アヴェスターにはこう書いている?
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『新建築 2010年2月臨時増刊 三菱一号館 Double Context 1894-2009 誕生と復元の記録』

また、民間の洋館は好んで角地に位置を占め、その角の部分に塔を上げるのが彼らの力の誇示となっていた。丸ビルに塔がないことは、当時としてはかなり珍しいことだった。角地に建つにもかかわらず、塔を持たないことの内に、このビルの都市的な意味が込められている。角地に塔を建てることが意味を持つのは、その建物がランドマークとして際だっている場合である。同じようなビルが林立してしまえば、塔を建てるデザインは児戯に等しくなる。そして丸ビルこそ、塔を建てるデザインが児戯に堕したことを示す記念碑だったのである。(p.26)


個々の建築のデザインと都市全体の景観とは相互に影響しあう。



それまでこの場所に建っていた「三菱第2号館」が角地に入口を開いていたのに対して、「明治生命館」は皇居の濠に面した日比谷通りに正面を向けている。馬場先通りに沿って伸びるそれまでの「一丁倫敦」からの脱却である。(p.28)


入口が角地にあるか道路に面しているかという違いが、都市をどのように形成するかということにも関わることがある。興味深い。

ここで、大きな建築の入口の場所について、少し思いついたことがある。先日台湾に行き、日本統治時代の建築を見てきたのだが、台北にある監察院(旧台北州庁舎、1915年竣工)や台南にある国立台湾文学館(旧台南州庁舎、1916年竣工)は、角地に入口があったということに気づいた。古い大規模建築には割と角地に入口がある者が多いのかもしれない。(なお、これらの建物の場合は塔を建てるというよりはドームを頂くことで存在感を主張していたように思う。)

また、どこに入口があるかということと都市の構成との関係ということは、あらゆる場合に関係があるかどうかは別としても、その建築の性格などを考える際に考慮に入れるべき要素かもしれない。


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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

国際航路会議教会日本委員会、日本の水辺と運河を考える会 『ヨーロッパ運河物語――その美とロマン、技術の系譜を訪ねて――』

 産業革命とともに、イギリスに運河マニア時代(1757~1830)と呼ばれるブームが訪れた。これは初期のある一つの運河の成功が、運河を対象とするマネー・ゲームを生み、投資家や企業が先を争って運河に投資する時代が訪れた。
 これによってイギリス全土の運河網の整備が大いに進んだ。やがて、このブームは全ヨーロッパに広がった。(p.27)


水運による交通の需要がこの時代に高まったということを示している。マネーゲームというと投機的な金の動き、実体経済とは関係なくマネーだけがやり取りされるものを想像してしまうが、この時代の運河へのマネーの投下は、むしろ実用的な需要に基づく投資ブームに近かったのではなかろうか。



テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

金唐紙研究所 『金唐紙』

江戸時代に確立した擬皮紙の技術を応用して、明治期には壁紙商品として国内外でもてはやされた「金唐皮紙」は、大正から昭和にかけて次第に需要が先細り、20世紀半ばには生産がとぎれ、金唐皮紙の手の技はいったん完全に忘れ去られた。戦後、幾度か再現が試みられたが、挫折が続いていた。その百年前の手仕事の復活に正面から取り組んだのが、上田尚である。
 きっかけとなったのは、旧日本郵船株式会社の小樽支店の壁紙の修復であった。(p.8)


この件に関しては旧日本郵船小樽支店に関するブックレットで読んだことがある。



 金唐皮紙は日本の伝統文化にない壁紙というモノの形を積極的に取り込んでいるように、日本側の殖産興業の戦略上、そもそも西欧への同化が前提だった。そして自然をモチーフにした金色の模様の豪華さは、日本に限らずアラブや中国といったオリエントの要素をどん欲に吸収していた当時のヨーロッパの風潮にうまく符合した。金唐皮紙はまた、「近代」という西欧の文明尺度の表象でもあった。……(中略)……。金唐皮紙は、ジャポニスムというエキゾティズムと近代的な理性をともに満足させる商品だったのである。(p.16)


当時の西欧諸国のオリエンタリズム、ジャポニスムによる需要があり、金唐皮紙は当時の日本の側からのその需要に対応した商品であった。当時の世界経済の商品連鎖の中に日本のエリアが組み込まれるにあたってのリアクションの一つがこの金唐皮紙の発明であったといえよう。



このように、日本の建築学の学生たちはコンドルから、そして間接的には彼の師バージェスからイギリスにおけるジャポニズムの潮流を体験し、そこで脚光を浴びていた金唐皮紙をあらためて日本の近代(西洋)建築にあてはめていったのである。ジャポニスムはイギリス経由で日本に取り入れられ、日本の西洋化の表象を助けたのである。(p.26)


逆輸入という形で日本に普及したこと。



 金唐皮紙を建築に用いること、それは西欧にとってはジャポニズムを満足させる、「日本らしさ」の表象を意味していた。同時に、日本にとってそれは、西洋のスタンダードに達したことを誇示することのできる製品でもあった。日本は西洋化として、西洋は日本的なものとしてこれを受けとめる。ローカルとグローバルの二重のレベルで、エキゾティシズムが作用していたのである。(p.28)


上でも述べられていたことを再度要約した箇所。



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酒井一光 『窓から読みとく近代建築』

 窓はまた、ガラスとともにイメージされる。板ガラスは昭和30年代にフロート法で製造されるようになるまで、今日のような均質なイメージはなかった。(p.24)


均質でない歪みのある古いガラスはこの時代以前のものである可能性が高いということがわかる。



石や煉瓦の建築では、積み上げることによって壁を築く。このような建築のつくり方を組積造とよぶ。組積造の建築で窓をつくるには、窓の上に煉瓦を積んでも崩れないようにする必要がある。もっとも簡単なのは、窓の最上部に横長の大きな石をおき、その上に再び石や煉瓦を積んでいく方法である。この横長の石材を楣(まぐさ)という[口絵1]。もうひとつは、窓の上にアーチを組んで上からの重さを支える方法である[写真5]。石や煉瓦の西洋建築は、主にこの二つの方法で窓を築いてきた。その結果、窓の形は縦長が多くなる。横長の大きな窓をとることは構造上、あるいは経済面からも負担が大きかった。西洋で横長の大きな窓をつくることが容易になったのは、鉄やコンクリートなどの材料が大々的に導入された産業革命以降のことである。
 このように大きな傾向をみてみると、日本の伝統建築には横長の開口部が多く、西洋の伝統建築には縦長のものが多いといえる。(p.25-26)


確かに言われてみれば、石造やレンガ造の建築の開口部は縦長の傾向がある。また、日本の伝統建築では大きな屋根や壁が少ないことなどが特徴的だと考えていたが、言われてみれば、壁が少ないことを裏返すと横長の開口部が多いということに通じる。(建物自体がペンシルビルのように縦長になっていなければ。)



 日本の近代建築では、<縦長窓>によって「洋風らしい建築」をつくろうとしていた傾向がうかがえる。しかし窓の開き方をみてみると、明治前半の異人館における木製<フランス窓>や、大正・昭和初期のオフィスビルにおけるスチール製の窓で<両開き窓>が用いられているほかは、<引き違い窓>、<上げ下げ窓>などの「引く」形の窓が一般的だった。これは、本場西洋の建築との大きな違いで、障子や襖における「引く」ことの伝統のためだろう。(p.26-27)


確かに、日本の明治・大正時代の洋館や台湾の同時代(日本統治時代)の洋風建築などは、私が見た限りでは、大部分が縦長の上げ下げ窓であった。そして、ヨーロッパで見た窓は、あまりしっかりは見ていないが、それとは違うもの(外側に開く両開きの窓など)が多いように思う。

当時の日本の人々にとってはやはり、「引く」スタイルの方が馴染みやすかったという見方は、検証は困難ではあるものの、興味深い仮説ではある。



昔の庁舎建築といえば、威厳ある姿とともに、どこか華麗な装飾を身にまとった華やかさを兼ね備えていた。しかし、昭和初期の庁舎建築では建物のファサードが平坦化し、ボックス状の外観を呈するようになる。さらに、工費削減から装飾が省略される傾向が指摘されている。和歌山県庁舎もそうした傾向をよく示した建築といえる。庁舎建築の主役となる表現は、壁面の凹凸を強調したり装飾を多用した時代から、昭和10年(1935)前後にはフラットな壁面が主流になっていった。その結果、単調な壁面に窓の連続するファサードが主役の座に近づいていくことになった。そこでは、連続する窓に仕掛けられたさまざまな工夫こそが、その時代の建築の見どころとなっていく。
 それでは和歌山県庁舎の建築を、具体的にみていくことにしよう。
 この庁舎は鉄筋コンクリート造四階建で、建物中央のヴォリュームを塔のようにやや高くするとともに前方に張りだすことで、求心性を高めている。また、そこを中心に左右に羽を広げたような構成で、県庁舎らしい堂々とした風格を漂わせる。(p.48)


鉄筋コンクリートの普及や、それと呼応するインターナショナルスタイルの流行とも関連があると思われるが、本書でしばしば指摘されるとおり、この時代の日本では戦争のための資材統制があり、それがこうした装飾の簡素化などに影響していると思われる。

引用文後段の和歌山県庁舎の説明文を読んで気付いたのは、先日私が若干調べた小樽の市庁舎(昭和8年竣工)のパターンとも似ているということであった。(ちなみに、上野駅や小樽駅や台南駅のファサードも似たような構成である。)ただ、小樽市庁舎は若干の装飾が残っている分、和歌山県庁舎(昭和13年竣工)より古いスタイルだということになるだろう。



幕末から明治初期のヴェランダ・コロニアル建築は、旧グラバー邸や泉布観のように建物の三方、あるいは四方にヴェランダが巡らされていたが、時代が下り明治中・後期になると南側だけにヴェランダを残す形に変わっていった。これはヴェランダ・コロニアル建築がもともと熱帯の植民地に適した形であり、夏はともかく冬は寒冷な日本の気候風土に必ずしも適さなかったためである。(p.70-71)


先日台湾に行った際に、こうしたヴェランダ・コロニアル建築を幾つか見てきた。強い日差しをさえぎる広いポルティコがあることは、居室内を涼しくし、また、ヴェランダでも日差しを避けて過ごすことができるなど、気候に適合したものであったが、日本の気候には適合しないだろう。日本では比較的短期間の間に変化したと言えそうである。



 フラットな壁面を持つ箱形の銀行建築で、要所だけに装飾がある建物といえば、昭和初期の中でも、次第に資材が限られてくる昭和10年(1935)前後の特色である。(p.87)


上に引用した官庁建築の変化と対応している。戦時の物資統制の影響。



なぜならば、当時の満州は本土の建築潮流から距離をおいた自由なデザインが可能であり、諸外国との交流も大変盛んで、建築技術も本土では実現していないものが試みられていた。それゆえ、創作意欲に富んだ若き建築家にとって、満州は魅力的な土地柄に映ったであろう。(p.137)


建築家・安井武雄が南満州鉄道に入社したのは明治43年(1910年)だから、引用文の「当時」というのは、明治末頃のことだろう。その時代の建築は現在の中国東北部にどのくらい残っているのだろうか?機会を設けて数年中に見て来たい地域ではあるので、今後、チェックしていきたい。



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小林一郎 『目利きの東京建築散歩 おすすめスポット33』

 明治維新の翌1869年(明治2)年、銀座が大火に見舞われ、その三年後にもさらに広範囲に焼けつくす大火に見舞われた。この苦い体験を踏まえ、明治政府は火災に弱いこれまでの木造建築を排し、不燃化の街づくりを模索。文明開化の象徴も兼ね、英国にならったレンガ造りの街並みづくりを進めた。学校の教科書などにも掲載されているのがこの街並みだ。
 大規模な区画整理を断行して、力ずくで強行したこの赤レンガの街並みは関東大震災によって崩壊し、皮肉にも地震に対する弱さを露呈させる結果となった。(p.64)


明治時代には火事で町が焼けるということがよく起こっていたようだ。小樽の歴史を調べたときにも同じパターンが見られた。小樽の場合は、赤レンガではなく木骨石造の建築が建てられることになったのだった。また、関東大震災も日本の建築の歴史上において極めて重要な画期となったものであることが建築の歴史から見えてくる。



 この秋葉原の電気街は、戦後、行きどころのなくなった人々がバラックを建て、その後、多くの露天商が集まったのがはじまりで、当時、国民協同党で書記長、中央委員長を務めた三木武男(のち、自由民主党総裁・首相)たちが進めた協同組合思想が結実した街である。
 三木の協同主義というのは、農民や都市の中小企業を中心にして協同組合を立ち上げ、これによって日本を近代化、合理化し、国民の生活向上を図ろうとするものだった。この協同主義に共鳴した露天商が「屋根の下で商売できるように協同主義でやります」と組合をスタートさせ、秋葉原電気街を誕生させたのだ。協同主義は消費者重視の主義でもあり、幹は首相になってから、独占禁止法の改正に取り組んだ。とはいえ、行き過ぎとの批判を受け、譲歩を余儀なくされた経緯もある。(p.88-89)


このような街の歴史を知るのは面白い。そして、こうした歴史を知りながら街を歩くと新たな発見ができそうな気がする。



 アーケードは、古い木造建築も現代のカーテンウォールのビルも、みな一緒くたに力ずくで(力強く?)肩を組むようにアーチでつなげてしまう。(p.145)


近頃、アーケード街には批判が高まっているようであり、本書もそうした傾向がある。デパートの台頭に対する商店街の対抗策としてアーケード街が登場してきたことと、デパートの没落の時代にアーケード街への批判が高まりアーケード街の解体の方向が志向されることとは関連があるように思われる。



 この倉庫建築は外国映画を見ても似たような情景で、そのボリュームと無表情さはどこも同じだ。ということは、庫建築は世界各国一緒、つまりインターナショナルな建物なのである。だから、飾りけのない無表情な姿にどこか外国のにおいを感じるのだ。
 その無表情なインターナショナルスタイルの倉庫建築が、レンガ造りでつくられるとまた異なった味わいが生まれてくる。(p.163-164)


なるほど。さらに倉庫は港町に多いと思われる(横浜、函館、小樽、舞鶴などが想起される)ので、なおさら異国情緒が漂うわけだ。



 鉄道会社が新たな路線を開発する場合、グループ会社が事前に安価な値段で周辺の土地を取得し、その後鉄道を通し、値の上がった土地を売却する、あるいは宅地を造成し住宅建設をする。いわば、不動産業と一体になった開発となるのだが、新設する駅には「○○ヶ丘」や「○○台」というような名を付けたり、「○○学園前」という名の駅を設けることがある。一方は、高台であることを表し、暗に、水の被害などがないことを示す。もう一方は文化の薫り立つ知的な町を表現している。これらは、路線全体のイメージアップ、高級化に繋げようというものだ。(p.176)


面白い。地名からその土地の歴史を知ることができることがあるが、こうした新しい地名にも由来があるものなのか、と納得。


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日本弁護士連合会生活保護問題緊急対策委員会 編 『生活保護法的支援ハンドブック』

 そうであるとすれば、このような「訓示」についても、生活保護法の基本原理に基づいてなされなければならないはずである。しかし、そのような観点からみた場合、「生活保護実施の態度」の内容には、「生活保護は、要保護者の活用し得るもののすべてを活用した後に、はじめて適用されるべきものである」(上記3)とあえて強調している点において、「現在の生活保護制度の運営の実際が、この点に関し、余りにも機械的で自立の源をわざわざ涸渇させているという批判は、識者の間では定評となっているので、この点を是正するために立案上も特に意を用いた」(小山・前掲書119頁)と述べる法案起草者の思いとの間に隔たりがあり、「水際作戦」に通じるものが感じ取れるように思われる。(p.48-49)


生活保護に関する言説について、私にとってしばしば気になることがある。それは、小山進次郎という法案起草時の厚生官僚の著書が殊更に称揚され、彼が書いたことが生活保護法の「正しい」解釈であり、その通りに運用することが「正しい運用」であると半ば暗黙裡に前提された上で、それとは異なる考え方や運用に対して、それを「誤った解釈・運用」であると批判する論調がある。

しかし、まず指摘しなければならないのは、小山進次郎は厚生官僚に過ぎず、法案制定時の首相や厚生大臣ではないということである。すなわち、彼の意見は国民の意見を代表していたわけではないのである。

また、より一般的かつ常識的なこととして、テクストというものはそれが書かれた後は著者から独立するものである、という基本的な事実がある。ある意図を持って書かれたテクストであっても、そのテクストが社会に流通した際にその意図を直接反映するわけではないし、常にそうあらねばならないわけでもない。

こうした政治的な正当性の問題とテクストを巡る基本的な事実とを考え合わせると、生活保護法を巡る小山進次郎を持ち出した議論の多くは疑問に見える。彼の考え方こそが「正しい」ものであり、「あるべきもの」であると言える理由はないのである。法文が既に客観的に確定している仲では社会の情勢に応じて解釈が若干なりとも変わっていくのが通例であり、法文の解釈が唯一のものに定まることも基本的にはない。もちろん、法文と解釈に余りに大きなズレが生じた場合は、問題が生じるためいずれかを修正する必要が生じるが、それは政治的過程によって決まるべきものである。(この点は憲法9条などに関する議論でもかつて述べたことがある。)

つまり、小山進次郎を称揚したり引用したりしながら主張する人たちに対して言いたいことは、彼の権威に頼らずに発言した方が説得力がある、ということである。

もう一つ気になることは、生活保護を拡充せよ、運用を誰にでも受けられるような方向にせよ、という議論の多くが規範的過ぎることである。財源を気にして人権侵害や生活の水準を下げてはならないという道徳的な話がよくなされるし、財政の原則から言っても財源は必要に応じて調達すべきであるということになっているから、それは原則的には正しいのだが、現実的にそのように動いてはいない

そして、現実が規範の通りの方向に向かうとしても、生活保護の財源は中央政府と地方政府の両者が負担しているため、仮に中央政府の財源が確保できるようになったとしても、個々の地方政府では財源が調達できないことがあり得るのであり、そうした構造が「水際作戦」などの背景にあるのだから、生活保護を改善しようとすれば本質的には財源問題を先に解決することが必要なはずであり、累進的増税を強く主張し、全額国費負担とするなどの財政的な仕組みを改善することが本来の筋道ではないのか?そうした主張を真正面からせずに規範的なことばかり言い、個別の運用に対して反撃していたのではきりがないように思われる。もちろん、そうした反撃には意味があるのは、本書が随所で言っている通りであるが、根本的な解決には遠いやり方であるようにも思われるのである。



 もっとも、この法定期間は多くの場合遵守されておらず、開始決定までの期間が長期化しているのが実情である。(p.120)


生活保護の申請から開始決定までは原則として14日以内に決定することになっているが、それが守られていないという。これは本当だろうか?



 なお、保護開始時点における現金・預貯金の保有が認められる金額が最低生活費の2分の1程度のみであるという運用は、保護利用中における一定の預貯金の保有を認める判例および運用との比較でも不均衡を生じているというべきである。(p.121)


なるほど。確かにそうかもしれない。

ただ、保護開始時点で多くの預貯金の保有を認めると、それで食いつないでいける間に就労できる人が安易に保護申請し、保護開始決定となると就労しようとしなくなる恐れがある。行政側はすくなくともそのように考えているのではなかろうか。就労可能な人からの申請についてはある程度までこうした考え方には妥当性がある面がある。こうした見方を「惰眠観」であるとして批判することは容易だが、現にそうした人々も存在していることもまた確かなのであり、行政側が苦慮しているのはこうした類の人々に対する対応であることを考えると、理由がないことではないと思われる。



 毎年の保護基準は、厚生労働大臣の告示で決められる。つまり、国会で審議され議決される必要もなく、利用者等関係者の意見表明の機会もない。保護基準のナショナルミニマムとしての広範な影響からして、国会での審議、議決事項とし、決定根拠等を国民の前に明らかにし、国民の代表によって審議されるべきである。(p.143-144)


原則的には正しい意見であるが、今、このように制度の運用を改正すると却って保護の基準は下がる可能性が高まるように思われる。



 保護基準は、生活保護利用資格としての生活水準(要否判定基準。保護開始のときに問題となる)と生活保護で保障される生活水準(程度決定基準)の2つに分かれ、後者の方が高く設定されている。要否判定時は主として経常的最低生活費に限られ、臨時的需要に対応するものおよび主として自立助長を目的とするものは適用されない(〔表4〕参照)。(p.144)


なるほど。保護開始時の要否判定と保護停廃止する際の要否判定に違いがあるのはこのためだろうか?



大都市部である1級地-1から、地方の3級地-2までの区分がある。級地別被保護人員数・構成比(〔表5〕参照)を見ると、1級地-1(東京23区、横浜市、名古屋市、大阪市等)と1級地-2(札幌市、千葉市、広島市、福岡市等)だけで、55.6%を占めている。2級地-1(青森市、熊本市等県庁所在地はこの区分以上である)を加えると、74.8%、すなわち4分の3となる。(p.146)


興味深い事実。


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布川日佐史 『生活保護の論点 最低基準・稼働能力・自立支援プログラム』(その2)

生活扶助をはじめとする金銭給付の要件に関する判断の基準とは別に、自立支援サービス給付の要件は簡略な基準にし、生活保護による自立支援を開始すべきという提起である。生活保護の適用は、自立支援給付と金銭給付を別の2つの基準で行うべきとの提起である。(p.88)


私見では、こうしたやり方をするならば、昨今の生活保護を巡る「自立支援プログラム」の活用については生活保護とは別の制度として創設し、生活保護受給者は他法他施策として活用し、受給者でない者は生活保護とは別物として活用できるようにした方がよいと思われる。

その方が、現在のように生活保護法に全く根拠を持たない自立支援プログラムを生活保護の枠内で運用するよりもずっと分かりやすい仕組みになると思われる。私見ではそもそもどうして生活保護を受けていると自立支援プログラムによる人的サービスまで受けられるのか意味がわからない。生活保護受給以前の段階から活用されるべきでものであると思われる。



 林訴訟は、現に稼働能力を活用していない生活困窮者への保護適用の判断内容を確定した。「活用していないとはいえない」を判断するということであり、これによって、運用の論理が整理されたのである。ただし、2008年に改定された「保護の実施要領」も含め、現在までのところ、それが持つ意義が曖昧になっている。この論理の転換をふまえるなら、稼働能力のある生活困窮者の多くが保護に入ってこられるようになる。(p.96)


林訴訟によって論理が確定したと言える根拠が不明である。むしろ、著者がその判決で出た論理を重要であると考えるがゆえに、そうあって欲しいという願望と事実とを混同しているようにさえ見える。

「活用していないとはいえない」ならば「活用している」と見なして保護を開始・実施せよという論理は、それなりに興味深い論点ではある。ただ、生活保護法第4条では「保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる」とされており、「活用していないとはいえない」ということをもって直ちに「活用している」と解釈するのであれば、無理があると言わざるを得ない。

ただ、実務上、「活用していない」と判断できないのであれば、(よほど悪質だと思われるような事例を除けば)差し当たり保護を開始・実施し、その中で調査や指導を続行するという判断はありうるだろうし、現にそれに近い運用になっているものと私は考えている。



山城北福祉の就労支援で重要なのは、生活保護給付額以上を稼げる正社員求人の開拓とそこへの就労支援に力を入れていることである(奥森[2006][2008])。……(中略)……。パソコンや介護の資格や運転免許の取得のための援助の手段として生業扶助を積極的に活用している。(p.148)


興味深い事例。生業扶助については生活保護から切り離し、自立支援プログラムと合わせて一つの制度を創設すべきである。生活保護としてはそれを他法他施策として活用するという位置づけの方がよい。



 自助原則の徹底がもたらす矛盾の端的な例は、資産の活用ということで保護の開始前に自動車を処分させたことが、保護を受給してからの求職活動を大きく制限していることである。職安に行くにも、自動車がないと費用と時間の負担が大きい。フルタイム就労の求人が徒歩もしくは自転車で通勤できる範囲にあることはまれであり、パートなど短時間就労であっても通勤先にバスや電車を乗り継いで通勤することになる。就労の可能性を大きく制限してしまうし、就労したとしても、就労に伴う時間の拘束度合や精神的肉体的負担が大きく、就労を非効率なものとしてしまう。(p.151-152)


概ね同意見である。自動車の処分については求職活動を行うことや就労していることを条件として保有を認めていくべきであろう。その上で、求職活動を行わないような者に対しては、状況に応じて自動車処分と求職活動を行うことの両面から指導を行っていけばよいのではないか。もちろん、保険への加入などは義務付けなければ事故などが起こったときに被害者が救われないという問題はあるので、そうした面への配慮も必要だが。



 重要なのは、重層的な社会保障制度を構築するには、社会保障制度を土台からつくり直すという視点を持つことである。安定した雇用を失い「上から落ちてくる」人を途中で救うために、防貧対策である2階の改築(被用者社会保険制度を拡充する、社会手当や基金を創設する)から始めるのではなく、土台(生活保護制度)の改善から構想し直すという視点に立つ必要がある。(p.162-163)


この意見は私見と対立するものである。むしろ、重要なのは生活保護以前の段階のセーフティネットを充実させることであり、生活保護の持つ機能を、むしろそちらの方に切り分けていくことであると考える。

まず貧困に陥る入口をふさがなければ、支える人がいなくなり底が抜ける。保護で支えきれなくなる。確かに既に生活保護水準以下で生活している人たちにとっては、そうした制度の充実では間に合わないため、生活保護を利用しやすくすることは重要ではあろうが、次々と受給者が増え続け、実施体制も財政もそれに追いつかない現状でさらに利用しやすくして受給者を増やすことは現実的な対応ではない。(本書は生活保護受給者は現在の5倍くらいになってよいとするが、そのための予算は現在の国庫負担が約2兆円なので、約10兆円となり、現行の消費税の税収総額とほぼ同じである。)むしろ、そのようになる前の段階で手を打つべきであり、年金と雇用、失業者の就労自立のための制度を拡充することが先である。ここに金を使う方が付加価値が多く生み出されることになるだろう。



しかし、他方で、社会保障制度間の順序付けとして生活保護制度は最後に控える制度であるべきとの主張は、おうおうにして生活保護受給者の増加を批判し、生活保護への受け入れを抑制せよとの主張に転化していく。(p.171)


重要な批判ではある。私の論にもこうした方向性は含まれているところがある。私自身は増税論者であり、それにより社会保障を拡充せよという立場だと自認している。しかし、拡充すべきところは生活保護ではなく、それ以前の段階の社会保障であるべきだと考える。働いた金額に応じて受給額が減るようなシステムになると、それをできるだけ多く受給ように働こうとするインセンティブが強く働く。それは所得税における扶養控除が持つインセンティブの比ではない。

しかし、よく考えてみれば、別の考え方もできるかもしれない。すなわち、失業が溢れている現状を考えると、そのようにして就労を抑制してワークシェアリングをするという方法もあるのかもしれないとは思う。しかし、現行制度のもとでは財政上も運用上も問題が大きすぎるため、ドラスティックな改革がなければならないと考えるが、そのような制度変更の機は熟していない。

この問題はもう少し考えてみる必要があるかもしれない。本書は稼働能力活用に関する部分で特に顕著だが、法解釈があまりに杜撰であり、あまり参考にならないところが多かったが、この引用箇所による批判は収穫を得られそうな建設的な批判であり、この点について考察するきっかけとなったというだけでも本書を読んだ価値はあったと考える。



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布川日佐史 『生活保護の論点 最低基準・稼働能力・自立支援プログラム』(その1)

 1984年の同方式(引用者注;消費水準均衡方式)導入以来、一般勤労世帯の1人当たり消費支出額と、生活保護世帯の1人あたり消費額を比べると、後者は60%台後半で推移してきた(図表1-6)。それが70%に近づき、2001年度(平成13年度)に70%をこえた。(p.16)


一般勤労世帯の消費水準が下がっているため生活保護のレベルに近づいている。確かにこれをだけをもって保護の基準を下げるならば、貧困へのスパイラルがはじまる可能性は否定できない。しかし、納税者が増税に反対している間は基準の引き下げもやむを得ないのではないかというのが私の考えである。

私自身は増税論者なので、増税した上で生活保護の基準は維持し、それ以前の段階の社会保障、特に労働に関するものと年金に関するものを拡充すべきであると考えるが、増税が悪いことであるかのように語られる中では生活保護の基準の切り下げを行わざるをえないだろう。なぜならば、生活レベルが下がっているのだから生活保護の対象者は増えるが、予算は増えないから一世帯当りの給付は下がらざるを得ないからである。増税に反対するということは、こういうことを意味すると考える。(生活保護以外のものを削れという論はありうるが、公共事業削減は単純労働、肉体労働の減少であり、生活保護受給者の増加に直結するなど、何を削っても、ほとんどの場合、最終的には生活保護の増大に結びつくのである。)



 まず確認すべきは、加算はプラスアルファの「おまけ」ではないということである。加算は、何らかの問題を抱え、特別需要を持った人が生きていく上で必要な給付である。生活扶助本体(1類費、2類費)を「家」にたとえるなら、バリアフリーのための補助具や改築が加算というイメージである。(p.35)


「加算」という言葉からはどうしてもプラスアルファというイメージになってしまうが、「通常より深い穴の穴埋め」のようなものということだろう。家のたとえはなかなか的確でわかりやすかったのでメモしておきたかったので引用。



稼働能力を活用していなくても保護の要件を満たすというここでの方針と、稼働能力を活用していることを保護の要件とするという原則とは、矛盾する。
 この矛盾の上に、本人が稼働能力の活用にあらゆる努力をしている限りにおいて、という但し書きがおかれている。そうなると、稼働能力を活用していることを要件とはしないが、その代わりに、能力活用のためのあらゆる努力をしていることを要件とするということになる。あらゆる努力とは、どんな基準で「あらゆる」と判断するのか。そもそも、努力をしていることがどうして保護実施を決める新たな要件となるのか、根拠は示されていない。
 具体的な指針として、実際に就労していなくても「誠実に求職活動をしていれば稼働能力を活用していると判断する」という通知も出されている。この通知では、求職活動そのものが稼働能力の活用であると解釈されているように見える。求職活動が保護開始要件であるという誤解も生じてきた。「誠実に」という基準も曖昧でしかない。保護開始前1か月の間、2日に1回職安に通ったかどうかを保護開始要件とするような福祉事務所も出てきた。ケースワーカーに言われたとおりの求職活動ではダメで、自主的にあらゆる努力をしないといけないと主張する福祉事務所もある。(p.80)


このあたりについて著者の法解釈は誤っているというのが私の理解である。なぜならば、生活保護法第4条は「稼働能力」の活用を保護の要件としているのではなく「能力」の活用を要件として明確に謳っているからである。著者は「能力」を「稼働能力」に矮小化して解釈することで上記の「矛盾」を自らでっち上げてしまっている。

稼働能力がある者が求職活動を行うことは「稼働能力」自体を活用しているわけではないが、それに向けた「能力」を活用していることにはなるだろう。

ただ、「あらゆる」努力をしているという判断基準や「誠実に」活動しているという場合の判断基準は客観的に一律に示すことは難しく、このあたりは厚生労働省の通知の難点であると考える。私自身もこの問題について最近考えていたところであった。



門倉貴史 『貧困ビジネス』

 多重債務者や自己破産者は、様々な「貧困ビジネス」に利用されています。たとえば、多重債務者や自己破産者にニセの養子縁組などをさせて、金融機関から巨額の融資を引き出し、融資額の大半を搾取してしまうといった手口の「貧困ビジネス」があります。(p.43)


この事例では金融機関が騙されてしまうわけであり、貧困者自身は加害者の道具として利用される形になる。私もこうした事件に関わると思われる実例を知っているのだが、その全貌にはやや関心があるところである。



 このように富裕層が寄付を積極的に行う背景には、米国の税制度も少なからず影響しています。米国では基本的に、寄付をすると、それは所得控除の対象となり課税されません。
 日本でも寄付ビジネスが注目されるようになってきましたが、金銭的な寄付市場の大きさはGDPに対する比率でわずか0.22%にすぎません(1995~2002年平均)。
 ……(中略)……。
 また、米国と違って、税法で定められた団体や組織に限って、寄付金の所得控除が認められているため、寄付行為がなかなか浸透しないという問題があります。ですから、行政側が税法を改正するなどして、所得控除となる寄付の対象範囲を広げるようにすれば、日本でも米国のように寄付ビジネスが大きく拡大していく可能性があります。(p.182-183)


所得税の累進性の強化と併せて行うと効果的である。



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