アヴェスターにはこう書いている?
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ロック 『統治二論』
 子供というものは、自然の定めによって弱く生まれつき、自分を自分で扶養することはできないから、その自然の成り行きを定めた神自身の命により、両親によって養育され扶養される権利を、それも、単なる生存への権利だけではなく、両親の条件が許す範囲で最大限の生活の便宜と安寧とを与えられる権利をもつ。(p.170)

一見、納得できるような記述であるが、「両親の条件が許す範囲」というのは、両親が貧しかったり教育がなかったりした場合には、その条件を受け入れることを子に要求することになる。その意味で権利の平等性は十分に担保されない規定であるように思われる。

また、子どもが持つ権利が「最大限」の生活の便宜と安寧を与えられるものであるべきかどうか、これは具体的に考えると難しい問題をはらんでいるように思われる。

なお、ロックの議論は平明で分かりやすいものが多いが、その分かりやすさの裏には「よく考えるとよくわからない」ことが多く含まれているように感じられるが、ここもそうした箇所のひとつかもしれない。



 そこで、私は、政治権力とは、固有権(プロパティ)の調整と維持とのために、死刑、従って、当然それ以下のあらゆる刑罰を伴う法を作る権利であり、また、その法を執行し、外国の侵略から政治的共同体を防衛するために共同体の力を行使する権利であって、しかも、すべて、公共善のためだけにそれを行う権利であると考えるのである。(p.293)


この箇所は本書を理解する上で重要な箇所の一つであると思われる。本書の訳注では次のように適切な注釈が施されている。

 ここでロックが、権力を権利としているのは、ロックが解こうとしている問題が政治権力の正統性の問題であることから当然である。ロックにとって、権力の問題は、その実力説批判が示すように、断じて、事実(de facto)問題ではなく、権利(de jure)問題であったことに注意されたい。(p.295)



なお、ロックの上記の政治権力の規定のうち、「公共善のため」でなければ行使する権利がないとされている点には注目しておきたい。ロック以後のリベラリズムがいつの間にか置き忘れてしまった問題の一つがここにあるからである。



自然状態において、その状態にあるすべての者に帰属する自由を奪おうと欲する者は、その他の一切のものをも奪おうとする意図をもつと見なされなければならない。自由こそが他のすべてのものの基礎であるからである。(p.313-314)


こうした自由を一部制限する代わりに諸個人の固有権が守られることに同意することで社会状態を構成するというのがロックの社会契約説だと思われるが、ここでの制限への同意の内容は、上記の「公共善」の内容を規定するように思われる。

ただ、ロックの議論では社会状態を構成する際の「同意」の実在性や内容に関して説明しようとするとかなりの困難を引き起こすという難点があるように思われる。



 たとえ、大地と、すべての下級の被造物とが万人の共有物であるとしても、人は誰でも、自分自身の身体に対する固有権(プロパティ)をもつ。これについては、本人以外の誰もいかなる権利をももたない。彼の身体の労働と手の働きとは、彼に固有のものであると言ってよい。従って、自然が供給し、自然が残しておいたものから彼が取り出すものは何であれ、彼はそれに自分の労働を混合し、それに彼自身のものである何ものかを加えたのであって、そのことにより、それを彼自身の所有物とするのである。それは、自然が設定した状態から彼によって取り出されたものであるから、それには、彼の労働によって、他人の共有権を排除する何かが賦与されたことになる。というのは、この労働は労働した人間の疑いえない所有物であって、少なくとも、共有物として他人にも十分な善きものが残されている場合には、ひとたび労働が付け加えられたものに対する権利を、彼以外の誰も持つことはできないからである。(p.326)


ロックの所有権に関する議論の中でも原理的にはかなり根本的な問題を提示している箇所と思われる。立岩真也がこの論理を見事に批判している。ある物に対して自らの労働が加わることで私の所有物になるという論理は、どうして所有物となるのかという点自体については何も説明していないからである。

なお、ロックの議論を理解する際、最後の留保条件は重要である。



従って、誤解を恐れずに言えば、法の目的は、自由を廃止したり制限したりすることにではなく、自由を保全し拡大することにある。なぜならば、法に服することができる被造物のあらゆる状態において、法のないところに自由もないからである。……(中略)……自由とは、ある人がそれに服する法の許す範囲内で、自分の身体、行為、所有物、そしてその全固有権(プロパティ)を自ら好むままに処分し、処理し、しかも、その際に、他人の恣意的な意志に服従することなく、自分自身の意志に自由に従うことにあるのである。(p.359)


概ね同意見である。



 『統治二論』において、ロックが、politicalとcivilとが同じ意味をもつことを前提としたうえで、'political, or civil society'の名で呼んだ「政治社会」は、一つの顕著な特質を備えていた。それが、固有権の主体として同質な人間が構成する人的共同体であったことである。(p.614-615)


解説より。ロックの「政治社会」が同質な人間から構成されていたということは、サンデルが「負荷なき自己」としてリベラリズムを批判していることと関わっていると考えられ、興味を惹かれる。




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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌