アヴェスターにはこう書いている?
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リュシアン・フェーヴル、アンリ=ジャン・マルタン 『書物の出現 上』(その2)

 印刷術がもたらした進歩をよく理解するため、まず写本時代に学者・教養人・学生などが抱えていた困難を考えてみよう。そもそも、ある文章を引用する場合でも、今日われわれがよくやるように、その文章が書かれている紙葉やページの数字を示すことは不可能であった。というのもこの数字は、原則として各写本により異なっていたからである。それゆえ、問題となっている箇所が含まれる章のタイトルやその番号、さらには節を明記しなければいけなかった。また多くの場合、こうした参照法を可能にするため、各節に見出しを付け、さらに検索の目印として節を細分する必要もあった。その上、当時は羊皮紙はもちろん紙にしても高価な商品であって、テクストは文字をぎっしり詰めて筆写され、略字記号も多く、行間も狭く、しばしば節ばかりか章の切れ目に全く余白がないことがあった。したがって、写本が見た目にもごちゃごちゃして、参照しにくく思えるのも納得がいく。(p.230)


プラトンやアリストテレスなどの著作の翻訳などを読んでいると、記号で原文との対応箇所などが表記されていることが多いが、あのようなシステムが必要だった意味がよく理解できた。



 しかし15世紀末になるとアルド・マヌツィオが、古典作家を読者に身近なものにすべく、有名な「携帯版」のシリーズの発刊に踏み切って、ユマニストたちのサークルが先鞭をつけたこのポケット版の流行は、16世紀に入り次第にその輪を広げていく。……(中略)……。しかしながら学者たちは依然として、専門書については二ツ折判を好んでいた。二ツ折判は確かに取り扱いにくかったが、見やすくしかも検索が容易だったからである。
 つまり書庫での調べ物に用いる重たい学問的テクストと、大衆向けの文学書や論争書といった手軽な書物とは、すでにこの頃からはっきりと対照をなしていたのだ。(p.237)


書物の出版は商売であると同時に文化的な活動でもある。また、読者の社会層は当時は身分や階級によってかなりの程度固定されていただろうことをも反映しているのかもしれない。



 こうして16世紀も終盤にさしかかると、行商本を除けば木版画の使用はほぼ完全に廃れてしまう。しかも木版画は絵入り本ばかりか、あらゆる分野から消えていくのだ。そして以後200年以上もの間、銅版画の時代が続くことになるわけだけれど、その発端は単なる技術的変革とだけ言ってすませられるものではなかった。銅板技法が勝利を収めたのは、これによって絵画・記念建造物・装飾模様などを、実に細かい所まで忠実に再現でき、それをどこの誰にも行き渡らせることができたからであり、わけても現実のリアルな姿を再現し、その記憶を定着することができたからにほかならない。版画が図像の普及に果たす役割は、その後ますます増大していくが、これは百有余年にわたり、活字本がテクストの普及のうえで果たしてきた役割とも相通じるのだ。こうして、16世紀末から17世紀初頭にかけて銅版画が採用され、版画の国際的売買が発展したことにより、当時の人びとの視野は広がったのである。(p.268)


銅版画は絵画や写真などと比べて現在はあまり関心がもたれない技術だが、その歴史的な意味は大きなものがあったことがわかる。大変興味深い指摘。

個人的には、ちょうどこれから北海道立近代美術館でこの時代(以後)の版画の展示が見られそうなので行ってみたい。



要するに版画家とは、今日における写真家の役割を果たすのである。(p.269)


なるほど。



 それと同時に版画は、芸術作品の流布にも大きな役割を果たしている。17世紀以後、人びとは銅版画のおかげで、ヨーロッパ中に散在している傑作に接することになる。各国の版画家たちは、こぞってイタリアの絵画・建築物・廃墟の模刻に努めたのだ。また版画家が、自国の当代の巨匠が描いた絵画の複製にあたることもよくあった。……(中略)……。ルーベンスに至っては、自分の絵を広く江湖に知らしむるには、版画の影響力を借りるのが得策だと見抜いていたから、近くにわざわざ版画工房を設けて、自作の複製を作らせたほどだ。かくしてパリのマリエットなど大版画商の店には、イタリア・フランドル・フランス・ドイツの巨匠の絵画の複製版画が並べられた。人びとはそれらをじっくりと眺めては、品定めするのだった〔図版1(下巻)〕。さらに、装飾様式を教え普及させるのも、以来版画家の仕事となる。

 要するに版画は17世紀以降、様々な分野で重要な情報手段となったのである。……(中略)……。銅版技術のおかげで、正確かつ綿密な図版を本文に添えることが可能になったからこそ、『百科全書』の計画が浮かんだに相違ない。キャプテン・クックやラ=ペルーズの時代を迎え、次第にふえてくる旅行記にしても同様だ。それら旅行記類には、探検の途中で描かれたスケッチが、そのまま挿絵として収められていたのである。(p.270-273)


知識の普及にとって版画の持っていた役割は想像以上に大きなものがありそうだ。もちろん、そうした知識を求める需要側の問題も同時に視野に入れる必要があるとは思うが。



 ところで、出版の財政問題を研究する場合、公権力が出資者として重要な役割を果たしていたことを忘れないようにしよう。司教や教会参事会員が典礼書の出版に融資しているし、国家や都市が、とりわけ行政上必要な文書に対して同様の出資を行なっている。非常に大勢の印刷工が、このような仕事で生活の糧を得ていた。特に小都市ではそうであった。最後に言及しておくべきことは、国家が、何人かの書籍商に対して特定の書物の特認や出版独占権を授与するシステムが、そうしたグループの活動や、全国的もしくは地方的な事業の活動を大いに促した、といことであって、この方法で、国家は出版の資金運用にしばしば介入するのだった。国家h企画を組織的に後援することによって、印刷業者と押れ合い、彼らを悪書が出版するとすぐ密告してくるような従順な手先にしようと努めるのだった。こうして再び、書物市場における大書籍商・出版業者の重要性は強化されることになる。(p.324)


書物出版における資本と政府および教会の役割やその変遷というのも興味深いテーマ。



職人は自分たちだけの兄弟団を別個に作ることを好み、これは前述のように、しばしば主人に対する抵抗の拠点となった。16世紀後半から17世紀にかけて、書籍商と印刷業者の組合(コルポラシオン)があちこちに結成されたのは、その多くがこうした職人の団体に抵抗するためだったのである。(p.351)


労働組合のようなものがこの時代にもあったということか。



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リュシアン・フェーヴル、アンリ=ジャン・マルタン 『書物の出現 上』(その1)

中世も末期の書体は、社会階層やテクストの性質やそれぞれの地域毎に特徴を示している。その書体の多様性こそは、この時代のヨーロッパがいくつもの文化に仕切られていたことを、地方や地域はあたかも違う時代を生きているが如くに異なっており、またそこでは、各社階層は、国境をこえて同時にそれぞれ固有の文化を所有してもいたことを、はっきりと表明している。(p.41)


地域だけでなく、ジャンルなどによっても書体は異なっており、それにより書き手の思想傾向とも関連があることなどに興味が引かれた。例えば、スコラ学の書物とユマニスムの書物では書体が一般に異なっていた。



しかしながら、13世紀の開幕とともに始まるこの新しい時代の特質といえば、それは、修道院がもはや書物生産の唯一の担い手ではなくなり、しかも自家用のもの以外はほとんど書物を作り出さなくなってしまう点に求められる。
 知的生活の本拠が移動したのであった。以下に説かれるように、学者や教師や学生たちが専門職人と共同して書物の流通システムを築き上げる場所は、今後は大学の内部ということになるであろう。
 ……(中略)……。
 13世紀の初頭以降、いや、すでに12世紀の末からでさえ、大学というものの出現とその発展が新しい種類の読者層を産み出していた。(p.78-79)


13世紀頃から「知的生活の本拠」が修道院から大学へと移行したという。書物を生産する産業は大学のある街で発展することが多かったようだが、修道院から大学への知的生活の本拠の移動はどうして起こったのだろうか?この点も気になってくる。

大学と修道院をめぐる歴史についても、今後機会があれば調べたい。



 ところで、13世紀の末から14世紀にかけて、ただ作品が朗読されるのに聞き入るだけではなく自分自身でも読書のできる人の数が増加するにおよんで、ある種の専門技能化がこの文学の分野にもおとずれる。これから先、作者は、自分の作品がどのような形で人々に迎えられるのかということを顧慮せず、ただ執筆し、あるいは編纂することに専心するのだ。
 しかし、そうした好条件を享受するための最上の方策は、あいかわらず文芸後援者に助力をあおぐことであった。国王あるいは大諸侯の一人が作品の献呈を受け入れ、豪華に仕立て上げた献本を喜んで手にしてくれるようなら、作者としては自分の労苦に対する物質的な報奨をほぼ確実に期待できるばかりでなく、さらに一歩進んで、自分の作品が世間の人びとからも好評をもって迎えられる絶好の機会を提供されたことにもなるのである。(p.90-91)


読者を想定する必要性が少なくなったというのは興味深いが、この必要性がなくなったわけではないだろう。

また、言論の内容も、こうした後援者の必要性によって規定される面があっただろう。政治的に見て貴族主義的で保守的な性格の文書が好まれる傾向が生じただろう。



 要するに製紙業と出版業とは密接な関係にあるのであって、一方の繁栄なくして他方の繁栄はありえないのである。西ヨーロッパにおける製紙工場と印刷工房の分布を各時代について比較してみれば、このことが確認できよう。印刷術が西洋を征服していく1475年から1560年にかけて、ヨーロッパが製紙工場で覆われるのも驚くにあたらない。(p.129)


産業間の関係を念頭におきながら工場などの分布をみていく、あるいは逆に工場の分布などから産業間の関係を抽出していくという考え方は参考になる。



 印刷産業が誕生した1450年頃、テクストはその性格と目的に応じて、非常に異なる書体で筆写されていた。その書体は四つに大別でき、各々が固有の用途を担っていたのである。
 まずは従来からの<スンマ書体> lettre de somme つまりスコラ学の著作に使われたゴチック書体であり、これは神学者や大学人になじみの書体といえる。
 次に<ミサ典書書体> lettre de missel〔<本文書体> lettre de forme ともいわれる〕だがこれはスンマ書体より大きく、直線と折れ線の組合せからなる書体であり、教会用の書物に用いられていた。
 さらに、各地の書記局は独自の伝統的書体を有していたが、その書記局で使用されていた草書体から派生したところの、<折衷ゴチック書体> gothique batarde がある。これは各国語による豪華写本の他に、ラテン語による物語作品にも用いられることがあった〔図版14〕。
 最後が一番新しく、しかも輝かしき将来を約束された、人文主義者(ユマニスト)の書体である。この<いにしえの書体> littera anitiqua はやがて<ローマン体> romain と名を変え、活字体の標準字体として西ヨーロッパのほとんどで取り入れられる。これは元来ペトラルカやそのライバルたちが、<カロリンガ小文字> minuscule caroline に想を得て流行させた書体であった。1450年頃この書体を用いていたのは、古典古代のテクストをなるべく元の姿(むしろ想定された元の姿と言うべきか)のまま再現し、その体裁においても古典と、伝統的な中世のテクストとの間に一線を画そうと願った、一握りの人文主義者や書物好きの大貴族だけであった。このローマン体の仲間には、<書記局書体> cancellaresche といわれる草書体を加えることができよう。ヴァチカンの尚書院で15世紀半ばに取り入れられたこの書体は、その後フィレンツェ、フェラーラ、ヴェネツィアの書記局にも広がり、やがて<イタリック体>がこの尚書院体から生れることになる。
 ……(中略)……。
 かくして実にさまざまな書体の手本が、黎明期の印刷技術者に示された。このため揺籃本のみならず16世紀初めの活字本において、使われた活字は非常にバラエティーに富んでいる。写本時代と同様、書物のジャンル――したがって読者層――と特定の活字とは、対応関係にあるのだ。学僧や大学人が読むスコラ学や教会法の書物などはスンマ書体、自国語で書かれた一般向けの物語作品は折衷書体、風格ある言語を愛する人びと向けのラテン語の古典やユマニストの著作はローマン体で、といった具合である。(p.208-211)


本書のうちで最も面白かった箇所の一つ。ローマン体が古典古代のテクストを忠実に再現しようとした人々に愛用されたことは、書体の精神的背景が書体に反映していると思われ、特に興味深い。

ちなみに、コンピュータで文章を書く時代になると、書体の持つ意味は大きく変わっていると思われる。



 要するにまず各地の字体が統一され、次いで前述の四大書体の間での淘汰がすすみ、結局はローマン体という唯一の字体が、イタリア・フランス・スイスの一部・スペイン・イギリスというヨーロッパのほぼ全域で勝利を収めたのである。
 このローマン体の勝利とは、ユマニスム精神の勝利の体現にほかならず、その歴史は書体なるものの歩みをみごとに象徴しているのだから、この征服の経緯を辿ることは決して無駄足ではない。
 すでに述べたようにローマン体を流行させたのは、ペトラルカやニッコロ・ニッコーリなど、イタリアのユマニストの小グループであった〔図版15〕。彼らは古典の筆写を行うに当たって、その写本に原典となるべく似た外観を持たせたいと望んだ。(彼らユマニストは当時の知識人の例にもれず、古典の筆写に傾注する素晴らしい能書家なのだった)。つまりかのレオン=バッティスタ・アルベルティが、従来の中世建築の装飾を「野蛮な(ゴチック)」と評したのと同じく、中世のテクストの見てくれを「野蛮な(ゴチック)」書き方と名づけて嘲弄し、これとは別の書体を欲したのである。(p.213-214)


前の引用文と同様。



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峰崎山 『台湾旅行プロ・ガイドも気がつかなかった観光・ビジネス裏事情』
これはタイトルと内容に相違がある本だと思う。残念ながら本書を読んでも台湾のことはあまりわからないと思う。

 したがって、狭い国土に引きこもることなくどんどん海外へ飛び出す結果がこの数字になっているのである。
 その一例が台湾総督第四代就任の児玉源太郎(日露戦争時の陸軍大将、同時代には山形有朋、大山巌、乃木希輔)が招聘した後藤新平がいる。後藤は、東京都の今の道幅を作った人であるが、当時では、道路幅が広すぎると大反対があったとのことである。それが、今では、道路幅が狭すぎる状況である。
 この後藤新平が台北の今の都市計画、下水道を日本国内よりも早く作った。
この様に島国根性とは、如何に多くの国外からの知識を吸収することができるか、出来ないかが大きな違いとなってくる。
 その面から言えば、先に述べた様に2007年において、日本は漸く1億2700万人口の14%の1730万人が海外に出かけたのに比べて、台湾人は年間900万人近い人数、人口の約37%が毎年商務、観光、その他の事情を含めて海外に出かけている。その分、自国との違いを肌で感じてくる。
 大企業においては従業員の5分の1近くが博士号を持っている。国会議員においては、大部分が博士号を持っているといわれているほどの高学歴の国民である。(p.16)


後藤新平による台北と東京の都市計画には興味がある。

国外に出ることで、自国との違いを肌で感じられるというのはその通りで、それによって自らの住む地域の特性などに気付くことは多い。



 台湾人から見ると、日本は台湾の領有権を放棄したのであって、返還したのではないということが、今の台湾住民の国際法上の法律根拠として独立主張の一つとなっている。その背景には、台湾の主権問題として、400年前から福建省沿岸地区を中心として、台湾に移住して来た人びとにとって、自分達を支配していた政権は、明朝政府、清朝政府からも具体的に実効支配された事はない。(p.18)


本書の記述の水準からして、記述の内容の信憑性はあまりないが、前段の部分の真偽は知りたいところ。台湾が大陸の王朝から実効支配されたことがなかったというのは妥当だろう。



 護国神社は日本の台湾統治時代には、台湾の各都市に建設された。そして、中華民国政府は(昭和16年12月8日に日本は太平洋戦争に突入最後は昭和20年8月15日のポツダム宣言無条件受諾となる)戦後、護国神社のあるところは、国民党軍が自国の英霊を祭る忠烈祠を護国神社の神殿の上に覆いかぶさる様に祭った。端的に日本の神社の面影を残している場所としては、台北近郊の淡水ゴルフ場脇と桃園国際空港から50キロほど南に下った新竹の忠烈祠がある。
 ……(中略)……。特に台北郊外北側にある淡水ゴルフ場近くの忠烈祠は、いまでも、往時の日本神社そのものが一目で分かる跡を色濃く残している。(p.63-64)


護国神社と忠烈祠のこうした関係は旅行ガイドブックを見ているだけでも見えてくるものである。

私が見てきたかぎりでは、台湾の人びとには神社も忠烈祠も、いずれも浸透していない。

淡水の忠烈祠は見てみたい。



 更に、車の様な超大型ごみになると、日本の陸運局に当たる機関に連絡をすれば回収業者を派遣してくれる。その回収には、日本と逆で大体2000ccクラスだと日本円で1万5000円前後の廃車奨励金が戻ってくる。更に、回収費用も無料というより逆に廃車代金をくれる。その考え方は、環境破壊につながる古い車を良くぞ廃車してくれたという意味である。(p.94)


参考になる考え方。



 初めて私が台湾の地を踏んだ時直面した光景は、住居の窓という窓すべてに精神病院の鉄格子以上に丈夫な、まるで、警察の拘置所の様な鉄格子がはまっているのを目にした。……(中略)……。
 ……(中略)……。この鉄格子の習慣は、1896年から1945年までの日本統治時代には見られなかったもので、その後、蒋介石総統率いる国民党とその軍隊、共産党から逃れてきた外省人達、約200万人の人たちが台湾にどっと押し寄せてきてから途端に治安が悪くなった。特に、昭和22年2月28日に発生した、いわゆる、228事件から30数年続いた戒厳令の生活下では、泥棒も刑法ではなくて、軍事法で裁かれるので、即刻死刑が多かった。そうなると、泥棒も、侵入先の住民に発覚され捕まると死刑になる危険があるので、勢い、押し込み強盗殺人となるケースが多発した。その様な凶暴な事件が発生した事をきっかけに、住居に鉄格子を入れる習慣が始った。(p.132)


鉄格子と政治変動に伴う治安の変化。



 参考……台湾の商店の間口は一軒間口が多い。その理由は、不動産の取得価格である。道路に面して横に間口が広いとその分、商売が出来るチャンスが多いが逆に土地代金も高い。故に間口を狭くして、奥行きを深くとっている。道路面より奥に行くほど土地も安くなるとの道理からである。
 逆に似た様な町として、京都が上げられる。京都は間口によって当時の租税率が違ってきたからと伝えられている。(p.162)


土地代金と租税率という違いはあるが、やはり同じような理由だったという事がわかり参考になった。私自身が予想していた範囲内の理由であった。


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野口雅弘 『官僚制批判の論理と心理 デモクラシーの友と敵』

 ウェーバーの著作においてはしばしば、宗教について語られるときに、その政治的な意味が検討され、また支配について論じられているときに、その宗教的な起源が問われる。つまり、宗教社会学は支配の社会学と相互に密接に関連しているのである。だから、13世紀の聖フランチェスコに向ける彼のまなざしが、社会民主党を論じるミヘルスのまなざしと重なるのも不思議ではない。(p.43-44)


興味深い指摘。



 官僚主導体制は、そのパターナリズム(父権的温情主義)によって保護された人びとの「政治的未成熟」を育んでしまう。複数の選択肢を提示し、それらをめぐって開かれた場で議論を戦わせ、そうして悩みつつも一つの共同的な決定をしていくというデモクラシーの経験が、こうした官僚国家においては欠落してしまう。そしてこの「未成熟」が官僚主導体制を強化し、「お上意識」的な政治文化を培うことになる。したがって、このような状況にあっては、デモクラシーと官僚制の対抗関係について論じ、前者を支えるために「政治主導」を唱えることには大きな意味があるし、これがウェーバーの政治論の一つのキーノート(基調)である。
 しかし、デモクラシーを掲げて官僚制と戦い続ければ、最後にはデモクラシーが完勝する、とはいわないまでも、なんとかデモクラシーを守れる、という単線的な図式には問題がある。聖フランチェスコの教団がその発展の過程で新たな階層構造を生み出してしまったのは、内部の人びとが「堕落」してしまったからというよりも、信仰の条件としての教団を維持する必要からであった。デモクラシーにおいても、構成員を平等に扱うための条件を創出し、維持するには、そのための制度や組織(官僚制)が不可欠なのである。
 ウェーバーは、ミヘルスのようにデモクラシーの名のもとで官僚制と戦い、その戦闘において最終的な勝利をかちとろうとはしない。そして、デモクラシーの運動のなかに官僚制化の傾向を見いだし、そのせいで絶望することもない。そうではなくて、デモクラシーと官僚制の関係にジレンマを確認し、その緊張関係を直視することを求めるのである。(p.45-46)


官僚制的な機構がある程度以上の規模の統治には常に必要になるという基本的な事実を認めることから問題の解決策を考えなければならない。ウェーバーのように緊張関係に耐えることは、「強い個人」を仮定することになるため、すべての人に共有することはできないかもしれない。しかし、社会のエリートやそれに近い高等教育を十分に受けた人々の間では、こうした了解が形成されていることが望ましいように思われる。そして、マスメディアなどにもこうした人々の見解が反映されるような社会であってほしい。



 トクヴィルによれば、境遇の不平等が自明とされる社会にあっては、格差や特権は問題にされることはない。しかし、民主化へと歩み出すと、格差や特権への憎悪は民主化の進展につれて激しくなる。こうした過程において、差異が意識されるようになり、以前の時代と比べればごくわずかな格差に対しても、激しい憎悪が沸き立つことになる。
 ……(中略)……。
 デモクラシーの時代には、不平等や格差、あるいは特権や既得権益へのネガティヴな情念が強くなる。こうした情念は、平等な、したがって均質で、ムラのない、標準化された取り扱いを要求することになり、こうした傾向のなかで中央政府が強大化し、そこにおける画一的な行政が進展するというわけである。(p.47-48)


トクヴィルの議論を用いて民主化と官僚制の関係の一面を描き出している。特権や既得権益などへの憎悪が形式的な平等性を求めることになるが、行政の手続き的な性格は適合的である。

デモクラシーの体制の社会では格差や不平等への憎悪が助長するという指摘はたしかにそうなのだろう。この理由はデモクラシーの社会における「共通善」からも説明できると思われる



 デモクラシーは自らの内から官僚制を呼び寄せながら、しかし同時に官僚制とぶつかり、それを憎む。平等な取り扱いは標準化を必要とし、こうした必要性は官僚制的な機構を組み上げるが、エリート支配と硬直した画一主義はデモクラシーの敵として現れる。このような絡み合いを確認するならば、ここでも単純にデモクラシーを掲げて官僚制を叩けばよいという議論がうまくいくわけがないことが明らかとなる。こうした形式で議論を進めるかぎり、私たちはどこにも到達できないだろう。(p.50)


官僚制というより公務員へのバッシングが盛んなわけだが、その種の議論では「どこにも到達できない」という指摘は妥当である。日本における公務員バッシングでは、ここで述べられているようなデモクラシーとの関連だけでなく、財政的な損失の押し付け合いという政治闘争の意味合いも帯びている面があるが、いずれにしてもその種の考え方が現実を打開する方策を示すことはないだろう。



 それに加えて、ウェーバーの著作には独自の問題圏があり、また彼なりの用語法を使うことも多いので、「ウェーバー研究」は自律化しやすく、たとえばホッブズやモンテスキューといった政治思想史の連関からは切り離されてしまいがちである。しかし、一般に思われている以上に、ウェーバーと政治思想史とのつながりは深い。そのように明言はないものの、とくにフランスの思想家から彼は多くを学んでいる。
 たとえば彼がトクヴィルを読んでおり、そのうえでアメリカにおける自発的なアソシエーションの活動に注目する視点を引き継いでいることは、ほぼ間違いない。ウェーバーはすべての人が自動的に加入するようなカソリック教会(「キルヒェ」)型の類型に対して、自発的に、そして一定の資格審査を経て加入が許される教派(「ゼクテ」)型の類型を対置しているが、後者はトクヴィル的な意味でのアソシエーションとほぼ同じである。(p.58-59)


興味深い指摘。政治思想史や政治哲学に関心が出てきているので、とりわけ興味を引かれた箇所。



 「危機」が到来しないためには、二つのことが必要とされる。一つは、経済政策などの分野において、庶民感覚によって左右されない自律的な「システム」の領域を確保することである。「システム」が人びとの日常感覚から自律したロジックで作動し、したがって人びとの素人的な「民意」あるいは「動機づけ」からは隔絶された専門知によって制御されるべきと考えられるならば、それに対する不満はかなりのところ封じることができる。(p.76)


ハーバーマスの言う「後期資本主義」(ケインズ主義的な財政政策や福祉政策を行なう政府が存在する経済社会)では、市場原理が貫徹されず、経済が「政治化」することとなるため、「正当化の危機」が不可避であるとされる。それを避けることができる条件の一つ。

ここでの主張は昨今の政治談義において「庶民感覚」や「民意」が単に重視されるというレベルではなく、橋下徹大阪市長や小泉元首相のような「カリスマ的なリーダー」によって至高のものとして扱われていることと関係がある。彼らのようなリーダーの人気の源泉の一つは、現在の日本を含めた諸国の政治において「自律したシステム」が確保できなくなっていることがあげられるだろう。こうして生じた不満を救い上げることができた人が「カリスマ的リーダー」となり、彼らは彼らの権力の源泉として「庶民感覚」や「民意」を活用するからである。



 もちろん、すでに言及したハーバーマスや松下圭一は、新自由主義とはまったく関係なく、むしろそれには批判的な論者である。それにもかかわらず、彼らが切り開いた、デモクラシーを根拠とするテクノクラート、あるいは官僚制への批判は、ある点までは新自由主義的な議論と共鳴することになる。
 ……(中略)……。中央集権的な「官僚主導」を批判する点で、個人の主体性を強調する論者も、市民社会の理論家も、新自由主義者も、あるいはポスト・モダン系の論者も、共闘することができたのである。
 ……(中略)……。
 ただ、この結合は、新自由主義に有利な仕方で進行することになる。……(中略)……。
 ただし、こうした「より多くのデモクラシーを」という方向性は、正当性を官僚や専門家の手から奪い取って、人びとに手渡すことについては同意ができても、彼らに頼らずに、一体どのようなかたちで、どのような正当性を形成するかについては、「内紛」を起こすことになる。後期資本主義における行政が、形式合理性では割り切れず、何らかの、そしてさまざまな実質合理性の要求を受け入れ、そうした諸合理性間のバランスをとらなければならないとすれば、そこに一義的で、すっきりした決定を期待することは、そもそも無理な注文である。(p.88-90)


さまざまな論調が中央集権的な官僚主導を批判する点では共闘できるが、この共闘は、新自由主義にとって最も有利であるという指摘には同意見である。以前に書いたことだが、私自身が官僚批判を表立って書かないようにした理由もまさにこの点にあった。

官僚制を批判したり、公務員バッシングをしても、それに代わる積極的な方策については議論が分かれるし、どの議論に沿っても容易にうまくはいかないものである。現実の複雑さを弁えてすっきりした解答を求めないことも必要だとする指摘には共感できる。ただ、一般大衆にこの主張が受けるかどうかは別問題だとも思う。



 マイケル・サンデル(1953~)のような現代のアリストテレス主義者は、リベラリズムの中立性の原則を批判しつつ、価値に関わる論争に積極的にコミットすることを求める。「共約不可能性」という前提のもと、価値の衝突を回避して、平和的に共存することが自明視されると、それぞれのオピニオンを吟味し、つき合わせ、その選択の前で真剣に考えることがなくなってしまうというのである。これは正しく、重要な指摘である。
 しかし、諸価値が混迷する状況で、そうした「試み」は必要ではあっても、そう簡単なことではない。(p.92)


「共約不可能性」という科学哲学のタームも、リベラリズムの中立性の原則と相性が良いようだ。いずれも具体的な諸価値の間における比較衡量を回避する枠組みを要求する。



少数の人びとによって閉じられた扉のうしろでおこなわれる官房政治は、今や、そのこと自体で悪しきものと見られ、その結果、政治生活の公開性は、それが公開であることだけですでに正しく良きものであると見られるのである。(p.93)


カール・シュミットを引用した部分(孫引き)。この発想も現代日本に見られるものであると思う。例えば、官僚制以外にも自民党の「派閥」などに対しても似たような発想から、「派閥」という言葉自体に(本来は含まれていない)否定的評価が含まれるようになっていることなども、これと同様だろう。



 カリスマ的な指導者が注目されるのは、こうした文脈である。官僚制の「鉄の檻」が強固であればあるほど、これに対抗する強い政治指導が求められる。そして、官僚制が悪いとされればされるほど、カリスマ的な指導者がカリスマ的に、つまり官僚制的な合理性からすれば「非合理」に振舞うことが正当化される。したがって、さまざまな領域で「管理社会」とその「疎外」が問題化されるような時代には、カリスマへの期待が高まることになる。
 「ウェーバーとニーチェ」という問題圏も、こうした官僚制vs.カリスマという構図と深く関係している。日本においてこの問題圏を切り開いてきた山之内靖(1933~)の関心が、この「ウェーバーとニーチェ」と同時に、「総力戦体制」であったことは、けっして偶然ではない。大戦中に形成された動員体制が「戦後」にも継続していくという連続説は、こうして継続する「檻」を攪乱する何か――それを「ニーチェ的」と呼ぶかどうかはともかく――への期待を高めるのである。(p.103)


官僚制というか行政を悪であるとする情念とカリスマ的指導者を求め、無批判的に受け入れようとする心理とは結びついている。「ウェーバーとニーチェ」という問題圏がこうした意味空間に位置づけられるという指摘は興味深い。



 硬直化した官僚制に対して、カリスマ的なリーダーが戦いをいどむという議論の構図には、いまひとつの問題がある。それは、政治リーダーの側の「決定の負荷」という問題である。「鉄の檻」のメタファーとも関係するが、多くの場合において「官僚制化」にはネガティヴな評価がつきまとう。したがって、なるべく官僚制化しないようにすること、あるいは「政治主導」の方向に向かうことに、おのずから肯定的な評価が付けられることになる。しかし、見逃してはならないのは、「官僚制化」には政治的な決定の領域を「縮減」する機能があるということである。
 逆にいえば、「脱官僚」は、政治的な決定作成の幅を押し広げる。したがってそれは、その分だけ何らかの仕方で決断し、しかもその決定内容について説明責任を果たす重荷を抱え込むことを意味する。しかし「脱官僚」のスローガンには、多くの場合、これらの決断とそれへの説明責任への準備が含まれていない。(p.113)


この説明責任を果たす場合でも、適切な政策は現代社会の複雑に絡み合った諸関係の調整を必要とするものが多いから、これに対する説明は人びとが求めるような単純明快な説明にはならず、人びとがしてほしい説明を提供することはできないため、人びとの支持を得られない。説明を十分にしなければ説明を求める要求が高まり支持を得られない。支持を得られる説明をする場合、新自由主義のプログラムのような政策をとらざるを得ず、適切な政策がとれないから支配者は短期間、人びとの支持を得られるかもしれないが、実際に社会に存在する問題を解決することはできない。こうして八方ふさがりになっているというのが、現代日本の政治状況であろう。

「脱官僚」や「政治主導」を標榜しても、現実に問題を解決する政策、人々の支持を得られる説明、そして、政策を決定したとおりに忠実に実行する手段の3つが揃わない限り、そうしたスローガンは企画倒れになるだろう。



 ただ、本書がここで強調しておきたいのは、こうした状況において、新自由主義的な方向性をもつ政治リーダーが有利な位置を占めるということである。諸々のうまく説明の付きにくい公行政の諸事業をバランスに留意しながら維持していこうとするならば、その説明はとても苦しいものになる。そこには、ほころびと曖昧さが残ることになる。これに対して、公行政が担ってきた諸事業を全廃する方向で「戦う」ならば、政治姿勢の一貫性と強さをアピールすることができる。
 あるいは逆に、強いリーダーシップやブレのない一貫性を求める政治家は、新自由主義に引き寄せられるともいえる。今日、そうしたタイプの政治家であろうとするならば、対外的にはタカ派で、対内的には「小さな政府」を唱えるというのが、もっとも無理がない。こうすれば、決定の負荷を縮減し、筋を通しやすい。政策内容が政治家のキャラクターを規定するだけでなく、政治家のイメージが新自由主義的な政策を呼び寄せもする。ここには、お互いがお互いを引き付けあうような関係性の磁場がある。原理や強さを求めるタイプの政治家と新自由主義的な政策の間には、必然的な結びつきはない。それでも、両者の間には一定の選択的親和性が確認できるのである。
 近縁の政治家には「政治哲学」がないとか、芯がないのでブレてしまって情けないとの嘆きを聞くことがあるし、その通りかもしれないと思うこともある。しかし、政治家には芯の通った信念が必要だという一般論的な願望が、今日の状況においては、官僚や官僚制を批判し、「小さな政府」を唱える新自由主義にきわめて有利に働くということも見逃されてはならない。そうではない立場をとろうとすると、財源の問題に直面せざるをえず、またわかりやすい「公平性」では割り切れない、さまざまな「介入」に対して説明が求められ、試行錯誤を繰り返さざるをえないという傾向にある。ここに、批判を受ける余地が広がる。しかし、「後期資本主義国家」において、行政は原理的に割り切れない、パッチワーク的な構築物たらざるをえない。したがって恒常的な議論と微調整が、そしてそれゆえのブレがどうしても出てきてしまう。私たちに求められているのは、こうしたゴタゴタの不可避性に対する認識と、それゆえの我慢強さではないか。(p.115-117)


強いリーダーシップを求める世論と新自由主義的な政策との親和性について見事に指摘している。



違う表現をすれば、官僚制が否定的にとらえられる度合いに応じて、カリスマ側の問題は問われなくなるという力学が働く。
 しかし、官僚制はもはや「鉄の檻」ではない。社会のキーワードは「規律化」から「フレキシビリティ」へと移行している。そうであるとすれば、官僚制バッシングをともなった強い政治的リーダーシップを期待するという議論は、もはやそのままでは継続できないのではないか。(p.121)


「官僚制バッシング」(公務員バッシングないし官僚への非難)は不適切な行為である。むしろ、その機構をフレキシブルなものに組み替えていく地道な度量が求められる、ということだろう。

私自身、もう10年近く前に書いた行政批判の文章で、「プラグマティックな行政」を目指すべきだと書いたことがあったことを思い出した。

いずれにしても公務員バッシングと強いリーダーシップを求める論調は、現在の問題を解決するためには的外れであり、そのような程度の低い議論からは早急に卒業することが求められる。


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牧野雅彦 『新書で名著をモノにする 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』』

 ルターの聖書翻訳をめぐる長い註(RS.65-69,O.101-109,K.139-146,NK.139-142)については羽入辰郎『マックス・ヴェーバーの犯罪』が、そこで引用している「ルター聖書」がルター自身の訳ではなく後に流布していた「現代版」であること、もともとのルター訳では当該箇所(コリント前書7・20)はベルーフと訳されていなかったことを明らかにしています。……(中略)……。
 「倫理」論文全体の文脈で見るならば、この註記におけるルターの聖書翻訳の論点それ自体は立証されなくとも、ルターではなくルター派において「ベルーフ」の訳語と職業義務という思想が定着していったと理解すれば本文の論旨自体は生かすことができます。(p.63-64)


同意見である。羽入の批判は細部を取り上げているが、そこでの誤りを「犯罪」に仕立て上げようと努力するが、その立論に無理があるだけでなく、ウェーバーの議論全体を否定したかのような姿勢が垣間見えるが、全体の文脈から見れば、そうした批判にはなっておらず、羽入の批判に対して反論が多々なされるのも、単にウェーバーが一部で「知の巨人」として偶像崇拝されているからではなく、そうしたところに理由の一つがあると思われる。



 カルヴィニズムとカトリックの平信徒との対比のこの箇所でカトリックの倫理を「心情倫理」としているのは改訂による付加ですが(RS.113,O.191,K.212,NK.259)、これは誤解を生みかねない表現です。もともと「心情倫理」(Gesinnungsethik)というのは第一次大戦前の『宗教社会学』に出てくる概念で、「救われている」という心の状態を重視し、そうした状態をもたらすように意識的に自己を組織していく救済方法を示すものとして用いられています。これは本文で述べた「神の容器」と「神の道具」という両方の「心の状態」を含んでいて、そうした「心の状態」の組織の首尾一貫した方法が「心情倫理」、その典型の一つがプロテスタンティズムということになります。ところが第一次大戦後の『職業としての政治』で、結果に対する責任を重視する「責任倫理」と対比されるようになると、「心情倫理」はもっぱら否定的な意味合いを帯びてきます。ここでの付加は明らかに『職業としての政治』での「心情倫理」の用い方と重なっていますが、そうした文脈ではプロテスタンティズムはむしろ結果を重視する「責任倫理」に近いということになり、「心の状態」の組織の方法としての「心情倫理」とは齟齬することになるからです。(p.75)


「心情倫理」という用語の用法や意味合いがウェーバーのテクストの中でも変化しているという指摘は興味深い。この概念は『職業としての政治』における用法の方が有名で一般に流布しているから、『宗教社会学』では用法が異なるという指摘は参考になった。



 宗教的な興奮が醒めた後に残されたのはパリサイ的な「疚しくない良心」であったというのです。……(中略)……。
 ここで注意すべきは、プロテスタント的禁欲から出てくる「資本主義の精神」というものが、宗教的信仰や倫理的感覚のたんなる希薄化、功利主義化ではないということです。「パリサイ的」という形容は新約聖書の中でイエスに対立するユダヤ人たちに由来しています。彼らパリサイ派の人々はユダヤの律法を楯にイエスを陥れようとします。彼らの告発のためにイエスは十字架に架けられることになったのでした。ここから「パリサイ人」あるいは「パリサイの徒」というのは規則の詳細にこだわり、それに則ってさえいればよしとする偽善者を指して用いられるようになります。(p.84-86)


パリサイ的な考え方というのは、サンデルの言うリベラリズムと共通する面があるように思われた。正義の原理が善に優先するという考え方は、形式合理的な発想であり、実質合理的な観点から見ると「偽善」と判断されることになる。



 すでに註記したように、第一次大戦前に書かれた『宗教社会学』で定義される「心情倫理」は、大戦後の講演『職業としての政治』において「心情倫理」と「責任倫理」というかたちで対比される場合とは意味合いが異なっています。禁欲的プロテスタンティズムを典型とする「罪の内面化」(ニーチェのいう「良心」)に焦点を合わせた倫理的生活態度という『宗教社会学』の定義の文脈では、「心情倫理」に「信念倫理」や「信条倫理」という訳語を当てるのは不適、あえていえば誤訳ということになります。(p.125)



Gesinnungsethikの訳語については、野口雅弘「信条倫理化する<保守> ウェーバーとマンハイムを手がかりにして」(『現代思想 総特集 マックス・ウェーバー』(2007年11月臨時増刊)所収)では、「心情倫理」より「信条倫理」の方が適当だとする主張があり、私もそれを読んでから「信条倫理」という訳語を使うことが増えていたが、本書の指摘を読むと『宗教社会学』での用語法まで踏まえると、やはり「心情倫理」の方が安全かもしれない、とも思えてきた。



 いいかえればウェーバーをどう読むかは、近代世界に対する立場の取り方によって変わってくる、その意味において「倫理」論文を読むことは、いわば近代世界そのものを読む――われわれの内にある近代理解を明らかにする――作業でもあるのです。(p.174)


同感である。ウェーバー研究の動向をサーヴェイすることは、読む者の立場の取り方と読み方との関係を見えやすくするためにも必要なことであると思われる。

私自身はウェーバーをどう読んでいるのだろうか?一番多く読んでいた頃と、現在では立ち位置が変わっているので、自分でもよくわからないところがある。少し落ち着いたらウェーバーのテクストとウェーバーの研究書を読む予定なので、その際に、再確認してみたいと思う。



 キリスト教信仰にかぎらずおよそ宗教など非合理な時代遅れの産物であって、もはやわれわれに無縁であるということは簡単かもしれません。だが、そうした信仰の支えなしですますことができるほどわれわれは確かな足場の上にいるわけではない。民主主義であれ、平等であれ、人権であれ、キリスト教の信仰にとってかわる説得力ある根拠を、われわれは見いだしているわけではない。……(中略)……。いずれにせよ、そうした遺産を過ぎ去ったものとして笑い飛ばすことができるほどわれわれは進歩しているわけではない、ということを今一度考えてみる必要があるのではないでしょうか。(p.180-181)


このあたりの主張はサンデルの主張とも重なるところがあり興味深い。先日読んだ柄谷行人のテクストにも同じような方向性の主張が見えたが、政治や社会をめぐる言説のパラダイムは変わりつつあるということが感じられる。


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