アヴェスターにはこう書いている?
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山本紀夫 『ジャガイモのきた道――文明・飢饉・戦争』

とにかく、ヨーロッパはアメリカ大陸からジャガイモとトウモロコシという新しい食糧源を得たことによって大幅な人口増が可能となり、それは歴史を変えたといっても過言ではないほどである。(p.64)


ジャガイモはスペインからフランス、イギリス、ドイツなどヨーロッパ北部に広がり、トウモロコシはイタリア、ギリシャ、ユーゴスラビアなどヨーロッパ南部に広がったとされる。それぞれ冷涼な気候と温暖な気候に適していたためである。



この「フィッシュ・アンド・チップス」が普及したのは19世紀中ごろ、とくに60年代以降のことであった。そして、20世紀はじめのロンドンでは1200軒ものフィッシュ・アンド・チップス店があったとされる。その背景には、汽船によるトロール漁法の展開で魚が大量にとれるようになったこと、冷凍技術と鉄道による輸送手段の確立があったといわれている。したがって、フィッシュ・アンド・チップスは、労働者の食事の中心になっていたことや産業革命の技術変化があってこそ誕生したものであることなどを考えれば、産業革命の象徴といえそうである。(p.80-81)


フィッシュ・アンド・チップスはいわゆる産業革命の時代の社会と技術の展開を背景として普及したものというわけか。なるほど。言われてみれば、高くない素材を簡単な調理法で作っているあたりからも、いかにも「当時の労働者階級の食事」という感じがする。

ただ、イギリスのいわゆる産業革命は18世紀後半から19世紀の序盤くらいの時期とされるから、フィッシュ・アンド・チップスが普及したのは、その少し後ということになる。その意味では、いわゆる産業革命(そのものというより、それ)によって生じた社会と技術の変化が普及の背景要因となっているわけで、「産業革命の象徴」というよりは「産業革命の子」などの方が適当では?という気もする。



 このようにインドでもネパールでも、近年ジャガイモの栽培面積は急速に拡大している。後述するように、これはインドやネパールだけではなく、発展途上国全体に共通する現象である。今やジャガイモは様々な偏見から解き放たれ、大きく飛躍する時期を迎えているのである。(p.121)


世界的な人口増大による食糧需要の増大が背景にあるのではなかろうか。



 とにかく、明治の後半から大正初期にかけて、『青森県地誌』によれば「主要畑作物にして著名なるは馬鈴薯となす」といわれるほど、ジャガイモは青森でも広く普及するようになっていた。(p.145)


北海道では明治初期から作られていたが、すぐ隣の青森では明治後半に広く普及するようになったとされる。このあたりは人口の増大や一般の人々の経済力の水準が高まりつつあり、食糧の需要が拡大していたことがあるのではないだろうか。



そこで、明治5年に出版された『西洋料理指南』という本を参照してみよう。この本に日本最初と思われるカレー料理の作り方が出ているからである。
 ……(中略)……。
 つまり、当時のカレーには肉のかわりに魚や海老、そして鮭まで入れているが、ジャガイモはなく、野菜は葱や生姜がいわばスパイスとして使われているのみである。これは、明治19年および26年に『婦女雑誌』に書かれたカレーライスの作り方でもかわらず、次の明治31年に出版された『日用百科全集』になって、ようやくジャガイモが登場する

 肉を細かく切り鍋に入れて肉がかぶるくらいの水を加えて20分煮たら、葱を入れて10分ほど煮る。さらに芋を入れ芋がやわらかくなったらカレー粉、塩、胡椒、とうがらしを混ぜ、少量の小麦粉をば水にてときまぜ……


 このあと、明治36年にはカレー粉も発売されるようになり、急速にカレーライスは普及していった。この背景には、文明開化とともに肉食が普及したことも見逃せない要因である。ジャガイモは肉と一緒に調理されてはじめて、その淡白な味を生かした料理法が出現したといえるからだ。このような点で思い出される料理が「肉じゃが」であろう。この肉じゃがも明治時代には普及するようになっていたとされる。(p.147)


大変興味深い。明治前半のカレーにはジャガイモが入っていなかったとは。肉食との組み合わせによってジャガイモの活躍の場面も増えるというあたりについては、肉食は文明開化(西欧化)という文化的な側面だけでなく、経済的にもある程度肉食ができるくらいの経済力を庶民が持ち始めたという経済的な面も押さえておく必要があるように思われる。



 これまで、マルカパタ村のジャガイモ栽培を中心として中央アンデス高地における伝統農業の特色をみてきた。それら全体としてみると、その特徴は高い生産性よりも、収量は低くても安定的な収穫をもとめたものであるといえそうである。おそらく、中央アンデスの農業がこのような特色をもっていたからこそ、そこでは数千年にわたり多数の人間が生活することができたのであろう。(p.179)


なるほど。昨今のグローバル化(というイデオロギー)のように生産性向上ばかりを求める考え方では持続的な文明を維持することは出来ないという批判ともとれる。



つまり、日本のジャガイモの消費量は、ヨーロッパの四分の一でしかなく、著しく少ない。したがって、ジャガイモを代用食としかみない考え方は日本的なものであり、ヨーロッパのようにジャガイモがれっきとした主食になっている国も少なくないのである。(p.188)


日本のジャガイモ消費量が他国と比べてそんなに少ないとは思わなかった。



 ジャガイモなどのイモ類に対して、もうひとつの大きな偏見がある。それは、イモ類がデンプンだけで、他の栄養素をほとんど含んでいない栄養的に劣った食品だとする考え方である。これは、はたして本当だろうか。ここで日本人が主食としているご飯(精白米)、小麦を材料とするマカロニ・スパゲッティ類、そして蒸しジャガイモを比較してみよう。図終-1は、可食部100グラムについて栄養価を比較したものである。これによれば、ジャガイモのエネルギーは84キロカロリーで、コメの168キロカロリー、小麦の149キロカロリーには及ばないものの、ミネラルやビタミン類は決して劣らない。とくに、穀類がほとんど含まないビタミンCをジャガイモは豊富に含む。中ぐらいの大きさのジャガイモ一個が推奨一日あたり摂取量のおよそ半分のビタミンCを含み、またカリウムも推奨一日あたり摂取量の五分の一を含んでいる。すなわち、ジャガイモの栄養素は決してデンプンだけではないのである。(p.188)


確かに、ジャガイモについては、こうした偏見を漠然と持っていたかもしれない。ビタミンCやカリウムが含まれているというイメージは一般にはあまりないのではなかろうか。なぜだろう?「緑黄色野菜」がそうした栄養素を含むというイメージで語られるが、それに分類されていない(?)ということが要因だろうか?

いずれにせよ、バナナ、エビ、かつお節などの研究からジャガイモにも手を伸ばしてみたが、食材・食品の歴史は、生活や経済を知ることに繋がるだけではなく、日々の食生活も豊かにしてくれる面があり、学ぶ価値がある。


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宮内泰介、藤林泰 『かつお節と日本人』

 日本で最初の商業的缶詰生産は、1877(明治10)年、北海道開拓使石狩工場で製造された鮭缶だった。その後の技術開発を経て、「明治の揺籃期を経過したわが国の缶詰産業は、1894(明治27)年勃発の日清戦争で軍用食料としての需要が急増、また民間需要については、出征軍人の帰郷で缶詰が宣伝されたため需要が増えていった」(日本缶詰協会編『缶・びん詰、レトルト食品のすべて』)。
 そもそも缶詰技術の開発は、19世紀初頭、ナポレオン帝政期のフランスで軍用に開発されたびん詰に始まる。政府が食品の長期保存技術を懸賞金つきで募集したところ、応募のなかから採用されたのがびん詰だった。容器にブリキが使われるようになって缶詰が誕生したのが1810年前後。1820年ごろアメリカに伝わった缶詰製造技術は、南北戦争(1861~65年)で飛躍的に発展することになる。さらに、参戦した兵士による一般家庭への普及も手伝って、缶詰製造業は新たな産業として成立する。缶詰は、フランスでの誕生も、アメリカ、日本での普及と産業化も、いずれも戦争とともにあった。(p.36)


缶詰に対する関心は、私の場合、北海道の地域研究の中で蟹工船の活躍(大正期から昭和初期)とともに蟹缶が登場することと、台湾研究のなかで高雄において、1930年(昭和5年)前後にパイナップル缶が大きな移出品であったことで喚起されたものだが、また詳しく調べるに至っていない。蟹工船にせよ高雄のパイナップル缶にせよ、どちらかというと当時のグローバル経済の文脈の中で捉えていたところがあるが、それだけでなく、缶詰の歴史をたどると戦争との関連が深いことも押さえておく必要があると理解した。

食品の歴史は戦争との関連が深いものが多いように思われる。戦争がそれだけ日常生活に大きなインパクトを与えるものだということが反映しているのだろう。



帆船時代の沿岸から、小型動力船による沖合へと拡大したカツオ漁場は、1920年代後半には、馬力が大きく燃費のよいディーゼル・エンジンが主流となって大型化、鋼船化に拍車がかかり、昭和となってようやく遠洋漁業の時代が幕をあける。ついでながら、蟹工船の北洋出漁も20年代に始まっている。(p.43-44)


造船技術と遠洋漁業の関連は興味深い。



 台湾でかつお節生産が始まったのは実は沖縄より早く1904(明治37)年だが、これは正確にいうとかつお節ではなくソウダガツオを使った宗田節だった。カツオを使ったかつお節の生産が台湾で始まるのは1910(明治43)年。台湾が日本の植民地に組み入れられるのは1895(明治28)年、その前年の日清戦争で日本が清国に勝ち、台湾が清国から日本へ割譲された。その約10年後に宗田節生産が始まったことになる。図1-2に見るように、またたく間にかつお節生産地は台湾で広がり、1929(昭和4)年には92の工場が台湾の中に林立していた。
 台湾のかつお節生産は、台湾総督府(日本の台湾統治のための政府)の肝いりだった。(p.46-47)


宗田節が生産され始めた頃は、児玉源太郎総督と後藤新平民政長官の統治が安定しはじめた時期と重なる。当時、日本の統治に反対する勢力は北部より南部に多く、内陸に多かったと思われるので、北部の沿岸部は比較的早期に安定しはじめていたということを反映しているのだろうか。

1929年のかつお節工場の分布図を見ても、花蓮港(現在の花蓮)のほか、現在の宜蘭周辺と基隆がかなりのウェイトを占めていることがわかる。数年前に花蓮に行ったとき、花蓮の少し北にある七星潭の海岸に古いかつお節工場を再利用したかつお節の博物館があった。当時は、何故ここにかつお節?と思ったものだが、南洋へとかつお節生産拠点が拡がってい行ったことや台湾が戦前の南洋への足がかりだったことなどを考えると、あの場所に博物館があったのも納得させられるものがある。



 600あまりの島々におよそ5万人の先住者が暮らしていた南洋諸島は、1921(大正10)年、サトウキビを原料とする製糖をおもな事業とした南洋興発の事業開始で、その姿を大きく変えた。(p.49)


この製糖業も台湾での経験を活用したものではなかろうか。当時の日本にとって台湾はやはり南洋への橋頭保だったことが分るように思う。



 1941(昭和16)年、開戦と同時に、南興水産は全社をあげて魚やかつお節の軍への納入体勢をとった。用市さんは船とともに軍属として徴用され、トラック諸島で軍納用の魚を獲ることになった。その後、グリニッチ島、ヤップ島へ配置されるが、戦艦大和と船を並べたときのことが印象に残っている。当時の漁船は焼玉エンジンですぐに停止することが難しく、少しでも大和に触れそうになろうものなら漁船の乗組員全員が港に一列に並ばされて日本兵に殴られた
 日本兵の残虐さを目撃したのは、宮古島出身の漁師がタバコと交換にカツオを兵士に渡したことが上官にばれて、バットで殴られる制裁を受けたときだ。その後の消息はわからない。
 「あのひとは命もなかったと思うよ」
 軍属である漁師が食事を減らされることは日常茶飯事
だった。そこで漁をする者も自衛のため対抗策をとった。港の前の離島に二人ほど降ろしておき、軍納用のカツオ数本を渡して待機させたり、カツオの尻尾を紐で結わえて船から吊して隠したりして、自分たちの食料を確保したこともある。国民を守ってくれるはずの大きな力が、守るどころかその生命を脅かすとしたら、一人ひとりは自らの才覚で身を守るほかない。用市さんはそうして生き抜き、トラック諸島で敗戦を迎えて間もなく、米軍の用意した船で無事沖縄に帰島した。(p.71-72)


軍隊というのは、名目としては「国民を守る」ことを謳っても、実態はそのようなものではない、ということはよく理解すべきだろう。少なくとも、行政官庁に対して何らかの不信感を持っているならば、軍隊という組織は行政官庁そのものであるという理解は最低限しておくべきだ。

なお、私は行政官庁すべてが悪いと言うつもりは全くない。しかし、個人が外から期待するとおりに動くことはない、ということは軍隊も行政機関も同じである。それは組織であるということによって半ば必然的に起こることである。官僚制的な組織形態を必要とする程度の規模の企業も然り。

集団的自衛権の行使などといったことを内閣や自民党が叫んでいるが、私が上で述べたことは、そうして拡大された軍事力というものは、外から個人が思うように動いてくれるようなものではない、ということでもある。



 近隣の尖閣諸島でも、1905(明治38)年、福岡県出身の商人であった古賀辰四郎がかつお節生産を始めている。尖閣諸島は、もともと無人島だが、1890年代より日本人によるアホウドリの羽毛採取やヤコウガイ採取などの開発行為が始まっており、古賀辰四郎はそれらのあとからはいる形でヤコウガイ採取、つづいてかつお節生産をはじめたのだった(尖閣諸島でのかつお節生産は大正期に急速に衰退する)。(p.78)


領土問題を念頭に書かれていると思われる。



にんべんの専務秋山洋一さんは、私たちにこう言った、「商人の役割は評価をすること、つまり、品質を見定めることです」。(p.203)


そうして見定めた良い品を売ることが商人の仕事ということか。なるほど。



「いいものをつくりたい」という産地のかつお節製造業者たちと、品質を守りたいというにんべんとの意向は、一致している。ものをつくる人とものを売る人とがちゃんとつきあいを続けるなかで、お互いのなりわいが守られる。そういうなかで、私たち消費者はどうかかわれるだろうか。安さと安全ばかりを求めていてはその輪にはいれないだろう。(p.204)


消費者が「安さと安全」ばかりを求める風潮に対する非常に重要な問題提起。消費者には「いいもの」かどうかを事前に十分に見分けるだけの知識や情報や暇がない。生産者と売り手が単に儲けたいというのではなく、「いいものをつくりたい」として、ちゃんとつき合いを続けやすい環境を政府などが整えることが必要なのではなかろうか。消費者側に対しても、安さと安全性だけを求めることの問題点を認識できるような教育が求められるように思われる。



短期的にもうけることを目的とする「事業」ではなく、お金の面でも人間関係の面でも持続的に続くことを目的とする「家業」。(p.206)


印象的なフレーズだったので引用しておく。

家業と言っても血縁関係のある家族が継ぐ必要はない。商店街などはそうした考え方で成り立ってきたために立ち行かなくなっている。経営する際の考え方が「家業」の考え方となり、それが引き継がれていくというのが理想であるように思われる。


明橋大二 『忙しいパパのための 子育てハッピーアドバイス』

父親の立場に立てば、子どもが生まれるまで、父親は、育児について、ほとんど教育を受ける機会がない、という現実があります。(p.3)


なるほど。確かに言われてみればその通りではある。ただ、自分自身を形成(Bildung)していく上での自己教育の過程を援用すれば、ある程度の対応は自ずとできる、というのが私見である。

とはいえ、こうした反省と作動との相互媒介的な作用を意識的に行っている人は少なく、それまでに受けている教育水準も相対的に高い(低くない)ことと相関があるため、全ての人にこれを求めることは出来ない。社会としては、何らかの対策があった方がよさそうな問題ではある。



 しつけも大事、勉強も大事、しかし、いちばん大切なものは、自己評価(自己肯定感、自尊感情)といわれるものを、育むことです。
 ……(中略)……。
 この気持ちがしっかり育まれていないと、しつけやルールがうまく身につかなかったり、勉強に集中できなかったり、あるいは、外見的には、ちゃんとやっているようでも、本人はとても強い不安や緊張の中で過ごしていて、それが、大きくなるにつれて、心身症や非行という形で出てくることがあります。
 この自己評価ですが、実は、お父さんの育児行動によって差が出てくる、という調査結果があります。(p.23)


自己肯定感を育むことが重要であるということは当然のことだが、父親の育児行為によって差が出るという点は興味深い。母親だけでなく、複数の人間からの強い持続的な承認があることが重要なのではなかろうか?



 改める、と言っているのに、「どうせするはずがない」と否定されると、改めようと思った気持ちもしぼんでしまいます。
 いったんは信用して、「じゃあ、お願いね」と言われるほうが、やる気が出ます。

 ……(中略)……。
 言われても改めないことが続くと信用を失うのは、職場も家庭も同じです。(p.97)


確かに。ただ、「改める」と言いながらも、結局は改まらないことが続き、いったん信用を失ってしまった後に、また「改める」と口先で言われれた場合、「じゃあ、お願いね」と言えるだろうか?また、言うべきだろうか?

このようになった場合、「じゃあ、お願いね」と言って様子を見れば、改まらないことが続くだけとなり、また、「改める」と言ったことに対して否定すれば、ますます発言者側にやる気がなくなる、という悪循環に入りやすいと思われる。このような状態になった場合、どうすればいいのだろうか?本人の自覚を促すこと(改めないことがいかに問題かということを自覚させること)が、改善のためのポイントではないかと思うのだが、自己認識の力がない人にはこうした認知を変えるというやり方はあまりうまくいかないことがあるようにも思う。個人をシステムとして作動させるのではなく、共同体を単位としてシステムを作動させる(例えば、一緒に行動してやる気を補助しながら行わせるなど)という手はあるかも知れない。いずれにしても、一度信用を失った後は、そして、改まらないことが習慣となってしまった後は、修復はかなり困難な仕事になることは間違いない。

子育てにおいては、物事をやるには時期がある。このことを踏まえて、しつけなり勉強に対する態度なりといったものを身につけるべき時期に身につけられるように導いていくことが重要であると思う。



 確かに、叱りすぎは、子どもの自己評価をよけいに下げるので、よくないです。しかし、まったく叱らないのがよいか、というと、そうは思いません。子どもが自分を傷つける可能性のあること、他人を傷つける可能性のあることは、きちっと叱るべきです(傷つける、とは、身体的、心理的、社会的、すべてを含みます)。
 そういうときに、叱らないのも、また子どもの自己評価を下げます。
 ……(中略)……。
 こういうときに真剣に叱ることは、「おまえは大切な存在なんだよ」と伝えることになります(p.117-119)


この部分は本書で最も参考になったところ。自分を含めた誰かを「身体的、心理的、社会的」に「傷つける可能性」がある場合に叱ることは、その子に「大切な存在である」ということを伝えることとなり、自己評価に繋がる、ということ。



 体罰でなくてもしつけは可能です。
 ……(中略)……「タイムアウト*」など、体罰に頼らないペナルティの方法が、いろいろと開発されてきています。

*警告しても許しがたい行動を続けたとき、決まった時間(一般には年齢と同じ時間。3歳なら3分)だけ、決まった場所にいさせること(p.131)


体罰に頼らないペナルティの方法を多様に持っているという知恵ないし知識は重要。この点でも親の教育・教養の程度が育児のあり方を左右すると思われる。



 父親が、不在がちだと、母親は孤独を感じ、不安になります。
 それが、育児不安という形をとることもありますが、もう一つ、母親の、子どもへの依存という形をとることもあります。
 子どもが、母親の寂しさや不安を埋める手段になるのです。特に、男の子の場合は、異性ということもあって、その結びつきは、さらに強いものになります
 ……(中略)……。
 そうすると、子どもは、何よりも親を傷つけたくないですから、母親から精神的に離れる(自立する)ことができなくなります。
 ……(中略)……。
 そのような、いわば、母親の依存から、子どもが脱出できるためのいちばんの方法は、父親が、母親の不安や寂しさを、しっかり受け止めることです。そうして、母親が安心すれば、子どもも安心して、本来あるべき、母親への反抗や攻撃を出せるようになります。また、父親が子どもに直接関わることで、母親以外の世界や価値観も知ることになります。そうして、母親から精神的に自立していくことができるのです。(p.133-137)


父親が客観的に不在である場合だけでなく、父親と母親の精神的な結びつき、信頼関係があるかどうか、ということ自体がこの問題にかかわるように思われる。父親と母親の信頼関係が十分でなく、母親が主観的に孤独である(lonely)と感じていれば、たとえ客観的には一人でいる(alone)のではなくても、同じような不安から子どもへの依存へと走る可能性が高まると思われる。


芝田英昭 『国保はどこへ向かうのか 再生の道をさぐる』

 さらに厳しのは、納付期限から一年が過ぎると保険証を返還しなければならないことである。その代わりに「被保険者資格証明書」が交付されるが、これは単に国保の被保険者であることを証明する書類であり、保険証のように受診券の役割は果たさない。従って、国保が保障する「療養の給付」は受けられず、正規の保険証や短期保険証で医療機関を受診した際は一から三割の窓口負担ですんだのが、資格証明書の場合はいったん全額(10割)を自己負担しなければならなくなる。
 これについて国保法第36条は、「市町村及び組合は、被保険者の疾病及び負傷に関しては、次の各号に掲げる療養の給付を行うただし、当該被保険者の属する世帯の世帯主又は組合員が当該被保険者に係る被保険者資格証明書の交付を受けている間は、この限りでない。」(傍線筆者)として、「1、診察 2、薬剤又は治療材料の支給 3、処置、手術その他の治療 4、居宅における療養上の管理及びその療養に伴う世話その他の看護 5、病院又は診療所への入院及びその療養に伴う世話その他の看護」といった医療の「現物給付」の対象から国保資格証明書世帯を除外している。そして、国保法第54条の3にある「特別療養費」という規定により、国保資格証明書世帯は窓口ではいったん医療費の全額を負担するが、その後、保険者(市町村)に申請して7割分を国保特別会計から還付される仕組みになっている。しかし、国保資格証明書世帯は、それまでの保険料の滞納・未納分の額が還付額から差し引かれるため、現実には窓口で支払った費用が返戻されることはない。(p.24-25)


資格証明書についての説明。10割負担でも申請すれば7割分が戻ってくるとは言われるが、そもそも資格証明書の交付は一年以上の滞納が前提となっているため、7割分の給付のかなりの部分は保険料の滞納分の支払いに充当されてしまうということか。なるほど。使う側にとって資格証明書があまり意味のないものであると言われる理由がよくわかる。



この一部負担金に関しても、国保法は「特別の理由」がある人に対する減免・徴収猶予規定(第44条)を設けているが、埼玉県下44自治体のうち、条例等で一部負担金の減免・徴収猶予となる「特別の理由」を規定しているのは25自治体(表1-13)。また、国保パンフレット等を通じて適宜広報をしているのは僅か14自治体のみであった。
 実際に一部負担金の減免・徴収猶予を認めたのは、埼玉県下では2008年度において9自治体のみであった。一部負担金の減免・徴収猶予を認めないことは、結果的には医療機関における「未収金問題」に発展してきている。(p.60)


国保という制度について思うのは、法体系が分かりにくいというか、中央政府が一律に基準を設けず、自治体単位で保険者となって各自治体がそれぞれ条例を作成して事務を執行しているために、法に規定があっても、条例で空文化されてしまったり、条例で定めることを予想しているせいか、法律自体の規定が不完全だったりしている、ということだ。一部負担金の減免に関する各自治体の扱いの差は、その典型例の一つと思われる。

なお、国保に対する批判としては、保険料が高いということが挙げられるが、こうした減免制度を拡充することは、その高い保険料をさらに高くする可能性があるという点は指摘しておきたい。この減免による国保会計からの支出については、保険原理と社会原理(『長友先生、国保って何ですか』を参照)という原理で言えば、社会原理に基づいて行われるべきものだから、原則として保険料ではなく、中央政府の税によって補填されるべきものだろう。実際の制度上はどのような負担になっているのだろうか?(条例や要綱などのレベルで定められるようだが。)



 一部負担金の減免・徴収猶予に係わる「特別の理由」は、25自治体はほぼ同じ内容であった。……(中略)……。
 これに見るように、全て「生活の困窮」要因が、自然災害や失業等を理由としたものでなければならず、それ以外の「低所得」については、一部負担金の減免・徴収猶予の事由としては最初から想定されていない。しかし、理由は何であれ「低所得」であるがゆえに、一部負担金の支払いが困難となるのは当然である。
 ……(中略)……。全国の保険者も当然一部負担金の減免・徴収猶予を条例などで規定しているが、その事由に理由を問わない「低所得」を規定している自治体は僅かである。厚労省の2006年度調査では、保険者1804自治体のうち、一部負担金の減免・徴収猶予規定を有する自治体は1003自治体(55.6%)、また理由を問わない「低所得」をその事由としているのは155自治体(8.6%)、そのうち具体的な低所得の判定基準を定めているのは僅か111自治体で、保険者総数の6.2%のみであった(前掲、「医療機関の未収金問題に関する検討会報告書」11ページ)。(p.62-63)


条例で定める条件が同じになっているということは、恐らく県か厚労省が見本を提示していると見るべきだろう。それにしても、法律(国保法)で規定があるのに条例で十分な規定を設けていない自治体が多いことに驚く。

単なる低所得というだけでは一部負担金の減免は受けられず、災害や失業などによる所得の減少でなければならないという制度には、多少の矛盾があると思われる。生活保護基準より若干上回るが、医療費が普通より多くかかるという世帯は減免を受けられず、それよりも所得が多い世帯が一時的に所得減少した場合は受けられるということになるからである。ただ、そもそも低所得である世帯が減免を受けられるとすれば、この減免制度自体が恒久的な減免を想定しなければならないが、基本的にはそうなっていない(恐らく多くの自治体で減免の期間は一時的なものとして限定されていると思われる)。



 北海道芦別市では、国保税(芦別市は地方税として徴収している)等の滞納者に対して全国でも類を見ない制裁措置を科している。「芦別市市税等の特定の滞納者に対する特別措置に関する条例」(2009年3月23日改正)では、「第四条、前条に規定する手続き(催告等・引用者注)を行っても、なお、市税等が滞納となっている場合において、市長は、当該滞納となっている市税等の徴収の促進に必要があると認めるときは、市税等を滞納している者を特定の滞納者と認め、当該特定の滞納者に対して、他の法令、条例又は規則の定めに基づき行うものを除くほか、別表に掲げる許認可、補助金の交付、福祉サービスの提供等(以下「行政サービス」という。)の取消し、停止、申請の拒否等の措置を行うものとする」として、行政サービスの制限(表1-17)がなされる。
 しかし、これらの行政サービス制限には、「給食サービス」、「入浴サービス」、「介護手当支給」、「老人福祉共同住宅の入居」、「慢性じん炎血液透析」、「遺児年金」、「市営住宅の入居」等が含まれ、明らかに「生存権の侵害」であり看過できないし、即刻中止すべきである。
 また、同市同条例第四条第2項で「市長は、必要があると認めるときは、前項の行政サービスの停止等の措置とあわせて特定の滞納者の氏名、住所、生年月日及び滞納額を公表することができる」(傍線筆者)としている。さらに、氏名等の公表は、同市同条例第21条において「特定の滞納者の氏名等の公表は、芦別市広報誌発行規則第二条に規定する広報あしべつに掲載することにより行うものとする」(傍線筆者)としていることからも、明らかに「個人情報保護法違反」であり、このような規定が条例化されていることに驚かされる。(p.68-70)


確かにすごい条例だ。ここまで徹底していると「効果」がどのような形で出ているのか気になる。特定滞納者が年間何人くらい指定されており、行政サービスはどの程度停止されているのか?そうした制裁によって滞納の解消につながる効果が出ているのか?

氏名などのほか滞納額も広報に掲載されるというのは、北海道の小さな町であれば、町中に知れ渡ることになるわけで、当局側としては納付交渉の際に、ある程度の牽制手段として使うことが出来そうである。そうした脅しで交渉がうまくいくのかは気になるところではある。

このような人権への配慮を欠く条例が制定されていることには驚かされるが、この条例の発想は新自由主義的な発想からも出て来ることがありうるが(かつての私なら専らこちらの考え方からこの条例の意味を捉えていただろう)、同時に共同体の連帯を重視する発想からも出てくることがありうるという点に気づいた。すなわち、税を料金として捉え、税の支払いと行政サービスの享受をワンセットとして捉える私経済的な発想の中に税と行政サービスを組み込む考え方と、共同体の連帯を脅かす存在として特定滞納者を位置づけ、共同体の構成員としての責務を果たさないことに対して否定的なフィードバックを返していくという考え方である。



 国保は制度上、被用者保険を離脱した時点で加入しなければならない。保険料は以前の所得などから算出されるが、離脱から加入までにブランクがあるとその分の保険料が「滞納」とみなされ、清算しない限り正規の保険証がもらえない。(p.80)


加入手続きをすぐに行わない場合でも、被用者保険等を離脱した時点まで遡って保険料がかかるのは国保の制度上決まっていると思うが、正規の保険証がもらえないかどうかは自治体によって運用が異なるのではないだろうか。厳密に考えると、ここで書かれている考え方の方が一貫性はあるが、自治体によってはそうした運用はしておらず、手続きを怠っていた者であっても一旦は正規の保険証が交付される。



 そうした無保険者が全国にどのくらいいるのだろうか。厚生労働省の見解はこうだ。
 「ホームレスの方とか、無保険者は発生しているのでしょうが、普通に生計を維持している人は保険に入っているというのが前提です。無保険の方は少ないのではないでしょうか。保険局としては積極的に数は集めていません、把握できるなら市町村ですね」
 しかし、高知市は「国保加入者の数字しか分からない」、高知県も「市町村すべてのデータを集めたら分かるかもしれないが、現実には不可能」という返答。被用者保険を扱う社会保険事務局も「うちは政府管掌保険の加入者についてしか分からない」。つまり、保険の枠組みから抜け落ちた人の数を、どの機関も把握していないのだ。(p.82)


貧困の実態把握という点から見て、重要な問題提起を含んでいると思う。

住民基本台帳の情報を持っている市町村と協会けんぽ、健保組合(さらには共済組合や国保組合)が情報共有できれば(より正確には市町村に被用者保険等の保険者が離脱・加入の状況を逐次報告するようにすれば)概ね実態を把握できるだろう。そして、このデータは被用者保険が外れた人を市町村が把握できるということをも意味する。このようなデータが把握できれば、国保の加入手続きも自動的に行うことができ(これは事実上の強制加入でもあるが)、無保険者の存在という問題はかなりの程度解消されると思われる。



 同時に調査された、う蝕有病者率の「較差」に関連する要因の分析によると、所得と学歴に高い関連が見られたとのことだった(図3-2)。これは、所得や学歴が高い地域においてはむし歯が少ない傾向にあり、逆に所得が低く学歴も低い地域ではむし歯が多いということである。一方で、歯科関連指標でむし歯と関連していたのは「フッ化物塗布」のみで、その寄与率は1%に満たなかった。それ以外の「歯科医院の数」「歯科保健指導受診回数」などは寄与していないという結果となった。つまり、地域の社会経済状態がむし歯をつくりやすいかどうかに大きく影響されるということで、これはWHOのいう「the Solid fact(社会的決定要因)」そのものであり、個々人の努力では解決できない要因がそこにあることが示された。
 これらのことからすると、子どもの深刻なむし歯について、一家庭の、あるいは一個人の問題としてとらえてしまうのは、あまりにも狭い見方ではないだろうか。(p.128-129)


興味深い。歯科は医科よりも経済的および時間的に余裕がないと受診できないし、むし歯がすぐに生命の危険に直結するわけでもないため、そうした余裕がないと受診する動機も生まれにくい。だからこそ、社会的な要因の影響をより明確に反映する、ということか。



 確かに、消費税を社会保障目的税(あるいは福祉目的税)に転換を求める声は、財界を中心として絶え間なく浮上しているが、これには、社会保障の枠組みを変える重大な問題が潜んでいることを理解すべきである。
 第一に、高齢社会の下で社会保障給付の増大は避けられないが、それを理由に安易に税率が上げられる可能性がある。また、第二に、国民の税率アップへの拒否反応を利用して税収の中だけに社会保障を抑え、サービスの量的・質的水準を低下させる可能性がある。第三に、消費税は、実質的には企業負担のまったく無い税であることから(中小零細企業は、転嫁できないので負担している)、社会保障目的税にすることで、社会保障における企業負担の軽減につながる。……(中略)……。
 確かに、消費税率だけを見ると欧米諸国よりかなり低率のように感じられるが、国の税収に占める消費税収の割合を見ると、すでに欧米並になっている。ちなみに2002年度で、国の税収に占める消費税収の割合は、日本21.8%(税率5%)、イギリス22.3%(同17.5%)、イタリア22.3%(同20.0%)、スウェーデン22.1%(同.25%)、である。(p.186-187)


消費税を社会保障目的税とすべきだという意見に対する批判。税率が上がる可能性と税収の範囲内にサービスが抑制される可能性は、一見すると正反対の動きだが、これらは両立可能である。すなわち、多額の社会保障費を要するので、それに必要な税収を確保するという名目で税率が上げられ、多額の社会保障費を要するという理由で給付に様々な制限をかけていくという動きも同時並行して進めることができるからである。そして、実際にこの動きはどちらも進んでいる。2014年の消費税率の引き上げ(5%→8%)と、介護保険の給付引き下げなどを含む「地域医療・介護推進法」がつい先日(6月18日)成立したことを見てもそれはわかるだろう。

社会保障における企業負担の軽減につながるというのは、「社会原理」が薄くなるという指摘なのだろう。ただ、考えようによっては、企業に社会保障負担を求めるより、法人税の課税を強化することで課税し、個人所得課税も強化して租税で社会保障を賄う方がよいという考え方もありうるかも知れない。ただ、制度というのはあまり急激かつ抜本的に変えてしまうとうまく機能しないことが多いことから考えると(後藤新平の「生物学の原理」を想起している)、企業に負担を求めることをあまり急に変えることは適切ではないようにも思う。このあたりは現在の私にとっては迷いがあるところである。


山岡淳一郎 『国民皆保険が危ない』(その2)

国民の側からすれば、医療保険が整備され、そのメリットを実感できるようになれば政府への信認が高まる。政府は、社会保険を介して国民を管理、統制できる。この統制機能は、ファシズム体制下では「人的資源」の動員に利用された。この点も皆保険への歩みにおいて忘れてはならないポイントだ。(p.143)


医療保険を含む社会保険の三つの機能的特性(相互扶助、制度資本、国民統制)についての説明より。忘れられがちな側面だが、広い視野から医療保険を見るには重要な視点。



 明治維新後、国のかたちが「脱亜入欧」で近代化されるのに合わせて、医療にも欧化政策が採り入れられた。明治政府は、東京帝国大学を西洋医学の導入口としてヒト、モノ、カネを集中した。東大だけがドイツ人教授による授業を認められ、その卒業生が他大学に赴任して西洋式の医師教育が広まった。(p.144)


ここでは「他大学」と書かれているが、明治の中期くらいまでで言えば、「大学」は東京以外には京都(明治30年)くらいしかなかった。明治末期に東北と九州に帝国大学が設置され、大正7年に北海道、続いて京城、台北、大阪が大正後期から昭和一桁、昭和14年に名古屋に帝国大学が設置されるという流れである。この辺を考えると、ここで「他大学」と書かれているのは、「現在の大学の前身となる(医)学校」ということかもしれない。



 相互扶助の観点から農村では「医療利用組合」が、静かに普及していった。
 ……(中略)……。
 東京医療利用組合の組合長には、農学者で世界的に知名度の高い新渡戸稲造が就任している。新渡戸は、「中野病院(現中野総合病院)」の設立式典で、
「疾病に対する治療は人間の最も尊貴なる生命の保護として、貧富、高下、都鄙の別なく享受されなければならぬことであることは言うまでもありません」
 と、挨拶をした。ここに及んで農林省は医療組合の状況調査を始めた。……(中略)……。
 農林省は、医療組合は農山漁村の医療に必須の施設だという考えに至り、設立を促進する。37年末には単独の組合で医療事業を経営するところが102、連合会経営が30、連合会所属組合は1359に達した。これらの組合組織で経営する病院は87件、診療所175件で、働く医師の数は500人を超えた。国の統制色が強まったとはいえ、医療組合は農村医療の支柱へと育った。(p.160-162)


新渡戸の関与はいかにも彼のヒューマニズム的でリベラルな考え方と合致しており興味深い。

また、ここでは引用を省略したが医師会が医療利用組合に自らの患者を奪われると考えて反対していたという点も興味を惹かれる。



 戦時統制下、医療保険の加入者はどんどん増えた。国保の保険者である組合は、全町村の98%、六大都市を除く市部の63%で設立されている。国保加入者は4000万人を超え、国民の医療保険加入率は七割に達した。国民の健康を守る保険制度が人間を殺し合う戦争のバックアップとして拡張されたことは、歴史のアイロニーとして私たちは深く、記憶にとどめておかねばならないだろう。(p.167)


政府による統制という側面の最も端的な事例。もっとも、こうしたある種の「悪用」と捉えることもできるような役割を果たしたからと言って、公的医療保険制度の意義を否定するべきものではない、ということは言うまでもない。健康で強い兵士をつくる社会的基盤として整備されたものは、健康で優秀なビジネスマンの基盤にもなりうるし、健康で文化的な生活を送る市民の基盤にもなりうるのである。



 そもそも医療は、互いに支え合って社会を維持する制度資本なのか、経済成長を託す産業なのか、という基本的な議論もないまま省庁縦割りの縄張りごとに目先の利を追う施策が積み上げられている。
 明治以降、西欧モデルを追って近代化されてきた歴史をふり返っても明らかなように、医療は、第一義的には相互扶助による制度資本として整備されねばならない。社会の底に「だいじょうぶ」と感じられる網が張られてこそ、人びとは多様な挑戦をし、ダイナミックな経済活動が展開される。医療を単なる成長産業ととらえて短期的利益を負うのは、愚策だろう。
 それは医療の荒廃が進むアメリカを見れば明らかだ。……(中略)……。
 米国の厖大な医療費は、どこへ流れ込んでいるのか。
 民間保険会社やビッグ・ファーマと呼ばれる製薬会社、病院、医療関係者の懐へ
、である。ひと握りの金持ちは高い保険料を払って、世界最高峰の医療技術の恩恵を受けられるが、中流以下の大衆は思うように医療機関にかかれず、恐るべき格差が生じている。すべてがお金次第だ。(p.176-177)


医療を単なる成長産業と捉えて短期的な利益を追うのではなく、制度資本として整備されるべきという観点は非常に重要で、医療に関する政策などを見る時の基本的な視点として常に保持すべきだろう。



 マネジドケアの商売の仕方そのものについても、とくに集団訴訟といかたちで問題にされています。たとえば、虫垂炎の患者が起こした訴訟をみてみましょう。
 患者は、腹痛・発熱で医師を受診しました。医師から、80キロ離れた施設での八日後の超音波検査を指示されました。これがマネジドケアの手口で、遠い施設を指示したら患者は行かないかもしれない、八日待ったら治って検査を受けないかもしれないということで、こういったかたちの指示を出すわけです。
 患者は正直にこの指示を守って家で寝ている間に病状が重くなりまして、救急外来に行ったときは命が危ない状況で、緊急手術になったわけですが、後で、かんかんに怒りました。というのも、この指示を出した医師は、コストを減らしたらボーナスが出るという契約を保険会社と結んでいたからです。こういったことは国民に良質の医療を提供するという法の精神に反すると言って、最高裁まで訴訟を戦ったのですが、負けました。(講演「マネジドケアの失敗から何を学ぶか」)(p.178)


アメリカの民間医療保険はマネジドケアという方法で運営されており、以上の引用文はその問題点を李啓充氏が指摘したもの。

公共の利益よりも私的な利益が優先される状況は、医療のような生命や健康に直接かかわるような分野では抑制・規制されてしかるべきだろう。



 だが厚労省の本意は、市町村で差がある保険料の均一化を理由に、保険料を一気に引き上げて、公的医療費を抑えることにあるようだ。全国の市町村は、国保の保険料を抑えるために一般財源から国庫に繰り入れている。その額は全国で3700億円に達する。繰り入れがストップしたら保険料が大幅に上がるのは明らかだが、厚労省はすでに都道府県知事宛てに通知を出して、繰り入れを止めにかかっている。10年5月の通知で、国保広域化に向けて、保険料の均一化のため「保険料の引き上げ、収納率の向上、医療費適正化」などを行い、一般財源の繰り入れを「できる限り早期に解消する」よう求めた。
 ……(中略)……。
 ちなみに大阪府で繰り入れを全廃すると、国保加入一世帯当たり、保険料は年2万円アップするという。(p.203-205)


市町村国保を都道府県へと広域化する議論の背後で、厚労省が見えにくいところで暗躍しているといったところか。

逆に言うと、中央政府が財政責任を放棄してきている流れの中で、市町村が保険料を上げないために相応の努力をしているという点は評価してよい、とも言える。



国は条件の悪い、リスクの高い加入者を国保に押しつけた。国保を皆保険の「最後の砦」にした以上、国庫の補てんや財政調整は必要条件だった。
 皆保険が達成された当時、国保財政全体に占める国庫支出金の割合は50%を超え、70年代には60%ちかくを占めた。ところが、80年代の中曽根政権のころから国庫支出金は急激に減り始め、現在では25%程度まで下がっている。自治体が国保を維持するには繰り入れに頼るほかない。このまま国保の広域化が行われれば、大多数の加入者の保険料が上がるだろう。
 実際に、2011年度の国保料の改定で全国の自治体は、一斉に国保料を引き上げた。市民への通知では、計算方式の変更などを理由にしているが、前年の厚労省から都道府県知事への通知に沿っているからだろう。
 ……(中略)……。
 国保の広域化・統合化をめざすなら、国庫あるいは都道府県からの補てんの筋道を示さねばなるまい。非正規雇用者については、彼らを雇って利益をあげている雇用主にも責任はある。「週30時間以上の勤務」という被用者保険の加入条件を緩和し、非正規労働者も被用者保険でカバーするのが本筋ではないだろうか。
 ……(中略)……。広域化で統合を図るなら、国保と被用者保険の垣根を取り払い、一体化しなくては意味がない。だが、組合健保や共済組合は国保との合併に反発する。そうした利害の対立を、同じ土俵で議論するための言葉と思想を、この国は失ってしまった。(p.205-207)


国保を皆保険の最後の砦としている以上、国庫による補てんや財政調整は必要条件であるというのはその通り。しかし、実際は中央政府はこの30年余りの期間、財政責任を放棄しつつあり、国保広域化の議論でもそれをさらに進めようとしている。この流れに歯止めをかけるためにも公共的な議論が必要だが、そのための「言葉と思想」が失われている

これにどう対処していくべきか。難問である。

また、非正規労働者が増えているという現状を踏まえると、それに合わせて被用者保険の加入条件の緩和をすべきだという主張には傾聴に値するものがある。(被用者保険の負担のあり方自体もいろいろと検討を要するが。)



ヨーロッパ諸国の改革に共通するのは、硬直化した制度を活性化するために市場や競争の刺激を取り入れながらも、根幹の「社会連帯」はブラさない点だ。利害が対立する者どうしも、社会連帯の基盤は共有している。だから、コミュニケーションが成り立ち、実践へと転じられる
 かたや日本は、利害対立を受けとめるための「公共の思想」が見失われて久しい。けれども、完全に喪失したわけではない。東日本大震災の被災地で、さまざまな支え合いが始まっている。ふり返れば「国民皆保険」が、公共の思想を具現化したものだった。綻びは確かに生じている。だからこそ、今一度、国民皆保険の「相互扶助」「制度資本」としての意味をとらえ直し、次の半世紀へ向かって私たちは歩み出さねばならないだろう。(p.212)


「公共の思想」の例としてヨーロッパ、とくにフランスでの「社会連帯」という思想が紹介されている。日本の場合、「国民皆保険」という公共の思想を具現化した制度資本がある点も指摘されている。ヨーロッパの社会連帯の思想をそのまま日本に持ち込んで一般化させることは困難だろうが、現在ある制度を見直して活用していくという方策は可能性があり、その点で国保に注目すべき理由があるように思われる。



山岡淳一郎 『国民皆保険が危ない』(その1)

 医療ツーリズムの他にも「医療の国際化」を進めようとする圧力は高まっている。「TPP(Trans-Pacific Partnership環太平洋経済連携協定)」への参加は、その典型だ。農業だけでなく医療分野でも「自由化」を急速に推し進め、国民皆保険体制を崩す危険がある。TPPのような自由貿易協定は、一度結べば後戻りがきかない。(p.23)


「自由化」してしまうと後戻りができないという認識は重要。慎重な議論が求められる所以。



 では、なぜ、自治体は一般会計繰入金を国保に投入しなければならないのか。もともと国保には事業者の保険料負担がなく、国の税金による補てん(国庫支出)が財政上の支えだった。1970~80年代初頭までは国庫支出が国保収入の60%ちかくを占めていた。それが80年代前半の中曽根政権下の「小さな政府」路線への転換で、一気に下降線をたどっていく。08年度には25%を切った。そのために加入者の保険料負担はうなぎのぼりで上がり、自治体の負担も増した(図「国庫支出金の変化と保険料負担」)。
 市町村国保の財政の悪化は、国庫支出の減額が直接的な引き金になったといえるだろう。(p.90)


この点はどの国保解説書でも指摘される点である。中央政府が財政責任を放棄したため、自治体の一般会計の負担(繰入金)と被保険者の保険料負担とが重くなっている。



大阪市は国保事業会計の累積赤字が364億円(08年度)に膨らむ前に毎年、繰入額をほんの少しずつ増やしておけばこうはならなかった。国保事業は、全国一律ではなく、自治体の裁量、地方の行政と議会の方針で決まる部分が大きいのです(p.92)


自治体の裁量が影響を及ぼすことは間違いないが、国庫支出金の削減によって全国の国保事業が苦しくなり保険料負担も全体として上がってきたということを踏まえると、あまりこれを過大評価しすぎることも問題である。中央政府の統制の方がベースにあり、自治体の裁量によってそのショックを多少緩和できることもあれば、かじ取りに失敗するとそのダメージをより深くしてしまうことがあるという程度、というのが妥当なところではなかろうか。



 詳しくは第五章の「医療の『公平さ』と『先進性』をどう両立するか」で論じるが、自治体レベルで財政的に苦しい国保を都道府県単位に広域化したところで、必ずしも財政は安定しない。小さな自治体で国保を運営するから赤字で、広域化して大きくすれば黒字になる、というわけではない。
 たとえば、大阪市は人口266万人、日本で二番目に大きな政令都市だ。実態は広域国保といえるのだが、これまで述べてきたように国保財政は危機に瀕し、一般会計繰入金を172億円も使っていながら、364億円の累積赤字を抱えている。
 かたや同じ大阪府でも、貝塚市、茨木市、羽曳野市、島本町などは黒字を保っている。規模の大小と制度の安定性は必ずしも一致しない。
 それに広域化で、これまで自治体が続けてきた一般会計繰入金はどうなるのか、厚労省は何の指針も示していない。(p.93)


規模が大きくなると財政が安定するかのような錯覚を抱きがちだが、それは誤りである。



 究極の貿易自由化ともいえるTPPは、第一次産業だけにダメージを与えるのではない。太平洋を超えて、医療分野にもどっとヒト、モノ、カネが流れ込む、あるいは流出するようになれば医療の土台である皆保険はどうなるか。自由化は、どんな変化を生じさせるのか。
 おそらく、私たちが守ってきた皆保険には「私益」の亀裂が走り、膨張する医療市場の圧力に耐えかねて土台はこなごなに砕け散ってしまうだろう。公的な土台が壊れれば健康保険が適用されない「自由診療」が増える。
 自由診療の値段は、医療提供側の思うままに決められる。一般に商品やサービスの値段は「需要と供給」で決まるといわれている。ただ医療の場合、供給側は専門性にすぐれ、たくさんの情報を持っているのに対して消費者側の情報は限られている。
 これを「情報の非対称性」という。そうした状態では対等の立場でのサービスの選択や意思決定は困難だ。
 たとえば「神の手」と呼ばれるドクターにかかって「自由診療での手術代は一億円」と言われたら、医療知識のない患者が反論できるだろうか。言い値で治療方法や医薬品の値段は決まり、お金の切れ目が命の切れ目。所得による医療格差はとめどもなく開き、殺伐たる光景が展開されるだろう。患者は医学的効果が不確かな自由診療に多額の費用を払うことになりかねない。

自由化の影響は「わからない」!?

 TPPへの参加は、そのような自由化への扉を押し開く行為なのだ。
 TPPに加われば、まず「混合診療の拡大」という形で自由診療枠が増大すると予想される。そして「米国系企業の権益増強」「病院の株式会社化」、さらには「医師、看護師や患者の国際移動」といった現象を通して、医療格差が拡がっていくと考えられる。(p.107-108)


自由診療では医療の供給側が言い値で値段を決められる。ここにポイントがあることを理解できたのは本書からの収穫だった。これによって医療機関側が利益追求に走ることができるようになり、アメリカの企業が参入する余地ができることになる。現状ではアメリカの企業が日本で医療機関を開設しようとしても、価格が管理されているため儲けは期待できない。自由診療が増えることによって、日本の医療が市場化することができるようになる。

また、TPPに参加し、締結した後の本書の想定シナリオは論理的な理念型としてそれなりの説得力を持っている。



 この混合診療が部分的とはいえ拡げられれば、必然的に自由診療が増える。値つけが自由な診療が増加すれば、医療機関の利益は上がる。これが呼び水となって「米国系企業の権益増強」「病院の株式会社化」「医療従事者や患者の国際移動」などにも拍車がかかる。混合診療の拡大は、医療の自由市場膨張への突破口のような意味合いを持っているのだ。(p.111)


上でも述べたが、「自由診療が増える」→「医療機関の利益を追求できる」→「医療が市場化する」という関係性が明確に理解できたことが本書からの収穫だった。

そして、混合診療の拡大という現在少しずつ進められている方向性は、自由診療の拡大への道を開くものであり、この図式の道へと進む入口だということ。



 強調しておきたいのは、先進国のほとんどが豪州のように薬価をコントロールする規制を持っている点だ。日本は診療報酬点数で薬価を決めている。英国は薬による利益の上限を、フランスは総薬剤費に上限を設けて薬価を管理している。
 ところが、米国は先進国で唯一薬価規制が敷かれていない。(p.122)


このあたりの事実を踏まえると、アメリカが加わっているTPPでは、薬価も自由化が求められる圧力がかかることが容易に予想できる。





長友薫輝、正木満之、神田敏史 『長友先生、国保って何ですか』(その2)

泉市当局が、市議会に限度額の引き上げを提案してきました。私は議員としての判断を迫られることになりました。議案を見た当初、「保険料負担の上限を引き上げることは、高額所得者により多く負担してもらうのだから、その分、低所得者にとっては負担が減るのではないか…」と私は思っていました。
 しかし、その見方は間違っていました。限度額が上がるということは、低所得者の保険料も上がるのです。
 他の被用者保険の保険料は、月収を基礎にした「標準報酬月額」をもとに保険料が決まります。しかし、国保の保険料は、「応益割」と「応能割」によって計算されます。応益割とは、それぞれの加入者に一定額の負担が課せられます。応能割とは、所得や資産などそれぞれの加入者の負担能力に応じた負担が課せられます。国保料は、応益割と応能割の比率が50:50に設定されています。そのため、限度額を1万円引き上げると考えると、応益割で5000円分、応能割で5000円分引き上げることになります。要するに限度額を引き上げると、その負担は加入者全員に及ぶのです。(p.72-73)


なるほど。私も賦課限度額が上がるということは、低所得者の負担は減ると単純に考えていたが、そこまで単純にはいかないということに気づかされた。

ただ、私は本書のこの主張には全面的に賛同は出来ない。なぜならば、保険料として賦課すべき総額は医療費として必要となる金額によって決まるはずであり、賦課限度額を上げるということは、同じ所得・資産に対して掛ける所得割や資産割の料率が下がる効果もあるはずであり、同じく、均等割や平等割の料率も下がる効果があるはずだからである。



ただ、行政の予算・決算のデータは、その年だけを見ても「数字データが持っている意味」は発見できません。10年分、20年分の数字データを並べてみて、グラフや表をつくってこそ数値がもっている意味が見えてくるものです。(p.79-80)


行政の予算・決算に限らず、数字のデータの意味を見いだそうとする場合一般に言えるように思われる。



 高度成長期に、医療給付費の増大にともない保険料負担が増え続けるなか、多くの自治体では応能負担(所得割)の割合を増やすことで低所得層の負担を抑えてきました。しかし、歴代政権の「圧力」により、応能負担を減らし、応益負担を増やしてきました。こうして低所得者の負担が増える仕組みに変化してきました。(p.97)


これは新自由主義的な発想をする者が好む方向へのシフトである。そして、これは日本の社会保障は再分配機能が弱いが、そうした傾向とも合致するものである。



 最初の結論を言います。過酷な保険料の主な原因は、100頁の【図表-12】からはっきりわかります。国からの国庫支出金が削減されるごとに、保険料は高額になってきたのです。主な原因は、国庫支出金の削減でした。
 では、どうすれば高すぎる保険料水準が改善できるのでしょうか。この問題を考えるとき、いつも感じていることがあります。それは、「敵は本能寺にあり」であるということです。敵というと物騒ですが、「たたかう相手を間違えてはいけない」と考えています。私は、主に仙台市で国保運動に取り組んでいます。運動の中では、国保加入者の方々と語り合う機会も多くあります。しかし、市町村への怒りをむき出しにされる方が意外に多いのです。
 確かに、国保を運営する市町村の責任は重たいと思います。……(中略)……。しかし、国保についての学習と話し合いを通じて、たたかう相手は「国」であることを明確にすることが重要と考えています。少し時代がかっていて恐縮ですが、「敵は本能寺にあり!」なのです。
 国民健康保険法の主旨を実現するには、まず第一に国の責務です。……(中略)……。国の権限や圧力が大きいうえに、国保制度も自治体の裁量が少ないのです。(p.102-103)


妥当な指摘。中央政府によるナショナルミニマム保障の義務を実現させる方向に進めることがあらゆる社会保障制度の改革にとって重要な意味をもつ。



厚生労働省が公表した資料では、保険料額を都道府県平均とした場合、現行よりも保険料が引き上がる市町村は多いようです。(p.118)


国保の広域化(都道府県を運営主体とする)の問題に関して、今まで疑問に思ってきたことがある。それは保険料が全体としては高くなるとされる指摘があることである。この理由は漠然と新聞等で見ているだけではわからなかったが、何冊か国保関係の本を読んでいるうちに見えてきたのは、現行での市町村が運営していると、市町村の一般会計から国保に税金が補てんされており、それによって料金が抑えられている部分があるが、広域化後はそうした補てんをしないようになりそうだから料金は上がる、ということのようである。

国庫負担金が減ることで保険料が高くなってきた歴史があり、それを多少なりとも緩和する方法として市町村レベルで財政的補てんを行ってきたが、その補てんすらなくなるということが、現在進められようとしている政策であるらしい。



 健康保険法では、株式会社や有限会社などの法人事業所個人事業所でも5人以上常時従事する事業所の事業主は、週30時間以上(常勤職員の4分の3以上の勤務時間)働く労働者を、「職域」の公的医療保険である協会健保や健保組合に加入させなくてはいけないとされています。こうした事業所を「強制適用事業所」と呼んでいます。
 強制適用事業所以外の事業所でも任意適用事業所として事業主と雇用される労働者が合意した場合は適用事業所となり、協会けんぽ等に加入することができます。(p.131)


単なる制度の説明だが、分かりやすいのでメモしておく。



 厚生労働省が2009年行った調査でも全市町村の6割が減免制度を設けている(規則や要綱を作成している)としていますが、そのうち9割が実際には実施していないとしています。(p.144)


医療費の一部負担金の減免制度について。制度自体があまり知られていないことが要因の一つだと思われるが、一時的な要因で支払いができない場合を除いては生活保護の対象になることが多いということもありそうに思われる。


長友薫輝、正木満之、神田敏史 『長友先生、国保って何ですか』(その1)

 65歳以上75歳未満の割合では国保は3割を超えており、加入者1人当たりの医療費で比較すると、約2倍の費用を要していることがわかります。(p.24)


2011年度の国保と他の公的医療保険との比較。

65~74歳の割合は協会けんぽは4.7%、組合健保は2.5%と、国保が突出して高い。被用者保険の被保険者が退職すると(任意継続を経ることはあるが、最終的には)国保に加入することになるのだから、半ば必然的にこのようなことになるわけだ。

1人当たりの医療費が高いのも高齢者、特に70歳以上の加入者の割合が高いことが大きな要因だろう。このことが保険料が高くなる要因になっている。



 国保料は、「加入者が支払えるかどうか」という観点から設定されていません。国保は、必要な医療費を加入者に割り振る仕組みとなっています。加入者の負担能力や生活実態を把握し、負担できる保険料額が課せられるといった仕組みではありません。必要な医療費を加入者に負担させるという観点から国保料を算出するために保険料は高くなり、国保料を滞納せざるを得ない人々を生み出すという構造がつくられています。(p.29)


国保関係の本を何冊か読んでいるが、保険料が高いことに対する批判はどの論者も指摘しており、国保の問題点としての共通認識が成立している感すらある。料金の設定の仕方が、加入者本位ではないという指摘は正にその通りではある。

高い料金→滞納の増加→さらに高い料金→……という悪循環があるのは確かだろう。その大きな要因が国庫負担金削減だという点も国保研究関係者の共通了解のように見受けられる。



 国保は、結果的に負担能力が高くない人々が集まる仕組みとなっていて、当然のことながら国庫負担がそれなりに投入されなければ維持することができません。にもかかわらず、市町村国保に占める国庫支出金の割合は、公的医療費抑制策が展開される1980年代以降低下し、その分が加入者の保険料、あるいは自治体独自の負担(一般会計からの繰り入れ等)に転嫁されてきました。国の責任と財政負担を減らすことによって、加入者である住民と運営している自治体に転嫁されてきたという背景があります。(p.30)


この点は国保制度の問題点として、強調してもしすぎることはない。ただ、いくつかの国保に関する本を読んでいて思うのは、その国庫負担を復元するためにどれだけの財源が必要で、どれだけ増税しなければならないのかという点とセットで議論することが必要であるにもかかわらず、そこまで具体的に行われているものを見たことがないというところに不満がある。



 年々高くなる国保料をつくり出している主な原因は、国保の運営に対して国がお金(税金)を出さなくなったからです。
 1984年の国民健康保険法改正により国庫負担が削減されました。それ以降も事務費の国庫負担廃止などの削減を続けた結果、国保の総収入に占める国庫支出金の割合は1980年代の約50%から約25%(2008年度)になっています。
 国保において公的医療費抑制策が展開された結果です。国の負担を減らした分は、国保加入者と自治体に転嫁されるという構造が継続されてきました。(p.30-31)


国庫負担がどれほど減らされたかという割合はよく語られるが、これが金額としていくらなのか、という議論はあまりされない。ここに批判者側の不備があると私は見る。割合ではなく数量で示すべき



 国保は加入者の保険料だけで運営しているわけではありません。実は、ここに大きな意味があるのです。そもそも国保に国庫負担が投入されているのは、「国保が社会保障として運営されている」ことを意味しています。この点が民間の保険と大きく異なります。
 国保が社会保障であるというのは、社会保障の一環として国保という制度が整備されてきたということを意味しています。具体的には、自助や相互扶助では決して支えることのできない人々の医療保障を図り、受診する権利、健康になる権利、生きる権利を保障するために、公的医療保険の一つである国保が歴史的に整備されてきたというわけです。(p.32)


このあたりの理解は、国保関係の本を何冊か読んで行く中で理解が深まってきた部分。まだまだ入門レベルだが、今後、もう少し医療保険や医療政策に関しての理解を深めていきたい。



 国保をはじめ公的医療保険は、この社会原理と保険原理の2つの性格でなりたっています。国保の問題点のうちいくつかは、2つの性格のうち「保険原理」のみが強調されて、社会原理が薄められていることから生じています。(p.37)


社会原理は、自助や相互扶助では対応できない病気、老齢、失業などの問題に対して社会的対応が必要であるという考え方で、被用者保険の場合は事業者負担の義務、国保の場合は加入義務、いずれの場合でも公費負担などの形で具現化しているようである。被用者保険の事業者負担が原理的にはこうしたものであるという理解ができたのは収穫だった。

こうした社会原理の希薄化と保険原理の強調という傾向は、中央政府の国庫負担金の削減と結びついたものであることは確かだが、これとは全く逆に、国保への加入手続きを怠った者が、国保料を遡って賦課される事に対して文句を言う場合などを想定すると(国保研究者や国保問題に取り組むジャーナリストなどがこうした遡及賦課を批判することがあるが)、これも同じ論理に立つ、社会原理を否定するような立論である、という点は指摘しておきたい。



 自治体の国保窓口では、「助け合い」を強調し、加入者に過酷な負担を強いているところがあるようです。「国保は助け合いの制度なんだから保険料を納めなさい」という理屈です。しかし、国保は「助け合い」で運営されているわけではありません。言い換えれば、民間保険のような保険原理のみで運営されているものではありません。あくまでも社会保障であり、保険原理だけでなく、むしろ社会原理を理解して国保をとらえる必要があります。保険原理のみの不当な強調は問題です。
 ……(中略)……。
 現在の国保法では「助け合い」との文言はどこにも書かれておらず、いたずらに相互扶助を強調することは歴史に逆行するものだということになります。(p.37-41)


確かに、国保のパンフレットなどの説明では「助け合い」の制度であると書かれているようだ。これは税による公的負担も「助け合い」の範囲に入れて考える限りは必ずしも誤りとは言えないとも言える。悪く受け取れば、地方政府側はそうした計算の上で様々な誤読を前提してこうした記載をしているのかもしれない。

「相互扶助の精神」は旧国保法に記載があったが、現行の国保法にはそうした文言がなく、むしろ条文上は社会保障の側面が強調されているということは理解しておくべき点ではある。



所得割の計算方式には、旧ただし書き方式(所得比例方式)と住民税方式の2つがあります。なお、2013年度からは例外を除いて旧ただし書き方式とすることになりました。(p.47-48)


思うに、旧ただし書き方式の方が、低所得者の料金負担は重くなるように思われる。住民税で非課税基準に該当することで最低料金で済むような人でも、旧ただし書き方式のような単純に所得だけで算出する場合には、最低料金では済まない事例は容易に想定される。例えば、扶養親族が複数いるような世帯。



 国は1995年の国民健康保険法改正によって応益割の比重を高め、応能割と応益割の比率について7:3から5:5へと変更することを推進しました。このように応益割の比重が大きくなったことで加入者の保険料負担が過重になり、滞納者の増加につながっていると考えられます。(p.49)


なるほど。所得税や住民税の税率のフラット化、消費税の増税といった流れと同じ方向性の事態が国保料でも起こっていたわけだ。



 国保のみならず皆保険体制をめぐっては、参加交渉が進められているTPP(環太平洋経済連携協定)による影響が案じられています。……(中略)……。
 たとえば、混合診療の原則解禁、株式会社による病院経営、薬価の高騰などが起き、保険診療については、保険給付の範囲を縮小し、自由診療(全額自己負担の医療)を拡大する方向で検討されていくのではないかと危惧されています。
 ……(中略)……。海外投資家や多国籍企業から日本の医療制度が障壁であると提訴され、外圧によって皆保険がなし崩しとなってしまうのでは、とい危惧も現在では成り立ちます。(p.63-64)


TPPでは、農業や畜産業といった一般の人の生活とは少し離れた「一部の人たち」の問題に見えることばかりが報じられ、こうした点はほとんど議論されていない点は極めて危険であると言わざるを得ない。