アヴェスターにはこう書いている?
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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楊海英 『モンゴルとイスラーム的中国』

 現代中国は、回民反乱、太平天国の乱などを反清闘争としてあつかう時は、清朝を悪者にしたてる。モンゴル高原の諸部族が清朝から独立していく経緯を書く時は、清朝を祖国に格上げする。その時どきの政治政策によって清朝評価もめまぐるしく変わる。このような状況から見れば、通史は国家政策を裏づける根拠で、国家政策を正統化するためにあるように見える。(p.43)


中国の場合、この傾向は相当顕著なのは確かであろう。清朝の場合はその評価が特にめまぐるしく変わっているのではないかと想像する。



 1997年、内蒙古博物館の文物が日本で展示されることになり、私は展示目録の一部を執筆することになっていた。私が言及した古代の遊牧民、匈奴や突厥などの項目はすべて中国側に改竄された。中国側は匈奴や突厥を「中国の古代北方民族匈奴と突厥」に改めたのである。周知の通り、匈奴や突厥の活動は北・中央アジアの域を超えている。現代中国の公的な歴史が、従来の漢族歴史家とちがって、匈奴や突厥と対抗していた漢族の王朝のみを中国の前身と見なさず、漢文化の域を超えて活動した匈奴や突厥をも「中国の北方民族」であったと解釈するねらいは、民族政策のためであろう。つまり、内モンゴルや新疆ウイグル自治区に居住するモンゴル系やテュルク系諸集団を現代中国にとどめるための政策である。その意味で、通史には時の政治政策が反映されているといえよう。ある一民族の通史で、たとえその民族がモンゴルのように中国という枠組みをはるかに超えて存在してきたにもかかわらず、あくまでも現在の民族政策に主眼がおかれている。(p.73)


言葉によって事実が(捏造的に)作られている事例である。

この手の捏造的ないしはプロクルステスの寝台的な概念規定に対しては、差し当たり、「中国の北方民族」であると性格づることを可能にしている「史料的な根拠」とその「概念の定義」を明示させることである。直接相手と議論できない状況の場合は、例えば、匈奴や突厥が北・中央アジアの域を超えた活動の根拠を示して、それを「中国の北方民族」という用語が喚起する観念とを読者に比較させることであろう。



 日中戦争中の1936年7月と9月、日本軍は「板垣征四郎構想」を打ち出し、アラシャン地域に二つの特務機関を設置し、モンゴル人だけでなく、回民をも対象とした工作を展開していた。場合によっては、ムスリム軍人たちをも抱き込んで「回教共和国」のような傀儡政権を創ろうとも工作していたらしい。日本軍の特務は寧夏の馬鴻逵とも交渉していたが、それが南京政府の蒋介石らに知られてしまう。当時、すでに中国西北部に逃れていた中国共産党も馬鴻逵は日本軍と結託している、と宣伝するようになった。
 ダリジャヤ王も馬鴻逵も、どちらも共産党や日本軍などさまざまな勢力と上手に付き合う必要があったため、とくに非難される筋合いもなかっただろう。ところが、当時、寧夏南部と陝西省北部に逃げ込んでいた中国共産党はこれぞチャンスといわんばかりに、馬鴻逵は日本軍と結託している、と騒ぎ立てた。まったく「抗日」していない中国共産党が他人の「通日」を批判することで、自らの政治的立場を強化しようとしていたのである。(p.81)


中国共産党にはこうした行為は枚挙に暇がないように思うが、中国国内ではそれほど知られていないのだろうなぁ。そのあたりについて、もっとフェアに情報を開示しなければなるまい。

恐らく、中国国内でいわゆる「反日」感情を和らげるにあたって、こうしたフェアな情報が流通することは極めて大きな役割を果たすように思われる。共産党や中国が絶対的に正当な立場であり、それを日本軍が攻撃したとすれば、怒りの対象は日本(軍)に向かうのみとなるが、共産党や中国側にもかなり問題があったことを冷静に認識すれば、過度に単純な善悪二元論からは抜け出やすいからである。まぁ、共産党が現在のような体制で統治を続ける限り、当面は無理だろうが。



 毛沢東らの逃亡は結果的に成功した。
 歴史上、北魏や契丹、それに唐やモンゴル、更には満州人など北方出身の遊牧民たちが中原に攻め込んで征服王朝を立てた歴史とは逆に、紅軍は南部中国で形成された。彼らが四川西部から陝西省北部まで冒険的に歩いたルートは、実は先に述べた遊牧民たちが古くから開拓した南進道である。つまり、その逆を遡上したわけである。モンゴル帝国の軍隊が四川・雲南をいち早く征服してから南西方面より南宋を攻撃する歴史の裏をかくかのように、日中戦争の終了を待って、とっくに疲弊しきっていた中原の中華民国軍に背後から不義の一撃を加えて戦果を勝ち取ったものである。
 ・・・(中略)・・・。
 紅軍の西北への移動は、ソ連の指示を受けての退却、ないしは逃亡だった。しかし、今日では、この不名誉な行為は「長征」という美談に創りあげられている。・・・(中略)・・・。真実が異なっていても、一旦、「歴史」として創造されると、大衆はいとも簡単に欺瞞に乗ってしまうものだ。(p.120-121)


中国国内に言論の自由さえあれば、国内にこうした批判的な意見も生まれようがあるだろうが、それができないところに中国の問題があると思われる。

ある意味、このあたりの話なども、他国の人々にとってはあまり関心がない話であるが故に、比較的容易に欺瞞が通用してしまうのではなかろうか。



 不思議なことに、漢人はどこへ行っても農耕にこだわるが、自然から学ぼうという姿勢はまったくない。農民の鍬で破壊されて貧弱になった土地を今度は別の立場の弱い人びと、例えば回民に引き渡す。自分たちはもっと豊かな土地を求めてゆき、そして破壊をくりかえす。漢人が捨てた、痩せた土地に住む回民が農耕だけでは生活できなくなり、負の仕事にも従事せざるをえなくなると、回民たちをまるで生まれつき犯罪者であるかのようにあつかう。そのような歴史の反復ではなかろうか。(p.155)


本書の著者は「漢人」への反感がかなり強いようで、漢人への批判が結構あるのだが、ここに描き出されているような現象というのは、意外と日常生活の中にも似たようなものがあるのではないだろうか?



 少数民族の強制移住は、中国における核開発と連動している。言い換えれば、核開発のために少数民族がその故郷から追い出されたのである。(p.177)



 故郷が核に汚染されているのではないか、と心配する人もいたが、その結果は意外と早く現れた。ヒツジやヤギに三本或いは四本もの角が出るようになった。歯が生えない者や歯が脆くなって抜けてしまうような家畜もいるという。遊牧民の老人たちはそのように異変した家畜を「神様の意志によって生まれた者」と理解し、大切な個体としてあつかっている。家畜だけでなく、人間の方にも障害を持つ子どもが増えているという証言を得た。原爆の汚染を神様の意思と理解し、それでも汚染されたところに住みつづけているのは、そこが故郷だからであろう。三〇数年間も帰ろうとして帰れなかった故郷である。
 地元政府も汚染の事実を把握している。中央政府から調査に来る人もいるという。しかし、汚染の具体的な状況にはまったく公表されていない。補償も対症医療もないのが事実である。三〇数年間も核実験に使われてきた場所に遊牧民たちが今も暮らしている。私にはどうしてもマイノリティだから放置されているように見える。政府の幹部どころか、多数者の漢人もそこに住もうとしない。国威発揚に場所を提供した少数民族は、その貢献に見合ったかたちで報われていないどころか、犠牲になりつづけているのではなかろうか。このような実態に、あからさまな差別を感じる。(p.182-183)


少数民族は、核実験のために強制移住させられ、核実験が終わったら、その場所(彼らの故郷)に帰ることを許されたが、そこでは当然放射能を浴びることになる。



漢族の人はよく回族が何を考えているか分からないという。隣り合って暮らしながらしばしば差別的な眼差しを向ける。漢族の方が回族のことを少しも理解しようとしないから、両者の間に壁ができてしまうのではないか、と私は思う。(p.295)


中国で、たまに思うのは、人々の思考の空間がやはり閉じすぎていて、他者に向けての関心が低いということである。国内でも少数民族に対して同様の対し方をしているようである。



社会主義制度が確立した当初、多数の少数民族を創ったのは、実は昔から確固たるアイデンティティを持つモンゴル人やチベット人、そしてウイグル人の地位を相対的に低下させるための陰謀であったことは明らかである。(p.368)


ここでは陰謀論になっているが、少なくとも結果論としては正しいように思われる。

確かに、多数の少数民族を認定することが、モンゴル、チベット、ウイグルを「国民(中華民族)」として取り込みながら、中央への影響力も低く抑える帰結になった面は確かにあるだろう。



 「中国はいつ崩壊するかわからない」
と日本の中国研究者たちはよくこのように発言する。日本の人類学者たちの中にも、その説に同調する者が多数いる。確かに、中国の長い歴史を振り返って見れば、分裂と統合のくりかえしである。そのような視点に立てば、いつ崩れてもおかしくはない。
 このような言説には大きな欠点がある。それは、今を生きる人びとの思いを無視している点である。少なくとも、今の中国を生きている人びと、漢人だろうが、保安人だろうが、回族だろうが、中国の瞬時の崩壊を多分、強くは望んでいないだろう。彼らも中国にはさまざまな問題があるのを百も承知している。書斎派の中国観察者たちとちがい、当事者たちは毎日のように腐敗と圧制のリアリティを体験している。それでも、彼らは現在、崩壊よりもまずは豊かになることを望んでいる。(p.379)


通俗的な中国崩壊論への批判として、中国の人々の思いという地点から批判している。確かに、現地の人びとがほとんど皆、崩壊を望まないとすれば、どの集団も崩壊を意図した行為はしないだろう。ただ、行為の意図とその行為の帰結とは別のことであり、必ずしも連動しない。その意味で、著者の批判は社会科学的に見て不十分である。ただ、中国崩壊論者たちが、中国の人々の考え・思いを考慮していないという点は妥当だろう。





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張承志 『紅衛兵の時代』

 学問の問題はひとまず落ち着いたが、多分その頃から青春が忍び足でやってきたのだろう。私はそれをはっきりと意識してはいなかったが、精神的な欲求が自分のなかで強まっているのを感じた。クラスにも、学校全体にも、このような欲求の高まりがあった。精華付中の生徒たちは、学業によって押さえつけられてはいなかった。とりわけ高校生の間には、政治的理想を追い求める一つの潮流が、ひたひたと押し寄せつつあったのである。(p.15)


これは60年代前半のことだが、中国でこの時代に理想主義が流行しつつあったことには複数の要因があるように思われるが、客観的および言葉の正しい意味で「批判的」な情報が少なかったことも、その一つではなかろうか。様々な出来事の帰結を第三者的に特定の利害から離れて冷静に記述する情報が少ない場合、行為の結果は顧慮されないことになる。これは行為の動機の重視に繋がり、信条倫理が主流となりやすくなるのではないか。

もちろん、信条倫理は(責任倫理と比べて)暴力を容認しやすいということは、ここに付け加えておこう。



 いま真面目という言葉を使ったが、中国語で「朴実」と書くこの言葉は、当時の私たちの判断の基準となっていた。つまり「朴実」か「不朴実」かで同級生を評価し、友人を選ぶ。これがだんだんと派閥感情を形成し、そのグループがのちに高校二年になっての紅衛兵グループに結びついていくことになる。(p.17)


理想主義が求めがちなものである「純粋さ」とは、常に「不純」なものの排除の上に成り立つものである。純粋であることは、本質的ないし絶対的に排除の論理と切っても切れないものなのである。ここでも真面目か不真面目かというやり方で、その排除の論理が表面化されている。

実際問題として、当時の中国社会に理想主義が蔓延していたのは、問題の所在は明示できないが何かがおかしいという感覚が人々の間で共有されており、どこかに「不純なもの」を見つけ出し、おかしな世の中にあっても自分は「正しい側にいる」ということを確認したい欲求が生じていたからではないだろうか。

だとすれば、90年代以降の日本の状況と文革前から文革までの時期の中国の状況とはかなり似たところがあると言えよう。



文化大革命が白熱化したのちに不幸な目に会った人々と対面すると、こういう才華あふれる文章は偉大であるからこそ罪深いと私は感じる。(p.72)


偉大であるという判断は信条倫理的になされ、罪深いという判断は責任倫理的になされている。しかし、全体的に真雨林理の色彩が濃厚である。



 私たち精華付中紅衛兵も、毛沢東主席が真面目に書いてくれたこの手紙に実用主義的に対応した。なぜなら、紅衛兵の前途はすでに中国特権階級の利益と離れ難くからみ合っていたからだ。全人類を解放し、自分に反対した人々と団結することは、事実上自分たちの利益を放棄することであった。
 われわれはすでに全国公認の左派組織であった。全国でまき起こっていた思潮は共産主義の赤色血統論であった。「血統論」とは、この世で血縁関係だけを認めようとする思想である。それはどこにでも存在しているが、古代封建の中国ではとくに目立っていた。こういう思想が社会主義時代の中国で、赤色の看板を掲げて大きく膨張してきた。出身家庭が文化大革命初期に突然、人間を判断する唯一の基準に変わったのだ。われわれは、血統論がもたらし、いながらにして手にすることができる、この自明の巨大な利益を放棄できるだろうか?ゼロの地点にもどって、犬っころ同然の普通の学生、生徒になることができるだろうか?
 精華付中紅衛兵はこのように鋭く自らに問いかけることができなかったのだ。(p.87-88)


紅衛兵だった著者の反省ないし自己批判が含まれている。しかし、そのような反省・自己批判がある程度異常の規模のグループで成立することはまずありえない。彼らはすでに強力な権力が発生してしまった磁場に取り込まれていたのである。



 60年代の中国は、すでに大爆発の潜在的条件を備えていた。多くの中国人が望んでいたのは一つのことだった。つまり、雲の上で威張り返っている官僚の頭を下げさせ、不公平極まる特権をぶちこわし、皇帝を馬から引きずり下ろすことだった。(p.187)


このあたりこそ、90年代以降の日本と中国の文革時代の最大の類似点かもしれない。



 熱情を持って生活する人には、必ず収穫がある。このことを私は学びとった。(p.195)


良い言葉である。『職業としての学問』でマックス・ウェーバーが述べた、あるフレーズを髣髴とさせる。


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星野博美 『愚か者、中国をゆく』(その2)

 日常を引きずったまま、まるで日常から旅空間へワープしたように、何の苦労も懸念もなく旅先に到達できれば――たとえばツアーに参加するとか、専属の通訳やガイドがつくとかして、何の心配もなくたびを続けられる状態であれば――、感動できやすい。なぜならそういう状況では、自分が属する日常と旅先の風景や異文化との差異がより際立つからだ。少々意地悪な言い方をすれば、そういう状況下では、さして感動するようなことではないことに、たやすく感動できるともいえる。
 ……(中略)……
 一生懸命がんばって現地の価値観に慣れようとすると、日常と異文化との差異が狭まる。そしてそのことが、無邪気な感動を妨げてしまう。
 観光して感動するというのは、実はとっても難しいことだったのだ。
 つまり、こういうこと?真面目にがんばって旅をすればするほど、この先ますます感動できなくなるということか?(p.206-207)


そうだろうか?現地の価値観に慣れようとすると、感動が妨げられるだろうか?私の意見は異なる。「現地の価値観」を体得すればするほど、感動は増すのではないか?(ここで言う「現地の価値観」とは、歴史的知識等も含めた、かなり広い意味で用いることにする。)

例えば、ゴシックの教会堂を見るとして、「現地の価値観」を体得すれば、その建築の歴史的意味や細部の装飾の意味なども見れば分かるということになる。何も分からずに見に行く旅行者が特にパックツアーなどの参加者には結構多いと思うが、彼らは例えばパリのノートルダムを見るとき何分見るだろうか?15~30分の間だろう。そして、大抵は「へぇ~大きいなぁ」で終わる。私なら2時間はかけるし、それがゴシック建築の中でどのような位置付けになるだろうかと考えならが細部まで見る。(もっとも、あの聖堂は観光客でごった返しているので落ち着いて見られないが…。)

現地の人たちだって、無関心な人も多いだろうが、全く遠く離れた地域よりは見方や歴史的意味やどこから見ると美しいかといった知識などを持っていることが多いはずであり、それを自然なこととして体得しているはずである。外部からの旅行者(十何年も定住しているような人でない限り)は、その価値観にどこまで肉薄しようとも、外部の視点を容易に導入できる立場であるが故に、その価値観と同化し、血肉化すればするほど感動しやすいはずである。

いわゆる発展途上国と呼ばれるような国々については、確かに現地の貧しさなどが、旅行者にある種の感動を引き起こすこともあるが、それとて現地の人の価値観と同化し、それを普通のこととして受け取ったとしても、外部の世界を知っている人間である限りは、別の視点を導入してそれを相対化することができる。そうした視点の自由度があるかどうかが、感動できるかどうかを決める重要な要因の一つではなかろうか?この箇所で提示されている見方は、そうするだけの余力がない場合のものでしかないように思われる。



 旅というのは、どこまで足を延ばしたとしても、目的地には何もないのかもしれない。心の底から魂を揺さぶられるような感動や、自分の将来に何らかの啓示を与えてくれるような衝撃的な出来事などを旅に求めたら、一生旅から戻って来られなくなるかもしれない。そんなものは、旅先にごろごろ転がっているようなものじゃないんだ。(p.216)


旅先というのは、旅先の住人にとっては「タダの自分が住んでいるところ」でしかないのだから、そりゃそうだろう。

過度な感動や冒険を求めるロマン主義的な旅行は不満に終わることが多いのではないだろうか。



 こんなにすいているというのに、なぜ切符は依然として手に入らないのか?(p.226)


こうした不条理ないし非合理性は、本書のテーマの一つであるように思われる。



 自由旅行と帝国主義は紙一重。バックパッカーはさしずめ、平和的な帝国主義者なのである。(p.260)


なかなか興味深い箇所。バックパッカーのような自由旅行ができるということは、帝国主義側のような豊かな地域の人でなければならないし、帝国主義は(特に支配する側について)ヒト・モノ・カネの自由な移動を推奨する傾向があるから、帝国主義的な政策の結果として自由旅行者が登場できるという側面もある。また、帝国主義者と一部のバックパッカーが共有しているであろうオリエンタリズムなど、いろいろと共通点を見つけることは容易であり、本書の指摘はなるほどと思わせるものがある。

しかし、バックパッカーは帝国主義者そのものではなく、帝国主義的な政策によって世界が改造されることによって出現できるようになった種類の人々だというだけである。バックパッカーが存在することによって、(帰国後に自らの経験を人々に語ることによって)オリエンタリズムを強化する可能性は否定できないものの、それ以外の点では特に帝国主義を推し進めるものとは言えないように思われる。(実際、相対的に豊かな地域の住人が相対的に貧しい地域に出向いて外貨を落としていくのだから、世界的な所得再分配すら行っているのである。)

引用された言葉は、レトリックとしてはよくできているが、現象の表層だけを的確に表現する言葉にはある種の危険が付きまとうということは一言言っておきたい。



 すいているバスに乗ってはならない、という教訓もこの時教えられた。日本で常に、できるだけ好いている交通機関を選択していた私にはまったく世界の逆転だった。
 中国ではできだけ混んでいるバスに乗るべきである。なぜなら、おおかた客で埋まったバスはじきに出発するからだ。一方、すいているバスは混みあうまではけっして発車しないから、埋まるまでいつまででも待たされる。もしもそのバスがいつまでたっても埋まらないとしたら、自分だけが知らず、付近の住民たちには知れ渡っている重大な欠陥が隠されている可能性もある。(p.301)


この指摘は正しいと思う。



 いまあなたが使っているトイレットペーパーとは、トイレで使う紙というより、水に溶ける紙、科学技術の粋を極めた紙である。世界じゅうのどこを旅行しても痛感するのは、日本のトイレの清潔さと、それに輪をかけたトイレットペーパーの質のよさだ。水洗トイレは、水に溶ける紙があってこそ、詰まらせずに快適に使用することができる。日本では、水洗トイレとトイレットペーパーが同時に切磋琢磨して進化してきたことを、ここで認識してもらいたい。(p.309)


日本のトイレ事情のすばらしさは私も世界を旅して痛感するところであり、トイレットペーパーの質の高さは確かに世界一じゃないかと思うくらい優れていると思う。柔らかくて水に溶けるという点が特に優れたところである。便座についてもウォシュレットや温かい便座など快適に使用するための機能がかなり普通に標準装備されており、こうしたところは他国ではあまり見かけない。

なぜこのようになったのか、その理由については謎だが、今後、旅を続けながら考えてみたいと思う。


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星野博美 『愚か者、中国をゆく』(その1)

何かを嫌いな理由は確固としているが、何かを好きな理由というのはいつでも漠然としている。(p.5)


なるほどねぇ。言われてみればそうかもしれない。

このあたりは、いわゆる「愛国者」たちの「愛国的」な観念がいつも曖昧模糊としていることとも深くかかわってくるだろう。

まぁ、それはさておき、何かを嫌いなのも本当は同じくらい漠然としていると思うが、それに対して行われる理由付け(合理化)の段階ではっきりと固定した理由になりやすいように思う。この合理化された理由は、場合によっては、かなりこじつけと思えることもあるが、それでも人はその理由を変えようとはあまりしない。好きなものに対しては結構理由付けは変わる。

嫌いなものはそれを避けることさえできればいいから、一つの理由があれば足りることが多いが、好きなものはそれを追い求めていくことになるから、対象自体が変化し、対象と主体の間の関係も時とともに変化していく以上、理由付けも変化せざるを得ないのであろう。

もちろん、合理化しきれない感覚が、これらの根底にはあるのだが。



 なぜバックパッカーは、何日も並んで安い座席をとり、ホテルはあまたあるのにドーミトリーのある安宿を目指し、なるべく速度の遅い乗り物に乗り、ホテルやレストランではなく路上の屋台で食事をしたがるのだろう?
 ・・・(中略)・・・。
 それは、旅という非日常の中では、金がないことで冒険が買えるからだと私は思う。金をかけなければかけないほど、旅は刺激に満ちたものになる。何でも金、金、金の世知辛い世の中で、旅先では冒険が安価で、時にタダで買えるのである。もともと何がしかの冒険がしたいと潜在的に思っている旅行者にとって、これほどお得な話はない。欲しいものが高価ならどこかで諦めるかもしれないが、安価になればなるほど刺激が増すため、歯止めも利かなくなる。それがバックパッカーのはまる旅の魔力だと、かつてそこにはまりかけた私は思っている。
 世の中には、自分を現実より大きく見せるための一つの方法としてブランド品を身につける人がいる。バックパッカーは往々にして、パリやミラノでブランド品を買いあさる旅行者を毛嫌いし、自分はそんな価値観とは無縁であると主張したがるが、バックパッカーの心理は実は、ブランド品を求める人のそれとよく似ている。
 旅という非日常の中では、日常の中で通用する「高くて有名なブランド品を身につける」感覚が、「金では買えない貴重な体験をする」に替わる価値となるからだ。
 ブランド品は、誰も銘柄を聞いたことのない本当に高くて良い物を身につけたのでは意味がなく、相当数の人――それもあまり数が多くなればまた価値が下がってしまう――が「あれは高くて有名な物だ」と評価してくれなければ身にまとう意味がない。そこで意識されているのは、あるまとまった数の他者の視線である。
 旅行者の冒険欲も、ブランド品を求める欲望と似たような心理構造を持っている。誰も知らない場所で誰の目にも触れず、誰もしたことがないような冒険を一人黙々とする旅行者は少ない。旅というのは人様に聞かせてなんぼのもの。誰かに聞かせる機会がなければ、誰も無茶な旅行などしない。旅行者もまた、常に他者からの評価を意識して旅を続けている。そしてその他者とは、現地の住民ではなく、同じように旅をしている旅行者が適任者となる。だから外国人――自分と同じ出身国の人間がパラパラいるとなお都合がいい――がたむろするところに出入りし、自分がどんな無茶をしてここにいるのかを他者から認めてもらう。それこそが旅における「ブランド」なのである。(p.56-58)


かなり的確にバックパッカーの心理の一面を捉えているように思う。


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