アヴェスターにはこう書いている?
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中川喜直 『もうひとつのスキー発祥の地 <おたる地獄坂>』

 小樽は気候風土や地理的にもスキーに適した環境にあったことから、その後スキーのメッカとして発展していくことになるが、その源流にはレルヒのアルペンスキー術があった。娯楽の少ない時代、豊富な粉雪が積り町中至るところが坂道で経済的に恵まれた商人の町にスキーヤーが増えるのは当然だった。大正時代、北のウォール街として経済が著しく発展しこの地でスキー術は隆盛を極める。(p.5-6)


地理的・地形的要因だけではなく、スキーがヨーロッパからもたらされた時期にちょうど経済が急速に発展していたことが、小樽でスキーが急速に広まり、盛んになった背景となっていることがわかったのが、本書からの収穫の一つだった。



 午後七時に越中屋の食堂で食卓を囲み団欒が始まった。レルヒは不公平に耐えられぬ日本旅館の外国人への暴利について苦言を呈した。「友達の日本人軍人と同じ部屋で同じものを食べて私は四円、友達は二円、私はなぜ四円払わなければならないのか」と問われ、奥谷はその言葉に恥を感じると同時に憤慨したが成すすべがなかった。(p.23)


これは明治45年(1912年)のことであり、今からほぼ100年前のことである。外国人料金というのは、今でも外国(いわゆる発展途上国や新興国と呼ばれるような地域)の観光地などに行くとしばしばお目にかかる。レルヒの問いに答えると、日本政府が外貨を必要としていたから、というところだろうか。



一方、欧州では早くから軍事にスキーが利用されており、日本においても軍部による普及発展が積極的に行われてきた。昭和十二年から始まった日中戦争によって国民の体力錬成、体位向上に視点が向けられ、スキーが冬季の体力維持及び増進に適する格好の鍛錬手段として認知されるようになり、第一回スキー指導者検定講習会を厚生省の後援で開催することになった。(p.76)


スポーツの歴史的な側面の一つ。


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佐藤圭樹 編集 『小樽散歩案内 新版』

 近年では春から秋のあいだの毎週月曜日に限り、小樽港を発着する大型フェリーを、あえて駅前から見える第三埠頭に停泊させることも行われている。「港町小樽」を印象付けようとの演出だ。(p.20)


細かな演出が考えられていることに感心したが、なぜ月曜日なのかは疑問。観光客が少ない曜日のように思うからである。むしろ金曜日の夜などに見えるようにしておけば、土曜日だけの日帰り客の一部を金曜日の夜からの滞在型へと移行させることもできるのではないか、という気がする。



「色内一帯は『北のウォール街』と呼ばれた……』というお決まりのフレーズだが、結局のところほとんどマスコミや、文献の執筆者たちによって“呼ばれた”だけのようで、少なくとも一般市民のあいだで、そんな呼称はまったく使われていないのだ(当たり前だが)。(p.37)


そこに住む人々の感覚と宣伝しようとする人たちとの間にはズレがある。この指摘は重要であるように思われる。



 日銀の小樽進出は明治26(1893)年4月にさかのぼる。当初は札幌出張所に所属の《派出所》扱いだったが、明治39年には札幌出張所を廃止、同時にそれまで函館にあった支店を出張所に降格させ、小樽が支店へと格上げされた。大阪、西部(北九州)、名古屋と並ぶ4つ目の支店となる“大抜擢”で、この時代の小樽という街の重要性が伺える。(p.38)


明治39年といえば、1906年であり、ちょうど日露戦争が終結した翌年にあたる。樺太の南半分を領土とし、そこへの中継点として小樽が位置づけられていく時期にあたり、日銀の進出もそうした社会的背景があると思われる。

小樽という街がいかに日露戦争と関係が深いかということを示すエピソードであるように思われる。

ちなみに、現在の日本銀行旧小樽支店(辰野金吾の設計した建築として知られる)が建てられたのは、明治45年であり、支店がおかれた6年後のことであり、現在に残る建築家らも当時の位置づけの高さを見てとることができ、興味深い。



 小樽駅裏手の高台に広がる富岡は、明治30年頃から宅地の造成が始まった住宅地だ。榎本武揚の所有地を管理する《北辰社》(→P25)が一帯の開発・造成を進めた結果、明治末から大正時代にかけて実業家がこぞって邸宅を構え、お屋敷町を形成した。
 現在の富岡にその時代から残る邸宅はほとんどないが、一帯には今も立派な構えの家が目立ち、高級住宅地の雰囲気を残している。大きな敷地を生かしてマンションが建ったところも少なくはないが、それでも街並みのあちこちに残る立派な石垣(→P70)にかつての屋敷町の名残を見ることができる。(p.72)


船見坂が火防線として切り開かれたことが富岡が住宅地となる一つの契機となったという。駅の裏手はかなり急な山になっているので、商業地にはなりえず、地理的な条件からしてもやはり住宅地になるべくしてなったと言えそうである。

現在残る歴史的建造物としては旧遠藤又兵衛邸がある。これは明治35年竣工の邸宅であり、まさに宅地の造成が始まった時期に建てられたことがわかる。

マンションや石垣が屋敷町の名残というのは、今後、都市を読み解いていく際に参考になりうると思われる。


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柄谷行人、小嵐九八郎 『柄谷行人 政治を語る』(その2)

 たとえば、「意味という病」というエッセイ(1972年)は、マクベス論なのですが、連合赤軍の事件を念頭において書いたものです。しかし、これは60年代の初めから考えていたことなのです。先にもいったように、安保闘争のあとに、「マルクス主義は終わった」という合唱があった。70年以後も、歴史に目的はない、意味はない、という声が出てきた。80年代には、それがポストモダニズムとして風靡した。そして、90年代には、それが常識となった。しかし、そうはいかないんですよ。「意味という病」は片づかない。現に、宗教的原理主義があるでしょう。今後にも、「意味」にとりつかれた人たちが出てくるに決まっています。(p.49)


意味という病は片付かないというのは妥当な認識であり、サンデルの共通善の政治学が主張するリベラリズムの中立性の理想への批判とも通じるものがある。

なお、柄谷が同様の認識を示している箇所としては、

理念を必要とする時代は全然終わっていないのです。(p.70)



という件もある。



 この時期の「現代思想ブーム」は、アメリカでもそうだったのですが、フランスの哲学のブームです。なぜそれが流行したのか。いまはこう思う。フランスの現代思想は、一種の政治的挫折のあらわれだったのではないか。現実にできないから、観念において革命を起こそうというものではなかったか。1968年パリの五月革命で、便所に書かれた落書で、「想像力が権力をとる」というスローガンが有名になったのですが、むしろ、想像力が権力をとったのは、五月革命が敗れたあとです。
 どういう想像力か?文学ではない。文学にはもう力がなかった。その逆に、哲学が文学に近づいたのです。それはデリダをみればわかります。……(中略)……。すでに、戦前のハイデガーがそうでした。彼は詩を哲学よりも根底的だとみなしたわけです。しかし、彼がそうしたのは、ナチに参加して、それに失望したあとからだと思います。本当の革命は、ナチ的政治ではなく、文学にしかない、と考えたのでしょう。
 このように、政治的な挫折・不可能性から、文学に向かうのは、別に珍しいことではありません。その場合、言葉の力に頼る、ということになるのです。……(中略)……。
 しかし、これはドイツ観念論の場合もそうだったのです。18世紀末に、イギリスには発達した資本主義があり、フランスには政治的なブルジョア革命があったけど、ドイツには何もなかった。彼らにできたのは、観念的な革命です。これは半端なものではなかった。実際、ドイツの観念論はそれ以後、哲学的な革命のモデルになりました。いまだに、われわれは、カント、フィヒテ、ヘーゲル、マルクスといった哲学史を、反復しているのですから。
 政治的な挫折と無力から、観念論的革命に向かう例は、ほかならぬ日本にあります。京都学派がそうです。……(中略)……。
 じつは、フランスでは戦後に、ドイツのハイデガーを導入するとともに、ドイツ観念論を導入した。ドイツは戦争に負けたが、哲学的には戦後のフランスを占領したのです。ドイツの哲学の言語やスタイルが、旧来のフランス的な哲学・文学(ヴァレリーに代表される)にとって代わった。日本に入ってきた、フランスの「現代思想」はそういう背景をもっていたのです。だから、案外、日本の過去の言説と親和性がある。
 とにかく、こういう思想が流行るときは、現実の政治的な挫折がある。いくら政治的にみえても、その根本に無力感がある。実際、米ソの冷戦構造のなかでは、それを超える可能性はない。ゆえに、それを思弁的な想像力に求めることになる。だから、哲学であれ、何であれ、それは文学的なものになります。日本でも70年以後、吉本隆明が優位になったのはそのせいですね。(p.58-60)


すべてを鵜呑みにはできないが、参考になる認識が含まれている。政治的挫折から文学的な想像力を持つ哲学による観念的革命への志向が生じるというのは、参考になるし、ここで指摘されている思想家たちには、そうした志向があるのは確かだとは思うが、社会的な背景の説明にはやや不満がある。

冷戦構造への挫折としてフランス現代思想が流行するとすれば、それは冷戦構造が始まった時点から形成されなければならない。しかし、実際にはマルクス主義への信頼がなくなった後になってから流行し始めている。そのあたりの説明が欠けている。

ドイツ観念論についてもイギリス、フランスとの比較でざっくりと語るだけでは、なぜドイツなのかという説明にはならない。イタリアやスペインではなくドイツであった理由は何なのか?そのあたりの背景の説明が不足していると考える。



 だから、91年にソ連が現実に崩壊してみて初めて気づいたのは、むしろ、ソ連の存在に依存していたということです。ソ連の崩壊で旧左翼が致命的な打撃を受けたといわれました。しかし、本当は、致命的な打撃を受けたのは新左翼ではないだろうか。というのは、これまで、新左翼はソ連や旧左翼を批判していればよかった。西洋形而上学の脱構築とか、観念的な議論をしていればよかった。つまり、新左翼は、ソ連あるいは旧左翼に依存していたのです。それが崩壊しそうもないから、楽だった。それを批判していれば、何かやっている気になれた。が、現に崩壊してみると、もうそんな態度をとれない。
 80年代に風靡した「現代思想」が急激にリアリティを失ったのもそのせいですね。
たとえば、デリダは西洋形而上学の脱構築、あるいは、二項対立の脱構築ということをいった。これは一見すると、西洋の歴史的起源にさかのぼる雄大な問いのようにみえますが、これがリアリティをもったのは、現実に、アメリカの資本主義とソ連の社会主義という二項対立、つまり冷戦構造を反映していたからです。(p.65-66)


妥当な認識。



僕は、社会主義は根本的に倫理の問題だと思います。社会主義は、いったい何をめざすのか。(p.71)


社会主義に限らず、政治というのは倫理の問題なのかもしれない。ある社会が何を目指すのかということをめぐる問題。



大学の民営化というのは、実際は、国営化です。それまでの大学は、国立でありながら、じつは、文部省から独立していた。つまり、中間勢力でした。民営化によって、こうした自治が剥奪された。私立大学でも同じです。国家の財政的援助の増大とともに、国家によるコントロールが強化されたわけです。(p.82)


なるほど。鋭い指摘。参考になる。



近代の主権国家という概念は、実際は少数の大国にしかあてはまらない。ほとんどの国は他の国家に従属しているのです。古来、国家は存続するためなら連合や従属をいとわないのです。(p.129)


関係論的な視点で国というものを捉える柄谷の見方には、賛同できる点が多い。「国」というものが存在しているとすれば、それは他の国や組織との関係の中で存在しているのであって、何かそれ自体として存続していると考えるのは誤りであろう。



共同体から一度離れた個人でなければ、他者と連帯できない。だから、そのような孤立の面を強調する傾向があったと思います。
 ただ、そういう考え方がだんだん通用しなくなった。それに気づいたのは、1990年代ですね。というのは、この時期に、それまであったさまざまな共同体、中間団体のようなものが一斉に解体されるか、牙を抜かれてしまったからです。……(中略)……。
 そこで、いろいろ考えたのですが、個人というものは、一定の集団の中で形成されるのだ、という、ある意味では当たり前の事柄に想達したのです。ただ、それがどういう集団であるかが大事です。(p.145-146)


この流れは、まさにリベラリズムとそれへの批判からコミュニタリアニズムが出てきたことと呼応しており、非常に興味深いものがある。


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柄谷行人、小嵐九八郎 『柄谷行人 政治を語る』(その1)

 いまや「68年」というと、世界中どこでも共通したことが起こったようにみえるけれども、そうではありません。また、そのような同一視ができる面があるけれども、同時に、その内容はちがったものだった。たとえば、アメリカの場合、旧左翼の運動は1950年代にマッカーシズムで壊滅させられていた。60年代半ばから、公民権運動(黒人解放)とベトナム反戦運動を契機にして左翼運動が出てきた。それは旧左翼と無関係な新左翼でした。(p.12)


ウォーらーステインなどの議論で1968年の重要性を認識すると、確かに柄谷が言うようにどこでも共通したことが起こったかのように見えるところがある。そうした経緯を通った人には意味のある指摘。



 しかるに、日本の「68年」にはこうした多義性はありません。その意味で、世界同時性というか、西洋と共通した問題として理解できるものです。たとえば、60年の安保闘争は、1955年からはじまった高度経済成長の最中に生じたわけです。64年には東京オリンピックが開催された。この間に、農業人口の比率が急激に減っています。それまでは、日本は半ば農業国でした。60年以後大学への進学率が急激に上がった。大学生がエリートであった時代ではなくなった。ポスト・インダストリアルな社会に移転しつつあったわけです。日本の「68年」は、このような変化の結果として生じたのです。(p.16-17)


わずか50年ほど前のことだが、こうした変化は確かにあった。ただ、1960年代まで「農業国」と言えるかどうかは、戦前から帝国主義の一翼を担ったことなどを考慮に入れるとやや違和感がある。統計的なものも少し調べてからでなければ、今の私には判断できない。



文学には、才能と同時に労働が必要だ。才能と同時に、こつこつやる必要がある。(p.24)


文学に限らず、何にでも言えることであるように思われる。



フランスの「現代思想」は、ある意味で、68年5月革命の挫折から、文学に活路を見出すものだったと思います。哲学といっても、実際は、文学的なものでした。(p.25)


このあたりの位置づけは参考になった。その性格が文学的であるというのも妥当であり、社会的背景に政治的挫折があったため、現実の世界の変革ではなく観念の世界の変革を目指すしかなかったという点も妥当である。



 また、それまでは階級闘争が重視されて、ジェンダーとかマイノリティーとかいった問題は二次的・副次的と思われていたわけですが、68年では、そういう考え方が否定された。また、国家のようなマクロの政治や権力が重視されていたのに、ミクロの権力あるいはマイクロ・ポリティクスという領域に移った。それは68年以降の現象だと思います。このような転換は重要だと思う。ただ、その過程でマクロの次元、国家やネーションという次元を、簡単にかたづけてしまったと思うんですよ。
 その一人はフーコーですね。フーコーはアルチュセール、というより、もっと根本的にグラムシの「ヘゲモニー」という概念から学んだと思うんですが、国家を暴力装置だけでなく、イデオロギー装置としてみる考えからはじめた。その意味で、通常のマルクス主義者とちがって、国家が暴力を独占することによって成立した権力にあるだけでなく、さまざまなイデオロギー的教育的装置のなかで機能しているのだと考えた。権力はむしろ同意にもとづく力(ヘゲモニー)としてある、と。だから、彼は、中心にあるのではないような権力、みえないようなミクロの権力を強調した。いわば、マクロの政治に代わって、ミクロの政治学を強調したわけです。
 これはいいと思う。政治闘争の力点が、階級問題からフェミニズム・ゲイ、その他マイノリティーの問題に移行したとき、こうした見方が助けになったからです。しかし、同時に、これは国家に関する見方をゆがめるものだと思います。グラムシもそうですが、国家が他の国家に対して在ることをみていない。国家が成立したのは、共同体が他の共同体を継続的に支配することによってです。共同体が拡大して国家に転化するとか、その内部で階級対立が生じて国家ができたというようなことはありえない。(p.30-32)


国家は国家に対して在るという柄谷の見方は、関係論的であり、私には馴染み深い発想法だが、「国家」なるものを実態的に捉えてしまう傾向に対して距離を取っていたため、彼と同じ発想はもたなった。ただ、以前の考え方からの変化が生じている現在の私にとっては、参考にすべきものを含んでいるように思える。

確かに、68年以降のパラダイムでは「国家」という問題を簡単に片づけてしまったという点は否定できない。この辺りに関しては、「国家などない」とかつて主張していた、私の友人のことが想起された。



 つまり、一国が何か意志をもった主体であるということは、外からみないとわからないのです。(p.33)


確かに、外部の「観察者」から見ると「一国」が意志を持った一つの主体として見える。ただ、行為者とは異なる観察者からの見方が正しくない場合があるところに、この指摘の問題点があるように思われる。



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マイケル・サンデル 『公共哲学 政治における道徳を考える』(その3)

 デューイは、同時代以降の多くのリベラル派と同じく、『偉大なコミュニティ』は国家共同体という形をとるものと想定していた。相互の責任感と国家全体への忠誠心をうまく喚起できれば、アメリカの民主主義は立派に育つはずである。いまや経済も国家単位という規模になった以上、政治組織も国家規模にならなければ後れを取ってしまう。全国市場が大きな政府を招き寄せ、大きな政府はみずからを維持するために、国家共同体の強い連帯意識を必要としたのである。(p.287)


経済がグローバル化して「国民経済」という認識が形成された時期についての、サンデルの歴史認識。



とはいえ現代では、リベラル派よりもむしろ保守派のほうが、市民であること、コミュニティ、共有された公共生活の道徳的前提などについて声を大にして語っている。保守派の示すコミュニティの概念はしばしば偏狭で不寛容なものだが、リベラル派はそれに対して説得力ある答えを返すだけの道徳的な資質に欠けていることが多い。(p.288)


この状態を放置しておくと、保守派の偏狭な道徳的観念が力を持つことを許してしまうというのが、サンデルの問題意識としてあるようであり、私も彼から気づかされたことの一つである。



偶像崇拝の否定の規範的な意味は、偽の神が存在しつづけるところにある。偽の神とは、見当違いな崇拝や忠誠を呼び起こすのに十分な魅力を備えた対象や目標のことである。
 ……(中略)……。
 現代世界において、偶像崇拝の誘惑は政治からほかの領域へと移っている――消費者中心主義、エンターテインメント、テクノロジーへと。(p.310-311)


目的論的な論法により共通善を定めなければ、こうした偽の神に対する偶像崇拝を否定するのは容易ではない。リベラル派の形式主義的な思考方法の難点をついている。



ロールズは正義をめぐる議論に触れ、「哲学において最も根本的な問題は通常、決定的な論拠によって決着がつくことはない」と書いている。「ある人にとっては明白であり、基本的な考え方として受け止められているものが、ほかの人には理解できないのだ。この問題を解決する方法は、十分に展開されたときにどの見解が最も筋の通った説得力のある説明を提示するかを、よく考えたあとで検討することである」(p.53)。同じことが、包括的な道徳をめぐる議論についても言えるのだ。(p.352)


十分に展開するか否かが、漠然とした議論と適切な論証伴う議論の大きな分岐点であるように思われる。



道徳や政治をめぐる論争が、理にかなっていながらも相容れない善の概念を反映しているのかどうか、あるいはきちんと内省し、熟慮すれば、そうした論争が解決できるのかどうかは、内省し、熟慮してみてようやく決まることである。だが、そうだとすれば、政治的リベラリズムにとってさらなる難題が持ち上がる。というのも、それが描き出す政治生活には、対立する包括的な道徳の妥当性を検討する――自分の道徳的理想の価値を他人に納得させたり、他人の道徳的理想の価値を納得させられたりする――のに必要な公共的討議の余地がほとんどないからだ。(p.354)


ここを読んで想起したのは、ウェーバーの「神々の闘争」という言葉である。ロールズを批判したこの論文で、ウェーバーを想起することがしばしばあった。ウェーバーの考え方は当時の新カント派からの影響を受けていることから、カントの系譜に連なるものであり、その点でサンデルのリベラル派に対する批判の多くはウェーバーにも妥当するかもしれないと思い至った。

最近、私はウェーバーの信条倫理と責任倫理の考え方をサンデルの思想によって位置づけなおしてみたいと考えているのだが、その際に、このあたりの着想は役立つかもしれない。



 公共的理性の制約は、政治問題に関する私的な討議や、教会や大学といった組織の一員としてわれわれがなす議論には当てはまらないと、ロールズは認めている。そうした組織では、「宗教的、哲学的、道徳的な考慮」(p.215)が適切な役割を果たすかもしれないからだ。

 

しかし、公共的理性の理念が市民に当てはまるのは、彼らが公共の場で政治的な主張をするときである。

(p.355)


ここもウェーバーの講壇預言の禁止と通じており興味深かったところ。



道徳や宗教を一顧だにしない政治は、やがてみずからに幻滅してしまう。政治論議に道徳的な響きが欠けていると、より大きな意味のある公共生活への憧れは、望ましくない形をとるようになる。モラル・マジョリティのような団体は、裸の公共空間に狭量で不寛容な道徳主義の衣をまとわせようとする。リベラル派が足を踏み入れるのを恐れる場所に原理主義者がずかずかと入り込んでくる。こうした幻滅がもっと世俗的な形をとることもある。公共問題の道徳的側面に取り組む政策がなければ、国民の関心は公人の私的な不行状に集中するようになる。公的議論はますます、スキャンダラスで、センセーショナルで、懺悔的なテーマで占められるようになる。それを伝えるのはタブロイド紙やトークショーであり、やがて大手メディアもそのあとを追うようになる。 
 政治的リベラリズムの公共哲学が、こうした傾向に対して全面的に責任を負っているとは言えない。だが、その公共的理性のビジョンはあまりにも貧弱なため、活力ある民主的生活の道徳的エネルギーを取り込めないのだ。すると道徳的な空白が生まれ、不寛容な道徳主義や、見当違いでくだらないその他の道徳主義を招き寄せることになる。(p.363-364)


この主張はサンデルが随所で繰り返しているものであり、彼の公共哲学が必要とされる所以も多くはここにあると私には思われる。



 正義と善の概念を結びつける二つの方法のうち、第一のものは適切ではない。何らかの慣習が特定のコミュニティの伝統で認められているという事実だけでは、それを正義とするのに十分とは言えない。正義を因習の産物としてしまえば、その批判的な性質を奪うことになるからだ。問題となる伝統が要求するものをめぐって解釈が対立することを考慮しても、それは変わらない。正義と権利に関する議論が、価値判断にかかわる側面を持つのは避けられない。権利を擁護する論拠は本質的な道徳・宗教上の教説に中立であるべきだと考えるリベラル派と、権利は支配的な社会的価値を土台とすべきだと考えるコミュニタリアンは、似たような過ちを犯している。どちらも、権利が促進する目的の内容について判断するのを避けようとしているのだ。だが、選択肢はこの二つだけではない。私の見るところもっとも妥当な第三の可能性は、権利の正当性はそれが資する目的の道徳的な重要性にかかっているとするものである。(p.375-376)


妥当な指摘。伝統主義的なコミュニタリアンと中立性の理想をかかげるリベラル派がどちらも目的に関する判断を避けているというのは鋭い。



 リベラル派は、みずからの見解と矛盾しない形でなら、甚大な被害――たとえば暴力――をもたらすおそれのある発言を制限できる。だが、ヘイトスピーチの場合、何を被害とみなすかはリベラルな人格構想の制約を受ける。この構想によれば、私の威厳は自分の暮らす社会で果たす役割にではなく、自分の役割とアイデンティティをみずから選ぶ能力にある。だが、そうだとすれば、私の威厳は自分が一体感を抱いている集団への侮辱によって傷つくことはないことになる。いかなるヘイトスピーチも、それ自体では被害をもたらさない。リベラル派の見解によれば、最高の尊敬とは、目的や愛着から切り離された自己の持つ自尊心だからである。負荷なき自己にとって、自尊心の基盤は特定の絆や愛着に先立つため、「同胞」への侮辱がそこに及ぶことはない。したがってリベラル派は、実際に身体的被害――ヘイトスピーチそのものとはべつの被害――を引き起こしそうな場合を除いて、ヘイトスピーチの規制に反対するはずだ。(p.380-381)


サンデルの指摘するように負荷なき自己は「同胞」への侮辱によって傷つくことはないし、自己が被害を受けたと感じることもない。実際には、このような侮辱によって人は傷つくことはありうるという点で、リベラルな負荷なき自己は現実とはずれがあることになる。しかし、コミュニティへの帰属意識とそれによるアイデンティティを強調しすぎるとすれば、そこにも違和感を感じる。この点をうまく説明する論理を構築する必要を自分としては感じている。


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マイケル・サンデル 『公共哲学 政治における道徳を考える』(その2)

 だが、スポンサー企業が申し分のない客観的な教材を提供したとしても、商業広告が教室にあるのは有害だろう。それは学校の存在目的を損なうからだ。広告は人びとの物欲を刺激し、それを満たすよう促す。一方、教育は欲望について人びとに反省を促し、それを抑えたり昇華させたりするよう促す。広告の目的は消費者を勧誘することだが、公立学校の目的は市民を育てることだ。
 子供時代の大半が商業社会に向けた基礎訓練に充てられる時代に、市民であることを、自分を取り巻く世界について批判的に考えることを生徒を教えるのは、容易ではない。子供たちが企業のロゴ、ブランド名、ライセンス生産された服を身にまとい、歩く広告塔として通学する時代に、学校が消費主義(コンシューマリズム)の精神にどっぷり浸かった大衆文化と一定の距離を置くことはいっそう難しい――そして、それだけに重要である。
 だが、広告は距離を忌み嫌う。広告は場所と場所の境界をぼやかし、あらゆる環境を販売の場にしてしまう。(p.118-119)


こうした「目的論的な論法」の具体例が満載されているのも、私にとっては本書の参考になった点であった。



不釣り合いな名誉に対する憤りは、政治の世界にもよく見られる道徳感情である。これが、公平と権利をめぐる議論をややこしくしたり、ときには激化させたりするのだ。
 ……(中略)……。
 おそらく、名誉の政治学の最も説得力ある例は、労働をめぐる論争に見ることができるだろう。労働者階級の有権者の多くが生活保護を蔑む理由の一つは、それにかかる費用を出し惜しんでいることではなく、その政策が伝える名誉と報酬に関するメッセージに憤慨していることだ。公平と権利の観点から生活保護を擁護するリベラル派は、ここを見逃していることが多い。収入とは、社会に役立つ努力やスキルを引き出すインセンティブである以上に、われわれが何を称賛するかの基準なのである。「ルールを守る働き者」である多くの人びとにしてみれば、家でぶらぶらしている人に報酬を与えるのは、自分たちが労働において費やす努力と受け取る誇りをないがしろにすることにつながる。生活保護に対する彼らの反感は、困窮者を見捨てる理由にはならない。だが、そうした反感からは次のことがわかる。公平と権利を擁護するリベラル派は、みずからの議論の根底にある美徳と名誉の観念を、もっと納得のいくように明確に表現する必要があるのだ。(p.151-154)


生活保護に関する言説で、この辺りをきちんと取り扱っているリベラル派の議論はまだ見たことがない。サンデルの指摘は極めて重要なものと思われる、政策立案者にとっても、このような道徳感情を考慮に入れて制度設計を見直す必要があると思われる。



 哲学者チームが自律と選択を強調するのは、人生はそれを生きる人の所有物であるという考えからだ。この倫理観と対立するのが、人生は授かりものであり、われわれにはそれを守る義務が多少なりともあると見る、広範に及ぶさまざまな道徳観だ。(p.174)


幇助自殺を認めるか否かに関する法廷助言書を出した広義の自由主義的哲学者の「哲学者チーム」に対して、サンデルらコミュニタリアンは後者のような道徳観を前提して議論を組み立てる点に強みがある。

リベラル派の自己観・道徳観はある種の理想主義的なものであるが、現実的には後者のコミュニタリアン的な自己観・道徳観が適合的であるように思われる。ただ、リベラルの理想を現実ではなく理想であることを自覚したうえで追求していくことも重要なことであるようにも思う。



リベラリズムを矯正する手段は多数決主義ではなく、政治と憲法をめぐる議論において、本質的な道徳論議の役割をより積極的に評価することなのだ。(p.186)


サンデルの主張であり、私としてもこのあたりは彼から学びたいと思っている点のひとつ。



 リベラル派は往々にして、自分たちが反対するもの――たとえば、ポルノグラフィや少数意見など――を擁護することを誇りにしている。国家は市民に望ましい生き方を押しつけず、できるだけ自由に価値観や目的を選べるようにすべきだというのだ(他人にも同じ自由を認める限り)。こうして選択の自由に肩入れするせいで、リベラル派は絶えず、許容と称賛、ある行為を許可することと支持することを区別する必要に迫られる。(p.221)


確かに。そして、許可することと支持することとの区別の根拠をその都度考える必要も生じるが、その際の明確な基準はリベラリズム自体にはない。



 コミュニタリアンの反論は次のようなものだが、私はこの意見が正しいと思う。すなわち、不寛容が蔓延するのは、生活様式が混乱し、社会への帰属意識がゆらぎ、伝統が廃れるときだというのだ。現代において、全体主義の衝動は、確固とした位置ある自己の信念から生じているわけではない。そうではなく、ばらばらにされ、居場所を失い、フラストレーションを抱えた自己の困惑から生じているのだ。こうした自己は、共通の意味が力を失った世界で途方に暮れているのである。……(中略)……。公共生活が衰退するかぎり、われわれは共通の充足感を徐々に失い、全体主義を解決策とする大衆政治に陥りやすくなる。共通善派の権利派に対する反論は以上のようなものだ。共通善派が正しいとすれば、われわれにとって喫緊の道徳的・政治的課題は、わが国の伝統に内在するが現代では姿を消しつつある、市民共和制の可能性を蘇らせることである。(p.232-233)


共通善を形成するために熟議民主主義が必要とされるだろうが、そのための社会的な基礎として何が必要だろうか?社会学や社会科学の側から考えると、そうした論点が出てくるように思う。



負荷なき自己に閉ざされているのは、選択に先行する道徳的絆で結ばれたコミュニティの成員となる可能性だ。(p.244)


なるほど。



 格差原理が必要としながら提供できないものは、私の持つ資産を共有するのがふさわしいと思える人びとを見分ける方法であり、そもそもわれわれ自身が相互に恩を受け、道徳的にかかわっていることを理解する方法である。だがこれまで見てきたように、格差原理を救い、地位を与えるはずの構成的な目的や愛着は、まさにリベラルな自己から奪われているものだ。それらに含まれる道徳的負担や先行する義務が、正の優先性を傷つけるからである。(p.250)


ロールズの格差原理への批判。やはり負荷なき自己への批判と結びついている。



 このような構成的愛着を持てない人間を想像しても、自由で理性的な行為者の理想像を描くことにはならない。そうではなく、人格や道徳的深みをまったく欠いた人間を想像することになるのだ。なぜなら、人格を持つということは、自分が一つの歴史のなかで行動していると知ることだからである。その歴史は私がみずから招いたのでも支配しているのでもないが、私の選択や行為に影響を与える。(p.251)


人格を持つとは、ここで述べられるのとは異なり、「知ること」ではなく、「行動していること」ではないだろうか。

その歴史性を捨象しているところに、リベラル派の負荷なき自己の貧困があるという指摘は妥当であると思われる。



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マイケル・サンデル 『公共哲学 政治における道徳を考える』(その1)

第二に、経済的正義を支持する有力な議論といえども、それだけでは統治のビジョンとならない。豊かな社会の恩恵に浴す機会をすべての人に公平に与えることは、善き社会の一つの側面ではある。しかし、公平さがすべてではない。より大きな意義を持つ公共生活への渇望が、それによって満たされることはない。というのも、公平さによって、自己統治というプロジェクトが、個人を超えた共通善にかかわりたいという人びとの願望と結びつけられることはないからだ。(p.11-12)


なるほど。少なくとも最近10年ほどの日本において、平等志向的なリベラル派が提示するビジョンが正しい場合でも、それだけでは一般大衆の支持を受けられないことが多いのはこのためだということがわかってきた。



 新しい政治経済学の出現は、アメリカ政治において共和主義的要素が消滅し、現代的なリベラリズムが登場する決定的瞬間を示すものだった。このリベラリズムにしたがえば、政府は善き生の構想について中立でなければならない。自分自身の目的を選ぶ力を備えた自由で独立した自己としての人格を尊重するためだ。ケインズ的な財政政策は、こうしたリベラリズムを反映すると同時に、アメリカの公共生活に深い影響を及ぼした。(p.35)


ケインズ主義的な財政政策がリベラリズムが要請する中立性の理想と並行しているものであるということは、本書による示唆を得るまで気づかなかったことである。そして、それがどうして現在は訴求力を持たないのか、ということもこのことによって明らかになったと思う。すなわち、一つ前の引用文がその理由を示していると思われる。



 手続き的リベラリズム理論の問題は、それが奨励する実践のなかに現れる。道徳や宗教を徹底的に締め出す政治は、みずからへの幻滅をすぐさま呼び起こしてしまう。政治論議に道徳的な響きが欠けていれば、より大きな意義のある公共生活への憧れが好ましくない形で現れることになる。キリスト教連合やその類の団体が、裸の公共の場に偏狭で不寛容な道徳的実践の衣をまとわせようとするのだ。原理主義者は、リベラル派が足を踏み入れるのを恐れる場所にずかずかと入り込んでくる。一方、こうした幻滅が世俗的な形をとることもある。公共問題の道徳的側面を扱う政策がなければ、公務員の個人的な悪行に注意が集中するようになる。政治論議はますます、スキャンダラスで、センセーショナルで、懺悔的なテーマで占められるようになる。それを伝えるのはタブロイド紙やトークショーであり、やがて大手メディアもそのあとを追うようになる。こうした傾向を生む責任のすべてが、現代的なリベラリズムの公共哲学にあるとは言えない。しかし、政治論議に関するリベラリズムのビジョンはあまりにも貧弱なため、民主的な生活の道徳的エネルギーを取り込むことができない。そこに生じる道徳的空白が、不寛容をはじめとする見当違いの道徳的実践を呼び込んでしまうのである。(p.49)


ここでの主張はサンデルが随所で繰り返しているものであり、彼の問題意識には非常に共感できる。原理主義者が跋扈する言論状況および政治家や公務員への道徳的非難だけが流通し、政策論議などが全くというほどなされない言論状況の出現。

アメリカのみならず、昨今の日本でも生じている問題である。たとえば、後段の部分については、90年代の高級官僚への非難から始まって次第に公務員一般にまで広がってきた「公務員バッシング」という形で現れ、ただでさえ機能不全に陥っている再分配をさらに低下させる方向への圧力を生じさせていることや、小沢一郎の政治資金の問題など、いわゆる「政治と金」の問題が言論空間を占領してしまい、本来議論すべき政策やその目的などについて議論ができないことなども昨今の日本の政治状況では問題だと考えているのだが、サンデルによれば、その原因は道徳を締め出す政治にあることになる。ある意味、彼の主張するような問題を討議していき、人々の心を惹きつけるものを提示できれば、こうした問題はかなり改善に向かうように思われ、参考になった。



同じように、失業は経済的な難題だけではなく、社会的な難題をも突きつけた。仕事がないと収入もないというだけではなく、市民としての共同生活を分かち合えないということが問題だった。「失業とは何もすることがないといことだ――それは、自分以外の人とのかかわりがないことを意味する。仕事がないこと、同胞市民の役に立たないことは、実のところラルフ・エスリンの小説の『見えない人間』になっているということだ」
 ケネディとリベラル主流派の意見の相違が最も明白だったのは、福祉の問題についてだった。ケネディが福祉を批判した根拠は、貧困層への連邦政府支出に反対していた保守派とは異なり、それが受給者の市民的能力を損なうというところにあった。……(中略)……。貧困の解決策は政府が支払う保証所得ではなく、「適正な賃金でのきちんとした雇用であり、コミュニティ、家族、国、また何より重要なのは自分自身に対し、こう言えるようにする雇用である。『私はこの国の建設に貢献している。私は偉大な公の事業に加わっている』と」。(p.103-104)


失業に対しては福祉の給付を行なえばよいというわけではなく、社会との繋がりや市民としての義務を果たしうる雇用を創出することの方が重要であり、単に給付ばかりを強調するよりも社会の活力も高まると思われる。



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王前 『中国が読んだ現代思想 サルトルからデリダ、シュミット、ロールズまで』

フーコーにとっては、新自由主義あるいは経済自由主義は一種の政治手段であり、単なる経済思想ではない。というのも、生命や人口などを管理すると同時に国家の役割を制限することもその意図だったからである。要するに、フーコーは統治性の角度から新自由主義を研究したのであり、彼の新自由主義とハイエクへの興味は、新自由主義の生命を管理する手段を政治哲学の問題として思考したところにあったのである。(p.118-119)


新自由主義が経済思想ではなく政治手段であるという指摘は妥当である。



 中国側の質問者の質問を見ていると、国家の主権を常に優先的に考えるのが特徴である。それは何といっても近代以降の被植民のトラウマがあるからであろう。このことが、ハーバーマスと中国側が、主権と人権との関係をめぐる見解において袂を分かった一因と考えられる。ハーバーマスの新しい合理的な国際関係を構築する誠意を筆者は少しも疑わないが、中国側の学者は基本的に古典的な国家主権の概念に沿って問題を思考しているようなので、この両者の間に一致点が見出されるには、まだ時間がかかりそうだ。(p.159)


中国の学者も一般人も、基本的にこの傾向が強くみられる。それを批判的にとらえ返す思考の訓練がなされていない(むしろ積極的に思考停止が推奨されている?)ため、国家主権やナショナルアイデンティティにかかわる問題については思考の柔軟性に欠けることが多い。この点は今後の中国の教育やメディアの在り方などで改善してほしいところである。



 最初のサルトル・ブームから今日の世界的な学者や思想家の訪中まで、その多種多様な知的交流はこの転換期にある国の知的世界の全容を大きく書き換えている。マルキシズムは相変わらず正式のイデオロギーという不動の地位を占めているが、昔のようにマルクスの言葉を引用しながら論文を書くというスタイルはもうほとんど消えている。研究の範疇にとどまっていれば、全体主義を生涯の批判のターゲットにしたカール・ポパーであれ、ナチスの「桂冠法学者」だったカール・シュミットであれ、あるいはその知的営為が今の中国にとっては少し時期尚早と思われるデリダの思想であれ、中国政府の公式的立場とは大きく異なる思想家の紹介や研究でも、基本的に自由にできるようになっている。これは30年前の「読書に禁止エリアなし」という文章が書かれた時代を思い出すと、文字どおり隔世の感がある。そういう意味では、この30年は経済が大きく発展した成長期であるだけでなく、文化や思想の面でも少しずつ安定した発展段階に入ったと見ることができよう。(p.221-222)


最近の中国の思想研究を取り巻く状況としては、研究はかなり自由にできるようになってきているということがわかる。

ただ、やはり「研究の範疇にとどまって」いる限りという条件が付されている点では、言論のみならず思想の自由も制限されている。この制限が上の引用文で指摘されているような事態の背景になっていると思われる。改善が望まれる。


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