた。かれは何にもまして、社会主義者とその再分配幻想と見なしていたものを警戒していた。この点においては、かれが私淑していたフランスの経済学者ピエール・ルロワ=ボリューら同時代の多くの同業者たちと何ら変わるところはなかった。パレートの例が興味深いのは、それが社会科学における数学の無批判な利用が招きがちな、永続的な安定への強力な幻想の好例となっているからだ。(p.382)


ピケティのパレートへの批判は本書で取り上げられている中ではかなり手厳しい部類に入る。数学の無批判的な利用が永続的な安定への幻想を招くというのは的確な指摘と思う。



これに関連した重要な点として、資本所得に対する課税の効力は、資産の総蓄積を減らすのではなく、長期的な富の分配構造を変えるということがある。理論モデルで考えても歴史データで見ても、資本所得に対する税率が0から30パーセントに上昇しても(つまり資本収益率が5から3.5パーセントに減少しても)総資本ストックは長期的に変化しなかったかもしれない。これはトップ百分位の富のシェアの減少が中流階級の台頭によって相殺されるという単純な理由によるものだ。20世紀にはまさにこれが起こった――今日ではその教訓は時々忘れられてはいるが。(p.389)


部分的な引用なので分かりにくいかも知れないが、資本所得に対する課税を行うと、最上位層の資産は減るが中流階級の資産が増える方向に分配構造が変わるということ。企業などのトップが収益を独占するうまみがなくなるため、従業員の給与などに還元するということか。



 この能力主義擁護の最も厄介な問題は、ジェイン・オースティンの必要性と尊厳に関する主張さえほとんど無意味に思えるような、最も裕福な社会においても同じような主張が見られることだ。ここ数年来米国では、スーパー経営者に対する天文学的報酬額(少なくとも平均所得の50~100倍)に対するこの種の正当化がよく聞かれるようになった。そのような高額報酬の支持者は、それがないと本物の富を獲得できるのは大資産の相続者だけになり、それは公正を欠くと主張する。スーパー経営者への何百万、何千万ドルという年俸は、結局はもっと大きな社会正義への貢献となるというのだ。この種の主張は、将来のもっとも大きく暴力的な格差の土台を築くことになりかねない。来るべき世界は、過去の最悪な二つの世界が合体したものになるかもしれない。それは、能力や生産性という観点から(すでに指摘したように、ほとんど何の事実に基づいた根拠もないまま)正当化されたすさまじい賃金格差と、相続財産の非常に大きな格差との両方が存在する世界だ。こうして極端な能力主義によって、スーパー経営者と不労所得生活者の競争が、どちらにも属さない人々を犠牲にして行われることになる。(p.433)


超高額報酬に対する能力主義的な正当化のもつ危険性についての指摘。同意見である。



レントとは市場の不完全さではない。むしろそれは、経済学者が理解しているところの「純粋で完全」な資本市場の結果なのだ。(p.440)


市場が不完全だからレントが生じるのではなく、むしろ完全に近いからレントが生じる。



トマ・ピケティ 『21世紀の資本』(その2)

つきつめれば国債とは、国民のある一部(利息を受け取る人たち)が、別の一部(納税者)に対して持つ請求権にすぎない。(p.120)


国債とは債権を持っている人(富裕層)が債務を負う人(納税者)に金を支払わせるための手段である。国債は富裕層への再分配となる!この認識は重要!



資本は決して穏やかではない。常にリスク志向で、(少なくともはじめのうちは)起業精神にあふれているが、十分に蓄積すると、必ずレントに変わろうとする――それが資本の天命であり、論理的な目標だ。(p.122)


資本の性質。



政府に貸し付けを行うだけの財産持ちの立場からすると、無償で税を納めるより、国に貸し付けて数十年にわたって利息を受け取る方が、当然ながらはるかに有益だ。(p.137)


確かに。金持ちの立場から見ると、増税(特に累進的な課税)はせず、公共サービスの不足分は政府が国債を発行する方が二重にメリットがあるということになる。



1980年代から現在までの、ロシアおよび東欧諸国の民間財産の大きな成長は、ときに特定の人々(念頭にあるのは主にロシアの「オリガルヒ」)を飛躍的に急速に豊かにした。この成長は当然ながら、貯蓄や動学法則β=s/gとは無関係だ。ただひたすら、政府から個人への資本の所有権移転がもたらした結果にすぎない。先進国における1970年以降の国富の民営化は、この極端な例をかなり薄めたものと見なせる。(p.194)


民営化は、政府から政府との関係の深い個人への所有権移転である。19世紀後半の日本で起きた民営化(開拓使官有物払下げ事件)などもこうしたものであった。1990年代頃から中国で起きている民営化・自由化の路線も同じように共産党と関係の深い個人に資産所有の極めて大きな機会が与えられた一方、権力との距離が遠い人々にはそうした機会は少なかったことはよく知られている。民営化というものは、自由競争を促すかのようなことを言われながら行われるが、そうしたものというよりはもっと胡散臭いものだという認識を持つことは非常に重要である。



 これらの係数――他にもタイル係数などがある――は役に立つこともあるが、問題も多い。それらはある分布が格差について言えることをすべて――階層の最底辺と中間層の格差、そして中間層と最上位、あるいは最上位とその中のさらに上位の格差――ひとつの数値指標に集約できると主張する。これは一見とてもシンプルで魅力的だが、いささか誤解を招くことは必至だ。多面的な現実を一次元の指標に集約しつつ、過度に事象を単純化せず、本来一緒に扱うべきでないことを一緒くたにしないですませるなど、実際には不可能だ。社会的現実と格差の政治経済的重要性は、その分配の中での水準ごとにまったくちがうから、それらを個別に分析することが重要だ。加えて、労働の格差と資本の格差では、機能する経済メカニズムや規範によるその格差の正当化手段がまったくちがうのに、ジニ係数などの総合指標はそれを混同しがちだ。こういった理由から、格差を分析するならジニ係数のような総合指標を利用するよりも、総所得、国富におけるさまざまな十分位、百分位のシェアを示す分布表を使うほうがずっとよいと私は考えた。(p.276-277)


ピケティが方法論として分布表を使う理由。ジニ係数のような総合的な指標への適切な批判。



 同じような理由から、OECDや各国の統計機関による格差公式報告書にしばしば引用される、十分位比を利用する際も注意を要する。最も頻繁に利用されている十分位比はP90/P10、すなわち所得分布における90番目と10番目の百分位の比率だ。たとえば、所得分配のトップ10パーセントでは月の稼ぎが5000ユーロ以上、下位10パーセントでは1000ユーロ以下ならP90/P10比は5となる。
 ……(中略)……。
 一般にこの慣例は、入手可能なデータは不完全だという理由で正当化されている。たしかにその通りだが、世界トップ所得データベース(WTID)に(しかも限られた手段を使って)収集された歴史的データが示すように、その問題は適切な情報源を利用すれば克服できる。このデータベースは、ゆっくりとはいえ、手法を変えつつある。実際、最上位を無視する方法論の採用は決して中立的ではない。国や国際機関の公式発表は本来、所得と富の分配に関する公的データベースを提供するはずなのに、実際には故意に不平等を楽観視するような操作が加えられている。(p.277-278)


ピケティの方法論は最上位のシェアを重要視することに特徴があり、これが斬新なところである。



 最後に、私が利用を推奨する分布表が、いくつかの点で18世紀と19世紀初頭に流行した「社会構成表」にかなり似通っていることをつけ加えておきたい。……(中略)……。
 それでも社会構成表は、それぞれの社会集団(特にさまざまなエリート層)による国富のシェアを強調することで、格差の生々しい側面を描こうとしており、この点で私がここでとっている手法と明らかな類似性がある。また同時に社会構成表は、ジニやパレートが採用して、20世紀にあまりに一般化され、富の分配を当然のものとしがちな、非対立的で非時間的な格差の統計手段とはその精神からして本質的にかけ離れている。格差の計測手法は決して中立的ではないのだ。(p.280)


ピケティの方法は、エリート層の国富シェアを強調するものであり、「対立的で時間的」なものである。このように、自らの方法論が含意するもの、あるいは価値を置いているものについて自覚的であり、自他に対して明示している点は高く評価すべきである。




トマ・ピケティ 『21世紀の資本』(その1)

さらに、自分の所得を税務当局に申告するのが法律で義務化されるまでは、人々は自分の所得額など意識していないことも多かった。同じことが法人税や財産税についても言える。課税は全市民に対して公共支出や公共プロジェクトに貢献するよう義務づけたり、税負担をなるべく公平に振り分けたりするための手段にとどまらない。区分を確立して知識を促し、民主的な透明性を確立する手段としても役立つのだ。(p.14)


最初の一文については、確かに申告するかしないかで所得額への自覚は大きく左右されるように思われる。日本では、大抵の給与所得や公的年金の所得は確定申告をしなくても済む仕組みになっていることもあり、所得税が整備されていても所得額への意識はそれほど高くないが、もし所得税という制度がなかったら、現状よりも遥かに意識されないであろうことは想像に難くない。

例えば、日本では住民税や国保税(料)などは前年中の所得に対して課税されているが、前年の所得が多かったことを忘れて(?)、「どうしてこんなに高い税金がかかるのか?」などと思う人も相当数いるが、これも所得というものがあまり意識されていない証左だろう。

また、課税というものが単に所得再分配のような機能を持つだけでなく、民主的な透明性を確立する手段としての機能も持つという指摘は重要であり、ピケティがグローバルな資産課税を提唱する理由のひとつもそこにある。



 まとめると、国際レベルでも国内レベルでも、収斂の主要なメカニズムは歴史体験から見て、知識の普及だ。言い換えると、貧困国が富裕国に追いつくのは、それが同水準の技術ノウハウや技能や教育を実現するからであって、富裕国の持ち物になることで追いつくのではない。知識の普及は天から降ってくる恩恵とはちがう。それは国際的な開放性と貿易により加速される(自給自足は技術移転を後押ししない)。何よりも、知識の普及はその国が制度と資金繰りを動員し、人々の教育や訓練への大規模投資を奨励して、各種の経済アクターがあてにできるような、安定した法的枠組みを保証するようにできるかどうかにかかっている。だからこれは、正当性のある効率よい政府が実現できるかどうかと密接に関連しているのだ。簡単に言うと、これが世界の成長と国際的な格差について歴史が教えてくれる主要な教訓となる。(p.76)


第1章のまとめ部分。格差を拡大するメカニズムと収斂させるメカニズムの両方があるが、収斂させる主要なメカニズムは知識の普及にあるという。日本の60年代頃の高度経済成長について、しばしば「奇跡」などという形容がなされることがあるが、同じようなことはその後の韓国、台湾などでも起きたし、現在の中国でも起きている。このキャッチアップをする過程は、まさにいわゆる「先進国」が持つ技術ノウハウなどをより安い賃金によって活用して工業製品などを生産することによって実現されるものであり、このことを実現できる政治的及び財政的なインフラが整いさえすればそれほど困難なことではないという理解は重要である。高度成長は「奇跡」でも何でもない。

ピケティの議論では、こうした収斂の力は歴史的事実として格差拡大の力より弱く、人為的に手立てを講じない限り格差は社会の統合を維持できないところまで進んでいく可能性がある、という主張へと繋がるものである。これを解決する理想的な手段がグローバルな資本課税、というわけである。

なお、キャッチアップの過程で技術ノウハウが「新興国」には流入してくるが、それを受け入れるためには教育が重要となる。より高度な教育をより多くの人々が受けられるようにする必要が生じる。ここから教育にかかる費用(政府の財政と人々の生計の両方)の増大が生じ、このことが少子化への圧力となるため「先進国」では少子化が進むと理解して概ね誤りはないように思われる。



だが収斂という中心的な問題に加えて、今から私が強調したい論点は、21世紀には低成長時代が復活するかもしれないということだ。もっと厳密には、例外的な時期か、キャッチアップが行われているとき以外には、経済成長というのは常にかなり低かったのだということを、これから見ていこう。さらに、あらゆる兆候を見ると、経済成長――少なくともその人口による部分――は将来はもっと低くなるらしい。
 ここで問題になっているものと、それが収斂プロセスや格差の力学にどう関係するかを理解するためには、産出の成長を二つの部分に分解するのが重要だ。人口増加と、1人当たり産出の成長とに分けるのだ。言い換えると、経済成長には常に、純粋的に人口的な部分と、純粋に経済的な部分があり、生活水準の改善に寄与するのは後者だけなのだ。(p.77)


この経済成長の区分の持つ意味は、本書から得た収穫のひとつだった。この区別を念頭において経済に関する言説やデータを見ると、様々なものを非常にクリアに見ることができる。経済成長と言われるもののかなりの部分は人口増によるものが含まれていることと1人当たりの産出(生産性)は歴史的な事実から言ってそれほど劇的に大きくなることは期待できないし、過度に期待すべきではない。(経済に関するしばしばみられる楽観論は、これらの区別を明確にしないまま、1人当たり産出についての過度の期待に基づいていることが多い。)



たとえば、民間医療保険システムが公共システムより費用がかかるのに、本当に公共版より優れた質のサービスを提供していない場合(これは米国とヨーロッパを比較するとわかる)、民間保険に主に頼る国ではGDPは不自然に過大評価されることになる。(p.98)


GDPなどの指標は、あまり過信しない方が良い。



数字はむしろ、規模感を示すくらいのものとして解釈すべきで、それ以上に重視すべきではない。(p.98)


この考え方は本書の随所で具体的に示されており、数字を紹介するときに「規模感を理解してもらうため」といったような紹介のされ方がされている。この考え方は非常に健全なものであると思われる。この考え方は、ピケティが経済学を批判する点のひとつである、数式を多用することへの批判とも結びついていると思われる。

思うに、データ(数字)は現実を大まかに捉えるための道具でしかないのに、多数の数式を用いることは、逆に、捉えるべき現実を見えなくしてしまうことに繋がる。数式にはそれ自体に多数の仮定が伏在しており、それを複数用いる場合、仮定のすべてを認識・意識することは不可能となり、数式が持つ仮定を、無意識のうちに社会の現実が持つべき規範として(すりかえて)しまう――主張している本人が気付かずに仮定している場合もあれば、人々にそのように錯覚させようという誤魔化しが見られる場合もあり、もちろん両方が同時に生じていることもある――ということが経済学(経済政策)の世界では頻繁に見られる。



重要な点は、世界の技術的な最前線にいる国で、1人当たり産出成長率が長期にわたり年率1.5パーセントを上回った国の歴史的事例はひとつもない、ということだ。過去数十年を見ると、最富裕国の成長率はもっと低くなっている。1990年から2012年にかけて、1人当たり産出は西欧では1.6パーセント、北米では1.4パーセント、日本では0.7パーセントの成長率だった。このさき議論を進めるにあたり、この現実をぜひとも念頭においてほしい。多くの人々は、成長というのは最低でも年3~4パーセントであるべきだと思っているからだ。すでに述べた通り、歴史的にも論理的にも、これは幻想にすぎない。(p.99)


この認識は本書の指摘のうち、非常に重要なものの一つだ。現在の日本政府もピケティが指摘する幻想を共有している(少なくとも願望として持っており、人々に幻想を現実であると信じさせることを望んでいる)。財政再建を増税ではなく経済成長によって賄うことを見込んでいることなどにも、この幻想にすがっている(あるいは人々が幻想をもっていることを利用している)ことを見て取れる。



 私が見るに、最も重要な点――具体的な成長率予測以上に重要(というのもすでに示した通り、長期の成長をひとつの数字に還元しようという試みはすべておおむね妄想じみているからだ)――は、1人当たり産出の成長率が年率1パーセントくらいというのが実はかなりの急成長であり、多くの人が思っているよりはるかに急速なのだという点だ。
 この問題について検討する正しい見方は、ここでも世代ごとに見ることだ。30年の単位で見ると、年率1パーセントの成長率は累積成長率として35パーセント以上になる。年率1.5パーセントの成長率は、累積成長率50パーセント超だ。実際には、これはライフスタイルと雇用にとっては大規模な変化を意味する。……(中略)……。1人当たり産出が30年で35~50パーセントも増えるということは、今日生産されているもののかなりの部分――4分の1から3分の1――は30年前には存在せず、したがって職業や仕事の4分の1から3分の1は当時は存在しなかったということだ。(p.101)


年率1パーセント程度だと日々の生活ではそれほど大きな変化に気付かないかもしれないが、一般に思われているよりはるかに急速な変化だという指摘はなるほどと思わされた。

また、世代単位で経過を見るという見方も非常に参考になる。藻谷浩介の『デフレの正体』などでは数字は変化率で見るのではなく、生数字のままで見た方がよいという指摘があり、学ぶところがあったと思っているが、本書では変化率には使い方がある、ということを学んだように思う。その一つが時間の経過を的確なスパンで見ることで役に立つことがあるということだろう。また、資本/所得比率βの使用などで見るように、インフレなど絶対値の変化が大きな場合でも長期の比較ができるという使い方も本書の手法から学べた点である。



 西欧が成長の黄金時代を実現したのは1950年から1970年にかけてだったが、その後の数十年では、成長率は半分から3分の1にすら下がってしまった。図2-3はその下落ぶりを過少に示していることには留意しよう。イギリスを西欧に含めているからだ(これはそうあるべきだ)。20世紀におけるイギリスの成長は、北米のほぼ安定というパターンにかなり近い動きを見せている。大陸ヨーロッパだけ見れば、平均の1人当たり産出の成長率は1950~1970年で5パーセントだ――過去2世紀で他の先進国が実現した水準をはるかに超えている。
 20世紀におけるこうしたまったくちがう集合的な成長体験を見ると、商業と金融のグローバル化、いや資本主義全般のグローバル化について、各国での世論がなぜこれほど大きくちがっているかがおおむね説明できる。大陸ヨーロッパ、特にフランスでは、人々はごく当然ながら戦後すぐの30年――経済に対する強い国家介入期――を急成長に恵まれた時期だと考える。そして、1980年あたりから始まった経済自由化こそはそのスピードダウンをもたらしたものだと考える。
 イギリスと米国では、戦後史についての解釈がかなりちがう。1950年から1980年にかけて、英語圏と敗戦国とのギャップは急激に縮まった。1970年代末になると、米国の雑誌はしばしば米国の衰退と日独産業の成功を嘆いた。イギリスでは、1人当たりGDPはドイツ、フランス、日本、さらにイタリアにすら追い越された。この脅かされているという感覚(あるいはイギリスの場合はすでに負けたという感覚)は「保守派革命」において重要な役割を果たした。イギリスのマーガレット・サッチャーと米国のロナルド・レーガンはアングロ・サクソンの実業家たちからアニマルスピリットを吸い取ってしまったとされた「福祉国家を元に戻す」と約束し、つまりは純粋な19世紀資本主義に戻ると述べた。そうすれば米英は再び優位に立てると主張したのだ。今日ですら、英米のどちらでも多くの人は保守派革命が驚異的な成功をおさめたと思っている。両国の成長率は再び大陸ヨーロッパや日本と並ぶ水準に戻ったからだ。
 実は、1980年あたりに始まった経済自由化も、1945年に始まった国家介入主義も、そんな賞賛も責めも受けるいわれはないのだ。フランス、ドイツ、日本は、どんな政策を採用していようとも、1913~1945年の崩壊の後で、イギリスと米国に追いついた可能性がきわめて高い(この一文に誇張はごくわずかしかない)。せいぜい言えるのは、国家介入によって何も被害は生じなかったということだ。同様に、ひとたびこうした国々が世界の技術最前線に躍り出たら、イギリスや米国に勝る成長率は実現できなくなったのも、図2-3が示す通りこうした富裕国の成長率がおおむね同じくらいになったのも、不思議でもなんでもない(この点についてはまた後で)。ざっと言うなら、米国とイギリスの経済自由化政策はこの単純な現実に対してほとんど影響がなかった。それにより成長は高くも低くもならなかったからだ。(p.104-105)


なるほど。

ただ、経済成長という点から見ると、国家介入主義も経済自由化政策も大差ないかもしれないが、社会の平等性や貧困のような権利侵害などのあり方などを考慮に入れると前者の方が適切だったとは言えるのではないか。経済自由化政策は富める者をより富ませることはできるが底辺や中間のものには恩恵がないからである。