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杉村宏、岡部卓、布川日佐史 編 『よくわかる公的扶助 低所得者支援と生活保護制度』(その3)

被保護者については保険料の負担能力がないことや、その多くが医療扶助を受けており、他の被保険者の保険料負担や保険財政に与える影響も大きいことなど、自らの保険原理を貫くために国民健康保険法がその第6条で、被保護者を被保険者から除外していることに起因しています。(p.37)


国民健康保険と後期高齢者医療保険は生活保護受給者が適用除外になる根拠は、これらの法律による規定にあり、生活保護法における他法他施策の例外となっている。



 戦時体制下では戦争遂行のために人的資源の保護・育成を目的とした法律が制定されました。……(中略)……。厚生省設置の背景の一つに、徴兵検査で国民の体力低下が明らかになったことから、人的資源の涵養のための行政機構の必要が陸軍により提議されたことがあげられます。……(中略)……。
 このように組織と制度の整備は戦時体制下での人的資源の保護・育成を目的としてすすめられ、社会事業は軍事政策と結びついて展開していくことになります。救護法は先にみたこれらの法の制定に伴いその役割を低下させていきました。そして、軍事優先のため、救護法の対象となるような人々の生活は特に顧みられませんでした。(p.57)


政府が行うことというのはどうしてもこうした傾向を持つことになる。政府というものが本来的に軍事的な目的に基づいて設立されたものであるという側面があるから。



歴史的にいえば、扶養についての公的扶助の扱いは、古くは、扶養を忌避した場合には刑罰を課す扱いでした。(p.75)


今の常識からすると、かなり過酷だな。ただ、現在、かなり普遍的にみられるような核家族は、歴史的には例外的な世帯のあり方であると思われるから、そうした核家族を前提として考えるべきではないのだろう。



しかし扶養義務を履行している扶養義務者はわずか2.4%にしか過ぎません(1997年)から、扶養請求はほとんど効果がないことになります。現行の扶養義務の扱いは実質的には扶養を保護抑制の手段と化しているといっても過言ではありません。(p.75)


一理ある。ただ、扶養義務を履行する扶養義務者が少ないのは、扶養させようとする福祉事務所側から扶養義務者への圧力というか追及が甘いことにも原因があるように思われる。法第77条はほとんど死文化しており、これを実効あるものとするような制度や組織の編成がなされれば、扶養義務を果たす扶養義務者の割合は数倍から10倍程度まで増えるのではないだろうか。現行ではそれを行うだけの組織や制度が整っていない、という捉え方は可能である。



消費税については被保護者にも課税されますが、同税導入時、同率が保護費に上乗せされる措置がとられています。(p.105)


これは知らなかった。



イギリスの社会政策学者であるピート・オルコックによれば、貧困は確かに争われる問題ではあるが、意見の不一致がみられない点が一つあるといいます。それは、貧困に対して「何かがなされなければならない」ということです。貧困の問題化は、その問題を解決するための何らかの社会的対応を必然的に要請するということです。したがって、特定の「貧困観」は、特定の「対貧困政策」を導きうるのです。(p.165)


「貧困」に対して意見の不一致が見られないという指摘は興味深い。これについては「貧困」という言葉は「何かがなされなければならない」という評価を含んでいるからである。



 このように、イギリスの公的扶助制度は、就労可能性あるいは稼働能力の有無によって制度対象を選別しています。こうしたしくみは、稼働能力のある者に対しては「就労(の機会)」を、稼働能力のない者に対しては「福祉」を、という考え方を反映しています。(p.167)


こうした選別は日本の制度でも参考にしうるのではないか。



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杉村宏、岡部卓、布川日佐史 編 『よくわかる公的扶助 低所得者支援と生活保護制度』(その2)

現在、生活保護受給世帯の約5割が「高齢者世帯」、約4割が「傷病・障害者世帯」、そして残りの1割が「ひとり親世帯」と「その他世帯」となっています。また、その大半が老齢年金、障害年金、児童扶養手当等の対象世帯です。これらから、他法他施策は資格要件、制度運用、給付水準の低位性から防貧的機能を果たしていないと読みとることができます。(岡部 卓)(p.25)


以前、日本で「格差」が問題とされ始めた頃、問題なのは「格差」ではなく「貧困化」であると考え、生活保護制度をはじめとする社会保障について若干学び始めたのだが、生活保護について制度や実態を知れば知るほど、「他法他施策」の貧弱さが目に付くようになってきた。

ワーキングプアやニートなどが問題とされているが、そうした問題に対して法律家や市民運動家たちの中には、彼らに生活保護を受給させろとして運動している人が増えている。しかし、日本の生活保護は「生活丸抱えの制度」になっており、一度制度が適用されてしまうと、そこから抜け出すことは容易なことではなく、「自立助長」を目的としながらも、現実には「自立阻害」をする制度設計になっている。生活保護法やその運用に働きかけて「利用しやすく自立しやすい」制度にするというのは、他法他施策が貧弱である現状では遠い夢物語である。よって、生活保護制度をやたらと利用促進したり、制度をいじる前に、防貧的な効果の高い社会保障制度体系を構築することが先決である。

もっとも、社会保障制度を構築することの前に行うべきは、経済・金融政策や労働分野の制度改正であり、また、税制もそこに絡んでくる。壮大かつ緻密な改革が必要であるため、おそらく誰がやっても特定のアクター(政府を含めて)が「改革」を完結させることは不可能である。

現行制度を改良しながら、複数の制度間の連携を深めていく方向でボトムアップ的に進めていかなければならない。政治が大まかな方向性を示しながら、官僚がその方向性に準拠しながら制度設計していくことが望ましい、というか、それ以外のシロウトや御用学者の意見を重視して進めていけるような話ではないように思われる。政策形成においては、制度を熟知している諸官僚の力を活用しなければならない



 つまり、生活保護法という一つの法の中に、「無差別平等原理」という一般扶助の原理と、「補足性の原理」という制限扶助を可能にする原理という、根本的に矛盾する条文が混在しているといえます。(p.29)


生活保護制度をめぐってしばしば見られる言説であり、「人権を擁護すべき」という方向で左派的な立場からよくこうした言説が発せられる。しかし、彼らは「無差別平等原理」の原理主義に陥っているのではないか。

無差別平等の原理を定めている生活保護法第2条では「すべて国民は、この法律の定める要件を満たす限り、この法律による保護(以下「保護」という。)を、無差別平等に受けることができる」とされており、無差別平等に受けられるのは「法の要件を満たす限り」なのであり、この「要件」は補足性の原理を定めた第四条に規定されているのである。すなわち、「保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる」(第4条1項)としている。(ちなみに「要件」という語が登場するのは生活保護法ではこの2箇所だけである。)

すなわち、「補足性の原理により要件を満たす場合に限り無差別平等に保護を受けることができる」と解されるのであって、どのような条件であっても無差別平等に、すなわち誰でも普遍的に保護を受けることができると書かれているわけではない。したがって、無差別平等原理と補足性の原理は確かに志向性は逆方向を向いている部分もあるが、それらは「矛盾」するのではなく「相互補完」していると解するべきである。

実務家、法律家、研究者を問わず、いずれの著者であっても、「人権擁護派」の著者は「無差別平等原理」を拡大解釈する傾向が強く、「補足性の原理」を「悪」として退け、その価値を低めようとする傾向があるが、そうした記述の中で、彼らは法文を読まずに「無差別平等」という言葉に引きずられているとしか思えない記述が散見され、せっかくの人権擁護の論理をむしろ彼ら自身が損ない、脆弱にしてしまっているように思えてならない。



 近年、①被保護世帯の抱える問題の複雑化・多様化、②保護受給期間の長期化、③被保護世帯数の増加、といった状況を踏まえて、「経済的給付を中心とする現在の生活保護制度から、実施機関が組織的に被保護世帯の自立を支援する制度に転換すること」を目的として、「自立支援プログラム」が生活保護制度に導入されました。このプログラムの大きな特徴は、先の二つの目的のうち、「経済的給付(所得保障)」をとおした「最低生活の保障」よりも、「自立の支援」を通した「自立の助長」を優先しているという点に求められます。(p.29)


自立支援プログラムというものが導入されたことの意味については、なかなか意味が理解しにくかったが、政府の意図としては自立助長の方向へのシフトにあると位置づけられるらしい。ヨーロッパのワークフェア型の公的扶助制度への移行を指向しているのか?

この際の自立は「就労自立(経済的自立)」と「社会生活自立」「日常生活自立」があるというのだろうが、社会生活自立や日常生活自立というのは生活保護制度の範囲外で行うのが妥当ではないか、といつも思う。なぜならば、年金や給料等の収入が若干保護基準を上回ったり、ある程度の資産があるため生活保護を受給できないが、社会生活自立や日常生活自立が不十分な人というのは、世の中には沢山いるはずであり、彼らの社会生活自立や日常生活自立は何らの支援も受けられないのに、生活保護を受けられる人にだけそうしたサービスがなされるのはサービス過剰ないしサービスの逆転現象になると考えるからである。

「人権派」の論客の多くが強調する就労自立以外の自立は本来生活保護の制度とはあまり関係がないのであり、制度外でこれらの自立を助長する方法を検討すべきである。



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杉村宏、岡部卓、布川日佐史 編 『よくわかる公的扶助 低所得者支援と生活保護制度』(その1)

しかしながらどのような事情があるにせよ、特定の人々が長期的貧困状態におかれることによって、人間らしさが失われ、社会の不安定化の原因になるとするならば、貧困を社会的な努力によって解決していかなければなりません。(p.5)


「貧困」がなぜあってはいけないのか、と問われると、実は答えるのは容易ではない。まず「貧困」なる言葉自体が「あってはならないもの」「是正を要するもの」という方向に強く価値付加された言葉であるということは押さえておく必要がある。つまり、何らかの観察または想像された事実を「貧困」と呼ぶことによって、その事実に対して負の価値を付加することになる。

そして、強く価値付加されているがゆえに、「あってはならない」理由についての判断は道徳に傾きがちである。しかし、それでは科学としては成り立ちにくいため、持ち出されることになるのが「社会の秩序」である。それはごく自然な流れであり、この論法自体を全否定することはできないと考えている。こうした要因は確かに関係があるからである。

しかし、それでもこの引用文のロジックには引っかかるものがある。「社会の不安定化の原因」になるから貧困を「社会的な努力によって解決すべき」だとしているが、この貧困の「解決」とは何を指すのだろうか?貧困という望ましくない状態がなくなることであろうか?自然に解釈するとそう読める。なぜなら、「貧困」な人が残っている限り、「貧困」という問題は残るからである。しかし、「社会の不安定化」を避けるという目的のためには「すべての人」の「貧困」を「解決」しなければならないのだろうか?恐らく否ではないだろうか?

ネットワーク研究から得たイメージを使うと、「貧困」が全くない世界というのは、資源を分配するリンクがランダムグラフのようになっている世界ではないか。人間社会がランダムグラフに似た状態になる可能性はほとんどゼロであると思われる。そうだとすれば、理想としては「すべての貧困を根絶するべきだ」という理念を努力目標として掲げることは重要で意味があることだと思われるが、現実にそれを実現する方法というものは実は存在しないらしい、というリアリズムもまた求められるように思われる。

福祉研究者の言説は理想主義に傾きすぎる傾向が私には感じられる。高邁な理想を掲げることは否定するつもりはないが、粗雑な論理構成によって理想が説かれると、そのエラーをはっきり見て取れない人でも何か胡散臭さを感じてしまうし、エラーを具体的に指摘されてしまうと論自体が説得力を失うことになり、せっかくの高邁な理想がほんとうに現実とはかけ離れた絵空事と見なされてしまいかねない。その意味では福祉の研究者には理想を特にしてももう少し社会の現実的な構造を踏まえながら論理を構成して欲しいと思う。

私は福祉の給付をさらに増進させていくことに対しては(可能な限り累進的な)増税とセットで行なうという条件の下で賛成している立場である。その意味では福祉の意義を説く研究者にはもう少し奮闘してもらいたいものである。



 そのような議論(※引用者注;長期貧困者の子は生まれつき怠惰で依存的であるなどの偏見)に陥らないためにも、貧困の世代的再生産とは、「親から子へ」といった単線的・決定論的な現象ではなく、その社会における教育制度や社会保障制度が深く関係した構造的なプロセスであると理解することが重要です。……(中略)……。
 「貧困の世代的再生産」という著しく不平等な問題状況を解消するためには、家族依存の構造を是正すること、つまり貧困家族への所得保障はもちろんのこと、教育・医療・住宅面など総合的な支援策が必要だといえます。(p.11)


本書は主に生活保護制度についての教科書なのだが、この節で述べられているのは、基本的に生活保護制度ではなく、それ以前の段階のセーフティネットの話であると私には思われる。現行の生活保護制度を使う段階でこのような構造的な問題を解決しようと思ってもかなり困難である。



保護廃止世帯の中で、収入が増加し最低生活費を上回って保護が廃止される世帯は20%程度にとどまり、死亡・失踪を除けば、あいかわらず生活状態は不安定なままの世帯が多いといえます。(p.17)


通常の要否判定で廃止となるのは20%程度というのは随分多いように思われたので、調べてみたら案の定、平成19年度には12.2%だった。保護からの就労による自立というのは、かなり難事業なのである。受給者には高齢者や障害者が多いため、そもそもその可能性がない人が大部分だということも大きな要因だが、受給者は低学歴で職業上の資格どころか自動車免許すら持っていない人も多いため、仕事を探しても低賃金や不安定就労が多く、保護費以上に稼ぐというのはかなり困難な面があることが「就労自立」を困難にしている。

これはもちろん最低賃金が低すぎることが一因だが、他のセーフティネットと比較して生活保護は少し突出して水準が高くバランスが悪いように思われる。生活保護が持っている機能の多くを他の制度に振り分けることで生活保護以前のセーフティネットを少し手厚くし、生活保護受給者は「他法他施策優先の原則」によりそれらのセーフティネットを利用できるようにするという形で、生活保護本体による給付水準を下げる(他法と合わせると現行並みの水準を維持する)というバランスの調整は必要であるように思われる。



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マーク・ブキャナン 『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』(その3)

 「歴史とは偉人たちの伝記である」と初めて言ったのは、イギリスの有名な歴史学者トーマス・カーライルである。そのように考える歴史学者にとって、第二次世界大戦を引き起こしたのはアドルフ・ヒトラーであり、冷戦を終わらせたのはミハイル・ゴルバチョフであり、インドの独立を勝ち取ったのはマハトマ・ガンジーである。これが、歴史の「偉人理論」だ。この考え方は、特別な人間は歴史の本流の外に位置し、「その偉大さの力で」自分の意志を歴史に刻みこむ、というものである。
 このような歴史解釈の方法は、過去をある意味単純にとらえているために、確かに説得力をもっている。もしヒトラーの邪悪さが第二次世界大戦の根本原因だというなら、我々はなぜそれが起こり、誰に責任を押しつけたらよいかを知ることができる。そしてまた将来、そのような災難をどのように回避したらよいかを知ることもできる。もし誰かがヒトラーを赤ん坊のうちに絞め殺していたら、戦争は起こらず、数え切れない命が救われていたかもしれない。このような見方を取れば、歴史は単純なものであり、歴史学者は、何人かの主役たちの行動を追いかけ、他のことを無視してしまえばいいことになる。
 しかし多くの歴史学者はそうは考えておらず、このような考え方は歴史の動きを異様な形で模倣したにすぎないととらえている。(p.325-326)


私が「英雄史観」として批判している歴史の捉え方を「偉人理論」という名で呼んでいるのが興味を引いたので引用した。

英雄史観ないし偉人理論は、歴史的事実の背景となる情勢への配慮が足りないため、事実を理解するために見なければならない事実を隠してしまうという点で有害である。



 したがって、偉大な人物が大きな出来事の中心にいたとしても、その人物がその出来事の推進力を与えるわけではない。そのような偉大な人物の置かれた立場こそが、その人物自体よりも重要なのだ。(p.328)


ネットワークにおけるノードそれ自体の性質よりも、そのノードの位置価(ハブであるかどうかなど)が重要である。



臨界状態にある世界では、偉大な役回りは必ず存在し、そこに当てはめられる砂粒も必ず存在する。
 これと同じことが、人間の歴史についても言えるのだろうか?人格や知性に関して他の人より影響力の強い人物がいるということは、否定できない。しかし少なくとも理論的には、我々の世界は臨界状態と非常に似た状態にあるのかもしれない。そのような世界においては、すべての人間が能力的に等しいとしても、そのうちの何人かの行動は、まさに驚くべき結果をもたらすことになる。彼らの行動の影響力は、歴史が進んでからでないと明らかにならないので、本人たちはそれに気づくこともないかもしれない。そのような人物たちは、きわめて重要な社会的変動を生み出したということで、偉人として知られるようになるだろう。そういう人たちの多くは、確かに特別な人物かもしれない。しかしそれは、彼らの偉大さが彼らの引き起こした出来事の大きさの原因である、ということを示しているのではない。(p.331-332)


べき乗則が成り立つ場合、結果の大きさからそのきっかけとなった原因の大きさを計ることはできない。ここからは個々の人物の能力や人格よりも、それがある役割を果たした位置やその背景となった「臨界状態」のあり方を知ることの方が事柄の理解には役立つということが言える。



今世紀の偉大な歴史哲学者の多くは、はたして歴史が「科学」かどうかということを議論してきた。しかし彼らは、自分たちの考えている科学が十九世紀の時代遅れのものだということを、理解していなかったようだ。もし彼らが、同時代の科学者が実際にどのようなことをやっているのかにもっと注目していたとしたら、自分たちが誤った質問をしていたことに気づいて驚き、そしておそらく喜んだであろう。自然科学における最近の偉大な進歩の多くは、本質的に歴史的な性質を有しているからだ。(p.349)


ここはニーアル・ファーガソンという歴史学者の言葉を引用している部分だが、的確な指摘である。

これは人文・社会科学と自然科学との考え方の分離といういわゆる「二つの文化」論にも波及する論点であるように思われる。いわゆる理系と文系を切り分けることにはあまり根拠はないということ。



増田直紀氏による解説。

 私たちは、平均値思考やつりがね型分布に慣れすぎてしまっている。日本の平等教育の影響もあるだろう。べき乗則においては、平均値に目を奪われると本質を見失う。これは、昨今の格差社会を理解するための一つの切り口かもしれない。同じことは、会社の規模や本の売り上げなどについても言える。(p.362)


的確な指摘であり、これはネットワーク研究から学べることの一つである。



 ネットワーク科学(「複雑ネットワーク」とも言う)の研究は1998年頃に始まった。(p.363)


萌芽はもう少し前からあったと思われるが、いずれにせよ新しい学問領域であることは確かである。



原注より。

経済学者たちは、たとえそれが失敗したとしても、自分たちのお気に入りの理論を捨てようとはしない。それは、その道具としての実用性を無駄にしたくないからだ。(p.373)


なるほど。なかなか説得力がある。私の考えでは、ここで指摘されるような道具としての実用性だけではなく、そのパラダイムがなくなってしまうと、彼にとっては世界を理解する手がかりがなくなってしまい不安に見舞われるということもかなり大きな要因ではないかと思われる。


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マーク・ブキャナン 『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』(その2)

 さらに「モノグラフ効果」と呼ばれるものもある。現在まで残った化石でさえ少ないうえに、そのうち研究者によって実際に発見されたものは、さらに少ないはずだ。したがって、今でも多くの生物種が未発見のままであるのは、はっきりしている。もし、ある血気盛んな研究者がある特定の地質年代について徹底的に調査したとすると、化石記録はその年代で急上昇し、あたかも突然爆発的に種の数が増えたかのように見えてしまう。(p.185-186)


これは生物進化に限らず、歴史を見る際に注意しなければならない論点であろう。現在のヨーロッパの国々の歴史ばかりが研究されたことによってヨーロッパには歴史があるが東洋には歴史がないかのように言われていた時代があったが、そうした言説も、これと共通する点がある。



効率的市場仮説の拠り所となっている前提とはまったく逆に、市場株価の大きな変動は市場におのずから内在する作用の結果であり、それは「構造的な脆弱性」や基礎条件の突然の変化などがなくても、しばしば起こることなのである。その理由は単純だ。市場は平衡状態から遠く隔たっているからだ。(p.230)


市場の不安定性(株価の急激な下落など)の根本的な原因は、市場というものがそもそも平衡状態から遠く隔たっている(臨界状態に近い?)ことにあるとする認識は重要である。ネットワーク研究によって経済学を書き換えようとする場合、その基本的な認識の一つはこの点にあるように思われる。



流行の力はかなり大きいものだが、従来の経済学はその存在さえも認めていないのである。(p.237)


恐らくこうした現象を取り込もうとしたモデルは経済学にもあるのだろうが、説明に成功はしていないだろうし、広く受け入れられたものがあるわけでもなさそうに思われる。

引用文での指摘が成立するのは、個人から出発する方法に問題があるからであり、社会の構造(ネットワーク)を理論の根幹に組み込まなければ解決されないだろう。個々のノードが相互作用するモデルの構築が必要だからである。



この統計から分かったのは、各都市、たとえば人口400万のアトランタに対して、その半分の人口の都市が四つあるということだ。そのうちの一つはシンシナティーであり、そのシンシナティーの半分の人口の都市が再び四つあり、そしてさらに同じように続いていく。つまり、すべての都市や町は、様々な理由からたくさんの競合する影響の結果として発生してきたにもかかわらず、それでも全体としては一つの数学的法則に従うのである。
 人々が都市の間を自由に行き来できることを考えれば、このような著しく規則的な傾向は驚くべきものだろう。(p.261)


都市の人口規模もべき乗則に従うという知見は極めて興味深い。



 臨界状態という考え方を通して見れば、大きな革命というのは、その原因に関しては必ずしも特別なものである必要はない。それらは単に、臨界状態に留まったシステムに当然起こる、大きな変動にすぎないのである。(p.302-303)


大きな科学革命と小さな科学革命は同じような原因により起こるという指摘。そして、それは科学に限らないということが主張されている。



 もちろん人間のアイデアは、科学以外にも影響を与える。都市計画から演劇まで、あらゆる分野の人間活動は、それぞれ相互作用する優れたアイデア(実践方法や技術などをも含む)からなる独自の「生態系」をもっている。芸術や音楽でも同様である。新たなアイデアが現われると、それが既存のアイデアのネットワークのなかに取り込まれるとき、必ず周囲に影響を及ぼす。したがってさきほどと同様に、ほとんどあらゆる分野において、アイデアは科学と同様の統計的法則に従って散発的に進化していくものと考えられる。(p.306-307)


この点にはほぼ同意するが、分野を区切る必要もないように思われる。



 すべての戦争が対立によって引き起こされるというのは、もちろん自明の理である。しかしこのべき乗則は、戦争はそれが始まったときには「自分がこれからどれほど大きくなるかを知らない」し、それは誰にも分からないということを示唆している。……(中略)……。この亀裂が広がり戦争が大規模なものになるかどうかは、近隣の地域がたまたま崩壊の限界点に近かったかどうか、そして、その地域がこの問題をさらに他の人々、他の集団、他の国々へと広げていくかどうかにかかっている。……(中略)……。我々を国家や集団へと平和裏にまとめている組織構造は、戦争を森林火災や砂山ゲームの雪崩のように広げる役割を果たしているのではないだろうか?(p.317-318)


戦争の死者数もべき乗則に従うというのだが、最後の一文は興味深い。中央政府はそれが支配する域内における合法的暴力を独占しており、その行使についても決定権を握っており、それによって日常的には暴力行使を抑制しコントロールしているという面があるが、そのように独占されていることによって対外的な戦争における暴力行使の規模はさらに大きくなり得ているのではないか、という疑問が呈されている。この指摘は恐らく正鵠を射ているように思われる。

どのように改善すべきかについては、森林火災の例から転用すると、こまめに暴力行使がなされて、人が「間引き」されるような状態の方が、大規模な戦争は起こりにくいということになりそうだが…。



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マーク・ブキャナン 『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』(その1)

今あなたが、好きなように自分の体の大きさを変えられる存在だったとしよう。……(中略)……。あなたがナシの大きさだったときには、自分と同じ重さの破片一つに対して、その半分の重さの破片は約六個あった。ところが自分が縮んだ後でも、まったく同じ規則を発見する。再び、自分と同じ重さの破片一つあたり、その半分の重さの破片が約六個あるのだ。どんな大きさでもまわりの景色はまったく同じに見えるので、もし自分を何回縮めたか忘れてしまうと、まわりを見ただけでは自分の大きさがまったく分からなくなってしまう。
 これが、べき乗則の意味するところである。(p.74-75)


ジャガイモを壁に投げて破片が粉々になるが、その破片の重さには重さが二倍になるごとに破片の数が約六分の一になるという規則性が見られるという。その例を用いて「べき乗則」によるスケールフリーの意味が説明されている。分かりやすい説明なので何かに使えそうなのでメモしておく。



このゲームは結晶成長の様子を表わすものであり、粒子の付着する規則が不可逆になると、本質的な偶然とともに歴史が姿を現わすことになる。あらゆるささいな偶然は、成長しつつある構造に、それ以来永遠に消し去ることのできない影響を残す。したがってこのゲームを二回行なっても、あるいは100回行なっても、まったく同じ結果は決して得られない。それでも、生じてくる複雑な構造は必ず同じある性質をもっている。(p.97)


ある非平衡状態(臨界状態)においては、小さな出来事が重要な役割を果たし得るが、それは偶然的なものであり予測不可能であるが、同時にそこには規則性もある。出来事の積み重ねが偶然性と規則性の両方を持ちうることについての分かりやすい説明。結晶の事例。



 スケールに依存しないというべき乗則の性質は、大規模な出来事は小規模な出来事を単に拡大したものにすぎず、それらは同じ原因で発生することを示している。(p.150)


大事件の原因を説明する際、われわれは大きな原因があることを予想し、それがなされないとなかなか納得できないことがあるが、それは思い込みであり、小事件と同等の小さな原因から大きな事件が起こりうるという指摘。興味深い。

台湾の歴史で228事件というのがあるが、闇タバコ売りの女が中華民国の官憲によって摘発され、暴力などを受けたという「小事件」がきっかけとなり、それが中華民国政府への抗議行動となり、それが瞬く間に台湾全土に飛び火し、中華民国側の軍事行動により鎮圧され、約28,000人が死亡ないし処刑されたという大事件になった。この闇タバコの摘発という小事件が大事件を引き起こしうるということ。ただ、その背景には「臨界状態」と言える状況(台湾の中華民国の統治の荒廃ぶりや中国からのインフレの波及などによる民衆の不満)があったことについて説明することが必要になるだろうが、このように理解することで、それぞれの「原因」の種類ないし役割を明確に理解できるようになるだろう。

本書で展開されるこの考え方は、マックス・ウェーバーの方法論についてスティーブン・コールバーグが『マックス・ウェーバーの比較歴史社会学』で述べている方法論とも通じるように思われ、ネットワーク研究とウェーバー研究が交差する地点として個人的には大変興味深い。




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吉田徹 『二大政党制批判論』(その4)

簡単にいえば、政党は社会の脱政治化や党派性の低下に伴い、社会の利益を集約する機能を失い、したがって相対的に政策形成機能や統治機能を肥大化させているのが現状である。(p.181)


なるほど。社会が脱政治化しているという点を除いては納得できる。

私が思うに、社会は過度に政治化されてきているために利益を集約できなくなっているという方が妥当だろう。経済界や金融が政治に持つ影響力は30-40年前と比べると格段に高まっており、実質的な政策では民衆の意見よりこうした世界におけるエリート層の意向が反映されやすくなっているし、経済も中間層が没落する傾向を強めているため政治への不満や関心が高まっている(ヨーロッパでのネオナチなどの台頭や日本でも政治バラエティ番組画などが増えていることなどもそうしたことを反映している)が、彼らの大部分は意思を政党に伝える手段を持たないからである。

なお、政党や政府からメディアを通じて流されるキャッチフレーズなどは、大衆の心理に受け入れられるように計算されることになるが、それが具体的な政策として影響を与える度合いは小さいだろう。象徴的な政策は打ち出されるだろうが、効果よりやったという実績作りに利用されるのではないか。



 90年代に政党が「マニフェスト」に依存したり、コミュニケーション戦略を念入りにしていったのは、政党政治が空洞化していった結果として生じたもので、その逆ではない。90年代の政治改革は、こうした傾向を押し止めるどころか、推進させていった。このことは、社会の中に政党組織を根付かせようとしてこなかった日本の近現代の政治で、そもそも生じていた政党不在がさらに強まるという、二重の苦難を生じさせていることを意味する。(p.184-185)


的確である。



 佐々木毅は、政党を「人民の選択を公共政策へと『翻訳』する組織的装置」と定義し、これまでのような人民の要求に応える(responsive)のではない、責任(responsible)ある政党政治のあり方を構想しなければならない、とする(『政治学講義』東京大学出版会、1999年)。また、政党を国民の「政治的統合」の担い手として位置づけ、首相と内閣を頂点とした政治主導のあり方の重要性を説いている(『政治の精神』岩波新書、2009年)。
 しかし、「責任ある」政党政治はエリート主義的な政党政治を前提にした場合のみ十全に機能するシステムである、と付け加えるべきだろう。なぜなら、二大政党制はそもそもからして「要求に応える」素地に乏しい政党政治のあり方だからであり、また明治・大正期の日本の政党政治の歴史、さらに政党がますます社会から遊離し、独自に政治ゲームを展開するようになった現代社会では、政党が「責任ある」行動をとるだけの前提条件が失われているからである。日本の90年代の政治改革は、こうした前提条件を覆すだけの内容を持つものでもなかった。(p.196-197)


二大政党制にかかわる議論では、この「責任ある」という言葉がよく使われる。政策がうまくいかなくても政権交代によって責任をとることができる、というような話として使われるが、その胡散臭さは指摘していく必要があるだろう。

引用文とは別に思うところを簡単に書いてみる。政策が失敗して人々に悪い効果(例えば財政破綻によるハイパーインフレ)をもたらしたとして、政権交代したらその政権が責任を取ったことになるのか、というと、そんなことはないだろう、というのが私の考えである。責任を取るというのは可能な限り現状を回復させることによって果たされるべきであろう。ハイパーインフレの責任はインフレの解消によって生活が再度安定することによってのみ果たされるのであって、ハイパーインフレが続いたまま政権党が代わったからといって責任を取ったことになどならない。

その意味で、政権交代があることによって「責任ある」政治が行われうるというのは、全くの大間違いである。本書が指摘するように政党が社会から遊離していることによって、「責任」を果たすことはほとんど不可能になっていると考えられる。社会に根ざしている政党であれば、相互の意見や金銭の授受によって政党と社会の利害の一致を得やすいため、社会への効果が政党にも波及することで責任をとる(原状を回復しようとする)インセンティブが働くが、メディアを独占したカルテル政党であり「選挙プロフェッショナル政党」となっている現在の日本の政党には、そのような率直な意見と利益の交換は不可能といってよいのではないか。



人々に協働する場所を提供し、そして協働することで目の前の現実を変革する手ごたえをもたらす機能を、政党は本来的に有している。そのような「協働性」を持つからこそ、政党は歴史的に生まれ、発展してきたのである。
 政党は単に「政権を奪取する」ための存在ではなく、人々を結びつける作用も持つ。(p.207)


政党というものについてほとんど考えたりする機会がないわれわれにとって、こうした指摘は新鮮に感じられる。しかし、ヨーロッパにおける政党の歴史などを紐解くとこうした側面はわれわれが現在日本で感じているのとは比較にならないくらい強かったようである。このあたりは私が本書から学んだ点である。



 多くの先進国では、60年代まではイデオロギーをめぐる対立が続き、政権交代が実現するようになった70年代以降は利益配分をめぐる政治が続いた。しかし、冷戦は終焉し、戦後のような高度成長が不可能となって再分配そのものが難しくなった現在では、残る「政治的闘争」は極めて個人的な次元のものでしかあり得ない。
 政権交代を経験したこうした先進国では、80~90年代の新自由主義の時代を経て、徐々に「右派権威主義」と「左派リバータリアン」と呼ばれるような対立が政治の争点となってきた。これは、地域や家族などの共同体の価値や秩序や家父長の権威を重んじる立場と、個人の自由や自己決定権、多様な生き方を重視する立場と言い換えることができる。こうした対立の次元は、日本の政党政治ではまだ本格的に採り入れられていない。
 これまでの日本の政党政治は政治体制をめぐる対立以上に、利益を「誰に」「どのようにして」分配するのか、という争点をめぐって長らく展開してきた。だからこそ、政治はどこか縁遠く、自らの物質的な欲求の反映の延長線上のものとして捉えられてきた。しかし、デモクラシーを活性化させること、つまり私たちが政治によって損なわれることがないようにするためには、個人と政治の関係はもっと直接的で精彩を放つものであるべきだろう。(p.208-209)


「先進国」における政治闘争の変遷の概観はなかなか興味深い。イデオロギーは「資本主義対共産主義」ということになるのだろうが、ここで「資本主義」が勝利し、利益配分をめぐる闘争の結果、「国境を越えて移動できる資本」を強化することになり、イデオロギー闘争時代における「資本主義」側の勝利がさらに強められる方向に進んだと見られる。(経済イデオロギー的にはケインズ主義とマネタリズムなど新自由主義の闘争において、ケインズ主義を主張する側が敗北したという形になる。)左派は共産主義やケインズ主義という政治的な配分の方式を失い、政府による配分を望めない中で「左派リバータリアン」のような価値観によって「資本家(投資家)」と結託する傾向が強い「共同体主義」との戦いが繰り広げられている格好になる、と見ると、この闘争の歴史に一貫したものが見えてくるように思う。

また、デモクラシーがよく機能しているということは「人々が政治によって損なわれない」ことであるという視点は重要である。


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吉田徹 『二大政党制批判論』(その3)

 政党が生存するためには、政党交付金に象徴されるように、まず国家の資源が利用されることになる。さらにコミュニケーション回路への特権的なアクセスを確保しようとする。それまでの政党が機関紙のような独自のメディアを利用していたのに対して、カルテル政党はテレビをはじめとする既存の大衆向けのコミュニケーション回路を利用して、有権者に対する広報手段を独占してしまうのである。
 ……(中略)……
 ブライスとカッツはまた、グローバル化の時代にあって、国際マーケットに対抗するような政策を国家内で打ち出すことができなくなった政党にとって、カルテルを形成して権力を維持しようとするのは合理的な選択のひとつである、としている(Mark Blyth and Ricahrd. S. Katz, "From Cathc-all Politics to Cartelisation: The Political Economy of the Cartel Party" in West European Politics, vol.28,no.1,2005)。なぜなら、とりわけ有権者に不人気な政策をとらなくとも、カルテルのおかげで安定的な環境の中で政権を維持することができ、有権者も政権交代という出来事でデモクラシーが機能していると錯覚することになるからだ。そしてアメリカやイギリスのような二大政党制の国では、とりわけこのようなカルテルが作りやすいという。
 こうしたカルテル政党の誕生は、本来は国家と社会を架橋してデモクラシーを実現する政党の存在意義を、反故にしてしまうことになる。(p.124-126)


権力維持のための政党によるカルテルという構図とグローバル化による政党や政府の有効性の低下というその背景についての指摘は興味深い。

「カルテル政党」とは、職業政治家や専門家によって支配されており、資金源も党員や企業ではなく国家補助金に多くを負う政党である(p.123)。自民党も民主党も間違いなくこうした政党の範疇に入っているが、こうした政党の基本的な特徴は社会に根ざしていないということである。社会に根ざしておらず、政府の補助によって活動を担保されながら、政府と政党が一体となって市民社会から離れて行動するのであり、それを糊塗するためにマスメディアを独占して利用するということであろう。昨今の日本の状況はまさにこのようになっている。



 日本でも、選挙制度改革に続いて政党助成制度が実現したことで、党執行部はこれまでにない権力を手にすることになった。政治資金規正法が強化されて派閥の領袖の影響力は低下し、代わって党組織は中央集権化の傾向を強めた。小泉政権以降、閣僚人事が派閥を迂回して行えるようになったのも、こうした制度改編によるところが大きい。こうした見方は、制度的観点を持たない政治報道では見過ごされている。(p.126)


全く同意見である。こうした党の中央集権化は、小選挙区制における票と議席数の乖離と相まって、党執行部のごくごく少数の政治家の意向が政治におけるパワーの大部分を占めるという形で独裁政治に近い様相を呈することになっている。

政治報道が制度的な観点を欠いており、それが常であることが人びとの制度への無理解を助長し、制度改正の議論がおかしくなってしまうというのではないか、ということもついでに書いておきたいところである。



今では、民主党の収入の85%、社民党の61%が政党助成金によって賄われるようになった(03年)。しかも、助成金は積み立てが可能であるから、政治活動の実績を問わずに資金が自動的に懐に入ってくるような制度になっているのである。
 もし健全な政党政治を標榜するなら、二大政党制の本場であるイギリスに倣って、野党のみに政党助成を行うという制度を導入すべきだっただろう。(p.128)


説得力がある。こうした制度改正をすべきだろう。



例えば、官邸と中央省庁を取材してきた柿崎明仁は、派閥の求心力が低下した結果、政党が世論調査に振り回され、これが劇場政治を作り上げてきた経緯を洞察している(『次の首相はこうして決まる』講談社現代新書、2008年)。(p.129)


こんなことになっていては、まともな政治が行えるとは私には思えない。選挙が政策の選択ではなく政党のリーダーである政治家個人についての「人気投票」に堕してしまうからである。00年代の日本の政治はまさにこうしたことが続いていた10年間だった。




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吉田徹 『二大政党制批判論』(その2)

 こうしてみると、政治臨調が訴えたのはごくごく単純な「ヴィジョン」であり、制度的観点に限っていえば、自民党改革派に同調するものだった。しかし、それはまた、これまでの自民党政権のもとでの腐敗や汚職、さらに緊張感のない政治は中選挙区制という制度に起因するのであり、これを変えれば根本的なシステム改革につながる、という漠然とした期待感の表明だったともいえるだろう。(p.76)


ここでの政治臨調とは、92年4月に発足した民間の組織「政治改革推進協議会」のことである。

現在の小選挙区制が導入される契機となった90年代前半の政治改革における議論の背景にあった、この漠然とした期待感は結局、小選挙区制が導入されても改善されなかったということが本書では論証されている。



 確かに有権者は、漠然とした形で政治改革と政治腐敗根絶を支持していた。しかし選挙に際して、こと選挙制度の変更については明確な形で争点化されていたわけではなく、決して有権者の支持は厚くなかったという点を強調しておくことは重要である。(p.81-82)


現在の選挙制度は有権者からの支持を受けて作られたものではない。



 助成法の問題はむしろ、小選挙区制とセットになって導入されたことで、有権者の意見分布に比例しない形で財が分配されること、またそれまでの選挙実績に基づいて交付される形をとったため、新たな政党の新規参入を阻害するということにある。(p.83)


政党助成金の問題点。議席数ではなく選挙の票に比例して配分する方が公平ということになる。また、後者の論点は新しい政党ができるのは、既存の政党が分裂してできているだけになっている、ということを浮かび上がらせる。



 小泉首相は、もともと小選挙区反対論者だったが、その制度的特性を最大限に利用した政党リーダーだったといえる。派閥を迂回した組閣や人事を行っても政権が機能しうるのは、小選挙区制の導入によって派閥権力が弱体化していたためであるし、その代替資源として世論を動員し、高支持率を背景に党の中央集権化を進めた。05年の「郵政選挙」で送り込まれた数々の「刺客」候補は、1人しか当選できない小選挙区制度ならではの選挙戦術だった。
 選挙制度の専門家でもある小林良彰は、選挙制度改編と党執行部の権限集中との関連を指摘し、民主的な党内運営が顧みられなくなる「階級化」が、政治改革によるものだったとしている(「袋小路の日本政治――『政治改革』とは何だったのか」『世界』2009年5月号)。ほかの多くの研究が指摘するように「小泉マジック」などというカリスマ性だけではなく、こうして構造的かつ制度的に作り上げられたリーダーシップに、小泉とその内閣は多分に依存していたという点を忘れるべきではない。自民党幹事長室長を30年近く務めた奥島貞雄は、小選挙区制が導入されてから政治家が執行部に逆らえないようになった、と証言している(朝日新聞、2009年9月6日付朝刊)。(p.91)


同意見である。小泉政権は小選挙区制の特性によって支えられていた。

派閥の弱体化による党の中央集権化は、その後、党の人材育成ができなくなるという方向でも「自民党をぶっ壊す」ことに繋がっていく。自民党はぶっ壊れてもいいのだが、国会にいる議員たちが育成されないということは良いことではないだろう。



しかし改革の成否を云々するのであれば、それはあらゆる改革と同じく、結果でもって判断するしかない。もしそうでなければ、改革が望ましい結果を生まなかったのは、改革それ自体が足りないからだ、というロジックへとつながっていく。だから、政治臨調が2000年代に入って新たに「マニフェスト」という運動を展開せざるを得なかったのは、改革が期待したほどの成果を十分に生まなかったためだったと、いうべきだろう。(p.96-97)


本書に指摘されるまで気づかなかった論点。

「マニフェスト」なるものは、失敗した(望んだ成果を生まなかった)「政治改革」の延長上に出てきた、失敗をさらに進めることになる「カイカク(政治改革)」徹底路線の産物である。



05年総選挙では、自民党は議席の73%を得票率47.8%で、逆に09年選挙では今度は民主党が議席の74%を得票率47.4%で獲得している。
 石川真澄は小選挙区制のもとでの政治、つまり得票率が50%以下であるにもかかわらず政権を獲得できるような政党政治は、政治臨調のいうような「民意の集約」などではなく、「作られた多数派」によるものだとしている。小選挙区制は有権者の半数の支持がなくても、人為的な制度によって、過大多数を与えるからだ。
 05年の「郵政選挙」と09年の政権交代を比較して、「民意のスウィング」が問題視されたが、しかしこれも小選挙区制を主軸にする選挙制度のもとでは当然の現象なのである。(p.102-103)


この数字は私が知りたかったものの一つである。それぞれの選挙の第二党の議席の割合と得票率を知りたいところである。



 政治臨調の意見に従うならば、真の問題は、小選挙区制を導入しなければ「政策本位の政治」が実現しないかどうか、である。この点について、例えば自民党の加藤紘一は、小選挙区で勝つためには有権者の半数が納得する政策を掲げなければならないが、半分が納得するような政策に実効性はないとする(『劇場政治の誤算』角川書店、2009年)。また政治評論家の森田実も、小選挙区制のもとでは候補者は政策や理念ではなくスキャンダル合戦を行うゲリラ戦を展開する、と指摘している(『週刊朝日』2009年1月23日号)。
 反対に中選挙区の場合、候補者同士が有利なポジションを求めて党内での競争が維持・加速される可能性が高く、政党の活力が維持される。小選挙区制のもとでの選挙だからといって、政策本位の政治が生じるという仮説は政治学的にも成り立ったことがない。(p.103-104)


小選挙区制の問題点がいくつか指摘されている。

加藤紘一の指摘のうち、前段は納得できる。半数が納得する政策に実効性はないというのは、必ずしもそうとはいえないだろうが、「政策の内容・効果」より「政策の聞こえの良さ」が良ければ、それで通ってしまう部分があり、有効でなくても聞こえが良い政策が掲げられがちなのは確かだろう。加藤が指摘しているのもそういう意味かもしれない。

森田実が指摘していることは、まさに現在でも起こっていることである。鳩山政権発足後も鳩山兄弟の資金問題や小沢一郎の資金問題ばかりが報道されているが、政策についての議論を欠いたスキャンダル合戦による足の引っ張り合いがこのままズルズルと続く可能性はかなり高い。鳩山や小沢の問題が何らかの区切りがついても、その後も政治家の資金問題などいくらでも出てくるだろうから。



 小選挙区制を導入したからといって政策本位になるわけでもないし、ましてや自動的に政権交代を導くわけでもない。それだけでなく「国民の意思」は極めて歪んだ形で、集約されてしまう可能性を持っている。(p.105)


小選挙区制の問題を端的に言うとこうなるだろう。最大の問題は最後の点であると私は考える。




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吉田徹 『二大政党制批判論』(その1)

政治改革の議論の中では、「政権交代」や「マニフェスト」といった、口当たりは良くとも、かなり粗雑な議論が横行してしまった。その結果、二大政党制の「功」だけが一人歩きすることになり、その「罪」は無視されることになった。しかし、格差問題や新自由主義、ゆがんだナショナリズムや排外主義といった現象は、もしかしたら、この二大政党制の進展と無縁ではないのかもしれないのだ。
 人為的に制度をいじって、それだけ政治が「良くなる」という発想方法を本書では「政治工学」と呼んでいる。しかしその発想自体が、政治をもしかして悪くするのかもしれない。(p.5)


なかなか示唆に富む指摘だと思う。

「政権交代」や「マニフェスト」という言葉はほとんどもっぱら「良いこと(もの)」として語られるばかりで、その「粗雑さ」は一般には理解されていないように思われる。

政権が変わるということは、確かに何らかの変化が生じる可能性が高まることは確かだが、その変化が「良い」方向に向かうという保証はないのだが、現状に行き詰まりを感じる人びとにとっては「何となく希望や期待を抱かせる」言葉であるが、政権を取った後に何をするか、それによってどのように生活や経済が変わるかということを隠してしまう効果も持っている言葉でもあり、本当に必要な議論をすることが難しくなる。選挙のときにこそ、政策が議論されるべきなのだとすれば、その時期に政策についての議論をできなくさせるという意味で、この言葉には問題があると私には思われる。

マニフェストについても、それを掲げないことは何か悪いことであるかのように語られるし、マニフェストに記載された政策を実行することが何らかの良い帰結を導くかどうかということを抜きにしてマニフェストを実行しないことは悪いことであるかのように語られる。しかし、本当に必要なことは掲げられた政策の効果をできるだけ客観的に議論できる環境があるかどうかということであるように思われ、マニフェストなるものを掲げ、それを必ず実行すべきだと言う類の議論は、確かに粗雑であるように思われる。

また、新自由主義やナショナリズムなどと二大政党制との間の関係というのも、かなり興味を引かれる論点であり、私としてもそうした観点からも今後、考察をしてみたいと思う。本書でもp.7で「敵対的な二大政党制は新自由主義と神話的である」と述べられているが、小泉の自民党と前原の民主党の時代の「カイカク」競争などが念頭をよぎったが、あのような現象にも制度的で構造的な要因が働いているという分析は必要であるように思われる。制度というものは、何か「良い」結果をもたらすためのものではなく、「悪い結果」が起きにくくなるように設計されなければならない。

そして、本書の批判対象の一つである「政治工学」もまた「なるほど」と思わされる論点であり、私としても本書によって啓蒙された感がある。この論点については、また別の箇所で書くことになるかもしれない。




 現代では、政党と政党政治の果たしている役割は、世界的にみて低下しつつある。それは19世紀から発達してきた政党という組織がデモクラシーで果たしてきた役割を大きく変えることになるだろう。(p.6)


興味深い指摘であり銘記しておきたい。



 先進デモクラシー国の中では、政治の持つこの重要性を憲法に明記している例もある。例えば、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャの憲法では、政党は公法上の地位を与えられており、政党に関する法的取り決めを持つ国もある。(p.16)


興味深い指摘である。

日本では「政党」とは何であるかということについて全くというほど議論も教育もなされていないため、こうしたことはほとんど知られていないように思う。これはやはり問題があるように思われる。



派閥が存在することは、それだけで党内で多様な意見が反映されることになるし、党内で権力が偏重することを防ぐことが可能になる。……(中略)……。派閥や族議員が社会の各セクターや部分的な利害を適切に党内へと伝達することができれば、それは政党の果たす利害の「集約」の機能を高めることにもなるだろう。(p.53-54)


「派閥」については、昨今ではア・プリオリに悪であるかのような観念が蔓延しているように思うが、私はそうした見方に非常に強い違和感を持つ。複雑ネットワーク研究の成果を念頭に置けば、ある程度以上の大きな組織で「派閥」的なグループができることはまず避けられないという認識がまず一つにあり、そうしたハブを中心としたグループである派閥は、この引用文にあるような意見の集約の機能が高まるなど、様々な役割を果たしているからである。



 政治学者デヴィッド・ハインは、派閥の機能には「組織」「政策」「範囲」の3つの次元があるとしている。「組織」は党内人事や人材育成のことであり、「政策」はその作成や決定、「範囲」はどの程度まで協力者や同調者を求めることができるのかということであり、これらの次元において派閥は重要な役割を果たすというのである。もし派閥政治がダーティなイメージを持たれて続けているのだとすれば、それは「政策」の次元を忘れて「組織」と「範囲」の次元に偏りすぎたためだろう。自民党が官僚組織に依存していたのでなければ、派閥は有力な「政策集団」としての意味合いを持ったはずである。
 今の自民党では派閥政治が崩壊して、その後有力な後継者を育てられなくなってしまうという状況が生じている。首相=党総裁にあまりにも権限や資源を集中させた結果、自民党は党内で切磋琢磨して次世代のリーダーを生み出すことを難しくしてしまった。(p.54-55)


政党内での役割だけが発達し、政党の外へ向けた役割が見えないので無用の長物であるかのように見えるのだろう。

自民党の弱体化と派閥の解体の関係は多岐にわたるが、ここで指摘されているような人材育成の問題もその一つだろう。自民党は中長期的にも衰退せざるを得ないように思われる。

派閥を政策集団的なものへと性格を変えるなどして、それを党外に対して十分にアピールしていかない限り、自民党は中長期的にも衰退せざるを得ないだろう。




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堀本洋一 『ヨーロッパのアール・ヌーボー建築を巡る 19世紀末から20世紀初頭の装飾芸術』

「アール・ヌーボーの勝利」と謳われたこの1900年のパリ万博を境にアール・ヌーボー様式はアクセサリー類の小物から建築にいたるまで全ヨーロッパに急速に広まっていったのである。(p.4)


比較的安価な新素材と新技術、そして、相対的な「金余り」(流動性過剰)ということがアール・ヌーボーの流行の背景にあるように思われる。



 ヨーロッパが最もヨーロッパ的であったといわれる19世紀末から第一次世界大戦が始まる1914年頃までのごく短い期間、古典と近代のはざまに咲き乱れたアール・ヌーボー建築とは何であったのだろう?(p.5)


このフレーズはいろいろなことを考えさせられる。

「ヨーロッパが最もヨーロッパ的であった」というのは、国民国家が制度化され、帝国主義的に進出することで「ヨーロッパ」のアイデンティティが求められ、それが確立した時代であったことが背景であろう。つまり、「ヨーロッパ」のイメージがこの時代に確立されたことの反映だろう。

また、19世紀末から1914年頃までというのは、アール・ヌーボーという流行の期間が短かったことを示しているが、それと同時に、戦争によって芸術家(建築家)たちが国境を越えることがやや難しくなり、コミュニティが国別に分断されたのかも知れない。建築家のネットワークという視点が少しずつ私の中で育ってきているので、今後も少しばかり注目しながら見ていきたい問題である。

さらに、「アール・ヌーボー建築とは何であったのだろう?」という問いもまた、様々な答えがありうるだけに思考を動かされる。私はもっと古典的な古い様式を好んできたので、アール・ヌーボーについてはまだほとんど知らない。アール・ヌーボーについて少しずつ造詣を深めていく中で、この問いに対する答えも沢山見つけていきたいものである。



それが1980年代半ば突如として日本に一大ガウディブームが訪れ、日本からガウディ詣での団体ツアーまで組まれる時代になってしまった。(p.26)


日本でガウディが注目されるようになったのは比較的新しい。恐らく世界的なブームになったのも似たようなものではないだろうか?

世界金融の仕組みがガウディの生きていた時代に近づき始めた(ブレトン・ウッズ体制が崩れたためそれ以前と類似点が増えてきた)頃に呼応しているのが私の興味を引く。

日本ではバブル景気に突入する時代であり、そうした時代にはモダニズム的なものよりもガウディのような遊び心のあるものが好まれるのは納得できる。そして、そうした浮かれた社会的な雰囲気は金融自由化と絡んでいるというのが私の見方である。



ただカタロニアという土地は中世に黄金期を迎えた後、何世紀にも渡る衰退の時代を経験している。ようやく18世紀に入って再生の兆しが芽生え減少していた人口も徐々に回復、19世紀後半に締結されたアメリカ貿易の自由化という経済活性化の起爆剤によって商業の発展、資本の蓄積と集中、そしてスペインで最初の産業革命へと繋がっていったのである。(p.27)


スペインの経済がようやく上向き始めた頃、カタロニアは多くの芸術家が輩出した。本書では中世からの「文化的アイデンティティ」が受け継がれていたとしているが、そうした見方は適切とはいえないだろう。もちろん、その土地でのみ見られるような建築やデザインなどをその土地の人間は学ぶだろうが、それは「自己」同一性を保って流れてくるようなものではないように思われる。

その時代のカタロニアで芸術家が多く出たことについて、何が重要な要因となったかは、同時代の他の地域との結びつきやその時代に生きていた人間が何を知ることができ、何を見ていたか、ということをもう少し仔細に見ていく必要があるだろう。



 バウハウスからキッチュと嘲笑される運命にあったユーゲント・シュティールは1914年、第一次世界大戦でその短い命を終えるが、それまでヨーロッパの都市造りを支配していたアカデミックな新古典主義を突き崩すだけの歴史的役割は果たし得たのである。(p.48)


これはドイツにおける状況を説明した文であるが、いわゆるアール・ヌーボーというスタイルの歴史的な意味ないし役割は古典的なスタイルを「唯一の権威」の座から引き摺り下ろしたことにあるように思われる。つまり、新古典主義のみに限らず、ルネッサンス様式やゴシックなどの復興様式も含めて、古い時代の様式に範を求めずに新たなデザインを模索するという試みを行った結果、権威を否定することとなったように思われる。

この動きは、絵画における印象派が古典主義的なサロンと対峙しながら台頭してきたことなどとも通じているように思われ、また、科学史上においては18世紀の新旧論争などを経て「科学(学問)の進歩」の観念が19世紀には既に常識化していたこと(ここでは古いものは必ずしも最高のものではない)とも類似の変化であるように思われ、これら全体と関連することだが、社会層としては貴族とは異なる市民層が力を増してきたことが当然にその背景にあり、富裕な市民層が急速に増えることができるのは、金融のあり方とも絡んでいると見る。

現代におけるアール・ヌーボーの再評価は、古典的スタイルとの関係性というよりは、「自由で少し遊びのあるデザイン」がモダニズムやポストモダニズムへの批判と結びついて評価されているように見える。まぁ、このあたりはまだ十分な知識もないので、暫定的な意見としておきたい。



 1839年、ヨーロッパ列強の緩衝地帯として統一ネーデルランド王国から分離独立したベルギーは新興国ながらも19世紀末には早くも植民地政策で列強と肩を並べるほどの国になっていた。コンゴ民主共和国(1960年までベルギー領コンゴ)の象牙、ダイヤモンド、ゴムなどは世紀末のベルギーに莫大な利益をもたらし多数の新興ブルジョアを生む。彼らは新興としての自分達のアイデンティティを求め、競ってアール・ヌーボー建築の施主となった。しかしブルジョアと個人の嗜好にその基盤を置かざるをえなかったこの様式は、世界大戦やアメリカの勃興など時代のうねりと価値観の変化の中で消え去る運命にあった。それから約百年、建築を四角い箱としてしか認識しなくなってしまった私たちに、アール・ヌーボーは今なお夢を追い求めるメッセージを発信し続けているようだ。(p.79-81)


この本を読んだのは結構前で個別の内容は忘れかけていたのだが、この箇所は上で私が述べてきたこととかなり重なるところが多いことに今さらながら気づく。

帝国主義ないし植民地主義の政策による植民地搾取と、それにより富を得たブルジョアが施主として担い手であったことなど。今までの行論では建築家に着目したが、施主への注目の方がより重要かもしれない。

アール・ヌーボーの現代における評価としては、やはりモダニズムに対する批判・反動として注目されているようだ。



レンガの芸術は労働者階級のためだった

 アムステルダムの世紀末建築のキーワードは「レンガ」である。オランダの世紀末建築は赤レンガの東京駅のモデルになったP.J.H.カルペイスのアムステルダム中央駅(1881~89年)から始まる。それはネオゴシックとレンガ壁を合言葉にしたオランダのアール・ヌーボースタイルの立ち上がりともいえる。(p.154)


レンガ造の建築は日本では割と高級感のあるものとして官庁などの公共建築などに使われた時期があったが、一般的には「労働者階級のため」ないしそれに近いようなもの、すなわち比較的卑近で安価な建築であった。

近々復元されるという東京駅のモデルはどんな駅舎だったのかちょっと気になるところだ。近頃、個人的に駅舎の建築になぜか興味が惹かれるようになっているので。