アヴェスターにはこう書いている?
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新藤宗幸、木村陽子、斎藤貴夫、平松邦夫、道上正寿 『いま、見直すべき生活保護制度』

 いずれにしましても、そういう級地指定を外して、全国一律の金額で現金給付をする。生活扶助の部分は、そういうふうに改めるべきではないか、と思います。
 そして、財源的に言うならば、給付額については全額国庫負担にしろ、と申し上げたいと思います。(p.15-16)


新藤氏の意見に私も賛成である。ナショナル・ミニマムは中央政府の財政責任において保障すべきである。

もし、級地区分を残すのであれば、基準額を逆転させるべき(例えば、現在の1級地の1で3級地の2の基準額で支給する)であると考える。都会の方が売り手の競争が激しい分だけ安くものを買えるし、交通費なども公共交通機関が発達している分だけ安く上がるので、そちらの方が生活の実態に合っていると思われるからである。



 また、都市の貧困化ということで言うと、いま生活保護受給者の9割が市に住んでいて、さらに全体の5割が人口30万人以上の市に住んでいます。貧困問題というのは、日本では都市の問題になってきています。(p.32)


木村氏の発言。

高度成長期に出稼ぎに都市に出てきた人々が高齢化し、また、それらのうちで働いていた人でも仕事がなくなってきたということが反映しているようである。

年金額が少ないというよく知られた問題のほか、公共事業による土木や建築の仕事が減少したため、単純労働や肉体労働しかできない人たちにとって仕事がなくなってきているという現状などが背景にあると思われる。若年者のワーキング・プアの問題もあるが、そうした人たちも結局は地方では仕事がないので都市に出てワーキング・プアとして働いている人が多いであろう。そして、地方では人口流出と都市部以上に急速な高齢化の進展という形でひずみが出ている。



ほかの国民健康保険だとか、不備はいろいろあったはずですが、いまほど問題があからさまになっていなかった最大の理由は、企業社会がむしろセーフティネットになっていたからですよね。多くの人が終身雇用で雇われていて、それぞれの企業の福利厚生としてやってくれていたから、行政はいまに比べればはるかにウェートが低かった。だけど、構造改革でもって企業社会の側がそれを一気に切ってしまったので、行政にかかる負担が一気に高まったという整理でいいんだろうと思います。
 ですから、このあとの就労支援というのも、以前と違って、ただどこかで雇われるようにしてあげればそれでいいということだけではないはずなんですね。(p.53)


斎藤氏の発言。鋭い指摘であり、ここは私が今回本書を読んで最も参考になった箇所かもしれない。

現在では職に就ければよいというわけではないという指摘は重要である。ただ、これは生活保護制度の枠を超える問題である。生活保護受給者の多くは低学歴・無資格(自動車免許すら持っていないことが多い)であり、職歴などを見ても職を転々としていたり、比較的単純な仕事をしていた経歴しかなかったりする。最近、ハローワークの方で資格を取得するための支援を強めているようであり、介護職などの資格は確かに有効な部分もあると思っており、私も多少は評価しているのだが、資格取得の促進で問題が根本的に解決するかと言うとそうでもないと思われる。

高度な専門知識や技能がなくても可能な仕事――それでいて何らかの付加価値が生じるようなもの――をいかに作っていくことができるか、さらにそれをいかにして安定的に供給できるか、ということが問題であるように思われる。貧困問題にコミットして必ずぶち当たる壁が「そもそも仕事が足りない」という問題である。

(なお、「ジョブ資産(資産としてのジョブ)」という考え方によれば、人が余っているのだから、その人たちは必ずしも働く必要がないという論も出てくるかもしれないが、経済活動が大きく伸びている場所とそうでない場所がある場合、前者によって後者がさらに駆逐されていくという問題があり、政治的な所得分配は主権国家の領域内で基本的に行なわれるため、その場所から離れられないということを所与の事実とする限り、仕事がないなら働かなくて良いという論理は、その場所ではさらに仕事がなくなることを促進する可能性が高く、分配が世界大で行なわれる可能性が現時点では皆無といってよいことを考慮すれば、やはり政策としては採用できないと思われる。)



 あとで話題になるかもしれませんが、財源論にもかかわりますけれども、どうしても消費税で社会保障費をという言い方がされるわけですが、消費税というのは、実が多くの人が考えているほど簡単な税制ではないんですね。間接税である一方で、事業者にとっては単なる直接税、売上税でもあって、消費者の預かり金と言っているけれども、消費者に転嫁できない場合もいっぱいあるわけです。大企業の下請けが請求書に消費税分を上乗せしてくれなんて書いたら、そもそも取引を切られるでしょうね。ですから、消費税がこれ以上上がると、中小零細の事業者は確実に倒産していきます。我々のような自営業、自由業というのはそもそも成立しなくなる。
 また、非正規雇用というのは、実は消費税が上がってきたから非正規雇用になってきたという側面もあります。(p.54)


これも斎藤氏の発言。消費税増税論への批判として中小零細企業の立場からの批判は意外と少なく、貴重な意見である。



生活保護をいったんもらい始めるとなかなか卒業できない。家もないとか、車も持ったらいけないとかいう状態になって、自立のための手段がなくなっている、と言うのですね。ですから、就労支援の対象者は、そういう自立のための財産は残しておくようにというのが私たちの一つの提案です。(p.58-59)


木村氏の意見に私も賛成である。マイカー通勤ができないために就労可能先の選択肢が狭くなるということも実際に起こっていることである。家を持っても良いという部分については、居住している家を持つことは基本的に(よほど資産価値が大きくない限り)認められているので、東京などはどうか知らないがあまり問題はないと思われるが、自動車の保有と使用については就労支援を行うという前提のもとで認めてよいと思われる。

ただし、事故などに備えて保険加入を義務付けてそうした書類の写しを福祉事務所に提出させるなどの対策は必要だろう。金もなく保険もかけずに車を運転して事故を起こしても弁償もできないという人が増えるようでは問題だからである。



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北井裕子 『東京建築物語』

 国会開設が決まったのは明治14年(1881年)のこと。19年には議事堂建設のための臨時建築局が内閣に設けられるが、以来、完成までじつに半世紀もの歳月が費やされることになるとは、誰も想像しなかったにちがいない。(p.12)


権力を象徴するような立派な公共建築というのは、実際には権力がある程度確立した後になって初めて建てられることが多いように思われる。国会議事堂もそうだったのか、という感じである。



大正末期から昭和初期にかけてのこの時期は、日本の木造建築や建築工芸の水準が頂点に達した時期でもあった。(p.164)


最近、この時期の国内の建築をたまに見て回っているのだが、確かにそれなりの水準があると感じることがある。

ただ、それらを見て思うのは「見た目」が重視されているような感が強いということである。室内の空間がその空間内にいる人の感覚に訴えるような要素は余り感じられないように思われ、私としては物足りなく感じることが多いように思う。


太田幸夫 『北海道の鉄道125周年記念 北海道の鉄道125話~幌内鉄道の開業から北海道新幹線着工まで~』

幅100メートルの大通公園を設け防火帯とし、北部に官庁、学校、病院など、南部に一般民家を配した碁盤の目の札幌都市計画の骨格を作る。(p.4)


島義勇についての脚注より。明治2年に開拓判官に任命されたときのこと。この時代に既に大通公園の基礎ができていたというのは興味深い。



殺伐とした札幌に歓楽地「薄野遊郭」をつくり、治安の安定をはかる。(p.4)


明治4年に札幌に開拓判官として赴任した岩村道俊についての脚注より。すすきのもこの時代②基礎が作られていたということか。



その他社内人事でも、課長はじめ多くの幹部職員に鹿児島出身者が任命され、北海道炭鉱鉄道会社の主要ポストは旧薩摩出身者で占められた。(p.31)


観光などの際の紹介では、こうした政治的な情報は伏せられて紹介されることが多いが、こうした点を理解することは当時のの情勢を理解する上で非常に参考になる。



 小樽~旭川間の全通により旭川地方の居住及び経済状況は全く一変した。空知太~旭川間は人馬では2日間を要したのが、列車では3時間となったのである。上川地方の人口の増加はもちろんであるが、この地方の最大の天然資源である木材は、鉄道開通以前は燃料以外にはその用途が見出せなかったが、開通後は木材・一般用材のほか、清国に向けマクラギあるいはマッチの軸木材として最大の移輸出品となった。鉄道開通で木材・木製品は米の生産拡大と共に、上川地方の重要な産業として成長するのである。馬によれば米1石(150キロ)、2円50銭かかった運賃がわずか十分の1の25銭で搬出できることになったことからも、農業経済に及ぼした利益が大きかったことがわかる。(p.50)


小樽から旭川まで全通したのは明治31年のこと。小樽の経済が急速に上昇を続けていた時代。鉄道によって内陸部と繋がれることによって北海道が世界経済の流通体系の中に組み込まれていった時代であり、その際の玄関口となったのが小樽港であったと思われる。



 北海道と樺太間に定期航路が開設されたのは、明治38年(1905)8月21日、日本郵船株式会社が小樽港~大泊港間に田子浦丸(746トン)を就航させたのが始まりであるが、海上輸送の距離が長く(361キロメートル)、航海時間にして1昼夜を要していた。(p.90)


日露戦争の終結(1905年9月5日)直前である。





田村喜子 『北海道浪漫鉄道』

 北垣は拓殖務省次官を拝命して以来、北海道と台湾を車の両輪にたとえて、北海道だけでなく、台湾の行政にも心血を注いできた。台湾は日本がはじめて所有した領土であり、この統治は世界注視の的にもなっていた。従って予算面で台湾にウェイトがかかるのはやむを得ないとしながらも、北垣は北海道長官時代にうち出した北海道拓殖各事業をおろそかにはできない。(p.112)


北海道と台湾の関係に最近少し興味を持っているのだが、北垣国道もこれらの地域に関心を持っていたということか。北垣と台湾の関係はウェブでちょっと検索した程度では出てこない。京都や北海道のように知事や長官を務めるといった形での関与はなく、単に関心を寄せていたということだろうか。



明治初年のころは、小樽の鰊漁場では春の漁期になると、人手が足りなくなるものだから、網元の親方たちは道外から漁夫を募集したそうだ。ところがたいていは東北地方の貧農が給金の半分を前渡して連れてこられた俄か漁夫だ。最盛期の漁期には昼夜の別ない過重労働で、しかも慣れない仕事だろう。余りの辛さに逃亡をはかるものが続出したそうだ。しかし網元の方じゃ、前金で集めた漁夫だからね。逃亡を防ぐために厳重な監視をしていたっていうことだよ(p.156)


安い労働力を徹底的に使い倒すやり方自体は、派遣労働が一般化した昨今のワーキングプアとかなり近いものがある。資本のグローバル化が進展していく時代に共通の現象。



 タコ部屋の非人道的行為は、明治三十四、五年ごろから北海道鉄道だけでなく、道路、港湾、排水工事現場、そのほか猪苗代水力電気工事、鬼怒川水力電気工事、足尾銅山などでもエスカレートしていたが、その実態の一部がはじめて世間に晒されたのは明治四十一年のことで、それまでは一般社会からは完全に隔絶された別社会だった。従って朔朗たち鉄道敷設の当事者でさえ、そうした実情を知ることはなかった。逃亡者を草の根分けても捜し出し、みせしめのリンチを加えたのも、彼らの口から実態が世間に洩れるのを極度に警戒したからであった。
 タコ部屋制度は昭和二十二年に労働基準法が公布されるまで、隠然と続いた。(p.160)


こうした非人道的な状態は次第に改善されてきたのだが、グローバルな金融自由化が進むと、逆方向への圧力が高まる。もともと賃金が低く、貧しかった地域で、かつ、労働力が豊富な地域(例えば中国やインドなど)では賃金の上昇が起こるが、いわゆる先進国(世界システム論における中核)では労働者の生活は基本的に悪化する。



 徳川家康以来の関係で親幕派とみられていた東本願寺の門跡厳如上人光勝は、維新後新政府に対して異心のないことを証明する意味で、北海道の新道開削、移民奨励、教化普及を出願した。(p.178)


宗教団体の政治性を示す事例の一つ。



羽入辰郎 『マックス・ヴェーバーの哀しみ 一生を母親に貪り喰われた男』

 ここで一つ確認しておきたいことがある。マックス・ヴェーバーというこの男は学者になりたかった男ではない、といことである。学問などというものは暇人の余暇の産物にしか過ぎない、男子たるもの、より実践的な職業に就くべきであるという観念を、この男は終生抱いていた。(p.80)


実践的な職業に就くべきであるという観念を抱いていたのは確かだが、それを強く熱望していたとも言えない部分があるように思われる。本書は、「学術書ではない」という逃げを述べてはいるものの、やはり決め付けが多すぎるのは読んでいて気になるし、研究者が書く文章としてはいろいろと疑問を感じさせる部分が多い。一言で言えば、著者には客観的な認識や叙述をする能力が不足しているように見え、書かれていることが信用できないのである。



これは、これまでヴェーバー研究者の誰からも注目されてこなかった事実であるが、ヴェーバーは何と、母の死後、講義が出来るようになるのである。(p.91)


母の死と講義が出来るようになることの関係については、確認してみる価値はあると思われる。また、講義が出来るようになったのはこの時以降だけではないだろう、という点では留保を要するようにも思われる。

ウェーバーの人格形成や病状との関係において母との関係が何らかの否定的な影響があるという「仮説」だけは、本書は参考になる部分がある。まぁ、世の中の殆んど全ての人について父や母からの「悪影響」を見出すことは容易であるから、却って、ウェーバーが特別に強く「悪影響」を受けたということを論証するのは容易ではないだろうが。



 要するに、『倫理』論文というのは、自分は「宗教改革の思想内容」に対しては価値判断はしないと断言しておきながら、その裏で、ピューリタニズム、とりわけ、カルヴィニズムを貶めるような価値判断を、あちこちに滑り込ませている論文なのである。
 ではこの価値判断は誰に向けられていたのであろうか。
 一人しか考えられない。母ヘレーネである。
 つまり、『倫理』論文というのは自分の母親の宗教思想を貶めようという隠れた意味で書かれた論文なのである。(p.120)


『倫理』論文(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)がプロテスタンティズムに対する否定的な評価を含むという点は羽入が鬼の首を取ったかのように勝ち誇るまでもなく、最近20年くらいのウェーバー研究ではいくらでも指摘されていることである。ただ、それを論証するプロセスについては、羽入のものは杜撰であり水準が低いとは思う。私見では、ウェーバーが記憶に頼って物語の引用をしていると思われる部分を、引用された物語の原文と筋が違うと羽入は指摘し、それをもって「隠れて価値判断をした」と非難しているように思われる。

100年前には社会科学は現在のように制度化が十分に進んでおらず、論文を書く際のルールも現在より遥かにルーズだったと思われることなどが考慮に入っていないのは、アナクロニズムではないか。現在のルールが存在しなかった当時に持ち込むのは非常に自己中心的な評価基準であると言わざるを得ない。羽入のこうした自己中心性は、上述の客観性の欠如と同根である。

ウェーバーの禁欲的プロテスタンティズムに対する評価はアンヴィバレントなものであったと評価するのが妥当だというのが私見である。

また、羽入は、プロテスタンティズムへの否定的な価値判断が母に向けられたものであると決め付けているが、この決め付けが十分な妥当性を持つためには、ウェーバーの近くに母親以外にプロテスタントがいないということが前提となる。そうでなければ、もっと遥かに多くの傍証や証拠が必要とされるはずである。羽入はそれを示すことなく、彼が作った物語の中の登場人物の中で敬虔なプロテスタントは母(と母の姉・イダ)だけであるということから飛躍した結論を得ようとしているように思われる。



 ヴェーバーは講義が出来ない状態にあった時にも、父親のテリトリーである講演・新聞・裁判等での論争では、難なく成功している。失敗しているのは「職業としての学問」のみなのである。だとしたら母親に原因があると考えざるを得ない。(p.184)


前段はそれなりに興味を引く。後段は羽入には毎度のものである論理的飛躍である。父=政治、母=宗教というステレオタイプを前提として、一方でなければ他方以外には選択肢がないかのような論法は明らかに不当なものである。ステレオタイプの妥当性のほか、一方と他方以外の選択肢の存在をはじめから無視しているからである。本気でそのような思考をしているのだとすれば、羽入に対しては学者としての資質を疑わざるを得ない。



本書の序において、羽入はウェーバーが『プロ倫』で資料の改竄やでっちあげをしたと主張した上で、そうせざるを得なかった理由を問題であると設定し、その結論として、ウェーバーは母とは考えが違うにもかかわらず、母に取り込まれてしまい、逆らえなかったために、彼女の価値視するプロテスタンティズムを貶めようとして書いたからであるとまとめられるかと思う。しかし、それがどうして「改竄」や「でっちあげ」と言う形をとるのかについてはまったく説明になっていないし、問題意識であるとして宣言されていることと実際に書かれていることの間かなりズレがあると思われた。問題意識は建前であり、単に、かつて社会科学の分野の一部で崇拝されていたウェーバーという人物をこき下ろしたいという欲求に突き動かされているだけであるように思われる。彼の客観性のない叙述には私怨のようなものすら感じられる。


寺本潔 『教材発見 町ウォーキング 商店街から近代化遺産まで』

地理を極めれば環境や文化との対話能力が高められ、自分の世界像も豊かになります。町ウォーキングに長けた方は、たとえ外国の町を歩く場合でも気付きが格段と違ってきて、旅を楽しめることができます。(p.4)


私の場合は、地理を学ぶというより、旅をすることで数々の街を見、旅先の地域の歴史を学ぶ中で、こうした「環境や文化との対話能力」が触発されてきた経緯がある。まずはフィールドワークありきと思うが、その際にパラダイムを提供する何かが必要だという点には同意する。



 学校には校区地図が必ず完備されている。それをまず眺めてみよう。そうすれば必ずといっていいほど道幅は狭いが、けっこう長く校区外まで続くくねくね曲がった道路を発見できるはずだ。その道こそ、都市化という変貌に飲み込まれて見えにくくなってしまっている歴史道なのだ。
 歴史道とは言っても古代から続くような条里制の道ではない。古くても明治期の地図にも載っている道。あるいは、そこまで古くなくても昭和30年代以前に地域にあった道なら十分だ。つまり、高度経済成長期以降にバイパスや道路拡幅の工事を経ていない道こそ校区めぐりのウォーキングの狙い目になる。
 そういった道には、常夜燈や道標、古い民家やよろずや的な商店、神社、石橋、井戸、農協の倉庫などが建っているものだ。そこに地域の歴史や環境を語ってくれる教材がたくさんある。(p.18-19)


面白い着眼点。自分の住むエリアにもこうしたものがないかどうか、チェックしてみることで、こうしたものを見つける目を養ってみると良いかも知れない。



 雨の多い日本で昭和30年代後半から至るところの商店街に造られ始めた施設がアーケードだ。……(中略)……。
 いまや、アーケードを取り払い、商店の顔(ファサード)を全部見せて町並みを美しく改良する町づくりが望まれている。どこでも同じアーケード街ではなく、この商店街しかない個性ある町並みが求められている。(p.41-42)


この記述によると、アーケード街というのは、高度成長期に登場してきたものらしい。百貨店などの大型店舗への対抗策という意味があったと記憶しているが、百貨店が凋落していく中、町の商店が対抗する相手が変わってきたことも、こうした「脱アーケード街」的な戦略と関係しているようにも思われる。

ネットでの買い物の比重が増えているのが現代の買い物の特徴であろう。実物を見ることがその際のポイントとなるが、気分よく町を歩くことができるということはその前提となる。その意味では個性的な商店街の登場が望まれるのは尤もなことである。ただ、景観が個性的なだけでは人は買い物には出て行かないということは釘をさしておくべき点であろう。



「デパートのおもちゃ売り場はなぜ上の階にあるのか。それは子どもを連れた家族を一旦上階に上らせてから、漸次降りさせる途中ですべての階を見てもらうシャワー効果のためだ」(p.49)


なるほど。



 さらに百貨店としてのルーツを訪ねてみれば、高島屋、大丸は京都の呉服屋から始まり、松坂屋は名古屋から、伊勢丹は名前が示すとおり三重県の伊勢から、三越は江戸発祥だが、もともとは越後屋呉服店で新潟の人が始めた店ということがわかる。
 西武、東急は結構新しいが、西武のもとをたどれば堤康次郎という近江商人に行き当たる。つまり、大抵よその人が大都市にやってきて商売を始めたということがわかってくる。(p.51)


興味深い指摘。

デパートについてはいろいろ調べたいことがあるのだが、なかなか良い文献がないのが悩ましいところである。


村上春樹 『1Q84 BOOK3 <10月-12月>』

「僕らがどれくらい孤独だったかを知るには、それぞれこれくらいの時間が必要だったんだ」(p.600)


この天吾の台詞は、この小説の主題の一つと思われる孤独と時間性の問題を集約的に表現しているように思われる。(時間性に関しては、これとは別の角度からも見る必要があると思われるが。)

私は基本的に小説などの文学作品は殆んど読まないこともあり、村上春樹の作品も初めて読んだのだが、彼の作品に描かれている孤独感は、最近20-30年の間、世界中の多くの人に共感を得られる類のものであるように思われ、それが彼の作品が売れる一つの要因になっているように思われた。

今は細かい分析をする暇はないので、とりあえず、それは後日機会を見て行なうことにしたい。


近代遺産選出委員会 編 『日本の近代遺産』
札幌麦酒工場跡

 正面玄関の上の壁と後方の高い煙突のてっぺんに、大きな赤い星がついている。今はサッポロビールの商標になっているが、もともとは明治政府の北海道開拓使のシンボルマークであった。理想の星、北極星を表している。(p.12)


あの赤い星の由来。言われてみれば、開拓当時の北海道に関係するものは「星」がシンボルになることが多かったように見える。先日、北海道炭鉱鉄道のマークも星が使われているのを見たとき、そのように思った。



日本銀行旧小樽支店

 辰野は日本銀行本店を造る前、モデル探しに欧州を回っている。その際、最も気に入ったのがベルギー・ブリュッセルの中央銀行であった。この建物は外国軍の攻撃を想定したという堅牢な、“要塞風”で、その流儀を日本へ持ち込んだ設計者は「辰野堅固」の異名を持つことになる。堅固の本質は当然、小樽支店へと受け継がれた。(p.17-18)


本書の表紙にも採用されている日本銀行旧小樽支店の外観はこうした欧州視察の影響を受けているらしい。通常の「辰野式」とは大きく外観が違うため、ちょっとした違和感を持ったことがあるのだが、その理由(手がかり?)が少しだけわかった気がする。



立岩真也、齊藤拓 『ベーシックインカム 分配する最小国家の可能性』(その2)
齊藤拓氏の論文についてのコメント。

人々が「ギフト」を受け取る形態のなかでも、ジョブという地位の占有にはその個人がその人生においてどれだけ「ギフト」に恵まれてきたか、そして恵まれているかが最も凝縮したかたちで表われる。(p.197-198)


齊藤はヴァン・パリースの「資産としてのジョブ」論や「ギフトの公正分配としての社会正義」について多くの紙数を割いて説明しているが、ヴァン・パリースの思想は検討する価値がありそうなものであるという印象を受けた。

ジョブを「資産」として捉える点は「労働」に関して巷で言われることの多くを相対化する際に参照できる考え方であるように思われ、とくに興味が引かれる。引用した箇所については、『希望をもって生きる』という本の123ページで「生活保護を受けなくていいような人は「溜め」がある人」という発言があるのだが、そこで湯浅誠の言葉を引きながら語られている「溜め」というのは、まさにここで言う「ギフト」にほぼ対応するように思われる。

実証的にも学歴とその後の就労可能性に関連が見られるが、それも「ギフト」という概念の枠内で捉えられることであり、この概念は現象を理解する上でかなり有用であるように思われる。

また、日本やアメリカなどのような国の中に生まれ、その国籍を保有している人とより貧しい国の中に生まれ、その国籍を持っているということ、さらには中国やインドのように新興国に生まれている人に生じている大きなチャンスなども「ギフト」の概念で捉えることは不可能ではなく、マクロな現象の理解にも何某か貢献できる内容を含むかもしれない。



つまり、ジョブ占有とは、一方において自らの労働を社会的財産へと貢献するパイプであり、他方において社会的財産(の一部)を専有する(社会的財産から受益する)ためのパイプでもある(図1参照)。(p.200)


こうした「ジョブ占有」はネットワーク理論とも関連させながら理解することが可能かもしれない。諸個人はジョブを占有することによって様々な「社会的財産」との双方向のリンクを形成するノードとなることができる(可能性が増大する)。



 この観点からすれば、「個人の生産性」や「生産性の高い個人」という物言いはほとんどナンセンスであるか、その扱いに高度の限定が加えられねばならないことが示唆される。「資産としてのジョブ」論の観点から言えば、そのような物言いはジョブという生産ツールの性能の違いを個人の能力の違いと錯覚しているに過ぎない。(p.203)


「成果主義」「能力主義」への批判としてもこの指摘は有効であるように思われる。なぜ「成果主義」や「能力主義」がうまくいかないかという理由として、必ず挙げられるのが、成果や能力の評価が難しいということであるが、そもそも「個人」の「成果」や「能力」というもの自体、単独で抽出できるかどうかは極めて怪しく、個人とその個人が占有するジョブの組み合わせから何らかの成果に繋がりうるというだけであるのだから、「個人」を評価するのが困難でも何の不思議もない。

客観的に測定できない評価によって短期的に評価が下されると、その仕事を継続するより退出しようとする圧力が高まることになり、組織がうまく回りにくくなってくるわけである。



製品のマイナー・チェンジを定期的に積み重ねるのは製造業の「情報産業」としての側面である。(p.212)


なるほど。面白い指摘。



 日本の現状が問題なのは、高学歴で実力があるとされている諸個人ほど安定した雇用に就いて流動性が低いのに対して、低学歴で知的生産の土壌がない諸個人ほど不安定雇用を転々とせざるを得なくなっているという点である。(p.212)


興味深い指摘。確かにそうかもしれないが、どこの社会でもこの傾向はあるのではないだろうか。日本の場合は、その傾向がとくに強いと考えられているとは言えるだろうが。

どちらも流動性が高くなることが良いことなのだろうか?流動性の高低はあまり関係がないのではないかという気がする。ベーシックインカムなどによって低所得者の雇用が不安定であっても生存が保障されることは望ましいことではあろう。ただ、高学歴者が安定的な雇用についていることによって低学歴者が雇用から弾き出されるというわけでもないと思われる。例えば、両者は同じ業種では競争できない場合が多い。スタートライン自体の違いを少なくすることは望ましいが、この問題がなくなるわけではない。



 インセンティブ・メカニズムを強調する人々は、主体間の「競争動機」ですべてを説明しようとする。そしてその際、それらの主体は自然人としての個人のように他の個人に優越したいという心理的機制を内蔵しているかのように擬人化される。そのため、この「競争動機」を強調する文脈では、「公正な競争」が精神脅迫的に要求される。しかし、現実の市場経済において企業や組織の間で「公正な競争」がなされていると思う人はよほど観察力のない人だろうし、そこで「公正な競争」を追求すべきだと考えるのはよほど愚かな人だろう。(p.215)


同意見である。



 「個人主義」がなぜ擁護されるべきなのか――システム論的に言えば、数多ある諸々のシステムの中で、何ゆえ個人の心理システムが道徳的に特別視されるべき最重要の単位として見なされねばならないのか――について、規範理論は十分な説明をいまだに提出できていないように思われる。(p.281)


恐らくそうだろうし、決定的に正当化することも恐らく不可能だろう。それでいながら著者である齊藤氏はp.323では「共同体的価値なるものは個人的価値に資する限りにおいて存在する、手段的な――優先順位の低い――価値でしかない」と断定しており違和感を感じる。

私自身の価値観からしても基本的には個人主義的であり、共同体は個人よりも価値において基本的には低い位置に置かれるべきものと感じているため、齊藤氏の見解には共感するところは多い。しかし、共同体は個人によって形成されており、共同体が個人を保護する側面もあり、あらゆる共同体が全面的に消滅するということがあるとすれば、個人も生存できないなど機能的な価値の観点から見て個人だけを絶対化することはできないとも思われ、そうした中で個人主義を擁護する十分な理論がないことを指摘しながら上記のような断定をすることには違和感を感じるところがある。

ただ、共同体が個人に要求できることは、個人の生存を脅かさない範囲内にとどめなければならないし、その生存を脅かさない範囲では共同体自体が存続できないのであれば、その共同体は解体・再編などが必要なのではないかというのが、私の感覚が私に語ることである。この感覚は立岩氏の理論とはかなり親和的であり、彼の説明は概ね承認しうると考えている。

齊藤氏の理論は、「リバタリアン」であることを貫徹しようとして一貫性を担保しようとするあまり原理主義的になっているところがあると感じられる。世界は単一の原理で構成されることはない、と私は考えるので、私という人が単一の原理によって(世界において)生活したり(世界について)思考したりする必要性もないと考える。よって、一貫したリバタリアンである必要性もないし、そう信じ(ようとす)ることの方が迷信的であるように見え、それが「原理主義的」という評価をする所以である。



BIによって労働者の交渉力が増し、ある雇用主にとっては賃金コストがBI導入以前よりも上昇するということは現実には起こりうる。(p.281)


BI(ベーシックインカム)と労働条件の問題は本書を読んで私が最も問題意識を啓発されたものの一つである。

BIが導入されることによって最低賃金などの規制が不要となるという主張が一方にはあるらしく、確かにそのように利用される可能性は十分にある。それと同時に、特に低所得者層などについては、この引用文にあるような交渉力が増すと考えられ、低賃金労働の一部は経営が成立しなくなる可能性がある。

BIをどの程度、どのように配るかということによって、これらがどのようになるか大きく変わるため、一概には何も言うことができない。ただ、懸念すべきはBIが導入されることによって、労働条件を切り下げても生存が担保されるため、切り下げることを良しとした場合、労働条件が切り下げられた後、分配の元手も減ることがありえ、それによってBI水準も引き下げられるという可能性も否定できず、労働条件が引き下げられた後で後を追うようにBIも引き下がるというマイナス方向のスパイラルが始まる可能性があることには常に注意が必要であると思われる。BIの分配方法は政策的には法律で決めることになるだろうが、それを変更することは労働条件の引き下げなどよりも容易になしうるということ(特に昨今のような小選挙区制によって少数政党が票数に比例しない議席数を確保できる状況においては!)には注意が必要だろう。



立岩真也、齊藤拓 『ベーシックインカム 分配する最小国家の可能性』(その1)
まずは立岩真也が書いた部分について、このエントリーでコメントする。

 次に、後述するように、社会サービスとして取り出される部分を財源を別の原理で調達するべき理由はない。すると、徴税+給付は、市場で得られるものの多寡を補正し、社会サービスの提供にかかる分も含め、多くある人から多く取り、少ない人、多く必要な人に渡せばよい。ここで差異化、そのための資力の差異の把握は必然であり必要である。(p.99)


ここでは日本では介護保険などの社会サービスの部分について財源が別立ての保険されているが、これに対する批判が含まれていると思われる。



 こうして、誰もが同じに払い同じだけを受け取る、あるいは同じ確率で生じる(要介護状態といった)事態に応じて受け取る、あるいは払いに応じて受けとる、という仕組みが推奨される。……(中略)……。
 そのような流れでこの国は流れてきた。普遍主義は分配を抑止する側に抗するものでもあったのだが、別の原理を採用する道に通じるものでもあった。(p.114)


普遍主義が分配を抑止することを止めようとする意図から発せられることが多かったにもかかわらず、結果としてはその意図は達せられず、その批判があったがゆえにむしろ「分配を抑止すること」への適切な批判が行なわれにくくなってしまったと思われる。私自身もこれらの議論を見て何かおかしいと思うことが多くあった。立岩の指摘にはまったく同感である。



 とくに「働かない」と「働けない」との区別は難しい。「働かない」のではなく「働けない」のだということを本人の側が立証することは困難である。どちらなのか自分自身にもよくわからないことはある。そして、無理すれば働けてしまい、その結果、よくないこともよくある。そのような無理なことを押し付けて困られるよりも、それをいちいち見ない方がよいと言いうる。(p.133)


私が最近検討してきた生活保護に関する問題に結び付けて言うと、これは保護の要件としての「能力活用」に関わる論点として興味を引かれる。



 人は様々な好み・嗜好・価値観をもつが、それは大切なものであるから、介入してならず、互いに比較するのもよくないとされる。そこで一つ、全員一致なら問題ないとされる。パレート(最適・改善…)主義とはそういうものだ。一人ひとりの選好に手をふれないとした上で、誰もがよいなら――誰の選好も否定しないのだから――それはよいことだとされる。しかし、別に記したので(立岩[2004a:53-54,194,232,300 et al.])ここでは説明を略すが、全員一致が人や人の選好を常に尊重することにはならない。全員にとってよいことが起こるならよいとされるが、それは初期状態を問わない場合である。初期状態を所与とすれば、パレート改善はたしかに全員に改善をもたらす。財を交換する富者も貧者も得をする。しかしその初期状態自体が問われる。そして初期状態は全員一致では決まらないし、また決める必要もない。そして、全員一致でないとことが決まらないなら、実質的に一人あるいは少数者が独裁者のようにふるまうこともできる。(p.167-168)


重要な指摘である。パレート最適やパレート改善などを持ち出して、全員が今よりよくなるから良いという議論は、その初期状態が良いことまでは言うことができず、その初期状態が不当なものであることが示されるならば、必ずしも是認されない(最適解であるとは言えない)ことがありうる。



しかしその政治的決定にしても、皆が政治的主体である必要はない。政治にしてもまた経済にしても、それに関わる人が一定の数、量あればそれで足りる。……(中略)……。もし、このように不都合なことが起こりにくい仕掛けがうまい具合に存在するのであれば、自分たちで決めたり、自分で決めたりすることが、またそのための能力があったり、そのような欲望や義務感があったりすることが、その本人たちにおいて、本人において、とくによいことであるわけではない(p.178-179)


私が社会科学を学び始めた比較的早い時期に地方自治論や住民参加あるいは協働などという言説に対して感じた違和感は、ここで指摘されていることに深く関わるように思われる。現在でも地方自治論や住民参加などの議論のスキームでは「皆が政治的主体であるべき」という規範がかなり強いように思われる。

ただ、そうした規範に(基づく議論に)対して批判をする場合、「不都合なことが起こりにくい仕掛け」についても具体的に提示する必要はあるだろう。


立岩真也、村上慎司、橋口昌治 『税を直す』(その3)
以下は橋口氏の論文。

「サミット体制」とは、1945年から73年まで続いた固定相場制の下での「管理された自由貿易体制」(ブレトンウッズ体制)に対して73年以降に現れたもので、グローバルな主権(サミットのほか、IMFや世界銀行などの国際機関)による統治、変動相場制、「むきだしの自由貿易体制」、新国際分業と新植民地主義の再編強化といった特徴を持つ。(p.290)


栗本康『G8サミット体制とはなにか』という本についてのコメント。

サミット体制という捉え方は、かなり興味が引かれるものがある。



「失業者のくせに仕事を選ぶな。ましてや就職せずに生きていこうなんて」という意見が聞こえてきそうだが、仕事を選ばない労働者が増えると全体の労働条件が下がって有職者にも悪影響が及んでしまう。労働者が働く条件の改善を交渉していくためには、生活基盤を労働市場に依存しなくてすむ状態が必要なのである。(p.296-297)


生活基盤を労働市場に依存しなくて良いなら、労働によって生活基盤が賄われなくてもよいということにもなる。労働が生活基盤に占める意味が小さくなりすぎるのも問題が生じそうな気もする。よく考えることが必要な問題である。


立岩真也、村上慎司、橋口昌治 『税を直す』(その2)

日本における税制改革は、世界的な潮流を受けてそれに乗ったものであるとされる。ただ、その世界的な流れの方は、給与所得だけでなく投資による所得など様々な所得を合算した上で、それに税率をかけるという方向のものであり、その限りで簡素であり、同じ所得を得た人については等しいという意味で公平性が――この業界の言葉では「水平的公平」が――保たれるものであり、そして課税される所得の対象が広がり、これまで税が課されなかったり税率が低かったある部分については税率が高くなるから、見かけほど減税がなされたわけではない。むしろ、一時的であったにせよ、税収が増えたこともある。
 もちろん、税制改革を主張し支持する日本の学者たちは、みなこのことをわきまえており、そしてその方向を明確に強く支持した。しかし実際には、日本では、この部分についてそう大きな改革がなされたわけではない。……(中略)……。その結果、(ようやく)「欧米並み」になったとされる税率であっても、その税率の対象となる所得は結局限られたものになり、他の所得についてはより軽い税率となるから、同じ税率なら、実質的には日本の税の方が軽くなるといったことが起こる。(p.49)


株式譲渡などによる所得の分離課税が日本では未だに続いているため、高額所得者からは税が取れない構造になっている点についての指摘。所得税について少しでも知識がある人なら誰でも気づいているはずの問題なのだが、税の議論がマスコミを通して一般向けに「わかりやすく」行なわれるときや政治家が税について発言するときには殆んど出てこない話題であった。この点については、私も長い間、苦々しく思ってきた一人である。



 OECD諸国の状況を見渡すと、1990-2002年に一貫して租税負担率が顕著に低下したのは、日本だけである。……(中略)……。
 ようするに、90年代末から企業と高所得者・資産家への課税を軽減することにより、国税のなかでも直接税が削減された。(p.58)


ここは大沢真理が書いたものの引用。

こうした状況があるにもかかわらず、日本は「重税国家」であると言ったり、「官僚により収奪」が行なわれているから財政赤字が膨らみ、「国民」の「負担」は重いのだとまことしやかに言われたりする。そうした言説を見る度に、私などは「馬鹿じゃね?」と思うわけだが、新自由主義が台頭してくる過程で多くの決まり文句や決まりきった図式がパラダイムとなって社会に浸透してしまっているので、事実をきちんと提示することもできないのに、こうしたことが信じ込まれてしまうということが往々にして起こる。

彼らの場合、完全に批判の矛先が外れている。かつての財界と新自由主義の信奉者たちによる「論点そらし」に完全に引っかかってしまっている。



 ただ私たちは、その国々の首領であったレーガンやサッチャーといった人たちに追随しようとは思わない人たち、むしろそうした名前に拒否感を示すような、良心的・良識的な人たちの真面目な議論・営みも含めて、見ていく必要がある。そうした議論、営みの中に、「フラット化」の方に流れていく契機がある。それは「地域」「共助」「分権」といったものの浮上とも無縁でない。(p.69)


ここで「フラット化」というのは、税率のフラット化ということであり、累進性の否定ということであろう。

この論点には私も気づいていたが、なかなか指摘する人が少なく、やや孤立無援に近いと感じることが多かった部分だったりする。一つ前の引用文に対するコメントもこれと関係する。



 「中立」とはなにか、これは実際にはよくわからないものである。税制の中立性とは税制が経済活動に影響を与えないことであり、それが望ましいとされる。だが第一に、影響が与えられないもとの状態とはどんな状態か。税金の存在しない状態か。ではその状態に実現される経済はなぜ支持されるのか。中立だからか。しかしそれは中立とは言えない。税の課せられない経済がよいからか。ならば税は正当化されない。ごく基本的には、税を徴収しないことも中立でなく、どのような形態であるにせよ、税を課し税を使うことのあらゆる形態が中立ではない。第二に、現実には特定の産業の育成強化等々のために様々がなされている、なされるべきであるとされるのだが、それを否定するのか。むろん否定してもかまわないのだが、中立性が大切だと言う人たちは本当に否定するのか。例えば、中立が大切であると主張する人も、環境税には反対でなかったりする。また、累進性を弱くして新規の産業を育成することが支持されたりする(第3章第6節)。こちらの方は、税の効果を弱くすることによって実現されるとされるものではあるのだが、しかしその狙いは特定の産業の支持という特定のものである。(p.78-79)


「公平、中立、簡素」などと言われる租税原則について。これらの原則は通常、全くご都合主義的に用いられている。そのことを明白に示してくれた点でこの文章は痛快であった。



 低いところに比べたら高い、だから低くするとされる。税率が下げられる。下げても、まだ高く、だから「優遇」ではないとされる。それを進めていく。それで下げられ、そのままにされる。
 すると、他と比べても低い水準になる。直接税、所得税が歳入に占める割合が、他の国々と比較して低いところに置かれることになる。歳入全体が少なくなる。日本で税、とくに直接税からの収入が少ないことを、知っている人は知っている。(p.90)


所得税はきちんと累進的に増税しなければいけない。これは私の年来の主張であるが、これまでの事実の経過を踏まえればそうなるのは殆んど必然に近いと思われる。



 大きい/小さい、簡素/複雑といったわかりやすい言葉がわかりやすくなく使われている。このことに注意深くあるべきである。(p.103)


近ごろは仕事が忙しく、じっくりと本を読んだりする暇もないのだが、あまりに忙しいとこうしたことも忘れてしまいそうになる。忘れているわけではないと思うのだが、実行することが難しくなっていると感じる。繰り返すと、以前は言葉やその背景にある意味や前提に注意深く読んでいたのだが、近ごろのようにあまりに忙しいと、そうしたことがしにくくなっていると感じる。

ある意味、若いうちにそうしたテクストの読み方をしていて良かったとは思う。年をとり、忙しくなってから初めてそうしたテクストの読み方をしようと思っても、恐らく難しいだろう。



立岩真也、村上慎司、橋口昌治 『税を直す』(その1)

そしてこのことを考えていくのなら、なにか小さい単位・範囲でがんばってみることは、こと財の分配についていえば、間違っていることがわかる。この部分については「分権」はよいことではない。(p.24)


同意見である。財の分配に関しては「地方分権」は不当な帰結(財の偏在とそれによる最小限度の財が確保できない主体の出現)をもたらすものである。



しかし、ものを書く人たちは、なにか新しいことを言わないと、言う必要もない、読まれることもないと思うところがある。そんなことを期待されている。期待されていると思う。というわけで、新しいことが起こっていると書く傾向がある。すると、そのいくらかは割り引いてもよいのかもしれない。(p.24-25)


科学者に限らず、ものを書く人全般にsomething-new-ism的な傾向がある。確かにそのように思われる。



三番目の分配のための徴収について、人は自分の持ち分から取られていると考えてしまうことがある。基本的にはこれは間違った認識である――「所有権は課税前にではなく、課税後に人々が支配する資格を与えられた資源にたいしてもつ権利である。」(Murphy & Nagel[2002=2006:199])
 しかし、徴収が事後的になってしまうこともあって、既に持っているものから取られるように思われてしまう。(p.27)


なかなか興味深い見解である。

この所有権が生じるためには、分配のための徴収を行なう機構の存在を前提しなければならず、徴収や分配の方法や程度は政治的に決定せざるを得ない。そうであれば、政治的な決定によって所有権が決められることになる。政治的なリソースが平等に分布しているわけではないことを考えると、このように所有権を捉えても、必ずしも理想的な分配が行なわれるという保証とはならない。

しかし、納税者たちを説得し、ある程度の納得調達した上で徴収するためには有用な理論となりうる。



そしてそんなことを考えていくと、私たちが、とても多くのことを忘れていることに気がつく。
 まったく昔のことではない。十年前、二十年前のことである。その時も、景気をよくするのだと言って、金のある人もない人も同じ率の減税をして、そして、ずいぶん長い間そのまましておいた。それで歳入が減り、そしてそれを前提に、削りやすいものから削っていったら、この社会はこんなことになってしまったのである。(p.36)


まったく同意見である。

これは所得税と住民税の定率減税やその前にたびたび行なわれていた特別減税を指しているはずである。そうしたことを続けてきたため歳入が足りなくなり、それが財政赤字拡大の要因となったという指摘はあまりにも当たり前なのだが、ほとんどの人が表立って指摘することがない

今、名古屋市長などが市民税を減税するなどと言っているが、そんなことは既に10年以上前に行なわれ、既に失敗した政策である。このことは銘記してほしいものである。



 大きい政府/小さい政府といった言葉が使われるが、その意味はしばしばはっきりしない。第2章第5節(78頁)に記すように、社会的分配の規模の大小と行政コストの大小とは単純に対応しない。また、社会的分配の規模が大きいことが政府の介入度の大きさと個人の権利・裁量の小ささを示すものでもない。むしろ逆である。逆であるようにすることができる。得られた税を、国家(の運営に関わる議会や議員や官僚)が定めた特定の事業にではなく、個人に渡せば、その使途をその個人が決めることができる。(p.37)


「大きな政府」や「小さな政府」という言葉が曖昧なものであり、客観的なものないし記述的なものというより、政治的なタームであるということははっきり理解しておいた方がよいだろう。

引用文のうち、最後の一文については民主党政権の「コンクリートから人へ」という標語と通じるところがある個別的な給付を是とする発言であるが、私自身は、個別的な給付により諸個人の財の処分権(これがしばしば「自由」と呼ばれる)を拡大することを強調しすぎるべきではないと考える。特定の事業に対して金を使うことにより、雇用が生まれるという効果の大きさはそれなりに重要だと考えるからであり、その方が個人に渡してそれなりに豊かな人たちの貯蓄に回るよりも金の回りはよくなることがあると考えるからである。